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  〜味噌汁〜
  (Main:薫×知佳 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






 「じゃあ大根をこれぐらいでかつら剥きにして、面取りしてくれるか」


 「はい」


 「俺はその間に……ブリに塩ふりでもしておくか。終わったら大根はあの鍋に入れてね」


  ハイと大きく頷いて薫が夕食用の大根へと左手を伸ばすと、隣で下ゆで用の大鍋が水を張られ、
 まだ火はつけずごとくの上に置かれる。


 「それにしても悪いね薫、手伝わせちゃって」


 「いえ」


  同時に耕介はブリに湯かけする為に雪平鍋をコンロにかける。冬の夕暮れ、引きつったような外
 の冷たく乾いた空気とは反対に、二人の居たキッチンは温かな蒸気によって満たされていた。


 「どうせ、暇ですから」


 「でも今日はどうしたんだ? いつもならまだ、部活の時間だろうに」


 「え? あ、いや、それは、その……」


  普段よりやや早めの帰宅に対する耕介の何気ない質問。しかし薫はビクッと僅かに身じろぎして、
 意味の無い手振りと返事を繰り返しながら、その語尾はだんだんと小さくなっていく。


 「なんかあったのか?」


 「いえ、その、なんでもないですから」


  まな板に視線を落とし、ごまかしの為か何とか包丁仕事に戻ろうとする薫だったが、その動揺は
 明らかで逆に関心を引いてしまい。


 「……薫。無理にとは言わないが、俺だったらいつでも相談にのるぞ?」


 「ええ、っと」


  薫にしては珍しく、まだごにょごにょと俯いて何ごとか言いよどむ。そのらしくない様子に耕介
 も改めてまだ制服にエプロン姿の少女の方を向き直ると。


 「あれかな、それとも俺なんかじゃ相談相手にはならないかな?」


 「そ、そんなことはなかです!」


 「あはは、それならよかった」


 「あ……」


  思わず顔を上げてしまった薫の目の先には、大好きな管理人のどこかしてやったりの笑顔。


 「話してくれるか?」


 「……はい」


  恥ずかしさに頬を熱くし、再びきゅっと縮こまるよう俯いてしまった薫だったが、頭上からの声
 に優しくもう一度尋ねられると、そのまま小さく首を縦に振って静かに話し始めた。


