2001.北海道の旅
夏:8月
この当時は まだ デジタルカメラや パソコンを 購入してなかったので・・・・・・・
写真を スキャナーで 落としこんで 作りました。
【2001.北海道キャンプ】 のアルバムが 遅れたのは・・・・・・
ホームページの容量上の関係でしたが・・・・・
この度 容量を 増やす事が 出来たので・・・・・
母親として・・・・家族に記憶として 残しておいてあげたい・・・と思い このページを作りました。
もう 随分前の旅なので 記憶が 薄れています。
とりあえず 写真を 入れて 雰囲気だけでも 出せたらと 思い 作りました。
【太平洋フェリーは いしかり】
北海道へ 渡道する時は 毎回 この 太平洋フェリーを 利用させて頂いていました。
六ヶ月前からの 予約となり お盆の時期 に このフェリーの 予約を とることは
とても 厳しいものが あり 旅行会社出身の寺ままは 担当していました。
この船に 寺田ファミリ〜の愛車レジアスを 積んで 北海道へと 渡道して 旅を繰り広げていました。
長男:大 小学校4年生
二男:直 保育園年中さん
【太平洋フェリーいしかり前にて 大&直】
このページを 作っている現在は 長男:大は 中学2年生 そして 二男:直は 小学3年生
と なっています。 こうして この頃の 写真を スキャナーで 落としこみ 改めて 当時の息子達を
見ると 母親として 年月の流れを 感じますね。 色んな色んな想いが 蘇えります。
息子達 二人揃って 母の手元に 抱けた・・・・・・・・・。
母親として 一番 幸せな 時期では ないでしょうか・・・・。
【長男:大】
【二男:直】
母親は 命がけで 子供を 産みます。
ですから・・・・・ この世で 一番 子供に対しての 愛情が 深いと 思います。
誰しも 我が子の寝顔が 一番 ホッとする 瞬間では ないでしょうか・・・。
【おじいちゃんとおばあちゃんにハガキを書く優しい直】
遠方方面ばかりに 私達は 住んでいるので 私の両親には 可愛いさかりの 孫を あまり
見せてあげれませんでした。
ですから 私は 私の息子達に よく おじいちゃん&おばあちゃんに 手紙が 心の糸だよって
教えて 育てました。それを ちゃんと頭に 置いてる 優しい直・・・・。ありがとう。
【寺田ファミリ〜のロッジ&テント前にて】
いつも こうして 当時の 息子達は キックボード持参で キャンプに 出ていました。
二人共 キックボードの 腕前は 上級で 大自然の中 伸び伸びと していましたね。
後ろに 写っている ロッジ&テントは 寺田ファミリ〜愛用のものですが・・・・・
当時 寺ぱぱと 寺ままは 設営 撤収が とても 能率よく 早く 手馴れていて・・・
キャンプ生活には 上級でしたね。(笑う)
確か このキャンプ場は
南富良野にある かなやまオートキャンプ場 だと 思います。
【富良野にある 花園 ファームから】
すみません。何ファームだったか 記憶が 薄れてしまいました。
とにかく 遅咲きのラベンダーが あり ひまわりなど・・・・ とても
花が 何色にも 咲き乱れ バックに 大雪山が 見えて とても 綺麗だったのを
記憶しています。寺ままは 花が 大好きなので とても嬉しく シャッターを
押し続けたのを 覚えています。
【富良野は ジャム農園にて】
大も直も アンパンマンを 見て 育ったので アンパンマンに会えて
感激かな? よく 保育園では アンパンマンのビデオを 雨の日に
見せられたとか。。。。。。。。
【大雪山を バックに 富良野にて】
私は こういう景色を 撮りたい為に 北海道へ 渡っていたのも あります。
この農園は 北海道独特のロケーションですよね。
【富良野 麓郷 ジャム農園から 更に 丘の上あがったところ】
ここは 北の国から と言う番組での UFOが 出た ロケ現場ですよね。
丘の下には 富良野の街が 一望出来ます。
【富良野 ジャム農園から 更に 丘の上あがったところ】
私が 描いた 「家族は木の根っ子」 という絵は・・・・・・・・
この富良野は 麓郷にある ジャム農園から 更に丘の上あがったところに
生えたつ 白樺のこの木 を イメージして 発想した 言葉 と 絵 です。
家族は木の根っ子
家族は 木の根っ子・・・・
根っ子が しっかりとしていれば・・・・・
君達の未来の花は 必ず 咲いていくからね・・・・・・。
詩:寺まま
◆南富良野
◆富良野
◆麓郷
【富良野チーズ工房にて】
ここでの ソフトクリームや 牛乳 チーズが とても 美味しかったね。
ここの ソフトクリームが お気に入りで 毎年 訪れて 食したよね。
