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 「ねぇ、お兄ちゃん達ってさあ」


  ある日のさざなみ寮のダイニングにて。


  テーブルに肘をついたその両手の上に顎を乗せ、どこかほうっ、と惚けたように目の前の光景を
 眺めていた知佳がおもむろに口を開いた。


 「おにーちゃんとおねーちゃんの2人って、ホント、良く似てるよねぇ」


 「は?」


 「へ?」


  知佳は念を押すような口調でそう言うと、スッと無意識にほつれ毛を直す。


  久々に寮へと帰ってきていた彼女は、自分と一緒のテーブルで楽しげにお茶する兄と姉の顔を、
 もう一度見比べて。


 「きっと似たもの夫婦って、こういう事を言うんだろうなぁ」


 「あんだってえ〜?」


 「元々似てたんだろうけど、付き合い始めて、結婚した今は特に」


  そっくりだよ、とニコニコと満面の笑みを浮かべる妹に対し、何がそんなに嬉しいのかと自分も
 頬杖をつく真雪。その左手の薬指には銀のリングが鈍い光を湛えていた。


 「ナリはでかくなっても、そーゆーとこ変わってねえよなぁお前」


 「だって、ホントのことなんだもーん」


 「俺と真雪が似たもの夫婦、ねえ」


  久々に会って油断しているのか、知佳はやや不機嫌そうな息の混じってきた真雪の言葉にも動じ
 ることはない。


  後でどんな目にあっても知らんぞ知佳。そう心の中で耕介は呟く。


 「でもおねーちゃんも、今までそう思ったこと無い? 自分達で似てるなーって」


  知佳の言葉に思わず顔を見合わせる二人。


  似てる? こいつと?


  似てる? 俺たちが?


 「ん〜?」


 「ふむ……」


  そのまま見詰め合い黙り込んでしまった真雪と耕介の頭の中には、今までに過した二人の様々な
 過去の体験が、ゆったりと海面を目指す海月のように浮かび上がってきていた。








  〜似たもの夫婦〜
  (Main:真雪 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)








