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 『……ちょっと、恥ずかしいな』


  おにいちゃんの大きな手。


 『どうして?』


 『だって……あ』


  それがゆっくりと、まるくわたしの頬をなでる。


 『知佳は可愛いよ』


 『でもお姉ちゃんと比べると、まだ朝ご飯だって食べてないし……』


  ぞわぞわとした感触に棒立ちになるわたしに、お兄ちゃんは。


 『そんな事ないさ、ほら――』


  ぎゅっと抱きついた。






 「ひゃあっ?!」


  小さなうめき声と共に身じろぎして知佳が目覚めると、目の前の天井、部屋の中はしんと静まり
 返った闇に包まれていた。


 「ゆめ……」


  無意識に腕で額を拭う。自分が見ていた夢が目覚める寸前まで見ていたものか、暫く経ってから
 目覚めたのかそれすら知佳には分からない。


 「また……お兄ちゃんの夢、見ちゃった」


  夢の事なので内容をはっきりと憶えてはいない。しかし知佳本人には、義兄耕介との性的な夢を
 見てしまったという事は分かっていた。


 「うう、濡れてる。情けない……」


  嫌な予感にそろりと指を下着の隙間から挿し入れ、股間に這わせてみると案の定その中心はしっ
 とりとぬかるんでおり。


 「ぅん、んっ」


  情けなさとちょっぴり気持ちよさが入り混じった感情の中、カサコソとティッシュを上下させて
 股間をぬぐう。


 「……わたしってばまだ」


  すでに午前を回っていた時計に自問自答しながら、知佳の切ない塊を丸めてベッドの外にぽとり
 と落とすと、外気に触れた手の先がひんやり冷たい。


 「まだ、お兄ちゃんの事あきらめきれてないのかなぁ……?」


  スンと一つ鼻を鳴らし、ゴロリと寝返って横を向くと胸にわき上がる罪悪感を覆い隠すように、
 知佳は首まで掛け布団をたくし上げ深く潜り込んだのだった。








  〜せいぎのみかた〜
  (Main:知佳 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)








