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  〜スーパーヒーロー〜
  (Main:ゆうひ Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






  私の好きな人は、スーパーヒーローです。






 「ただいまー」


 「ただいまやでー」


  その日ゆうひが知佳と共に寮へと帰宅すると、管理人である耕介はいつものようにダイニングで、
 鼻歌混じりに二人を迎え入れてくれた。


 「三色イーペーコー世界をまたに勝負して〜♪ ……お、お帰り知佳、ゆうひ。なんだ今日は二人
 一緒か」


 「うん。って言っても丁度表で会っただけだけどね」


  すぐそこで、と知佳は玄関の方を指差す。


 「あー今日はなんかお腹減っちゃったなぁ」


 「あ、うちもうちも」


  小腹が空いたといった所か。そう言ってゆうひと知佳は揃ってクルクルとお腹をさすり出す。


 「おーおー若い娘さん達が。よろしい、じゃあちょっとまってな」


  そんな二人の様子を見て耕介は軽く腕まくりして、キッチンへと姿を消したかと思うと、ほんの
 五分ほどで戻ってきた。


 「おまたせ。さてお嬢さん方、こんなのはどうかな?」


 「あ、ピザトーストだー♪」


  テーブルについた知佳達の前に笑顔で現れた耕介の手には二枚のお皿が。


  皿にはまだぷすぷすと蒸気を上げるとろけたチーズの上に、散らされた薄切りピーマンの緑色が
 鮮やかなピザトーストが乗せられていた。


 「ああ。たまにはいいだろ?」


 「おいしそー」


 「うん、おいしーよー♪」


 「はやっ!」


  言うが早いか早々につまんでいる知佳を見て、ゆうひも突っ込んでる場合じゃないと慌ててピザ
 トーストの一片に齧り付いた。


 「うん、美味し♪ でもちょっとパンの一部がしなっとなっとるね」


 「ソースにこないだのミートソースの余り使ったからかな? それでちょと水分が多かったかも」


  失敗失敗と頭を掻きながら自分も椅子に腰掛ける耕介。と、知佳がそう言えばと何気に兄に話し
 掛けた。


 「ねえお兄ちゃん、いま他に誰かいるの?」


 「真雪さんだけ」


  耕介が親指を立て天井の方を指差すと、知佳はんーと指を顎にあて可愛らしく小首を傾げて。


 「お姉ちゃんも食べるかなあ?」


 「どうだろ。ここの所徹夜続きで、朝飯食べたらまたバタンQだったし」


 「一応、聞いてくるね」


  そう言うと知佳はトントンと足取りも軽く、二階へと上がっていった。


 「あれー? ねぇお兄ちゃん、お姉ちゃん知らない?」


  しかしすぐまたキッチンへと戻って来る。


  お部屋に居なかったんだけど。そう言って首を傾げる知佳に、耕介は何かを思い出したのかポン
 と手を打ち鳴らし。


 「あーそういや悪い、真雪さんなら俺の部屋で寝てるよ」


 「?!」


 「えっ! な、なんで?!」


 「だって真雪さんそこのソファーで寝始めちゃって。部屋に運ぼうと思ったんだけど、真雪さんの
 ベッドあんまりぐちゃぐちゃでさぁ。しょうがないから俺のベッドに寝かせたってわけ」


  驚き、慌てふためくゆうひ達を尻目に、俺の布団は今朝干してあったしね、と耕介は事も無げに
 答える。


 「そ、そうだったんだ」


 「もう真雪さんの部屋も片してあるし、知佳、もし起きられるようなら真雪さんを自分の部屋まで
 連れてってくれないか?」


 「うん。ゴメンねお兄ちゃん」


 「いいっていいって。どうせいつもの事だし」


  ピラピラと手を振る耕介に申し訳なさそうに軽く頭を下げると、知佳は今度は耕介の部屋へと小
 走りで駆けて行った。


 「……耕介くん」


 「ん?」


 「まさか無防備なのをいい事に、真雪さんに変な事してへんやろね」


 「ブッ! なっ、するかボケ!」


 「ほんまぁ?」


  なおもうりうりと肘でいぢってくるゆうひに対し、耕介はフンと腕組み憮然とした表情で。


 「何があるってんだよ……あ〜でも真雪さん、俺のベッドに入ったとたん突然パッパと服脱ぎだし
 たんだよな」


 「や、やっぱり耕介くん……いやっ! 不潔変態けだもの突然マッチョマンっ!」


 「だからなんにもしてねえっつーの。何だよマッチョマンって一体」


 「あたっ」


  とうとうツッコミチョップがゆうひの頭に炸裂する。普段よりやや強めに、ちょっと痛かったそ
 れはネタにしてもやや不謹慎な事に対する相方としての教育的指導だったのかもしれない。


