想い出の地:白馬を訪ねての旅
2005.Aug.12〜Aug.14
最初に・・・・・・・・、
約20年程前に 寺ままは 白馬が 大好きで
白馬八方の あるペンションで
居候(仕事を手伝いながら 住ませてもらう事)を
しながら 大好きな白馬に 寺ままは 住む体験をしていました。
就職するまでの自由な学生時代に・・・・・
やりたい事を もう一つ やっておきたかったのです。
それが・・・・・・・
白馬の地に 期間限定でも 居候を利用して住んでみたいという事でした。
あるぺンションに依頼の手紙を書き そして OKを もらい・・・・
約20年程前の 寺ままは 京都から 夜7時発松本行きの電車に乗って
赤い大きなバッグを 肩にかついで 一晩かけて 大糸線は白馬駅を目指して旅に出ました。
又 居候の後・・・休みを利用して 何回か 大好きな白馬へと 足を向けていました。
寺ままにとって 白馬は 青春の想い出の地のひとつです。
そんな白馬へ 2005.想い出の地を訪ねての旅を 寺ままは してきました。
この寺まま自身の白馬の記憶を ホームページに残して置きたいと思いこのページを作りました。
※写真は 当時の写真の有り無しの都合により
当時の前後 まばらに なっています。 当時のイメージが伝わればと思います。
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【約20年前の写真から】
約20年前の寺まま・・・・・
写真は 休みを利用して 白馬を訪れた時のかな。
寺ままが 肩にかついでる 赤い大きなバッグ・・・・・・
これが 当時 寺ままが 自由気ままな旅に出る時
いつも持っていってたものです。
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【約20年前の写真から】
電車で 一晩かけて 白馬駅へと向かい 翌日の 夜明け時・・・
ふと 電車の中で うたた寝していた寺ままが 目を覚ましたときに 目に入った
大糸線は 確か 大町辺りからの風景・・・・・。お気に入りの大切な写真です。
この白馬の雪景色を見て これから始まる時間が とても わくわくして
そして やっと 着いたぞ!大好きな白馬へ!!
という気持ちになったのを 鮮明に記憶しています。
★★★約20年前の白馬への旅の頃の写真と
約20年後である 2005年.夏 想い出の地 白馬を訪ねての旅の写真と
だぶらして 作成しています。★★★
ある程度の人生を 歩いてきて・・・今から思えば・・・・
若い娘が 夜行列車で 一晩かけての 一人旅に出るなんて・・・・
寺ままは 危なっかしい事を してる 小娘だったなって 思いますね。
そう言えば・・・・
列車の中でも 『娘がひとりで 夜行列車なんて危ないね』って
知らないおじさんに 声かけられたっけ。。。。。。
当時 寺ままにとって 大切だった人が (同じ京都の学生) 京都タワーのレストランでの
アルバイトを中断して 白馬へ冒険の旅に出る 寺ままを見送りに 京都駅のプラットホーム迄
見送りに来てくれたのでした。
ホームまで 寺ままが 持っていた 赤い大きなカバンを重たいだろうと 持ってくれた姿が
今も 鮮明に寺ままの脳裏に記憶しています。
その大切だった人も 冒険の旅が 大好きな人だったので・・・・
(バイクでのツーリングの旅など) 寺ままの白馬への旅に影響を 又 されて・・・・
その後 北海道一周の旅に 出られ 北海道から 毎日 絵葉書を 寺ままが 居候してた
白馬のペンションに 北海道から 送ってくれた事が 白馬での 一番の思い出に なっています。
その人は 故郷は 広島で 京都の有名な ある大学の学生さんでした。
同じ年だったので 寺ままが 先に 就職して 社会人となり・・・・・
