SSS index







  〜26円〜
  (Main:ゆうひ Genre:ほのぼの Written by:竹枕)






 「あちゃ〜」


  走るバスの中、ゆうひは一人財布を覗き込みながら頭を抱えていた。


  小銭が無いのだ。


  普段ゆうひはバス専用のプリペイドカードを使っていたのだが、今日は偶々それが切れているの
 に気がつかなかった。


  それならばと開けた小銭入れの方にもあるのは地味な赤褐色の硬貨ばかり。銀色に光る物は薄く
 頼りない、ギザキザの無いのが申し訳程度にあるだけ。


  しまったなぁとゆうひは溜め息と共に頭を掻く。


  紙幣は無い訳ではなかったが、今までバスの中で両替をした事が無く何となく心細い。出来ても
 何かと煩わしい事になるだろうと思うと何とも気が重い。


 「はぁ。ま、しゃーないか」


  が、何時までも落ち込んでいるわけにもいかない。ゆうひは気を取り直すともう一度車内前方に
 ある電光板で料金を確認して、視線を窓の外へと向けた。


  バスはもう目的地である、終点の駅前にたどり着こうとしていた。


 「すみませ〜ん」


  イントネーションがずれたままの標準語で運転手にそう笑いかけると、ゆうひは財布から五千円
 札を取り出して目の前に差し出した。


 「5000円札しかないんですけど、両替はココに入れたらいいんですか?」


  運転席の隣に設置された料金箱には確かに両替機が付いていた。ゆうひはそう言っていつもプリ
 ペイドカードを入れている場所の下にあるスロットに、五千円札を入れる仕草をする。


  しかし返ってきたのはやや年老いた、見た目五十代といった所か、運転手の無情な一言だった。


 「え? 5000円? 五千円札は両替できないよこれ」


 「え゛」


  ゆうひは思わず固まってしまった。実質、この時点でゆうひはまったくの打つ手無しになってし
 まったのだから。


 「1000円札なら出来るんだけどねぇ、千円札は無いの? 千円札」


 「はぁ、ありません」


  一応もう一度財布を覗いてみせるが、当然あるはずもない。運転手の難しい顔がますますゆうひ
 を申し訳ない気持ちにさせていく。


 「あ、すんません」


  これはちょっとかかりそうだと思ったゆうひは、取り敢えず自分の後ろに並んでいた他の乗客に
 先を譲る事にした。


  手間がかかりそうだからと真っ先に運転席に駆け寄ったのが裏目に出てしまったようだ。


  通路の脇にピタッと張り付くように、ゆうひは我が身を避けさせる。何とも居心地が悪い。


 「それでえーっと、五千円しかないんだっけ?」


 「ハイ……」


  やがて全ての乗客が降り、再びゆうひに順番が回ってきた。


  ただし状況が変化しているわけも無く、ただゆうひは頭を垂れるだけ、なんだか教師に怒られる
 順番待ちをしている生徒のような心境になっていた。


 「困ったねぇ……バス券とかも一枚もなし?」


 「はい、無いんです」


 「千円札なら崩れるんだけど」


  運転手はもう一度、先程と同じ言葉を繰り返す。


 「あのっ」


  とここでゆうひはある事を思いついた。


 「一日乗車券ありません? それやったらそれ、買いますけど」


  これぞまさに起死回生の策。随分と高いバス料金になってしまうのは痛手だが、後でそれを使っ
 て買い物巡りにでも行けばいいのだとゆうひは考えていた。しかし、


 「ゴメン無いんだわ」


 「はぁ」


  運転手のそっけない返事。


  いよいよ万策尽きたゆうひと運転手。どうする事も出来ずに二人は揃って暫し押し黙ってしまっ
 たのだった。


 「う〜ん」


  もうこうなったらどこか余所で両替してくる他は無いか。唸る運転手の傍らでゆうひは思った。


  以前同じように小銭が無く往生していた乗客を見た事がある。近くにコンビニ等お店の影も無い
 場所で、結局そのお客は道すがら行き交う人々にお札が壊れないかと聞いて回っていた。


  いよいよ自分がそれをやる時がきたのか。


 『お客さまーっ! お客様の中にお医者さ……じゃなかった小銭をお持ちの方はいらっしゃいませ
 んかーっ?!』


  その場合掴みはコレでOKだろうか。ゆうひが半ばやけくそ気味にそんなことを考え始めた頃、
 不意に運転手が再度ゆうひに向って質問し始めた。


 「小銭、無いの?」


 「え? あ、はあ、ありません」


 「全然無いの?」


 「えーっと……」


  ゴソゴソと小銭入れを漁る。


 「えーと、その」


 「幾らあるの?」


 「……26円、しか」


  十円玉銅貨が一枚、五円玉が三枚、一円玉が一枚。どれだけ探しても、これがゆうひの財布の中
 身の全てだった。


  いくら財布をむっちりと厚くしているCD屋やアイス屋のスタンプカード、大量のレシート類を
 引っ掻き回しても。五千円札以外のお札も、一枚のプリペイドカードも出てこなかった。


 「26円か……」


 「はい……」


  さあいよいよ外で急患スチュワーデスを演じに行くかとゆうひが決意を固めたその時、彼女の耳
 に飛び込んできたのは信じられない言葉だった。


 「じゃあ、それでいいです」


 「は?」


  我が耳を疑った。


 「それでいいです。しょうがないからそれ全部入れて」


 「は、はぁでも」


 「早くして!」


 「は、はい!」


  未だ口をぽかんとOの字に開けていたゆうひを運転手が強い口調で急かす。彼としてもこれ以上
 問答しているわけにもいかなかったのだろう。


  驚いた勢いで小銭を全て入れ、慌ててバスを降りる。バスはすぐさまビーッという発進音と共に
 ドアを閉め、走り去っていった。


 「ええんかいな……」


  ゆうひは結果二十六円で乗れてしまったそのバスの後姿を、暫くの間ぼーぜんとしながら見送っ
 ていたのだった。






                                       了









  後書き:最初58円で書いてました。記憶を頼りに。
      で、途中で当時のメモを見返してみたら……実際は26円でした。
      更に半分以下かよ。ホントよく乗れたなぁこんな値段で。





  06/07/27――UP.

Mail :よければ感想などお送り下さい。
takemakuran@hotmail.com
SSS index