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第五章 世界の敵とその護り手 砂塵の舞う荒野の中央に荘厳とそびえる古代遺跡。倒壊した建物やヒビの入った壁には砂が張り付き、年月と共にその厚みを増していった。 乾燥した地域のため植物はほとんど生息しておらず、辺り一帯を黄金色の砂が覆っていた。空には巨大な翼をもつヘルコンドルや翼竜の亜種、スカイドラゴンが旋回し、建物の陰にはジャッカルやガルムが集団で生活している魔物の巣窟を、場違いなキチッとした黒のスーツで身を包む男がゆったりとした歩調で歩いていた。 赤茶けた短い髪を整然とセットし、彫りの深い顔に浮かぶのは灰色の濁った瞳。長身痩躯の三十代後半くらいの男の後ろには、男につかず離れず一定の間隔を保って追従する三人の幼い少女の姿があった。 「この辺りか。……ジェミニ」 「はい」 ジェミニと呼ばれた、おでこを出した青緑色のショートヘアの少女がコクンと頷いた。てくてくと小さな歩幅で男の数メートル前に歩み出し、灰色の瞳で虚空を見つめて、振り袖の袖口から透けるような白い手をそっと伸ばし、空中に指先で円を描いた。 次の瞬間、空中に描かれた円の内側から眩い光が迸り、世界が純白に包まれた。凄まじい衝撃が周囲を駆け抜け、髪をバサバサと靡かせながら男がそっと目を細めて光の先を見つめる。 「……ついに、見つけたぞ……」 男の表情に愉悦の笑みが浮かぶ。だが次の瞬間、男の表情は急に冷静で淡泊な表情に戻った。男の背後に居た二人の少女が、ピクリと反応する。 空中の円から広がっていた光が収まった時、円の浮かんでいた場所にはクリスタルのような透明性の高い物質で構成された豪奢な玉座が存在していた。トルメキア国王が鎮座する玉座など比べるに値しないほど、光をすべて透過する美しい玉座。 だが男が玉座を見つめていたのはほんの一瞬だった。光の中から玉座が浮かび上がったと同時に、男達を取り囲むように何十体もの巨大な体を持った黒い影が姿を現したからだった。 「なるほど。そう易々とこちらの思い通りにはいかない……か」 男は至極落ち着いた様子で周囲を取り囲む、神が創ったとされる最強の生物、ドラゴンを見つめた。低級なアルフドラゴンから上級のダークドラゴン、圧倒的な威圧感を誇るグランドドラゴンなど、この世に存在が知られているありとあらゆるドラゴンが凄まじい殺気をみなぎらせながら男達を取り囲んでいる。 「さながら、この“フリズスキャルヴ”を監視するためだけに創られた、世界の護り手というところか……。ククク……、私達の神も用意周到だな」 ドラゴンに囲まれながらも余裕の態度を変えない男の後方で、二人の少女が戦闘の準備を開始した。 長い黒髪を揺らしながら黒いドレスの袖口を軽くまくった少女が、背中から二本の無骨な剣を取り出して胸の前でクロスさせた。白と黒の刀身は丈はさほど長くはないが厚さと横幅があり、とても重量感を感じさせる。 そしてもう一人、輝きのない黄色いボサボサのショートヘアに鮮血のように真っ赤な瞳をした少女は、黄色のハーフコートの中からバングルを取りだし、両手にガシッと装着した。 「カプリコン」 「はい」 男の言葉に長い黒髪の少女が応える。 「アクエリアス」 「はい」 同様に黄色いボサボサの髪の少女が応えた。 「時間が惜しい。ジェミニも、最初から天使化してすぐに蹴散らせ」 「わかりました」 男の前に立っていたジェミニが首肯し、すっと瞳を閉じた。 次の瞬間、三人の少女達の背中から実体のない純白の翼が伸び、少女達の体がフワリと宙に舞った。 『グルルル……』 それを見たドラゴンたちが怯えたように唸り始める。 少女達がカッと瞳を開いた時、その瞳はみな、金色に染まっていた。 * * * 「まあ、よかったわね」 町を出てしばらく森の中の道無き道を進んでいると、荷台からひょこっと顔を出したセシリーが呟いた。アリアが乗車席から振り返って見つめると、ニコッと含みある笑みを浮かべる。 「何がだ?」 「こっちの話よ。ね? アリア」 「……うん」 セシリーが言いたいこと。それはきっと、シェドがアリカの元に残ってアリアと共に旅することを止めてしまわなかったことを言っているのだろう。 アリアはそっと訝しげにセシリーを眺めるシェドの横顔を盗み見して、微かに頬をゆるめた。 まだ一緒にいられる。そのことが、アリアの中で小さくとも暖かく輝いた気がした。 「ん……。もうじき一旦森を抜けるな」 「この先は広大な平野が広がってます。……拓けた場所ですから、遠くからでもよく見えるでしょう」 シェドが前方を確認してつぶやくと、荷台からシルヴァランスの声が返ってきた。アリアはそっと荷台をのぞき込み、何か思い詰めたような顔つきで剣の手入れをするシルヴァランスを見つめた。その隣では、シールディアが放心したように虚空を見つめている。 「…………」 シェドやシルヴァランスから感じる何とも言えない緊張感のようなものを、アリアは何となく感じ取っていた。セシリーも表面上は普段通り穏やかな笑みを携えているが、周囲を伺うように時折目を光らせている。まるで敵に襲撃されることをあらかじめ察しているような感じだった。 そして森を抜けた瞬間。突然馬車馬たちが嘶いて一歩も前に進まなくなり、その場で立ち往生した。 「……来たか」 「ええ……。でも……」 キッとサングラス越しに目をつり上げるシェドに対し、セシリーは何処か困惑した様子だった。アリアはジッと目を細めて、二人の視線の先を確認する。 そこには太陽の光を背後から浴びて毅然と立つ一人の少女が立っていた。そして隣には純白の翼を持つペガサスと呼ばれる生物の姿がある。 アリアは静かに少女を見つめた。年の頃はアリアより上、十代半ばくらいだろうか。 一糸一糸が輝く金色の髪を風に靡かせ、炎のような深紅の瞳。白地のトップの上に赤いカーディガンを羽織り、薄ピンクのキュロットスカートを穿いた少女。 何となく、アリアはその少女に見覚えがあるような気がした。少し前に会ったことがあるような既視感。それと同時に、毎日顔を合わせているような錯覚。 「……ヴィクトリア」 いつの間にか荷台から下りたシルヴァランスが、暴れる馬をなだめながら金髪の少女を見つめた。どうやらシルヴァランスの知り合いらしいが、ヴィクトリアという名前にアリアは聞き覚えがなかった。 「お兄様……。わたくしは、その……」 「ヴィクトリアちゃん、あなた……」 まるで我が儘言った後の子供のようにスカートの裾をぎゅっと握るヴィクトリアを、シルヴァランスと、同じように少し表情曇らせているセシリーが見つめた。 「あの人は?」 「シルヴァランスの妹だそうだ。前にデオラガーンで、……ミント……だったか? あいつの傷の手当てをしてくれた」 「……そう」 アリアは伏し目がちにヴィクトリアを見つめた。 デオラガーンでの戦い。あの時の結末をアリアは殆ど覚えていなかった。ミントが倒れ、シェドが倒れ、その後の記憶はない。きっとまた天使化してしまったのだろう。 気がついたとき、アリアは馬車に揺られていた。森の中を突き走る馬車の中、シェドもセシリーもシルヴァランスもシールディアもヒューイも、みんな無事で乗っていた。 でもミントはどうなったのだろう。さらわれた少女はどうなったのだろう。 尋ねてもシェドは気にするなと誤魔化し、セシリーとシルヴァランスは曖昧に笑うだけだった。 「あの子は、シルヴァランスと同じ組織に在籍しているらしい」 「……じゃあ、あの人の狙いも私なの?」 「…………ああ」 シェドが言いにくそうに小声で肯定した。今でこそ仲間のシルヴァランスも、以前は天使を倒すといって襲ってきた相手だった。ヴィクトリアも、そうなのだろうか。 「お兄様っ! わたくしも同志の一人です! だから、わたくしは世界を守る為――」 「ヴィクトリアッ!」 「……っ!」 必死に自分の意志を主張しようとしたヴィクトリアを、シルヴァランスはいつになく大きく声を張り上げて遮った。ビクッと肩を震わせたヴィクトリアが、目の縁に涙を浮かべながら一歩後ずさる。 「ここにいる人達はみんな僕の仲間だ。もし君が同志達の意志を受けて僕達の前に立ちはだかるというのならば、僕が相手になる」 「そんな……、お兄……様……」 「ちょっとシルヴァランス!」 止めようとするセシリーの言葉も聞かず、シルヴァランスがスッと鞘から細身の刀身を抜き出した。柄に埋め込まれたウインドジェムから溢れる魔力が周囲に突風を巻き起こし、ヴィクトリアが両手で顔を覆う。 「シルヴァランスッ! あの子はあなたのことを思って言ってるのよ? もう少し、ましな言い方ってものがあるでしょう!」 