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  〜STARRY STARRY NIGHT〜
  (Main:真雪 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






  カラカラカラ……。


  灯りも点けられぬまま開かれたガラス戸の軽薄な音が、極力控えめであった事が、今この時間が
 如何に深夜であるかを示していた。


  隙間からスイッと、廊下からベランダへ闇から闇へと一つの影が移動する。仄かに明るい星空に
 照らし出されたその影の正体は、半纏を着込んださざなみ寮最古参の一人、仁村真雪であった。


 「……はーっ」


  手すりへともたれかかった真雪は、そこで今まで殺していた息を無意識に一つつく。時刻は既に
 丑三つ時を回っており、彼女以外の住人が起きている可能性は殆ど無い時間であった。


  真雪は何気に辺りをグルリと見回す。


  暗い。


  月も出ていない真夜中のベランダ。さざなみ寮は山の中にある事もあり、辺りには灯りも少なく
 ほぼ真っ暗な空間がどこまでも広がっていた。幾つかの星の煌めきを除いて。


  静寂が支配する一面ベタ塗りの世界の中で、真雪はこの世でたった一人きりになってしまったか
 のような錯覚を覚える。しかし真雪はこの感覚が嫌いではなかった。


  天高く、どこまでも続くかに思われる闇への開放感……同時にその闇に押しつぶされそうになる
 重圧感に身を浸しながら、一人孤独な夜を堪能する。


 「さみーなー、おい」


  呟きと共に吐き出された白い息の代わりに、透明な空気が肺胞に満たされる。その冷たさがまだ
 心地好い。真雪の体がまだ温かいのと同時に、僅かだが寒さが和らいできているのだ。


  季節は冬の終わりが見え始める頃。変わり目のシーズン。春の目覚を待つ、始まりのシーズン。


  そしてそれは真雪の心に複雑な、様々な感情を抱かせるものであった。


  さざなみ寮は基本学生寮。卒業、就職、入学など毎年面子の入れ替わりも早い。一応大学に籍を
 置いていた身とはいえ、部屋買取の真雪の存在はイレギュラーであると言えた。


  あたしの周りは、いつも時間の流れが早いから。


  長年様々な出会いと別れを繰り返してきている真雪にとって、それは頭では理解しているつもり
 であった事実。しかしそれでもこの時期、彼女は寂寥感を禁じえない。


  住人達の新たな門出、それは祝うべき事なのに。変わらない、変わらないと思える自分だけが、
 一人皆に取り残されていくような気がする。


  それが真雪の表だって出ることの無い、偽らざる気持ちだった。


 「んー……」


  真雪は見上げた首が痛くなる前にゴロンと体を反転させ、背中から柵にもたれかかった。ぐーっ
 と海老反りに仰け反り、頭が大きく外に突き出される。


  落ちると危ないぞ。


  落ちると危ないよ。


  そういえばいつか、同じようなシチュエーションで妹とその義兄に同じ事を言われたなぁと思い
 出し苦笑した。


  知佳はあたしと耕介が、耕介は知佳とあたしが似ていると言うが、あたしに言わせりゃあいつら
 そっくりだ。


 「はは……ハァ」


  そんな思い出に暫し胸を暖めていた真雪だったが、しかしすぐに表情が翳り、やがて笑みも自嘲
 へと変わってしまう。


  ずっと俯き加減な真雪の心。切欠はその日、夕飯時に愛と交わした会話にあった。


 「新築の病院?」


 「はいー」


  季節柄、自然と話題は卒業やら将来についての話になる。進路だの新しい寮生だのと盛り上がる
 そんな中、獣医師の卵である愛がいずれ他所に動物病院を建てるかもしれないと言い出した。


  その事は真雪にも容易に想像できたし、さほど気にも留めなかった。しかし続けて愛はそうした
 らそこに泊り込む事になる、いっそ住んでしまった方がいいかもしれないなどと語ったのだ。


