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 「やっぱり降ってきちゃったな」


  と、ハンドルを握る耕介が目の前を左右に行き来するワイパーを眺めながら言った。


 「車で出かけて正解だったね、おにーちゃん」


 「だな。春の雨だからって、流石にこの降りに濡れていく訳にもいかんでのぅ」


  耕介のおとぼけた風流な返しにクスクスと笑みを漏らす知佳。二人は車で買出しから寮へと帰る
 途中であった。


 「でもホント、よく降る雨……」


  フロントガラスに伝う雫の川が絶えず流れ、それを指で追いながら知佳はほぅとため息のような
 呟きを、冷たい扉のウィンドウに吐き掛ける。


  耕介と知佳が買い物中に降り出した雨は、その後雨脚を増し今や結構な降りとなっていた。








  〜ワイパー〜
  (Main:知佳 Genre:ほのぼの Written by:竹枕)








 「……ねぇお兄ちゃん、わたし前から一度聞いてみたかったんだけど」


 「ン? なんだい」


 「このね、雨の日のワイパーって気にならないものなの?」


 「ワイパー?」


  んっと耕介が顎で前方を指し示すと、知佳もウンとコクリ頷きワイパーを見詰める。


  まだ自分で車を運転した事がない知佳には、ああも目の前を忙しなく行き来されて邪魔にならな
 いものかと前々から疑問だったのだ。


 「そうだなぁ、初めはちょっと気になったかな? でもすぐに慣れて気にならなくなったよ」


 「ふーん、そういうものかぁ」


 「雨で前が見えないよりはマシだしね」


  それはそうなんだろうけど、とまだ実感の湧かない知佳は苦笑で返すしかない。耕介もどう説明
 したらよいものかと二の句が継げず、結局二人の間にはちょっとした間が出来る事となった。


 「……って可哀想だよね」


 「はい?」


 「あ、ううん。なんでもない」


  その時、知佳がぽそりと小さく何かを呟いた。本人も無意識だったのか、耕介に聞き返されても
 ただ笑って手を横に振るばかり。


 「なんだよ知佳、気になるじゃないか」


 「あはは、な、なんでもないんだよホント」


 「で、なにが可哀想なんだって?」


 「あう、聞こえてるんじゃない……」


  ばつが悪そうにお兄ちゃんの意地悪、と消え入りそうな声で呟き亀のように首をすくめる知佳。


  失敗しちゃったなぁと己を責めるが既に遅し、じわじわ顔が熱くなっていく。


 「ほんとおーに、大した事じゃないんだよ?」


 「ハイハイ。でなんなんだい」


 「うん……あのね」


  まだ恥ずかしさが残るのかもう一度念を押してから、ようやく知佳はぽしょぽしょ話し始めた。


 「こういう雨の日の、左側のワイパーが可哀想だなあって」


 「ワイパーが? それも左限定か」


 「あの、子供の頃の話だよ?」


  あくまで今の自分ではないという事を強調したいらしい知佳に、そこまで断らんでもと思ったが
 耕介は黙って先を促した。


 「こう、ワイパーが起き上がった時って、ガラスに水滴で線がつくでしょ?」


 「ん? うん」


 「で、こっちから向かって左側のワイパーが書いた線は、降りてきた右のワイパーにすぐに消され
 ちゃうじゃない」


 「んーああ、そうだな」


  運転しながらなのであまりじっくりと見るわけにもいかず、チラチラと何度か横目で知佳の指先
 が描く放物線を追っていた耕介は、とりあえず知佳の言う事は理解できた。


  確かにフロントガラスには今も上下する左右のワイパーが雨水で線を描いており、左のワイパー
 の下の端が描いた線は倒れてくる右のワイパーにすぐに拭い取られてしまっていた。


 「ずるいよね、右のワイパーが書いた線はそのまま残ってるのに……だからね、書いてもすぐ消さ
 れちゃう、それでもめげない左のワイパーが可哀想で、偉いなぁって」


 「ち、知佳……」


  いくらワイパーを眺めようとも、自分にはそのようなワイパーを擬人化したような、まして可哀
 想などという思いは間違っても浮かんではこない。目を丸くする耕介。


  耕介にとってこの知佳の話は驚くべきものであり、可愛らしくもあり可笑しくもありそして……


 「お、お前って奴は……ぶはっ!」


  最後には耐え切れず、吹き出した。


 「う。な、なによーおにーちゃん、その笑い方〜!」


 「い、いやいや、あんまり可愛らしい考えだったから」


 「む〜」


 「クッ、ふはは」


  ついな、と謝るがクックと漏れる笑いを耕介はこらえる事が出来ない。反対に知佳の頬はぷ〜っ
 と不機嫌そうにまるで河豚のように膨れていく。


 「いやー参った参った、流石は乙女代表」


 「だから昔の話だってば……でも乙女だもーん♪ てんびん座の、O型だもん」


 「だから訳分かんないってば」


 「あはは♪」


  しかし可愛らしいという言葉に悪い気がしなかったのか、知佳はすぐにぷふっ、と頬の風船を割
 ると二人顔を見合わせて笑い合ったのだった。


 「まぁ確かに儚い行為に見えない事はないか。そう、まるで賽の河原の如く」


 「あう。おにーちゃん、そんな恐いたとえダメ……」


 「ひとつ積んでは、父のため。ふたつ積んでは、母のた、め……」


 「キャーイヤイヤ〜ン!」


 「はっはっは」


  気分を出す耕介のおどろおどろしい語り口に、からかわれているのだと分かっていても、知佳は
 つい反射的に耳を塞いでぶんぶんと頭を振ってしまう。それを見てまた満足げに微笑む耕介。


  そんな二人の穏やかな空気に満たされた車内の外では、相変わらず二本のワイパーが大儀そうに
 揺れていた。






                                       了









  後書き:こんな可愛らしい事を感じていた時代があったんですねぇ。
      まだ小学校上がる前、5、6才頃の話でした。





  05/05/22――UP.

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