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エピローグ シェドが朝日で目を覚ました時、すでに隣で寝ていたはずのアリアの姿はなく、同じ部屋には死んだように眠っているセシリーの姿だけがあった。ミレーヌは隣の部屋に居候しているため姿は確認できない。 「……さて」 布団からすっくと立ち上がり、シェドは部屋干ししてあったいつもの服に袖を通し、洗面所で顔を洗ってから店へ足を運んだ。 「あ、おはようございます」 まだ朝早いというのに元気良いフィオナの声がシェドの耳に届いた。どうやら朝食の準備をしているらしく、その傍らにはフィオナとお揃いの割烹着をつけたアリアの姿もある。 「おはよう。……お、飯の準備手伝ってるのか」 「そう」 「それはいい。じゃあ今度から野宿の飯当番を交代制にしよう。いつもいつも俺が作ってるからな」 シェドはカラカラと笑いながら椅子に腰を落とした。アリアは昨日あんなに苦しそうに布団の上で唸っていたのが嘘のように、ケロッとした様子で黙々とフィオナの仕事を手伝っている。 「そう言えば、フィオナに聞いたか? 今日、朝食を食べたらこの街を出るぞ」 「……うん。わかってる」 一瞬ピクッと体を震わせたアリア。しかし何事もなかったように振る舞ってシェドの元へ朝食を運んできた。 「携帯食は買ってあるし、必要なものも揃えてある。荷物の整理は一昨日の晩に済ませたから、もういつでも出発できる」 「…………」 アリアは厨房へ入り、自分の分の朝食を持ってシェドのテーブルに戻ってくる。そして向かい合うように腰掛け、朝食のクロワッサンを食べ始めた。 「体は大丈夫か? 昨日非道くやられていたようだが」 「大丈夫。ちょっと痛いけど、問題ない」 ホットコーヒーをすするシェドに対し、アリアは大きめのコップに入ったミルクをごくごくと音を立てながら飲む。 ふとアリアの手が止まり、アリアが物言いたげな目でシェドを見つめた。視線に気づいたシェドが「なんだ?」と尋ねると、アリアは少し間を置いて口を開いた。 「昨日、私がやられて、どうなったの? レンは……?」 仄かに顔を悲しみの色に染め、アリアが何かを恐れたような眼差しをシェドに向ける。シェドは黙ったままコーヒーを飲み干し、煙草に火をつけて白い息を窓の外に吐く。 「どうなったって、俺が倒したに決まってるだろ?お前が深手を負わせていたから楽だったぜ」 「……殺したの?」 「いや、再起不能ってところかな。お前が最初に相手した男達が、レンとか言う少年を連れて馬車で逃げていったのは確認した」 「そう……」 シェドの話を聞いてアリアの瞳から恐れの色が褪せていった。そしてアリアは再びクロワッサンを口に運ぶ。 「セシリー……、あの女のことについては聞かないのか?」 「それはフィオナに聞いた」 「あっそ」 しばらくしてフィオナがテーブルに寄ってくる。シェドはフィオナと視線を絡めた後、何も会話をかわすことなく立ち上がって部屋へと引き上げていった。 部屋に戻る際、シェドはミレーヌと廊下ですれ違った。ぼさぼさの頭を掻きながら、寝ぼけ眼で「ほえ?」と奇声を発したミレーヌに肩を竦め、シェドは居候させてもらっている部屋へ入った。 「……あら、おはよう」 「セシリー、もう起きても大丈夫なのか?」 シェドが部屋に入るとすでにセシリーが活動を開始していた。セシリーにとって少し足や手の丈が短いフィオナの服を身につけ、長い髪を櫛で掬っていた。 「大丈夫って言えるほどじゃないけど、普通に行動する分には問題ないわね」 「そうか。……俺たちは今日この街を出るが、お前はどうする? 組織に戻るのか?」 「おめおめと戻ったところで、負け犬の処分は決まっている。折角シェドが殺さないでくれた命なんだし、わざわざ死にに帰るような真似はしないわ」 遠い目で窓から景色を臨み、セシリーは微笑を浮かべながら小さく息をつく。 「組織に戻らないとすれば、どうするつもりだ?」 「さあ。時間だけはたっぷりありそうだし、ゆっくり考えるわ」 両手を後頭部にまわし、ファサっと髪を掻き上げながらセシリーがシェドへ歩み寄る。そしてそのままシェドの脇をすり抜け、部屋の扉に手をかけた。 「お店へ行けば何か食べ物出してくれるかしら?」 「……ああ、たぶんな」 シェドが答えると、ふふふと笑みを零しながらセシリーは去っていった。 部屋に一人となったシェドは、昨日の戦いでボロボロになってしまった上、雨に打たれてびしょ濡れになったアリアの服を見つめ、そっと袖を手で触れてみる。