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  〜人攫い〜
  (Main:みなみ Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






 「うえっ、こりゃ苦い」


 「あうう、すいませーん」


  口に運んだ真っ黒な液体による強烈な苦味、渋味。それらに歪む耕介の顔の隣には、もっと申し
 訳無さに歪んだみなみの顔があった。


  眉尻をハの字に、しゅーんと両肩と共に下げたみなみの頭にもし耳があったなら、同様に最大限
 垂れ下がっていた事だろう。


 「そんなに? って……あう」


 「はうう」


  その様子を初めはホントに? という顔で見ていた知佳だったが、問題の紅茶を一口口に含んだ
 途端、思わずウッと引いてしまう。ますます小さくなるみなみ。


 「紅茶はどこまでも出きっちゃうって言うか、ほうじ茶ならこうならないんだけど」


  だから葉っぱが多いとキツイと耕介は言う。みなみはもう終始俯きっぱなしだった。


  その夜珍しくみなみがお茶を沸かす事になったのだが、勝手の分からない彼女は直接薬缶に紅茶
 の葉を入れてしまったのだった。更に慣れない薬缶に分量がわからず、結果相当に苦い紅茶が出来
 上がってしまう。


 「スイマセン、あたし、あたしってばホント馬鹿で」


 「そ、そんな謝り過ぎだよみなみちゃん」


 「でも……」


 「そうだぞ、たかが紅茶でそこまで卑屈にならんでも」


 「うう〜」


  恋人である耕介と親友の知佳の慰めも再びみなみの顔を上げるには至らなかった。元々自虐的な
 面のある彼女であったが、今日は何故だか一際その気が強いように思える。


  耕介は困ったように一度肩をすくめると、手をみなみの両肩に置き、膝を屈めて目線を同じ高さ
 に合わせるとおもむろに口を開いた。


 「……ねえ、みな」


 「は、はい?」


 「みなは毎日のようにバスケやってるよね。そのバスケで失敗する事は?」


 「へ? は、しょ、しょっちゅうです」


  静かに、諭すような耕介の口調。みなみは未だテンパった気持ちを引きずったまま、振り子のよ
うに何度も首を縦に振っている。


 「慣れてる事でも失敗するんだ。だからそんなに落ち込む事ないさ。俺だって毎日のように色々と
 失敗するもの」


 「耕介さんがですか?」


  耕介の言葉に正直みなみは驚いていた。まさか耕介さんが、と。


  みなみの中では耕介という存在は恋人となった今でも頼れるお兄さんといった印象がまだ色濃く、
 自分と同じように失敗をする姿など想像がつかなかった。


 「買い忘れとかね。真雪さんのとか複雑な頼まれ物はメモってたんだけどさ、自分の物は油断して
 してなかった。それでついうっかりってね」


 「あ、わたし分かるーそういうの」


 「うん。今では自分のも全部メモを取ってるよ」


 「はー」


 「そうやって失敗を繰り返さないようにしていけばいい、それが成長ってやつさ」


 「おにーちゃんカッコイー♪」


 「フッ。鍛えてますから」


 「こ、言葉の意味はよく分かりませんが、とにかく凄い自信ですー」


  知佳も交えてわいわいと騒ぎ立てる内、みなみの表情も少しずつ明るさを取り戻してきたように
 思われた。それを見て耕介の口元もまた緩んでいく。


  たとえ勢いに飲まれただけだとしても、彼女が元気になるならそれでいい。


 「みなのバスケだって日々成長しているだろう? それと同じさ」


 「え……はい」


 「?」


  が次の瞬間、またみなみの顔がサッと曇る。耕介もその様子が気にはなったが、その場はわしゃ
 わしゃとみなみの短い髪をかき回す事でお開きとなった。


 「こいつだって活用法が……少し甘くしてミルク入れたり、あ、そうだアイス入れればいいんだ」


 「あ、おいしそー♪」