 「その、今日は他校との交流という事で、合同練習だったんですが」


 「うん」


  まだ躊躇いがちにぽしょりぽしょりと、ようよう重い口を開いていく薫。だが耕介も慣れたもの
 でただ頷き返し先を急かす事は無い。


 「隣町の進学校だったんですけど、そこの男子部員達がこっちの女子にちょっかいかけてばかりで、
 あんまりいい加減だったものですから。つい、キツく注意してしまって」


  思い起こすに連れしまったなぁというように眉がハの字になり、無意識に薫の握る手に力が入る。


 「そしたら相手は、怒って帰ってしまって。練習がお流れになってしまったというわけです」


 「そりゃ薫が正しいよ」


  即座に擁護する耕介。しかし薫は二、三度頭を振って。


 「練習しに来ているんだから、たとえ学校が違ったからって真面目にやって無い相手に注意するの
 は当たり前だと思うけど」


 「しかし結果的にせっかく来てくれた相手を、帰らせてしまったわけですから」


 「むー、でもなぁ」


  まだ納得のいかない様子の耕介にちょっと、嬉しくなって笑みを漏らすが薫はすぐにフッと目を
 背けると、更に苦悩の深みを吐露していく。


 「部の皆もそう言ってくれたんですけど……うちの部では、比較的やる気のある人たちが多いので、
 分からなかったんですが」


  ここで薫はスゥと一つ、勢いをつけるように息をつき。


 「一生懸命は、今はあまり流行らないようですね」


 「薫……」


  恐らく実際にそう言われたのであろう。ため息のように漏らす薫の口元には、自嘲の笑いが張り
 付いたままだった。


 「……一生懸命って、結構大事なことだよなぁ」


  暫く考え込むようにしていた耕介だったが、やがて視線を上げ、まだ右手で抱えるように自分の
 左手を掴んでいる薫の方を見ないまま話し始めた。


 「もちろん一生懸命やったからって、それが全て報われるわけじゃないけど」


 「ええ、はい」


  耕介は薫があまり真剣に聞き過ぎないようにと、体は薫の方へと向けたまま既に火から下ろされ
 ていた雪平鍋に手を伸ばし作業を再開しようとする。


 「まず自分が一生懸命やって満足しないと。他人に厳しくしたり、また逆に優しく出来ないなんて
 所、あるしね」


  がそれを見て慌てて自分も取り掛かろうとする薫を、苦笑しつつ手で制して。結局手を休めて話
 を続ける事にした。


 「俺なんか学生時代いーかげんに過ごして来たからさぁ。本気で料理始めてから、初めてホントに
 そう思ったよ」


 「あ、は」


 「一生懸命は格好悪い事じゃない。きっとその子らも、いつか後悔する事もあるんじゃないかな」


  安心させる為ことさら笑顔で、強く言い放った耕介。その想いに、ぎこちないながらもなんとか
 笑顔を作ろうとする薫。


 「だから俺は、薫の行動が正しかったって胸を張って言えるよ」


 「……はい」


  実際に胸を張って言ってみせる耕介の言葉を反芻する様に、自分も胸に手をやり再び押し黙る薫。
 その表情からはやや険が取れたかの様に見える。


 「ああっ、もう!」


 「ど、どうした薫?」


 「本当は、分かっていたんです。耕介さんなら、そう言ってくださるって。優しくしてくれるって」


  しかし薫は突然そんな空気を押し破って、語気を荒げるとぽかぽかと自分の泣きそうな笑顔に向
 けて殴るような仕草をしだした。


 「心の中で、それを期待して、頼って。情けないです」


 「んな事ないだろ」


 「いえ、うちはずっと耕介さんの言葉に救われてます……進歩、ないですね」


  驚いて止めようとした耕介の手を振り払うように、薫は急にがっくりと両腕を下ろし、自己嫌悪
 にまたも首を小さく振って嘆息する。


 「……じゃあ進歩しちゃったら、薫はもう俺と話す事は必要ない?」


 「え?」


  そんな薫の生真面目さに耕介は少しだけ苦笑して、むしろほほえましい気持ちになって。


 「そ、そげな事は――」


 「だとしたら、進歩するってのは少し寂しい事だと思うし。俺は進歩なんかしたくないね」


 「耕介さん……」


  むしろ弱いままでいたい、と顔を上げてくれた強い少女にまたしてやったりのウィンク。


 「俺達はみんな、同じさざなみの家族なんだからさ。いつまでも遠慮なく、支えあっていこうよ」


 「……はい、ありがとう、ございます」


 「なんてな。はは、ちょっとカッコつけ過ぎたかな?」


 「いえ」


  少々照れくさそうに後頭部を掻く耕介に、薫は首を横に振ってしっかりと見詰めて。その顔には
 今度こそ心よりの笑顔が浮かんでいた。


 「嬉しいです……耕介、さん」


 「うん」


  耕介が自然とスイッとその丸い頭へ手を伸ばすと、薫の頭も撫でてもらえるよう無意識に耕介の
 胸へと傾いていき……がその時。


 「……おいーっす」


 「?! あ、に、仁村さんっ」


 「あ、おはよーさん、真雪」


  暖簾をくぐるように右腕をかざしてキッチンへと入ってきたのは、全身にくたびれを引きずった
 真雪だった。驚いてパッと体を離した薫とは対照的に、割と冷静なままに振り返る耕介。


 「声が小さいもいっちょおいーっす」


 「え? え?」


 「あ。おいーっす!」


  耕介の方はすぐにピンと来て自分も右手を上げ叫び返す。が薫には訳がわからず傍らでただおろ
 おろと立ちすくむばかり。


 「おいーっす!」


 「おうぃーっす!!」


 「え、お、おい……?」


  もう一度それらのやり取りが繰り返されるのに、薫が意味も分からぬまま釣られて右手を上げよ
 うとした頃、急に真雪はニヤリと口の端をゆがめ、ゆっくりと両腕を開いて見せこう言った。


