たけぼんの1歳の頃

満一歳の誕生日
前年の暮れにもまた肺炎になり入院して大晦日に帰ってきました。風邪ばかりひいて、おまけに発作もひどくなる一方で気づいてみれば、訓練の成果でなんとか寝返りまでできていたはずなのに、また元通りになってしまって、仰向けに寝ている時に足をあげていたのにそれさえできなくなっていました。薬はどんどん増やしているのに発作もどんどんひどく脳波の状態も最悪。
それで、2回目のACTH治療のためまた入院する事になりました。満一歳は病院で迎えました。
とってもおめでたい事のはずなのに、そんな余裕もなく過ごしていたのですが、当日は看護さん達が病室に来てくれて壮流のベッドの周りを囲んで「ハッピーバースデー」を唄ってくれました。
そして、先生や看護婦さん達のあたたかいメッセージカードいただき感激しました。「来年は家でお祝いできるといいね」と壮流に話しかけながら、メッセージを読みました。
           

2回目の夏
年始めに入院したあとも、やっぱりすぐに再発してしまって夏には3回目のACTH治療のための入院をしました。
もう入院には慣れたもので、これまでには肺炎でも何回か入院しているので、入院セット(透明の大きなケースにいつも洗面用具やら食器やら・・・)は常に用意されていました。
入院生活も慣れたもので、ある意味母にとっては家事から解放されて楽チンでもあります。病院では出されたご飯を細かく刻んだり、お風呂にいれたり、と壮流の世話以外はする事もないのでよく同じ病室の小学生の子とトランブしりおしゃべりして遊んでいました。ついでにマンガの本をお母さん達の間で読み回したりもして結構楽しんでいました。
でも、やっぱり家で待っている上の3人の子供たちの事は気がかりで週末になると今は亡き私の母が付き添いを代わってくれました。
みんなで協力することで支えあって少しずつ家族の絆も深まっていったような気がします。

初めての母子通園
夏も過ぎて、訓練を続けていくうちにちょっとずつ首が座ってきました。これまで本当に発作もひどく寝ている事がほとんど目を覚ますと発作・・・の繰り返しだったので、訓練に行っても先生からは「この調子だとたけちゃんは3・4歳くらいで歩けるようになるのは無理でしょう。」と言われていたので首が座った時は本当に嬉しかったです。これでたて抱きができるなーという喜びやっと味わえました。
そして秋からは、療育センターへ親子で通い始めたのですがここで初めて私は悩みを話したりできる場が持てて気持に余裕がでてきました。そのせいかこの時くらいから壮流も笑うようになってきたのです。
くつのプレゼン
まだまだ歩くこともできない壮流だけど、ずいぶん外反足になっていると言うことでくつを作る事になりました。小さくて白い革靴なんだけどちょうどクリスマスの頃にできて、それがプレゼント。「いつか一緒に手をつないで歩きたい。」というのが私の夢でした。
そんな夢もサンタさんは届けてくれるといいのにと思ったりしました。