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  〜めがねがね〜
  (Main:美由希 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






  その日の高町家の台所には、緊張に顔を強張らせた美由希の姿があった。


 「こ、これでいいかな?」


  玉葱のみじん切りを前に、包丁を持ったまま立ち尽くす美由希は不安げにそう尋ねる。


 「うん、ええんとちゃいまっか」


 「はい、まぁここまではOKですね」


  彼女の両脇をがっちりと固める太刀持ちと露払いには、レンと晶。


 「ざ、材料を切るぐらいは、ね」


  その言葉にようやくホッと一息つき、引きつった笑顔で美由希は小さくガッツポーズをとる。


  ここ最近、美由希はレンと晶による付きっ切りの料理指南を受けていた。


  曲がりなりにも恋人といえる存在が出来た今、皆のように名人達人とまでは言わない、せめて人
 並みに……といった健気な乙女心からである。


  が、そこに冷や水を浴びせたのは、当の恋人からの一言であった。


 「……ここまで来るのにすら、随分と時間がかかったがな」


 「お、おにーちゃん!」


 「ううっ」


  少し離れたテーブルには、冷やかしという名の見物客として恭也となのはが座っていた。


  事実美由希は刃物の扱いにはなれているはずなのに、こと料理となると何故かてんで素人。単に
 材料を切るだけにもほぼ一週間ほどを費やしていた。


  またがっくりとうな垂れる美由希。一方恭也も一番下の妹に窘められ、気まずそうに口を噤む。


 「いいですか美由希ちゃん、味付けの基本は先ず薄味です! 調味料を加える順番もそうですが」


  皆が押し黙った所で、気を取り直そうとばかりに声を張り、再び晶の講義が始まった。


 「薄味で、味が足りへんのやったら後からなんぼでも加えられますからね。逆に濃いものを薄う、
 となると中々簡単にはいきませんよって」


 「う、うん」


  続くレンのフォロー。普段いがみ合う事の多い二人だが、一度噛み合わさればこれほどよく回る
 歯車もない。


 「あとは基本通りに味付けしていけば問題ないかと。特に勝手なものは加えない、素人がやっても
 大抵は上手くいきませんから」


 「せやせや」


  まるで漫才の掛け合いのように二人で一つの説明を編み上げていく。


  しかし流れがあまりにスムースだった為か、先程から生徒の様子がややおかしい事に二人の講師
 は気付いていなかった。


 「……でもさ」


 「ハイ? なんでっか美由希ちゃん?」


 「大体料理の本とか見ても、分からない事が多すぎるよね」


 「はあ?」


  突如思い詰めた様子で語り始めた美由希。まな板を見詰める目はどこか焦点が合っていない。


 「だってさ大さじ何杯とかキッチリ書いてあればこっちだってその通り出来るんだけど、『ここで
 塩少々』とか『料理酒適量』とかさ、曖昧な表現が多いじゃない」


 「そ、それは」


 「料理本なんだからさ、その辺り分かったように書かれたって素人に分かるわけ無いじゃない! 
 まったくのゼロから始めてる人だって沢山居るでしょうに」


  美由希は妙なスイッチが入ってしまったのか、今までに積もり積もった不満を堰を切ったように
 吐き出し始めた。


  いきなり早口で捲し立てられ、レンと晶は揃ってたじたじとなるばかり。


  その鬼気迫る気配になのはも口を挟む事が出来ない。美由希が包丁を持ったままでない事が唯一
 の救いだった。


 「目分量ってこと?! 何でもかんでもめびゅんりょうで出来る人だったら、料理の本なんていら
 ないっつーのよ! ねぇ?!」


 「まま、美由希ちゃん、どうどう」


 「おさえて、おさえて」


 「美由希おねーちゃん、こわい……」


 「……まて、美由希」


  いよいよ美由希自身にも抑えが利かなくなってきた頃、これまで一人押し黙っていた恭也が片手
 を上げゆっくりと立ち上がった。


  真打登場といった雰囲気に、残りの三人はホッと胸を撫で下ろす。


  誰もが美由希の暴走特急を止めてくれる事を期待していた。だが恭也の口から飛び出したのは、
 またも意外な言葉だった。


 「さっきの言葉、もう一度言ってみろ」


 「え? だ、だから、料理の本は表現が曖昧で……」


 「そこじゃない。もうちょっと後だ」


  一体恭也が何を問うているのか、美由希にも皆にもサッパリ分からなかった。しかし彼の真剣な
 態度に逆らう事など誰も出来ない。


 「え、えと、なんでもめびゅんりょうで出来るなら警察はいらな――」


 「そこだ」


 「は?」


 「へ?」


 「ほえ?」


  皆が一様に疑問符を浮かべる中、恭也は一人犯人を探し当てた名探偵の如く胸を反らしていた。


 「美由希、お前『目分量』って言ってみろ」


 「え? えーっと、め、めぶんびょう……」


 「違う、めぶんりょう、だ」


 「め、めびゅんりょう」


