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  〜KWAIDAN〜
  (Main:複数 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






 「その時タクシーの運転手が振り向いて……お前が殺したんだぁっ!」


 「「キャーーッ!!」」


  昔懐かしいノロイのポーズで両手を広げキシャーと迫る真雪。その対面に居たおないどしーずが
 抱き合って黄色い叫び声を上げた。


 「うう、お姉ちゃんのり過ぎだよぉ」


 「はう、び、ビックリした……」


 「あっはははは。さて、これで何話目だっけ?」


 「……あの、やっぱりやめませんか?」


  そこで薫がちょっと困った顔で口をはさむと、皆が一斉に薫を振り向く。


 「あんだよ? 夏の夜の怪談は正しい日本の文化だぞ?」


  ある夏の夜。今日はさざなみ寮の皆で怪談話でもしようという話になり。メンツは七人、美緒は
 もう寝ておりリスティは病院で、一応大人メンバーだけという事になる。


 「それは、そうかもしれませんが……」


  だがまだ一人、反対し続けていたのが薫だった。


 「お前の要望を取り入れて、暗くもしてねーじゃねーか。おかげでこっちは脅かすのに一苦労だ」


  雰囲気を作らぬよう明るい中、皆の真ん中に置かれたロウソクも、ゆうひの持ってきた赤いアロ
 マキャンドルとなんともファンシーなものだった。


 「おねーちゃんのは、明るくても十分恐いと思うよ……」


 「かっかっか。まぁ演技力の違いってやつだ」


 「やっぱり、霊の事を面白おかしく話す事はあまり好ましくないと思います」


  こういった事は本当に霊を呼び寄せる事もありますし、となおも反対する。


 「まぁまぁ、行き過ぎないようにはするし、真雪さんの言う通り怪談話は夏の定番でもあるから。
 だから今日は薫も、な?」


 「ね? 薫ちゃん」


 「……はい。分かりました」


  そう耕介と愛がやんわりと諭すと。しぶしぶと言った体だが、とうとう薫は了解したのだった。






                     〜◆〜






 「さて、じゃあ次はうちが話そか」


  しきり直しとばかりにポンと膝を叩くと、ゆうひが皆に身を乗り出した。


 「あんな、ある学生の女の娘が、ちょっと冒険して耳にピアスの穴をあける事にしたんや」


 「今時ピアス穴で冒険ってのはないだろ」


 「昔の話やし、まぁその娘にとっては初めての事やったんやから。そんで、その日とうとう初めて
 の貫通を体験したんやけど……」


 「貫通ってゆーな。貫通ーって」


  お前わざとだろ、などとツッコミを入れられながらも、構わずゆうひは話し続ける。


 「その時ふとその耳たぶに糸クズが付いている事に気が付いたんや」


 「……ああ、なんだあれか」


  話の内容に気付いたのか、真雪は乗り出していた身を引きドサッとソファーにもたれる。


 「あれ? 糸クズや、と思ってプチっとそれを引っ張ったら……突然辺りが真っ暗に。あれ停電?
 と辺りを見まわすけど、何も見えない」


  きょろきょろと辺りを見まわすフリをするゆうひ。


 「ほしたらそれは……なんと糸やと思っとったのは視神経! で、失明してたんやて。その娘は気
 が付かず、暫く辺りを見回しとったんやと……」