  だがゆうひにそうさせている理由に、耕介もまた気が付いていない。


 「確かにちょっと焦ったけどさ。多分、俺って男として見られてないんだろうなぁ」


 「そんだけ信頼されとるって事やって」


 「さて。なめられてるだけかも」


 「ダメ。駄目だった〜」


  耕介が肩をすくめていたその時、戻ってきた知佳もそれに合わせるかのように、そう言って肩を
 すくめた。


 「おねーちゃんぐっすり。叩こうが抓ろうが合掌捻ろうが全然起きなかったよ」


 「そっか。まぁいいさ」


  耕介が自然にスッと隣りの椅子を引くと、知佳はストンとそこに腰掛け直す。


 「よっぽど気持ちよかったんやろねえ」


 「干したての布団だからさ。二徹明けだし」


 「ふぅん……」


 「そう、かなぁ」


  そうだって。そう笑い飛ばした耕介の笑顔とは対照的に、知佳のちょっとだけ複雑な顔の理由が
 分かってしまって。


 「……こーすけくんのにぶちん」


  今も耕介の布団で眠る、真雪にゆうひは少しだけ、嫉妬していた。






                     〜◆〜






 「みーお」


 「…………」


 「みお、美緒ったら」


 「あん?」


 「いいかげんテレビ見るのやめて、風呂入って歯みがいて寝なさい」


 「んー、もうちょっと」


  耕介の再三の注意にも、美緒はテレビから目を離す事はない。


  この日の美緒は、夕食後からずっとリビングのテレビにかじりつきっぱなしで、見かねた耕介が
 掘り起こしにかかったのだ。


 「ほーら美緒、テーレビばっかり見ていると、いーまに尻尾が生えてくる。ぞ?」


 「もうとっくに生えてるのだ」


 「……それもそうか」


 「納得するんかいっ!」


  と、ここでようやく隣で聞いていたゆうひのツッコミが入る。しかし両者の掛け合いは止まる事
 無く続いていた。


 「まだ眠くない」


 「風呂入ってパジャマ着れば、条件反射で眠くなるさ」


 「あちしはパブロンの犬じゃないのだ」


 「猫だけどな。それにそれを言うならパブロフだ」


 「あはは。うまいうまい」


 「う〜」


  上手い具合に返されて悔しかったのか、美緒はいつしか完全にテレビから離れ体ごと耕介を振り
 向き、うーとうなり声を上げていた。


 「あちしをあんな子飼いの犬畜生とおんなじにするななのだ!」


 「畜生ってお前。その発言は自らの首をもしめてる気がするが……」


 「そんなバカな事言ってる間に、テレビが終わってしまったのだ」


  言われて皆が見ると、TV画面にはすでにエンドロールが流れていた。


 「ありゃ。悪かったよ」


 「だったら、こーすけも一緒にお風呂に入るのだ」


 「え? あー……まぁいいか」


  まだ自分は入るつもりは無かったが、まあお風呂に入ってくれるなら。とポリポリと頭を掻き、
 耕介はぶら下がってきた美緒を腕ごと持ち上げる。


 「いやっ! これは大変耕介くんったら変態ロリコン突然マッチョマン!」


 「それはもうええっちゅーの」


  ゆうひのツッコミも軽く受け流し、耕介はそのままリビングを去ろうとした。とその時。


 「ゆうひも一緒に入るのだー」


 「へ?」


 「い?」


  耕介の腕から生った黒い猫の実の発言に、密かにドキリとゆうひの胸が跳ね上がる。


 「あー……そうしよっかな♪」


 「む。夢を忘れた年頃の方はお断り」


 「うち、ごしゃい」


 「10年前に来い。行くぞ美緒」


 「おーう」


  ゆうひはなんとか平静を装いボケで返すが、結局耕介には軽くかわされてしまった。


 「……ふぅ」


  一人リビングに残されたゆうひは、複雑な表情で耕介達の出て行った入り口を見詰めていたが、
 やがてつけられたままのTVに気がつき、ため息と共にリモコンに手を伸ばしたのだった。