「これは兄妹の問題です。セシリーさんは少し黙っていて下さい」 「んなっ!」 唖然とするセシリーの脇を抜けて、シルヴァランスがずんずんヴィクトリアに歩み寄っていく。主人を守ろうとしたのか、警戒するようペガサスが大きく嘶くが、シルヴァランスがキッとペガサスを睨みつけると、ペガサスは大人しく四本足を折ってその場にしゃがみ込んだ。 あんなに怖いシルヴァランスを見たのはたぶん、二度目だ。一度目はアリアを倒すべく襲ってきた敵としてのシルヴァランス。仲間になって以来はいつも優しく微笑んでいたり真面目に何か悩んでいたりしたシルヴァランスだが、ああも怒りの感情を全身から迸らせているシルヴァランスは見たことがなかった。 けれど少しだけ違和感があった。その正体は掴めなかったが、何か、一度目と二度目では異なっている気がした。 「はああっ!」 「シルヴァランスッ!」 刀を振り上げたシルヴァランスを見て、アリアは咄嗟に馬車から飛び降りて駆け出そうとした。しかしガバッとシェドに羽交い締めにされ、止めることはできなかった。 「駄目、駄目っ! シルヴァランスッ!」 アリアは必死にもがいた。何故二人が対峙しているのか。たぶん、いや間違いなく理由はアリアにある。天使であるアリアに。 自分のせいで実の兄妹が争う所など、アリアは見たくなかった。 ヒュンと風を切り裂いて、シルヴァランスの剣がヴィクトリアの頭上より凄まじい勢いで振り下ろされた。 「あっ……」 剣先はヴィクトリアのすぐ脇を走り、大地を裂いて止まった。ヴィクトリアには何一つ傷ついていない。 「……兄妹の問題に、俺達が手ぇ出すのも悪いだろ」 「シェド……。で、でも……」 兄妹の問題。いや、これは自分の問題だと、アリアは喉まで出かかっている言葉を飲み込んだ。そんな言葉を口にすれば、きっとシェドは怒るだろうから。 みなが固唾を飲んで見守る中、シルヴァランスが再度剣を構え、 「戦う意志がない人間が戦場に出てくるなっ! 君みたいな子供は、大人しくさっさと家に帰るんだっ!」 思わす後方に立つアリアですらビクッと肩を震わせるほど、シルヴァランスが声を張り上げてヴィクトリアを圧倒した。 「う、うう……、そんな……、わたくしは……、お兄……様……」 途端にヘナヘナと腰砕けに大地へ崩れるヴィクトリア。両目に溢れんばかりの涙を抱え、小さな嗚咽を何度も漏らしながら俯いた。 「……不器用よね、あいつも」 「そうだな」 セシリーとシェドがそっとアリアの後ろで囁いた。 二人のやりとりや、シルヴァランスがどうしてあんなことをしたのかよくわからなかった。それでもアリアは、兄妹が本気でやり合わずにすんだことにホッと胸をなで下ろした。 だがその時、 「おいおいシルヴィー。お兄ちゃんが妹を泣かしちゃあマズイんでないか?」 緩みそうだった緊張の糸をピンと張り直させるように、アリア達に対する敵意むき出しの殺気が周囲に広がった。 気がつけばアリア達は三人の影に囲まれていた。左右両翼と後方。距離は十数メートル。こんな近距離までアリアは三つの気配に気づかなかった。 「……ア、アイザックさん……、それにナイさん、ガネット……」 シルヴァランスが振り返って三つの影を確認しながら唖然と呟いた。アリアの後ろで、シェドとセシリーが戦闘態勢を整える。 「ようシルヴィー。それと、……そうそう、“魔弾”だっけか? 後は……、おおっ! すっげー美人じゃねぇかっ!」 口笛を鳴らしてにやけた笑みを零す、長身長髪の軽薄そうな男。茶色い髪は後頭部で結ばれ、鳶色の瞳は見る者を何処か不快にさせる。あまり筋肉質ではないが、赤いタンクトップから伸びる腕はしなやかで無駄がない。ミリタリーパンツの丈は膝あたりまでで、足には重そうな皮のブーツを履いていた。 「まさか、“セイクリッド・スピア”自ら出てくるとは思いませんでした」 「最重要任務だから当然だろう」 焦りを全面に押し出すシルヴァランスに冷ややかな表情で答えたのは、シアン色の髪をして群青色の濁った瞳をした男。黒いハイネックの長袖服の上にハーフベストを羽織り、黒に近い茶色のズボンを穿いて、腰に巻いたベルトには複数の銃が括り付けられていた。 「私達同志が掲げる目標、その最大の障害を倒すことが最重要任務。そのことはあなただってわかっているでしょう?」 「……はい」 アリアをチラッと一瞥して、まるでシルヴァランスに何かを言い諭すように話す小柄な女。スカーレットの髪はふわふわにカールしており、瞳は夕日のような鬱金色。小柄とはいえ福与かなボディラインは、セシリーには及ばずとも同じくらいの背丈であるミレーヌとは比べものにならない。後頭部に少々目立ちすぎな大きくて赤いリボン、白の振り袖に赤い袴。手には鈴のついた錫杖を携えている。 三人の現れた人間を見つめながら、シルヴァランスがグッと歯を噛みしめていた。 「……アリア、お前はシールと一緒に馬車を引いて向こうで待機してろ」 「え……?」 ふいにシェドがアリアに耳打ちするよう告げた。 「人間相手だと戦い辛いだろ? それに……」 シェドは目を細めながら、泣き崩れて膝を大地に付けて俯くヴィクトリアを見つめた。アリアもそれに習ってヴィクトリアを見つめる。 「…………。まあとにかく、相手が三人なら俺とシルヴァランス、セシリーで何とかする。お前は向こうで待機だ。いいな?」 「……わかった」 アリアはしばしシェドの顔を見上げた後、小さくコクンと首を縦に振った。荷台からヒューイを頭に乗せて降りてきたシールディアと共に、怯える馬を引いてヴィクトリアが佇む場所へと移動する間、現れた三人は攻撃してこず、周囲に沈黙が流れていた。 馬をペガサスの横にとどめ、アリアとシールディアはヴィクトリアの隣に立った。一瞬だけ顔を持ち上げたヴィクトリアがアリアをチラッと涙目で見つめたが、すぐにまた俯いてしまった。 自分のせいで他人に悲しい思いをさせる。それはとても辛く、アリアは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 そしてアリア達が見守る中、戦いが始まった。 シルヴァランスは剣を構え、長髪の男、アイザックと対峙した。向こうもこちらの意図に乗ってくれたのか、シェドとナイが、セシリーとガネットがそれぞれ離れた場所で向かい合っている。 「まあ、“セイクリッド・スピア”っつっても、結局は単体でずば抜けた戦闘力を持ってる一介の戦士ってわけだからな。仲良く協力連携プレーなんぞ出来ないのさ」 飄々と肩をすくめながらアイザックが笑う。シルヴァランスは硬い表情を崩さず、剣を握る手に力を込める。 相手の実力は十分承知だった。あまたの同志の一人だった自分とは違い、相手は五指に入るトップクラスの実力者。戦うまでもなく、結果は火を見るより明らかだった。 だが、だからといって引くことはできない。自分が信じた信念を貫くため、だから今自分はここに、こちら側にいる。 「シルヴィー、お前はあっちの美女とタッグ組んだり、魔弾のヤローと連携したりしねぇのか?」 「僕達も基本は単騎戦を得意とします。シェドさんもセシリーさんも、もとはニーヴルのエインフェリアですから」 「へー、あの美女はセシリーっていうのか。うんうん、いい名前だ。……でも、元ニーヴルかぁ。それはちょっと怖いよなぁ? お前、尻に敷かれてんだろ?」 「…………」 軽薄そうに口角をつり上げるアイザックだが、シルヴァランスは決して緊張を緩めない。それがアイザックの戦い方というわけではないが、気を抜いてしまえば一瞬のうちにやられる可能性はある。 「なんだ、久しぶりに会ったってのに話すことないのか? 友達甲斐のないやつだな」 「申し訳ありません。もともと口べたなんですよ、僕は」 「ふっ、そう言えばそうだったな。……じゃあ、さっさと始めるか?」 「ええ」 「今ならまだ、こっち側に帰って来られるぜ? 妹を泣かせて平気でいられるお兄ちゃんじゃないだろ? 世界を守るのが僕の責務だってシャカリキになってたシルヴィーはどこに行ったんだい?」 心を揺さぶろうとするアイザックの言葉。シルヴァランスは少しだけ目を細めた。 確かに世界を守りたくて、自分の力をそのために活かしたくて同志達の元へ赴いた。けれどそれはすべての人が等しく平和に暮らせる世界を目指すことであって、そこに例外があってはならないと悟った。いや、そう教えられた。 世界から見ればたった一人の少女。けれどその子にとって、その子の周りの人間にとって、その子はその子しかいない。 「お言葉は嬉しいですが、僕はもう同志達のもとに帰る気はありません。