  思わずレンは吹き出しそうになった。二人の態度が真面目な分、余計におかしな笑いを誘う。


  恭也は単に、美由希の舌足らずな部分を責めていただけだったのだ。真面目に聞いていた自分が
 アホみたいだ。


 「いいか美由希、目分量だ。メ」


 「め」


 「ブンリョウ」


 「ぶ、ぶんりょう」


 「メブンリョウ」


 「め、めめびゅーんりょう」


 「ぶはっ!」


  先に噴出したのは晶だった。


 「く、くくく、そ、そない笑たら、美由希ちゃんに悪いで……くはははは!」


  その隣で笑っては悪い、と我慢していたレンもとうとう堪えきれなくなり声を上げる。


  なのはだけが姉の事を笑う事も出来ず、ただ困ったように首を傾げるばかり。


 「う〜……あ、あいたたたたた」


 「ど、どうしたの? おねーちゃん」


 「そ、そんな事言ってたら、何か急に目が痛くなってきちゃって……」


 「目が? タマネギ切ったからとちゃいまっか?」


 「今更か? ゴミでも入ったのかなー」


  とその時、急に美由希が目を押えて顔をしかめ出した。


  何故だかは分からないが、眼球にゴロゴロとした異物感を覚えたのだ。


 「どれ、見てやろう。こっちへ来い美由希」


 「う、うん」


  本当に涙目になっている上の妹に対し、何となくばつが悪かったのか、恭也はそう言って美由希
 を呼び寄せた。


  急に和らいだ兄の口調に思わず頬を染めつつも、美由希は素直に恭也の傍に歩み寄った。


  眼鏡を外す。途端に全ての風景が輪郭を失ったように滲み、ぼやける。


 「んー……やや赤いが、特に何も入っていないようだが」


 「逆睫毛とか?」


 「…………」


  恭也がそっと頬に手を当て、親指で瞼を引っ張り目の中を調べる。やや充血していたが特にゴミ
 などは見当たらない。


  一方美由希はそれ所ではなかった。


  眼鏡を外した事で周りの風景、そして全ての人物の表情が滲みの中に消えてしまった。それによ
 り皆も自分と同じように、こちらが見えていないといった錯覚に陥ってしまったのだ。


  美由希はまるで恭也と、二人きりで居るかのような気分になっていた。


  今美由希にとって確かなのは、頬に当たる手の温もりと、目の前に迫った世界で一番愛しい人の
 顔だけ。その瞳が自分にだけ、優しげな視線を向けているのだ。


  次第に美由希の顔がポーっと、目以外も赤くなっていくのに、恭也は気が付かなかった。


 「まぁまだ痛みや違和感が何かあるようだったら、一度洗ってくるんだな。タマネギを切った手で
 擦ったのが原因かもしれん……って聞いてるか、美由希?」


 「いただきマンモスー」


 「ッ?!」


  とその時、ふにっとやわらかい感触が恭也の唇を襲った。


 「!」


 「?!」


 「?」


  突然、美由希がひょいっと背伸びついでに、唇を重ねてきたのだ。


  それは触れるだけの、しかし確かに交わされたキス。皆が居る前で、余りに唐突なこの行動に、
 さしもの恭也も避ける事が出来なかった。


 「ご馳走サマンサ。なんちって……あ、あれ?」


  眼鏡をかけ直すと、そこには唖然とした兄の顔。未だ夢心地の美由希には、状況がよく分かって
 いない。


  思わず口を手で押え、呆然としながらも恭也が顎で指し示した先、そこには真っ赤になって身を
 寄せ合う晶&レンの姿があった。


  なのはだけはよく見えなかったのか、一人きょとんととした表情を浮かべている。


 「……あ。あ、あああああーっ!」


  そこでようやく自分が何をしてしまったのか、事態を把握した美由希の顔が、まるでポンと沸騰
 した薬缶のように赤くのぼせ上がる。


 「こ、こここここここここれは違うのっ! ……あの、えと、み、見えなかったから! だからな
 の! ね? ね?」


  美由希は必死になって弁解するが、同じぐらい真っ赤に茹で上がったレンと晶はコクコクとただ
 頷き返すのみ。まともに話を聞いているとは思えない。


  何時しかなのはもレンに耳打ちされ、何が起こったのか理解しはやーと両手で顔を覆っている。


 「うにゃ〜、あう、あうあう、はう〜」


  その内に美由希は恥ずかしさの余り、うにゃうにゃと奇声を上げ一人悶え始めた。


 「……ハァ」


  それを横目で眺めながら、恭也は泣きたいのはこっちだ、と嘆き、いかにしてこの場を治めたら
 よいものか頭を痛めていた。






                                       了









  後書き:目分量が言えなかった私の友人(笑
      普段から眼鏡をしている人が眼鏡を外すと、
      周りも自分と同じように見えていないような気になってしまって、
      何か突然大胆になってしまったりするんですよね。
      あ、でも美由希は戦闘時には眼鏡取ってるんでしたっけ。
      ……まぁいいや。細かい事はキニシナイ!





  06/07/27――UP.

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