 「……静かにしろここは戦場だ〜」


 「ははははは♪」


 「ぁ……」


  これも耕介にとっては予定調和。しかし薫の方はと言えば上げかけた手を所在無げにぶら下げた
 まま、押し黙る他無い。


 「どったの真雪、いきなりテンション高いけど」


 「あ゛ー、たんなるどん詰まりの裏返しー」


 「ははあ、重症だね」


  耕介がテーブルにどっかり座り込んだ真雪の側へと駆け寄る。自分とより距離が近い。特に顔が。
 そう考えると薫は何故だか胸がきゅっと締め付けられるように感じる。


 「このままだとまぢヤバイ。は〜落としそう」


 「こうして草薙まゆこ先生は、その後漫画界の第三艦橋と呼ばれるようになったのでした」


 「……そこまで酷くねーっつーの」


 「?」


  自分には分からない会話。疎外感に二人の姿が何だか遠くにすら感じられて、手持ち無沙汰に同
 じように放置されていた包丁に手を伸ばす。


 「お茶煎れたげるよ。日本茶が良い? それとも紅茶?」


 「牛乳」


 「はいはい。レンジで温めようか」


  その時さりげなく互いの手と手の甲を擦り合わせ、触れ合わせスキンシップをはかる真雪と耕介。
 そんなものばかりが今の自分には目に付いてしまう。


 「食事はどうする? 今日のメインはブリ大根だけど」


 「ん〜好きだけどいまいち食欲がなぁ」


 「食べなよ、皆で一緒に食べれば食欲もわいてくるって」


 「う〜ん」


  仲睦まじい姿。当たり前だ、お二人は恋人同士なんだから。


 「…………」


  そうして薫は最後の方は少しだけ乱暴になった面取りを終えると、水を張ってあった大鍋に一掴
 みの米粒と共に入れカチンとガスをつけた。


 「……あの、終りました。耕介さん」


 「あ、うん、ありがとなー薫」


 「いえ……」


  顔だけ上げて礼を言う耕介の方は見られずに、パタパタと手早にエプロンをたたんで脇へ置くと。


 「酒なら飲む気になるけどよー」


 「つけたげてもいいけど、ちゃんとご飯も食べないとダメだって」


 「あ、じゃああの、うちはこれでっ!」


  居た堪れなくなった薫はその場から逃げる様に立ち去り、二階へと駆け出していったのだった。






 「……薫、さん」


  その様子を物陰から見詰めていた瞳があった事に、気付くものは誰も居なかった。






                     〜◆〜






  日も変わり冬の早い闇がより一層深まった頃。彼女にしてはやや宵っ張りな時刻に、薫は同居人
 を部屋の前で送り出していた。


 「それでは、行ってきますね」


 「あんまりいつまでもフラフラするんじゃなかよ、十六夜」


  あい、と小さく手で応えてフワフワと寮を出て行く十六夜。それを小さく口元を緩めて見送る薫、
 しかしすぐにその顔に影がさすと。


 「ふぅ」


  短く嘆息してフッと肩を下ろした。部活での事に、夕刻の台所での事と様々な出来事が重なって、
 何となく疲労が蓄積していた薫は今日はもう寝ようと力無く部屋へと戻る。


 「……はい?」


  が中に入り後ろ手に戸を閉めるや否や、その戸を静かにノックする者が居た。


 「どちらさ……知佳ちゃん」


 「えへへ」


  こんな時間に一体誰が、とやや訝しみながらもまた戸を押し開くと、そこには黄色いパジャマで
 黄色い枕を両手で前に抱えた知佳が立ち尽くしていた。


 「まだ起きてました?」


 「うん、でもどうかした? こんな時間に」


 「んーと、あのですね」


  ドアノブに手をかけたままの薫の疑問に、知佳は体を横にゆすりながらわずかに言いよどんで、
 ほんのりと頬をピンクに染めて。


 「今夜薫さんと、一緒に寝ていいですか?」


 「え? なんで……あ。あの、仁村さんの所に耕介さんが来てる、とか?」


 「あ、うん、そうなんだけど、そうじゃないって言うかー」


  相変わらず体を振り振り、顔をポリポリともぢもぢ可愛らしくはにかむ知佳のその姿に、薫は肯
 定の意味と受け取って小さく苦笑すると、そのまま部屋へと招き入れた。


 「なんだかさ、ちょっと淋しくなっちゃって、ね」


 「そういう事なら……お布団、狭いけど。それでもよければ」


 「はい♪ あは、おじゃましまーす」


