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第四章 死線 大陸全土を支配するトルメキア王国。大陸の東岸部に位置するトルメキアは、昔から古代遺跡の調査や発掘で他国に先立って魔法の研究が進められた。 多くのジェムを軍が保有し、また魔練器の技術に置いても右に出る国がないほど進んでいる近代国家だ。 そんなトルメキアの北東。人里離れた豊かな自然が広がるこの場所は、トルメキアにある大きな魔練器製造会社の私有地である。だがこれと言って大きな工場があるわけでもなく、古びた小さな屋敷がぽつんと建っているだけだった。 しかし屋敷の地下には得体の知れない設備が数多く存在し、地上に出ている屋敷以上に広い空間が広がっていた。 そんな地下にある一室に三人の幼い少女の姿があった。背丈や体格も殆ど変わらない年の頃十前後の少女達は、純白のローブで身を包まれており、その手には各々違った武器が握られている。 『ガアアアアッ!』 三人の少女の前に立つ巨大なドラゴン。赤い眼球に漆黒の鱗で全身を覆ったドラゴンは、巨大な翼を広げながら三人の少女達へ凄まじい殺気をぶつけていた。 「やっているわね」 「これはこれは、レミネーラ様」 ドラゴンと三人の少女達が対峙する巨大な地下室は、まるで闘牛場のような大きさを有している。そこには観客用の席も用意されており、その一箇所に白衣を身につけた研究者達が様々な器具を動かしながら三人を見つめていた。 そんな研究者達に歩み寄るレミネーラ。レミネーラは満足そうな笑顔でドラゴンと対峙する三人の少女達へ視線を送っていた。 「……アリエスは?」 レミネーラが研究者の一人に尋ねる。研究者は首を左右に振りながら、 「まだ一度も天使化してません。ただ、一応リブラとカプリコンを後方に控えさせているのですが、一度も二人の力に頼ることなくドラゴンを撃破し続けています」 と応じた。 「……天使化しなくとも十二分にドラゴンくらい倒せるということかしら」 「ええ、多分そうなのでしょう。それで今回は魔物研究部に無理を言ってダークドラゴンを一匹用意しました。今までのアルトドラゴンの数十倍は強力なドラゴンです」 「そう。それは楽しみね」 クスッとレミネーラが肩を震わす。そんなレミネーラの視線の先、一人の少女がドラゴンへ立ち向かっていった。 深い青に染まった肩まで伸びる髪。何の感情も読み取れない深紅の瞳。少女は自分の背丈に不釣り合いなほど巨大な剣を抱えて一直線にドラゴンへ迫っていく。 少女が巨大な剣を乱暴に振り下ろしてドラゴンに斬りかかると、ドラゴンはそれを鋭い爪で阻止した。 『グガアッ!』 ドラゴンの口から放たれた漆黒の炎が少女へ襲いかかる。少女は剣の腹でその攻撃を防ぐが、衝撃に耐えきれず後方へ数メートル吹き飛ばされた。 「…………」 直ぐさま跳ね起きた少女の表情に変化はなく、怯むことなく再度ドラゴンへ立ち向かっていく。その強固な皮膚に斬撃を阻まれようが、構うことなく攻撃の手を休めなかった。 「あの剣ではダークドラゴンの皮膚は貫けないようね」 レミネーラがつぶやく。研究者達は器具のモニタを見つめながらあれこれ会話を交わしていた。 そんな中、少女がドラゴンの攻撃の直撃を喰らい、周囲に朱色の鮮血をまき散らしながら大地に倒れ込んだ。後方で待機している二人の少女達はピクリとも反応せずに倒れた少女を見つめている。 「…………」 ボタボタと流れ出る自身の血にも怖じ気づくことなく、少女は起きあがって剣を握りしめた。しかし力が入らないのか、剣先は大地に刺さったまま微動だにしない。 片目を辛うじて開き、口から血を吐きながらもドラゴンを向いたまま退こうとしない少女のもとへドラゴンが凄まじい勢いで迫っていった。そしてその巨大な口をガバッと開いて少女の体を強固な顎で噛み砕こうとした瞬間、突如少女の体が眩く光り始めた。 「――あはっ! やったわ!」 その様子を見ていたレミネーラが極上の笑みを浮かべて声高に言った。 数秒後、ドラゴンの凄まじい咆吼が地下室中に響き、そして轟音と共にドラゴンが大地に倒れて動かなくなった。 部屋の中央で無表情のまま血に染まったローブを身につける少女の瞳は金色に輝いており、体全体を淡い光が覆う中、その胸元が特に眩く輝いていた。そして、少女の背中には陽炎のような光の翼が映っていた。 * * * トラキアの西門付近にまで足を伸ばし、アリアはミレーヌと共に両親捜しを行っていた。雨こそ降ってはいないが、いつ降り出してもおかしくないほど空はどんよりと曇っており、行き交う人も普段より少ない。 それでもアリアは、唯一の手がかりである時計を手に街を歩き続けた。無言でただ歩くだけのアリアに対し、ミレーヌは時折通行人に話しかけては、「この辺りで五年ほど前に行方不明になった女の子とかいますか?」と尋ねていた。 アンミラ亭からここまで来るのにすでに三時間歩き続けている上、着いてからもすでに二時間近く歩き続けている。そのせいかミレーヌはかなりぐったりしていた。 「あーもう、足が痛いぃ」 アリアの隣でミレーヌが悪態をつく。 「まったく。田舎道は舗装されてないから歩きづらいのよね」 「ミレーヌ、文句ばかり言ってる」 しかめっ面で歩き続けるミレーヌとは正反対に、アリアはアンミラ亭を出てからまったく歩くペースを崩さず、表情も全然変化していなかった。 アリアの服装は昨日と同じテセアラの女学園の制服を模したもの。一方ミレーヌは、額にゴーグルを付け、へそが出るくらい小さな半袖の深緑色のトップ。下には左右長さの違うクリーム色のパンツを穿いていた。左足はショートパンツくらい短く、右はハーフパンツくらいで膝当たりまで伸びていた。今日は魔眼レンズをしていないせいか、両目とも緑色の瞳をしている。 「……だってぇ、誘ったのにシェドは来ないし、フィオナさんとも親睦を深めたかったのに店の仕事とか――あっ!?」 「どうしたの?」 突然ミレーヌが立ち止まった。アリアが不思議そうに振り返ると、ミレーヌは両手で頭を抱えながら大口開けていた。 「考えてみたらシェドとフィオナさんを二人っきりにしたってことじゃない!」 「……最近はいつもそう」 「えーっ! そ、そりゃフィオナさんはシェドの事別に何とも思ってないって言ってたけどさ、その、やっぱり若い男女が同じ屋根のした二人っきりっていうのは……」 「ジールも居る」 「そうだけど……」 そわそわと落ち着きのないミレーヌ。何やら独り言をブツブツとつぶやいており、アリアは構ってられないと判断したのか、ミレーヌに背を向けて再び歩を刻み始めた。 「ああ、アリアちゃん待ってぇ〜」 情けない声を出しながらミレーヌは足を重そうに引きずってアリアの後を追った。しかし、アリアはほんの数メートルほど歩いただけで足を止めた。 「ん? どうしたの、アリアちゃん」 「…………」 ミレーヌがのぞき込むと、アリアは口を微かに開いて驚きの表情を浮かべていた。もちろんそれほど顕著に感情を現すタイプではないので、シェドやフィオナ、ミレーヌでなければ普段と同じ無表情に見える程度だったが、確かにアリアの顔は驚きに包まれていた。 アリアの前にはアリアと殆ど背丈の変わらない一人の少年が立っていた。 フード付きのぶかぶかな皮のローブで全身を覆っており、自分の身長の二倍はありそうな布に包まれた細長いものを背負っていた。深い緑色の短髪に栗色の瞳の少年は、アリアを見つめて薄気味悪い笑みを浮かべていた。 「君かい? ご両親を捜しているという幼気な女の子というのは」 少年が妙に馴れ馴れしい喋り方でアリアに話しかけた。アリアは口を閉じたまま沈黙を守っている。 「おーっ! 君、何か知ってるの? よかったらお姉さんに教えて」 警戒心ゼロのミレーヌが少年に歩み寄ろうとしたところ、アリアがミレーヌの上着を掴んでそれを遮った。 ミレーヌがアリアの顔を見つめると、アリアは無言で首を左右に振って見せた。 「……申し訳ありません。その子のご両親について、僕は何も知らないんです。実は僕も人捜しをしている最中でして」 そう言って少年が一層薄気味悪い笑みを浮かべる。ミレーヌもようやく不穏な空気を感じ取ったのか、徐々に表情が固くなっていった。 「僕が探しているのは、君くらいの女の子なんです。桃色の髪をして、蒼い瞳をした女の子で、胸に綺麗な宝石が埋まっている子なんですけど、ご存じありませんか?」 「――っ!?」 少年の言葉を聞いたミレーヌが肩をピクッと震わせる。そしてアリアが少年をキッと睨んだまま、 「……あなた、誰?」 と、静かに尋ねた。 「僕の名前はレン=ハヅキ。初めまして、“無垢なる獅子”」 「…………」 レンと名乗った少年が皮のローブを脱ぎ捨て、背中に乗っていた物を包んでいた布を外し始めた。