 「……こーすけくんのあほ」


  今もまだ胸を打つ、この動悸の何分の一かでも、あなたは感じてくれているのだろうか。






                     〜◆〜






 「おーいゆうひ、部屋の片付け終わったかー?」


 「う〜んこれがなかなか」


  その日ゆうひは部屋の片づけをしていた。はずだった。


  耕介が様子を見に訪ねると、そこにはとりあえず引っ張り出された物に占拠され、床面積が非常
 に少なくなった部屋の中心に座り込んだゆうひの姿があった。


 「ちゃっちゃと終わらせちまえよ。捨てるもん捨てるだけじゃん」


 「いや、難しいねんで? 例えば、ほら……」


 「んん?」


  手招きするゆうひの下までたどり着くのに耕介は点在する絨毯地を求めて、両手を広げて跳ねる
 よう進まねばならなかった。


  ようやく衣装箱等を縫って側に寄ると、ゆうひは手招きしていた右手をスイッと回し、脇に積ま
 れたガラクタ群を指差してこう言った。


 「壊れたスタンドは停電の時に使う、動かない扇風機は暑くない時に、穴の空いたグラスは何も飲
 みたくない時に……」


 「一生終らんわ」


 「ふぎゃっ!」


  苦労して、来た挙句に聞かされたのがこのボケでは、さしもの耕介もツッコミという名の制裁を
 加えざるをえない。


 「実はお前って結構溜め魔だよな。そういえば以前スタンプカードをえらく溜め込んでたし」


 「うう、せやねん……」


 「まぁ行き詰まってるってことだけは分かったわ」


  頭の痛みと部屋の惨状に涙目になっているゆうひにも、悪気があったわけではない。


  何が分からないのか分からない。と算数の問題に答える子供のように、何に手をつけたらよいの
 かさえ分からず、完全な手詰まり状態となっていたのだ。


 「降りて来い。一旦休憩して、今度は耕介大明神様が手伝っちゃるよ」


  終わったら出そうと思ってた、シュークリームがあるから。


  そう苦笑しながら誘う耕介の顔が、ゆうひには本当に神様のように輝いて見えていただろう。


  たちまちゆうひの顔もぱあっと輝きだし、まるでリードを持った主人を見つけた小犬の如く飛び
 上がった。


 「ほんま? きゃ〜耕介くん愛してるぅ♪」


 「この分じゃ出すのは夕飯より後になっちゃいそうだからな」


  想い人の優しさに嬉々として、耕介が必死に避けた品々を無造作に踏み潰しながら、その背中を
 追いかけるゆうひ。


  が部屋を出た直後、耕介から肩越しに投げ掛けられた何気無い一言に思わずその足が止まった。


 「ま、片付けは慣れてっから。実は他の人達からも、結構頼まれる事多いんだよね〜」


 「……さよか」


  でもその優しさは、私だけのものじゃない。


  分かってはいた事だし、嬉しいのは違いない。しかし不意にそう思うと、ゆうひは何故か自分の
 胸がキュウと締め付けられる思いがするのだった。


 「……こーすけくんのこうしょくいちだいおとこ」


 「ん? 何か言ったかゆうひ」


 「なーんも」






                     〜◆〜






  事件は耕介とゆうひがリビングにて一緒にビデオを見ていた時に起こった。


 『負けるなバスターソニック!』


 『いいぞディオスパーダ……抜けぇ!』


  バツン!