  入ると同時にトウッと掛け声と共に布団へダイブする知佳を見て、薫はまた苦笑して電灯の紐に
 手をかける。


 「もうすぐ電気消しちゃってもいい?」


 「うん。ごめんなさい突然」


  今夜はなんだかいつもより幼く感じられる訪問者に、よかよ、とただそれだけ答えてカタカタッ
 と電気が切られた。


 「よっ、と」


 「こうやって薫さんと一緒に寝るのって、初めてですよね」


 「うん」


  部屋の明りを消した瞬間、今度は逆に窓の外から淡い光が流れこんでくる。二人並んで横向きに、
 お互いを向き合ってちょっぴり狭い布団へともぐりこんだ。


 「すーっ、薫さんの匂いがする……」


 「ちょ、ち、知佳ちゃん」


  自分に鼻を近づけ大きく息を吸い込む知佳に、薫は恥ずかしいよ、と笑顔のまま頭を額からさく
 さくと撫でつけ、軽く引き離す。


 「……なんだか、知佳ちゃんが本当の妹になったみたい」


 「あは、じゃあ薫お姉ちゃんだ」


 「そう、やね」


  知佳の普段の目上の人への丁寧な物言いから、ややくだけた口調が入り交じる事に薫もなんだか
 自然と親しみが増していく。


 「ちょっと、妹と寝ていた時を思い出した」


 「いもうと? 薫さん、ホントの妹さんと寝てた事があるんですか?」


 「……うん、一応」


  半瞬迷ったがまあ詳しく説明する事もないか、と薫はただ頷いて返した。


 「何度か、昔の事だけど。知佳ちゃんは、そのうちの妹に雰囲気がちょっと似てる」


 「そうなんだ」


  声とか。よく似てると妹の声姿を思い出し、暗闇にも慣れはっきりと見られるようになってきた、
 目の前の知佳のそれと見比べながら目を細めて。


 「ねえ、薫さんの妹さんって、どんな子だったんです?」


 「はい? うーんと、知佳ちゃんに似ておっとりとしていて、優しい子だったけど」


  ゆっくりと記憶の網を手繰り寄せていく。そうしてある思い出に行き当たると、薫は思わず一人
 思い出し失笑を漏らし。


 「ただ妹は知佳ちゃんと違って、間の抜けた行動をする事が度々あった」


 「わ、わたしもドジなトコ一杯ありますよー」


  だがふるふると無言で首を横に振ると、ため息のように続けた。


 「一度ゆかりの神社の庭を掃かせた時、どこまでが境内か分からんと林の中にまで入って行って。
 そのまま迷子になった事がある」


 「そ、そうなんだ」


  笑顔を凍りつかせる知佳に、流石にあの時はと心底呆れたような声を出す薫。が、過去に浸る内
 ふと優しく、遠い目になっていき。


 「でも芯は強い子だった。人を傷付けることを極端に嫌うから、中々前に進めない所があったけど」


  姉としての昔からの想い、心配。恐らく今でも変わっていないんだろうなぁという諦めと、何故
 か安心感にも似た感情が薫の胸を満たしていく。


 「いつかは一歩踏み出す勇気を、持ってくれるんじゃないかな」


 「そんな所は、薫さんによく似たんですね」


 「え、そ、そげんことは、なかよ」


  素直な知佳の称揚にちょっと照れて、ぽしょぽしょと言葉にならない言い訳を二言三言口の中で
 呟くと暗闇の中顔を赤く染め。


 「元気にしてるかな……なんだか、急に懐かしくなってきちゃった」


 「わかります」


  薫は下を、布団を顔まで被りぎみな知佳は上を向いて、互いに目を合わせると小さくニッコリと
 微笑み合ったのだった。






                     〜◆〜






 「…………」


 「…………」


 「……ねえ」


 「うん?」


  お互い口を開かなくなってからすでに10分ほどが経過した頃。薫がもう寝てしまったのかな、
 と判断し自分も本格的に眠りにつこうかと思い始めた矢先、知佳がぽそりと呟いた。


 「……薫さん、まだお兄ちゃんの事好きなんですか?」


 「えっ?! え、あ、それは、そのどういう――」


 「私もね、好きだよお兄ちゃんのこと」


 「ちか、ちゃん……」


  驚きに身を起こしかける薫の方を見る事無く、知佳は仰向けのまま眼前のねっとりとした暗闇に
 向かって己の想いを淡々と吐露していく。


 「あ、もちろんもう完全に諦めてるんですよ? お兄ちゃんの事もまゆお姉ちゃんの事も好きだし、
 だから2人一緒の所を見てると、こっちまでなんだか幸せな気分になるし」