  知佳が今朝方そんな耕介の夢を見たその日の午後。


 「エルボードロップ エルボースタンプ ベルリンの赤い雨〜♪」


  鍋が発する湿った熱がこもるキッチンで、今日も今日とて耕介は鼻歌まじりに夕食の用意に明け
 暮れていた。


 「……おにーちゃん」


 「それでもダメんときゃ〜♪ ……ん? なんだ、知佳か」


  だんだんと調子良く、歌声が大きくなる中ふとクイクイと裾を引く手に気付き、耕介が振り返っ
 て見るとそこには、何処か所在無げな様子の知佳が一人立ち尽していた。


 「お兄ちゃん、今一人?」


 「え、そうだよ」


 「まゆお姉ちゃんは……」


 「真雪は今お風呂入ってるよ。丸二日ぐらい入ってなかったとかで」


  探るよう辺りを見まわす知佳に一瞬怪訝な顔をしながらも、さほど気にする事は無く耕介は再び
 目の前の鍋に向って箸をのばす。


 「どうかしたのか、知佳」


 「え? あは、え〜と……そ、それは何をしてるの?」


 「これか? 今はキャベツの下茹でをしてたのさ」


  逆に話し掛けられ、まだ周りを窺っていた知佳がビクッとなって慌てふためき、ぎこちない笑み
 を浮べる姿に。


 「キャベツって意外にゆでるのに時間かかるからな」


 「ロールキャベツ?」


 「はは、残念ながら今の状態じゃオールキャベツってとこだ」


  耕介は軽い親父ギャグを交えながら、ぐるぐると菜箸で黄緑色した中身をかき回して見せていた。


 「……ねえおにーちゃん」


 「なんだい知佳」


 「あの、お兄ちゃんは今まで、その……諦め切れないもの、ってあった?」


 「はい?」


  それから暫く無言で兄の背中を見詰めていたのだが、やがておもむろに口を開く。迷いながらも
 自分の悩みの欠片を、俯いたまま床に向って吐露する知佳。


 「望んじゃいけないものを忘れられないっていうのは、やっぱり、いけない事なのかな……」


 「う〜んよく分からんが、子供の頃持っていた叶わない夢とか、そういうのに近いのか?」


 「う、うん。そうかも」


  伝えたいが伝えたくない、そんな曖昧な自分の、わがままな質問に対し耕介が偶然口にした夢と
 いう単語に、知佳は内心動揺したままコクコクと首を縦に振って。


 「有ったような無かったような……ああ、少し違うかもしれんが、こういう事があったよ」


  そんな妹の様子に気付く事無く、耕介は頭の横でくるくる指を回しながらゆっくりと口を開いた。


 「むかーし昔、実家の一部で建て替えがあってね、まだ俺が小学校上がるまえ」


 「うん」


  知佳のおなか辺りに手をかざして、まだこーんな頃だと当時の自分の小ささを示しながら。


 「木屑あさったり大工さんの様子見たりと、ガキの頃の俺にとっては格好の遊び場だったわけだよ」


  時折宙を見上げては記憶の網を手繰り寄せている耕介の話に、知佳も見上げながら耳を傾ける。


 「でも二階部分にはまだ床が無い所があるってんで、近づかせてもらえなかった。今思えばあたり
 前の話だけどね」


  なにせこーんな頃だからなこーんな、と再びかざした手でぽこぽことおなかを叩くと、知佳は少
 しくすぐったそうに身をよじって。


 「ガキだから禁止されるとますます見たくって、遊びたくってしょうがなくってさ。こっそり忍び
 込もうとしては見つかって、追ん出されてそれでも懲りずに何度も」


 「あはは、ちょっと分かるかも」


  今の耕介から活発だったであろう幼少期の姿を想像して、知佳は密かに心の中でほくそえんだ。


 「でも兄貴は俺よりでかかったし、二階部分にも行ってるはずなんだよな。で、大きくなってから
 ふとその時の話が出たんだよ」


 「それで、お兄さんはなんて?」


 「覚えてないなぁ、の一言」


  大げさに肩をすくめて見せる耕介に、知佳もつられて思わずあやや、と口に手をやって目を丸く
 する。


 「そんなものかもしれないな。俺みたいな想い、恋焦がれていた者の方がより鮮明の覚えている」


 「想い……焦がれる」


 「いつでも二階へと上がれた兄貴にとっては、さして記憶にも残るものじゃなかった。ってね」


 「…………」


  ちょっと気取った口調と共にスペードのウィンクを投げ掛けた耕介だったが、残念ながら知佳は
 その時アゴに手をやって俯いており見ておらず。


 「知佳が一体何の事を言っているのかは分かんないけど、まあそんなに気にしなくとも、いずれ時
 間が経てば忘れられるようになるさ」


 「う、ん」


 「どうだい? 何か参考になったかな」


 「んー……」


 「あはは、全然関係無かったか」


  まだ少し難しい顔で考えこんだままの知佳の頭を、誤魔化すよう耕介は上から掴んでぐりぐりと、
 少し強めにかき回していた。


 「……お兄ちゃん、あのね、あの――」


  納得出来た訳ではないが、もちろんなんとか自分の力になろうとする耕介の気持ちは、痛いほど
 知佳にも伝わっており。それに応え思わず真実を口にしかけたまさにその時。