布にくるまれていたのは、レンの背丈とは不釣り合いなほど巨大な槍だった。 「きゃあっ!」 「な、なんだっ?」 レンの巨大な槍を見た街の人間が悲鳴を上げる。急に周囲が騒がしくなり、遠巻きに見つめる野次馬が集まり、恐怖に駆られた人々が我先にとその場から逃げていった。 「さて、組織からは君を生きたまま連れ帰るよう言われているんだけど、どうする? 大人しく一緒に帰るかい?」 「……イヤ。私はあそこがキライ」 「そう。じゃあ、仕方ないね。……実は僕も、君たち“心なき天使達”と戦ってみたいとは思っていたんだよ」 レンが口の両端を思いっきり引いて満面の笑みでアリアを見つめた。巨大な槍を頭上でブンブンと回し、いつでも攻撃できる体勢のレンに対し、アリアは腰を落として身構える程度で銃を構えてはいない。 「アリアちゃん、武器は?」 「今はない。全部置いてきた」 ミレーヌの問いへ簡素に答えるアリア。それを聞いたミレーヌは、「ははは」と乾いた笑いを飛ばす。 「どうしたんです? 来ないなら、こちらから行きますよっ!」 レンが凄まじい勢いでアリア目掛けて槍を突いてきた。アリアはとっさにかわし、宙で身を翻しながらレンの後方へ降り立つと、遠心力をつけて回し蹴りを繰り出す。 「はっ!」 「――っ!?」 アリアの回し蹴りを槍の柄で受け止め、レンは直ぐさま槍をアリアの頭上より振り下ろす。アリアは左へ攻撃をかわし、そのまま少しレンと間を開けた。 「ふふ、もしかして武器を所持していないのですか?それはまた、追われる身であるというのに不用心ですね」 レンが不敵な笑みでアリアを見下すように見つめる。アリアは口元固く結んだまま、レンを睨み続けていた。 「残念です。互いに全力で殺り合いたかったですよ!」 そう声高に言いながら、レンが槍を握る手に力を込めた。すると槍の矛先が青白く輝き始め、レンの体も仄かに光に包まれ出した。 「……ジェム?」 「そう。僕の持つ青竜刀に埋め込まれた力、見せてあげますよっ!」 レンが輝く槍を手にアリア目掛けて飛びかかった。レンが殺しを楽しんでいるように狂喜に満ちた表情でアリアに槍を突き出した、まさにその瞬間、 「――うっ!? な、何ぃっ!」 突如眩い光が周囲一帯を包み、レンの視界が真っ白になった。アリアもそんな突然の光に困惑している様子で、瞳を閉じたまま顔をしかめていた。 「あっ――」 周囲に光が満ちて何も確認できない時、ふいにアリアの腕を何者かが掴んだ。そしてそのままアリアの手を引いて、その場から離れていく。 「逃げるわよ、アリアちゃん!」 「ミレーヌ?」 「いいから早く!」 白い世界に足音だけが木霊し、それは徐々にその場から遠ざかっていった。 ようやく晴れてきた頃、レンがまだ霞がかかる視界で周囲を確認したが、そこにアリアの姿はなかった。 「……ふ、ふふ。これはちょっと油断したかな。……まあ、牙のない狼を狩った所で面白味も無いことだし、別に構わないけど」 そう言ってその場にしゃがみ込むと、地面に付いたあまたの足跡をジッと見つめ続けた。 そしてニタリと微笑みながら、 「あっちか……」 と呟き、布で槍を包み直し、皮のローブを羽織ってから二人の後を追い始めた。 「はあっ! はあ……」 トラキアの街を駆け抜けるアリアとミレーヌ。レンに襲われた場所からある程度離れた所で、ミレーヌは両目を覆っていたゴーグルを額に追いやってアリアの顔を見つめた。 アリアはまだ視界がぼんやりしているらしく、しきりに目を擦っていた。 「ご、ごめんね、アリアちゃん……。い、いきなりあんな事して」 かなり息の上がっているミレーヌが話しかけると、アリアは、「大丈夫」と言って首を左右に振った。 「さっきの、何?」 「……あれは、せ、閃光弾って言って、あ、あたしが作った魔練器の一種よ」 息を切らして走りながら、ミレーヌはズボンのポケットから小さなジェムが埋め込まれた手榴弾のようなものを取り出してアリアに手渡した。アリアは受け取ったそれを不思議そうに見つめながら、息を切らすことなく走り続ける。 「はあ、はあ……。とにかく、今は逃げてシェドの所まで行こう」 「うん」 周囲の人間が何事かといった面持ちで見つめる中、二人はトラキアの街を西から東へ横断していった。 「私もアリアちゃんと一緒に行ってあげたかったな」 着物の上に割烹着を着けたフィオナが、箒を片手にどんよりと曇った空を窓から臨みながらつぶやいた。 「毎日毎日アリアに付き合っていたら、お袋さんに迷惑がかかるだろ?」 普段通り全く客足の無い店内で、シェドはフィオナの淹れてくれたコーヒーを飲みながら煙草を吹かしていた。煙が店内へ流れ込まないよう、窓際の席に腰掛け、外へ白い煙をまき散らしている。 「わかってますぅ。だから今日はちゃんと働いてるんじゃないですか。それより、シェドさんは暇そうじゃないですか。……一緒に行ってあげればいいのに」 「……ミレーヌと一緒じゃ疲れるんだよ」 ため息混じりにそう言いながら、シェドは灰皿に煙草を押しつけながら反対の手でコーヒーを口に運んだ。 「ふーん、久しぶりに会えた恋人さんですから、アリアちゃん抜きでデートしたいって事ですね」 「何でそうなる。何度も言っているが俺とミレーヌはそんな関係じゃない」 「はいはい」 フィオナも相当暇な様子で箒など先ほどから全く動かしていない。シェドは窓を閉め、吸い殻の乗った灰皿と空になったコーヒーカップをカウンターの所まで運んでいくと、 その暇そうなフィオナのすぐそばにあるテーブルへと移動した。 「シェドさん……」 先ほどまでとはうって変わり、フィオナが声のトーンを下げる。 「何だ?」 「……実際の所、シェドさん達はいつまでトラキアに居るんですか? アリアちゃんのご両親が見つからない場合、いずれはこの街を出て行くんでしょう?」 「……ああ」 シェドは物悲しげな笑顔でフィオナを静かに見つめた。その表情を見たフィオナは、シェドが何を言わんとしているの事がおおよそわかった様子で、今日の天気以上に表情を曇らせていった。 「俺たちは旅に出てから同じ街に一週間以上滞在したことがない。それはそのくらいでアリアの両親捜しが終わるのと、同じ場所にいては組織の連中に感づかれるという危惧があるからだ」 「……じゃあ、もうすぐなんですね」 「ああ。荷物の整理は終わっている。後は、アリアがもうこの街に探す場所がないと言い出せば、俺たちはこの街を去るつもりだ」 そっと立ち上がって窓辺へ歩いていき、シェドは今にも泣き出しそうな曇り空を見上げて目を細めた。フィオナは黙ったままシェドの背中を見つめ、その後俯いて瞳を閉じた。 しばらく沈黙が続いた。シェドは窓の外を見つめたまま、フィオナは自分の足下を見つめたまま、ただ時間だけが静かに過ぎていく。 その時、カランカランと店の入り口についていた鈴が鳴り響いて店内に一人の女性客が姿を現した。フィオナはとっさに顔を持ち上げ、沈んだ気持ちを欠片も感じさせない営業スマイルを整えた。 「いらっしゃいませー」 全身を黒いコートで覆った長髪の女性客は、フィオナに対してニッコリと微笑むと、フィオナに案内されてテーブルへついた。 「ご注文がお決まりになりましたらお申し付け下さい」 「取りあえず紅茶を一杯いただけるかしら。そうね、ダージリンの葉でお願い」 女性客が透き通るような美声でフィオナに注文すると、フィオナは、「かしこまりました。少々お待ち下さい」と言い残して厨房へ消えていった。 待っている女性客が、艶やかな蒼い髪を掻き上げながらそっと窓の外を眺めるシェドを見つめた。黒い瞳にはシェドの横顔が映り、微かに口元を緩める。 「……いつまで気づかない振りをしているのかしら?」 女性客がクスクスと笑いながら言う。シェドは横目で睨むように女性客を見つめた後、再び窓の外へ視線を移した。 「何の用だ……とは聞くだけあほらしいな」 「そうね。組織の命令は今までと同じ。“無垢なる獅子”の捕獲と、“魔弾のシェド”を消すこと」 女性客がそう言った時、厨房からフィオナがティーカップとミルク、砂糖の乗ったお盆を手に姿を現した。足音を極力立てず、淑女のような足取りで紅茶を運ぶと、フィオナは女性客に笑顔で、 「どうぞ、ごゆっくり」 と告げた。 シェドが無言を貫く中、女性客はフィオナが運んできた紅茶を口に含んで満足そうに微笑んだ。 フィオナは紅茶を運び終えた後、パタパタと足音を立てながらシェドの元へ駆け寄っていった。 「もうじきお昼ですけど、昼食は何が食べたいですか?」 「ん……? そうだな、軽く麺類でいい」 「わかりました」 「あら、随分親しげな様子ね、シェド」 急に女性客が話しかけてきたせいで、フィオナが驚いた様子で振り返ると、女性客は立ち上がってゆっくりとシェドとフィオナに近づいてきた。 「あ、あの……ご、ご注文ですか?」 フィオナがおどおどしながら女性に対し作り笑顔を浮かべる。