  それは、朝目覚めた時。




 「まーゆき、真雪ってばさ」


 「んあ〜? ん……」


  その日朝と言うには少し遅い時間に、耕介がマラソンランナーのような格好でベッドに寝こける
 恋人を揺り起こそうとした所。


 「こ、こらこら抱きつくんじゃないっ」


  真雪は薄目を開けたかと思うと、寝返り打つついでにその大きな体に抱きつく。


  以前の経験からドアは閉めてあったが、それでも少し焦りつつ飛丸オチはもういいから、と耕介
 はその両腕を引き剥がし。


 「この時間に起こしてくれって言っただろ? ほら、今日こそは大学行くんじゃなかったの」


 「んー、もうそんな時間か〜」


 「早くしないと遅れるよ」


  とりあえず上体を起こした事に安心した耕介は、下にご飯用意しとくからと言い残し部屋を後に
 したのだった。


 「……ったりーなー、もう」


 「おはよ、真雪」


  暫くするとボリボリ如何にも面倒臭いといった体で、真雪はあちこち体中掻きながらもその日は
 ちゃんと降りて来た。


 「他の連中はー?」


 「もうみんなとっくに出てるよ。真雪が最後」


 「んー」


  引かれた椅子に腰掛ける。目の前にはトーストにベーコンエッグにサラダと簡単ながらいかにも
 美味しそうな朝食が用意されていた。


  それらに手をつける事無く、まだ寝惚け眼で時計を見上げている真雪の姿に、いい加減慣れっこ
 なはずの耕介もつい何か一言ぐらい言ってやりたくなる。


 「しっかし毎度毎度よく同じ事が繰り返せるねえ」


 「ぁんだってぇ?」


  目覚めの不機嫌さも手伝って、案の定露骨にムッとした様子で睨み返す真雪。


 「あたしゃ昨日遅くまで仕事してたんだぞ」


 「今日出る事が分かってるんだから、急ぐ物でもなかったら早めに切り上げればいいのに」


 「気分が乗ってる時は翌日の事なんか考えてないんだよ」


  そうぶっきらぼうに言った勢いで、トーストをガブリ一口。目は完全に覚めたようだった。


 「気持ちは分かるけどさ」


 「あんたも学生の頃は、学校なんざ良くサボってたんでないのかい?」


 「いや、俺はとりあえず学校には真面目に通ってたよ?」


  行儀悪く目玉焼きの黄身を食べるでもなくこねくり回している真雪の発言に、今度は耕介の方が
 心外な、という声を出す番だった。


 「つまんない授業は寝てたし、面倒な体育とかはフケる事あったけど基本的には皆勤賞君だった」


 「へーえ」


 「他にする事が無いんだろうね。態度悪い奴ほど、きちんと学校には来てた気がする」


  なんだかなぁと自分の事も含めて、耕介は思い起こし苦笑する。


 「あーあたしと反対だな」


 「反対?」


 「あたしは学校の授業に出たら、結構真面目に受けるタイプなんだよね」


 「え、そうなんだ」


 「せっかく出てるんだからよ。勿体無いじゃん」


 「もったいない……か」


 「まぁマンガの事考えて、チョコチョコっと悪戯描きする事程度はあるけどさ」


  やや冷めたコーヒーで喉を潤し、箸をくりくり意外そうな顔の耕介に向けて回しながら。内職も
 そう大した事出来るわけじゃないし、とそう言って真雪はサラダと共にトーストの最後の一欠片を
 口に放り込んだ。


 「それより真面目に授業聞いてた方が、かえってネタになる場合も多いしね」


 「なるほどねえ」


 「で、やる気が無い場合はもう最初から出席もしないと」


 「はらら」


 「授業中寝るぐらいなら、端からあたしは出ない」


  その物言いは何故か誇らしげですらあり。一瞬納得しかけてしまって、思わず耕介は苦笑する。


 「さて、どっちが良いんだろうね」


 「ま、身になる度は分かんないけど……」


 「分かんない、けど?」


 「とりあえず出とくタイプの方が、卒業はしやすいわな」


 「そりゃそうだ」


  このままだと何時になったら卒業できるんだか。


  そう真雪が自嘲し肩をすくめるのを切っ掛けに、お互い顔を見合わせて弾けるように、笑った。






  ふと時計を見上げる。


 「ところで真雪、まだ時間の方は良いの?」


 「あー、今日は休むわ」


 「結局かいっ!」


  オヤスミーと一言残して寝直しに二階へ戻る真雪の後姿を、耕介は折角起きたのに勿体無いなぁ、
 と思いながら見送るのだった。






                   〜◆〜◆〜◆〜






  それは、ある日リビングで。




 「そういえばよー、編集部の新人だった藤井ってのが、今度結婚するんだってさ」


  その夜、リビングには一日の労をねぎらいながら酒を酌み交わす真雪と耕介の姿があった。


  すでにコップ酒を呷っていた真雪は、同じく目の前で杯を傾ける耕介に向かって不意に思い出し
 たようにそう切り出した。


 「へー、そりゃおめでたい事で」


 「何がおめでたいもんかよ。こっちにとってはただの臨時出費でしかねえっつーの」


 「そ、それはちょっと」


  二人の酒盛りに巻き込まれていた知佳が、姉の乱暴な物の例えをたしなめる。が、飲んでいるの
 は酒ではなくサラダ油かごま油か、と思うほど真雪の口は滑らかに滑り続け。


 「この藤井って奴がまたちょっとアレな奴でよー、まあ社に入ったのはあたしの方が先輩だから、
 ちっと心配だったりもするわけだ」


 「その先輩のお姉ちゃんの方は、お兄ちゃんといつ結婚するの?」


 「……だもんでちょっと言ってやったんだよな、そいつ呼んでさ。お前さんは嫁さんと喧嘩した時、
 どうすんのかい? ってよ」


  妹の言葉をあえて無視して、更に身を乗り出しつつ真雪の調子が上がっていく。


  その様子に何かよほど思う所があったのかな、と耕介は少しだけ身構える。


 「こいつがさぁ真面目っつーか固いっつーか、要は融通の利かない奴なんだけど。思いっきり予想
 通りの返事しやがって」


 「へえ、どんな?」


 「話し合います、だってさ」


 「……はぁ」


  その答えを聞いた耕介は、ただちょっと変な顔になって曖昧に頷くのみだった。


  内心こう思ったからだ。そんな質問をされたら自分含め、大体の男はそう答えるのではないか?


