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  〜冷蔵庫〜
  (Main:真雪 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






  まだまだ暑さの厳しい、檜の柱の様な太い陽射しが立ち上る夏の休みの中頃。


 「インドの山奥鉄砲うったらーきょが転がりーきんだ拍子にー年の……♪」


  耕介は軽快に鼻歌を口ずさみながら、常温まで冷めた薬缶のお茶をさらに冷蔵庫で冷やすため、
 プラスティックのポットに移していた。


 「おっと」


  つい傾けすぎて、外れ落ちそうになった薬缶の蓋を慌てて小指で押さえる。


 「ナイスキャッチ、っと」


  にんまりと、ひとつ笑顔。


 「た、大変たいへーん!」


 「んん?」


  そんな平和なキッチンの熱く湿った空気を破ったのは、まるでチョッキのポケットから重い懐中
 時計を取り出して、走り去るウサギの様に非常に慌てくさって駆け込んで来た知佳だった。


 「あ、おおにいちゃん大変なの、ちょ、ちょっと来て!」


 「青兄ちゃん?」


 「あう、ちがう〜」


  説明するのもどかしいという風に曲げた腕を胸の所でブンブンと振りまわすと、地団太を踏んで。


 「昔『おあねえさん』というドラマがあったが……な、なんだよ一体」


 「いーから、急いでっ」


  知佳はぱっと耕介の袖を取ると、ずりずりと強引に引っ張って表へと連れ出していった。


 「えーっと……あ、ほ、ほらあれ!」


 「ん〜?」


  玄関から出て、パタパタ突っ掛けを打ち鳴らしながら庭の方へと回ると、きょろきょろと暫らく
 視線をさ迷わせた後、ビッと知佳が指差す方向に耕介は目を凝らす。


 「なんだ、猫のケンカじゃないか」


  そこには頭を低くして、歯を剥き出し背中の毛を脹らませた虎縞と灰色の塊が二つ、ふぎーっと
 低いうなり声を上げてにらみ合っている景色があった。


 「ね、ど、どうしようお兄ちゃん」


 「かまわんだろ。大人と子供とか、そんなに体躯差があるわけじゃないみたいだし」


  ひどい怪我する事もなかろう、とおろおろと焦る知佳とは対照的に、耕介はすまし顔。


 「その内にどっちかが負けてどっか行くさ」


  いざという時には、もう数歩近寄ればこちらに気がついて逃げ出すだろうと、耕介は妹の肩に手
 をかけて傍観する姿勢を崩そうとしない。


 「あのね、虎ジマの方と、あっちの小柄な白いネコとが一緒に食べてたら……」


  再び知佳の指す方を振り向くと、こちらも身を低くした一匹の白い猫が物陰から見詰めていた。
 その顔はどことなく心配そうにも見える。


 「急にあのおっきな灰色のが来て、取ろうとしたからケンカになっちゃったの」


 「ふーん」


  先に虎縞達の方が、耕介が昼前にやった荒削り節の出し殻の余りを食べていたが、それに灰色猫
 がねこなげない態度をとった事が争いの原因だったようだ。


 「あっ! ああ〜」


  そうこうしている内にニ、三度競り合ったかと思うと、虎縞の猫はあっけなく退散し、知佳の小
 さなため息と共に事態は終焉を迎えたのだった。


 「あー……行っちゃった」


 「ま、しょうがないさ」


  まだ名残惜しげに猫が立ち去った方向を見詰め続ける知佳に、猫には猫のルールがあるんだから、
 と耕介はポンとまたその肩に手をやる。


 「これジャングルの掟」


 「あの虎ジマもだけど、一緒に居た白いコの方も可哀想……」


  知佳はまだ何か言いたげな様子で今度は灰色の猫の背中をにらみつけるが、やがてその灰色猫も
 スタスタ悠然と歩き去っていった。


 「あれきっと、男の子女の子のカップルだったんだよ」


 「ほう、時期的にはそんな頃じゃないんだがな」


  だって譲るようにしてたんだもん、と拳を握って力説する知佳に、耕介もただ頷いておく。


 「仲の良いこって」


 「うん、でも……」


 「うん?」


  知佳は急に俯いてごにょごにょと口の中で何かを呟きだし、不審に思った耕介は覗き込むように
 屈んで顔を近づける。


 「今ので負けちゃって、その、嫌われちゃったりとか、ないのかな?」


 「は?」


  指先を五本とも顔の前で突き合わせながら、知佳はまだぽしょぽしょと消え入る様な声で小さく
 そう言った。


 「だから……フラれちゃったり、とか、ひょっとしてあの灰色のに彼女取られちゃうとか」


 「ああ、なんだ」


  頭を上げると共に、そんな事を心配してたのかと肩をすくめて見せる耕介。


 「その辺は大丈夫さ。絶対」


 「そうなの?」


  ああ、とやけに自身満々に胸を叩いて見せる兄に、見上げる知佳はふにゃっと首を傾げて。


 「だってネコってのはな……ああほら、あれ」


 「あ」


  ふいともたげられた耕介の手の先に目を向けると、先ほどの虎縞の猫と白い猫が寄り添うように、
 草陰から知佳達の様子をうかがっていた。


 「よかった、のかな?」


 「うん。後であいつらにも、また何かやっといてやるよ」


 「ありがと、おにーちゃん♪」


  耕介が乗せた手の平でくりくりと髪の毛を撫でつけてやると、知佳はようやく心から嬉しそうに
 ほにゃ〜と微笑んで、猫達と同様にスッと兄の体に身を寄せたのだった。






                     〜◆〜






 「ほら知佳、これでもどーぞ」


 「ありがとおにーちゃん。わ、豪華」


  耕介に促され、ダイニングへと戻ってきた二人。ちょこんとテーブルにつく知佳の前に置かれた
 ガラスの器の中身は、数種のフルーツと共に浮かぶ乳白色した杏仁豆腐だった。


