母には 毎日電話を入れるようにしている。子供達が帰ってきたら”ただいま”
を必ず おばあちゃんにいれさせるのが日課になっている。
母はその電話の声を 楽しみに 生きる源にして頑張っていると母は言う。
長男の大が中学になってからは部活などで なかなか思うように奈良に帰って
あげれないのが 娘として 心苦しい自分がいました。
母は64歳で主人と永遠の別れをして・・・
母は 父と築き上げたあの家を守っていくのが 母の使命だと言う。
きっと その人の立場になるとそうなんだろうって思う。
”人に 自分の気持ちをわかってもらおうと思ったら
かえって自分が傷つくだけだよ”と言った私の言葉を。
母は 日々すごく感じるらしい。本当に母はよく頑張ってきていると思う。
娘家族も息子も遠方に在住の為・・・
主人を亡くした直後は一人になるのが辛いのに 母は 一人で頑張ってきた。
母の息子の事で 母は悩んでいる・・・。
今は その相談し合っていた主人であった父がいない現実にふと涙が出るらしい・・・。
母を迎えに名古屋駅まで行って、久しぶりの母に会った・・・・。
父が亡くなって以来 母と会うたびに 涙が出そうになる・・・。
母は 少し痩せたようだった。食べているのかな?って心配になった。
母と二泊三日の短い時間が あっという間に過ぎた。
その二泊三日の 一分一分が 私にとって とても貴重な時間だった。
この二泊三日で 私は半年分の母への 親孝行をしたように思う・・・。
父が亡くなって 学校を出てからずっと遠方に私は出ていたので 父への後悔が
いっぱいあるので 母に対しては後悔を したくないので・・・
いっぱい母へ親孝行をしたかった。近くの温泉にも連れて行ってあげた。
食事も 私の手作りのお料理を並べてあげた。朝は 私の手作りのパンで
朝食のテーブルを飾ってあげた。
とにかく ずっと母の傍にいてあげたかった。
母は なかなか会えない娘の私に 父を亡くしてからの母の頑張りを
必死に娘の私に 話し続けた・・・・。
おかあさん・・・私だって辛かったんだよ。母の日にも父の日にも月命日にも
帰ってあげたくとも私もお母さんだから 帰ってあげれなくってね。
おかあさんの元気のない声を電話の向こうから聞くのは
娘として毎日心が キュンと痛かったです。
でも 私らしく 空元気でも良いので頑張っていたよ。
おかあさん・・・お父さんが亡くなってすぐ、私は あの家の大掃除を
無心でしていたよね。
父が死んで おかあさんが悲しい思いしないようにと 父の物全て 整理して
私は捨てちゃったよね。お部屋を 母がひとりで暮らしやすいように
父が死んですぐ 私は その作業を 実家でおこなった娘の私がいたね。
父の持ち物のゴミを 粗大ゴミの日に私は 奈良まで帰ってこれないので
全て名古屋へ 車に積み込んで私は持って帰ったね。その持って帰った
父の持ち物のゴミをひとつ ひとつ ゴミ場所にひとりで運んで捨てる作業は
父を亡くしたばかりの私にとって とてもとても辛かったんだって はじめて
母に言ったら・・・・。
母は一生そのまきちゃんのお母さんを思ってしてくれたことは
忘れないよっていってくれたね。
身内を亡くした人間の後の立ち直り方について 他人は思うように勝手な事を言う。
ある方のホームページにこんな内容が 書かれていたが・・・・・・・・
”身内を 亡くした人間は その人 その人なりにのペースで やるものです。
そのことについて とやかく言う 権利は他人には ありません・・・・。
その人 その人なりに 一生懸命 立ち直っているのです。
ただ、立ち直るのに その人その人の生活の環境もあるのです・・・・。”
母の場合は 娘家族も息子も遠方の為 父の死後 相当辛かったと思います。
私は その人のホームページに書かれていた この言葉を拝見して
気持ちが少し楽になったのです。
そう・・・・その人 その人なりにのペースで立ち直っているのです。
それを どうの こうのと言う権利は 周りに無いって言うことを。
母は いつまで 泣いているのー!?って そんな辛い経験もした事の無い人に
言われる事が悔しいと言い、その時にまきちゃんが言う言葉を思い出すと言います。
”人に 自分の気持ちをわかってもらおうと思ったら
かえって自分が傷つくだけだよ”と言った私の言葉を。
夜も私達が寝る部屋に 母の布団を敷いてあげました。
母は いつも ひとりなので お前達の傍で寝れるの嬉しいなって言ってくれたね。
今回は 何度も何度も一緒に暮らそうよと 子供達も寺パパも母にそう言いました。
母は 首を 横に振ります。
でも いずれ おかあさん・・・・私達と一緒に暮らそうね。
母を 駅まで ファミリ〜全員 パパ&大&直とで 送りに行ってきました。
二泊三日・・・・・。あっと いうまの時間でした。
大は切符を駅に着くと 買いに走りました。
直は おばあちゃんの手を しっかり握りました。
電車が 見えなくなるまで 私達は 母を見送りました。
涙こらえるので 必死でした。笑顔で 送ってあげたかったんだよね。
おかあさん 思うように帰れなくって今回 こんな遠い所まで電車乗り継いで
来てくれてごめんなさい。無事に帰ったかな。帰った時間を見計らって 又電話するね。
母と父の死を プラス思考に プラス思考に受け止めるよう バカみたいに
何度も何度もそんな 話しをこの二泊三日でしましたね。
母に大の部活している光景も 見せに連れってあげました。
この二泊三日 心込めて いっぱいいっぱい 親孝行をしてみました。
でも 私も 疲れました・・・・。やはり そろそろ 老体かな・・・・。
母を駅まで見送った時の 母の後姿を見て・・・・
あと 何回 この母の後姿を 見れるのかなって思いました・・・。
平成16年 6月12日(土)晴れ の日記より
【母との二泊三日】
このページのBGMは須釜さんの
ひとり という曲です。