 「喧嘩してるのに話し合えるか! ってんだよなあ」


 「うーん」


 「それなのに何度、喧嘩してるんだよ? って聞いても話し合います! ……この一点張りでさ。
 喧嘩してる時は感情でしてるんだから、理屈言ってもしょうがねえだろうと」


  でも何か理由があって喧嘩している訳だから、それを解くにはやはり話し合うしかないのではな
 いか。


  口にこそ出さなかったが、男の耕介にはそれ以上の答えを導き出す事が出来ない。


 「なぁ知佳?」


 「えっ? うーんと、それは人それぞれだと思うけど……」


  突然話を振られ、知佳もちょっと困惑顔。


 「まぁ理屈でどうにかなるって考えるのは大抵男だわな。状況としてはその前の段階だろうに」


 「あはは、は。そうかも、ね」


  肯定もしていないが、否定もしない。そんな知佳を見て耕介はまた密かに考え込む。


  真雪の言い分も間違いではないという事か。確かに感情の前に理屈は無力だというのは、恋愛の
 事を思えば理解できなくもないけれど。


 「ま、実際にそういう事態に直面した時、どうするのか見物だよな〜」


  悩んだ末に耕介は結局、本人に直接聞いてみる事にした。


 「じゃ真雪、そういう場合はどうしたらいいの?」


 「ああ? んーまぁ、ほとぼりが冷めるのを待つしかないんじゃないか? それかなんか動いて、
 状況を変えてみるとかな」


 「なるほどね」


  なるほどつまりこういう場合は黙っていた方が良いんだな、と理解して。ただ黙ってグッと杯を
 空ける物分りの良い耕介だった。






                   〜◆〜◆〜◆〜






  それは、二人キッチンで。




 「おーいこーすけ、腹減ったー」


 「腹減ったってあーた……お昼にはまだ早いけど」


 「あたしゃ今起きたとこだよ」


 「だよね。じゃいいよ、ちょっと早いけどなんか作って2人で食べようか」


  朝顔ではなくすでに昼顔が目を覚まし始めるような時間帯に、耕介は廊下で洗濯籠を抱えていた
 所を、夜型でそれこそ万年昼顔状態の真雪に捕まった。


 「今日はなんか辛いもんがいいなー」


 「辛い物? えーっと確かキムチはあったけど……そうだ、キムチ鍋にでもする?」


 「あ、いーね」


  それいただき、とぱちんと指を鳴らす真雪の屈託の無い笑顔を見ていると、耕介はついつい何で
 も世話を焼いてしまいたくなってしまう。


  何故か裾を掴み引っ張りしながら、真雪は耕介の後について。二人はキッチンへと移動した。


 「残り物の野菜の煮つけと、そうだ漬け置きのブリも照り焼きにしちゃおっかな」


  火に掛けた鍋にまず大根を入れると、冷蔵庫から手際よく他の材料や余り物を取り出していく。


 「うーらの畑にビルが建つ、道理な事でも腹が立つ〜……♪」


  そんな大きな身体で楽しげに台所中を駆け回る耕介の後姿を見ている内、不意に真雪もその場に
 参加したくなり。


 「……あたしもなんか手伝おっか」


 「はい? あ、んーじゃあキムチ鍋に豆腐入れてくれるかな」


  調理はほとんど終わっていたが、その気持ちだけでも受け取っておこうと耕介はそれだけ頼んだ。


 「豆腐は冷蔵庫にあるから、切って入れてね」


 「あいよ、りょーかい」


  真雪は上機嫌で言われた通り冷蔵庫から白いパックに入った豆腐を取り出すと。


 「さっさっさ、と」


  存外慣れた手つきで綺麗に手の上でさいの目に切っていく。


 「真雪ー、もう入れた?」


 「あー今入れた」


  最後の仕上げにと春菊を切り終えた耕介が、ひょいと鍋を覗き込んだ途端。


 「どらどら……なっ、ま、真雪ぃ!」


 「うわあ! な、何だよ一体」


  突然大声を上げた事に驚き、デカイ声出して、と真雪も眼鏡の奥で両目を瞬かせる。


 「何って豆腐! どうしてこんなに小さく切っちゃったの?!」


 「あん? いいじゃねーか別に」


 「だって鍋なんだからさぁ、こう、ある程度大きいままじゃないと」