女性客はフィオナに笑顔で応じた後、シェドへと視線を切り替えた。 「フィオナ、離れていろ」 シェドが静かに呟く。 「え?」 「早くっ!」 シェドがいつになく声を張り上げた時、女性客が羽織っていたコートをはさりと脱ぎ、コートは店の床へ落ちていった。 「組織を抜けた者の末路は皆同じ。それは十分承知しているんでしょう?」 女性客は動きやすそうな薄紫色のノースリーブの下に黒っぽい半袖のアンダーを身につけていた。ボトムは深紅の短いタイトスカートに紺色のタイツを穿いており、両腕には金色のブレスレット、両足には銀色のアンクレットを装着していた。 「私があなたを殺してあげるわ、シェドッ!」 微笑みと共に女性客の両腕に巻き付いている腕輪が眩く輝き始めた。 「やめろセシリーッ!」 「はあああっ!」 セシリーと呼ばれた女が両手をシェドへかざした。瞬く間もなく、その両手から激しい雷が迸る。 「ちぃっ!」 「きゃああっ!」 轟音と共にアンミラ亭の壁が粉々に吹き飛び、破片が表通りへと飛び散っていった。パラパラと木片や埃が舞い散る向こう、表通りの真ん中で、シェドはサングラスを外してセシリーを睨みつける。 凄まじい衝撃を受けて怯んでいたフィオナは壊れた店の壁を見つめながら驚愕の表情を浮かべていた。そして恐怖に染まった眼差しで瞳にセシリーの姿を映し出す。 「シェド、どうして組織を抜けるなんて馬鹿な真似をしたの?」 「……お前には馬鹿な真似に見えても、俺には意味のある事だと信じたからだ」 シェドが静かに答える。答えを聞き終わるか否か、セシリーは店の床を蹴り飛ばしてシェドへ迫っていった。シェドの手前で宙に舞い、セシリーが空中で一回転しながらしなやかに伸びた細い脚をシェドの頭上より振り下ろす。 「そんなのっ!」 左足に巻き付くアンクレットが眩く輝き、セシリーの足が雷を纏いながら大地に激突して一閃が巨大な穴を開けた。 火花や岩の塊が周囲へ飛び散る中、シェドはそれらをすべてかわしながらセシリーと距離を空ける。 「私は認めない。組織を抜け出す意味なんて、あなたには無いのよ!」 「……セシリー」 「はああっ!」 執拗に攻撃をしかけるセシリーに対し、シェドは守りの一手に徹していた。周囲には雷撃が渦巻き、凄まじい衝撃が何度も何度も巻き起こる。 「はあ、はあっ……」 そんな所へ道の向こうよりアリアの手を引きながらミレーヌが走ってくる。シェドが戦っている様子に気づくと、アリアがミレーヌの手を解いて先行していった。 「シェドッ!」 「おっ、アリア。……悪い、俺の武器も持ってきてくれ」 「わかった」 アリアは壊れた壁からアンミラ亭へと入り、困惑した様子でアリアを見つめるフィオナを一瞥してからサッと部屋へ駆けていった。 「ミレーヌッ! フィオナや街の人間を東門から外へ出させるな!」 セシリーの攻撃をかわしながら、立ち止まってシェドの戦う様を呆然と見つめていたミレーヌに指示を出すと、シェドはセシリーに背を向けて東門の方へ走っていった。 「…………」 すぐにはシェドの後を追わず、セシリーはチラッとミレーヌの方を見つめた。そしてクスッと微笑んでから、髪をなびかせてシェドの後を追って東門よりトラキアの街を出た。 ミレーヌがまだ呆然としている中、アンミラ亭の中からアリアが飛び出した。いつもの黒地の上着に白いレースの入ったカラーを翻しつつ、白いフリルのついた黒のフレアスカート姿で現れたアリアは、シェドが普段持っている筒状の入れ物を担いで目にも止まらぬ早さで東門を越えていった。 「アリアちゃんっ……」 アリアの後を追うようにフィオナが心配そうな面持ちで店から姿を現し、東門を見つめながら一層悲しげな表情を浮かべる。 「フィオナさん、手分けして街の人を避難させよう。シェドのジェムを使った銃弾が街へ流れてこないとも言い切れないもん」 「……わかりました」 ミレーヌの言葉を受け、フィオナはアリアを心配な気持ちを堪えて唇をキュッと噛みしめる。そしてミレーヌと共に東門付近に住む住人へ避難を呼びかけていった。 いつしかトラキア周辺を湿った空気が覆い、小粒の雨がポツポツと降り始めていた。 「――っ!? ちっ、こっちにもいたか!」 トラキアの街を出たシェドの瞳に映ったのは、皮のローブを身に纏う二人の男と、漆黒の甲冑と鋭い剣を装備した三人の男だった。 男達がシェドの行く手を阻み、シェドは足を止めて男達を睨みつける。 「あら、私とシェドの戦いを邪魔されないよう外で待機させてたんだけよ? 待ち伏せさせていたわけじゃないわ」 後を追ってきたセシリーが微笑みながら髪を掻き上げ、振り返ったシェドに挑発的な視線を送った。 「街の人間を巻き込まないよう場所を変えるなんて、シェド、あなた本当に変わったわ」 「かもな。だが俺は、それでいいと思っている」 「……さっき一緒にいた金髪の子があなたの大切な人かしら? それとも黒髪の子?」 「どちらもただの知り合いだ」 「あらそう」 セシリーは攻撃を仕掛けようとしない。するとそこへアリアが走って来る。 「……シェドッ!」 二人に迫りながらアリアは両手に握った拳銃の引き金を何度も引いた。セシリーは笑みを浮かべたまま左手をアリアへかざす。 「あはっ! あなたが“無垢なる獅子”ねっ!」 セシリーの腕に巻き付く腕輪が輝き、セシリーを光の壁が覆った。そしてアリアの放った銃弾はすべてその障壁に阻まれ、荒野へこぼれ落ちていく。 アリアは一定以上セシリーに近づかないように迂回してシェドの元へ駆け寄った。そして背負っていた筒状の鞄を渡す。 「サンキュ」 「さっき街の中で別の追っ手に襲われた」 「……ってことはセシリー以外にもエインフェリアがいるってことか。それは厄介だな」 シェドが鞄からサブマシンガンを二丁取り出し、鞄の口を閉じてを背負った。 「可愛い女の子じゃない。その子、きっと美人になるわね」 「ああ、俺もそう思う」 シェドの隣で銃を身構えるアリアに対し、セシリーは腕を組んだまま優雅に微笑んでいた。そして首をクイッと動かし、それを見た後方の男達がジリジリとシェド達に近づいてくる。 「アリア、あの女は俺が相手をする。お前は他の奴らを相手してくれ」 「……わかった」 シェドの言葉に半テンポ遅れてアリアが返事をする。どことなく抵抗があるようで、若干眉を顰めながら銃を握っている。 「人間相手に戦うことが嫌なのはわかる。だが、今は戦うしかない」 「うん」 「行くぞっ!」 シェドがセシリーへ向かっていく。アリアが左方へ走っていくと、同調するように五人の男達がアリアに追従する。 「セシリー、お前と本気で戦いたくはない。退いてくれないか?」 シェドがセシリーの後方へ回り込み、サブマシンガンの銃口をセシリーに向けながら言った。 「あら優しいのね。……なら、こちらは本気を出させて貰うわっ!」 「ちぃっ!」 セシリーが両手両足に着けた腕輪とアンクレットすべてに意識を集中させる。四つの装飾具が眩く輝き、風も無いのセシリーの髪が揺らめき始めた。 先ほどより降り出した小雨の雨粒が、セシリーの体を覆う淡い光の壁に触れるや否や一瞬にして蒸気と化していった。 「行くわよっ!」 雷光を纏うセシリーの足が大地を蹴ると、セシリーは先ほどとは比べものにならないほどのスピードでシェドに迫っていった。そして半身になりながらシェドに背を見せると、爆風を巻き起こしながら回し蹴りを繰り出す。 「はっ!」 「それでかわしたつもりっ!」 シェドが間一髪の所で飛び上がり、セシリーの脚が空を斬る。しかしすかさずセシリーは上空へ両手をかざし、凄まじい雷撃を放った。 「ぐっ!」 「どうしたの? 反撃なさいよ!」 セシリーがシェドを焚きつける。シェドは雷撃の直撃を受けて後方へ吹き飛ばされたが、身を翻して大地には足から降り立ち、サブマシンガンを構えると引き金を引いた。 乾いた音と共に次々と銃弾が撃ち出されるが、すべてセシリーの身を包む障壁に弾かれて大地へ力なく墜ちていく。 「わかってるでしょ! 普通の銃弾じゃ、私を傷つけられないわっ!」 セシリーが次々と雷撃を放ち、さらにシェド目掛けて足技を仕掛ける。セシリーが脚を一振りするごとに雷鳴がとどろき、雨粒が次々と音を立てて気化していった。 「…………」 シェドが意を決した面持ちで両手に握っていたサブマシンガンを放り捨て、背中の鞄の口を開いた。セシリーはその間攻撃の手を緩め、シェドが戦闘態勢を整えるまで微笑を浮かべたまま佇んでいた。 「“魔弾”のシェド、本領発揮ってとこね」 鞄からシェドが取り出したのは回転式の白銀に輝く拳銃だった。銃口にはジェムを取り付ける穴があり、シェドは上着のポケットからコバルトブルーのジェムを取り出してマズル付近の穴に埋め込む。 満足げにその様を見届けた後、セシリーが再度攻撃を開始する。