旅行会社勤務だった私は 多忙となり・・・・ 世界を 飛び回るようになり・・・・・
いわゆる “いちご白書をもう一度”の世界 だったのでしょうか・・・・・・。
その後 その人も念願の銀行マンへと就職されて 転勤で青森に 行かれたところまでで・・・・。
持病の為 ちょくちょく入院していた寺ままに その人が好きだった
浜田省吾 稲垣潤一 佐野元春等の テープを いっぱい持って 毎日 病室に
見舞ってくれた 暖かい人でした。
寺ままにとって・・・・・・大切な 大切な・・・・京都での学生時代の青春の記憶です。
居候先のペンションで その人からの絵葉書を・・・・・
ポストを 寺ままの為に のぞいてくれるのが ルームメートだった大親友となったYちゃんでした。
彼女も 居候を利用して 大好きな白馬へと 来ていました。
彼女は 今は もう 結婚されて・・・・・
宮城県は 仙台にて 一児の男の子お母さんと なっておられます。
誰しも こんな淡い青春の記憶が あるのでは ないでしょうか・・・・・・・。
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【現在.2005年の写真から】
大糸線白馬駅
約20年前・・・・
寺ままは 一晩かけて 京都から 夜行列車を乗り継いで・・・
翌日の早朝 赤い大きなカバンを 肩に担いで
単線の大糸線 この白馬駅に おりました。
寒い雪道を 手のひらを はぁはぁ〜して 温めながら
目指すペンションへと 歩いたのでした。
とても 懐かしい大糸線 白馬駅ですが・・・・
建物が 当時のままだったのかは 記憶が 薄れてました。
ありました。約20年前・・・・
寺ままが 居候でお世話になった あのペンションが・・・・・。
寺ままと ルームメートのYちゃんが 住んでいた屋根裏もありました。
ですが・・・・・・・
残念ながら・・・・ 人は 変わられていました。
ですが・・・・約20年経って 又 ここを 訪れて・・・・
寺ままは とても 懐かしい想いに 包まれシャッターを押しました。
ここ!
この三角部分の
屋根裏部屋に
ルームメートの
Yちゃんと
住んでたよ。
【現在2005.の写真から】
※写真は 個人権の為
全建物でなく 一部のみ
掲載させて頂いています。
【約20年前の写真から】
屋根裏部屋の 寺ままとYちゃんが住んでいた部屋
【約20年前の写真から】
屋根裏部屋の 寺ままとYちゃんが住んでいた部屋
ギターの弾き語りが 好きな寺ままは いつもこのギターを
ペンションの仕事を 終えたら Yちゃんと 地酒のにごり酒(期間販売)
白馬錦を 呑みながら 弾いてました。
ベッドの柱の横に写っている赤い目覚まし時計。
この時計で ペンションの早い朝を 起こしてもらっていました。
この目覚ましには Yちゃんも 寺ままも お世話になったっけ・・・・。
右上に写っている黄色の ロープヒモが 洗濯物の干し場に 使用してたのでした。
狭い 屋根裏の部屋でしたが・・・・立てば 頭が 屋根で つっかえる部屋ですが・・・・
ルームメートのYちゃんと寺ままにとっては 最高のお城でした。
【約20年前の写真から】
寺ままが 仕事の合間 滑ってたゲレンデ。
寺ままは 中級レベルのスキーを 滑ります。亡き父の影響です。
【約20年前の写真から】
白馬八方兎平のテラスでの 写真より。
中央 黒の服の子が 寺まま。左端の女の子が ルームメートのYちゃん。
忙しいペンションでの お客さんの予約の無い時は オーナー.白馬の人と こうして
思いっきり楽しく 山で 過ごしていました。
寒いんですが 快晴の日はゲレンデは日照りが 凄いので 夏の格好して焼いてましたね。
【現在2005.の写真から】
ありました。 あの白馬八方兎平のテラスが・・・・・。
ですが........