 「ただそれ今夜のデザートのつもりだったから、今食べると二度食べる羽目になるけどなー」


 「それでもいーよー♪」


  そう意地悪く言った耕介だったが、知佳は満面の笑顔のまま目の前の冷たい甘味をほおばる。


 「さてっと。俺も一緒にお茶しよっかな」


  キンピラを作っていた鍋をガラン、とシンクに沈めると、入りこんだ水にぷくぷくと浮いてくる
 細かな無数の油の玉。


 「ねえお兄ちゃん、さっきのってね」


 「うん?」


 「なんで、絶対大丈夫だって思ったの?」


  薬缶に残っていたお茶に氷の欠片を二個放り込むと、耕介も対面に腰掛ける。それを待っていた
 かのように知佳は、濡れたグラスを傾ける兄に向ってすぐに口を開いた。


 「んーだってさ、例えばもし、俺と知佳が付き合ってたとして。俺が誰かにケンカ負けたら、知佳
 は俺の事嫌いになる?」


 「そ、そんな事ないよ! 絶対!」


 「だろ。それと同じさ」


  頭の上で指を回して、ほんの少しの間考え込んだ後かけられた耕介の言葉に、知佳が思わずブン
 ブンと首を横に振って身を乗り出す。


 「それにな、猫には好みがあるんだよ」


 「このみ?」


  そんな知佳に耕介は軽く手を差し出すと、静かなバスで語り続ける。


 「人間と同じように、猫にも異性の好き嫌いがあるって事さ」


 「へー、そうなんだ」


 「うん。日本猿とかライオンとか集団で暮らす動物と違って、猫は単に強い相手を選ぶんじゃなく
ちゃんと自分の好みの相手を見つけるんだ」


  その猫個人の好みの相手をね、と頬杖をついていた手を今度は頭の後ろで両手を組み、ギシッと
 背もたれをそらすと。


 「基本単独で生きてる猫だからこそなのかもな」


 「ふーん」


  そう天井に向って耕介が他人事のように呟くと、知佳はまったく素直な生徒になって頷いていた。


 「だから人間も大切なのはお金だけじゃない、心だ! 愛だぞ生徒諸君!! ……なんてね」


 「は、はいっ!」


  拳でタン、と軽くテーブルを叩きつつ、突如張り上げられた耕介の声に思わず知佳は返事して、
 ビクッ、と背筋を伸ばす。


 「むかーし高校の時だったかな? センセがそう言ってたんだよ」


  そんな妹の可愛らしい様子に口の端を歪めながら、前のめりになった身体を椅子に戻し再び右手
 を前に差し出す耕介。


 「授業の内容なんかこれっぽっちも覚えちゃいないのに、こんな雑談だけはいつまでも頭に残って
 るもんなんだよなぁ」


 「あはは♪」


  その右手で頭を抱えながら肘をつき、そう言って自嘲する耕介を見て、知佳もふっと両肩を下げ
 て短く笑い声を立てていた。


 「……知佳は好みのタイプ、ってどんなだ?」


 「へ? 好み? え、あ男の人のってこと?」


  そう、と耕介が頷いて返すと、知佳はなぜか瞬間ほんのりと頬を赤く染めて。


 「そいやあ今まであんまり、知佳にそゆこと尋ねた事がなかったから」


 「と、突然そんな事、聞かれても……」


 「あるなら兄として、一度聞いておきたいなあと思って」


  もじもじと身をよじって予想以上に恥ずかしがる知佳に、適当でいいからさ、と耕介は努めて軽
 い口調で問い直す。


 「んー……お花屋さん、かな」


 「はなや?」


  その甲斐もあってか知佳はあごに指をやって可愛らしく小首を傾げると、暫らく考え込んだ後、
 しかしあまり異性の好みとは言い難い答えを出した。


 「小さい頃、お花屋さんと結婚できたら、お花屋さんの子になれるかなーって」


 「そりゃタイプとは言わんわな」


 「あはは、そだね」


  知佳らしい返事に耕介は思わず口に手をやって苦笑すると、本人もまたくすくすと微笑んで。


 「好きなタイプ、かぁ。今までそんなこと、あんまり具体的に考えた事なかったし」


 「そっか。まぁそんなもんかもな」


 「優しい人がいいな〜ぐらいは思うんだけどね」