……アイザックさんから来ないのなら、僕から行きますっ!」 シルヴァランスは剣の柄に埋め込まれたジェムに意識を注ぐ。瞬間的に淡いグリーンの光と爆風がシルヴァランスの体を包み、シルヴァランスは目にも止まらぬ俊足で一気にアイザックに斬りかかった。 「はああっ!」 「ふっ!」 勢いよく振り下ろした剣に金属的な衝撃が走る。見ればアイザックは腕に撒いた金属のリストでシルヴァランスの剣を受け止めていた。 「おらよっ!」 さらにアイザックが、反対の手を後ろ腰に回し、そこにあった武器を掴んでシルヴァランスの頭上より振り下ろした。シルヴァランスは剣の腹で武器を受け止め、それを弾いて後方へ飛ぶ。 「ほう、細っちい剣のくせに、俺の斧を受けて折れねぇのか」 「……力の殺し方はいやと言うほどアイザックさんに教わりましたから」 「そういやそうだったな」 アイザックの手に握られた、無骨で巨大な斧。両側に刃のある、牛の頭くらいある斧をアイザックは軽々と担いでいた。うまく力を分散させなければ、細身の剣などあっけなく折れてしまうだろう。 「……いいぜ。じゃあ、本気でやり合うかっ!」 「負けませんっ!」 迫りくるアイザックの斧。シルヴァランスは一歩も引かず、剣を身構えた。 負けるわけにはいかない。例え実力が格段に上の相手であっても。 あの子を守ると誓った自分の言葉。それを決して、嘘にしないために。 すでに戦闘を始めているシルヴァランス、セシリーから少し離れた場所で、シェドはシルヴァランスがナイと呼んだシアン色の髪をした男と向かい合っていた。 相手は銃を幾つも抱える中距離、遠距離戦闘を得意とするタイプだろう。おそらくは何らかのジェムを扱え、魔弾ではないだろうが魔法との連係攻撃を得意とするように見えた。 シェドはナイの戦力を分析しながらジリジリと間合いを詰めた。その度にナイが少し後退し、二人の距離は縮まらない。 「……戦う気がないのか? それとも俺をアリアから遠ざけようとしてるのか?」 「ええ、両方とも正解です。私はあまり戦闘を好みません。私達が目的とし、倒すべき相手は世界を滅ぼす存在のみ。あなたが退くというのであれば、決して手は出しません」 「ふっ、退く気がないことをわかってて言ってるだろ」 シェドは白銀銃を握る手に力を込めてサングラス越しにナイを睨んだ。ナイは全く臆した様子はなく、怜悧な眼差しを変わらず向けてくる。 「どうしてです? あなたは世界を滅ぼしたいのですか? 悪の組織ニーヴルを抜けたということは、その組織の方針に嫌気がさしたからではないのですか? それならばあなたは良識を持った善人であるはずです。ならば世界のため、天使を討ち滅ぼすのが正しき道だとわかるはずです」 「俺が善人? はっ、対極に居そうな人間だと思うぜ」 正論を言っているかのように、ナイの表情には自信、決意とは少し違う気もするが、何か強い意志が籠もっているような感じがした。 「……たぶん、お前らの組織がやってることは世界から見れば正しいんだろうよ。あのくそ真面目なシルヴァランスが所属してたような組織だ。それこそ世界平和を恥ずかし気もなく掲げているような組織なんだろ?」 小馬鹿にするよう、シェドは唇を持ち上げる。 「だったら、そんな崇高な考えを持ってる方々に俺みたいなしがない男の考えなんざ関係ないだろ。俺はただ単に、お前達が倒そうとしてる少女を護る。それだけだ」 「……だから、何故天使などを護ろうとするのです?」 「ん……。別に理由はねぇよ。あいつと一緒に旅して、それで護ってやりたいと思った。それじゃあ理由にならねぇか?」 本当の理由が他にあることをシェド自身分かっていた。誤魔化している。だがそれでも、アリアを護りたい気持ちは本当だ。理由はともかく、アリアを護りたいと願う気持ちだけは確かにこの胸の奥にある。 「これくらい離れれば十分だろ? ……いくら俺でも、この距離から流れ弾狙いでお前の仲間に当てられるほど器用じゃねぇよ」 「気づいてましたか。……あなたの力は警戒するに越したことはありません」 「ずいぶんと買いかぶられたもんだな」 ナイがおもむろにベルトに巻き付いた拳銃を掴み、両手に一丁ずつ構えた。どうやらアリアと同じく二丁拳銃の使い手らしい。 確かに相手が格下の相手なら、相手の隙をついて仲間の援護弾を撃つことも可能だ。だがナイはシェドの実力を警戒してそれをさせまいと仲間から距離を取ったようだが、ナイの実力は決して低くない。シェドの目にも、相手が戦い慣れた手練れであることはよくわかった。 「最後にもう一度だけ聞きます。身を退いて、世界を守るために天使を倒す協力をして頂けませんか?」 「…………」 シェドは言葉で応じる代わりに魔力の籠もってない銃弾を放った。ナイが銃身で銃弾を弾き、切れ長の瞳をさらに細めて睨むようにシェドを見つめてくる。 「わかりました。……なら、容赦はしません」 「――っ!?」 いきなり戦闘開始を宣言したナイが、疾風のごときスピードで一気に間合いを詰めてくる。シェドは意表をつかれた行動に、思わずトリガーを引くタイミングを逸した。 その間にナイの体はシェドに張り付くほど密着した距離に接近し、近距離で両手に持った銃の引き金を引く。 「くっ!」 二つの銃口から飛び出す銃弾をかわしながら弾き、シェドも負けじと銃を構える。しかしあまりに近距離すぎて狙いを定めた瞬間には銃を握ったナイの腕がシェドの腕を打ち、銃口が逸れて銃弾が周囲へ散っていく。 「ぐっ! なるほど、そういう戦い方かっ!」 中距離以上の射程で用いるのが一般的な銃を近距離で扱う戦術。相手の銃口の向きを常に確認し、相手の体勢を崩しながら決してロックオンされないよう機敏に動き続けて近距離で銃を放つ。組織にいた頃にシェドも少なからずその戦闘術の講義は受けている。 相手の死角をついて攻撃する技術。確か、銃術と呼ばれている。 銃弾が次々とシェドの頬や腕をかすめる。だが一発たりとも直撃は受けていない。ただ、シェドの放つ銃弾も一発としてナイに当たってはいなかった。 互いの視線が交錯し、息づかいが聞こえるくらいの近距離を保ちながら凄まじいスピードで舞うように戦うシェドとナイ。木霊する銃声に決して悲鳴や悲痛な声は続かず、大地に零れるのは赤い血ではなく戦慄の汗。一瞬の気のゆるみが敗北につながる、音速の戦闘。 銃に埋め込んだジェムや腕輪に埋め込まれたジェムに意識を注ぐ暇すらない。 シェドは次第に焦りの色を浮かべていく。対してナイは涼しげに攻撃の手を緩めない。 「強いな……」 シェドは歯がみしながら呟いた。 「くっ! はっ!」 セシリーは魔法の嵐を避け続けていた。ガネットと呼ばれた、まるで子供みたいに小柄な女は手に持った錫杖をかざして次々と燃えさかる火炎を生み出し、それらが雨のようにセシリー目掛けて降り注いでくる。 「…………」 無感動な表情を浮かべたまま、ガネットはブツブツと詠唱を続けている。別にジェムへ意識と魔力を注げば魔法は発動できるが、ちゃんと呪法を踏んで呪文を詠唱すると威力が増したりする。ガネットはかなりフレアジェムの扱いに長けた上級魔導師のようだ。 「これじゃあ近づけないわねっ! はああっ!」 セシリーは腕輪のジェムに意識を注ぎ、両手から雷撃を放った。だがセシリーの放った雷撃はガネットの炎の壁に遮られ、一瞬にして霧散した。 意識をすべて攻撃に注いでいるかと思いきや、防御にも十分魔力を回している。かなりの使い手で、近接戦闘を得意とするセシリーにとっては非常にやりづらい相手だ。 「……ねえ」 「っ?」 不意に、ガネットがセシリーに語りかけてきた。だが魔法の嵐は止まず、セシリーは必死に炎を避けながらガネットの言葉に耳を傾けた。 「あなた……、シルヴァランスの何?」 「はあっ?」 正面から迫る炎を障壁で弾き、セシリーは眉根を寄せた。見た目よりずっと低くて落ち着いた口調でガネットは話を続ける。 「どういう……意味……よっ!」 「そのまま。……あなたは、シルヴァランスとどういう関係?」 落ち着いた口調とは裏腹に、紅蓮の猛攻はまったく衰えない。つまり、その程度の集中力で十分セシリーを翻弄できるということか。 セシリーはなめられていることに立腹しながらも冷静を装って答える。 「別に名称があるような関係じゃないわよ」 「……そう、よかった」 「え?」 無表情に攻撃を続けながら話していたガネットが一瞬、微笑んだように見えた。 「あなた美人だから心配したの。……だって、私はシルヴァランスを愛しているもの」 「――っ!?」 ガネットが踊るように白い振り袖を広げてその場で一回転した。