父の一周忌より
2004.12.17
最愛の父が (2003.12.17)亡くななりましたが 亡くなってすぐ・・・・・・
母である寺ままは 名古屋に戻らなくては ならなく・・・・・
遠方に住む母のところに なかなか 思うように 帰って あげれないことが とても 辛いですが・・・・・
母に 心配かけない事が 一番の親孝行だと 信じ 名古屋で 母として頑張っています。
父の一周忌も 息子の行事で とんぼ帰りに なりましたが・・・・・・・・
母と一緒に 写真を 撮ろうとしたら 母は 亡き父の写真を 母の胸に抱いて 写真を 撮りたいと言いました。
寺まま と  寺ままの母と  亡き父
父は ポスター字の仕事も 手がけていたので とても ポスター字や看板字を
書くのが 上手でした。父の仕事の 遺作品から・・・・・・・。
永遠に私の心の中に 刻んでおきたいと思い 写真を 撮りました。
父の手がけた看板は 勤務先の方々の力で 出来る限り 残して下さるとの事です。
父は この看板を書いた時 この街に 俺の書いたものを 残したいと言って
書いたそうです。父の血を 引いてか  寺ままも ポスター字や 絵が 得意です。
父が亡くなる前・・・・最後に 名古屋にある私の家へ 遊びに来たとき
この 「子供飛び出し注意」 の看板を 書いて 持って来てくれました。
父の遺作品として 私は 大切に  メンテナンスしています。
2004.の5月に神戸に 父の遺灰を納骨して 秋に 父の遺灰は 観音様に なりました。
その行事には 遠方で 母である私は そこへ 駆けつけてあげれませんでしたが・・・・・
母が 娘である私に 見せてあげたいと 写真を 撮って来てくれました。
このページは 私の最愛だった父の記録を 私のホームページに 残しておきたいと言う
気持ちから 作りました。
親不孝ばかりの娘でしたが・・・・・・
きっと お空から いつも 私達を 見守ってくれていると 私は 深く信じています。
何かに つまづいた時は・・・・・・・・見守っていて欲しいと やっぱり 今でも 父の写真を 見ますね。
このページ制作日;05.05.29
故郷の奈良に ひとり置いている母の事は いつも 私の心にあります。
今更・・・ まだ 若い母は 住み慣れない地に移り住むのは 難であり・・・・・・・・・・・・・・。
ですが・・・・・・いつも 私の心の中には 母の事が 気がかりとなって います。
同時に 今は まだ 母としての自分と 自分だけで 精一杯のところもあります。
親と言うものは  たとえ 遠方で 会えなくとも この世に 生きていると 言う事だけで・・・・
慰めでは ないでしょうか・・・・・・・。
いくつになっても 親は親   親にとっては 子は子ですね。
それが 本当の意味での 家族の木の根っ子のように 最近 思います。
このページのBGMは須釜俊一氏の
“ ひとり” です。トップページで
リンクさせて頂いています。