 「うわっ?!」


 「キャッ!」


 「ど、どうしたどうした、何が起こったんだ?」


 「なななななななにごとや?!」


  TVの中の短パン姿も眩しい少年達の姿と共に、突然周り全ての電気が消えてしまったのだ。


 「あ、耕介さん」


 「愛さん? いったいどうしたんです」


  何事かと廊下に飛び出し、辺りを見回すと廊下の先で尻餅をついている愛の姿が見え。二人は慌
 ててドタドタと駆け寄る。


 「はい、えーと、トイレの電球が切れてたんで、替えようとしたんですが……」


  これ、と愛は手に持った物を訝しげなゆうひ達の前に差し出した。


 「ネジがきつかったのか、球が回らずにこのガラスだけ割れて取れちゃったんです」


  それは電球の、丸いガラス部分だった。


 「そ、それで?」


 「金具の部分だけがソケットに残っちゃったんで、何とか外そうとこのペンチで枠をはさんだ瞬間、
 バチッ……って」


 「……まぢ?」


  青ざめる耕介とゆうひを余所に、愛はいつも通りマイペースにコクコクと頷いている。


 「スイッチが入ったままだったんですねー。ブレーカー、落ちちゃいました」


  そうさらりと言う愛だったが、冷静に考えるとかなり恐い行動に二人は二の句が継げない。


 「そ、それで体は大丈夫なんですか愛さんッ?!」


 「はいー。ペンチの握りの部分がゴム巻きだったからでしょうか、ちょっとビクッとしただけで、
 大丈夫でしたよ?」


 「ほんま? どっかおかしいトコない?」


 「はい」


  先に我に返った耕介がジロジロと見回す中、ゆうひも慌てて両手でハシハシと触れて、愛の体に
 異常が無いかチェックする。


 「はぁ。でもとりあえず愛さんは大事を取って、休んでいてください」


 「ハイー……って、あれ、あれれれれ?」


 「!」


  そう言うが早いか、耕介はひょいと愛の体を抱き上げた。


 「部屋……いやリビングのソファーがいいか」


 「わ、わ、わ」


  愛は相変わらずちっとも驚いてないような顔で、驚きながらリビングへと運ばれていく。ゆうひ
 もただ唖然として後をついて行くのみ。


 「ここで少し休んでいてください。俺は電球を替えてきますから、ブレーカーもまだ上げてないし」


 「ええ……ゴメンなさい耕介さん」


 「そんな事より何より、まず一番大事なのは愛さんの体ですよ。ちょっとでも調子が悪くなったら
 すぐ呼んで下さいね。病院に運びますから」


 「は、はい」


  そのままソファーに横たえると、耕介は愛の両肩を掴んでしっかりとその顔を見つめて、有無を
 言わせぬ強い口調でそう言い残し。


 「ゆうひ、愛さんを頼んだぞ」


 「うっしゃ、まかしとき」


  よし、と頷くとブレーカーを上げる為、耕介は勇ましい足音と共に玄関の方へと消えていった。


 「耕介、さん……」


  そうして耕介が出ていった先を、頬を高揚させた愛は潤んだ瞳で暫くの間見つめていて。


 「……こーすけくんのおんなごろしあぶらのじごく」


  そんな愛の顔が、ゆうひはちょっと、羨ましかった。






  あなたは誰でも助ける、スーパーヒーロー。




  誰のものでもない、みんなのヒーロー。




  わがまま。わかってる。




  でもおねがい、私だけを……






                     〜◆〜






 「ああ心に、愛がなければ……♪」


  小さく呟きのように歌い、脱力して突っ伏すと腕をついた端から鍵盤がプロポロぴんヴァイ〜ン、
 と愉快な音をたてる。


  今日はクリスマスイブ。しかし華やいだ世間の空気とは裏腹に、ゆうひは自室に一人篭りピアノ
 に向かっていた。


 「愛があるから、困ってるゆうねん……」


  先ほどからその頭の中身は、ある一人の男性の事ばかり。


  確かに耕介はゆうひの事を気遣ってくれている。大きく言えば愛してくれていると言ってもいい
 だろう。


  でもそれは、うちにだけじゃない。


 「うちだけのヒーロー、という訳にはいかへんのよねぇ」


  そんな耕介の皆に優しい所も、またゆうひは好きだったりするから始末に悪い。


 「うちのわがまま、なんやろうけど……」


  コン、ココン。


 「はい?」


 「ゆうひ居るな? 入るぞ」


 「え、ああウン」


  ゆうひがもう一度ふへぇと紫色のため息をついていると、ノックの後、当の耕介が入ってきた。


 「今日はお前、FOLXでゆうひinクリスマスコンサートだったよな」


 「コンサートやなんて……ただのピアノ弾き語りやよ」