 「ひぇ〜……」


 「はい、これでうちの話はおしまい♪」


  静かな恐怖の叫び声があがる中、ゆうひはパン、っと顔の前で手を叩いて話をしめた。


 「う〜んこの話、何度聞いてもそこそこ恐いのが不思議だ」


  フッ、とゆうひが目の前のアロマキャンドルに息を吹くが消えはしない。炎が揺らめく中、こち
 らも途中で内容が分かっていた耕介が腕組しながら呟く。


 「つーかうちらがガキの頃からあったぞ。一体いつからある話なんだ?」


 「俺の中学の時なんか、学校で配られたプリントに載ってたけど……」


 「あたしは都市伝説だと思ってましたー」


  それぞれに聞き覚えのある話のようで、次々に声が上がる。


 「つーかそんな話を学校のプリントなんかに載せるなよなぁ」


 「まぁそれは、おおらかな時代だったという事で」


 「良い時代……だったのかなぁ?」


  妙な方向へと話が流れてしまい、皆一様に首をかしげるのだった。






                     〜◆〜






 「さて次は誰がいく?」


 「知佳、お前はどうだ?」


 「え? あ、あたし?!」


  突然振られ知佳は自分を指差しえ? え? とうろたえる。


 「そうだ。お前にだって一つぐらいはあるだろ」


 「う〜ん……ゾッとした話、ぐらいなら」


  それでいい、と真雪が手で即すと、じゃあと知佳は手を組んで身をかがめた。


 「……あのね、この間、自分の部屋でネットしてたの」


  自然と声が抑えられ、ささやくように話が始まる。


 「その時、ふと目の前を何かが横切った気がして。でも辺りを見まわしたんだけど、その時は何も
 見つからなくて。そのままパソを続けてたの」


 「ふんふん」


 「んで、暫くたって、ふと上を見上げたら……そこには、ゆっくりと壁を歩く黒い物体が!」


  急に強められた語気にみなみちゃんがひっと小さく声を上げる。


 「わたしその瞬間背筋がゾゾッとして。金縛りの様に動けなくなっちゃった」


 「あんな単なる昆虫の一種の、一体どこが恐いんだか」


  耕介が呆れたように呟くが、他の女性陣は案外真剣な面持ちで耳を傾けていた。


 「いつもなら、その場から逃げ出してついついやり過ごしちゃうんだけど……でも自分の部屋だし、
 そのまま自分の部屋に居られる方が恐いじゃない」


 「わかるよ〜」


  拳を握り締め、みなみもぶんぶんと首を縦に振る。


 「だから、勇気を振り絞って退治する事にしたの。でも叩いたり、殺虫剤を使うのも恐かったから。
 それでえ〜と、その……」


 「それで?」


  どうしたの? と続きを即されるが、知佳はえ〜と、と気まずそうに手をもてあそび。


 「……掃除機で、吸っちゃった」


 「あーっ! あれはお前だったのか知佳!」


 「あう。そ、その、実は……」


  思わず白状する事になった悪事を耕介に責められ、知佳はあう〜と更に小さくなっていく。


 「どないしたん耕介君?」


 「掃除機の吸いこみ口の所にビニール袋がかかってて蓋してあったから、何かと思ってたんだよ。
 まさかそんな理由だったとは……」


  耕介は先日掃除機の吸い込みノズルにビニル袋がかけられ、輪ゴムで止められていたのを見つけ。
 不思議に思いながらも特に何の問題もなく、それを取り去って普通に使っていたのだ。


