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エピローグ

「ん……」
「おっ、気づいたか」
「アイザックさん……?」
 ベッドに横たわったまま、ナイはゆっくりとまぶたを半分持ち上げた。ナイの体は全身包帯で包まれており、そんなナイを見つめるアイザックもさらしのように上半身を包帯で巻いていた。
 小さな村の宿屋。二つしかないベッドの片方にナイが横たわり、もう片方にアイザックが腰を下ろしていた。
 ふいに扉が開き、しめやかにガネットが部屋に入ってくる。ナイの顔を見ながら、
「気づいたのね。……Cがとても心配していたわ」
 ほぼ無感動の表情に、少しだけ安堵の色を混ぜて微笑むガネット。ナイは痛みに顔をしかめながら、上半身をベッドから引き上げた。
「…………。――っ、天使は?」
「俺達は負けた。……まったく、いつの間にシルヴィーもあんな強くなったんだか」
 アイザックが面白くなさそうに両腕を後頭部に回して口をとがらせた。ナイは自分の記憶をたどり、天使にやられた瞬間を思い出してシーツをグッと強く握った。
「何かなぁ……。今回はまるで、俺達が敵役みてぇだったな」
「……そうですね」
 愚痴るアイザックにナイは首を縦に振りながら答えた。扉付近で、ガネットも微かに表情を曇らせている。
「私はもう、きっとあの人達と戦えない」
「ガネット……」
「でも天使を倒さなければ世界が守れない。だから戦うときはまた来ると思う。その時は、……Cに任せるわ」
 瞳をスッと閉じてやるせない表情をするガネットを、アイザックとナイが神妙な顔つきで見つめた。
「そうだ。おい、後でヴィクトリアに礼言っておけよ。この村に運ばれるまでずっと、お前の傷にヒールジェムを当て続けてへばっちまったんだから」
「ヴィクトリアはシルヴァランス達と共に行かなかったのですか?」
「ああ。戦いの前に、シルヴィーがヴィクトリアに強く言ってたのを覚えてるだろ?」
「…………」
「……ま、そういうことなんだろ。不器用なやり方だが、シルヴィーなりにヴィクトリアを心配してそうしたんだろうぜ」
 後頭部を掻きながらため息を漏らすアイザック。ナイは口をつぐみ、思いふけるように顔を俯いていた。
「この後、どうするの?」
 ガネットが鬱金色の瞳でアイザックを捕らえて尋ねる。アイザックは少し考え込むような仕草を見せて、
「取りあえずは基地に戻ろうぜ。今の状態じゃリベンジマッチは無理だし、ガルバトロスさんに色々報告することがあるだろ」
 気怠げな笑みを浮かべてそう言った。ガネットは無言で頷く。
「……ナイ」
「何ですか?」
「Cはあなたのことをすごく心配していたわ。それで、先ほどから変われ変われって言っているのだけれど、……いい?」
「……はい」
 控えめに上目遣いで尋ねるガネットに、ナイは硬い表情を少しだけ和らげて頷いた。ガネットがスッと瞳を閉じ、そして数秒後、瞳が開かれた瞬間にガネットの表情はぐしゃぐしゃに歪んで大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。
「ナ、ナイしゃまぁ〜……。えぐっ……、えぐっ……」
「心配掛けたね。ほら、もっとこっちへおいで」
 嗚咽を繰り返しながら必死に手の甲で涙を拭うガネットに、ナイが両腕を伸ばして微笑んでみせる。ガネットは涙目でそんなナイをしばし見つめ、サッとナイに駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
「いっく……。ひっく……」
「私は大丈夫だから。……ほら、泣かないで。ガネットは笑顔が一番似合うのだから」
 ガネットの髪を撫でながらナイが優しい声音でささやき、ガネットはナイの胸に顔を埋めて小刻みに肩を震わせる。
 そんな光景をしばし傍観していたアイザックが音もなく部屋を立ち去り、
「ったく、だからセイクリッド・スピアの三人で行動するのは嫌なんだよ」
 そう愚痴りながら部屋の扉を閉めた。