  すでに空になった器を両手で回しもてあそびながら、ちょっと細い目で手元と、耕介の顔を交互
 に見返す知佳。


 「好きなタイプを芸能人で言うと〜って聞かれた時とかも、結構困っちゃう方だから」


 「分かる分かる」


 「好きな芸能人と、好きな人はやっぱり違うよねぇ」


  行儀が悪かったかな、と急に思い直しパッと小さなガラス器から手を離すと、知佳は顔を上げて
 ほにゃっと苦笑する。


 「また知佳の場合、現実に好きな人が出来たとしても、真雪の厳しい審査が入るわけだしなぁ」


 「うーそうなんだよー」


  しかしそんな思い出したとばかりの耕介の言葉に、カクンと腰が折れ知佳はびろーんとテーブル
 に突っ伏した。


 「実際痛くもないお腹を探られて、私だけじゃなく周りにも迷惑かけた事も度々……」


 「ははは、そりゃご愁傷様」


  いじいじと人差し指でのの字を描きながら、うーだのうにゃーだのと言葉にならないうめき声を
 上げて、ひんやりとした木目と仲良くなっている。


 「ま、それだけ真雪が知佳の事を、大切に思ってるってことなんだろうけどさ」


 「ん……」


  それからゆっくりと体を起こした知佳だったが、耕介のフォローを聞いて再び視線を下げ、少し
 の間俯いてしまう。


 「……ホントとは、ね」


 「んん?」


 「本当は半分かなっちゃったんだ」


 「半分?」


  テーブルの下、膝上で合わせた指を見詰めて、もぞもぞとあやとりのように弄る知佳。妹の呟き
 に頭に疑問符を浮べる耕介の側からは、当然その様子は見えない。


 「実はすごく失礼な、事かも、しれないんだけどね」


  擦れる声で選ぶように言葉を切り、何度も逡巡しながら知佳はゆっくりと語り始めた。


 「好きな人も大切だけど、でもそれでも、私にとってお姉ちゃんはすごく大切な人だから」


 「うん」


 「だからできれば、私よりもお姉ちゃんを大切に、優先してくれる人ならなーって」


  胸に手をやってまだ耕介とは目を合さず、視線を宙に浮かせたまま想いを紡いでいく。


 「私の好みはそんな、まゆおねーちゃんのことを一番に考えてくれる人なの」


  知佳の告白に思わずそれは、と口だけ開いた耕介だったが、そのままパクパクと沈黙するだけで
 結局声になる事はなかった。


 「でも今、お姉ちゃんにはお兄ちゃんがいるから」


  反対に知佳は急に声を張り上げ、そう言って勢いよくバッと頭を上げると耕介の顔に笑いかける。


 「そっちはもう叶っちゃったかなあって思って♪」


 「それで半分、か」


  えへへ、となぜか赤い顔ではにかむと、ぽりぽりと頭を掻きながら知佳は小さくコクンと頷いた。


 「まゆおねーちゃんには……言わないでね?」


  こんな事聞かれたら、またお姉ちゃんに怒られちゃうだろうからと、上目遣いに兄の表情を窺う。


 「構わんが……それはちょっと難しいかもなぁ」


 「え?」


 「好みの方だよ」


  あ、と思わず口に手をあてる知佳に、耕介は難しい顔をしたまま妹の顔を指差して。


 「真雪が一番なら、俺みたいに真雪の方と付き合ってるわけだし」


 「う、ん」


  そう言ってもうすっかり氷も溶け、細かな泡になってしまったお茶をクイッと飲み干す耕介に、
 複雑な面持ちで首を縦に、いやさ斜めに振る知佳。


 「ま、でもじゃあ今はもう、知佳も自分の好きな人を自由に探せるわけだ」


 「……そだね」


  そんな義妹の想いを知ってか知らずか、耕介の無邪気なセリフに、知佳はただ薄く苦笑しながら
 小さくそう肯定する他無かった。


 「お姉様の、ありがた〜く厳しいチェックを受けながら、な」


 「あううー」


 「ははは、結局自由にとは言えないか」


  が笑い声と共に、すぐまた二人はいつもの兄と妹に戻る。再びテーブルに倒れ込んだ知佳の頭を、
 耕介はケラケラと笑顔で突っつき回していた。