遠心力で袂が優雅に舞い、ジャラジャラと錫杖に付いた鈴が鳴り響いた瞬間、ガネットの体を包んでいた朱色の光が燃え上がるよう空へ舞い上がり、紅蓮の鳳凰が具現化した。 「……シェドのフレアジェムを使った魔弾以上にすごい威圧感ねぇ。それをまともに食らったら、正直かなりやばいわ」 ガネットの頭上で羽ばたく炎の鳥。それと同時に、戦闘開始からずっと続く炎の嵐も止んでおらず、セシリーは避けるので精一杯だった。今の状態で、あの攻撃を避けられる自信はない。 天候は至って良好、オーバーライドは絶対に不可能。もっとも、オーバーライドは絶対に使うなとシルヴァランスに強く注意されていた。自分の身を滅ぼす技など、絶対に使ってはいけないと。 「……ガネットさん……だったかしら、随分シルヴァランスに入れ込んでいるようね?」 「ええ。……だって、あの人はとても純粋でとても優しい心を持った人だもの」 シルヴァランスのことを語るときだけ、ガネットの表情は若干和らいでいるように見えた。だがだからといって攻撃の手を緩めることはない。 「シルヴァランスのことをわかっているなら、どうしてあいつがあなた達の元を去り、敵対してまで天使を守ろうとしてるかわかるでしょう?」 「わかります。きっと、その子に同情したのでしょう」 「同情……、ね。なら、あなたは天使に同情したりしないのかしら?」 「しない。世界と一人の少女を秤に掛けて、少女を選ぶなんておかしい」 世界を守るためにアリアを切り捨てる。ラーミアの遺跡で出会った時にシルヴァランスが言っていた言葉そのままだ。 世界に住まう人々にとってセシリー達はきっと悪なのだろう。世界を滅ぼす存在とされる天使を匿い、その身を守ろうとしている。 「けどあの子は、アリアはとても純粋で、無垢で、心優しい子。あの子が犠牲にならなければ守れない世界なんて、絶対におかしいわっ!」 「――っ!」 一瞬、ガネットの表情に悲痛な感情が浮かんだ。だが同時に紅蓮に羽ばたく鳳凰がガネットの頭上より飛翔し、火の粉をまき散らしながら凄まじい爆風とともにセシリー目掛けて迫ってきた。 回避は不可能。セシリーは両腕、両足のジェムを最大まで輝かせた。 「くうぅっ!」 極光の障壁と鳳凰がぶつかり、衝撃波でセシリーの足下の大地がえぐれていく。障壁を突き破り、セシリーの身を飲み込もうと言わんばかりに、鳳凰が鋭い嘴で障壁に突っかかる。 「はああああっ!」 負けられない。アリアを守るため、負けるわけにはいかない。その思いを胸に、セシリーは大きく吼えて大地を蹴った。 障壁に限界以上の魔力を注いで爆散させ、それで弾かれた鳳凰目掛けて一気に迫る。実体のない炎の鳥にアンクレットに埋め込まれたジェムを輝かせて蹴撃をたたき込み、さらにその胴体に両手を突っ込み、火傷による痛みを堪えながら鳳凰の胴内で雷撃を迸らせる。 鳳凰は内から爆発し、周囲に無数の火の粉が散った。両腕に火傷を負ったセシリーは顔を歪めながらガネットを睨め付ける。 「どうして、そこまで世界を敵にまわそうとするの?」 「世界なんて関係ないでしょう? 私は、私達はあの子の家族だから、家族を守ろうとするのは当たり前のことよ!」 セシリーは鳳凰を蹴散らした勢いそのままにガネットに飛びかかり一気に仕掛けた。セシリーの拳とガネットの持つ錫杖がぶつかり、雷光と火花が飛び散る。 「……やっぱり駄目だわ」 ふと、セシリーの攻撃を受け止めながらガネットがつぶやいた。 「相手を知ってしまうと、私、本気が出せなくなってしまう。……特に、あなたのような優しい人相手には、手をあげられなくなってしまう。だから、いつも相手を知る前に倒すことを心がけていたのに……」 「……ガネットさん?」 「あなたがシルヴァランスと一緒にいたから、それが気になって……。駄目ね、もう、私にあなたを攻撃することはできない」 セシリーは身を翻して後方へ飛んだ。間合いをあけても、ガネットは先ほどのように炎による中距離攻撃を仕掛けてこなかった。 もしかしたらガネットはいい人なのではないだろうか。世界を守ろうとしている組織。ニーヴルなんかと比べたら、よほど真面目で心優しい人が集まっているのではないだろうか。だったら、話せばわかってくれるかもしれない。 「ガネットさん、私達は……」 「それ以上何も言わないで下さい。もう、どのみち私はあなたを攻撃できない。こんな感情のせいで世界を守れないなんて、私もつくづく駄目な女ね……」 「駄目なんかじゃない! 世界の敵だからって、簡単に一人の少女を切り捨てるほうがよほどおかしいわっ!」 シルヴァランスはわかってくれた。そんなシルヴァランスを慕うガネットならきっとわかってくれる。セシリーはそう信じた。だが、 「ごめんなさい、シルヴァランス……」 ガネットが瞳を閉じて小さく呟いた瞬間、セシリーの思いはちりぢりに砕け散った。 「――っ!?」 セシリーの頬をかすめて凄まじいスピードで走り抜けた物体。冷やっこい空気が流れ、そっと頬に手を添えてみると、水蒸気が凍って頬に張り付いていた。 セシリーは目を疑った。先ほどまで物悲しげな表情を浮かべていたガネットが、いつの間にか小悪魔的な笑みを浮かべている。そして何より、紅蓮のオーラを纏っていた体が今は寒々とした淡いブルーに包まれている。 「あははっ! もう、Aは相変わらず甘いねっ! でも大丈夫、あたしがちゃーんとこの女やあの天使を殺して、ナイ様に褒めて貰うからっ!」 「な、……え? ど、どういうこと……?」 「別にあんたは知る必要ないよーっ。あはっ、さっさと死んでっ!」 少女のように嬉々とした表情を浮かべたガネットが、錫杖を振り回して周囲に凍てつく氷の刃を生み出した。そしてそれらが一斉にセシリー目掛けて襲いかかる。 「なっ……」 「あはははっ!」 セシリーは愕然と、氷の刃の向こうに見えるガネットの姦しい笑みを見つめていた。 戦闘が始まっているというのにアリアは後方で待機していた。いつもは共に肩を並べて戦っているのに、今はみんな、アリアのずっと向こうで戦っている。 相手の狙いがアリアなのは手に取るようにわかる。それなのにアリアは安全な場所で待機していて、シェド達が必死にアリアを守ろうと戦っている。 「……私は……」 ドレススカートのひだをギュッと握り、アリアはただただ黙って戦いを見守っていた。今はそれしかできない。 アリアの隣では、ヴィクトリアというシルヴァランスの妹が泣き濡れて呆然と虚空を見つめていた。反対側ではシールディアが無言のままジッと戦況を見守っている。 考えてみれば、シルヴァランスとヴィクトリアが対立するきっかけを作ってしまったのもアリアだった。自分の存在が自分以外の家族を壊してしまう。それはとても辛く、悲しいことだった。 「どうして……あなたがいるのよ……」 不意に心の奥が底冷えするくらいに冷たい感情に包まれた小さな声が響いた。振り向くと、ヴィクトリアが頬を朱色に染めて目を腫らしながら睨むようにアリアを見つめていた。 「……え?」 「どうしてあなたなんかが居るの? あなたさえ初めから居なければ、お兄様は、ずっと、ずっとわたくしの側に……。それに、世界だって……」 「世……界……?」 何故天使であるアリアが狙われるのだろう。そう言えば、考えたことがなかった。 ニーヴルがアリアを狙う理由はわかっている。ニーヴルが欲しているのはアリア自身ではなく聖石だ。おそらく、世界征服か何かのために聖石の力を欲しているのだろう。 だがシルヴァランスの居た組織はどうなのだろう。世界を守るための組織。その組織がアリアを倒そうとする意味。それは、アリアが世界の敵であるということを意味しているのではないだろうか。 「私が……居る……から?」 ドクンと、心臓が大きく波打ったことがわかった。 「そうですわっ! あなたは天使! あなたが存在すること自体、世界にとってはこの上ない脅威なのですわ!」 「――っ!?」 世界にとってアリアの存在は脅威。その言葉は、深くアリアの心をえぐった。 アリアはただ、幼い頃に引き裂かれた両親と会いたいという思いだけで世界を放浪し、追っ手から逃れて生きてきた。 同時に組織を抜ける時心に刻んだ一つの思い。もう絶対に誰も殺さない。殺させない。それをギュッと、胸に抱いていた。 組織を抜けて、アリアはもう自分は悪ではないと自分自身思っている節があった。今はもうあの頃みたいな悪魔ではないと。 でもそれは違った。アリアは天使。組織を抜け出してところでその事実は変わらない。 アリアには天使化して暴走しているときの記憶はない。けれど、それがとても恐ろしい力であることは知っている。シェド達の話の節々から容易に想像できた。 もしかしたら天使化しているときに人を殺してしまっているかもしれない。