かなり 古びていました。本当に 懐かしいですね。
【約20年前の写真から】
白馬は エコーランドでの 写真。ルームメートのYちゃんと。
らくだ屋という 居酒屋で 地元の人に連れてもらって
よく 呑みに行ってました。
白馬の人は ペンション等の居候の子たちを とても面倒見てくれる
優しい人たちばかりでした。
いつも いいちこ という焼酎がお気に入りで 白馬の人たちと呑んでたな。
今回は 兎平より 更に上へ・・・・・
八方山荘のあるところまで リフトが 連れてってくれました。
高山植物が とても綺麗でした。
高山植物を どうぞ お楽しみください。
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【現在2005.の写真から】
残念ながら・・・・ 悪天候の為 山頂からの澄み切った写真を撮る事は
出来ませんでした。二男の直も マイカメラで 撮影を楽しんでいました。
カライトソウ
オヤマリンドウ
シモツケソウ
ハクサンシャジン
※花の名前が違っていたら ごめんなさい。
【現在2005.の写真から】
兎平にて。
こうして 約20年の月日が 経って・・・・
色んな人生を 寺ままは 歩いてきて・・・・
そして・・・・・今・・・・・二男を連れて この想い出の地:白馬を 訪れました。
時の流れ・・・・・・
その時間の中には・・・・・
数知れぬ 人生という年輪を その人その人なりに 生きてきてるんでしょうね。
二男を こうして カメラで のぞいた時 ふと そんな風に 思いました。
20年という時の流れの人生模様を・・・・・・。
現在のエコーランドは もう 約20年前の面影は 残っていませんでした。
すっかり 変わっていました。建物も そして・・・・人も・・・・・。
今は アウトドアーブームで アウドドアー関係の体験などのお店が 出来てました。
J&Bの横にあった プールも 無くなっていました。
エコーランドの人と そんな話を 立ち話で しました。
長野オリンピックが ピークだったね・・・。ということでした。
20年という 長い長い 月日の重みを 改めて 感じました。
同時に 生きるという 厳しさを 感じました。
【約20年前の写真から】
白馬で知り合った人たちと こうして よく楽しみましたね。
中央手前の子が 寺まま。手前 右端の子がYちゃん。
仲良しYちゃんと寺ままは いつも山娘に憧れて バンダナを巻いてたな。
【約20年前の写真から】
和田野の森にあった テニスコートのある
階段をお花で 綺麗に飾ったペンションでした。
ですが 今回 訪れた時は らせん階段に変わっていました。
.☆:*・゜☆☆:・*:.。.☆白馬 和田野の森にて.☆:*・゜☆☆:・*:.。.☆
【現在2005年の写真から】
和田野の森にて。寺まま&直
想い出に 一枚撮りました。
【現在2005年の写真から】
和田野の森には 教会があって・・・・・
白馬村でも 上の方にあって とても落ち着いたところです。
この森を 約20年前
寺ままは ひとりになりたい時・・・・
ぷらりと よく散歩したのを 記憶に残っています。
【約20年前の写真から】
白馬は 和田野の森の教会にて。
女の子は みんな そうだと思いますが・・・・
将来を 夢見る 女の子でしたね。
【現在2005年の写真から】
白馬は 和田野の森の教会にて。
白馬の青春の記憶から・・・・。
【現在2005年の写真から】
ゴンドラのりば にて。
二男の直と 撮りました。
寺ままの記憶より
エコーランド 白馬村
こうして・・・・・
約20年ぶりに 想い出の地:白馬村を 訪れました。
随分 変わっていましたが・・・・・
ところどころに 懐かしい面影が 残っていました。
まだ 20歳前だった あの頃の寺ままと・・・・・・
そして いろんな人生経験重ねた今の寺ままと・・・・・・
変わっていない事が ひとつあります。
それは・・・・・
いつまでも・・・いくつになっても・・・・・
自分は 自分なんだって事。