 「っせーなー、豆腐の切り方なんざどうだっていいだろ」


  耕介は自分が思い描いていた結果と違う事につい声が大きくなり。


  真雪は折角やってやったのに、という思いが気分をいら立たせる。


 「普通はこう、四つ切か六つ切りぐらいにさあ」


 「あたしはこれぐらいの大きさが好きなんだよっ」


 「これじゃ味噌汁だよ、おわんですする物とは違うんだから――」


 「あーもー! ごちゃごちゃうるさい!」


 「う。でも大きい方が熱くって美味しいと思うんだけど……」


  グチグチといつまでも文句をたれ続ける耕介に、真雪は完全に気分を害してしまい。


 「……はーあ。んで、どうすんの耕介?」


 「え? あ、うん最後に春菊入れてフタして、終わり」


 「わーったよ」


  投げ出すように鍋の前から離れる。全部お前に任せたと言わんばかりに。


  そこで耕介が春菊を入れ、とりあえず鍋は仕上がった。


 「後でうどん入れてもいいし、まぁとりあえず食べよっか」


 「ああ」


  つい先ほどまでの楽しい雰囲気も何処へやら。重苦しい空気を纏ったまま、二人はダイニングへ
 と場所を移したのだった。






                   〜◆〜◆〜◆〜






  そして、二人ダイニング。




 「いただきまーす」


 「さ、食うべ食うべ」


  少し早めの昼食として、何事も無かったようにキムチ鍋をつつき始める真雪と耕介だったが。


 「…………」


 「…………」


  先ほどの喧嘩の為、やはり口が重い。カチャカチャジルジルと暫し食べる音だけがダイニング内
 に響いていた。


 「……あんたってさあ」


 「は、はい?」


  と、不意に真雪の方から声を掛けてきた。自分もどう話し掛けようか密かに悩んでいた耕介は、
 慌ててキムチ鍋に突っ込んでいた顔を上げた。


 「西洋人的食い方するよな。前から思ってたけど」


 「え? なに西洋人?」


 「あたしはこうやって、色んなもんに少しずつ手ぇ付けてくんだけどさ」


 「あっ!」


  ひょいひょいっと目の前にあるおかずを一品ずつ、ドサクサに紛れて耕介の物も掠め取る。


 「あんたはそーやってほら、ブリ食い終わったら次って、一皿一皿ずつやっつけてくじゃん」


 「あ。あーあーまあ、そう言われてみれば」


 「そういうのなんか西洋人ぽくね?」


 「はは、ホントの西洋人がどうかは知らないけど……イメージとしては分かるよ」


  二人の頭の中にはフルコースのような、順序で供される料理が思い浮かんでいた。


  それを真雪が西洋人的と表現した事に、耕介は分かる分かると笑って何度も頷いて。


 「何でかはわかんないんだけど、昔からこうやって食べてたなあ」


 「そいや小学生の頃、給食で三角食べとかあったよな?」


 「あったあった順繰りに食べろってやつね。あれ? そういえば俺その頃どうしてたんだろ……」


  他愛も無い話題が続くにつれ、何時の間にかまた話し合えるいつもの二人に戻っており。


  すでに気まずい雰囲気は無くなっていた。






                   〜◆〜◆〜◆〜






  それは、お風呂上りに。




 「は〜だかの〜王様が〜、やってきたやってきた、やってきた、ぞー♪」


  上気した顔に首にかけたタオル、Tシャツの襟元を指でぱたぱた開け閉めする仕草。


  いかにも風呂上りといった体の耕介は、懐かしのCMソングを口ずさみつつ、リビングに入った
 所で自分の恋人と鉢合わせた。


  「あ、真雪」


  「うす。風呂入ったんだ」


  「うん。真雪もどう? 今ならまだお湯温かいよ」


  「ん〜、どうすっかなー」


  迷っている内に耕介は早々にソファに腰掛け、何気無しに真雪もそれについてドサッと傍に腰を
 下ろす。


 「……あれ? 耕介、あんた風呂入った後ツメ切んの」


 「え? 何かまずいかな」


 「汚れるじゃん。ツメの切りくずとか出て、ヤスリ使うと特にさ」