                     〜◆〜






  タンタンタン、とナスを薄切りにする軽快な音が夜中のキッチンに響き渡り。包丁が入る度細い
 紫の線が、移り込んでまな板に刻まれていく。


 「なーこーすけーまだー?」


 「まだって真雪、作り始めて5分とたってないんだけど」


  端から間延びした催促の叫びが耕介の背中に降り注ぐ。その声の主で恋人である真雪との酒盛り
 の為に、肴を作っている最中だった。


 「3分で作れ3分で」


 「……てか多分、3分もたってない」


  えのきの下の部分、石突きを切り取るとツンと金属臭の様な、強い匂いが縞になって漂っていく。


 「えのきとかシメジとか、結構すぐカビるんだよね。同じ菌糸類のくせに!」


 「あたしゃ菌類はいらんぞー」


 「よけて食べて下さい。俺が食べるんで」


  牡蠣油を片手に真雪の無責任な言葉に受け答えながらも、耕介の料理する手は止まる事はない。


 「待ってる間に突つける他のあては無いのかあては」


 「んー、手作り杏仁豆腐とかあるけど」


 「それで酒が飲めるかってーの」


  そんなもんまで自作してるのか、とどちらかと言うと話の当て、相手を求めている様子の真雪は、
 すでに一人コップを傾けつつ耕介にからんでいた。


 「杏仁の粉をもらったんだ」


 「アンニンの粉ぁ〜?」


  仕切りに肘を突いて、突き出したジーンズに包まれた林檎のようなお尻を横に振りながら。真雪
 はその聞き慣れない言葉に怪訝な顔をする。


 「正確にはキョウニンの粉、かな。杏仁って見た事ある?」


 「んにゃ無い」


 「種なんだけど、見た目は梅干の種の中身? あんな感じだよ」


 「梅干の観音様は食った事あるけど……」


  それをすり潰した物をもらったんだ、と耕介が言って持ち上げたのは、乳白色の欠片が生のまま、
 真雪が思ったより雑に入れられていた普通のビニル袋だった。


 「それとミルクと砂糖とコンスターチでさ、自己流だけどね。寒天が無かったからコンスターチを
 使ったんだけど、結果的にこっちの方が良かったんじゃないかなぁ」


 「その辺はあたしにはよー分からん」


  また一口ビールを含みながら、酒飲みだから甘いもんは知らんと乱暴なアルトでのたまう。


 「後は……加茂ナスの田楽は食べちゃったし、レンコンのキンピラが残ってたかな」


 「そっちの方がまだマシか」


  そうして話している間に肴の方も出来上がり、結局その冷蔵庫から取り出したキンピラと一緒に
 リビングへと運ばれて行ったのだった。


 「いえーいお疲れ」


 「いえーい」


  ソファに腰掛けると、二人改めて乾杯する。ギチンとガラスのコップが互いにふれあう、微かだ
 がきつい響き。


 「んっんっ……かーっ! この瞬間、今この時のために生きてる、って気がするねぇ」


 「ほんとに」


  耕介にとってはその日の締めくくりの、部屋にこもりっぱなしだった真雪にとってはその日初め
 ての、一緒の安らぎの時間に二人とも思わずため息が漏れる。


 「レンコン、と言えば俺昔学校からの帰り道で、ハスの葉を傘かなんかで切り払いながら帰ったり
 しててさあ」


 「あー分かる。似たような事、あたしもやってたよ」


  里芋の葉っぱとかな、とコリッと蓮根にかじりつきながら頷くと、勢いが良過ぎたせいか半欠け
 がポロリと口から零れ落ち、真雪は慌てて胸元に手を差し出す。


 「おっさんにレンコンに泥が入るから、頼むからやめてくれと言われたんだけど。こないだTVで
 泥が入るのを防ぐために、ハスの葉を切るって言ってたんだよね。どっちやねんと」


 「あっはは」


  耕介が隣でキュッと肩をすくめて見せると、真雪も笑ってまあるい背中を揺らす。チーズも何も
 乗せていないクラッカーのような、こんななんて事のないやり取りも二人ならひどく楽しい。