私は 10代の頃から 赤い大きなバッグに 荷物を詰めて
ぷらりと 気ままで自由な旅に よく出ました。
そして・・・・・・旅先で いろんな人たちと出会い・・・・
いろんな事を見て お金では 買えない 机の上での勉強では学べない
いっぱいの事を アクティブに吸収してきました。
やがて・・・・・結婚して 子供が 出来て 生活を持って・・・・
自分が 自分だけでは 出来なくなりました。
サポートがあれば・・・・
まだ もっと できるだろうけれど・・・・・
私は それを 望みませんでした。
私が お腹を痛めて産んだ子は 私の愛情で 育てたいと望みました。
私は 旅が好きで・・・・大空が好きで・・・・
卒業後 某旅行会社に就職しました。
ですが・・・・・・
お母さんになりたくて・・・・・・仕事を 断念しました。
手元に お客様からの お礼の便りや お礼の写真など 一生の宝物を持って・・・。
当時・・・悔いは 無いと思いました。
ですが・・・・
又 復帰したいという気持ちは 正直あります。
今なら
まだ 復帰できますが
下の子が 『 お母さん・・・。僕のそばに いなくなるの?』って言葉を
聞いた時・・・・・・胸が つまりました。
持病の為 最近では 右足だけが 浮腫みます。正直・・・この先が怖いです。
私は ほぼ毎日8キロの距離を 走りこんでます。
自分に負けたくない・できるだけ維持していたいという気持ちから・・・。
下の子がある程度 大きくなった時の自分は もう無理かもしれないけれど・・・・。
夢は 持っていたいです。
もし 再現の夢が かなわなくとも・・・・
私は 学生時代に思いっきり 自由に好きな事をしてきて
狙っていた夢の仕事につけて 夢であった会社に入れて・・・
夢であった ほぼ世界一周を 仕事を兼ねて出来ました。
そして・・・・・・
お母さんになる事を選び 精一杯 お母さんをしてきた。
顧みない深い愛情を息子達に 注いできた。
そして・・・・・・
記憶・母さんの想いを 遺言のつもりで このホームページに残してきた。
このページに出てくる 白馬でのペンションで ルームメートだった
Yちゃんが います。
Yちゃんが 私の結婚披露宴で 友人代表で スピーチしてくれたのですが
印象に残った言葉が ありました。
『 まきは(寺ままの事)・・・・・・(泣きながら)
何事にも 全力で 一生懸命頑張る子です。
恋愛にも仕事にも友達にも・・・・。
そんな まきが 私は 好きだから・・・・・・。
ずっと ずっと 結婚しても そんな まきで いて欲しい。』と・・・・・。
私は このページで 息子達に伝えたい事が あります。
二度と戻ってこない青春の時代を 精一杯 精一杯 生きてね。
何故なら 自分が 自分だけの者で おられて自由気ままに出来るのは
青春時代だけだから・・・・・・。
お金では 買えない。机の上の勉強では 学べない。
そんな事を これからの息子達に いっぱい吸収してって欲しい。
お金が無くとも 別の手段が あります。
居候やバイトで 旅には 出れます。
旅先では 居候募集が きっと いっぱいあります。
自分の視野・世界を ひろめて いろんな人と出会い いろんな地を踏み
見聞 体験をしていって欲しいと思います。
何故なら・・・・・・それが 自分にとっての青春時代の財産と残るから。
【現在2005年の写真から】
白馬・白馬村。
中央に見えるのが 長野オリンピックで使われたジャンプ台
FIN
走行距離数:602キロ
記憶を蘇えらせてくれて ありがとう・・・
※このページのBGMはトップページに
リンクさせて頂いて おりますピアニスト:
須釜俊一氏の “ひとり” を
借用させて頂いております。
☆*・゜☆゜・*:.。.☆ .:*・゜.:*・゜☆゜・*:.。.☆ .:*・゜☆゜・*:.。.☆ .:*・゜.:*・゜☆゜・*:.。.☆ .:*・゜:*・゜☆
寺まま 自画像
【20歳の頃の寺まま: 作成時⇒20年前】
【現在の寺まま: 作成時⇒現在2005年夏】
絵: 寺まま
【寺まま 20歳の頃】
【寺まま 20歳の頃】