  急き込んで一気に、しかしそこまで言って急にトーンが下がったかと思うと、でも……と知佳は
 体ごと薫側へ反転するが俯いたまま。


 「……でも逆にお兄ちゃんと2人だけでいる時とか、ちょっとだけ、切なくなっちゃう時があって」


  なんでだろうねと布団を掴む手にきゅうっと力がこもる。


 「でね、今日昼間薫さんとお兄ちゃん達のこと、見ちゃったから」


 「あっ」


  今夜の行動にようやく合点のいった薫は目を見開き、それで、と思わず漏らすと知佳もコクリと
 黙って頷いた。


 「……うん。うちもまだ、好き、だと思う」


 「そっ、か」


  一瞬の迷いの後。知佳の勇気に応えるよう力強く一つ頷いて、薫も自分の胸の内を告白する。


 「ありがとう、でも大丈夫!」


  胸と今まで潜めていた声を少しだけ張ったかと思うと、ことさら晴れ晴れとした笑顔を作り。


 「うちも、耕介さんも仁村さんも2人とも好きだから。耕介さんが真雪さんのことを選んだのも、
 よく分かるし」


 「うん」


 「ただ恋人同士っていうのが、あんなにも仲むつまじいものだったとは。少し予想外だったかな」


  うちはそういうの疎いから。そう笑って自嘲した。


 「あの仁村さんが、っていう気持ちもちょっぴりあったし」


 「あはは、それは私も、同じかな」


  あのお姉ちゃんですから、とまた知佳も口元がほころぶのを抑える事が出来ない。


 「知佳ちゃんと一緒でうちもまだ、少しだけ胸が苦しい時もあるけど」


  年下の戦友に、自分自身に言い聞かせるように複雑な己の心情を一つ一つ言葉に紡いでいく。


 「いつかうちにも、将来耕介さん以上に好きな人が出来るかもしれないし。きっとそれまでの気持
 ちなんだと思う」


 「うん。そう、ですよね」


 「だから、大丈夫」


  もう一度ありがとうと感謝の言葉を口にして、知佳の頭をぽよぽよと軽く押えるよう触れながら。
 しかし何故かそのまましだいに薫の視線は彷徨い始め。


 「……でもそれでも、もしも」


 「んん?」


 「もしそんな人が、現れなかったら……」


 「薫さん?」


  ずぶずぶと肩まで物思いに沈んでしまった薫には、先ほどの自分のように目の前の相手が見えて
 いない。知佳が不審に思って覗き込んだその黒い瞳からは、光が失われていた。