 「う〜だってもし生きてて、中から出てきたら恐かったんだもん」


 「まぁ良いけどさ。ちゃんとひとこと言えよ知佳」


 「うう、ごめんなさいお兄ちゃん……」


  くしゃくしゃと髪をかきまわされ、ますます小さくなる知佳。


 「そうだぞ知佳。中で繁殖したらどーする」


 「そ、それは」


  暫く吸いこんでたから大丈夫だもん、などと言い訳するが、その顔は青ざめている。


 「そうやでぇ。次使おうとした時、スイッチを入れた途端吸いこみ口からわきゃわきゃと……!」


 「ひ、ひぃぃ!」


  ゆうひが手をわきゃわきゃさせながら襲いかかると、知佳は自分で自分の身を抱きしめながら、
 きゃあきゃあと逃げまわる。


 「そう言えば、ゴキブリって単為生殖して、死ぬ間際に卵を産むんですよねー」


 「……愛さん、それ洒落にならんぐらい恐いで」


 「ほ、ホントに怖くなってきましたー」


 「……大丈夫だよ。たぶんすぐ死んでるし、それにもうちゃんと中のパック換えちゃったから」


  愛の何気ない一言にサーッと皆が引いていくを見て、耕介は一応フォローを入れておく。


 「そうだな。それに吸いこみ口からは出んだろ」


 「そ、そうだよね」


 「……出るとしたら、排気口からだな」


 「え?」


  珍しくフォローにまわったと思われていた真雪の口が、そう言ってニヤリと三日月型に歪んだ。


 「掃除機のスイッチを入れた途端、中で繁殖したゴキの大きいのやちっさいの、それがフィルター
 でバラバラになった手足羽なんかが一斉にブワッ!! っと」


 「ひゃーー!」


 「いやや、いややーーッ!」


  弾ける様に飛び退いた知佳とみなみちゃんは、耳を押さえてイヤイヤと頭を振る。


 「排気口から飛び出した、それはまるで光沢のある黒い霧のよう……」


 「ひーっ!、ひーっ!!」


 「その黒い霧はいつしか人にまとわり付くようになり、やがて取り付かれた人の体は……!」


 「うきゃきゃーーっ!?!?」


 「うう、そ、そのへんにしておきましょうよ」


  なおも脅かし続ける真雪を、二人も怯えてますし、と薫がたしなめる。本人もちょと怯え顔だ。


 「じゃあ次はお前が話せ」


 「え? う、うちがですか?」


 「でなきゃ続くぞ。この手の話が」


 「でも……」


  元々話を聞かせるのが得意ではない上、怪談話などした事のない薫は困った顔で考え込む。


 「お前の事だ。本気で死ぬほど恐い話もあるんじゃないか?」


 「そんな真雪さん、そんなの薫に話せるわけないじゃありませんか……」


  真雪の言い様に、さすがに耕介が助けに入る。


 「……それじゃあ、一つ」


 「え? い、いいのか薫?!」


  だが薫はやがて顔を上げると、はい、と小さく微笑む。


 「これは、少し前の事なんですが……廊下であまり話した事ないクラスの娘とすれ違ったんです」


 「その娘の肩に、なんか霊とか乗ってたとか?」


 「いえそんな……その時に突然笑顔で『バイバイ♪』って言われて。驚いたんですが、その、あま
 りない事ですから。うちも勇気を出してバイバイと手を振ったんです」


  そうしたら……とその時薫はちょっと赤面して、うつむく。


 「……そしたらうちの後ろから『バイバイ♪』って声が聞こえてきて。振り向いたら違うクラスの
 女の娘が居ました……」


 「ぶわーっはっはっはっはっ!」


 「今思い出しても、恥ずかしさで死んでしまいそうです……」


 「あー、まぁよくある事だ。うわっはっはっはっは!」


  真雪は大笑いしながら、バンバンと薫の背中を叩く。


 「そんなに笑っちゃ悪いですよー。わたしも経験、ありますし」


 「そうだな。あまり気にしない方がいいよ、薫」


 「はい……ありがとうございます」


  考え込む薫の事だから、と思われたのか、次々と入る皆のフォローに、薫はまだ顔を赤くしなが
 らもにこっと、小さく嬉しそうに微笑んだ。


 「最近だと携帯の話し声、あれって紛らわしいよな」


 「そうっすねぇ。真後ろからもしもしって言われたら、普通人は振り返りますもんね」


 「あの携帯のイヤホンマイク? 何にも無い所に一人話しかけてるみたいで、ちょっと恐いよね」


  皆何かしら経験があるのか、腕を組んだりしてウンウンと頷いている。


 「あ、そういえば黒い霧と言えば、新幹線にひかれた人なんかは一瞬でバラバラになって、赤い霧
 みたいになっちゃうそうですよ?」


 「……愛さん、今頃その話蒸し返しますか?」


 「ハンブルグの黒い霧ー! なんちゃって」


 「ブロッケンJrかよっ?!」