シェドは右手に拳銃を構え、セシリーをその銃口で捕らえながら引き金を引いた。 放たれた通常弾はセシリーの障壁に阻まれ粉々に砕け散った。 「何してるのよっ!」 銃弾の破片を越え、セシリーが雷の蹴撃をシェドへ繰り出す。その瞬間、シェドの持つ銃が眩く輝き、シェドの右腕ごと青白く染まった。 シェドが銃身でセシリー攻撃を受け止めると、バチバチと音を漏らして閃光が連続し、それは衝撃となって散り広がる。そしてその攻撃を流した後、シェドは銃を握る腕でセシリーの懐を思いっきり殴りつけた。 「はあああっ!」 「あうっ!」 光に包まれたシェドの拳がセシリーの障壁をぶち破り、セシリーは微笑を崩して、悲痛な叫びをあげた。さらにシェドは容赦なく怯んだセシリー目掛けて回し蹴りを叩き込み、直撃を受けたセシリーが大地を滑りながら左後方へ数メートル吹き飛ばされる。 セシリーはすぐさま起きあがり、腹部に手を当てながら口元を左手でなぞった。 「……ふふ、どうして魔弾を使わないのかしら?」 「さっきのはただの試しさ。しばらくこの白銀銃は使ってなかったからな」 「あらそう。なら、次からは気をつけなくっちゃね」 「ああ、死にたくなかったらさっさと後退しろよ」 そう言ってシェドが仕掛ける。青白い光に包まれた右手で銃の引き金を引くと、銃口から放たれた弾丸は一瞬にして巨大な氷塊となった。半径五十センチはある氷塊は、セシリーの直前で砕け、無数の氷の刃が次々とセシリー目掛けて襲いかかる。 「そんなのものっ!」 閃光と共に周囲に雷鳴がとどろき、氷刃は一瞬にして水蒸気と化していく。次々と目映い閃光が走り、幾多の雷撃が氷の刃をかき消しながらシェドに迫っていった。 シェドは迸る雷撃を次々とかわし、正面から迫る雷撃は輝く右手の銃で払いのける。シェドは接近しては銃の引き金を引き、そしてカウンターの雷撃をかわすため一旦後退してまた攻撃を仕掛けるという動作を繰り返した。セシリーもシェドの銃弾より放たれる氷塊を消してはシェドに直接攻撃をしかけ、そのやりとりが何度か続く。 「……どうして、どうして本気を出さないのよ、シェドッ!」 声を張り上げ、セシリーの四方へ無数の雷撃が広がっていった。シェドは右手でそれを防ぎながら間合いを空け、睨むように目尻をつり上げるセシリーを見つめた。 「何故変わってしまったの? あの頃のあなたは誰よりも強く、誰よりも孤独で、誰よりも冷酷だった。そんなあなただから、私は――」 「やめろ。あの頃の俺は、本当の俺じゃない。あんなの、俺じゃない!」 シェドが引き金を引いた。先ほどまでより巨大な氷塊がセシリーに襲いかかり、それは八本の鋭い刃となってセシリーの障壁を次々と突き破り、一本がセシリーの肩に、別の一本が脇腹へ突き刺さった。 「ああっ!」 セシリーが顔をしかめる。氷片はしらばくするとセシリーの身に帯電する雷によって消滅したが、セシリーの肩と腹部から吹き出す緋色の鮮血がセシリーの衣服を黒く染めていった。 「ふふ……、そうよ、これがあなたの力よ」 「……退け、セシリー」 冷めた語調でシェドが言い放つ。次第に雨脚が強まり、シェドの頬を滴が伝っていく。セシリーの身を包む光が多量の雨粒に圧させてか若干弱まり、セシリーの髪や服を濡らしていった。 上気した白い頬を伝う涙のような雨粒。愁いを帯びた表情のままシェドを見つめるセシリーを、シェドは黙って見つめ返していた。 シェドとセシリーが激しくぶつかり合っている場所から少し離れた荒野。アリアは五人の男に周囲を取り囲まれながら、両手に持つ銃を胸の前で交差させていた。 皮のローブを着た二人の男、おそらくは何らかのジェムを扱う魔法使いタイプ。そして漆黒の甲冑を纏い剣を構える三人の男。 戦闘慣れしている様などから、シェドやセシリーのような“エインフェリア”と呼ばれる存在には及ばなくとも、一介の戦士として十分な実力を兼ねていると考えられる。 「……雨、キライ」 アリアがぼそっとつぶやく。小さな雨粒がアリアの髪に溶けていき、シェドが作った服へしみ込んで消える。 そっと自身の心のような空の模様を見つめ、そして、アリアがターゲットを定めて攻撃を仕掛けた。 狙うはジェム使い。どのようなジェムが扱えるか不明な上、剣士との接近戦の最中に後方から攻撃されるのを防ぐためだった。 「……ぬおっ!」 空薬莢が舞い散り、銃弾が男の体に吸い込まれていく。鮮血が舞い、男が苦痛に表情を歪めながらアリアへ凄まじい殺気を投げつける。その殺気を無効化する眼差しでアリアは男をにらみ返した。 「っ!」 アリアの背後から剣士がアリアの身長くらいある青銅で出来た剣を振り下ろす。とっさに振り返ったアリアは左手の銃で剣を受け止め、右の銃で銃弾を撃ちはなった。銃弾と甲冑がぶつかり、周囲に甲高い金属音が響く。 「……効かない?」 両手持ちの剣を片手で受けながらアリアがつぶやく。 「殺しはしない。だが、無事に済むと思うなっ! やれっ!」 「こ、このガキ……。よくもやりやがったな!」 「させない」 初撃でダメージを負った男がアリアの後方で腕輪についたジェムに意識を注ぐ。それに気づいたアリアは、剣士の攻撃を力任せに弾き飛ばして、身を翻しながら負傷した男へ迫った。しかしそんなアリアの行く手を別の剣士が阻む。 「……あっ!?」 剣士の一閃がアリアの頭上より迫り、アリアはとっさにバックステップで攻撃を避けた。すかさずそこへ後方より先ほどの剣士が襲いかかり、アリアは再度銃で攻撃を受け止めた。 「喰らえ、“無垢なる獅子”めっ! ――ぐはっ!」 左手の銃で剣士の攻撃を支えながらアリアは右手の銃の引き金を引く。銃弾はジェムによる攻撃を仕掛けようとしていた男の肩に直撃し、男の体勢が若干崩れた。 構わず男が紅蓮の業火を撃ち放つ。雨粒をかき消しながら迫る炎は、アリアの脇を抜けて剣士の甲冑に当たって霧散した。 「――っ!?」 炎の衝撃で男が怯み、剣を引いた直後、アリアの左右から別の二人の剣士がアリアの袈裟目掛けて踏み込んできた。 アリアは飛び上がり、左右の剣士目掛けて頭上より銃弾を撃ち込む。さらに怯んでいた手前の剣士を短い足で蹴り伏せ、その反動を利用して後方へ高く舞った。 大地に降り立つと直ぐさま身を翻してジェム使いに狙いを定め、剣士達が迫る前にジェムを使う男の懐に潜り込むと、その両足両手に銃弾を撃ち込んだ。 「ぐあああっ!」 「もう一人……」 殺しはしなかった。アリアは戦闘手段であるジェムの埋め込まれた腕輪を粉々に破壊すると、迫る剣士の合間を風のように縫って逆サイドに構える別のジェム使いへ駆けていった。あまりの早さに剣士達は呆然とアリアの背を見つめた。 「こ、このガキがっ!」 ジェム使いが引きつった顔で迫るアリアへ両手をかざす。しかしジェムが輝きを帯びる前に、アリアの身は男のすぐ手前まで迫っていた。 「子供扱い、キライ」 「がああっ!」 閃光と銃声が絡み合い、鮮血と雨粒が大地へこぼれ落ちる。両足首を撃たれた男が呻きながら大地に伏せ、アリアはふと表情を曇らせながらそんな男を見つめた。 「ちぃ……。これが“無垢なる獅子”の力か!?」 一瞬にして二人の男を倒したアリア。頬には返り血が付着し、純白のカラーにも黒い斑点が染みついていた。 「……逃げて。追ったりしないから」 三人の剣士へ向き直し、凍り付くような眼差しでアリアが言う。しかし聞く耳持たず、剣士達は三方向からアリアを取り囲み、一向に退く気配など見せない。 「我らは誇り高きニーヴルの戦士。我らは与えられた任務を全うするのみ!」 「どうして……。私は……」 アリアが小さく呟きながら唇を噛みしめる。躊躇するアリアの思いに関係なく、剣士達が一斉にアリアへ襲いかかった。 「ぬおおおおっ!」 三本の剣が同時に振り下ろされ、大地を打ち砕く。綺麗な等間隔で、アリアが立っていた場所で剣先が揃った時、アリアの姿は男達の頭上に舞っていった。しかし頭上から弾丸を撃ち込もうとも、甲冑で全身を覆っている男達にその効果がないのはアリアもわかっていた。 「…………」 アリアは左手の銃をスカートの内にしまい、先ほどミレーヌから預かった閃光弾を取り出す。そしてキュッと瞳を閉じ、ピンを引いて男達の剣先、先ほどまで自分が立っていた場所目掛けて投げつけた。 「うおっ!」 「ぐぬうぅっ!」 目映い閃光が走り、男達が呻き声を漏らす。アリアはその間に男達の後方へ降り立ち、後方より甲冑の接合部を狙って銃弾を連射した。 マガジンを入れ替え、ひたすら一点を狙って引き金を引き続ける。一人また一人と甲冑の合間から血が吹き出し、藻掻きながらその場に倒れ込んでいく。あれだけ重そうな甲冑を纏っている以上、脚をやれば立っていられないはずだった。 「ぐはあっ!」 最後の一人が大地に倒れ、その場に立っているのはアリアだけとなった。五人の男達は自らの血で大地を変色させながら呻き声を漏らしている。 