二宮金次郎の像


  古い学校には、大抵、二宮金次郎の像がどこかにある。もちろん、東郷小学校においても、それは例外ではない。さすがもうすぐ100周年をむかえるだけのことはある。
正門をくぐりぬけて、右手の方の坂を64歩(筆者の歩幅で),進むと、左手に二宮金次郎が我々を迎えてくれている。
平成12年の春、この東郷小学校に、ある怪談話が持ち上がった。それは、児童曰く、「二宮金次郎が動いている。」と・・・。
どうも、二宮金次郎が、昨日向いていた方向と今日向いていた方向がちがうということなのである。
リサーチをしていくと、どうも、清掃当番の児童が、そっと二宮金次郎の像を動かしていたという事実が、判明した。そこで、その怪談話にピリオドをつけるために、土台をセメントで固定をした。あくる日、またまたその二宮金次郎の像を動かそうとした児童は、「あっ、動かない」と驚いて、腰を抜かしたという、後日談もある。
 さて、それ以後は、二宮金次郎が動いたという話は、聞いたことがない。
皆さんのなかで、二宮金次郎がまた動いたという情報を得たならば、またお知らせ下さるとありがたいものである。


一口メモ

日本人としての生き方----二宮金次郎

  バブル崩壊後の現在、世界から今求められている日本人像として注目を集めている人物こそが、あの薪を背負った「二宮金次郎」である。
「一粒の種も積もれば山となる」
二宮金次郎(1787〜1856)は、江戸時代末期の今の神奈川県小田原市で生まれ、幼い頃から数々の困難を乗り越え、ゆとりのない生活から多くの書物を読み、「積少為大」の言葉を生涯実践した人である。倹約を説き、財産建て直しに貢献し、農民のため努力を惜しまなかった人である。

正面の二宮金次郎
背面の二宮金次郎
側面の二宮金次郎