SS index




  〜結婚しようよ〜
  (Main:真雪 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






 「でね、急にヨモギの香りがブワッてあがってきたの」


  五月、まさに若葉萌える季節。その日同じく若葉である知佳は学校帰りで、制服姿のまますぐに
 キッチンへと寄ると立ったままテーブルに肘をついて。


 「ほーヨモギねぇ。河川敷の方でも歩いて来たのか?」


 「ううん、道端の、コンクリートの塀の隙間から壁に沿って生えてた」


  台所に立つ兄耕介の背中に話し掛けながら、腰ぐらいの高さまで茂ってたよ、とテーブルと同じ
 高さ辺りに手をかざしていた。


 「あいつらって結構たくましいんだな……」


  まぁアレも雑草みたいなもんか、と耕介は紅茶の缶を手に軽く宙を見上げて呟く。


 「はー、どーすっかねー」


 「あ、お姉ちゃん」


 「おや真雪。どったのよ」


  そんな時、盛大なため息をつきながらダイニングへと入って来たのは、先程までリビングの方で
 電話をしていた真雪だった。


 「電話って、お仕事の? 何か言われたの?」


 「……最近マンネリだって言われた」


 「あやや」


  それを聞いて姉の為に椅子を引いていた知佳は、大変と手を口に当てて目を見開く。


 「え? マリネラ?」


 「……どこの国だよ」


  耕介のボケに突っ込むのも面倒とばかりに、気だるそうに椅子にどっかりと座りこむ真雪。


 「しかし、マンネリねぇ」


 「お前のせーだ」


 「俺っすか?!」


  他人事の様にそう呟いた耕介だったが、その矢先真雪から原因と名指しされて驚きの表情と共に
 自分の顔を指差した。


 「お兄ちゃんが来てから生活、安定しちゃってるから」


  自分もちょこんと真雪の隣に座り込んだ知佳は、そう言ってチラと姉の方に目を向ける。


 「ますますたるんじゃってるもんね」


 「え?」


 「視線を下げるな」


 「ふげッ!」


  思わず視線を下げ真雪の胸から腹辺りを見た耕介の顔面に、すぐさまゴッ、と裏拳が飛んできた。


 「大体お前、世話焼きすぎなんだよなぁ」


 「あつつ……焼かなきゃ焼かないで、また怒るくせに」


 「なんか言ったか?」


 「いえ、何も」


  耕介は俯いて痛むアゴをさすりつつ、これ以上殴られては堪らんと慌てて首を横に振る。


 「とにかく。このままじゃマンネリが板についたカマボコになってしまう」


  何とかせねば、と言いながら真雪がコブシでダンッとテーブルを叩いたのを待って、耕介はその
 目の前にカタンとホットミルクを差し出した。


 「とりあえず、気分転換でもすれば良いんじゃない?」


 「気分転換、ねぇ……っち」


  いまいち気の無い返事と共にギシッと背を反ると、真雪は熱く温められたミルクを一口すする。


 「たとえば……髪を切る、とかぁ」


 「そんなお前、失恋した小娘じゃあるまいし」


  んーとアゴに指を当ててされた妹の可愛らしい提案に、苦笑して返す真雪。


 「そうか、じゃあ失恋してみるっていう手もあ――オゴッ?!」


 「なんか言ったか?」


 「……い、いえ、な何も」


 「あ、あはははは……」


  容赦無い真雪のリバーブロウが耕介のどてっ腹に突き刺さると、のほほんとふざけた事をぬかし
 おって、とばかりに恋人を睨みつけた。


 「第一これ以上短くしたら、ちんちくりんになっちまうよ」


 「き、切るだけじゃなくって、逆もあるじゃない?」


 「逆? あー伸ばせってか」


  床でコオロギの如くうずくまる耕介を余所に、無意識に自分の耳にかかる程度の髪に手を伸ばす。


 「髪なんざ伸ばした所でなぁ」


 「でも、気分転換にはなるんじゃないかな」


 「む〜」


  ちょっと時間かかるけど、と同じく自分の髪を手に取って持ち上げる知佳に、真雪は眉をしかめ
 ながらクルクルと髪をいじくっていた。




