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エピローグ バサバサと両翼を羽ばたかせるエアバーンの背中で、三人はずっと口をつぐんでいた。いや一人だけ、無駄に元気よく空気に向かって話しかけている人物がいる。 「やばかったねー、不完全体であるレオがあんなに長時間天使化していられるなんて、もうビックリー」 空気の薄い上空にも関わらず、キャロルの声は張りがあって威勢が良い。 「あーっ! そう言えば“双身”のお二人さん忘れてきちゃった! てへっ、失敗失敗」 コツンと左手で自分の頭を叩くと、反動でモノクルが少しずれた。それを右手で直し、再びランランと笑みを浮かべる。 「ミゲルさんは、傷、大丈夫ですかー?」 「…………」 満身創痍で憮然とした面持ちの大男に、キャロルは全く気兼ねなく顔を寄せていく。ミゲルが鬱陶しそうに腕を振るうと、キャロルは笑いながら身を引いた。 「うーん。その傷じゃあ当分戦いは無理ですねー。もうじきハルモニカ大陸への侵攻戦争が始まりますからー、ミゲルさんには前線で大暴れしてもらおうってレミネーラ様は言ってましたけど」 「…………」 「ピスケスもボロボロだしー、こりゃあ当分研究所で養生だわねー」 エアバーンの背中に横たわる少女。ピスケスは瞳を閉じ、荒い息遣いで額に汗を滲ませていた。苦しそうに表情を歪め、時折手で胸元をギュッと押さえる。 「傷が癒えたら、俺はまたシェドを追う。……戦争なんざ、天使共に任せておけばいい」 「そうですねー。ミゲルさんが暴れたくないっていうなら、別に戦争行かなくてもいいですよー」 「俺の相手が務まるのはシェドだけだ……。だから――」 ミゲルがグッと拳を握る。 「俺を失望させるな、シェド……」 怒りに満ちたミゲルの声。凄まじい殺気が籠もったミゲルの一言に、キャロルは恐怖に震えるどころか一層華々しい笑みを浮かべていた。 * * * 乗車席でセシリーが手綱を握り、その横にシールディアがちょこんと座っている。荷台ではシェドが黙ったまま自分の懐に手をあてがってジェムを輝かせ、アリアは息苦しそうに荒い呼吸音を漏らしていた。 シルヴァランスは荷台の後方から、馬車の軌跡をウインドジェムで風を起こしながら消していく。自分たちの痕跡を極力残さないようにと、シェドに言われた事だった。 「……ふぅ」 小さくため息を漏らし、シルヴァランスはもはや見えなくなった、デオラガーンの街のある方角を見つめた。馬車は公道を外れており、森の中を駆け抜けていたため、木々の合間からデオラガーンを囲う高い山々が見える。 馬車の中の空気は重く、時折乗車席からセシリーとシールディアが小さく言葉をかわす程度で、それ以外はアリアの呼吸音と馬が大地を蹴る音だけが響いている。 チラリと覗うと、シェドは自身の傷をヒールジェムで癒しながら、苦しそうに呼吸を荒らげるアリアの額をそっと濡れたタオルで拭っている。その表情は痛々しいくらい曇っており、シルヴァランスは掛ける言葉すら思いつかない。アリアの脇では、ヒューイも心配そうに耳を垂らしてアリアを見守っていた。 「……ふぅ」 再びシルヴァランスはため息を漏らした。懸念しているものがもう一つある。それはヴィクトリアのことだ。 同志達の元を去る時、シルヴァランスは何も告げずにシェド達の旅に加わった。それは他の同志達はもちろん、大切な妹にも何一つ断っていない。 どうやってヴィクトリアがシルヴァランス達の居場所を突き止めたのかはわからない。だが、どんなにヴィクトリアの側にいてあげたくとも、それは叶わぬことだ。 他の同志達にシルヴァランスが天使と共に行動しているということが伝われば、彼らは間違いなくアリアを殺しにやってくる。世界を救うため、必然悪としてあの無垢なる少女を殺しに来る。 それは避けたい。いや、避けなければならない。