昨夜 監督より 『高校行っても野球をしてゆきたい者は監督に申し出るようにと
監督は その目でその子を指導してゆきます。』とお言葉を頂き 母は 大に伝えた。
息子;大は 今日 早速 監督に 「夢は高校野球です!野球のスカウトで
高校入り目指したいです。その目で 野球人の僕を見てください!と伝えるよ。」と
今朝 私に
そう伝えて家を出た。
たとえ その夢が かなわなくとも 夢を持ち それを 追う大こそが
その夢が かなうことよりも 素晴らしいと母さんは思う。
大!頑張れ!母は いつも君を 応援しているよ。
昨夜 コーチが 『寺田君は 小学校時代 柔道を していて
野球を したいと 言わなかったのかな?』と 私に 話してきた。
私は このように 答えた。
「大に 私は 成し遂げるという根性を 教えたく 野球に移る話を 止めました。
ですが 6年間 柔道を 成し遂げた時
その後は 大の選んだ道を 歩きなさい。
その時には 必ず 大に 根性魂というものが 出来ているはずだからね。」と
息子:大に 話した事を コーチに
話しました。
コーチは 『決して 中学からでも 遅くは ないですよ。
ですが・・・何故 寺田君は 柔道をしていたはずなのに
野球が あれほど 出来るのですか?』と 疑問を 私に
話してきてくださった。
私は コーチに 「週 5回の柔道の練習を 道場二つ
かけもちで 大は 頑張ってきました。
○○柔道教室では 主将を 任されていました。
野球は マニュアルのビデオを すりきれるほど 見て
独学で 野球を 覚えてきた息子です。
そして やぶれるほど 見た 野球の本で
独学 してきていた
息子:大です。
6年生卒業して 大は 野球を選びました。
ですが 柔道を してきたことを
大は 悔いてないと
言ってくれました。
あの柔道を 頑張ってこれたから
今の自分が出来ていると
私に 言ってくれました。」と
コーチに 私はコーチの疑問を答えた。
◆平成17年 1月30日の日記より 母@寺まま:記
今日は、2試合あり、両方とも先発では出れませんでした。
1試合目は、1チーム約120人もいる、知名度の高い、非常に強いチームと
対戦しました。
そうしたら、初回から2点先制して、4回には4点入り、4−0で勝っていました!
ですが、5回から、ピッチャーが崩れ4−3まで、追い上げられました!そして、
最終回には、4−4に同点にされて引き分けで終わりました!
1試合目は、初回から流れが僕のチームだったので、
チームが油断していたせいもあったかもしれません!
2試合目は、初回から相手チームに3点先制され、さらに
4回には、6−0にされていました。そして、僕が代打で、出たのですが
ピッチャーゴロでした!ですが、チームがあきらめず、1塁をとり、
積極的に盗塁をきめていたら6−5になり、後、2点入れたら、
サヨナラ逆転勝ちだったところを、点数が入らず負けてしまいました。
2試合目は、たとえ6点入れられていても、あきらめずに、頑張ったところが
良かったと思う。悪かった所は、代打で出てヒットが打てなかったところでした。
それを、改善するには、素振りの量をもっと増やし、バッティングセンターを、
もっと利用する事と、監督に積極的に聞きに行く事だと思う!
今回の試合で、【野球は最後の最後までわからない!】ということが、
良くわかった!
◆平成17年 1月30日の日記より大(長男): 記
【大(長男)と寺まま(母) 05.1/30の 野球日記より】
このページの曲は
さくらドロップ:宇田多ヒカルです。
そして、いつも遠征試合の送り迎えしてくれ、
チームのサポート、チームの応援を
してくれる、母さんに感謝します!
最後に、リーグ戦最終戦、母さんが体調を
崩し見に来れなかったのは、残念でした。
05.2/5豆まき後 撮影 フリーカメラマン 二男:直(8歳)
04. 12. 撮影
【大 と 寺まま】
【大 04.12. 新人リーグ戦より】
このページは 大と母さんである 寺ままとの
野球という夢を追っている二度と戻らない
貴重な時間を永遠の記憶に
残したく作りました。 母(寺まま)
息子とは いつまでも同じ背の高さの
つきあいでいたい。寺まま