  と、おもむろに古新聞を広げ自分の足を抱えるように、爪先を覗き込む耕介を見て真雪は素朴な
 疑問を投げかけた。


 「でも風呂上りはやわらかくなってるから、切りやすいよ」


 「なるほど、まあそーゆー考え方もあるわな」


 「確かに俺も切った後、足と手洗うけどね」


 「やっぱそうなるか……お?」


  お互いが何となく見詰める中、耕介がその親指の爪に爪切りをあてがったその時。


 「ぷっ。ぶははっ!」


 「なっ、何だよ一体……」


 「いやゴメンゴメン、あたしも人の足のツメなんか、じっくり見た事なんて無かったけどさー」


  突然真雪が笑い出し、驚いて思わず耕介は身を起こした。


 「こうして見るとあんたの足、あたしと一緒だなって」


 「一緒? どこが?」


 「これこれ、ココさ」


  疑問符を浮かべながらとりあえず真雪の指差す先を耕介が辿ると、足の親指の内側、爪のついて
 いる横の肉の部分に行き当たった。


 「親指のツメの横端がさ、軽く腫れてんじゃん」


 「あ、ちょっとね」


 「それってツメ深く切りすぎて、バイキン入って腫れてんだろ?」


 「うん多分。ってじゃあ真雪も?」


 「あー♪」


  何かよほどツボにはまったのか、真雪は親指の方を指差したまま笑い続けている。


 「ちょっと巻き爪っぽくなっちゃった時に、こう、縦に深く切って引っこ抜いてな」


 「そうそう、で一回やると次からまたやらざるを得なくなって。結局腫れちゃうんだよねぇ」


  初めは笑われているような感じがして複雑な気分だったが、そうではなかった。自分と同じだと
 真雪が嬉しそうに言う事に、なんだか耕介の方も嬉しくなってきてしまい。


 「本当は巻き爪は変に切らずに、ある程度放っておくことが必要らしいんだけど」


 「イテーんだけど、なんかこう、やっちまうんだよなぁ」


 「わかるわかる」


  毎度えぐっちまう、とどこか自分達の秘密を話すように時折声を潜めながら。


 「こんな所に同士が居るなんて思わなかったなー、笑っちまったよ思わず」


 「だね」


  こんな事を笑い合える関係っていうのも、幸せって事なのかな。


  耕介はそんな風にすら思った。






 「それでその引っこ抜いた爪の根元を臭うと、これがまたくっさいんだよねぇ♪」


 「……いや、それはあたしはやらない」


 「あれっ?!」






                   〜◆〜◆〜◆〜






  それは、車に乗っている時。




 「気をつけて真雪、まだ来るから」


 「ああ分かってる。しっかしトロトロ歩きおってからに」


 「まま、しょうがないよ」


  ハンドルをこつこつ叩きながらはよ行け、と呟く真雪の前をまたビニル袋を下げた主婦風の女性
 がゆっくり横切っていく。


  二人の乗った車が交差点を左折しようとしていたのだが、横断歩道を渡る人が中々途切れない。


 「……あたし昔は自転車乗っててさー」


 「うん?」


  仕方ないよと耕介ものんびり構えていた所、運転席で前方を見詰めたまま真雪がおもむろに話し
 始めた。


 「そん時は車ってホント邪魔な存在だったけど、乗るようになると歩行者や自転車の方の危さが、
 いかに邪魔かが分かるようになるよなあ」


 「前をいきなり自転車に横切られたりすると怖いよね」


 「そうそう。まぁもう殆ど無いけどさ、そういうの分かって以来、あたしも車の後ろを通るように
 してるよ」


  車道走ってる自転車も怖い、携帯をかけながら走る自転車なんか恐怖の固まりだ、などとお互い
 経験のある事だけに自転車への悪評がぽんぽん飛び出してくる。


 「こういう左折の時もさ、逆に小走りで横断歩道を渡ってくれる小中学生とか、可愛いよなあ」


 「そうだね、たとえ大して走ってなくても、そういう態度を示してくれるだけで嬉しくなっちゃう
 よねなんか」


 「めんこいよなー、男だろーが女だろーが」


 「うんうん……あ、渡れるよ真雪」