 「……あの頃は若かったって言うか、あんまり周り見る余裕がなかったからなぁ」


  今でも若いでしょという耕介のツッコミを軽く流して、クルンと小さくグラスを回し。


 「でも水がひたひたに張られた田んぼは好きだったな。真っ白なサギ、白鷺なんかが居てさ。自転
 車で脇を通った時、よく眺めてたよ」


 「あー、あれってサギだったんだ」


  中の水面が左右に揺れるのを見詰めながら、真雪はまるで独り言のように呟くと、耕介の気の抜
 けた声が後に続く。


 「遠目で見ると真っ白で、シラサギみたいだなーとは思ってたんだけど」


 「てか白鷺そのものだっつーの」


  そこまで思ってんなら気付けよ、と軽く耕介の側頭部にツッコミを入れておく真雪。


 「ははっ、まーゆーき♪」


  笑った勢いで耕介はグッと肩に手を回し、軽く恋人の頬に口付ける。以前は対面で飲む事が多か
 ったが、今は二人こうやって隣に並んで飲む事もしばしば。


 「んなんだよ、やめろってぇ」


  ちょっかいを出したり、いちゃついたりし易いからだ。大抵は先に耕介が隣にきて、追い出され
 なければそのまま真雪の傍らに座っていた。






                     〜◆〜






 「そいやあ今日昼間、こんな事があってね」


 「んん?」


  肩に回された腕だけは払いのけておく真雪に、耕介はその日昼間起こった出来事の、猫の喧嘩と
 知佳に好きな異性のタイプを聞いた事だけを伝えた。


 「……へー、それで、知佳はなんて?」


  感情を表に出さないよう、しかしその為逆に不機嫌そうな表情になってしまっている真雪の顔に、
 耕介も口に手をやってにじみ出る笑みをこらえながら。


 「花屋になりたかったから、花屋が好きだったとかなんとか言ってたよ」


 「はっ、あいっかわらずズレてるっちゅうか、なんちゅうか」


  笑い声の混じった耕介の答えに、真雪はポンと一つ膝に手をやって、安堵のため息にも似た苦笑
 を漏らした。


 「ねえ、真雪はどうなの」


 「ん? なにが?」


 「好み」


 「はあ?」


  急にズイっと身を寄せ、下から覗き込む様にしてされた突然の質問に真雪は目を白黒させるが、
 一般的なものでさ、と構わず耕介は問い続ける。


 「真雪の好きなタイプはどんなんかなーと思って」


  そう言ってにぱっと笑顔で、首とグラスを傾げて見せる耕介から、真雪はフイと視線を逸らして。


 「好みって……なんであたしがそんな事言わなきゃならんのだ」


 「えーいいじゃんかよぅ」


  そのまま倒れこんできた耕介の体も、懐くな鬱陶しいとすげなく振り払う。


 「一応彼氏としては、気になるトコってゆーか、参考までに聞いておきたいじゃん」


 「……はぁ、男の好み、ねぇ。別にどーでもいいんだけど」