 「っく、あいたた〜」


 「あっ真雪? どうかしたの」


 「おねー、ちゃん」


  頭にタオルを被せて耳の後へとやり、ファラオのような格好になった真雪が左肘を押さえながら
 キッチンへと入ってきた。


 「……風呂場で滑って、ヒジ打った」


 「だ、大丈夫っ?!」


 「立ち上がる途中だったんで大したこたなかったんだが……咄嗟に腕出したんで、湯船にヒジ痛打
 して痺れちまったよ」


  痛みと痺れを振り払うようぷるぷると左腕を振りつつ、ついでに心配顔で駆け寄ってくる知佳の
 体をムイと押し返す真雪。


 「気を付けてくれよ、それで本当に亡くなる人も居るんだから」


 「ほんとだよー」


 「ああ、ちーと寝ぼけ入ってたかもな。今度からは気を付けるよ」


  初めはやや鬱陶しそうにしていた真雪だったが、恋人と妹からの本当に心配そうな視線に、その
 場は素直に頷いておく。


 「倒れた拍子にガラス戸に突っ込んでってのが一番危ないパターンみたいだね。タイガージョーも
 それで死んだんだし」


 「誰だよそれ」


  真面目な口調のままボケる耕介に突っ込む真雪。意味はさっぱり分からなかったが、二人のその
 様子だけで知佳も小さく笑みをこぼす。


 「もしあれだったら、今度からは俺が一緒に入ろうか?」


 「……バカ」


 「疲れてる時だけ、沈んじゃったりとかしないようにの監視だってば」


  もうすでに一緒に入浴した事のある仲の二人だったが、真雪は知佳が居るためかそれだけ言って
 そっぽを向いてしまう。


 「大体酔って風呂場で死んだのは錠之助の役者ってだけだろ」


 「知ってんじゃん真雪」


 「あはは」


  姉と兄、この二人が話をしている時、少し上を見上げる形になる。頭上を飛び交う二人の会話、
 そのシャワーのように降り注ぐ言葉の雨にうたれて、知佳はただその事が嬉しく、自然と口の端に
 微笑が浮かんでくる。






 「あ、は……」


  と同時に自分はそんな兄に邪な想いを抱いているのではないか、といった不安の影が蟻のように
 むらがってきて。ちくちくと知佳の胸の端に食いつきはじめるのだった。







                     〜◆〜






  それから数日後のある日。


 「やっぱり1つじゃ駄目か、もう1個無いと……」


 「おにーちゃーん。あ、それってそれって、もしかしておでん?」


 「おう知佳、そうだぞー」


  学校から帰って台所に入ってきた知佳は、耕介が抱える土鍋や下茹でされる大根などを見るなり、
 思わず手を叩いて歓声を上げる。


 「うわ〜わたしおでん大好き♪ なんか手伝おっか」


 「じゃコンニャクひねってくれ」


 「こんやく、ひねる?」


 「婚約ひねってどーする。コンニャクだよ、ホンヤクコンニャク」


  可愛らしく小首を傾げながらそんな天然ボケをかます知佳に耕介は苦笑しつつ、まな板のすみに
 乗っかったコンニャクを指差し。


 「こう薄く切って、真ん中に切れ目を入れて……こうひねると」


 「そんなんでいいんだ」


 「簡単だろ? こういうのをそっちの半分のコンニャクでで作って、そこの皿の上にでも置いてお
 いてくれ」


 「はーい」


  板コンニャクを薄切りにして真ん中に切れ目を入れ、慣れた手つきで片方の端をその穴に通す。
 そうして結ばれたものをピラピラと目の前で振って見せた。


 「……あ、あれ? でも本当にこんなんでいいの?」


  兄に倣って一つ作ってみるが、出来あがりの余りの頼り無さに知佳は少々不安になる。


 「ああ、火が通ればしまって割ときっちり結ぶから。今はそれでいいんだよ」


 「へぇーそうなんだ」


  お互いに隣り合ったまま、さっすがーと知佳が手を叩いて褒め称えれば、なんのなんのと耕介が
 胸を張り返す。


 「おでんおでん♪」


 「うちは人数多いから土鍋も二つ使用だな。俺も初めてだが」


 「それぞれでちょっと味、変えてみるとか」


 「……それ良いかもな。昆布ダシの関東風とカツオダシの関西風にでもしてみるか」


  そんな楽しい兄妹の共同作業が、暫くの間暖かな熱気に包まれた台所で続いていた。


 「さて、こんなとこかな。知佳がひねってくれたコンニャクは最後に入れればいいし」


  大きい三角コンニャクは別に入れたしな、と味をしみ込ませたい大物類だけを入れた土鍋の蓋を
 閉めて。


 「手伝ってくれてありがとな。お茶でも入れるから、座ってなよ」


 「うん」


  一仕事終ったとばかりにパンパンと二度手を打ち鳴らすと、耕介は知佳をテーブルの方へと促し、
 再び戸棚へと向っていく。


 「…………」


 「サブレがあるから、紅茶にしようかな〜」


 「……おにーいちゃーん」


 「を?」


  アレコレ探っていた耕介の背中に突如やわらかな感触が伝わり、んー? と首だけで振り返って
 見ると、そこには自分の胸辺りまでしかない知佳の体がまふっと抱きついてきていた。