 「を、っと」


  ようやく人の波が切れ車はゆっくりと交差点を曲がり切る。とブルンとエンジンが一鳴きして、
 今までの鬱憤を晴らすかのように空いた道路を軽快に走り出した。


 「そーゆー些細な事も、中々自分で実感しないとわかんないものなんだよねぇ」


 「そんなもんでしょ。人間みな人の振り見て我が振り直せる、賢者じゃないって事だね」


 「だな」


  賢者は他人の過ちから学び、愚者は自分の過ちから学ぶと言うが、二人には曲がりなりにも自分
 の歩いてきた道があり。


  真雪も耕介も今ではその事を満更でもなく思っていた。


 「人には歴史があるけれど、僕たち生まれたばっかりだ……なんてね」


 「ふふん」


  いつだか聞いた歌の歌詞を耕介が少し気取って口にするのに、真雪はただ楽しげに鼻を鳴らした
 のだった。






  それからまた暫く運転していると、何時の間にか車の前を一台のバイクが走っていた。


 「それと車乗りからすっと、バイクも邪魔くさいんだよなー」


 「……バイク乗りから見た車も、十分邪魔っすよ」






                   〜◆〜◆〜◆〜






  それは、お仕事の時。




 「だーかーら、そこはそーじゃねーってば」


 「う。ご、ごめん」


  もう何度目かの呆れたような真雪の怒声に、耕介は思わず亀のように首をすくめる。


  その日真雪の部屋には間近に迫った締め切りを前に、二人だけで四苦八苦する真雪と耕介の姿が
 あった。


 「どーしてこっちの意図がすっとわかんないかなぁ」


 「そりゃこと漫画に関しては、俺じゃ流石に知佳のようにツーカーとはいかないよ」


 「えーい言い訳はいい言い訳は」


  時間と人手の無さからつい真雪の声も大きくなる。頼みの綱だった知佳はすでに寮を出ており、
 以前のように彼女に頼る訳にはいかないのだ。


  このような状況の中で耕介の作業部分の範囲が増えていたのだが、元々専門ではないゆえに中々
 『適当に』という事が出来ない。


 「大体今はあんたがあたしの……旦那の、くせに」


  思わず語尾が小さくなる所が可愛いと思う。でも言ったら殴られるんで言わない。そういう所は
 ある意味ツーカーな耕介だったが。


 「まー夫婦と言っても、所詮他人は他人だから」


 「……身も蓋も無い事言うなお前」


  耕介の言葉に真雪が眉をひそめる。何故だからしくない台詞だと思ったからだ。


 「努力はしてるっす」


 「結果が全て」


 「あう」


  しかし耕介は一見気にした様子も無く、相変わらず真雪のツッコミに身を縮ませており。


 「ってコラ、どこ行く」


 「ちょっとトイレね」


  そうして結局耕介はすーっと逃げるように、部屋を出て行ってしまったのだった。


 「……はぁ」


  急にがらんとしてしまった部屋に一人、真雪はギシッと背もたれごと仰け反り溜め息をついた。
 ぼんやり考える。いや考えている訳でもない、先ほどの言葉を頭の中で反芻しているだけだった。


 『夫婦と言っても、所詮他人は他人』


  所詮どれだけ愛し合っていても、他人は他人。たとえどれだけ分かってくれようとしていても。


  そんな事は分かってる。


  しかし理屈では分かっているはずなのに、真雪は自分の胸の中がぶすぶすと燻っている気がした。


  無意識にくりくりと薬指の指輪を回す。以前は作業中には外そうと思っていて、結局外す事の方
 が面倒になってしまった代物だ。


  そんな自分の心にある感情が『寂しい』だという事に、真雪は気が付かない。気が付かないフリ
 をしていたのだった。


 「……おーい」


 「ん?」


 「開けてー真雪ー」


 「ったく、なんだってんだよ……」


  すでに手も止まり、ただぼんやりと原稿用紙を見詰めていた真雪の耳に、扉の向こうから幽かに
 自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