もしかしたら天使化しているときに他人の家族を引き裂いてしまっているかもしれない。 「私が居るから……。天使は……世界の、脅威……」 その言葉をつぶやいた瞬間、アリアの頬に熱いものが伝っていった。動揺しながら頬にそっと手をやると、指先が熱い液体でしっとりと濡れる。 「涙……?」 アリアは泣いていた。ぼろぼろとこぼれ落ちる大粒の涙は、アリアの意志に関係なくあふれ出す。どうやって止めればいいのかアリアにはわからなかった。 「何であなたが泣くのよっ! 天使のくせに、何であなたがっ!」 「……ごめん……なさい……」 「なっ……。あ、謝ってすむ問題じゃないですわっ!」 「…………ごめんなさい……」 溢れる涙はとりとめなく、アリアは必死にドレスの裾で拭った。擦りすぎて皮膚が赤く染まり、いつの間にか口から嗚咽も零れていた。 過去。アリアはニーヴルのエインフェリアとして多くの人間を殺した悪魔だった。 今。アリアは世界の脅威、多くの人間の敵である天使。 考えてみればアリアは世界の敵以外の何者でもないのかもしれない。そんなアリアが世界に存在していい理由など、どこにもないのかもしれない。 「そんなことはない」 「え?」 突然、アリアの思考を遮って今まで押し黙っていたシールディアが口を挟んだ。シールディアはいつもと同じ凛としたあまり感情を表に出さない表情で、アリアを少しだけ咎めるような顔で見つめていた。 「すまない、そなたの思考を読ませてもらった。……アリアよ、そなたは自分のことをこの世に存在してはならぬものだと考えておるな?」 「…………」 「うむ。確かに、それは事実なのかもしれぬ。私にも未だ天使という存在の正確な意味はわからぬ。だが、わからぬことを除外して考えたとき、そこに残るものがある」 そう言いながらシールディアが戦場を見つめた。つられて、アリアの首もそちらへ向く。 「それはシェド、セシリー、そしてシルヴァランスがそなたを護ろうと戦っているということだ。それが根拠であり、目に見える形で示された真実だ」 「……え? どういう……こと?」 「簡単だ。そなたは悪ではない。そなたを護ろうと戦う者達が居る。そのことがそなたが悪でないことを裏付けている。シェドは悪か? セシリーは悪か? シルヴァランスは悪なのか? 私は違うと考える。ならば悪ではない彼らが護ろうとするそなたが悪であるなど、決してありえないのではないか?」 「……っ」 アリアは思わず言葉を失った。 シェド達が必死にアリアを護ろうとする理由。それはまだよくわからない。わからないからそれが寂しくて、辛くて、悲しい思いに駆られた。けれどこれだけは確かだ。 シェド達は絶対に、悪なんかじゃない。 ならばそんなシェド達が護ろうとしてくれるアリアは、この世界に存在してもいいのかもしれない。少しだけそう思える気がした。 「答えはおそらく一つではないのだろう。私もシールディアとしての考えと、本能での考えは異なっている。他者が明確に用意できない答え。ならばそれは当事者のそなた自身が模索すべきではないか?」 「答え……って?」 「そなたがどうしたいか、だ」 シールディアがそう口にした時、アリアの瞳に遙か向こうで窮地に追いやられているシェドの姿が映った。 旅の始めからずっと側でアリアを護ってくれているシェド。 アリアがしたいこと。出来ること。それを考えていると脳裏にアリカの言葉が浮かんだ。 “大切なのは、知ってから何をするか” まだアリアはシェドが何を思ってアリアを護ろうとしてるのか知らない。けれど分かったこと、知ったこともある。 それはアリア自身の気持ち。自分の気持ちを知った今、何をするか。 「私の気持ち……。私が、したい……こと」 アリアはごしごしとドレスの袖で目元を擦った。そしてスカートからバッと二丁拳銃を取り出し、片手に一丁ずつ身構える。 「私は……、私はシェドを護りたい!」 「そうか。ならば行くがよい」 「うん!」 シールディアの言葉に後押しされてアリアは大地を蹴った。 これがアリアの答え。アリカの言葉に対する、アリアが導き出した答え。 ただ護られるだけはもうイヤ。同じ過去を背負うシェドを支えてあげたい。そのために出来ることを精一杯したい。だから戦う。 強い想いを胸にアリアは戦場を駆け抜ける。シェドの隣を目指して。 ナイの攻撃には全く隙がなかった。弾薬が尽きた瞬間を狙おうと回避に専念していたシェドだったが、ナイは予備の弾倉を充填せず、空になった銃は投げ捨ててベルトに括り付けた新しい銃を留め具ごと引きちぎっていた。 無駄に多くの銃を装備していると思いきやそういうカラクリかと、シェドは内心舌打ちしながら反撃の策を練っていた。 「ちっ!」 銃弾がシェドの頬を裂き、赤い鮮血が舞って肌が少し焼き焦げる。ナイは怜悧な表情のまま攻撃の手を休めず、凄まじい運動量だというのに汗一滴かいていない。 せめてジェムに魔力を注ぐだけの時間が与えられれば魔弾を撃つことができる。そうすれば今の不利な状況を少しくらい改善できるだろう。魔剣を作れればもっと状況は良くなる。 だが実際はそんな隙を与えてなどくれない。至近距離での銃弾のかわし合い。銃身と銃身をぶつけ合い、腕と腕をぶつけ合う。一瞬の気の緩みが敗北につながる高速戦闘において、ナイはシェドのスピードを凌駕している。それはすなわち、ナイの方がこの戦闘スタイルに於いて優位なことを示していた。 「流石は世界を護るなんて豪語してるだけはあるな!」 端から見ても劣勢なのは火を見るよりも明らかだが、それでもシェドは焦りなどおくびにも出さず微笑を浮かべて言葉を吐く。ナイは一切シェドの言葉に反応を示さない。 「はっ! ……ったく、やりにくい相手だな、お前は……。くっ……、こっちの特技を、使わせてくれねぇなんざ、ひでぇ奴だぜっ」 「…………」 「はん! 余裕ってか? まあ、どう見ても、俺の方が、旗色、悪い、からな……」 連続する銃声とマズルフラッシュの中、シェドはすべての銃弾をかわしながら舞う。だいぶ目が慣れてきた。もともとシェドはエンジンのかかりが遅いタイプだ。 「だがな、言っておくが、負けるつもりは、これっぽちも、ねぇよ!」 徐々に徐々にシェドの反射スピードが上がっていく。心拍数と呼吸回数に比例して、身のこなしもマシになってきた。 シェドはいけると踏んで一気に仕掛けた。白銀銃のトリガを引いて一発銃弾を撃ち、それをかわすナイの動きを予想して拳をたたき込む。 「――っ!」 シェドの拳はナイの懐を穿ち、ナイの表情が一瞬揺らぐ。シェドはすかさず回し蹴りをたたき込み、ナイの放つ銃弾を半身ですべてかわしながら再度ナイの懐に正拳突きを打ち込んだ。 「ぐうっ!」 ナイの細身の体が少しだけ宙に浮き、そのまま三メートルほど後方へ吹き飛ぶ。シェドは正拳を食らわせた直後から銃に埋め込んだフレアジェムに魔力を注いでおり、ナイの足が大地についた瞬間にトリガを引いた。 「食らいやがれっ!」 「…………はあああっ!」 「なっ……!?」 シェドの銃口から紅蓮の魔弾が放たれた直後、ナイが突如口を大きく開いて吼え、ベルトのバックルに埋め込まれていたジェムが眩く輝いた。 光はナイの体を淡いグリーンで包み、そして迫るシェドの魔弾に対して障壁となって立ちはだかる。激しい炎と極光がぶつかり、周囲に凄まじい衝撃が広がった。 「その輝きは、ウインドジェムか!」 「……ええ」 炎は霧散し、シェドは歯を食いしばりながらナイを睨め付けた。 絶好のチャンスをしくじってしまった。だが勝機が失せたわけではない。ナイのスピードについていけることはわかったし、ジェムの障壁ならば魔剣で突き破れる。 「正直驚きました。魔弾を封じれば容易に勝てると踏んでいましたが、こんなにも早く私のスピードに順応するなんて……。やはりあなたは恐ろしい人です」 「はん、やっぱり勝てる気でいやがったか」 「どうしてそれだけの力を持っていながら、世界を護るために使おうとしないのです。どうして、世界の敵になろうとするのです」 グリーンのオーラに包まれたナイが諭すような口調でシェドに語りかけてくる。ナイが言っていることは紛れもない事実で、正論だった。 「世界を護る護るって、そればっかじゃねぇか。シルヴァランスの奴にも前に言ったが、何でその世界って奴にアリアが含まれてないんだ? アイツだって、犠牲者の一人だって言うのによ」 「少女一人の命と世界を天秤に掛けるつもりですか?」 「だから、何で別々の天秤皿にアリアと世界ってのが乗ってるんだ? 俺にはどっちも同じ皿に乗ってるとしか思えねぇけどな」 「……何を言っても無駄のようですね」 「お前こそな。