アリアの頬についた返り血を雨が洗い流し、アリアがシェドの元へ戻ろうとした瞬間だった。 「――っ!?」 反射的にアリアが左方に跳ぶ。その後、まるで雷鳴が轟いたような爆音が響き、それを追って凄まじい衝撃がアリアの身へ襲いかかる。 体勢を立て直して先ほどまで自分が立っていた場所を確認すると、アリアの目に大地に開いた巨大な穴とその中央に刺さる一本の槍が映った。 「へえ、良い反応してるじゃない」 アリアが声のした方へ視線を送る。修復が終わったトラキアの東門、その上には緑色の髪を持つ少年の姿があった。緋色の衣で身を包み、喜びに震える栗色の瞳でアリアをしっかりと捕らえている。 「……レン」 「おや、ちゃんと名前を覚えてくれたんだね。じゃあ君の名前も教えてよ。“無垢なる獅子”というコードネーム以外、君の事を何も知らないんだ」 アリアは黙ったままレンを睨む。しばらく待っても答えないアリアに肩を竦めて見せると、レンは門の上より飛翔してゆっくり槍の元へ歩み寄っていった。 「僕はちゃんと名乗ったのに、残念だなぁ。……まあ、組織に連れ戻す時にでも聞けばいいか」 「私は……、戻らない」 「もちろん、力ずくで無理矢理連れて帰るよ。わかってるでしょ?」 レンが巨大な槍をまるで木の棒を拾うように軽々しく片手で持ち上げる。次第に強まってきた雨脚。時折雷鳴が木霊し、アリアの衣類は水を吸って幾分重くなっていた。 「じゃあ、行くよ……」 カッと目を見開き、レンが閃光のごとくアリアへ迫る。先ほどまで格下の相手をしていたせいか、アリアの反応が一瞬遅れた。 「ははっ! 遅いっ!」 「あうっ!」 レンの槍がアリアの右肩をかすめる。布を引き裂き、アリアの白い肌から零れた血が槍先をワインレッドに染め上げる。 痛みに一瞬だけ顔をしかめたが、すぐさまアリアが反撃に転ずる。左の銃口をレンにむけ無心に引き金を引く。 「言ったろ! 遅いってっ!」 アリアが引き金を引いた瞬間にはすでにレンの姿はアリアの後方にあった。とっさに体を捻ったものの、今度は脇腹に浅い傷を負ったアリア。だが痛みに反応を示さず、レンの連続攻撃を銃身でガードした。 「ふっ……。それで受け止めたつもりかい?」 「…………」 ガチガチと金属が擦れ合う音が響く向こうから、口の両端を引き上げながらレンがアリアを見つめる。そしてレンが静かに何かを呟くと、槍先が仄かに光を帯びた。 「――っ!?」 気配を感じ取ったアリアがレンの槍を弾いて後方へ跳ぶ。だがレンは直ぐさま両手で槍を握りながらアリアへ迫っていった。 「咆えろ青竜刀っ! 水月斬ッ!」 レンが大きく口を開きながら叫び、巨大な槍を真横に振り払った。槍先はアリアの数メートル手前で空を斬ったが、槍先が引いた弧はそのまま水の刃となってアリア目掛けて迫っていった。 淡いブルーの三日月が雨粒を飲み込みながらアリアに迫る。アリアは水の刃に銃弾を撃ち込むが、銃弾は刃をかき消すどころかその内部に取り込まれて質量を増すのみだった。 「きゃあっ!」 アリアに水の刃が激突する。鉄の剣ほど鋭利ではないが木刀で思いっきり強打されるほどの衝撃がアリアの全身を駆け抜け、アリアは悲鳴を上げながら大地を滑る。 舞い散った泥水がアリアの服を茶色く染め、朱色の靴の片方が脱げて水たまりに沈んだ。 「……くぅ」 身を起こして銃を構えるアリア。その悲痛な表情を見て、レンが一層狂喜に満ちた笑みを浮かべた。 「ははは……。いいねその顔! “心なき天使達”は感情が乏しいと言うけど、君はどうやら他の子達と違って多少は喜怒哀楽を感じるようだ!」 レンが笑みを浮かべたまま槍を無秩序に振りまくる。蒼い三日月が次々とアリアを襲い、アリアは必死にかわしながら反撃を覗う。 「私は“心なき天使達”じゃない。私は……、私には心がある」 キッとレンを睨み、アリアが左手をスカートに突っ込み、中から五個の手榴弾を取りだした。ピンの先に付いた輪っかに左手の指をすべて通し、レンの繰り出す水の刃をかわしつつ一気に間合いを詰めた。 「ははっ! まだ速くなるのか、君はっ!」 レンが嬉しそうに槍を突き出す。アリアは右手の銃でそれを受け流すと、左手を大きく振りかぶって素早く振り下ろした。 五個の手榴弾からピンが同時に抜かれ、それらはレンに向かって散らばっていく。 「そんなの、当たるわけが――っ!?」 お見通しだと言わんばかりに退こうとするレンの視線の先、アリアは右手に握った銃の引き金を躊躇無く引き、銃弾が手榴弾へと飲み込まれていく。 「ぐおああっ!」 「きゃうっ!」 手榴弾の一つが爆発し、それに誘爆されてすべてが眩く輝いた。直接爆発に巻き込まれはしなかったものの、アリアにも凄まじい衝撃が襲いかかる。 「ぐっ! ダメージ覚悟の攻撃か!」 手榴弾が破裂するまでに余裕でかわせると高をくくっていたレンは、とっさに水の障壁でガードしたものの、爆発は障壁を突き破ってレン本人を直接襲っていた。 レンは左半身に重度の火傷を負い、衣類の一部は完全に焼き焦げていた。 「……油断したよ。まったく、僕としたことが……」 苦虫を噛み潰したよう顔でレンが愚痴る。感覚の消えた左肩から腕の辺りを見つめて目を細めた後、アリアへ視線を移した。 「手当てすればすぐ直る。……退いて」 爆発の衝撃で後方へ飛ばされたアリアが、ゆっくりとレンに近づきながら囁く。まるで憐れむような目をしたアリアを、レンは殺意に満ちた眼差しで睨み返した。 「退け? はっ、馬鹿な事を言うな!」 「…………」 レンが槍を大地に突き刺し、右手でそれを握ったまま意識を集中させる。槍を通してレンの体全体が蒼い光に包まれ、周囲を例えがたい不快な空気が包んでいった。 「……僕のジェムの属性は何はわかったよね?」 ふとレンに笑みが戻る。だがそれは余裕に満ちた笑みではなく、相手を殺せることに喜びを感じているような、悪魔のような笑みだった。 アリアは悪寒を覚え、大地を蹴ってレンに迫った。しかしアリアが銃の引き金を引くよりも早く、レンの技が発動する。 「……喰らえ、水疱陣ッ!」 レンがそう咆えると、突如アリアの身を水のかたまりが包み込んだ。周囲の雨粒、水たまり、それらの水が次々とアリアの身に引き寄せられるように集い、アリアを水の牢獄へと閉じこめる。 「……あぅ……。ごほっ……」 「ははははっ! どうだい、僕の作った水風呂は! 気持ちいいだろう、あはははっ!」 巨大な水泡の中で動きが取れないアリアは、首元に手を添えながら苦しみに顔を歪ませる。アリアの口から気泡が昇り、水泡の壁にぶつかって空気中へ消える。 「組織の命令だから殺しはしないよ。でも、死んだ方がマシだって思えるくらいは苦しんでもらわないとねっ!」 レンは苦しむアリアを見つめながら狂喜に身を震わせる。 アリアが右手に握っていた銃がアリアの手を離れ、水泡の中を下へと沈んでいった。 「――っ! アリアッ!」 セシリーと対峙していたシェドは、アリアが窮地に追いやられている事を気づいてセシリーを後目に駆け出す。 「待ちなさいっ! シェド、あなたの相手は私よっ!」 アリアの加勢に向かおうとするシェドをセシリーの雷撃が遮る。 「やめろセシリー! もう俺たちの勝負はついたはずだ!」 「……勝負がついたですって? 魔弾を一発喰らわした程度で勝ったつもりかしら!」 シェドの背後よりセシリーが雷鳴と共にかかとを振り下ろす。シェドが白銀の銃でそれを受け止め、セシリーの懐へ拳をぶつけようとした時、セシリーは左足をシェドの銃で止められたまま右足を持ち上げてシェドを蹴りつけた。 「ぐっ!」 その反動でセシリーは舞い、更にシェドの頭上から雷撃を叩き込んだ。シェドはジェムを輝かせながら銃でその攻撃を防ぐ。 セシリーはかろやかに降り立ち、ふと天を仰いだ。そして笑みを浮かべてシェドへと視線を下ろしてくる。 「勝負は……これからよっ!」 「何?」 セシリーが勝ち誇ったような笑みを浮かべた次の瞬間、凄まじい轟音と共に天高くより一筋の光がセシリーに降り注いだ。セシリーの足下の大地が衝撃波で沈下し、セシリーを包む光が極端に強くなる。 「私の属性は雷。この天候は私に力を与えてくれるわ!」 「……オーバーライド! ジェムの魔法力と稲妻のエネルギーの重複か!」 「行くわよっ!」 「――っ!?」 稲妻を受けたセシリーは先ほどより格段に早い身のこなしでシェドに迫る。シェドの放つ魔弾も、障壁によって弾かれてしまった。 「はああっ!」 「ぐっ!」 セシリーの蹴りがシェドに襲いかかる。両腕を交差させてガードしたシェドだが、セシリーの足に纏う雷撃がシェドの全身を駆け抜け、シェドが顔を歪ませる。 シェドはセシリーの足を払って銃の引き金を引く。今度はセシリーの障壁を突き破ったが、氷の刃が身に突き刺さろうがセシリーはビクともしない。 「……そんなもの、痛くもかゆくもないわっ!」 