                     〜◆〜




 「知佳」


 「はい?」


 「髪が長いメリットデメリットを述べよ。10点」


 「え? はいえーと長いと……洗うのは面倒だけど、色んな髪型が楽しめるよ」


  真雪の問いに知佳は突然指された生徒のように、思わずガタタッと立ちあがってそう答えた。


 「ただずっと分け目を同じにしてると、そこに日焼けの線が出来ちゃうけど」


 「日焼けって、頭皮に?」


 「う、うん」


  ようやく復活してきた耕介が、そう聞きながら脇腹を押さえ這うよう椅子に座るのを心配そうに
 眺めつつ、合わせて知佳も座り直す。


 「って長いと色んな髪型が楽しめるんじゃなかったのかよ」


 「う。そ、それは……ねえ?」


  真雪の鋭いツッコミに、普段あまり髪型を変える事の無い知佳はううっと言葉に詰る。


 「やっぱり日常使う髪形っていうのがあるわけで」


  そこはそれ、と触角を指でピコピコといじりながら誤魔化し笑いを浮べていた。


 「髪が短いと……風呂で二度頭を洗う事がある」


 「え?」


 「ボーっと風呂入ってっとな。頭洗ったかどうかわかんなくなって、念のため洗っとくとやっぱり
 洗ってたって事がしばしば」


  手櫛で髪を後ろにやりつつ、二度目は手触りが違うんだよな、ともうぬるくなってきたミルクを
 ズズッと飲み干す真雪。


 「そ、それはお姉ちゃんだけじゃ――」


 「ああ、俺もそれある」


 「?!」


  姉のずぼらのせいだろうとやんわりと突っ込もうとしたその時、対面からの耕介の言葉に知佳は
 思わず振り返って兄の顔を仰ぎ見る。


 「風呂入った時の動作が、一連の流れになってると、ね」


  知佳の驚いた顔にパチッとウィンクすると、耕介はそう言って肩をすくめて見せて。


 「疲れてる時とか、無意識にやってる所があるから。ふと我に返ると、わかんなくなっちゃう事が
 あるんだよ」


 「あ、それならちょっと分かる、かな?」


  耕介の説明に真雪は無言で首を縦に振って同意し、知佳は曖昧に小首を傾げていた。


 「お風呂の洗い順って、大抵決まってたりするよね」


  私はまず座って左足かな、とこしこしと手で擦る仕草をする知佳。


 「あたしはまず左腕から洗うな」


 「俺も左足」


  真雪は手を頭の後ろで組んで、耕介は小さく手を上げて。どうでもいい事を言い合う、どうでも
 いい時間。


 「髪も長いと面倒だって思う人多いけど、ここまでだとそうでもないよ」


  そんな家族の空気に自然と頬を緩ませながら、知佳はひょいと自分の髪の結び目を持ち上げた。


 「洗うのはともかく、セミやショートだと小マメに美容院行かないとすぐみっともなくなっちゃう
 けど。こんなロングだと端切りそろえるだけでいいしね」


  その髪の先をふりふり、私もあんまり行かないし、と小さく笑う。


 「だからやってみればそんなに、面倒だけってでもないよー」


 「……あたしも別に、長いのが嫌いってわけじゃないさ」


 「あ、そうなんだ」


  あんまり自分が面倒を嫌っているかのような言い様が気に障ったのか、空になったマグを片手で
 もてあそびながら、真雪ちょっと不機嫌な声で反論する。


 「ただ職業柄、ある程度のびきっちまえばいいんだけど」


  そうなりゃまとめりゃいいからな、とキュッと自分の髪をひと房掴んで。


 「中途にのびると、目や顔にかかって鬱陶しいんだよなぁ」


 「あーなるほど」


  真雪がぱっと手を開くと、短いながらも指に絡んだ黒髪がはらりとほどけて収まった。


 「じゃあいっその事、漫画の方をやめてしまえばそれで気分転換にならぷげッ?!」


 「……あたしは真面目に悩んどるんだっつーの」


 「あは、あはははは……」


  コークスクリューブロウがテンプルにヒットし、完全にKOされて床に転がる耕介の躯を見て、
 知佳の脳裏には『雉も鳴かずば撃たれまい』という言葉が浮かんでいた。






                     〜◆〜