よほどアリアを世界から除外したいらしい」 ナイが再び戦闘の構えを取った。シェドも、白銀銃を握る手に力を込める。 「わかりました。ならば、本気でやらせてもらいます」 「なっ、今まで本気じゃなかったのかよ……」 ナイの一言にシェドは驚きを隠せなかった。何とかなると思った勝機が、一瞬にして遠のいた気がした。どう見てもナイはハッタリをかましているようには見えない。 「……私はシルヴァランスと同じウインドジェムを扱うことができます。そしてシルヴァランスにジェムの扱いを教授したのは、この私です」 轟々とナイを中心に周囲に風が広がる。髪がバサバサと靡き、草や小石が空に舞い上がっていく。 バックルのウインドジェムが一層眩く輝き、ナイを包むオーラが強くなったとシェドが感じた瞬間―― 「アクセラレータッ!」 「――っ!? しまっ……」 ナイの姿がシェドの視界から消えた。いや、正確には消えたのではない。シェドの肉眼では捕らえきれないほど高速でナイが移動したのだ。 シルヴァランスと同じ、ウインドジェムの力を用いてスピードを数倍に高める特技。唯でさえ素早いナイがアクセラレータを発動させた時のスピードなど、常人はもちろん、シェドですら目視することはできない。 死がすぐそこまで迫っていることをシェドはこれまでにないほど直感した。戦闘で相手の姿を見失うのは死に等しい。ナイの武器は銃。次の瞬間にも、シェドの心臓はナイの銃弾によって撃ち抜かれるかもしれない。 シェドが乾いた瞳孔で虚空を見つめていた時、背後にまるで初めからその場に居たように人の気配が浮かんだ。 「終わりです」 ナイの冷たい声が、シェドの鼓膜を揺らす。振り返る隙などない。 これで終わりなのだろうか。アリアを護ると言っておきながらシェドは何も出来ず負けるのか。デオラガーンでミゲルと戦ったときと同じように、また負けるのか。 こんなにも弱い自分にはアリアを護るなど最初から不可能だったのだろうか。何が魔弾のシェドだ。一人の少女も護れない力など何の意味もない。 その時、絶望に打ち拉がれたシェドの心にポッと、アリアの顔が浮かんだ。そして脳裏をよぎるアリアの言葉。 “私は、まだシェドと一緒に居たい” 「――っ!」 瞬間、反射的にシェドは必死にもがいた。死ぬわけにはいかない。 ナイの銃弾が背後よりシェドの体を突き抜けた。風穴のあいた体から朱色の血が飛散したが、刹那のタイミングで身を逸らしていたため内臓の位置は外した。 「ぐっ! 俺は、負けねぇっ!」 歯茎から血が噴き出すほど強く歯を噛みしめつつ、シェドは倒れそうな体を踏みとどめる。倒れるわけにはいかない。負けるわけには、死ぬわけにはいかない。その言葉を何度も何度も心の中で繰り返す。 「無駄なあがきです。今度こそ」 ナイの身がウインドジェムの強い光に包まれていく。シェドは必死に踏ん張りながら銃を身構えた。 「アクセ……――ぐっ! な、何っ!」 「!?」 アクセラレータが発動する直前、シェドの側面から乾いた銃声が響いた。直後にナイを襲った二発の銃弾が、ナイの左腕をかすめてバックルのウインドジェムを砕いた。 虚をつかれた形で一瞬思考が飛んだシェドとナイ。だが一瞬早く我を取り戻したナイがバッと銃弾の飛来した先を見つめ、シェドもつられるよう顔を向けた。 シェドの瞳に映ったもの。それは、 「アリ……ア……」 凛とした面持ちで佇む、シェドが護ろうとする少女の姿だった。 アリアが走り去った時、シールディアはヴィクトリアと共にその背中を見つめていた。 あの小さな背中に、背負いきれないほどの業を背負った少女。 出来ることなら助けてやりたい。だが、人間同士の争いにドラゴンが介入するわけにはいかない。例え今はアリアの仲間、シールディアであっても。 「一体、あの子は何なんですの?」 ふと、ヴィクトリアが尋ねるように口を開いた。この場にはヴィクトリアの他シールディアとヒューイ、馬とペガサスしかいない。その中で今の問いかけに答えられるのはシールディアだけであるため、ヴィクトリアはシールディアに尋ねたのだろう。 「そなたは知らぬのか? ニーヴルと呼ばれる組織が世界中から聖石に適合する少女を探し回っていたことを」 「……何ですそれは。わたくしはあの子が天使と呼ばれる世界を滅ぼす存在としか……」 「アリアは生まれつき天使であったわけではない。たまたま聖石に適合し、そしてニーヴルによって強制的に天使とさせられた犠牲者と言える。幼少時に親元から引き離され、感情を欠落させてしまうほどに辛い日々を過ごしてきたのだ」 「…………なん、ですって? そんなの、聞いてませんわ」 「ただ親に会いたいという、その一心で組織を抜け出したというのに、胸に埋め込まれた聖石が為にニーヴルのみならずそなたらの派閥やドラゴンに命を狙われている。……ささやかな幸せを望んでいるだけだというのに」 そう言いながらシールディアは表情を曇らせて視線を下げた。シールディアはドラゴン。それはすなわち、アリアの命を狙う側に居るはずの存在だということを意味する。 「だが、それでも世界から見ればアリアは敵、倒すべき悪なのだろう。そなたの派閥も、少女一人の犠牲で世界が救われるならばと戦っている」 「あの子が犠牲になれば……、世界は救われる。……だから、お兄様は……」 ヴィクトリアが俯き加減に足下を見つめていた。重たい空気の中、馬の頭に乗っていたヒューイがポンと飛び跳ね、シールディアの頭に移ってきた。そして重い空気を払拭するかのように、「キューッ!」と元気よく鳴いた。 ヒューイを掴んで抱き寄せながら、シールディアは沈痛な面持ちのヴィクトリアに掛ける言葉を模索した。思いついたのは、いつになく険しい表情をしたシルヴァランス。 「そなたの兄はとても優しい心を持った人物だな。私も、幾度となく世話になっている」 「……え?」 「私にはよく人間の感情が理解できぬ。だが、少しずつ見えてくるようになった。私が見る限り、シルヴァランスはそなたのことをとても大切に思っている」 「そんなこと……ありませんわ。だってお兄様は……、わたくしなんかよりそのアリアという子を選んで……。だから……」 一層悲しげに表情を曇らせるヴィクトリア。確かに一見すれば、あの時のシルヴァランスはヴィクトリアを敵として扱っていたように見える。だが、シールディアはわかった。シェドやセシリーが囁いていた、不器用という言葉の意味。 「それは違う。前言通り、私達の旅にはニーヴルの追っ手やそなたの派閥の刺客、そして天使と敵対する存在であるドラゴンと対峙する危険をはらんでいる。シルヴァランスは、そんな危険な旅にそなたを巻き込みたくなかったのだ」 「……っ」 「敢えて乱暴に、突き放すようにそなたに接したのも、すべてはそなたのことを想ってのこと。シルヴァランスらしい、不器用な優しさだと私は思う」 ヴィクトリアは何も言わなかった。シールディアはヴィクトリアの横顔を一瞥して、前を向き直す。 絡まった糸のような現在の状況。打破する手段はまだ見えない。だからこそ、シールディアはシェド達の旅に便乗した。 アリアの胸に埋め込まれた聖石を取り外すことができれば状況は変わる。アリアが世界の敵でなくなる日が、来るかもしれない。 だからまだ歩みを止めるわけにはいかない。 シールディアは戦場を見つめ、ヒューイを抱きかかえたまま静かに佇んでいた。 「あはははっ!」 「くっ!」 先ほどとは正負が入れ替わったような絶対零度の氷の刃が次々とセシリーの身を襲う。必死に避けながら、避けきれないものはジェムを使って極光障壁を生み出して弾く。 「しぶといねっ! さっさと死んでよっ!」 「……一体どうなってるの? ガネットさん、一体どう……」 ごめんなさいと呟いた後、ガネットはまるで別人のように嬉々とした笑みを浮かべていた。そもそも普通、ジェムが扱える人間といえど扱えるのは一属性に限られる。それなのに、ガネットが使っているのは先ほどのフレアジェムとは違い、どう見てもアイスジェムだった。 実体がある分、炎より氷の方が対処しやすい。だが動揺が激しく、セシリーはガネットを攻撃できないでいた。どうしても、先ほど悲しげな表情を浮かべていたガネットが今のガネットと異なって見える。 「むぅーっ! もう、すばしっこいなぁ! 早くナイ様の所に行きたいのに邪魔よー」 「ガネットさん! どうして、どうしてですかっ! あなたは……」 「うるさいなぁ。いい? あたしもガネットだけど、さっきまであんたが戦ってたガネットじゃないの!」 面倒くさそうに答えたガネットが、ジェムを青白く輝かせて氷刃を飛ばしてくる。セシリーは障壁で氷を融解させて間合いを維持する。 