したたり落ちる朱色の血。それでもセシリーは攻撃の手を休めない。 「何故そうまでして戦う! オーバーライドは使った人間自身をも滅ぼす危険な技。わかっていながら何故っ!」 「あなたを……あなたを殺すためよ、シェドッ!」 セシリーが両手を組みながらシェドへ伸ばし、雷がバチバチと音を立てながら煌めく。そして右手をゆっくりと胸の前まで引くと、紫電が弓のように矢を構えていた。 「シェド、本気で戦って」 「セシリー……」 微笑を消し、うっすらと悲しい顔を浮かべるセシリーを見つめ、シェドはそっと左手を右腕の肘当たりに添えた。 そしてセシリーが光の矢を射る。 「……かはっ……」 「ははは、そろそろ限界ですか? あははは……」 アリアが水泡に包まれてすでに五分以上が経過していた。最初は藻掻いていたアリアも、すでにぐったりと頭を垂らし、両手で首元を押さえながら時折苦しそうな嗚咽をもらすだけになっていた。 「さて、死なれては僕が懲罰を受けることになりますからね、そろそろ解放しますか」 レンがおもむろに槍を握る手を休めようとした瞬間、レンは後方に気配を感じて振り返った。するとすぐ目の前まで対戦車ミサイルくらいはある大きな銃弾が迫っていた。 「なっ!? ――くっ!」 とっさにレンが左方へそれをかわしつつ横飛びをする。しかし銃弾はそれに追従するかのように進路を変え、真っ直ぐレンに向かっていった。 「何っ!? ぐおおおおおっ!」 朱色の閃光が迸り、爆音と共に衝撃波が周囲を突き抜ける。感覚が麻痺していた左半身に銃弾はぶつかって爆発し、ジェムの障壁で多少は緩和できたもののレンの左半身からは滝のように血が溢れ出していた。 レンの水疱陣に対する意識が途切れ、アリアを包む水疱がバシャンと音を立てながら破裂し、アリアは大地に倒れ伏せた。 「ごほっ! か、はあ……、はあ……」 飲み込んだ水を吐きながらアリアが精一杯の力で酸素を体内に取り込む。一方、レンは先ほどの攻撃が何かを探るため、凄まじい殺気に満ちた目で後方を振り返った。 「アリアちゃーんっ!」 レンの後方より二人のもとに駆け寄ってきたのはフィオナとミレーヌだった。ミレーヌは魔眼レンズをつけているため右目が緋色に染まっており、大口径ライフルを両手で抱えていた。 「……フィ、フィオナ……?」 アリアが辛うじて片目だけ開き、視界に大地を捕らえながら小さくつぶやく。体を震わせながら、腕を伸ばして先に転がる銃を掴もうとした。 「おや、お姉さんは先ほどレオと一緒にいた人ですね。……今のは痛かったですよ」 「悪い子にはお仕置きしなきゃってね! フィオナさん、アリアちゃんをお願い」 引きつった笑顔と震える肩を必死に誤魔化しながら、ミレーヌが両手でライフルを構え、銃口をレンに向ける。 「……無理はしないで下さい」 フィオナはミレーヌにそう告げてから大回りしながらアリアのもとへ駆け寄る。レンはその様をじっと見つめていた。 「大丈夫? アリアちゃん」 アリアの体を優しく持ち上げ、その口元をハンカチで拭いながらフィオナが悲し気な顔を浮かべる。アリアは弱い力でフィオナの袖を掴み、口を半開きにしながら物言いたげにフィオナを見つめ返す。 「きゃあああっ!」 「――ミレーヌさんっ!」 ふいにミレーヌの悲鳴が二人の耳に飛び込んでくる。フィオナがバッと振り向くと、レンの槍が容赦なくミレーヌに襲いかかっていた。 いくらダメージが大きいとはいえ、それでもミレーヌとレンの間には歴然とした戦闘能力の差がある。慣れないライフルを構えるミレーヌに対し、レンは片手一本でも悠々槍を振り回せるほどの腕力があるため、ミレーヌは完全に圧されていた。 「くぅうっ! このガキンチョがぁっ!」 ミレーヌがやけくそになりながら引き金を引く。銃口から巨大なミサイルが発射され、レン目掛けて迫っていく。 「……ふんっ!」 レンがさっとかわす。しかしミサイルは後方で軌道を変え、レンの背後より迫った。 「喰らいなさいよっ!」 「は、しゃらくさいね!」 迫り来るミサイルへレンが青竜刀を向け、レンがそれに意識を集中させると、ミサイルが一瞬にして水泡に包まれ、動きが止まった。 水泡に包まれたミサイルをレンが一突きするとミサイルが爆発し、周囲に水滴が飛び散った。 「あ、ああ……」 「僕の邪魔をした罪は重いよ、お姉さん……」 ミレーヌが愕然と見つめる中、レンがゆっくりとミレーヌに迫る。ミレーヌがとっさに閃光弾を取り出すと、レンはすかさずそれを水泡で包んだ。 「……無駄だよ。今度は、お姉さんごと包んであげる」 「――ぐっ! ごほっ……が……」 「ミレーヌさんっ!」 降りしきる雨がミレーヌの体を包み込み、その中でミレーヌが表情を苦しみの色に染める。フィオナの腕の中でその光景を見たアリアが、かつてないほどの恐怖に顔を歪めていた。 「ミ、ミレー……ヌ……?」 「あはははっ! いい、いいよ! お姉さん、その表情最高だよっ!」 狂喜の雄叫びをあげるレンを見たフィオナが肩をガクガクと震わせる。レンの視線の先、ミレーヌは徐々に衰弱していく。 「窒息死は一番醜い死に方だからね。僕にとって最高に心地よい瞬間が近づいてる」 「悪魔……」 アリアがギュッと瞳を閉じた。目の縁から雨なのか涙なのかわからない滴がこぼれ落ち、フィオナの衣服にしみ込んでいく。 目の前で誰も死んで欲しくない。もう誰も殺したくない。 それがアリアが望んだもの。組織を抜けた理由。 「……でも……」 今の状況は自分がミレーヌを殺しているのと同じ。 「私……、そんなの、イヤ……」 小さくつぶやく。フィオナにアリアの声は届いておらず、ミレーヌを見つめたまま今にも泣き出しそうな顔をしている。 「イヤ……。イヤ……。――嫌ぁぁぁぁぁぁっ!」 アリアの叫びが天を突く。衝撃が空間すべてを突き抜け、大気全体が揺るぐほどの強大な何かがアリアの中で目を覚ます。 「きゃあっ!」 衝撃波でアリアを抱えていたフィオナが後方へ吹き飛ばされる。凄まじい光がアリアに集い、眩しすぎてアリアの姿が確認できない。 「な、何だ?」 レンがミレーヌの水泡陣を解き、アリアの方を振り返った。ミレーヌは力なく大地に倒れ伏せ、嗚咽をもらす。 大気が唸る。大地が震える。空が鳴き、次元が揺らぐ。 圧倒的な威圧感の先、アリアを包む光のから左右両方に巨大な光の翼が飛び出した。 「……光の……翼……?」 徐々に光が収まり、アリアの輪郭が浮かび上がってくる。瞳を閉じて佇むアリアの全身を金色のオーラが覆い、背中には実体のない光の翼が伸びていた。オーラに呼応するように、髪がゆらゆらと揺らめいている。 「……て、天使……? アリアちゃん?」 ゆっくりとアリアが瞳を開く。普段の澄んだ蒼い瞳ではなく、現れたのは光の一点もない漆黒の瞳だった。 セシリーの放った矢が直前に迫った瞬間、シェドが左手で右腕の裾をまくり上げ、右手を迫り来る光の矢へかざした。 「はあああっ!」 シェドの右腕には銀色の腕輪が巻き付いており、それには七つの大きなジェムが取り付けられていた。七色のジェムが虹色に輝き、白銀の銃から光の剣が具現化する。 「――なっ!」 セシリーが驚きの声を漏らす中、シェドが大地を蹴ってセシリーに迫る。光の矢を一閃で消し去り、セシリーの頭上より光の剣を振り下ろした。 「あうっ! ぐ……」 両手を交差させ、凄まじい雷撃を集中させながらセシリーがシェドの光に包まれた剣を受け止めた。半透明で実体のない仄かにブルーを帯びた剣は、セシリーの雷光と混じり合い極光となって周囲を包む。 「そ、それは……、魔法力でできた剣なの?」 「ああ……。腕輪に付いた全七種の属性をすべて引き出して無属性の剣を生み出す。そこに銃へ埋め込んだジェムの属性を付加させたものだ」 「ふふ……。流石ね、シェド。こんな事、あなた以外にできる人なんていないわ……」 セシリーは目を細めながらシェドが右手を見つめた。右腕がそのまま剣の柄となっており、握った白銀の銃を包みながら長さ一メートルほどのシェドの具現化した魔法力。その剣先はセシリーの両腕の先で激しく火花を散らしており、数センチでセシリーの顔面に届きそうだった。 「おそらく……、その状態でも銃の引き金は引けるんでしょ?」 「……ああ」 「やっぱりね。剣で相手の障壁を突き破り、体内に直接魔弾を撃ち込むって所かしら」 「その通りだ」 シェドの答えを聞き、セシリーが力任せにシェドの剣をはね除けた。シェドは一旦間合いを取り、セシリーの顔を睨む。 「それがあなたの本気……。いいわ、やってみなさい!」 「これが最後だ、セシリー。今すぐ戦いをやめて身を引け。直接魔弾を撃ち込まれて生きていられるヤツなど、いない」 殺気を前面に押し出し、シェドの冷たい眼差しがセシリーを突く。しかし、セシリーは愁いを帯びた笑みのまま、そんなシェドを見つめ返していた。 