 「立派なもんさ。で、もうすぐ出なきゃならないんだろ? 俺が送っていってやるよ」


 「ええの?」


 「ああ、もちろん」


  見上げるゆうひに対し、耕介は当然という二文字を貼り付けた笑顔で、グッと軽くガッツポーズ
 をとって見せると。


 「迷子になって遅刻しても困るからな」


  最後にそう付け加え、ニヤッと口元を歪めた。


 「あう。な、何度も行ってるトコやし、うちはそこまであかんたれやないでえ」


 「ほんとにぃ?」


 「う、た、多分。きっと。恐らく。願わくば……」


  その意地悪い笑顔に反論したかったが、残念ながらゴニョゴニョとその語尾は小さくなっていく。


 「はは、じゃあ都合がついたら言えよ。俺がキッチリ送り届けてやるからさ」


  下で待ってるから。そう言い残し耕介は部屋を出ていった。


 「……スーパーヒーローじゃないのさ」


  想い人が去ったのを見送ると、ゆうひは無意識にもう一度歌の続きを呟いて軽く鍵盤を叩く。


 「ほんま、とんだスーパーヒーローやで」


  好きな人に優しくされるのは嬉しくないはずは無い。しかしその何気無い優しさは、耕介が自分
 の事を特別に思ってはいない証明でもあるのだ。


  優しさが辛い時とはこういう時なのか。悟ってみたと所で慰めになるはずもなく。


  ゆうひが崩れるように再び鍵盤に突っ伏すと、ピアノもまた不満そうに不協和音を奏でた。






                     〜◆〜






 「行くぞーゆうひ」


 「ちょ、ちょっと待ったって!」


  あの後暫くの間、出かける用意も忘れて物思いにふけってしまい、結局ゆうひはギリギリの時間
 になって、慌てて耕介の待つ車に飛び乗る事となってしまった。


 「いったい何してたんだよ」


 「えーと……さあ?」


 「……大丈夫か?」


 「っ?!」


  あまりに呆けた返事に、耕介は心配そうにゆうひの額に手をやる。


 「ン〜熱は無いようだな」


 「あ、あたりまえや」


 「ほらほら、時間やばいんだろ。行くぞ」


 「あ。う、うん」


  添えられた手の感触に、考えるも無くカッと顔が赤くなり、思わず振り払ってしまった。


  ゆうひは軽く俯いて、チラッと上目使いで隣を窺うが耕介は気にした様子も無く。ゆうひがシー
 トベルトを着けたのを確認すると早々に車を発進させた。


 「今日は結構冷えるなぁ」


 「んー」


 「もしかしたら雪になるかもしれないって。お前折り畳みとか持ってるか?」


 「うー、ん」


  先程の事もあり正面を向いたまま、ゆうひは生返事を返すだけ。どこか意識がぼんやりとたゆた
 っているようで。


  いつしか会話も途切れがちになっていった。


 「……ああ心に愛が、なければ♪」


 「キン肉マンか?」


 「え? こ、声に出てた?」


  慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。


  静かな車内に響いたそれは耕介の耳にも届いており、驚きと、笑いを含んだ視線を受けゆうひは
 恥ずかしさに再び首をうーと竦める羽目になる。


 「ああ。今夜の歌姫のクリスマスソングはキン肉マンときたか」


 「ソレもええなー……ってんな訳あるかいっ!」


 「ははは♪」


  上手くノリツッコミで誤魔化されてくれた。


  心の中でホッと安堵のため息をつくゆうひだったが、人の気も知らず呑気に笑い声を上げている
 耕介を見て、なんだか一言言ってやりたくなって。


 「……ほんま耕介君は、みんなのヒーローやねって」


 「え?」


 「寮の皆に優しいし、うちの事だって、こうやって送ってくれるし」


  少し皮肉と自嘲が含まれた言葉。


  助手席にいたゆうひは、むしろ突き放したように言い放つと体をシートに投げ出した。


 「誰でも彼でも、分け隔て無く皆を助けるまさにスーパーヒーローや」


 「そうかなぁ?」


  急いたような、どこか責めるような口調は気になったが、それが何故かまでは分からずに。俺は
 そうは思わないけどと耕介は首をひねる。


 「……なぁ、なんで俺がこうやってゆうひを送ってるかわかるか?」


 「え?」


  今度は耕介がチラとをゆうひの顔を一瞥するとこう言った。


 「ゆうひの事が好きだから、さ」


  ドキッとした。


 「寮の皆の世話をするのも、もちろん仕事ってのもあるけど。ゆうひや愛さんや知佳、真雪さんに
 美緒、薫に十六夜さんにみなみちゃんそれにリスティ。みんなみんな好きだからだよ」