* * *

 日が沈み、真っ暗の平野をライトジェムで照らしながらシェドは手綱を引いて馬車を走らせた。荷台からは物音一つせず、まだ寝てはいないだろうがシルヴァランスもセシリーも何か重い空気を乗車席にまで漂わせていた。
 シェドの傍らにはシールディアが腰を下ろし、その膝元ではヒューイがすやすやと丸まって寝ている。
「……なあ、少し気になったことがあるんだが」
 シェドは前を見つめたまま、隣のシールディアに尋ねる。
「何だ?」
「今回の戦いでアリアは天使化した。……今まで、アリアが本気で戦ったり天使化したりした後はドラゴンに襲撃されることが多かったんだが、今回は至って静かなもんだ。どうしてだ?」
「うむ。それは私がそなたらと行動を共にする前の話であろう。それ以降はそんなことないと思うのだが?」
「……お、言われてみればそうだな」
 確かにその通りだった。ラーミアでシールディアが仲間になる以前と以後で、ドラゴンによる襲撃は激減した。
「それは私が結界を張っているからだ」
「結界?」
「うむ。天使の力とドラゴンの力は正と負の関係にあり、互いに相殺が可能なのだ。ドラゴンは天使の力を感じ取って興奮し、そして天使を倒すために天使の力のする場所へ赴く習性がある。力を相殺して打ち消せば力を感知することはできない。それが結界だ」
「……よくわかんねぇが、お前がそれをやってくれてんだな?」
 シェドの問いにシールディアが首肯してみせる。だがすぐに思案顔になって、
「しかし今回は少し勝手が違った。……アリアから放たれる波動が、以前の天使化と異なっていたため手こずった」
「それは……、アリアが天使化した状態でも自我を維持したことと関係あるのか?」
 シェドは思い出す。初めてアリアの天使化を目撃したとき、そのあまりに強大な力とアリアから放たれる圧倒的な殺気に恐怖したことを。それ以降も、天使化するたびにアリアは自我を失い、目の前の敵を殲滅するまで止まらない荒々しさを持っていた。
 だが今回は違った。アリアは自ら天使化した。暴走ではなく、自ら望んで。
 まるで無理して自我を保とうとしているように、辛くて痛々しい表情を浮かべながらもアリアは必死に自分の意志で戦ってるようにシェドの目には見えた。
「私も詳しいことはわからぬ。だが、無関係ではないと私は考える」
「……アリア……」
 ふとシェドは荷台をチラッと伺う。すでに真っ暗であるため中がどうなってるかは見えないが、アリアの乱れた呼吸音だけは耳を澄ませれば聞こえてきた。
「これは私の憶測だが……」
 シェドをシールディアが呼び戻す。シェドは視線をシールディアに戻し、手綱を強く握りなおした。
「アリアが多くの感情を思い出し、覚え始めたことがきっかけではないかと推測する」
「……どういうことだ?」
「うむ。私も、そなたと出会って今の自我を構成する前は、ドラゴンの姿をしている時に自我を持っていなかった。本能のままに、ヒトを護って天使を倒すということだけを実行していた」
 シールディアは膝の上で眠るヒューイの毛を撫でながら話を続ける。
「おそらく、天使もドラゴンと同じような存在ではないのだろうか。天使であるときは自我を失い、それが暴走へとつながる」
「…………」
「だが、これは私の話なのだが、最近ふと感じる時があるのだ。……今なら、ドラゴンの姿に戻っても自我を維持できるのではないかと」
「自我の……維持?」
「そうだ。そしてその理由が感情にあると私は思う。そなたらと行動を共にするようになり、私は様々な感情を覚えた。それが自我の維持を可能にしているのではないかと考えている」
 だからアリアも多くの感情が芽生えたことで自我を維持したまま天使化できた。シールディアはそう言いたいのだろう。
「聞いた話によれば、以前デオラガーンで対峙した別の天使はとても感情が乏しかったのであろう? アリアも、かつては殆ど感情のない“心なき天使達”と呼ばれる存在であったのだろう?」
「ああ、そうだ」
「おそらく、感情の薄い自我では天使化の際に聖石から溢れる負の衝動に耐えきれず自我を失うのだろう」
 根拠も確証もない話だが、確かにシールディアの言っていることは一理あるような気がした。感情と自我の維持。それは無関係ではないかもしれない。
 馬車に揺られながら、シェドは目を細めて漆黒の彼方を見つめた。
 シェド達の旅はまさに夜道を当てもなく彷徨うことい似ている。明確なゴールは在っても、それが何処にあるのか、そこにはどうやって行くのかわからない。いや、もしかしたらゴールに続く道自体がないのかもしれない。
 だがそれでも、例え当てもなく彷徨うことになってでも、シェド達は進む。
「アリア……」
 シェドの呟きは闇に消え、夜風がシェドの頬に当たる。
 見上げた空には満天の星が輝き、儚くも淡く柔らかな光でシェド達を照らしていた。
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