 「あ、ああごめん。なんでんなかよ」


 「…………」


  軽く襟を引かれ、ようやくハッと我に返ると薫は手と首をフルフル横に振り、同時に憂いも頭か
 ら追い出そうとする。が。


 「……もし、その時は」


  今度はその様子を見た知佳の方が薫の言葉を反芻し出すと、静かに口を開いた。


 「その時は、私は来世でも待とうかなぁ」


 「えっ?」


  むしろあっけらかんとした口調で、さらりとそう言い放った知佳だったが、すぐにスッと真顔に
 戻ると。


 「生まれ変わって、その時にまたお兄ちゃんと逢えたら。その時には、今度こそ……」


 「知佳、ちゃん……」


  耕介に対する知佳の想像以上に強い想いに、今更ながら驚く薫。


 「なーんてね♪ ねえ薫さん、生まれ変わりってホントにあるんですか?」


 「え? あ、ああうん」


  空気を察してか一転して明るく問うてくる知佳にやや面食らいながらも、二度三度と頷いて。


 「あると、思うよ」


 「ほんと? よかったー」


 「うちにもはっきりとは分からんけど、けどそうじゃないかなあと思う事は、今まで何度かあった」


  そうあってほしい、と思う事も。そう心の中で付け加えた薫はくるくると指で輪を描きながら、
 肩をすくめてこう続けた。


 「ただやっぱり、はっきりとした事は言えんけどね」


 「そうですよねぇ。だってもしあったとしても、一緒に生まれ変われるとは限んないし」


  むーと難しい顔で考え込むにつれ、丸い知佳の頬っぺたがぷーと膨らんでいって。


 「もし一緒でも、今度は愛おねーちゃんに取られちゃったりして」


 「あ、あは、あはは」


  中から思わず飛び出たあまりに現実的で悲観的な想像に、薫もただ乾いた笑いを浮べる他無い。


 「そうなっちゃったら、また次を待つしかないのかなぁ」


 「う、ん」


  ありえそうだと思えてしまう所がまた、あまり自分自身に自信の無い二人にとって辛い所だった。


 「……次、か」


 「どうかした?」


 「いや、もしかしたら今は、仁村さんの番なのかもしれんと思って」


 「おねーちゃんの、ばん?」


  知佳の何気ない一言を聞いて、薫は何かに気付いたように感慨深げに漏らすと。


 「もうすでに何度か魂はめぐりめぐっていて。前にもお2人は出会っていて、でもその時は結ばれ
 てはいなくって」


  自分にしてはちょっとおセンチな考えかな、と思いつつも不思議なほど滑らかに唇はすべり。


 「そうしたら今ようやくに仁村さんは、真雪さんは耕介さんと結ばれたのかもしれんね」


 「もう前世で待っていたお姉ちゃんの番、かぁ」


  二息で話し終えた薫の説に、感心したというよりは関心を持ったといった声を上げると。


 「じゃあ犬と猫とか、お互い人じゃない場合もあったかも。海の底の貝と、空の上の鳥だった時に
 同じ青い、だけど遠い場所からお互いを探し合っていたり……」


  目を輝かせ、さらにここぞとばかりに知佳の方が少女漫画的な世界を繰り広げていく。


 「もしカマキリとチョウチョウだった時は、大変だあ」


 「あはは、そうだね」


  そのたくましさを薫は素直に羨ましいと思う。


 「でもだとしたら……ちょっと素敵、かも」


  自らの想像に頬赤らめ、知佳は目を潤ませる。薫もただ無言で頷いていた。


 「……薫さん、私達の順番はいつかな?」


 「さあ。いつだろう」


 「ひょっとしてもう終っちゃってたりして」


 「それは……ある、かも」


  冗談めかした言い方ではあったが、先ほどと同じように自信が持てない性格の二人には、完全に
 自分達の心から不安を取り除く事が出来ないのだろう。


 「もしそうだったら、また次の回を待つのかなー」


 「こればっかりは。神様でもないとわからんから」


 「まさに神のみそ汁、だね」


 「それを言うなら神のみぞ知る、でしょ」


  最後は下手な洒落で済まそうとする知佳。薫も察してわざと教師のような口調でたしなめると。


 「……んふ、ふふふ♪」


 「あは、あはははは♪」


  顔を見合わせた途端、二人声を上げて、笑った。


 「里芋のお味噌汁が、食べたいなあ」


  ひとしきり笑い終え、ふぅと一息ついて知佳は布団の中に潜り直す。


 「……お兄ちゃんに、頼んで、みよっか、なあ」


 「うん」


  薫が布団の上からその身体をぽんぽんと叩いてやると、次第にその言葉が、意識が途切れ途切れ
 になっていく。


 「でも、それなら……いっそ、けんちん汁の方がいいか、も……」


 「うん、うちも……鳥になっても、雨の、一滴になっても」


  寝惚け声だけを残して、知佳がほぼ沈没したのを確認すると薫もまたゆっくりと両まぶたを閉じ。
 枕へ全身からスーっと力が抜けていくのを感じる。


 「……す、ぅ」


 「うちもまた逢えるまで……待ち、た、い……」


  薫は知佳の顔に直接寝息が当たらぬようわずかに頭を離すと、やがて部屋には規則正しい寝息の
 二重奏だけが響きわたっていた。






                     〜◆〜