 「…………」


 「こんな個人的感情で動いてる男、とてもスーパーヒーローとは言えないんじゃないかなあ」


 「……せやね」


 「お、オイオイ、ちょっとは否定してくれよ」


  突っ込んでもらえると思っていた耕介はちょっと苦笑い。しかしゆうひの方はといえば、パッと
 電球が弾けたように頭の中全てが真っ白な世界に飲み込まれていた。


 「うん……」


 「?」


  口が、頭が軋むように、働かない。


 「こ、心に愛があるンやもの。耕介くんは立派なスーパーヒーローやっ!」


 「そうかい? ん、ありがと」


  なんとかそれだけ笑顔で返すと、耕介も疑問符を浮べながらもそれ以上何も言わなかった。


 「あ、ゆうひ。そろそろ着くぞ」


 「うん」


  それからお互い殆ど会話らしい会話も無いまま、やがて車はFOLXへと到着した。


 「帰りはいつ頃になる? 迎えに来てやるよ」


 「……ううん。ええんや」


 「え、なんで?」


 「その、いつになるかわからへんし。耕介くんに、迷惑、かかるから」


 「何いまさらそんなこと気にしてんだよ」


  そう言って笑う耕介だったが、ゆうひはうつむき加減なまま。


 「それに、帰りは一人とは、限らへんし……」


 「そ、そうなのか。あの、それはその……スマン」


 「「…………」」


  二人の間に、何故か気まずい沈黙が流れる。


 「そ、それじゃあ、な?」


 「うん……ありがと、耕介くん」


  それでも何かあったら連絡しろよと最後まで心配しながら、耕介は車に乗り込み、寮へと帰って
 いった。


 「……はぁ。何してるんやろうちは」


  自分の勝手な感情で耕介の好意を無下にしてしまった。


  気も虚ろなまま自然と断ってしまったが、一人になって猛烈な後悔の念が襲ってくる。


 「ごめんな、耕介くん」


  もう一度車が去っていった方に小さく頭を下げると、ゆうひは憂鬱という名の鎖をつけた重い足
 取りで、店内へと入っていった。






                     〜◆〜






  歌。料理。絵画に小説。etc.


  何にしろ創造で恐ろしいのは、今の自分の全てが出てしまうという事である。


 「椎名さん、今日はありがとうございました」


 「いえ、ちょう調子が悪くて、何度か失敗してしまいました。ごめんなさい」


 「いえいえ。でもなんかあったんですか?」


 「……いいえ。なんでもないですよ」


  最悪な気分のまま始まったイベントは、やはり最悪なまま終わりを迎えて。


  申しわけなさにゆうひは帰り際、何度も国見に頭を下げていた。


 「椎名さん、今夜お迎えなんかは?」


 「あ……その、特には」


 「じゃあすぐにタクシー呼びますから。ちょっと待っていてください」


 「そんな別に――」


 「表、雪降ってますよ」


 「え?」


  思わず窓の方を振り返るが、曇っており外の様子はうかがえなかった。


 「タクシー乗ったほうがいいですってば」


 「は、はぁ……」


  すぐさま慣れた手つきで電話をかけ、笑顔ですぐに来ますからと会釈する国見に、ゆうひはぎこ
 ちない笑みを返す。内心は複雑な気持ちで一杯だった。


 「お客さん、どちらまで?」


 「山の向こうの、桜台の方でいいんですよね?」


  暫くして来たタクシーにゆうひは成り行き上乗り込むと、見送りに来てくれた国見が行き先まで
 告げてくれる。


 「あ、あの、えーっと」


 「はい?」


 「……桜台やなくて、途中の高台でええです」


  しかしまだ今は、耕介の待つ寮には帰りたくなかった。


 「あんな所でいいんですか?」


 「はい。その……」


 「あ、待ち合わせでもしてるのか」


 「え? あ、あはははは」


  そのなんとも皮肉な解釈に、ゆうひはもう笑って誤魔化すしかない。


 「今日はアレだもんねぇ、わかりました。では高台まで」


  バタンとドアが閉じられ外界の冷気が締め出される。


  チャリチャリとチェーンの音をアスファルトに響かせながら、王子様の元へ向かうには憂鬱すぎ
 る表情の姫を乗せたタクシーは、ゆっくりと高台目指して走り始めたのだった。