そして乾いている事を確認すると、ハンガーから下ろして丁寧にたたみ、鞄の中へ押し込んだ。 自分の荷物とアリアの荷物を両手に抱えてシェドが店へ戻ると、アリアとフィオナとミレーヌが同じテーブルに、セシリーがその隣のテーブルについて朝食を食べていた。 「…………」 二人の荷物を抱えるシェドをアリアが目を細めながら確認する。口には出さないが、何処か悲しさを含んでいるような表情だった。 「フィオナ、旅立つ前にアリアを風呂に入れてやってくれないか? 昨日の戦いで体中汚れているだろうし、旅に出れば当分まともな風呂には入れないだろうから」 「そうね、じゃあ沸かしてくるわ」 フィオナがぱたぱたとその場を去っていき、シェドはアリアの鞄を開いて中から替えの下着と女学園の制服を模した服を取り出した。そしてそれを落ちないようアリアの頭の上に乗せ、笑いながら窓辺に身を寄せる。 準備を整えたシェドとアリアが表に出ると、アンミラ亭の前には二頭の馬が引く立派な馬車があった。その前には昨日の昼下がりに現れた年配の男の姿がある。 「街長」 二人に遅れて店から出てきたフィオナとジールが男を見つめてつぶやく。街長と呼ばれた男は何やらジールにアイコンタクトを送った後、視線をシェドへと切り替えた。 「出て行けと言ったくせに何を今更と思うかもしれない。だが、やはり何かと思って用意させた。よかったら使ってくれ」 「……この馬車を、ですか?」 「うむ。君たちがこの街にいると街に危険が及ぶやもしれん。だが、君たちがこの街を救い、多くの街の人間を助けてくれたのもまた事実じゃからな」 街長が申し訳なさそうに頭を下げる様子を見て、シェドもサングラスを外して一礼する。アリアは首を傾げていたが、シェドに習って一礼した。 鉄製の車輪に木造の車体。皮の屋根で車体全体を覆っている立派な馬車をしばし見つめ、二人は抱えていた荷物を車内に収めた。 「君たちの旅に幸多き事を祈っている」 「ありがとうございます」 「シェドさん……」 シェドが街長との話を終えた時、そっとフィオナがシェドの元へ歩み寄った。隣に立つアリアへ笑みを投げかけた後、フィオナはシェドの顔を見つめながらアリアに対するのと変わらないほど爽やかな笑みを見せた。 「フィオナ、昨日も言ったが本当に世話になった。ありがとう」 「はい。……あの、シェドさん」 「何だ?」 フィオナは間を置いて、顔を少し左へ傾けながら口を開いた。 「前にシェドさんが言っていた、シェドさんの生きがいっていうのが、早く見つかるといいですね」 「あ……? どうしたんだ、急に。あの時、もし俺の生きがいが見つかったら、俺は容赦なくアリアを見捨てて旅をやめるって言ったはずだが?」 シェドが首を傾げながら目をパチパチさせる。しかしフィオナの笑みは崩れず、チラッとアリアを一瞥してから、 「そうですね。でも、もしかしたらそうじゃないかもしれません」 「は?」 「シェドさんの生きがい。……案外簡単に見つかるかもしれませんよ、うふふ」 そう言ってフィオナはシェドに背を向け、アリアに体ごと振り向いた。結局フィオナが何を言いたかったのか理解できない様子のシェドは、頭を掻きながらフィオナの背中を見つめた。 アリアが振り返ったフィオナの顔をジッと見つめた時、フィオナの足下をヒューイが駆け抜け、ピョンとアリアの頭に跳び乗った。 「……ヒューイともお別れ」 アリアがヒューイを両手で抱きかかえてつぶやく。フィオナは悲しい顔を振り払うよう首を振り、いつもの笑顔を浮かべた。 「ねえアリアちゃん、よかったらその子も連れて行ってくれない?」 「え……?」 「その子アリアちゃんのこと大好きみたいだから、ずっと一緒にいたいみたい」 フィオナの笑顔とヒューイを交互に見つめ、アリアは何と答えたらいいのかわからないといった表情をする。ヒューイはアリアに抱きかかえられながら「キュー」と嬉しそうな声をもらす。 「でも、貸してあげるだけよ。プレゼントするわけじゃないからね」 「貸す……」 「そう。借りたものは返さなきゃならないわよ」 「…………」 アリアが首を傾げる。フィオナはそっと膝を折ってしゃがみ込み、アリアの小さな体をギュッと抱き寄せた。 力を込めれば壊れてしまいそうなほど小さいアリアの体。その熱、匂い、柔らかさを体で感じながら、フィオナはアリアに見えないよう涙をボロボロと零した。 シェドは涙で濡れるフィオナを一瞥し、ジールへ体を向けて礼をすると、一足先に馬車へと身を消した。 「フィオナ……?」 「わかったわね。ちゃんと、ちゃんとその子を返しにくるんだよ。