 「今夜の風呂上りはアイスティーだな。本物の」


  そう言ってはっはっはと大げさに笑い声を上げる耕介、それに知佳の脇で、みなみもとりあえず
 気弱な笑みを浮かべていたのだった。






                     〜◆〜






  次の日の休日、耕介は赤い洗濯籠を抱えてベランダへと出ていた。


 「うは暑……これならすぐに乾いちゃうだろうな」


  既に高い位置から照り付けている強い日差しにちょっと挫けそうになるが、それでも長年放置さ
 れた雑巾のようにバリバリに乾いた洗濯物を想像して耕介は気合を入れ直す。


  しっかり芯まで乾いた洗濯物は、ただそれだけで嬉しいものだ。


 「えーと、これはこっちか」


  まずは小物類をひょいひょいと蛸足に吊るしていく。


  元来耕介は洗濯の経験は余り無く、当初は戸惑ったものだったが、今では右前が多い事にも女性
 用のパンツを干す時にどこが足を通す穴でどこが胴を通す穴なのかと探る事にもすっかり慣れて。


  耕介は真雪のパンツを前にふと手を止める。それは真ん中に縦の縫い目のついた一枚290円の
 パンツだった。


  いつも思うのだが、気持ち悪くないのだろうか。耕介はそんな事を考えながら、一人作業を続け
 ていった。


 「いずれ聞いてみたいものだな、うん」


 「あの……」


 「うん? ってみな。どした」


 「あの……あ、あたしも手伝っても良いですか?」


 「? ああ、いいけど」


  とその時、耕介は誰かに呼び止められた。驚いて振り返るとそこにぽつんと、どこか所在無さげ
 に立ち尽くしていたのは恋人のみなみであった。


  いつから居たのか、耕介が手招きするとおずおずといった様子で近寄ってくる。暫し二人は無言
 のまま洗濯物を干し始めた。


 「……あ、あのー」


 「はいはい、なんでしょー」


 「耕介さん、昨日はすいませんでした」


 「はい?」


  何か話したい事があるんだなとは分かっていたが、ようやく開かれたみなみの口から出た突然の
 謝罪の言葉に耕介は思わず振り返る。


 「ゴメンなさいあたし、お手伝いどころかかえって迷惑かけちゃって」


 「そんなの、まだ気にしてたのか」


  当然耕介に怒りの気持ちなど端から無く、むしろまだ引きずっていたのかと驚いていた。一方み
 なみはしゅんと縮こまって小柄なその体が一層小さく見える。


 「美味しかったろアイスティー。それで結果オーライじゃないか」


 「はい、すごく美味しかったです。でも……」


 「う〜ん」


  反射的に逆接の接続詞をつけてしまうが、自信が無くそれ以上は続けられない。そんなみなみの
 態度に耕介はどうにもならんか、と短く息を吐いた後。


 「……みーな」


 「わっ、わ」


 「いいんだよ、みな。だってさ」


 「ほ、ほえ?」


  不意にみなみの体を抱き寄せた。突然の事にみなみが慌てふためく間も与えず、更に耕介は耳元
 に口を寄せる。


 「ここはみなの家なんだから。迷惑かけても、いいんだよ……」


 「は、はうぅ!」


  そう優しく呟いた耕介の言葉が、何処かツボに入ってしまったみなみは、ただただ真っ赤っ赤に
 なって唸りまくり始めた。


 「うわっ、わわっ! あ、あたしあたし……っ!」


 「ドウドウ、まま落ち着いて落ち着いて」


 「は、はぃ……」


  無意味に足踏みし、ばたばたと腕の中で暴れるみなみ。耕介にぽんぽんと背中を叩かれ、次第に
 落ち着いていったがまだ顔を上げる事が出来ない。


 「みなに本気で暴れられたら、俺なんかこのベランダから吹っ飛ばされちゃうよ」


 「うー、そんな事、ないですよう」


 「ははは♪」


  と、ここでようやくみなみの頭が上がった。頬を熱々に高揚させ、涙目で見上げるその顔は凶悪
 的なまでに可愛らしく、耕介は内心どうしてやろうかと憤る。とりあえずはキスかと。