 「や、おこんばんは」


 「……ちかんだへんしつしゃだ」


  その夜。一人ベランダにたたずんでいた真雪は、突然後ろから軽く抱きつかれたが、冷めた口調
 でそう言うと肩越しに犯人を睨みつける。


 「外からベランダに居るのが見えたから、さ」


  だからと耕介はすぐにパッと真雪の体を離すと、隣で背中からベランダの欄干にもたれかかり。


 「小さく声かけたんだけど、聞こえなかったみたい」


 「んー……まあそうか」


  一応夜なんで、と立てた指を口に当ててボリュームの言い訳をするが、真雪はどこか心ここにあ
 らずといった風に遠い闇を見詰めていた。


 「と言うか俺としては、そんなカッコしてる人に言われたかないんだけど」


 「いーじゃん。パンツはいてりゃ、とりあえず捕まんないって」


  その夜は風が無く寒くないせいか、真雪は下着にYシャツのみという扇情的な格好で。


 「てか、トランクス?」


  ほりほりと裾をつまんで上げたその下は、ショーツではなく耕介にとって普段見慣れた、四角い
 トランクスだった。


 「あたしゃ最近よくトランクスはいてるぞ」


  慣れると楽なんだよなぁ、と真雪はゴムの部分を軽く持ち上げる。


 「ちょっと深くはくと、真ん中の縫い目が割れ目にささる感じがするが」


 「ってそれよく見たら俺のじゃん」


  耕介は見慣れていたのは形だけではなく、その青いトランクスそのものだった事に気付く。


 「いいけどさ……ちゃんと女性用トランクスとかってあるんだし」


  呆れた様に顔に手をやって空を仰ぎ見ると、せめてそれ穿こうよ、とだけ呟く。


 「あはは♪ まぁスケベェする時には、ちゃーんとまたエグいのはいてやるってば」


 「……嬉しいんだかなんだか、複雑」


  安心しろって、とバンバンと背を叩く真雪に、耕介はそれ以上何も言えなかった。


 「お疲れ」


 「ん? あ、ありがと」


  真雪が持っていたウィスキーのグラスを手渡すと、今までその存在に気付いていなかった耕介は
 ちょっと驚きながら受けとって。


 「先生の方はどうです? マンネリ対策は、何か出来ましたか?」


 「……さぁてね。ん」


  一口つけながら耕介は空いた左手で、さくさくと真雪の後ろ髪を梳いていく。


 「僕の髪が 肩までのびて……♪ なんてな」


  目を細めて大人しく指で流されながら。真雪は有名な歌の一小節を口にする。


 「ホントに髪、伸ばそっかな」


 「でも俺の髪は短くって、今もう同じようなもんだから」


  スッと真雪の頭から手をひくと、自分の肩にかざして。


 「だから、結婚する?」


 「ん……」


  耕介は正面から真雪の顔を覗き込み、そう言ってにぱっと微笑んだ。


 「んで伸びそろってきた頃に、子供が出来て。栄養吸い取られてボサボサになっちゃうからって、
 結局それ切る羽目になるわけだ」


 「あはは。最悪」


  思わず真雪も声を上げて笑う。だがすぐに真顔に戻り、フイと視線をそらすと欄干に肘をついて
 アゴを支えながら呟いた。


 「……あたしは、子供は作らないよ」


 「そっか」


 「あんたは、それでもいいの?」


 「ウン。今は、ね」


 「いま?」


  うんいま、とのほほんと笑顔のままのたまう耕介に、あからさまに不信の視線を投げかける。


 「今は考えてないけど、将来子供が欲しくなったら……そんときは真雪に言うから」


 「……それって有り体に言えば、問題先送りにしてるだけってこと?」


 「はは、そうとも言うね」


 「ったく、無っ責任な」


 「ははははは♪」


  あくまでのんきに笑う耕介に苦笑いして、その手からグラスをひったくると、真雪は少し乱暴に
 反転してドサッと欄干に背もたせかける。


 「……あのさ真雪。自分の好みや考えが変わった時とか、なかなか他人に言い辛くない?」


 「うん?」


  そうしてグラスに口をつける真雪の隣で、同じく欄干にもたれ夜空を見上げていた耕介が、おも