「……あなたがいない組織にいたって面白くないわ。だから――」 天より一筋の雷光がセシリーを包む。そして、セシリーはシェドへ迫った。 「…………」 シェドも大地を蹴る。降りしきる雨の中、雷鳴が轟き、両者は激突した。 「……ああっ……」 セシリーの嗚咽が響く。セシリーの蹴撃は空を斬り、シェドの剣はセシリーの腹部を貫通していた。銃口はセシリーの体内に潜り、背中からは血に染まった光の剣が突き出している。 「……ふ、ふふ……。こ、これでいいの……。ありがとう、シェド……」 「…………」 シェドは瞳を閉じ、そして、銃の引き金を引いた。 轟音を漏らして唸っていたセシリーの雷光が収まり、周囲を静けさが覆う。シェドの右腕から伸びていた剣は空気中にとけ込んでいき、セシリーの身が力なくシェドの胸に倒れ込んだ。 シェドは動かなくなったセシリーの身を抱き寄せ、静かに大地へ横たわらせる。瞳を閉じたまま微動だにしないセシリーの頬には雨ではなく涙が伝った後がはっきりと残っており、表情は何処か悲しげで何処か安堵に包まれていた。 「――って、おい。死んでないだろ、わざとらしい演技をするな」 物言わぬ死体となったはずのセシリーにシェドが話しかける。微動だにしないセシリーの脇に座り込み、シェドは銃を大地に置いてセシリーの鼻と口を押さえた。 「…………っ〜!? むーぅ!」 死体が苦しそうに藻掻く。シェドが両手を外すと、死体は思いっきり空気を吸って瞳を開いた。 「はあ、はあ……。な、何するのよ……」 「それはこっちの話だ。俺がお前の体内に撃ち込んだのはヒールジェムの魔弾だ。なのにまるで死んだみたいな演技しやがって」 「……全部が演技だったわけじゃないわ。これで死ぬんだと思ったら、全身の力が抜けて、ジェムに魔力を送ることも脚で自分を支えることも忘れてしまっただけ」 多少苦しそうではあるが、セシリーは穏やかな笑みでシェドを見つめていた。そんなセシリーの表情を見てシェドも少しだけ頬を緩ませる。 「結局、最初から殺す気なんてなかったんでしょ?」 「……ああ。誰かが死ぬと、アリアが悲しむからな」 「あなた、本当に変わったわね」 「お前には腹立たしいことなんだろうが、俺はこれでいいと思っている」 「……そうね、そうかもしれないわね」 セシリーが口元の血を拭い、上半身を持ち上げようとした。シェドはそれを止めさせ、寝ているよう促す。 「ヒールジェムを使ったとは言え、お前の体はオーバーライドのせいでボロボロだ。大人しくしてろ。……それにジェムを撃ち込むためとは言え俺の剣がお前の腹を貫通したんだ。動くと傷に響くぞ」 「……はあ。まったく、自分を殺そうとした相手に言う台詞じゃないわよ、それ」 「そうだな」 「じゃあ、お言葉に甘えて少し休ませて貰うわ。あなたは早く、お姫様を助けに行ってらっしゃい」 笑顔でそう言うと、セシリーは気を失って瞳を閉じた。先ほどからかなり無理をしてシェドと話していたらしく、ぐったりとしたまま動かなくなった。 「ああ……。そうする」 シェドがそう言いながらアリア達のいる方角を振り向いた瞬間だった。 眩い閃光が世界を駆け抜け、シェドの視界に光の翼が映る。 「ま、まさか――!?」 シェドは大地を蹴り、アリアの元へ急いだ。 微かに宙へ身を浮かしながら、アリアは何の感情も読み取れない表情のままレンを見つめていた。 漆黒の瞳は見る者すべてに恐怖を与え、背中の翼は見る者すべてを威圧する。金色のオーラは大気を震わせ、オーラの中心、アリアの胸に輝く聖石には、紋章のような文字が浮かび上がっていた。 「アリアちゃん……?」 周囲を包む威圧的な空気に押しつぶされそうになるのを必死に堪えながら、フィオナがアリアの名前をつぶやく。アリアは反応を示さず、ただひたすらレンを見つめていた。 「う、うう……。な、なんだよこれ。これが……、“心なき天使達”の真の力なのか?」 後ずさりながらレンが息を飲む。自分と相手との力量に天と地くらいの格差を覚えたレンは、戦意を喪失しただけでなく背後に絶対的な死すら感じていた。 「ウウ……。ウアアアアアッ!」 天を裂くような奇声を発し、アリアが光よりも早くレンに襲いかかった。 「ぐあっ! ごおっ! ぶふっ! がはっ!」 アリアはまるで野獣のように、次々とレンを殴り飛ばす。猛々しく、荒々しく、アリアは狂ったように拳を奮わせた。 レンの顔がひしゃげ、血反吐が口より溢れる。歯が折れ、頬が砕ける。肋が軋み、臓器が破裂する。それでもアリアは攻撃をやめない。 「アアッ! アウッ! ウアッ!」 「ぎゃあああああああっ!」 絹を裂くようなレンの悲鳴がフィオナの耳に届く。先ほどまで悪魔のように思えたレンが、今ではまるで惨めで憐れな子羊のように映る。 アリアの拳がレンの腹を打つと、レンの体を突き抜けた衝撃で大地が割れる。周囲には朱色の泉が沸き、低い打撃音とアリアの奇声、レンの悲鳴が混じり合う。 「アリアァーッ!」 そんなアリアのもとへシェドが迫った。シェドの声にも反応を示さず、アリアはレンを殴り続ける。レンが人間の輪郭を失っていき、それを見たフィオナが吐き気を催す。 「ウアアアアアッ!」 もはやピクリともしないレンに対し、アリアが実体のない光の翼を羽ばたかせ、天高く舞い上がった。 宙に佇むアリアの両手に光が集まり、徐々に眩くなっていく。 「ちいっ! フィオナ、お前はミレーヌを連れてできるだけ遠くへ逃げろっ!」 「……あ、ああ……」 シェドがそう言い放つが、すでに正気を失いつつあるフィオナにシェドの声は届いていなかった。シェドはフィオナの様子を見て舌打ちし、アリアへと視線を切り替える。 両手に集った光を頭上で重ね合わせてアリアが咆吼する。アリアの遙か足下には、レンが虫の息で辛うじてまだ命をつないでいた。 「……くそ!」 誰も殺したくない。それがアリアの望みだとシェドは知っている。目の前で人が死んだ時、アリアはその顔を悲しみの色に染める。笑顔をまだ知らず、悲しみばかりの日々を送るアリアをシェドはずっと見てきた。だけど今、アリアはレンを殺そうとしている。 「俺は……。アリア……。――っ!?」 「イヤアアアアッ!」 アリアの奇声が響き、アリアの両腕より小さな太陽のような光弾が放たれる。シェドの耳には、アリアの声が悲しみの咆吼のように聞こえた。 「うおおおおおおっ!」 シェドは走った。レンの前に立ち、右腕の腕輪に全神経を注ぐ。すると目映い光の障壁が現れ、シェドとレンを包み込んだ。 光の弾と光の壁がぶつかり合い、世界が純白に染まる。もはや何も見えず、何も聞こえない。 そんな中でシェドは必死に歯を食いしばった。シェドは左手を右腕の肘に添え、咆えながら瞳を閉じた。 「アリアァ―――――ッ!」 シェドの叫びと共に光は虚空へと帰す。雨雲をすべて払いのけて上る一筋の光がフィオナの視界に映った時、宙に浮いていたアリアを包む金色のオーラが空気にとけ込んでいった。 「シェ……ド……」 胸の聖石に浮かび上がっていた紋章が消え、アリアがフッと瞳を閉じる。背中の翼が光の羽根となって散り、舞い散った羽根もやがて空気へ消えていく。 「アリアッ!」 力なく大地へ墜ちてくるアリア。シェドは重い体を引きづりながら、必死に落下点を目指した。そしてシェドの腕の中にアリアが包まれる。 アリアは意識を失っており、寝息に近い呼吸音がシェドの耳に届く。それを聞いたシェドは安堵の笑みを浮かべ、がくっと腰砕けになってその場に座り込んだ。 「アリアちゃん……?」 フィオナが何がどうなったのかわからない顔つきでシェドの元へ歩み寄ってくる。 「大丈夫だ、アリアのことなら心配ない。……フィオナは大丈夫か?」 「ええ、私は。それより、二人の傷の方が……」 シェドもアリアも、満身創痍という言葉がぴったりな程ボロボロだった。 「俺たちは丈夫に出来てるから大丈夫だって。……ミレーヌは?」 「無事だよー……」 シェドが辺りを見渡すと、小さく開いた穴に身を沈めていたミレーヌが片手をひらひらさせながら場所を教える。フィオナがそっと駆け寄り、ミレーヌに肩を貸しながらシェドのもとへ戻ってきた。 先ほどまで降り続いていた雨のせいで全員服はびしょ濡れで、現れた太陽はそれを乾かそうと言わんばかりに燦々と輝いている。空にはうっすらと虹が架かり、水たまりは反射光でキラキラと煌めく。 しかし、レンの倒れている場所だけは太陽の光を浴びて燃え上がるような緋色に染まっていた。半径数メートルに飛び散ったレンの血液が大地に張り付き、中央でレンが人なのかわからないほどぐちゃぐちゃな姿で倒れている。 「……フィオナ、悪いが肩を貸してくれるか……?」 「え……? あ、はい……」 フィオナに肩を借り、シェドはおぼつかない足取りでレンの元へ近寄る。フィオナは直視しないよう顔を背けており、瞳をキュッと閉じていた。 