  しかし落ち着くに従い真面目な面持ちを取り戻していくみなみに、耕介もおやっとその手を止め
 様子を見る事にした。


 「あの、こうすけさん」


 「なんだい、みな」


  みなみが呼びかけ、耕介がそれに答える。もう何度目かのやりとり。みなみはゆっくりと耕介の
 腕から逃れ、やがて意を決したようにキッと睨み上げた。


 「……反則、ってどう思いますか?」


 「はんそく?」


  反則って、バスケの事? と耕介がもう一度聞き返すと、みなみはグッと両拳を握ってハイ、と
 力んで答える。


 「そりゃいけない事だと思うけど」


 「でもプレイには、時には大切な事なんです」


  みなみは即答する。そう返される事がわかっていたようだ。


  一方耕介もなるほど話したかった事はこれか、と悟って頷いたり、視線を返したりとさりげなく
 みなみに話し続けるよう促していた。


 「ファールも3つまでは積極的に相手に当たっていけたりと、戦略的な部分も多いですし。だから
 反則自体は決して悪い事って訳じゃないんです」


 「うん」


  あくまで競技上のルールであり、あくまで悪い事ではないことを強調する。強い語調で、自分自
 身に言い聞かせるように。


 「……でもうち、やっぱり故意の反則は納得出来ない時もあるんです」


 「ああ」


 「なんだか、自分が汚れてしまった気がして」


  しかしここで急にしゅんと、みなみはトーンダウンしてしまう。自分のプレイが結果として反則
 になるのならば仕方が無い、しかし故意にそれを行うのはテクニックと言えるのだろうか。


  理屈では理解できているつもりでも、感情がそれについてこないのだ。


 「これからもっと先になったら、気にならないほど、自分でも気が付かないほど汚れてしまうんで
 しょうか……」


  みなみ自身も気がついていなかったかもしれない。自分のバスケに対する姿勢が汚れてしまうか
 もしれないという恐怖と共に、それにより耕介に嫌われたくないという気持ちがある事に。


  そうして再び俯いてしまったみなみの頭頂部に、不意に耕介の声が降ってきた。


 「……むかーしむかし」


 「は、はい?」


  驚いて顔を上げると、彼女を迎えたのは逆光で少し影になった悪戯っぽい恋人の笑顔だった。


 「中学ン時だったかな〜体育でハンドボールの授業があってさ。ある時ビデオを見せられたんだけ
 ど、それは高校生のプレイで」


 「え、ええ」


 「それ以上になると、見るのにはちょっと向いてないんだってさ。汚くて」


 「はあ」


  突然始まった昔話にみなみは目を白黒とさせているが、耕介は構う様子もなく語り続けた。


 「最近はサッカーなんかでよく言われてるね、世界を相手にするには日本はもっとズルくならない
 とって」


 「はい。それは分かってはいるんですけど……」


 「だからある程度そういう事も必要な事なんだろうなぁ、プロスポーツにとっては」


 「…………」


  自分でも言っていた事だし、わかっていた事だ。だが同意されてしまうと感情の置き所が無い。
 そんなしゅんと落としたみなみの両肩を、耕介がいきなりパンッと叩いた。


 「でもみななら大丈夫!」


 「は、はい?」


 「たとえそういう意味でみなが上手くなったとしても、みなは汚れちゃいないよ」


  唖然とするみなみの視線をにかっと笑顔の白い歯で打ち返しながら、耕介は自信たっぷりにそう
 言い切った。


 「それでもみな自身で汚れたと思ったら、その都度俺が洗ってやる」


  このユニフォームのように。そう風にはためく洗濯物を指差して言う。


 「そうすれば元の綺麗なみなみちゃんに戻れるさ」


 「そ、そうでしょうか」


 「ああ、勿論」


  実の所耕介の話はまったく根拠の無い勢いだけのものであった。何をどうするのかと問われれば、
 耕介は話し合う、美味しい物を食べさせる等具体性の無い事を返すに止まるだろう。


 「俺が保証する」


 「こうすけさあん……」


  しかしそれがかえって、もやもやと淀んでいたみなみの心の憂さを、勢い好く綺麗サッパリ押し
 流す事となった。


  要はみなみは誰かに支えて欲しかったのだ。


 「それに……」


  涙目ですがってくるみなみの頭をわしわしと掻き回しつつ、耕介は今度は自分の心に暗い影が、
 黒いしみのように広がっていくのを感じていた。


  その身長では世界には羽ばたけまい。そうすればみなみの身も心も、自分の元から羽ばたいては
 いくまい。


  そう心の何処かで安心している自分に、反吐が出た。


 「耕介、さん?」


 「ん? なに?」


 「いえ、耕介さんこそ、どうかしたんですか」


  何かを言いかけて、急に黙りこくった耕介の事を不思議そうに、そして何処か心配そうに見上げ
 るみなみ。その顔を見て我に返った耕介は、今は笑顔でいようとニッコリと微笑んだ。