「……もしかして二重人格?」 「そうね、近いかも。でも、ただ人格が入れ替わるだけじゃないんだよー。だってホラ」 再びガネットが凍てつく冷気をセシリー目掛けて吹き付けてくる。錫杖の鈴がシャラシャラと鳴り、同時にセシリーの周囲一体が一瞬にして凍り付いていく。 「くっ!」 障壁でガードしきれなかった衣類の一部が凍結し、シャリシャリと崩れ落ちる。セシリーは表情を歪めながらガネットの小悪魔的な笑みを見つめた。 「人格が入れ替わると使えるジェムも変わるの。だから二重人格っていうより、一つの体に二人の人間が居るって言ったほうがいいかもねっ。それに互いの記憶も共有している部分とそうでない部分もあるし、好きな人だって違うもん」 「……なるほど。それで、今のガネットさんはずいぶんと好戦的ってわけね」 「だってさ、あの天使は世界の敵なんだよ? さっさと死んでもらわなきゃ、あたしとナイ様の愛の未来を邪魔されちゃうもん」 「……それでも、さっきまでのあなたはそれを心の奥で戸惑っていたわ」 「うふ。Aは甘いからねっ。あんな生真面目でつまんないシルヴァランスなんかに惚れてるし、すぐに情に流されちゃう駄目駄目な子。あの天使が死ねば世界は救われるんだから、とーっても簡単なことじゃない」 ガネットの瞳に迷いや躊躇はまったくなかった。さも当然、当たり前のことを当たり前に言っているような感じだった。 セシリーはそんなガネットを見つめながらも、どうしても攻撃に転じることができなかった。先ほどまでの攻撃に比べたら稚拙で何の策もない攻撃。反撃の手はいくらでもあるのに、どうしても仕掛けられない。 「あははっ! でも、今回はAも随分役に立ってくれたかな? だって、あんたはAのことが気になってあたしを攻撃できないんでしょ?」 「くっ……!」 セシリーが攻撃できないと知った上で容赦なく絶対零度の攻撃を繰り返すガネット。すでに二人の周囲は一帯が凍り付いており、大地は雪が積もったように真っ白に輝いていた。 「はあああっ!」 このままでは埒があかない。セシリーは意を決して大地を蹴った。急所を避けてでも、取りあえず攻撃を仕掛けないことにはいずれ体力が尽きてこちらがやられる。 一気に間合いを詰めてガネットの懐に潜り込み、腕輪のジェムを輝かせて拳を強く握る。そしてそれをガネットの懐にたたき込もうとした瞬間、 「お馬鹿さんっ。そんな見え見えの攻撃、あたしには効かないもん!」 「……っ!?」 ガネットの悪魔のような笑みに悪寒を感じたセシリーだったが、気がついたときにはすでに遅かった。ガネットの身を包むブルーのオーラにセシリーの拳がふれた瞬間に、指先からセシリーの腕が凍り付いていく。 「あんたが本気だったらそうそう簡単に凍らないんだろうけどねー。うふっ、下手な優しさや情は自らを滅ぼすのよ」 「くうっ……」 腕から蝕んでいく氷は、ついに右肩付近まで伸びてセシリーは凍てつく氷の冷気に表情を歪める。その手前で勝利を確信したガネットの笑みが百合のように咲き誇っていた。 「じゃあねーっ」 ガネットが錫杖を鳴らすと、ガネットの体を包むオーラがガネットの頭上に集結し、一匹の巨大な氷の鳥が具現化した。翼を羽ばたかせる度に冷気が周囲を駆け抜け、セシリーの頬に霜が降りる。 凍り付いた腕のせいで体は自由に動かない。必死に障壁を張ろうとしても、要である右腕の腕輪が使えないとなるとその威力は半分も出せない。 必死にもがくセシリーの手前で氷の鳥が大きく羽ばたいて空高く舞い上がり、凄まじいスピードでセシリー目掛けて神風のごとく突進してくる。 「ああああっ!」 次の瞬間、セシリーの胸元から血が吹いた。 アイザックの目にも止まらぬ連続攻撃。シルヴァランスの持つ細身の剣より数倍重いであろう斧を、まるで木の棒のように軽々と振るい、その攻撃で大地が割れて空気が裂ける。 「おらよっ! どうしたっ、その程度かよっ!」 「ぐっ! ま、まだです!」 一見そこまで筋肉質には見えないアイザックの体。だがそれは計算し尽くされた無駄のない筋肉の付き方をしていることをシルヴァランスは知っている。あの斧を自在に扱うのに必要な最低限の筋肉だけを維持することで、素早さを殺さずに攻撃できる。 だからこそアイザックは、ジェムが使えないにも関わらずセイクリッド・スピアの一員として同志達の中でもトップクラスの戦闘力を誇っている。あの重たい斧を持っていてですら、シルヴァランスよりも素早い動きが可能なのだ。 「回避がワンパターンだぜっ!」 「ああっ!?」 斧を剣で受け止めてシルヴァランスの動きが止まった瞬間、アイザックの蹴りがシルヴァランスの懐をえぐった。すぐガードを武器に頼るのは悪いくせだと、先日セシリーに注意されたばかりだった。 衝撃で吐き気を覚えたが、シルヴァランスは必死にそれを堪えて続く斧による攻撃を受け流す。待ったなどない。一瞬の油断が敗北につながる。 「はあっ……、はあっ……」 「随分息があがってきたな。やれやれ、相変わらず攻撃が甘い」 余裕のアイザックと違い、シルヴァランスには余裕など一切ない。取り柄のスピードですらアイザックの方が上なのだ。 アクセラレータを使えば素早さの点においてアイザックを凌駕できる。だが、ナイと違ってシルヴァランスのアクセラレータはまだまだ未熟で、体のスピードに思考がついていけない。よって効果はナイの足下にも及ばず、そんな中途半端な技がアイザックに通用しないことなど十分承知していた。 腕力、スピード、テクニック。すべてにおいてアイザックの方が一歩も二歩も前を行っている。 だが負けていないものがある。それはあの子を、アリアを護りたいと願う信念。決して折れない心の強さなら、絶対に負けない。 「はあ……。はあ……。…………はああっ!」 もう勝負は見えただろうと言わんばかりに、余裕の態度を崩さないアイザック目掛けてシルヴァランスは再度攻撃を仕掛ける。 「何度やっても同じだ」 「それでも、やめるわけにはいきません!」 シルヴァランスはアイザックの頭上より剣を振り下ろす。アイザックがそれを後方に交わすと、シルヴァランスの剣は大地を裂いて爆風を巻き起こした。 「進歩がないなっ! ――っ!?」 大地をえぐった剣。だが、シルヴァランスはすでに次のモーションに入っていた。左手で握っていた剣の鞘。逆手に握った鞘を、目にも止まらぬ早さで空気を裂きながら振り上げる。 「ちっ!」 とっさに斧を突き出して鞘を受け止めたアイザックに、シルヴァランスは剣を投げ捨てて右手の手の平をかざした。人差し指にはめたリングのウインドジェムが輝き、荒れ狂う暴風が巻き起こる。 「はああああっ!」 「うおおおおっ!」 凄まじい高気圧に圧縮された空気の固まりが弾丸のようにシルヴァランスの手から放たれ、アイザックの体を一気に吹き飛ばした。アイザックの体は大地に何度もたたき付けられて地面を滑りながら後方へ何メートルも吹き飛んでいく。 「はあ……、はあ……。どうです!」 「ぐっ……、やるな。三段攻撃……か。油断したぜ……」 むっくりと起きあがったアイザックが、口元から溢れる血を手の甲で拭いながら手放した斧を拾い上げる。ダメージは与えられたが致命傷にはほど遠い。シルヴァランスは歯がみしながら、大地に突き刺さった剣を引き抜いて身構えた。 「……シルヴィーよぅ、お前はどうしてそっち側についたんだ? 大事にしてた妹を泣かせてまで世界の敵に回ろうなんざ考えた?」 ふとアイザックが斧を構えながら真面目な顔つきで尋ねた。先ほどまでの軽薄な笑みを消して、世界の護り手としての顔つきを浮かべる。 「確かに世界から見れば天使は敵なのでしょう。でも、僕にとってはどちらも等価なものなんです。世界を救うことも、あの子を護ることも」 「……矛盾してるぜ?」 「わかってます。でも、それが今の僕の信念です。あの子の笑顔と未来を護り、そして同時に世界も救う。それが、僕がアイザックさん達と敵対し、ヴィクトリアを放ってでもあの子と共に居る理由なんです」 「欲張りだな。世界に対して何の責任も負えない、高々一人の人間にすぎないくせに」 「…………」 「あの天使によって世界が崩壊したとき、お前はその責任を負えるのか? 同情からきた感情に流されて大局を見失い、結果として取り返しのつかないことになっても」 アイザックの顔つきは至極真面目だった。普段はシェドみたく飄々としているが、世界を守ろうとする志はシルヴァランスと相違ない。そして、その言葉は一つ一つがとても重たい。 「いいえ、もしそうなったら後悔するでしょう。でもそれと同じくらい、いえそれ以上に、あの子を見捨ててまで世界を取った場合に僕は後悔しきれないほど悔やむでしょう」 「どっちも捨てられず、か。