「……まだ息がある」 「え……?」 辛うじてレンはまだ呼吸をしていた。シェドは残った力を腕輪に集中させ、腕輪に付いた七つのジェムの内、ヒールジェムが眩く輝いた。 シェドはその状態で銃の引き金を引く。ヒールジェムの魔力帯びた銃弾が放たれ、レンの身へ沈んでいった。 「……アリアの所へ戻ってくれ」 「え……。あの、一体何をしたんですか……?」 「ヒールジェムを使った。助かるかどうかわからんが、多少は確率が上がるだろう」 「……どうして、敵にそんなことを?」 「自分が誰かを殺したって知ると、アリアはまた悲しげな顔をするからな」 アリアのもとへ戻った二人は、しばらくその場で呼吸を整えた後、トラキアの街へ戻っていった。シェドは迷った挙げ句、セシリーを背負ってアンミラ亭へと連れ帰った。 * * * 扉をノックする音に続き、カルネがレミネーラの部屋へ姿を現した。表情は芳しくなく、レミネーラもまた、そんなカルネを見つめて目を細める。 「……調査員からの報告です。レオの捕獲は、失敗に終わったそうです」 「そう」 背もたれをギィッっと軋ませ、レミネーラは瞳を閉じて大きく息を吐いた。 「また、戦闘でレオが天使化したそうです」 「それじゃあいくらS級のエインフェリアを向かわせようとも無駄ね」 「……この作戦で一等兵五名が負傷、S級のエインフェリアが瀕死、A級のエインフェリアが生死不明とのことです」 「瀕死と生死不明なんて役立たず、放っておけばいいわ。負傷した兵も、適当な調査員にでも降格させなさい」 「は。それで、次の手はどうなさいますか?」 「……どうせすぐにまた姿をくらますでしょうね。機会を窺うしかないわ」 レミネーラはそう愚痴るように言うと、手をひらひらと振った。それを見たカルネが一礼した後部屋を去る。 「天使化……。ま、それはそれで良い傾向ね、うふふふ……」 暗い一室にレミネーラの不敵な笑い声が響く。 窓の外は雨模様で、武装した兵士達が慌ただしく動き回っていた。 * * * 激戦を終えたシェドはアリアをフィオナに任せ、自身はセシリーを背負ってアンミラ亭に移る。ミレーヌはよたよたと自力で部屋まで戻り、着替えを持って別の部屋へと姿を消した。 部屋に戻るとすぐ、シェドはフィオナの前にもかからず着ていた服を脱ぎ捨ててパンツ一枚になった。フィオナが顔を背ける中、部屋に置いてあった大きな鞄から着替えを取り出し、継ぎ接ぎのあるぼろい服で身を包んだ。同時にタオルと別の着替えを取り出し、壁にもたれさせたセシリーに近づいていく。 「フィオナ、アリアの服の予備がその鞄に入っているから、着替えさせてやってくれ」 「……ええ、わかりました……って、え、あ……」 アリアの頬をそっと撫で、シェドに言われたとおり置いてある鞄に体を向けた時、フィオナの視界に映ったのはシェドがセシリーの上着を引っぺがしている現場だった。 「ちょ、ちょっとシェドさん! 何しているんですか!」 「ん? 何って、このままじゃ風邪引くだろうと思って着替えさせようと……うごっ!」 フィオナの拳がシェドの背中を打ち、シェドが裸身のセシリーに顔をぶつける。 「シェドさんは外っ! この人とアリアちゃんの着替えは私がします!」 廊下に追いやられたシェドは、頭をぽりぽりと掻きながら大きく息を吐いた。するとそこへジールが姿を現す。その表情は険しく、シェドの顔を見ると申し訳なさそうな顔を浮かべる。 「……どうかしたんですか?」 「ええ、その……、街長がシェドさん達に話があると……」 「……わかりました。今行きます。……あ、フィオナもびしょ濡れなんで、風呂の準備しておいて頂けますか?」 「はい」 ジールに続いてシェドは店へ移動した。そこには貫禄を備えた年配の男と数人の街人がおり、シェドに気づくと眉間に皺を寄せる。 シェドはジールに無言で頷き、ジールがその場を去った後、男達が腰掛けるテーブルへ歩み寄った。 「……私に話があると聞きました」 「うむ。……腰掛けたまえ」 年配の男に推され、シェドは無言で腰を下ろす。 「先ほど、フィオナと旅人の少女がこの辺りの住民に避難するよう警告したそうじゃないか。その原因は君たちが君たちを追って来た者達と戦闘行為をするからだと」 「はい。その通りです」 「……君たちを追ってきた者達というのは随分ぶっそうな奴らだったそうじゃないか。そしておそらく、君たちがこの街にいる限り、また同じような奴らが来る可能性があるのじゃなかろうか」 「はい」 シェドは表情を変えない。周りの人間が訝しくシェドを見つめるが、年配の男だけは真っ直ぐシェドの目を見つめたまま感情を表に出さない。 「……おっしゃりたい事は大体わかりました。つまり、私達にこの街を出て行けというわけですね」 「早い話がそうなる」 男が瞳を閉じてため息を吐く。シェドは目を細めて少し間を置く。 「わかりました。……もとより長居する気はありませんでしたし、すでに出立の準備は終わっています」 「そうか……」 「はい。ただ、今夜だけはこの街に留まることをお許し下さい。連れの少女が、追っ手との戦闘のせいで寝込んでしまったものですから」 シェドの口からアリアの話が出ると、今まで怪訝そうに見つめていた周囲の街人達が一瞬申し訳なさそうな顔つきになる。しかしすぐにまた冷めた視線をシェドに向けた。 「明朝この街を出る。それでよろしいでしょうか?」 「……わかった。みなもそれでよいな?」 年配の男が周囲の人間をぐるっと見渡す。街人達は無言のまま頷き、ぞろぞろとアンミラ亭を去っていった。 最後に残った年配の男は、店を出る前にシェドを向いて一礼した。シェドもそれに礼で応じ、男を見送った。 「……シェドさん」 ふとシェドの後方からか細い声が響く。シェドが振り返ると悲しそうな顔のフィオナが両手を胸の前で組んで立っていた。 「フィオナ、聞いていたのか?」 「はい。……その、アリアちゃんの体を拭いてあげていたら、胸の所にある宝石がすごく熱くなっていたから、それをシェドさんに知らせようと思って、それで……」 「アリアなら大丈夫だ。……フィオナ、少し話がしたいから、濡れた服を着替えてまた戻ってきてくれないか?」 「……わかりました」 シェドに言われてフィオナは奥の部屋へと消えていく。フィオナと入れ違いになるようにミレーヌが店に姿を現し、シェドの隣に腰掛けるとぐったりとテーブルに突っ伏した。 先ほどまでの雨が嘘のように窓の外は真っ赤な夕焼け色に染まっていた。シェドとミレーヌは言葉をかわすことなく窓の外へ視線を泳がせる。 しばらくするとフィオナが衣服を変えて戻ってきた。タオルで濡れた髪を丁寧に拭きながら小幅でゆっくりと二人の元へ歩み寄り、シェドと向かい合うよう腰掛けた。 「ミレーヌ、お前はさっきの話聞いてなかったと思うから言っておくが、俺たちは明朝この街を出る」 「えっ!」 ミレーヌがガバッと顔を持ち上げ、シェドの横顔を見つめる。 「驚くほどの事でもないだろ?組織に俺たちの所在が知られた以上、同じ場所に留まるのは危険だ」 「……それは、そうだけど……」 街人に出て行くよう勧告された事に関しては触れず、シェドは納得がいかない様子のミレーヌを余所にフィオナに視線を移した。 「フィオナ、あの時のアリアはどう見えた?」 「あの……時? それって……」 フィオナの脳裏に光の翼と漆黒の瞳、そして金色のオーラが浮かぶ。顔を俯け、フィオナが眉を顰める。 「天使……。そう、見えなかったか?」 「……見えました」 「あれがアリアの胸に埋め込まれた聖石の力なんだ。聖石に込められた凄まじい魔力が暴走し、爆発的な力を生み出す。俺たちはそれを“天使化”と呼んでいる。その間、アリアの記憶はない」 黙ったままシェドの話に耳を傾けるフィオナ。ミレーヌは大人しく頬杖をついまま口をつぐんでいた。 「“天使化”の後、聖石が高温を発して本人も寝込んでしまう。だが、明日の朝には回復してるはずだ。だから心配する必要はない」 「……一体聖石って何なんですか? それに組織って一体」 「それは知らない方がいい。知っているだけで危険が及ぶ可能性もある」 「…………」 シェドの表情を見て聞き出すのは無理だと判断したフィオナは、それ以上執拗に尋ねたりしなかった。 「たった数日の間だったが、フィオナには随分世話になった。特にアリアにとってフィオナの存在はとても大きかったと思う。ありがとう」 「え、あ……、そんな、お礼を言われるほどのことじゃありませんよ。私自身がそうしたいと思ってしたことですから」 フィオナは目の縁に涙を浮かべながら悲しげな笑みを零す。シェドはそんなフィオナを見つめ、スッと瞳を閉じた。 徐々に窓の外は暗く染まっていき、静けさがトラキアを包んでいく。 |
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