 「……いやどちらかというと、俺はみなを汚しちゃった方かな〜と」


 「ほえ? ……は、はぅぅ」


  初めは何の事だか分からず疑問符を浮かべていたが、その意味を理解するに連れてみなみは顔中
 真っ赤になっていった。


  確かに、汚されはしたかも。意識するとますます頬が熱くなる。


 「……あ、あたしは」


 「うん?」


 「あたし耕介さんになら、洗っても落ちないぐらい汚されてもいいです……」


 「み、みな……は、ははっ、洗ったり汚したり忙しいな」


  意外な反撃につい耕介までカッと顔に赤味が差す。みなみは俯いていたが、その顔は以前とは違
 い明るくはにかんでいた。


 「こーすけさーん」


 「みーな」


 「はいー」


  意味も無く互いの名を呼び合う。それだけで無性に楽しくなり、嬉しくなり、気が付けば二人は
 再びはっしと抱き合っていた。


 「ぎゅって、してください」


 「うん」


 「もっと、もっと強くぎゅって……」


 「うん、うん……」


  強く抱いているつもりだが、それ以上にちょっと痛いぐらいに抱きつかれる。


  それがちょっと嬉しく感じてしまう耕介は汚された、染められたのは自分の方かも、と己の体で
 全て包み込んでしまえそうな小柄な体を抱きしめながら思った。


 「耕介さん」


 「ん?」


 「これからもあたしが迷ったら、洗ったり汚したりしてくださいね」


 「はっはっはみな〜、訳わかんないぞなもし」


  耕介は殆どしゃがみ込むほど屈むと、ちょんとみなみの唇を唾液で汚したのだった。






                     〜◆〜






  後日。


 「こうすけさ〜ん♪」


 「おお、お帰りみな」


 「はいー」


 「おっと」


  玄関で耕介に迎えられたみなみは、ついでとばかりにえいやっ、とその胸の中へと飛び込んだ。
 そのまま更に少しでも密着しようとぐりぐりと頭を擦りつける。


 「えへへ……っは! はわわっ!」


 「……何故離れる」


  撫でて撫でてと頭を突き出す人馴れした小犬のように、嬉しそうに擦り付いていたみなみ。だが、
 何を思ったのか突然ハッと体を起こすように耕介の元から離れた。


  耕介は当然訝しげに、そしてちょっと淋しげにみなみの方を見詰めるが、当のみなみはもじもじ
 と後ろ手で恥ずかしそうに身をよじりながらこう言った。


 「だってあたし、さっきまで練習してて、その、汗とか、臭いが……」


  今日は休日。それゆえみなみがバスケ部の練習から帰って来ても、彼女の帰宅が一番早いぐらい
 という状況になっていた。


  それを聞いた耕介は指折り考える。自分以外で今寮内に残っているのは……


 「真雪さんは仕事で出てる、唯一帰った美緒はまた遊びに……おしっ!」


 「ひゃあ?!」


 「今すぐ俺が洗っちゃる!」


 「ふ、ふえ? ほ、ほえええええっ?!」


  寮内に誰も居ないことを確認した耕介は、みなみの身も心も隅々まで洗いましょうと鼻息も荒く
 風呂場へと直行する。


  哀れ小脇に抱えられたみなみの体は、叫び声も虚しくそのまま持ち去られてしまったのだった。






  実は裏山からその一部始終を見ていた美緒が、後にその光景を人攫いが出た、と言ったという。





                                       了









  後書き:これも放置組の一人。
      知らない、慣れてない人ってたまにものすごい事しますよね。
      以前後輩がお茶の葉を山盛り(しかも紅茶だった)、
      沸いた薬缶に直接ぶち込んだ時にはビックリしたものです。
      案の定出来上がったのは飲めないぐらい苦い真っ黒な液体……





  05/10/01――UP。

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takemakuran@hotmail.com
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