そのためにシルヴァランスはシェド達の旅に加わったのだ。 「おーい、シルヴァランスー。起きてるー?」 「あ、はい……」 一人考え込んでいたシルヴァランスを現実に引き戻したのは、ゆったりとした口調のセシリーだった。 「あなた、あの子達の氷炎拳をまともに喰らってたけど、大丈夫?」 「はい。……傷は殆ど治して貰いましたから。僕のことより、セシリーさんも過剰な魔力供給による影響は大丈夫なのですか?」 「ええ、体のあちこち軋むけれど、生傷負ったわけじゃないからね。大人しくしていれば問題ないわ」 「よかった」 「……それと、……その……」 セシリーが珍しく歯切れ悪い態度を示す。シルヴァランスが静かに言葉を待っていると、 「妹さん……。よかったの? 何も言わずに別れて……」 セシリーが聞きづらそうに尋ねた。そんな露骨に顔に出ていたのかと、シルヴァランスは少し反省して笑顔を整える。 「仕方ありません。ヴィクトリアも今は同志の一人、天使を倒そうとしている組織のメンバーですから」 乗車席からセシリーが荷台をのぞき込み、シルヴァランスの作り笑いを一瞥してから顔を引っ込めた。シルヴァランスは笑みを崩し、小さく息を漏らしながら眉を顰める。 「やっぱり気にしてるんじゃない」 「え……? あ……」 引っ込めたと思って油断していると、いつの間にかセシリーが再びシルヴァランスを覗っていた。とっさに笑みを繕おうとするが上手くいかず、セシリーがそんなシルヴァランスを見つめてクスクスと肩を揺らした。 「ねえ、シェド……」 「ん?」 しばらくシルヴァランスを見つめた後、セシリーがジッとアリアの脇で佇んでいるシェドに話しかけた。シェドは顔を持ち上げ、視線をアリアからセシリーに切り替える。 「……これから、どうするの?」 「…………」 長い沈黙。その長さが、今のシルヴァランス達の状況を物語っていた。 S級エインフェリアと戦ってボロボロのセシリーとシルヴァランス。先日のドラゴンとの戦闘で負傷したシールディア。ピスケスという天使と戦って負傷し、さらには天使化による反動で苦しむアリア。ミゲルと呼ばれた男、その圧倒的な力の前に完膚無きほど打ちのめされたシェド。 シェドは心身共に大きなダメージを負っていた。それは当人ではなくシルヴァランスの目に見ても、ハッキリしている事実だった。 「今はとにかく出来る限り遠くへ向かう。公道を通らず、痕跡を残さないよう注意しながら慎重に」 「……そうね、あの“追跡”のミゲルの能力はやっかいだものね……」 ミゲルという名を耳にした瞬間、ピクッとシェドの眉が動く。シルヴァランスはそんなシェドを一瞥した後、再び荷台から過ぎ去っていく景色を眺めながらジェムを輝かせる。 「はあっ……。はあっ……」 アリアの苦しそうな呼吸音が耳に響き、シルヴァランスはそっと天を仰いだ。木々の枝間から覗く青空は、先ほどまでの雷雲とうって変わりとても美しい。手前の緑と奥の青、合間の白い雲がゆったりと流れ、シルヴァランスの視界を鳥たちが羽ばたいていく。 世界はこんなにも美しいのに、何故に心はこんなにも悲しい思いで満ちているのだろう。 アリアを守りたいという想い。天使という悲哀の楔から純粋無垢な少女を救いたいという願いのもと、シルヴァランスは今、ここにいる。 けれど、シルヴァランスは何も出来なかった。今回ミゲル達を退けたのは、守らなければならない少女自身。そしてその少女は、天使化という人知を超えた力の暴走で苦しんでいるのに、シルヴァランスは何も出来ずにいる。 無力感。きっと、シェドもセシリーも同じような想いを抱いているに違いない。永久に続きそうな重い沈黙がそれを裏付けている。 敗走に限りなく近い逃避行。先の見えない旅路を、馬車は一行を乗せて進んでいく。 |
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