◆富良野チーズ工房
【富良野駅】
テレビドラマで 放映されていた 「北の国から」 のドラマが
寺田ファミリ〜の子育てを 作っていったと言って 過言でないくらい
寺田ファミリ〜の子育ては 大きく 影響されました。
その舞台となった この 北海道は 富良野・・・・・・・・。
ですが 皮肉にも 私の父が 亡くなる日前後・・・・・・
私の父は 「北の国から」のドラマが 連続で 記念番組として 連夜 放映されており
父が 亡くなる最後に 私の母に 言った言葉が・・・・・
「今夜 まきらの 好きな 北の国から のドラマあるさかいな・・・・
それ 見んならあかんさかい・・・・ はよ(早く) 飯 食っとかんならな・・・。』 だったそうです。
そして・・・・・・
皮肉にも 2003.12月19日の通夜の寒い寒い雪の降った夜・・・・・
私達親子と 私の母は 葬儀場で 亡き父と 最後の夜を一緒に過ごし・・・・
その遺影の飾った隣の部屋に テレビが あり・・・・・
記念番組として 連夜放映されていた 「北の国から」 が 流れていました。
ですから・・・・・
私にとって・・・・・・・・
この 「北の国から」 の 曲は・・・・・
寺田ファミリ〜の子育てを 影響してきた 思い出深い曲であると同時に・・・・
とても 耳にして 悲しい曲と なってしまいました。
◆太平洋ファリー
◆南富良野 幌舞駅
高倉健さん主演の大ヒット映画
「ぽっぽや」鉄道員 の映画のロケ地にて
【南富良野にある 幌舞駅の線路にて】
寺田ファミリーが 二度と来ない子育て期間である大切な時間を
繰り広げてきた 寺田ファミリ〜北海道の旅で・・・・・・
母である私が 愛する息子達 大&直・・・・。
ママが写すカメラの前に立ってる息子達で 一番 ママの記憶に大きく残っている ロケーションが
この南富良野にある 幌舞駅の まっすぐ まっすぐ 伸びる線路 の上での 大&直です。
この幌舞駅は ぽっぽや(鉄道員)の ロケ地として 使われ
いつも ぽっぽや(鉄道員)の 映画音楽が 流れ 雰囲気を 漂わせている駅です。
2001.北海道の旅 以降 もう一度 2003.北海道の旅で 訪れておりますが・・・・
やはり 寺ままは 息子達が この線路に立っていた 2001.北海道の旅での息子達の姿が
記憶に 蘇えり 懐かしく うつりましたね。
この一枚の写真から
母としての想い・・・・
【テント内での 息子達 大&直】
【テント内での 息子達 大&直】
当時 いつも弟の直は お兄ちゃんである大に くっついて
寝ていましたね。
当時 ほんとに 男兄弟で よくケンカしましたが・・・・・
いつも くっついている仲の良い兄弟だったね。
よく 派手に兄弟ケンカして ママを 困らせましたが・・・・・・
今となっては 本当に 貴重な兄弟の時間だったなって・・・・想います。
ホントに 可愛い おふたりさん だったな・・・・。
◆テント内にて
◆阿寒
【阿寒湖での おみやげ屋さんにて】
おみやげを 購入したら キツネちゃんと 一緒に 写真撮って良いよと
いうお店の方の声で キツネちゃんと 一緒に 記念撮影を・・・。
【阿寒湖の すずらん丸】
阿寒湖で すずらん丸に 乗りました。
マリモを 見に行く為です。
【阿寒湖にて】
阿寒湖で 乗船して すずらん丸で マリモ博物館に 行き マリモを 見ました。
もう 兄弟揃って 大興奮して 喜んでいました。
そして
マリモを 想い出に 購入しました。
雌阿寒岳(活火山)を バックに。
◆美深のトロッコ王国
【美深 トロッコ王国にて】
【美深 トロッコ王国にて】
当時の 年賀状に この写真を 使ったな・・・・。
このトロッコ王国で トロッコに乗った後に バッタ事件が・・・・・
このトロッコに乗っている時から 二男の直は 右足が かゆい〜って言ってました。
ママは 直の足を 見たのですが・・・・それといって 異常も無く・・・・・・
ですが・・・・・・とうとう・・・・・ 帰りの レジアスの中で・・・・・・・
再現。。。。。。
直: ママ〜 足 何か かゆいよ〜 ムズムズするよ〜。
ママ: どれどれ ズボン脱いで ごらん。
直が ズボン脱ぐ・・・・・
それで・・・・・・ 何が 起きるのかな・・・・???
直&ママ: ・・・・・・・・・・・・・・・・・・、
ぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ドでかい ドでかい めちゃくちゃ緑色の バッタが
直のズボンの中に 遭遇中!!!
おまけに。。。。。。。。。。。。
卵も 産卵中!!!!!!!!