 「どした、知佳」


 「んーんー」


  なんでもない、と心の中だけで呟くと兄の背中に頭を埋め、ぷるぷると首を横に振り続ける知佳。


 「ただ抱きつきたくなったのか」


 「う、ん」


  言葉少なにすりすりと子犬みたく、顔を鼻をと何度も擦り付けるように頷いている。そんな知佳
 がお腹にまわしてきている腕に、耕介はそっと自分の手を重ねると。


 「……良い子だな、知佳は」


 「え?」


 「いいコいいコ」


 「…………」


  そう優しく呟いて、日頃の水仕事でやや荒れ気味の手の平で知佳の白く、小さな手を撫でまわし
 たのだった。


 「……良い子じゃ、ないもん」


 「知佳?」


  しかし知佳は一転、耕介が何気なく放った言葉にパッと身体を離し。声のトーンが変わる。


 「わたし、良い子なんかじゃないよ……」


 「なんで。いい子だよ知佳は」


  身体を回し、正面向いた耕介がさも当然といった体で両手を広げて見せるが、当の知佳は俯いた
 ままただただ首を横に振るばかり。


 「どした、何かあったのか、話なら聞くぞ」


 「ふ、ふぇぇ」


 「お、オイオイ知佳っ?」


 「ちがう、違うもんっ!」


  そうしてつむじに降り注ぐ耕介の甘い言葉の雨に、逆に耐え切れなくなった知佳は嗚咽を漏らし
 始めてしまった。


 「俺の目からは素直で、今だって手伝いをしてくれて、知佳はずっと良い子に見えるぞ」


 「でも、でもわたし、いい子なんかじゃないのっ」


 「やれやれ、困ったな」


  キュッと裾を握り締め、強い口調で己を否定し続ける知佳に耕介は文字通り頭を抱える。


 「ホントはおにーちゃん達のそばに居る資格、無い……!」


  兄への想い、そして以前から抱いていた罪悪感に兄からの想いと、沢山の物が詰め込まれた知佳
 の心はついにパンクして、ぐしゃぐしゃになってしまっていた。


 「……いいよ、それでも」


  そんなふるふると肩を震わせ、フッと吹けば何処かへ飛んでしまう猫の和毛のように果敢無く見
 える妹の、猫の和毛のようなふやふやな髪に耕介が指を挿し入れると。


 「大丈夫。何があったのかは知らないけど、それでも知佳は悪くない」


 「ひっ、えう」


  ゆっくりと額から後頭部へと髪を梳いて、顔を上げてもらえるよう誘う。


 「ちがう、ってばぁ、ひっく」


 「良い子だよ知佳は」


 「……ぐす。そんな風に、甘やかされたらわたし、本当に悪いコになっちゃうよ……」


  激しい自己嫌悪に襲われていた知佳の心には、無意識に叱られたいという気持ちが湧いていたの
 だろう。そんな耕介の優しい言葉にも、逆に目を伏せ落胆の色を浮べてしまう。