  愛の天然っぷりに全員あららとずっこけると、もうその頭から黒い恐怖は消え去っていた。






                     〜◆〜






 「そういう感じの恐い話なら、あたしにもあります」


 「お、岡本少年、じゃあ次は頼んだ」


  はいーと手を上げて元気よく返事すると、意気込み両手を握り締めてみなみは話し始めた。


 「こないだ自転車で信号待ちしてたんです。その時横断歩道の前に、ちょっと場所があったんで。
 止まらずぐるぐる、と自転車で回りながら待ってみたんです」


 「あ、俺もやった事あるな」


 「それでふと顔を上げたら……信号待ちの人、車に乗ってる人達全員が私の方を見てました」


 「「「「「それは恐い」」」」」


  思わず全員の声が綺麗にハモる。


 「はいー。信号が変わったら、慌ててその場から逃げましたー」


  ちょと恐かったです、と顔を赤くするみなみ。


 「そう言えば昔、ひねるとバイクのエンジン音がする自転車の後付グリップがありましたねー」


 「……あったあった」


  また懐かしいものを、と一部年上連中は苦笑する。


 「愛さん、よーそんな事知ってんなあ」


 「はいー、わたし持ってて付けてましたから。両方とも2つ」


 「……付けとったんかい」


  愛の凄まじいボケっぷりに、年下組は首をひねり年長組は皆ぐったりとつっぷす。


 「実はわたし自転車乗れなかったんで、気分だけでもと」


 「乗れなかったのかよ! てか何の気分だよっ!」


 「本来ボケ役のはずのこのゆうひさんが、純天然さんの愛さんのおかげで、ツッコミにまわりっぱ
 なしやで……」


  予想以上のボケで返されて、よよよとソファーにへたりこんだゆうひは、ご苦労さんとばかりに
 ヨシヨシと耕介に撫でられていた。






                     〜◆〜






 「しっかしだいぶズレてきたな」


  確かにもう怪談とは言い難い話になってきていた。一応恐い話、ではあるのだが。


 「じゃあうちがここらで話元に戻そか? ガチャピンって知ってる?」


 「あの宇宙にも行った、緑色の物体だろ」


 「……実はあのガチャピン、腕にイボイボが付いてるやろ? あれで繁殖するらしいで」


  人差し指を立てながら、前かがみになり急に声をひそめるゆうひ。


 「あれがある日ポロっと取れて、もぞもぞと動き出しやがてそこから新しいガチャピンが……!」


 「ひ、ひぇ〜」


 「お、思いっきり想像してしまった……」


 「どや♪」


  静かではあったが、皆に走った恐怖感にゆうひは満足げに腰に手をやり、えっへんと胸を張る。
 はずみでるん、とその豊かな胸が上下した。


 「つーか結局路線戻ってねーじゃねーか」


  真雪のツッコミにあははと楽しそうに笑う。ようやくボケられて嬉しいようだ。


 「次。耕介、お前だ」


 「俺っすか? じゃあ前スーパーで買い物した後、買い物かごのまま……」


 「それは怪談じゃないだろ」


 「へ?」


  指名に意気揚々と話し始める耕介。だがすぐに真雪にさえぎられ。


 「ちゃんと怪談話をせい怪談話を」


 「今まで皆ズレまくってたくせに……」


  俺だけかよっ?! と愚痴るが、聞き入れられそうにない。


 「さあ、はよ話せ」


 「はぁ……じゃあ俺は、うろんが恐いです」


 「うどん?」


 「はい。うろんです」


 「……まんじゅう恐い、か?」


  落語のまんじゅう恐いオチか? と疑惑の視線を向けられるが、耕介はキッパリと否定する。


 「いえ違いますよ。正確に言えばうろんのゆで汁、でしょうか」


 「なんだよ、それって」


 「え〜とそれはですねぇ……これはちょっと前のお話しですが」


  さて、と前置いて名探偵の如く皆の注目を集めると。


 「まだ暑い夏のさかり。その熱気にやられた俺は米を食う気にもなれず、昼飯のほとんどをざるう
 ろん100gのみに頼る毎日でした」


  耕介は組んだ手を膝上に置き、一人だと凝る気も失せちゃうんだよねと首を振る。


 「その日も一人の俺は片手鍋でぐつぐつと、ざるうろん500g入り100円を100g、つまり
 20円分をうでておりました」


 「どーでもいいけど『うろん』に『うでる』って、お前どこの訛りだよ」


  真雪のツッコミを無視して耕介の話は続くのだった。






                     〜◆〜






 「暑いな……」


  夏の暑い最中、火を使っているのだから更に暑い。頬を流れる汗をタオルでぬぐいながら、耕介
 は換気扇ではおっつかないさながら蒸風呂のようなキッチンで鍋を見つめていた。