 「はー、とうとう家主まで出て行く羽目になんのか。その内あたし以外だーれも居なくなっちまう
 んじゃね?」


 「あは、あはは」


 「……真雪、俺の存在忘れてない?」


 「住人が居なくなったらお前の存在も無意味だろ」


 「ぐはっ!」


  その時は笑い飛ばした真雪だったが、何故か後にとてつもなく不安な気持ちに襲われていた。


  今まで何人もの寮生に別れを告げ、割り切っているつもりだった。しかしあの、愛だけは、どこ
 かずっとこの寮に居るような錯覚に捕らわれていた。


  真雪にとって愛は、無意識に特別な存在になってしまっていたのだ。


  永遠にそこに居ると思われた神奈は既に寮を去り、愛までもが姿を消そうとしている。その事実
 は他の者達への気持ちをも侵食していく。


  皆、本当にいつかはあたしの下を去って行ってしまうのではないか。愛も、妹も、傍に居ると言
 ってくれたあの男も……。


  時間という寄せる波に、足元の砂が全て持ち去られていく気分だった。


  更に真雪は考える。妹はやがて同じように自分の下から巣立っていく、それは確実なる事なのだ。
 今はそれを分かった気でいるが、果たしてそれが現実となった時、自分は耐えられるのだろうか?


  あーっ、もう!


  そこまで考えて真雪はアーっと叫んで、イーっとなって頭を掻き毟りたくなる衝動に駆られた。
 妹と別れることも、その事実を受け入れがたいそんな女々しい自分自身も嫌だった。


  ほんと、時間の流れは早ええなぁ。


  叫ぶ代わりにまた一つ溜め息をつきながら、真雪は改めてそう思う。


  普段なら、ここまでネガティブに考える事はなかったかもしれない。ただでさえナーバスになり
 がちなこの季節に、愛との別れというダブルパンチが真雪の足元をふらつかせているのだ。


  と同時に、真雪は少し腹立たしい気持ちにすらなっていた。大体知佳を連れて愛と出逢ったのが
 つい先日の事のように思われる。だのに何故もう別れについて考えなければならないのか。


  寮生達は早い者は僅か三年足らずで寮を出て行く事となる。それは長い人生においていかにも短
 すぎる時間でありしかしそんな短い期間でも関わってしまったからにはやっぱり別れは淋しいんだ
 バーロー、と。


  そんな怒りや焦燥感、そして寂寥感で心が一杯になってしまった時。真雪はいつもある物を見に
 こうやって深夜のベランダへと足を運ぶのだった。


  あ、みーつけたっと。


  見上げた視線、指先がそれを捕らえる。


  山の端、もう暫くもしたら薄く青味を増していくだろう低い夜空の向こうには、見慣れた柄杓型
 した七つの星、北斗七星が浮かんでいた。


  いくら春の始まりといっても、本来その存在はまだ早すぎた。普通の人にとってはまだ夜空に冬
 の星座であるオリオンを認めている時期である。しかし今真雪の頭上にはその脇にひっそりと輝く
 小さな星すら見えている。


  夜が深まれば見られる星座も深まる。当たり前の事だ。しかし寮で唯一深夜が主な活動時間であ
 る真雪にとって、この今目の前に姿を晒す煌びやかな星座らこそが、自分の季節の星座と言えるの
 ではないか?


  冬には春の、春には夏の、夏には秋の、秋には冬の星空を一人だけ先取りしている。


  今この時だけは、皆を半歩後ろに見ている……普段とは反対に、あたしが季節の先行者なのだ。


  そう思うと真雪はほんの少しだけ、溜飲が下がる気持ちがした。






                     〜◆〜






 「……やあ、月夜に踊りたくなった?」


 「?!」


  ボーっと星空を眺め続けて居た所に突然脇から声をかけられ、真雪はビクンと文字通り小さく飛
 び上がった。


 「なーんつって、今日は月なんか出てないみたいだけど」


 「……なんで居るんだよ」


 「なんでとはまたご挨拶だなぁ」


  不貞腐れたような真雪の言い様に、耕介は苦笑する。まるでそこに居るのが当たり前だといった
 顔で。


 「たまたま……というかぶっちゃけ便所。チッコっすよチッコ。そんでついでにちょーっと真雪の
 様子でも、と思ったらさ。部屋にも居ないでこんな所で一人黄昏てるし」


 「そっ――」


  黄昏てなどいない、と反論しようとしたが出来なかった。


  自分の心の中まで盗み見られてしまったような気がして、真雪は気恥ずかしさに二の句が継げな
 いでいた。


  確かに今のあたしは黄昏ていたかもしれない。


  真雪は知らない。耕介が本当は、真雪の気落ちした様子を察して今ここに立っている事を。


  いや実際は真雪も耕介の行動を訝しんではいた。が、まさかそこまではといった気持ちが先に立
 ち、結果耕介の言葉を信じざるを得なかったのだ。


 「で、なにしてたの真雪? 素面のまま外に居るには、まだ寒い季節だと思うけど」


 「あ? ああ、んー」


  耕介の言葉にハッと我に返る。確かに普段よく持ち歩く酒も煙草もこの時は持っていなかった。


  真雪は少し考えた後、無言のままスッと視線だけを空に投げ上げた。


 「ん?」


 「星をね、見てたんだよ。ただそんだけ」


 「へぇ。星を、ねぇ」


  真雪が原稿の合間になど、こうして一人気分転換をするのは珍しい事ではなかった。が勿論耕介
 もこんな時間に星だけを見に来たなどと言うのを信じた訳ではない。だが今はあえてそれ以上無理
 に聞き出そうとは思わなかった。