 「やー両手がふさがっちゃっててさ。はいこれ」


 「……なんだ。やーけに遅いと思ったら、こんなもの用意してたのかい」


  真雪は不機嫌の尻尾を引きずったまま、立ち上がるのも億劫に扉を開ける。そこには笑顔と紅茶
 の乗った盆を持った耕介が立ち尽くしていた。


 「原稿にかかると洒落になんないから、こっちのベッドの方で飲もうね」


 「ん、ああ」


  耕介は斜めにならないよう盆から少し離れて座ると、真雪もそれに倣い紅茶を手に取った。


 「……美味い」


  一口口にした途端、思わずそんな呟きが漏れる。


 「根詰めすぎて、お互いちょっとカリカリ来てたかもね」


 「ん……」


  真雪は普段は何も入れない派だったが、少しだけ甘いその紅茶が今はありがたかった。


 「あ」


 「うん?」


  ああ、そうか。


  と、何かに気が付いた様子の真雪は、飲み終えたティーカップを戻すと、盆を手で押して二人の
 傍から離し。


 「どったの真雪」


 「んー」


  スススッと身を寄せていくと、ぐりぐりと耕介の腕に頭を押し付けもたれかかった。


 「おーい、寝ちゃダメだぞー?」


 「むー」


  見当違いな事を言いながらも、耕介は自分の肩を抱いてすりすりとさすってくれる。それが真雪
 には暖かく、嬉しくて。


 「……俺には、さ」


  部屋中の空気が沈殿したかのようにしんとなる中。やがて耕介が静かに口を開いた。


 「漫画の事含めて真雪の気持ちや意図、心を完全に分かってあげる事は出来ないよ」


  所詮どれだけ愛し合っていても、他人は他人。


 「いくら分かった気になっても、それはそんな気がするだけ。心を同じにする事は、出来ないから」


  例えどれだけわかってくれようとしていても。


 「でも俺は真雪が好きだ。真雪の力になりたい。いつだって真雪の事、気にかけてるつもりだよ」


  完全に分かり合うことなんて出来やしない。


 「……それじゃ駄目?」


  だからこそ……


 「わかってくれようとする人が居るってことが、幸せってことなんだ……」


  聞こえないぐらい小さく呟いて、真雪はギュッと抱きついた。それを返事と受け取った耕介も、
 更に愛しさの固まりを抱きしめる。


 「んー」


  不意に真雪が目を閉じて、んっ、と少し顎を上げると、


 「? あ。ん……」


  すぐにその意味を理解して耕介は唇を重ねた。


  こういうことはツーカーなんだけどなぁ、と内心真雪は苦笑する。


 「んむっ、ふぁ、ぅん……」


  真雪が耕介の首に回した手を、後頭部の方へとずらして力を込めると、それを合図にさらに深く
 キスが続けられる。


  ほんと、こればっかりは。


  しかしまあいいか、とも真雪は思った。






 「……安心、しなよ」


 「うん?」


 「あたしがあんたを、何だって分かるように。あたし好みにしっかり調教してやるからさ」


 「……調教っすか」


 「そ♪」






                   〜◆〜◆〜◆〜






  もしも生まれ変わったのなら。




 「耕介あんた、生まれ変わったら何になりたい?」


 「は」


  唐突に投げかけられたその奇妙な問いに、耕介は初め間の抜けた声しか返せなかった。


  一方今日も今日とて忙しく周りを働き回る彼を横目に、我関せずといった体でソファにどっかり
 座り込んでいた真雪は、雑誌に顔を突っ込んだまま再び問い掛た。


 「もし自分の好きな物に生まれ変われるとして、もう一回人生があるとしたら何になりたいかって」


 「そりゃあ……俺はもう一度槙原耕介になって、真雪と一緒に居たいよ」


 「男はそう答えるんだよなー」


  そんな耕介の気障な言い回しにも、真雪はさして感慨を受けたでもない様子で。もう一度雑誌の
 記事に目を落とすと。


 「反対に女の方は生まれ変わったら違う人間になりたい、違う相手と付き合いたいってのがほとん
 どらしい」