                     〜◆〜





 「あ、ここでええです」


 「いいんですかい?」


 「ええ。これ以上入ると、車もUターンしにくいでしょうし」


 「ありがとうございます」


  タクシーは高台手前の丁字路で停まり、ゆうひは運転手にお礼を言われながら料金を払う。


 「それじゃあ、彼氏によろしく」


  気が利いたつもりだろうが、はははと手を振り返したゆうひの笑顔は本人も分かるほど引きつっ
 ており。


  気の利かないタクシーは行きと同じようにチャリチャリと音をさせながら帰っていった。


 「……待ってくれてる人なんて、いーへんのに」


  ふう、と一息つく。まだあまり雪も積もっていない湿った地面を蹴るようにして歩き出す。


  あ、そういえばうち傘持ってへんかったんや。


  鼻の頭に雪の結晶が乗り冷たく濡れるまで、ゆうひはそんな事にも気がつかなかった。


 「ええもーん。風邪ひいたら、やさしー耕介くんが看病してくれるから」


  見上げると、はらりはらりと降りてくる雪がまるでゴミの様で。精一杯虚勢を張った独り言が、
 灰色の空に虚しく吸い込まれていく。


 「うちは、ほんまに大バカや……」


  もう一度、はぁとため息をつくと己の愚かさを呪いながら、ゆうひは雪に降られてノロノロと高
 台の方へと歩を進めていった。


 「……?」


  その時。遠く高台の先、人影らしきものが視界に入る。


 「あ、あれ?」


  ゆうひはその姿に胸騒ぎをおぼえ、歩み寄る。やがて駆け出す、走り寄る。


 「ん? よっ、ゆうひ」


  我が目を疑った。


 「こ、こ、こここここここここ――」


 「コッコ?」


  コケッコー。


 「やのうて! ここっ、耕介くん?!」


 「はいな、耕介くんですよ〜」


  ゆうひは驚きのあまり、顔中をOの字にしてハニワ婦人となっていた。今目の前に、そこに居る
 はずのない人物が笑顔でピラピラと手を振っているのだ。


 「な、なにしてんのっ?!」


 「高台にいるの」


 「なんでっ?!」


 「車で」


  ん、と親指で指差した先には、少し離れた道端に停められたセダンが小さく凍えていた。


 「そ、そういう意味じゃ――」


 「いや〜さっきから雪まで降り出してさぁ。寒いったらありゃしない」


  さすがに俺しか居ないよ、と耕介はゴシゴシ寒そうに自分の両腕をこすりながら空を見上げる。


 「何だお前、やっぱり傘持ってなかったのかよ」


 「え? あ」


 「雪かぶっちゃうぞ」


  耕介は唖然とするゆうひの腕を掴んで、やや強引に自分が差している傘の中に誘い入れた。


 「ほら、これ飲むか? 体が温まるぞ」


  そう言って懐に持っていた金属製のポットを取り出すと、蓋であるコップを外して差し出す。


 「え、あ、う、うん……」


  何故こんな物を持っているのか。そもそも何故ここに居るのか。


  まだ自体が飲み込めないで呆然としていたゆうひは、差し出されるままそれを受け取ってしまう。
 そんなゆうひを無視したまま、もうもうと湯気を上げながら中身が注がれていった。