 「いいんだよ。俺は正義の味方じゃなくて、知佳の味方だからな♪」


 「ふ、ふぇ?」


  しかしあっけらかんとした口調で、むしろ楽しげにそう言い放った兄に驚いて思わず顔を上げた
 知佳に、耕介はにぱっと笑ってウィンクして見せた。


 「自分でも間違っていると分かってる、そんな時。たとえそれが正しい意見でも、自分を否定され
 ちゃうと人間辛い時って結構あるよなぁ」


 「え、ぁ……う、ん」


 「そんな時、誰かが味方してやんないと。人が立ち直るには、味方が必要だからね」


  未だ戸惑い気味の知佳に対して、まくし立てるよう一息に語り掛け続ける耕介。


 「だから俺は、たとえどんな時でも知佳の味方でいるから」


 「おにいちゃん……」


  やわらかな手の平で、ひんやりとした甲で知佳の頬に薄く張りついた涙の跡を拭っていく。


 「いつ何時、どんな事があってもお前の味方でいる……そんな存在に俺がなるから」


  耕介が静かなテノールで肯定する、その一言一言が知佳の破れた心を繕い、安心感を植え込んで
 いった。


 「そう思えるぐらい、良い子だよ知佳は。だから胸張って俺達のそばに居なよ」


 「……お、おにい、ちゃっ、ふぇぇ」


 「ほーら泣くな知佳、国士は鳴いちゃ和了れないぞ?」


  最後はまた下手な冗談でしめるが、感極まってしまった知佳の感情はもう止まらない。


 「ああ、うぁ、ぁぁひぁぁぁ……っ!」」


 「知佳……ちーか……」


  結局泣かせてしまったか、とちょっと困り顔を見せる耕介の胸の中で、知佳は暫くの間赤ん坊の
 ような金切り声を上げ続けていた。






                     〜◆〜






 「どうだ、少しは落ちついたか知佳」


 「……うん」


  どれぐらいの時間泣き続けていたのか。いつの間にかくつくつくつと遠い音を立てていた鍋の火
 も一旦止められ、今は二人の話し声だけが静まった台所に響いていた。


 「さっき言ったけど、何があっても俺は知佳の味方だからさ。もし何か話したい事があるのなら、
 なんだって話してくれて構わないよ」


 「ん……」


  シャツを掴んだままの知佳の形の良い頭をクリクリと撫でつけながら、もう一度確認するように
 繰り返す耕介。


 「それともなんだ知佳、もしかして俺に味方されるのは迷惑だったか?」


 「えっ? う、ううん、そういう訳じゃ、ないんだけど」


  しかし何故悪い子なのかといった事に話が及ぶと、あいかわらずその雪割草のような瞳を伏せて
 しまう知佳を不審に思い、聞き方を変えてみる。


 「ひょっとして叱られたかったとか」


 「え、あは、あはは」


 「そういう時もあるさ。もしそうなら、そういった役目にもなってもいいよ」


  ちょっと図星をつかれた知佳はただ笑って誤魔化し、だが耕介はそれも分かっていたかのように、
 別段表情を変える事も無く。


 「それに知佳の味方は俺だけじゃないしな。俺が叱って、その時知佳の味方でいてもらうのは……
 そうだな、真雪にでも任そうか」


 「あは、でもおねーちゃんだと、味方でいてくれるかなぁ」


 「もちろんその役目はお互い替わってもいいし。そうやって実は皆が、知佳の味方なんだけどな」


 「……うん」


  兄の自分の全てを包みこむような大きな気持ち、広い心に比べ、先ほどまでの自分の子供っぽい
 行動に知佳は僅かに頬を桜色に染めて、それを隠すようコツンと額を耕介の胸にぶつけた。


 「皆、家族だもん。だからなんでも話して欲しいと思うよ」


 「ありがとう。おにーちゃん」


  胸に温かい物が流れこみ、きぅとしめつけられるのに合わせて、また裾を掴む知佳の手にも力が
 込められる。


 「どうだ? それでもやっぱり、なんで知佳が悪い子なのかは内緒か」


 「……ごめんなさい」


 「そっか」


  恥ずかしさや罪悪感だけからではなく、自分はたとえどんな形でも、やはりこの兄の事が好きな
 のだ。知佳のそんなどこか安心感にも似た想いが、結局耕介に夢の事柄を告げさせる事は無かった。