もう一発。。。。。。。。
せぇ〜の〜〜〜〜
ぎゃあ〜〜〜〜〜〜〜〜
それ以来
二男:直は バッタが大嫌いになりました。
母のつぶやきより。
◆釧路 達古部
釧路にある 達古部オートキャンプ場 にて カヌーに 乗りました。
【達古部にて カヌー】
【達古部にて カヌー】
この頃は ママも 大も 少し ふっくらさん だったかな。
【釧路湿原 細丘展望台より】
この日は 天気も良く 雄阿寒岳 雌阿寒岳 が 見えました。
◆知床 カムイワッカ湯の滝
【カムイワッカ湯の滝】
ここは 硫黄の水が 流れており この滝・川?を 硫黄の水の中
わらじや ウォーターシューズや 靴下の方?等で
上っていくのですが・・・・・
自分的には はっきり言って 危険です。
滝からの転落事故も やはり 多発しているそうです。
私達は まだ 当時 若い親だったので 怖いもの知らずだったのでしょうね。反省だね。
ですが この写真の滝では 直とママは これ以上 上へ(滝のつぼ)の所まで
のぼるのは 断念しました。危険と 思ったので・・・・。
ですが 寺パパと 長男は のぼっていきました。
【カムイワッカ湯の滝の 滝壺】
どうにか こうにか のぼりきった 長男の大・・・・・
ここで ヘビが 泳いでいたそうです。
何とか のぼれたものの・・・・降りていくのがめちゃくちゃ危険で
怖かったようです。 今 思い出すと・・・・ホントに 危険だったと思う。
でも やっぱり 今は 改正されて 危険度高いと なっているそうな。
でも ホントに 一度は 行ってみたい 大自然を満喫できる 良い温泉・滝ですよ。
滝をのぼる途中にて。
知床岳の逆方向は 綺麗な
オホーツク海が のぞめました。
その 綺麗だったオホーツク海のロケーションが
寺ままの記憶に 残りました。
カムイワッカ湯の滝を わらじで のぼっていく。。。。
心の底からの笑顔だったな・・・・・。
【カムイワッカ湯の滝】
【カムイワッカ湯の滝】
知床連山・・・・
山の好きな寺ままは 山の中でも この知床連山は
羅臼岳が 好きです。
北海道の中でも 知床は 大好きな 大好きなところです。
大自然の強さ・・・・大自然の優しさなんか・・・を 感じるな なんてね。
まだこの頃の長男:大は ママより 背が ひくかったんだな・・・・。
◆釧路湿原 ノロッコ号
電車好きの息子達を 喜ばせようと 釧路湿原を走る
ノロッコ号に 乗りました。
途中 停車した駅で 買った ヨーグルトが 美味しかったな。
【釧路駅】
◆釧路駅
釧路駅で カニ弁当(駅弁)を ひとつ買って
雨の中・・・・・
達古部オートキャンプ場の フリーサイトに
テントを 張った 寺田ファミリ〜は
みんなで その一つのカニ弁当を 分けて食べました。
良い想い出です。
◆層雲峡
層雲峡にて 層雲峡を 散策しました。
◆サロマ湖
サロマ湖バックに 兄弟で!
えっ!?? 二男の直は どこ????
発見!
長男の大の前に立つ オレンジパンツの子が 二男:直!!
◆網走
【網走刑務所博物館】
◆清里
網走刑務所博物館にて
どうしても ここへ 家族を 連れて行ってあげたかった
寺ままでした。
【斜里岳】
今回 この山を 目の前にして すっかり 山好きの寺ままは
斜里岳が 好きになりました。
私の子供達は 年が 離れているので 思うように レベルを 合わせた事が
出来ませんでしたが・・・・
いつか 落ち着いたら・・・
山好きの 寺ままは この斜里岳を 登りたいですね。夢です。
◆支笏湖
【支笏湖】
2001.北海道の旅 のアルバムのページを こうして 今 作っていると・・・
感慨深いものが ありますね。
どの写真も 無邪気に みんな 笑っていますね。
まだ 幼かった長男の大・・・・
今では 私より うんと背が 高くなっていますが・・・・・
母親にとっては こんな幼い頃の我が子が・・・・・
永遠に心の中に あるのでは ないでしょうか・・・・・。
私達の子育てを 繰り広げた 北海道の旅 (キャンプ&車中泊 )で 得た 何でも良い・・・・
何かを 我が子である 息子達 大と直の これからの未来に 大きな土台と なればと
母は 思います。
家族が 一緒に おられる時間なんて ほんのわすかです。
その 子供が 幼い時間は 親にとっても 大変な時ですが・・・・・夢中の時ですが・・・・
年月が経って・・・・・・・
その時間が とても 長い人生の中で 宝物に 思えるときが 来ます。
家族は 木の根っ子・・・・・
子供にとって親と過ごした幼少時代・・・・
自分を産んでくれた母親 父親・・・
そして 一緒に 幼少時代を過ごした兄弟が・・・・・
子供にとって 本当の意味での 家族の木の根っ子 のように 最近 感じます。
エピローグ
FIN.
プロローグ
◆当時;
※コース企画・手配 : 寺まま。
ページ作成日:05.06.02
このページの音楽はトップページで
リンクさせて頂いています
ピアニスト:須釜俊一氏の
"Valentin”を借用させて頂いています。
.
【絵:寺まま】
(2001年に浮かんだ詩)