 「ズズッ……あ、おいし」


 「だろ♪」


  それは甘い甘い、温かい紅茶だった。






                     〜◆〜






  暫く無言で高台から街を見下ろしていた二人だったが、ふと耕介がおもむろに口を開いた。


 「静かだなぁ」


 「ほんま……」


  ゆうひもため息のように静かに応える。


 「何だか町全体が、ひっそりと静まりかえっちゃってるな」


 「うん」


  雪が降っているせいか、ごく近くの、自分たちが地面を踏む音ぐらいしか聞こえて来ない。


 「まるで世界に、二人っきりみたいだ」


 「……せやね」


  そんな時の止まったような世界に、ゆうひと耕介は居た。


 「ふたり、やね」


  堪らなかった。


 「ただ雪が降った時って、排ガス臭いんだよなぁ」


 「あ、わかるわかる」


 「あれってなんだろ? 元あった自然の匂いを雪が全部消しちゃって、それで後からきた排気ガス
 の臭いだけが溜まってるのかな」


 「フフ、かもしれへんね」


  そんな普段通りの会話がまた嬉しくて。ゆうひはそっと耕介の頭を肩に預ける。


 「ん? どしたゆうひ」


 「ううん、なんでもない。なんでもあらへんよー……」


  さらにギュッと絡めた腕を抱きしめて擦り寄ったが、耕介は何も言わなかった。


 「なあ、耕介くん」


 「うん?」


 「クリスマスは、誰に感謝したらええんやろ」


 「感謝? 祈るんだったら神様だろうし、後はサンタさんに感謝するぐらいか?」


 「そやね。神様仏様稲尾様、そしてサンタ様、どーもありがとうございます」


 「真中二つは違う。つーか何を感謝してるんだか」


 「んふふふふ……♪」


  心の中で、ゆうひは本当に感謝していた。




  神様、ありがとうございます。




  私だけの、ものじゃないけど。




  耕介くんは、間違いなく私にとってもヒーローだから。




  最高の、クリスマスプレゼントです……






                     〜◆〜






 「さてと。雪も強くなってきたし、積らない内にそろそろ帰るか」


 「……ん、そうしよっか」


  時間にすればほんの十分ほどだっただろうか。単色の眠ったような街を眺めていたが、やがて寒
 さもあり二人並んでゆっくりと車に向って歩き出した。


 「つっても暫く車が温まるまで動けないんだけどな」


 「あはは。まぁゆっくり行こうやないの」


 「そうだな、雪もあるし安全運転でっと」


  凍えた車は全てのウィンドウがすっかり曇ってしまっており、ゆうひ達はまた暫く車内で待つ事
 となった。


 「戻ったらお茶でも飲みなおそう。シュトーレンがあるんだ」


 「うん♪」


 「ただし後で食べようと思っていたモノだから、皆にはナイショだぞ」


  そう口の前に指を立てた耕介は、隣のゆうひに向かってウィンクして見せる。


 「二人だけの秘密、って事でな」


 「うん……ありがとなー、耕介くん」


 「ん?」


 「ほんま、ありがとう」


  ほんま耕介くんは、うちのすーぱーひーろーや。


  まだ寒い車の中。言い様の無いじゅんとした熱い感情がゆうひの胸を占め、思わず何度も何度も
 感謝の言葉が口をついて出た。


 「別にそんな、何も感謝されるような事はしてないよ」


 「ううん。そんなことあらへんよ」


 「んなことあるってば」


  なおも頭を振り続ける耕介と、そんなやり取りを繰り返す内自然とゆうひの口元は緩んでいく。
 振り返り、ずいっと下から耕介の顔を覗き込んで。


 「……じゃあ自分、なんでこんな所におったん?」


 「え? ……たまたまだよ。たまたま」


 「うそん」


 「ホントだってば」


 「うそそん♪」


 「だーからぁ……んー、あーあれだ、だってほら言うだろ?」


  笑顔のまま、調子に乗って更にずずいっと迫るゆうひから、耕介は逃げるよう視線を泳がせ少し
 だけ考えこむと、やがてニヤッと白い歯をのぞかせてこう言った。






 「バカとヒーローってのは、高い所に居るもんなのさ♪」






                                       了









  後書き:「そのSS、日本じゃあ二番目だな」
      無意味に高いトコ上らせたら、宮内洋の右に出る者はいなかったなぁ。
      ホント無意味だったけど(笑)

      これも古い作品ですね。今読むと……かなり支離滅裂。うう。
      なんつーかこう上手い事言おうと長台詞喋って、結局すべってる芸人みたいっつーか。
      かなり迷いましたが一応掲載しときます。





  03/01/20――初投稿。
  05/06/25――加筆修正。

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