 「んーなんか知らない星座ばっかりだなあ。オリオンとかはもう見えないの?」


 「多分ね。どっかあっちの、西の方にまだ見えるかも」


 「こうして時間が変わると、星座もずいぶん変わってくるものなんだね」


  その代わり少しでも真雪の気持ちが分かればと、自分も同じようにして寒空を見上げてみる。


  耕介は目を細めざっと見渡してみるが、薄ぼんやりとした見慣れない星座しか見当たらなかった。


 「ま、こういうあんたの知らない時間にも季節は動いてるってこと。あんたを置いて、さ」


 「……まぁ、そうだろうけどさ」


  その時横から浴びせられた真雪の皮肉めいた語り口に、耕介は少々ムッとした表情を作る。その
 反応の素直さに今度は真雪が思わず苦笑してしまった。


 「フフ、腐んなよ……あたしの周りは、さ。いつも時間の流れが早いからね」


 「え?」


 「いーっつも置いてかれる方なんだ。せめて星座ぐらいは、こうやって先に見たって罰当たんない
 だろ?」


 「…………」


 「これぐらいは、ね」


  真雪はもう耕介の方を見てはいない。星空も。柵に肘をつき、俯き加減に視線をさまよわせる。
 それはあたかも真雪の心の迷いを表しているようだった。


  知られたくない。でも言ってしまいたい、この男にならば。そんな感情のせめぎ合いが、結果と
 して曖昧なひとりごちに終わってしまう。


  その事を悪いなと思いながらも、こいつならば理解してくれるのではないか。そんな期待を同時
 に抱いている自分自身に真雪は気付いてはいなかった。


 「まーゆきっ」


 「わっと」


  突如、巨大な羽織が真雪の体を包み込んだ。すぐに後ろから抱きつかれたのだと真雪が分かった
 のは、もうこんな風に何度も耕介の胸に抱かれていたから。


  腕の高さ、太さ、背中の温もり。近づいて震えるように聞こえる声。感じる体が覚えている。


 「あんだよいきなり」


 「欲情しますた」


 「離せ」


  真雪が肘鉄砲を使う前に、それは冗談として、と言ってすぐに耕介は締め付けを緩めた。抱える
 ように真雪のお腹の前で組まれた腕が、二人の体を繋いでいた。


 「知ってる? 星座って動いてるんだって」


 「はあ?」


  そりゃ動いてるだろ、と真雪が苛立ち気味に言い捨てるが、そうじゃなくてと耕介が拾い返す。
 同時に柔らかな唇の感触が真雪の耳元を掠めた。


  ピクッ。


  真雪の動きが止まる。しまったと思った。


  主導権を奪われがちなこの体勢を許した事を、真雪は毎度後悔していた。


 「見える星座が変わるんじゃなくって、俺も詳しくは知らないけど星も移動してるらしいじゃん。
 そのせいで何万年、何十万年も経つと星座の形そのものが変わっちゃうらしいよ」


 「ふーん」


 「いつかあのひしゃくの向きが反対になってしまう、なんて聞いた事がある」


 「へぇへぇ、14へえ〜」


  個人でならばそこそこ高い、総合ならば低い微妙な点数にどっちなんだろうと心の中で首を傾げ
 る耕介。


  そのおかげで短い沈黙が流れたが、真雪にあごで促され耕介は話を続けた。


 「だから厳密に言えば今も、毎年同じ季節に同じ星座が顔を出すけど、それはまったく同じ物じゃ
 ないんだ。もっと言えば明日また見える星座だって同じ物じゃないんだよね」