 「さて、そろそろ茹であがったかな?」


  ダシ汁は既に作り置かれているので、後は薬味等をきざむだけ。五分足らずですすりこみ食事が
 終了する事も多かった。


 「うん、もういいな」


  二、三度箸で中身をかき回すと、茹であがった事を確認した耕介は流しにザルを用意する。


 「よっ、と……」


  そうして片手鍋をごとくからはずし、ザルにあげようとしたまさにその瞬間。




  ズシャバタバシャゴトンクワンクワンクワンジュルクワンクワンクワワワン……!!




 「なっ、一体何が起こったんだ?!」


  突如大音響と共に、目の前に広がる大海。そしてそこを泳ぐ白いモノ。


 「誰かの陰謀? 私に対する嫌がらせ? 新手の嫁いびり?」


  何がなんだか訳が分からず唖然とする耕介の頭を様々な思考が飛び交う中、ふとある事に気がつ
 くと、ゆっくりと鍋を掴んでいた右手が掴んでいる物を見る。やけに軽い。


 「……なんですと?」


  そこには鍋……の柄のみが。


 「チッ。腐ってやがる、早過ぎたんだ」


  木の柄が腐っており付いていたネジが外れ、手元に柄のみを残して鍋が落下。煮えたぎったお湯
 と共にうどんが床に散乱していた。


 「うろんで死ぬ所だった……」


  幸いにも煮えたぎったお湯は、足前面部をかすめただけで大事には至らなかったのだが。下手を
 したら大火傷で、改めて死の恐怖に震える耕介。


 「シクシクシク……あちち」


  泣きながら床に散らばったうどんをかき集める。が熱くてなかなか掴めない。


 「うう、俺のうろんが」


  モウモウと床から湯気が立ち上る中、耕介は手の熱さをこらえながら、ようやく麺を全てザルの
 中に集める。


 「ああ、美味い。シクシクシクシク……」


  こうして耕介は一度床に散らばったうどんを綺麗に洗って、お腹を満たしたのだった。


 「ごちそうさまでした」


  そうして耕介が泣く泣く一度床に散乱したうどんを食べた後。鍋を直さにゃならんなぁと思いな
 がら器を台所、シンクへと運ぶ。


 「まだ、温かい」


  当然床は綺麗に拭きとり、茹で汁のこぼれたマットは洗濯機に放り込んであったが、床の一部は
 まだ異様な温かさを保っている。こぼした茹で汁がよっぽど高温だった事を示していた。


 「死ななくてよかったよ。ホント」


  足の裏に温かさを感じながら、それだけを感謝しつつ。食事に使われたたった一つの器を洗う為
 に、シンクの前新しくひかれたマットに足をかけた。


 「やれやれっと……をっ?」


  と、その瞬間。


 「をを?」


  ツルッ、とマットが床を滑り、上に乗っていた耕介の体が。


 「をいをいをいおををををををっ?!」


  ブンッ、と191cmの巨体が、宙を舞った。


 「ぐはっ!」


  うどんの茹で汁、それは白くうどんの成分である小麦粉が溶け出した液体である。確かに濡れた
 マットは洗濯機、床は雑巾で綺麗に拭き取っていたが、それでもわずかにその成分は残るもの。