 「まあいいさ、家族だもんな、秘密の1つや2つぐらいあるよ」


 「……お兄ちゃん、さっきと言ってる事が違うよー」


 「そうか? ははは、あはははは」


 「んふふ、おにーいちゃん」


 「うん?」


 「だいすき。んふふふふふふ……」


  そうして耕介の熱と匂いに抱かれながら、ようやく知佳は心から笑ったのだった。






                     〜◆〜






  その夜。知佳は久々に大泣きしたせいか、これまた久々に熱を出して寝込んでしまった。


 「なんだよあんた、薬箱なんか持ってきて」


 「いやーなんか久々だったんで。ちょっと焦っちゃって思わず」


  枕元に座って知佳の顔を心配そうに覗き込むのは姉真雪と兄耕介の二人。その耕介の膝上には、
 しっかりと救急箱が抱えられていた。


 「ったく」


 「えへ、えへへ……嬉しいよーおにーちゃん」


  額に濡れタオルを乗せ、熱に頬を真っ赤に染めた病人スタイルながらも知佳は終始笑顔で。その
 傍らで真雪はそんな心配性の恋人を呆れ顔で睥睨する。


 「薬といえばこの熱出し娘の管轄だろうに、いっつもクスリ打ってるんだから」


 「ひ、人を中毒患者みたいに言わないでよぉおねーちゃん」


  眉をハの字にして抗議する知佳に、軽口をたたきながらもそれでもやはり真雪の目から心配の色
 が消える事は無く、もう一度火照った妹の顔をジッと見詰めると。


 「まぁ確かにここんとこ調子良かったからな……キツイか? 知佳」


 「んーん、熱自体もそんなに高くないし、だから薬も市販の熱冷ましでもいいんだけど」


  知佳は急に軟らかくなった姉の表情と声に、小さくふるふる頭を横に振って応える。


 「そうか、だったらこれでも使うかい?」


 「あ、でもそれちょっと古い、かも」


  そんな真雪の横からぬっと顔を出した耕介がカタカタと振る紙箱を見て、知佳は寝たまま器用に
 ちょこんと首を傾げた。


 「古いって、この薬いつのなんだ」


 「えーとそれ、たしか前にお姉ちゃんが風邪ひいた時のだから……」


 「真雪が風邪ひいたときぃ〜?」


  その知佳の言葉を聞き、くるくる薬の外箱の文字を回し見ていた耕介の頭の中に、『鬼の霍乱』
 といった言葉が思い浮かぶ。


 「……20年ぐらい前か?」


 「おととしだよ」


  耕介が思わず口の端から漏らした無礼な呟きを、真雪は見逃さなかった。


 「今心ん中で失礼な事考えなかったか?」


 「い、いえ、決してそのような事は……」


 「一体何を思ったのかな〜こーすけくーん」


  問い詰められフイと目を逸らし逃げゆく耕介の首を、真雪は腕でがっちりと捕らえて引き寄せる。


 「うらっ! だーれがテキサスの荒馬だってぇ?」


 「いだ、いだだだだっ! そんな事一言も言ってませんって!」


 「あ、あは、あはははは……」


  耕介の頭上に無慈悲なナックルパートを降らせる真雪。仲の良い姉兄の姿に、知佳はただ乾いた
 笑いを浮べる他無かった。


 「……ん? あ、知佳お前また顔が赤くなってないか」


 「ふえ? そ、そう?」


 「真雪が騒ぐからだろ……」


  と、更に赤みが増した知佳の顔に気付き、真雪からの拳の乱舞が止まった隙に、耕介がスウッと
 手を伸ばすと。


 「ほーら熱上がっちゃってるって。駄目だよ無理させちゃ」


 「あ……」


 「どれどれ、あーこりゃ熱いわ」


 「…………」


  知佳の左頬にそっと手の平をあてる。真雪も空いた右のほっぺに手をやり、知佳は左右両方から
 顔を姉と兄に挟まれた格好に。


 「……冷たくって、気持ち、いー」


 「ん? そうか」


  ウン、と頷いて返す知佳の両目が熱以外のものにキラキラと潤む。顔以外にも、じんわりと胸が
 熱くなる。


 「……うーら」


 「うり。あっちょんぶりけ」


 「へう、はぅぅ」


 「あっはっは、おもしれえ顔」


 「うにゅ〜」


  が急に添えられた二人共の手にぎゅっと力が込められ、左右から知佳の顔がまるでタコのように
 押し潰されるのを、真雪と耕介は笑いながら眺めていた。


 「……さ、そろそろ本当に知佳を休ませてあげようよ」


 「そーだな。じゃな知佳、明日になりゃきっとすっかり良くなってるさね」


 「うん。おやすみなさい」


  いいかげんむにむにと頬を玩具にした後、ようやく知佳を開放するとその身体を気遣って、二人
 は席を立つ事に。


 「……ねえ」


 「んー?」


  部屋を出ようと真雪がスイッチに手を掛けたその時、その背中にか細い知佳の声が掛けられた。


 「あのね、わたしお姉ちゃんの事も、お兄ちゃんの事も……だいすきだよー」


 「……ゆっくり寝ろよ」


 「おやすみ知佳。良い夢をな」


  パチンと電気が消され、闇の中廊下からの明りに照らされた姉の横顔を最後に見送ると、知佳は
 掛け布団をずり上げながら心の中でこう祈ったのだった。






  今夜はおねーちゃんおにーちゃん、二人の夢が見られますように。






                                       了









  後書き:知佳には真雪という親代わりが居るわけですが、男の影というか、
      耕介が来るまで男親と呼べる存在が居ないんじゃないかなぁと思いまして。

      あんまり内容に関係はありませんが、一応リスティSS『イケナイコトカイ』と、
      セットで書いたSSですね。よろしかったらそちらも読んでもらえると嬉しいです〜。





  04/02/18――初投稿。
  04/12/20――加筆修正。

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