  特に今となっては、と視線をチラと左隣に向けるが、当人は? 顔。真雪は小さく嘆息する。


 「あ〜メシ、洗濯掃除が出来て、漫画の手伝いが出来て適当にあたしの身の回りの世話してくれる
 ヤツなら言う事ないし」


 「そ、それって好みなのか?」


  正面を向いたまま指折り、恋人の好みというよりは奴隷の条件といった項目を挙げていく真雪に、
 ちょっと引き気味で額に汗する耕介。


 「それと、ね。あたし自身の事よりも……」


 「うん?」


 「……いや、なーんでもない」


  もう一度スッと細めた目で耕介の顔を盗み見てから、暫らく下を向いて何事か考えこむように、
 真雪は沈黙するがやがてパッと顔を上げると。


 「なぁ耕介、中村さんにレストランのお食事券もらってるんだけど。行くかい?」


 「え? おお、いいっすねぇ、そいやあここんとこ外でデートってしてなかったし」


  突然の話題の変化に驚きつつも、合わせて相好を崩す耕介に、しかし真雪は表情を変える事無く。


 「それが、さ。実は3枚あるんだ」


 「え? ああじゃあ知佳も誘って一緒に行けるね♪ いつ? 日にち決まってるヤツ?」


 「…………」


  あっけらかんとした耕介のその答えに、指を三本立てたまま真雪は暫し固まって。眉をしかめて
 ちょっと変な顔。


 「どったの? あそっかそれだとお酒飲めないから。じゃあ別の日に飲みにも行こうか」


 「……こーいう奴だしなぁ、うらっ!」


 「んごっ?! と、突然な、にを……ま、真雪?」


  真雪はそう言って突如ぼすっ、と脇腹を殴ったかと思うと、苦悶の表情で前のめる耕介の身体に、
 すぐに今度はぼふっと抱きついて。


 「その上じょーぶだし。デカいし」


  飯はすぐ出てくるし、と回した手の平でスリスリと脇腹、背中を撫でまわす。ぎゅっと力をこめ
 て改めて抱きしめる。


 「まるで、冷蔵庫みたい……」


 「へ?」


 「あたしの好みは、冷蔵庫だわ」


 「う、うん」


  耕介は突飛な行動に多少混乱しながらも、とりあえず大人しくして。真雪もでかいけど、という
 言葉を飲みこみつつ、すり付けてくるやわらかく温かな二つのふくらみを感じていた。


 「……こーすけ、暑い」


  がすぐにじっとりと伝わってくる湿った体温に不平を鳴らしだす。


 「そりゃ冷蔵庫だって外面は熱いですよ」


 「おお」


  妙に納得した声を上げると、ポンと手を叩く代わりに真雪はトンと耕介の身体を叩き。


 「だったら離れたらいいのに」


 「いーや」


  真雪は身体を離す事無く、左右に振ると同時にまたぐりぐりと頭をすりつける。外からは網戸に
 カナブンが当たって、壁を伝い落ちていく音が上から下へと移動していくのが聞こえていた。