アリアちゃんのご両親が見つかったら、家族揃ってまた私に会いに来るんだよ」 「…………うん。わかった」 小さく小さくつぶやいたアリアの答えを聞き、フィオナはそっとアリアの体を離した。アリアの瞳に映ったフィオナの表情は柔らかで、仄かに目元が赤くなっていた。頬には涙が伝った後が残っており、手の甲にも滴が零れている。 「じゃあね、アリアちゃん」 「うん」 ヒューイを頭の上に乗せたまま、アリアは何度も振り返りながら馬車に乗る。先に馬車に乗り込んでいたシェドが小声で「いいのか」と尋ねると、アリアは無言のまま頷いて見せた。 シェドが手綱を引く。 馬車はゆっくりと前進し始め、トラキアの東門を越えて荒野へ繰り出していく。その影が見えなくなるまで、フィオナはずっと店の前で見つめていた。 その時、フィオナの脇を抜けてセシリーが店を飛び出した。そしてそのまま馬車を追って走っていき、続いてミレーヌが何やらわめきながら馬を引いてアンミラ亭の裏から姿を現す。そして馬にまたがってミレーヌもトラキアを去っていき、まるで嵐が過ぎたような静けさがトラキアを包んでいった。 そっとジールがフィオナの肩に手を置く。フィオナはジールの手を握りながら、 「また会えるよね、アリアちゃん」 涙を目の縁に溜めてつぶやいた。 「お前、大丈夫なのか? あんな全力で走ったら傷口開くぞ?」 「……辛うじて大丈夫みたい」 肩で息をつきながらシェドの問いにセシリーが応じる。走って馬車に追いついたセシリーは、荷台に跳び乗ってゼイゼイ息を切らしており、昨日シェドに刺された腹部をさすっていた。 「しばらく一緒にいさせて。今後のことをゆっくり考えたいから」 「……好きにしろ」 乗車席から荷台をのぞき込みながらシェドが大きく息を吐く。その隣でアリアはヒューイと戯れながら口を固く閉ざしていた。 「シェドーッ!」 「……今度はミレーヌか……」 後方から力強い馬の足音と共にミレーヌの黄色い怒声が響く。ミレーヌは馬を平行させながらキッとシェドを睨みつけた。 「お前は親父さんの所に戻るんだろ?」 「……あの女、どうするって?」 「セシリーか? とりあえず、しばらく一緒に旅するってよ」 「むむむ……」 ますます眉間に濃い皺を作り、ミレーヌが凄い形相でシェドを睨んだ。そして動物の皮で覆われた荷台を一瞥し、「フン」と鼻を鳴らして歯を食いしばる。 「いい? 三ヶ月……ううん、二ヶ月以内に絶対また会いにくるから、あんな年増に誘惑されたりなんかしちゃ駄目だからね!」 「何言ってるんだ」 「絶対よ! もし何か間違いでも起こしたら、タダじゃすまさないんだからね!」 何度も何度も警告しながらミレーヌが馬車から離れていく。ある程度離れたところで、ミレーヌは百八十度方向転換して荒野へ消えていった。 「……ふう、やっと騒がしいのが居なくなった」 シェドが大きく息を吐いてサングラスを押し上げる。そして先ほどからずっと沈黙を守るアリアとチラッと見つめ、瞳を細めた。 「シェド……」 「何だ?」 しばらくしてアリアがぼそりと口を開いた。シェドは手綱を握り、前を向いたまま応じる。 「……フィオナは私を好きだって言ってくれた。友達だって、言ってくれた」 「そうか」 「私もフィオナのこと……好きだった。友達だって思った」 「……そうか」 「初めての友達だった」 「…………」 アリアは必死に溢れる感情を押し殺しているような、悲しい色に表情を染める。シェドはそっとアリアの頭に手を乗せ、優しく撫でてやった。 「……フィオナと別れて寂しいか?」 「うん」 迷うことなく答えるアリア。ヒューイがアリアの腕の中で「キュキュッ?」と鳴きながら耳を揺らす。 「アリア、寂しい時や悲しい時は無理しなくていい。もう組織にいるわけじゃないんだ。泣きたい時は……、泣けばいい」 「……うん」 ぽろぽろとアリアの瞳から涙がこぼれ落ちる。シェドは旅に出てから初めて見るアリアの泣き顔をしばし見つめ、うっすらと笑みを浮かべながらその頭を撫で続ける。 「……うう。ひっく……」 声にならない嗚咽を漏らし、両手でギュッとスカートを握りながら泣き続けるアリア。顔をくしゃくしゃに歪め、その小さな体を震わせながらアリアは静かな荒野で涙を零し続けた。 馬車は荒野を行き、その足跡を残しながら次の街へと進んでいく。終わりの見えない旅路を進むシェドとアリアを、空から真っ直ぐな太陽が見守っていた。 |
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