 「エロイムエッサイム、さあバランガバランガ涙も風になる〜♪」


  それから暫くたったある日の夕刻。キッチンには今日も今日とて鼻歌交じりに、夕食の準備に明
 け暮れる耕介が。そしてその隣のダイニングには真雪の姿もあった。


 「やっほー、ただいまお兄ちゃん、お姉ちゃん」


 「おう、知佳」


 「お姉ちゃんの方は、おはよう、とか?」


 「はよ。ちげーけどな」


  学校から帰るなり兄と姉の下へとやって来た知佳。あやや、と手を口に当てて不機嫌そうな真雪
 の返事から逃げるように、耕介の居る台所側へと駆け込むと。


 「……ねえお兄ちゃん、今日お味噌汁ある?」


 「ああ、あるよー」


  背後に回り込んだ知佳は、後ろ手に手を組んで、体をくっとくの字に曲げて脇から調理台の様子
 を覗き込んだ。


 「わたし里芋のお味噌汁が食べたいなぁって」


 「里芋かぁ、残念ながら今日は無いな。今度してやるから、その時にな?」


 「ウン♪」


  小犬の様に嬉しそうに全身を縦に振って、やっぱりお兄ちゃんは皆に優しいなぁと目を潤ませる。


 「今日のお味噌汁はなんなの?」


 「今日はノーマルに豆腐とネギ、ワカメのお味噌汁の予定だよん」


 「あ、おいしそー。ワカメって美味しいよねー」


 「ああ俺も好きだよ。余った翌日の味噌汁の、でっろでろになったのをすするのもまた一興だった
 りするしな」


 「あはは、とけちゃうんだよね」


  時折知佳の顔を見て相手しながらも手を休める事は無く、ごそごそふーふーと耕介は忙しく何事
 かしていたかと思うと。


 「ほり、味見」


 「ぅむっ」


  と、突然振り向いた耕介から目の前におたまを突き出され、知佳の口の中に先ほどからガス台で
 コトコトいっていた丸大根と飛竜頭の煮物の出汁が流し込まれる。


 「どだ? 美味いか」


 「うん……わ、おたまから直接味見しちゃ、駄目なんだよー」


 「大丈夫。俺は小皿使ってるから」


 「? あそっか……ってやっぱり駄目だよー」


  拳をぶんぶん、地団駄を踏んで抗議する知佳だったが、まるでそういった玩具でも見るように、
 目を細め耕介はハッハッハとただ楽しそうに笑うばかり。


 「コンコルドが運航終了、引退だってさ」


  その時カラフルな広告とインクのにおいをたたんできた薄い夕刊をばさりと広げながら、真雪の
 声が食堂側から届いてきた。


 「らしいね、なんか寂しいよなぁ。俺達が子供の頃にはみんな、紙飛行機の先を下へ折り曲げて、
 コンコルドだーって言ってたもんさね」


 「あーあったあった」


  それに耕介は振り返る事無く答え、真雪の方にも気にした様子は無い。二人の間にそんなやり取
 りが繰り返されている事が窺えた。


 「リニアも未だに最高時速記録しながら、ちっとも実用化されねえしよお。日本のロケットはまた
 打上げ失敗するし、スペースプレーン計画も頓挫するしまったく夢の無い世の中だよなぁ」


 「だね」


  またそんな二人を眺めるにつれ、知佳は口元にむにむにと笑みがわいてくるのを抑え切れず。


 「おねーちゃん達は、ずーっとここに居たんだ?」


 「んん? 別に、ずっとって訳じゃないぞ。ただここはなんだかんだで一番暖かいからな」


 「台所は料理の熱があるからね」


  背後の耕介から一応のフォローも入る。しかし知佳は更に満面の笑顔でキッチンカウンターから
 身を乗り出し真雪に向かって声を張ると。


 「そうなんだ。じゃあお兄ちゃんが居る間は、ここに居たって事だね」


 「……あんだよ、なんか文句でもあんのか?」


 「べっつにぃ」


  ジロリと飛んでくるその視線をかわすようクルリと体を回して、肩越しに含みのある返事を返す。


 「ったく」


 「へへ♪」


  キッチンを一瞥してまた新聞に目を戻した真雪を見て、知佳は悪戯っぽく、嬉しそうに微笑んだ
 のだった。


 「……おにーいちゃん」


 「んん?」


  そうしてもう一度、チラと姉の方を確認すると知佳は再び兄の背後ににじり寄り。


 「えいっ!」


 「を?」


  バフッ、と体ごと投げ出すように耕介の背中に抱きつくと、まな板等に触れぬようずりずり少し
 ずつ腕を前に回していき、ついにはしっかりと腰上辺りに巻きついた。


 「どした、知佳」


 「んーん。あの、あのね」


  頭をぐりぐりとすりつけながら、知佳はあのねあのねと何度か繰り返し。やがて。


 「わたし、お兄ちゃんのこと……大好きだよー」


 「お、おう」


 「…………」


  普段の冗談交じりのものとは違う、かすれ声のその真摯な物言いに耕介の、そして顔こそ新聞か
 ら上げなかったが真雪の動きも一瞬止まる。


 「あは、それだけ。じゃねっ」


  そうして固まる二人を残して、知佳はダイニングから言い逃げして行ってしまった。


 「あ……」


 「……こーすけ」


 「ひゃ、ひゃいっ?」


  台所の空気ごと固形物になってしまったかのような沈黙がたっぷり20秒ほど続いた後。知らぬ
 間に側に忍び寄っていた恋人の低い声に、耕介は恐る恐る首をギギギっと回し。