                     〜◆〜






 「酒はね。飲んで酔っ払ってる時は、嫌な事とか、その間だけは色々と忘れてられるから」


  更に酒も進んで、あれからもたれていた体は起こしたが、頭は耕介のその肩に預けながら。


 「全部が全部って訳じゃないけど、そんなのが多かった」


 「そっか」


 「でもね、今はちょっと違う」


  少々しんみりとした空気に真雪はちょっと上機嫌で、それゆえ舌もいつもより滑らかに。普段は
 あまり話さない自分の事について語り始めた。


 「騒いででも静かにでも、飲んでる時を憶えてる。その事自体を、ね」


 「う、ん」


  時折投げかけられる、いっそう切なさを濃くしてくるような真雪の暗い深みを持ったまなざしに、
 耕介の心臓は一瞬ドキリと跳ねまわる。


 「あんたと、一緒に飲むようになってからさ」


 「真雪……ひょっとして酔ってる?」


 「あー酔ってるぞー」


  いかにも酔っています、といった体でぐでーっと両手を広げて体重をかけてくる真雪の、短めの
 髪をくしゃっと掻き回す耕介。


 「こんな恥ずかしい事、しらふじゃ言えんよ」


 「恥ずかしいこと、っすか」


 「ん……」


  普段なら酔うような酒量ではなかったが、耕介がスッと手の甲で、赤みの差した真雪の頬にふれ
 てみると、そこは確かに温かく火照っていた。


 「おいこーすけ。あたしがこんだけ喋ったんだから、あんたも白状しろい」


 「え? は、白状ったって、何をさ」


 「あんたの好みは? ンン?」


  どうなのよさ、と起き上がり首に回した腕で耕介の頭をグイと引き寄せると、真雪はそう耳元に
 フッと息を吹きかけ、艶かしく囁きかけた。


 「それは……真雪だよう」


 「それはダメー」


 「えー」


  戸惑いながらもしぶしぶ、そう答えた耕介の顔の前で、手で大きくバッテンを作り真雪がブーッ
 と唇を尖らせる。


 「一般的にっつーか、あたし関係なく、あるだろ?」


  すっかりいたずら姉御の顔になった真雪は、ニヤリと三日月に口の端を吊り上げて。


 「やっぱりあれ? ケダモノの耕介は、乳と腰が決め手?」


 「ち、ちがわい」


  むにっと自分の豊かな胸を押し付けてくる真雪から、耕介はちょっと自信無さげに、逃げるよう
 に顔を逸らす。


 「……話し合えるほど似ていて。その相違が楽しいほど、似ていなかった」


 「あん?」


  そっぽを向いたままそうぽそっと、口の中で独り言の様に呟くが、真雪の耳には届かない。


 「今だから言える事かもしれないけど、ホント、理想の人なんだけどなぁ」


 「あんだって?」


 「うんにゃ、なんでもない」


  なんだよーと食い下がる真雪を無視すると、もう一度耕介は天井を見上げながら考え込んで。


 「俺のタイプは、んー……」


  あごに手をやって暫らくの時間唸った後、耕介はまだ訝しがる真雪に向ってこう言った。






 「今は早坂好恵の事で頭がいっぱいです」


 「リットン調査団かよっ?!」


  酔っているせいかツッコミと呼ぶには強力な、真雪の左フックがゴンッ、と鈍い音を立てて耕介
 の顔面にめり込んだ。






                                       了









  後書き:最近では日本猿も単純なヒエラルキーじゃない事が分かってきてるらしいですね。

      今回我ながらなんだかなーなオチなんですが。いつもの事か?
      なぜか付き合ってる同士でも、好きなタイプって聞く事結構ありますよね。
      私も好きなタイプを芸能人で例えると〜という質問には答えられない人なので、
      大概こうやって誤魔化してましたね。分かる人ほとんど居なかったけど(苦笑





  03/09/15――初投稿。
  04/11/06――加筆修正。

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takemakuran@hotmail.com
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