 「……そりゃあ、そうだろう」


 「毎年必ず逢える。でも変わらないものなんかないんだ。それは何かきっと、とても大切な事なん
 だと俺は思う」


 「…………」


  だんだんと耕介の言いたい事が分かってきた。


 「変わっていくよ。知佳も、真雪も、それから俺だって少しずつ。でも毎年必ず顔を合わせよう」


 「……ん」


  慰めが嬉しいような、少し悔しいような。真雪は小さく頷く事しか出来なかった。


  それから、と耕介は再びギュッとその両腕に力を込め、


 「俺は一生、真雪のそばに居るよ」


 「あっ」


  そう、耳元で囁いた。


 「俺が傍に居たいから。真雪のことが、大好きだから……」


  その時二人の傍を一陣の風がサーッとすり抜けていった。ブルッ、と真雪の体が震える。先ほど
 まで平気だった筈の寒さが酷く堪える。


  でもそれ以上に、今は背中が温かい。


  胸にわだかまっていた不安が、まるで風に吹き払われる霧のように消えていく。


 「ずうっと、そばに居る」


 「……う、ん」


  強く、強く痛いぐらいに耕介が抱きついてくる。擦り付けるように顔を、腕を腰を寄せてくる。


  頬に当たる剃り跡が気持ちいい。無精髭までいくと痛いんだけれど。


  一度ネッキングが止まると、真雪はもっと、とねだるように無言で頬擦りし返した。耕介もそれ
 に応え更に何度も押し付ける。ギュウッと抱く腕にも一層力が込められた。


  ああ、この男はどうしてあたしがして欲しいことがすぐにわかるのだろう。


  抱きしめて欲しかった。ずっとそばに居ると、言葉にして伝えて欲しかった。そうする事でこの
 胸の不安を消して欲しかった。


  以前ならこんな事で機嫌を直してしまう自分が悔しかっただろう。一生一緒に居るなんて出来る
 筈が無い、絶対に嘘になると理屈をこねて反発したかもしれない。


  でも今は、そう思うよりまず心が温かい。嬉しい……。


 「真雪、こんなに冷たくなっちゃって……」


 「あ……んん」


  と、耕介の真雪を呼ぶ声のトーンが変わった。


  求められている。真雪は経験からそう悟る。


  されるがままに振り向かされ、改めて耕介の顔を間近に見た真雪は少し顔を赤くする。気が付い
 たら唇を重ねられていた。


 「んふ、んっ! あっ、んあ」


  初めは深く。やがて耕介の舌先が唇をなぞるように舐めると、真雪の体がビクリと震える。


 「あ、や、口の周り、そんなに舐めないで……」


  なおも口元を汚し続ける耕介を真雪がやたら弱々しく手で押し返す。その華奢な仕草が珍しくて、
 耕介は一旦動きを止めた。


 「え、何で?」


 「だって……その、荒れてるから」


  可愛らしく突き出された真雪の唇、その周りを間近でしげしげと眺めると、確かに僅かに白く粉
 を吹いている。


 「あれホントだ、ちょっとカサついてるね」


  胃が悪いのかな? と耕介の指が口周りをあれこれと撫で回す。されるがままの真雪。なんだか
 医者にでもかかっている気分だった。


 「舐めると余計にガサガサになるっていうよね。あれって他人が舐めてもそうなのかな?」


 「知らん」


  一方何が嬉しいのか、耕介がニコニコと笑顔のまま尋ねるが真雪に答えられるはずも無い。


  結局唇の代わりに指で散々に弄られてから、真雪はようやく開放された。


 「さて、そろそろ中に入ろっか。風は無いけど、流石にこれ以上居ると風邪ひいちゃうよ」


 「ん。そだな」


  真雪も流石に足元からの冷えに耐えがたくなってきていた。


  ふと見ると耕介は防寒対策をしていない。体の凍えはここに長く居る自分とどっこいどっこいだ
 ろう。


  そう思った真雪は素直に耕介の提案に従う事にした。


 「そんでさ、口の周り洗いに行くなら、ついでに一緒にお風呂でも入って温まっちゃおっか♪」


 「……バーカ」


  尚もじゃあこのままくっついてよっかな、などと纏わりついてくる耕介の胸に、今度こそ真雪の
 肘鉄が突き刺さる。


 「ホント、馬鹿だねぇあんたは」


  だがその後、二人の体が離れる事は無かった。






                                       了









  後書き:あんまり久しぶりなんでなんかもう、SSの書き方忘れちゃってたよ……
      今回、ちーと真雪が弱すぎるかもしれません。違和感感じたら申し訳ない。
      弱い真雪は、私の弱い気持ちなのよね。

      柄杓が反転しちゃう、というのは子供の頃図鑑か何かで読んだ覚えが。
      かなり昔の記憶なんでひょっとしたら間違ってるかも。





  06/04/03――UP。

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takemakuran@hotmail.com
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