 「うう。ま、またうろんで死ぬ所だった」


  拭き取った事により茹で汁のこぼれた床は、表面に薄っすらと粉を吹いた状態となっていたのだ。
 更にその上に、被せられた新しいマット。


 「滑るのも当たり前、ってか」


  強かに腰を打ちつけた耕介はノロノロと洗面台へ向かうと、濡れ雑巾でもう一度床を拭き直し。


 「今日は厄日だ。もう、休も」


  痛む腰をさすりながらまだ高い日をよそ目に、耕介はゆっくりと自分の部屋へ向かったのだった。


 「うろんのうで汁、正直危険」






                     〜◆〜






 「……と、いうような事があってな」


 「プ。プ、ププププ……」


 「それ以来俺はうろんの茹で汁が恐くて恐くて」


 「く、プックククク……」


 「ぶっ、ぶわーっはっはっはっはぁ!!」


 「ありゃ?」


  全てを話し終えやれやれと首をすくめる耕介を他所に、真雪の大爆笑を皮切りに皆が一斉に吹き
 出した。


 「あはーっはっはっは。ひひーっひっひっひっ!」


 「あっ、くくくく、こ、こうすけくん、あは、さ、最高やで自分……!」


 「お、お兄ちゃん、お、おなかが……」


 「……く、くるしいです。はい。クククク」


  あの薫でさえもがお腹を押さえて苦しんでいる。


 「あは、あっはははははははは……」


 「はひ、はひ、お腹痛い、お腹痛い……!」


 「あ〜苦しっ。ひーまったく、こんっなバカ話今まで聞いた事ないぞ」


 「何言ってるんですか。俺は1日に2度もうろんの茹で汁に命を奪われかけたんですよ?」


 「1日に! 2回も! あーっはっはっはっ!」


 「こ、耕介君、堪忍や。これ以上ウチを苦しめへんといてぇなぁ」


 「プッ、に、2回、クク、クククククク」


 「あは、あはははははははは……!」


  その後も暫く皆の大笑いが収まる事はなく。十分間ほど続いた後、ようやく場は沈静化してきた。


 「あー、笑っちゃった笑っちゃった」


 「はーうち、こんなに笑ったのは久しぶりです」


 「やっぱりうちが見込んだ通り、あんたは生粋の芸人やったんやなぁ耕介君」


 「嬉しいような、悲しいような……」


  笑わせる気があったのか無かったのか、耕介は一人複雑な顔で腕組み。


 「ところで愛、お前はなんかあるか?」


 「え? わたしですか?」


 「あと残ってるのはお前だけだ」


  急に話を振られ、愛はアゴに指を当てながらちょっと考え込むと、やがてポンと手を叩いた。


 「あ、そうそう、以前友人の結婚式に行ったんですよ」


 「ほう」


 「そこで久しぶりに友人に会ったら、なんと友人の隣には化け物が!」


 「化け物?」


 「でもよく見たら、その化け物……友人の奥さんだったんですよ」


 「アメリカンジョークじゃねーか!」


  綺麗に決まった真雪のツッコミ裏拳と共に、ドッ、とまた一瞬場が沸いた。






                     〜◆〜






 「ふー。あーあ、なーんか落ちついたら疲れてきちまったなぁ」


 「ほんとですねー。楽しかったですけど」


  幾人かが疲れたと言うように、んーっと伸びをする。見るともう中央に置かれていた赤いキャン
 ドルは、何時の間にか燃え尽きていた。


 「おい耕介、あたしは熱ーい紅茶が恐い」


 「へ?」


 「あ、じゃあうちは日本茶が恐いかな」


 「わたしも恐いのは……紅茶ですかね」


 「あたしはバナナジュースが恐いでーす!」


 「……あー、はいはい」


  もう今回の怪談前に用意してあった飲み物はほとんど空になっていた。耕介は皆の言わんとする
 事を理解すると、新たにお茶を入れるべく席を立つ。


 「薫は何が恐い?」


 「え? あ……じゃあ、日本茶を」


 「ほいほい」


 「お兄ちゃん、私手伝うよ」


 「ありがと知佳」


  こうして耕介は知佳を連れ立ってキッチンへと消えていったのだった。






  さざなみの、ある真夏の夜のお話でした。






                                       了









  後書き:たまにはこんな馬鹿話でもと書いたものですね。これも古い。





  02/10/12――初投稿。
  04/11/21――加筆修正。

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takemakuran@hotmail.com
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