平成18年 12月4日(月曜日)曇り の日
   MAMA and ME  の記より
今日は とても 寒かったですね。北の方では 雪だったとか・・・。

寺ままは 「ありがとう。」「ご苦労様。」と 言える人で ありたい・・・
同時に 息子たちにも そう 言える 人に 育っていて欲しいと 願っています。

今日 次男が お片づけしやすいように サンルームの はずれた一角を 
次男用の 物入れに しているのですが・・・
次男が お片づけしやすいように 寺ままが 工夫して 棚を 作って
整理しやすいように 作業を 行っていました。

長男が 忘れ物をして 忘れ物を 取りに 帰ってきました。

長男が 忘れ物を 取りに 帰ってきて 学校に 戻る時・・・
リビングのところの扉を わざわざ 開けにきて・・・

 黙々と 作業している 私に・・・

    『母さん ご苦労さま。』と 告げて


 彼のケッタに またがって 学校へ 戻りました。
その『ご苦労様。』という 彼の言葉・・・・。

       寺ままは 涙 溢れました。

どんなに 反抗期であれど・・・ 
私が 育てた 息子・・・・・、


私は 常に子育てのテーマであった、 又 自分へもの テーマであった

「ありがとう、 そして ご苦労さまと 言える人で ありたい。」と・・・
(このホームページの 自分のプロフィールにも 書いておりますが)

息子が 「ありがとう、 そして 、 ご苦労様。」と 言える人で
いる事に・・・ いえ ・・・ 反抗期で 表面的には ヤンチャでも・・・
心の 奥底では・・・・

「ありがとう。そして ご苦労様。」と 感じているんだなぁと、
わかって いるんだなぁと。

親に対して 彼は 素直に 表現 出来ないけれど・・・ 
本当は 本当は 心の奥底では・・・・
母さんの事を わかってくれているんだ。って・・・・
彼の 「ご苦労様」という 一言の言葉から・・・・・
彼の心の中の全て わかり 寺ままに 伝わり・・・・・
私は 素直に 嬉しかったです。

親のいない 手助けの無い 母さんが 「母さん」として 
必死に生きてきた 母さんを・・・
少しづつ 少しづつ いろんな事の起こりの 積み重ねで 
彼なりに 母さんの事を わかって 気づいてきてるんだなと 感じます。

先日 彼が 4月から 通学する ある 学校へ
説明会へと 息子と 行って来ました。

先生が 生徒に対してのカウンセリングの とても利いたSCHOOL
何よりも 校則も ない 「自由」な 学校・・・・
ですが・・・ 自由ほど 怖いものは ない。
「自己責任」が 問いただされる学校。
ですが・・・ この「自由」な 学校で 恐らく 普通の高校に 通っている
高校生よりは・・・ 彼は 恐らく 早く 世を知り 自立 大人へと 
なっていくと 思います。

見学会 説明会を 自分の目で 確認して 逆に 私は この学校が
とても 息子に向いた 合った 最高の学校だと 今は 心から思います。

私は ほとんど 高校へ 通っていません。(入院生活が 長かった為)
中学校は とても 楽しかった。ですが・・・ 持病の発病と 共に・・・
入退院の繰り返しで 学校を 遠ざかり・・・
気が ついたら・・・ 高校に 馴染めない高校生でした。
ですが・・・ 音楽が 趣味だったので 他校の生徒と バンド活動や
アルバイトへと 自分なりにの 青春時代を 満喫しました。
学校生活以外から バイト生活等からも 色んな事を 吸収しました。

息子に 色んな 色んな事を 経験 させてやりたいと 思います。
日本の国という 校則の固まり 狭い視野の世界でなく・・・
思いっきり 色んな事を 自由に 経験させて やりたいと 思います。


 「ですが・・・ 自由は 本当の 自由では ありません。
   自由だからこそ・・・ 自己責任が 持たされるという事を。」


もしかしたら・・・ 
声が 出なくなるほど 悲しい事が この先 あるかも しれません。
ですが・・・ 
中学を 卒業した彼には 私は 息子に ひとりの 大人として
彼を 見ていって やりたいんです。
ですが・・・寺ままに とって 長男 そして 次男が 私の息子たちです。
長男が いくつになっても 次男と 同じように 寺ままの愛する息子たちとして
同じように 接して 愛して いって やりたいですね。

 上の子というものは いくつになっても 自分も 親から 下の子(弟や妹)と 
同じように 愛され 接して欲しいと 願っていると 寺ままは 思うのです。

色んな 苦難の時期を 過ごしてきて 今の 寺ままの 母さんとして
そう 感じるのです。そうする事によって 思春期の子に 必ず 親への
安堵感・・・、自分も 下の子と 同じように 愛されているんだって
心が 安定すると・・・。とても それは 親にとって 大切な事だと思います。
親から

息子よ・・・・・
自分の道を 歩いて行きなさい。色んな 苦い道 美味しい道を 覗いてご覧。
そうやって 子から 大人へと 人は 社会を 知っていくんだよ。

母さんが このホムペにも 残しているように 家族で 繰り広げてきた 
「北海道の冒険の旅」が・・・・・
冒険の旅からも お前に 色んな事を 伝えてきたね・・・。 
お前の 心の奥底に しっかりと 残っていると 信じています。

お前が 大切とする人(彼女)を 大切に していきなさい。
   
 私が 息子に対しての 自慢!!

 @息子は 小学校時代 卒業するまで 苦しい練習に耐え 1級である 
  最高の帯である  紫帯まで 取得して 柔道部で キャプテンだった事!!

 A中学校時代 卒団するまで 苦しい練習 試練に耐え 野球を 成し遂げた事!

 B母さんが 入院する丘の上の大学病院に 大切な人を ケッタの後ろに乗せ
  大切な人を ケッタから 降ろさず 丘の上の母さんが 入院する病院まで
  ケッタを 力づくで こいで 母さんの お見舞いに 来てくれたこと!!!


 どんなに 反抗期で 難しい時期な 息子ですが・・・・・
そんな時期って 寺ままにも 若い頃 ありましたよね。
 誰しも 通る道・・・・・・

 虚しさ 悲しさに 包まれ 心臓が 苦しい時も 正直 ありました。
ですが・・・・

 今日の息子の ひとこと・・・・

わざわざ リビングの扉を 開けに来て・・・・

   『母さん、 ご苦労さま。』と

しっかりとした 口調で その言葉を 母さんである 私に告げて 
学校に 戻って行きました。

 たった その一言の 「ご苦労様。」という 長男の言葉から・・・・
涙が いっぱい 溢れた とても 嬉しかった 今日の 寺ままでした。 


「ありがとう。」「ご苦労様。」・・・
   人として・・・ 素敵な 言葉だなと 思います。

【 大(兄) 小学6年生  直(弟) 小学1年生の頃の 兄弟の写真から】
中学を 卒業した彼には 私は 息子に ひとりの 大人として
彼を 見ていって やりたいんです。
ですが・・・寺ままに とって 長男 そして 次男が 私の息子たちです。
長男が いくつになっても 次男と 同じように 寺ままの愛する息子たちとして
同じように 接して 愛して いって やりたいですね。

 上の子というものは いくつになっても 自分も 親から 下の子(弟や妹)と 
同じように愛され 接して欲しいと 願っていると 寺ままは 思うのです。

色んな 苦難の時期を 過ごしてきて 今の 寺ままの 母さんとして
そう 感じるのです。そうする事によって 思春期の子に 必ず 親への
安堵感・・・、自分も 下の子と 同じように 愛されているんだって
心が 安定すると・・・。とても それは 親にとって 大切な事だと思います。
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