 「あんた一体、何やらかしたんだ?」


 「さ、さー?」


  意味無く知佳の出て行った入り口辺りを眺めながら、ただただ首を捻るばかり。


 「俺にも何がなんだかさっぱり……」


 「あんたが何もしないで、いきなり知佳があんな態度をとるとは思えんが?」


 「ひっ! ち、違う、俺は無実だ!」


  必死に言い訳をする耕介に、なんなら体に聞いてみようか、と言わんばかりに真雪は指を鳴らし
 ながらゆっくりと近づいていく。


 「さーて、その辺は今からあたしが決めるから。みっちり聞かせてもらおうかね」


 「お、落ちつけ真雪、そ、そうだ素数だ、素数を数えるんだ!」


 「13」


 「いきなり不吉な数字っ?!」


  更にズンと迫りくる圧力に、思わず床にへたり込んだ耕介の運命はもはや風前の灯であった。






                     〜◆〜






 「お〜れ〜は〜けっぱ〜く〜だ〜」


 「えーいキリキリ歩けいっ!」


  鬼神の如く恋人の首根っこ掴んだ真雪は、厳しい取り調べを行うべく半自室と化していた耕介の
 部屋に向かってダスダス、と不穏な足音を立てながら引きずっていく。


 「あの包丁は鋼だから、濡れたままほっとくとすぐ錆びついちゃうんだよ〜」


 「あんたが速やかに罪を自供すれば事はすぐに終る」


  一応火は止めさせてもらったがそれ以外はそのままに引っ張られてきてしまった耕介は、己の身
 よりも包丁の事を心配する。既に自分の事は諦めていたのかもしれない。


 「だから俺は無実だって〜……って、をよ?」


 「うん?」


  廊下に出た所でまだ二人うだうだとやっていたその時、気配を感じた耕介達がふと振り返ると。


 「あの」


  そこには何時の間に現れたのか、まだ制服姿の薫が耕介の袖を遠慮がちにつまんでいた。


 「あ、薫。おかえりー」


 「……ただいま戻りました」


 「うす」


  床にへたり込んだままお帰りと言う耕介、その隣で小さく手を上げる真雪に、薫は律儀にぺこり
 と頭を下げる。


 「あの、耕介さん」


 「はいはい」


 「うちは、その……」


  真雪の事を横目でチラと盗み見ると、すぐに俯いてしまい少しだけ逡巡した後。薫はやがて意を
 決したように握り拳と共に勢い良く顔を起こすと。


 「あの、うちは耕介さんの事、大好きですから!」


 「へ」


  硬い表情のまま、それでも羞恥に頬を赤く染めた薫は想い人に向かってそう宣言した。


 「それだけです。それじゃ」


 「あ、ああ、うん」


  こちらも言うだけ言って、すっきりとした表情で軽い足音を残して立ち去った薫。とは対照的に、
 きょとんとした顔のまま何がなんだか分からない耕介。


 「……こーすけくーん?」


 「はっ?! い、いや、返す返すも俺は無実だ! 冤罪だ!」


 「問答無用!」


  その眠りを覚ます地獄の底から響く閻魔の声。もはや自室に移すこと無く判決とそれによる処罰
 を決定した真雪の制裁が、その場で耕介の哀願を無視して襲いかかった。


 「魔肉の一撃ーっ!」


 「ぐっ、グゴゲーッ!」


  阿鼻叫喚の叫びが寮内に轟く中。二階で再会した知佳と薫はすぐに目と目で通じ合うと、どちら
 からともなく笑って満足げに頷いたのだった。


 「これぐらいは、いいよね」


 「だね」


  その後耕介がどうなったかはまさに神のみぞ知る。






  八方美人はほどほどに。






                                       了









  後書き:忘れ得ぬ人、というものは恋愛に限って言えば、存在しないんじゃないかなぁと。
      時が経てば、その想いもまた何か別の物へと変わっていくもので。
      それが良い事か悪い事かどうかは、別としても……ね。

      作中知佳と那美が出会っていない事になっていますが、ホントは恭也と出会う時等に、
      ついでに出会っているのかもしれません。ただその辺の事は私はあまり詳しくないんで、
      勝手に無い事にしてしまいました。もし間違ってたらお許し下さい。

      これを書き始めた頃にはまだ、いかりや氏も亡くなっていませんでした。
      ご冥福をお祈りいたします。





  04/07/05――初投稿。
  04/12/30――加筆修正。

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