 むろに口を開いた。


 「んー前好きだった食べ物が好きじゃなくなったり、逆に苦手な物がそうじゃなくなったり」


  耕介本人もどう言ったものか、と迷いながらといった風に手を無意味に前で動かし、話し始める。


 「自分の考えが以前とは変わったりした時、なんか人には素直にそう、言い難いじゃない?」


 「あー、なんとなく、分かるよ」


  気にせずさらっと言う人もいるけどね、と真雪もちょっと苦笑して。


 「親とかさー、お前これ好きだっただろうって、食べモンとかくれる事ってあったよね」


 「ああ、あるある」


  それもすっごい昔の事ずっと憶えててな、と右手を上げると、持っていたグラスの中でほとんど
 溶けて小さくなった氷がチランと音をたてる。


 「いやむしろ、昔の事しか憶えてなかったりして」


 「うんうん」


  いつしか自然にまた、二人の間に軽いやり取りが戻りだす。


 「例えばそれが好きじゃなくなった、としても、断るのが悪いなーって思うのもあるし」


  一見大雑把な二人だが、実は人一倍他人の気持ちを気遣う同士。


 「多分、お前以前○○だって言ってたじゃないか! とか思われたくない、言われたくないって
 いうのもあるんだろうな」


 「なんか、自分がウソついてたような気持ちになるんだよねぇ」


  同じ思いがあるのか、そうそう、となんとなく互いの言わんとする事を理解しあっていた。


 「……でもさ、俺真雪になら、素直に言えそうな気がするんだ」


  もう一度欄干に背を預け、ホッと天を仰いでため息のようにそう漏らす耕介。


 「あ、もちろんそれは別に、真雪にならウソついてもいいとか、そういう事じゃないよ」


 「わかってるよ」


  がすぐに身を起こし、身振り手振り、忙しく話しかける耕介に真雪も頷いて返して。


 「なぜだか真雪にはさ、理屈じゃなく、素直になりたい」


 「そ、れは……あたしもさ」


 「うん。俺も子供が欲しくなったら言う。だから真雪にも、気持ちが変わったら言って欲しいんだ」


  片肘を欄干にかけたまま、恋人を正面に見て話し続ける耕介に対し。


 「もちろん、それでその時どうなるかはわかんないよ?」


  真雪はそっぽを向いたまま、時折チラと耕介を見て、またグラスに口をつけるのを繰り返す。


 「子供を作る事になるのか、結局作らないのか。それはわからない」


 「…………」


 「でも真雪とならきっと話し合えるって、期待してるからさ」


  もちろん話はしっかりと聞いているのだが、嬉しさや、気恥ずかしさや、その他もろもろの感情
 が胸の中で渦巻きあまり頭が働かず。


 「そんな人だからこそ、俺は真雪とホントに、結婚したいなあって思う」


 「ん……」


  暗いベランダの床を見詰め、真雪は耕介の言葉を反すうしながら暫し考え込んでいた。






                     〜◆〜






 「で、どうする?」


 「んあ?」


  会話が途切れ、シンとした闇の中暫く沈黙に浸っていた真雪だったが、突然問いかけられ顔を上
 げると、つい間抜けな声を出してしまう。


 「マンネリ対策になるかもしれないし、結婚する?」


 「……あー」


  目の前でニコニコと無責任な笑顔を浮かべる耕介をひと睨みすると、しかしすぐ小さく笑って、
 真雪は軽く髪を掻き上げながらこう言った。






 「あたしの髪が、肩まで伸びたらね」






                                       了









  後書き:「今はいい」
      一見ウソをついていない、態度に見えますが実は先送りにしているだけです。
      ウソでもいいんで(!)決める事はきっちり決めときましょう。
      でないと後で揉めます(w





  03/07/07――初投稿。
  04/12/04――加筆修正。

Mail :よければ感想などお送り下さい。
takemakuran@hotmail.com
SS index