 「うう。それは男の方としては、ちょっと悲しいっす」


 「だって同じじゃ勿体ねえじゃん。ま、男と女の違いってヤツかね」


  今の人生に不満があるわけじゃないんだけどね。


  一応そう付け加えたのだが、未だ納得のいかない様子の耕介を見て、真雪はだんだんと可笑しく
 なってくる。のと同時に、ついもっと苛めてやりたいという衝動にも駆られ。


 「今の自分じゃ分からない、知らない色んな楽しみがまだまだありそうだしよ」


 「それはまぁ、分かるけどさ……」


 「地球上には60億? 70億? の人間が居るんだからさ、そん中にはもっと自分に合った人が
 居るかもしんない訳だし?」


 「…………」


  今の自分には正直、この目の前の人物を失う事など考えられない。耕介がそれと同じ事を思って
 くれているのが、不機嫌さを何とか押さえ込もうとして結局失敗しているその顔で分かる。


  内心嬉しくて楽しくて仕方が無い真雪だった。


 「じゃあ真雪個人はどうなんだよぅ。生まれ変わったら何になりたいっていうの?」


 「あーあたし? あたしはー、なあ」


  拗ねたような口調に吹きだしそうになりながら、暫く考えた後真雪はまだ遣り残した事もあるし、
 などと前置いてから、勘弁してやる事にした。


 「やれやれ……あたしも、あんたが居てくれるんなら。次も仁村真雪でいいかな」


 「槙原真雪、でしょ」


 「……ああ」


  念押すようにそう言ってにぱっと笑う耕介の肩に、真雪が軽くパンチした。






 「でもやっぱちょっと勿体無い気がする。さっきの無し、今度はあたしも男になってみたいなー」


 「まゆきぃ〜」


  嬉しくて楽しくて仕方が無い真雪だった。






                   〜◆〜◆〜◆〜






 「……ーちゃん、おねーちゃんってば!」


 「んあ? あ、ああどした知佳?」


  暫し思い出に意識をたゆたわせていた真雪が、強い呼びかけにハッと我に返って顔を上げると、
 目の前にはむーと眉をしかめこちらを睨む知佳の顔があった。


 「どうしたじゃないよー。2人とも見詰めあったまま、動かなくなっちゃうんだから」


 「あー、悪い」


 「ゴメンよ知佳」


  ようやく現実に呼び戻された真雪と耕介の二人は、今まで手繰り寄せた思い出を振り払うように
 ふるふると頭を振る。


  そんな様子を見てまた知佳は、仲が良いのは分かるけど、と思ったがこれを口にしたら今度こそ
 殴られそうだったので、そこはぐっとこらえると。改めて兄と姉の顔を見やり。


 「で、どう?」


 「エ? 何が」


 「だからぁ、自分達が似てるかってことだってばぁ」


 「はー」


  再び顔を見合わせる。


  馬が合うという事は、お互い似ている部分も少なく無いという事だろうが。近くなればなる程、
 知れば知る程似ている部分よりは、考えの違いなどが際立ってくるもので。


  共に過した時間の中でそれらを悟った二人は、揃って肩をすくめるとこう言った。


 「……ぜんぜん似てねえよなあ?」


 「うん」


 「やっぱりそっくり♪」


  無邪気に笑う知佳に、もう一度苦笑する真雪と耕介だった。






                                       了









  後書き:自分達って似てるよね、と始まった交際でも、
      お互いより深く知り合っていくとびっくりする位似ていなかったりするもので。
      でもそれは、互いの仲を悪くするものではなく。
      むしろ上手く使ってさえいけば、ずっとわかり合えるようになる物だと私は思います。

      でも私もよくよくつまんない喧嘩してるなー。キムチ鍋の話とか、実話だし(笑
      今思えばアレも一種の相手に対する甘え、なんでしょうね。





  05/01/06――UP

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