そんな甘い考えが通用すると、本気で思っているのか?」 「思っていません。ですから、通用するか、ではなく、貫き通すのです」 それが信念。いつか、アリアが本当の笑顔を取り戻し、天使という楔から解放されるその時まで、シルヴァランスが戦い続ける理由。 「そこまで覚悟があるなら……、いいだろう、俺も容赦しねぇ」 「負けません。絶対に!」 シルヴァランスはアイザックに向かって一気に間合いを詰める。同時にアイザックも大地を蹴ってシルヴァランス目掛けて迫ってくる。 竜の嘶きのごとき激しい金属音が響き、両者は再び激突した。 シェド手作りの白いドレスを身に纏い、桃色の髪に薔薇の髪飾り、そして鈴付きのリボンを身につけるアリアが、両手に一丁ずつハンドガンを構えてシェドとナイの合間に割って入った。シェドはナイの銃弾によって穿たれた場所を押さえながら、驚きの表情でアリアを見つめる。 「……大丈夫?」 ふと、アリアが心配そうに眉根を寄せてシェドを振り返る。その透き通るような蒼い双眸に映る自分の情けない姿を見つめながら、シェドは自己嫌悪で奥歯を噛みしめた。 「あ、ああ……。それより、何でお前……」 「シェドが心配だった。……私、シェドを、守り……たいから」 「え……?」 アリアの頬にそっと朱が差す。続く言葉が思いつかず、シェドが呆然と口を開けたまま佇んでいると、目の前でアリアがナイに向き直して銃のトリガに人差し指を添えた。 護りたい。それがシェドの思いだった。 組織を抜けた直後、一人で世界を生きていかせるにはあまりに儚く、脆そうに見えた少女。たぶん、その時抱いたのはちょっとしたお節介心。まだ大人が側で色々教えてやらなければいけない、そして少女の側に居る大人は自分だけ。 だからシェドはアリアと共に旅を始めた。丁度自分のやることを探す上で世界中を回ろうと思っていたところで、ならばアリアと一緒に行くのも悪くないだろうと、そんな軽い気持ちでアリアの旅に便乗した。 でもアリアの純粋で直向きな、生きること、他人を守ること、親に会いたいと願う思いにいつしか感化され、心の何処かで、ずっと側で護ってやりたいと思った。 シェドが護ってやらなければ簡単に消えてしまいそうな小さな少女。ニーヴルのエインフェリアだったとか、天使だとか関係ない。シェドにとってアリアは、そんな護るべき対象だった。 そんなアリアは今、シェドの後方ではなく前方で毅然と自分の両足で立っている。 護られているのはどっちか。護られるべきはどっちなのか。 シェドは自問しながら、口の中に溜まった血を吐き出して袖で口元を拭った。 「あなたが天使ですね? 元ニーヴルのエインフェリアであり、コードネームは“無垢なる獅子”」 「そう」 「……多くは言いません。大人しく倒れて下さい」 そう言いながらナイがいきなり仕掛けた。一気にアリアを自分の間合いに引き込み、密着した状態で両手に握った銃のトリガを引く。 「イヤ」 対するアリアは一歩も引かず、自らナイの間合いに飛び込んでいった。ナイの放つ銃弾をかわしながらハンドガンの引き金を引き、ナイがその銃弾をかわしながら次々と銃弾を撃ち放つ。 先ほどまでのシェドとナイの戦闘も、端から見ていたらこう見えたのだろう。シェドは冷静にそう分析しながらも、無様に見守るしかできない今の自分を情けなく思った。 別れ際にアリカが言った言葉がシェドの脳裏に飛来する。 “あの子のために戦う。それをあなたの生きがいにできないの?” 生きがい。それを探すことがシェドが旅を続ける理由。だがそんなの、ただの言い訳にすぎないのかもしれない。ただ曖昧に誤魔化しているだけかもしれない。 「俺は……。俺の、すべきことは……」 “生きがいと称して罪滅ぼしを考えているのなら、あの子の側で支えてあげるべき” アリカはそう言ってシェドを送り出した。 支える。それは剣となり盾となりその人の前に立つという意味ではない。その人の一番隣で、共に歩んでいくことをアリカは言っていた。 「……ハッ……。ざまあ、ねぇな。……何勝手に勘違いしてたんだ、俺は……」 目の前でアリアは、額にパールのような汗をにじませながら必死にナイの攻撃をすべて受け流している。スピード勝負ならシェドよりもアリアの方に分がある。だが体力的な面で考えれば、決してナイの優位は揺るがない。 「自惚れてたな、まったく……」 シェドは止めどなく血が溢れる傷口など無視し、グッと上体を伸ばした。そして袖の下で右腕に巻き付いた腕輪に意識を注ぎ、持てる魔力をすべて注ぎ込む。 淡い光から徐々に強い光に変わっていく七色の光。そしてそれらは白銀の銃を包み、シェドの右腕から伸びて実体のない光の剣となった。 無属性の魔剣に銃に埋め込んだフレアジェムの属性を付加した、燃えるような赤い光の剣。シェドは左手で右手首を掴んで大地を蹴った。 「うおおおおおおっ!」 「――っ!?」 アリアとの戦闘に集中していたナイ目掛けて魔剣を振り下ろす。とっさに左手の銃で魔剣を受け止めようとしたナイに、シェドは咆えながら魔剣で斬りつけた。 「ぐはっ!」 剣の魔力でナイの銃身は紙のようにバッサリと引き裂かれ、同時にナイの肩口から鮮血が宙に舞う。さらにアリアが両手のハンドガンを連射し、ナイは苦痛に顔を歪めながら右手に握った銃でアリアの銃弾を弾いて間合いをあけた。 「シェド……」 「悪いな、アリア。どうも随分腑抜けてたようだ。……お前が来てくれて助かったよ」 「ううん。私も、いつもいつもシェドに助けられてきた。だから……いい」 はにかむように控えめな笑顔を見せるアリアに、シェドは心の底から暖められたような気持ちで微笑み、そっとアリアの髪をぐしゃぐしゃに撫でながら目を細めた。 あの時、あんなにも儚くて脆そうに見えた少女。いつの間に、こんなに芯の強い子になったのだろう。道理で自分が老け込むわけだ。 「それがあなたの能力ですか……。恐ろしい威力ですね」 「おう、出し惜しみはやめだ。奥の手隠したままやられたんじゃ馬鹿みてぇだからな」 「正直厄介です。それは……」 「フッ。だったら、さっさと後退してくれ」 「そうは行きません。世界を守るため、私はどうしてもその天使を倒さなければなりませんから」 「……っ! てめぇ……」 アリアの目の前でアリアを世界の敵だと言ってのけたナイに、シェドはキッと目を細めて睨みをきかせる。 アリアが知れば絶対にショックを受ける。だからシェド達は口裏を合わせてそのことをアリアに隠していた。だが、それはいともあっさりナイの口からアリアに伝わった。 遅かれ早かれバレるとは思っていた。だがそれでも、そのことを伝えるのは自分の口からだと思っていたシェドは、ナイへの敵意を剥き出して魔剣を構える。 その時だった。ふとアリアがシェドの隣から一歩前に歩み出て、 「大丈夫。……私に、任せて」 何処か悲しげに、何処か寂しげに、でも、何処か慈愛に満ちた微笑みを浮かべて言った。 「え……? お、おい……」 普段見慣れた少女とは違う、少し大人びたアリアにシェドが困惑する中、アリアが一歩、また一歩とナイに歩み寄っていく。 シェドは黙ったままそんなアリアの背中を見つめた。 不思議な感覚だった。今まで覚えたことのない、感情が汗や息のように体からあふれ出すような感覚。 アリアはシェドの隣から一歩前に歩み、そっとシェドの顔を見つめた。驚いた顔つきでアリアを見つめるシェドにそっと笑顔を残し、アリアはナイへ身を向ける。 「胸が、熱い……」 それは心が温かいという意味ではない。本当に胸が熱い。アリアはそっと自分の胸に埋め込まれた聖石をドレスの上からなぞった。指先を火傷するかと思うくらい、熱いものがそこにある。 今まで一度も感じたことがない、聖石からあふれ出す魔力。きっとこの力が天使の力と呼ばれるもの。熱く、どす黒い負の感情が聖石から漏れだしているのがわかる。 でも、とアリアは思った。今なら、その力を制御できる。そんな確信めいた予感があった。自分でも理由はわからない。 ただ言えるのは、シェドが側にいてくれる、そのことがアリアに力を貸してくれるような気がするという、根拠のない漠然としたものだった。 「あなたが倒れてくれれば世界は救われるのですよ? ……諦めてくれませんか?」 「それは私も考えた。私は居ちゃ駄目なのかって。でも、私はここに居たい。シェドと一緒に居たい。お母さんとお父さんを見つけて一緒に暮らしたい。だから、諦めない」 「……そうですか。なら、私があなたを倒すまでです」 ナイが銃を構える。アリアはもう一度だけ後方を振り返り、シェドの顔を見つめた。 これから自分がすること。きっと、後でシェドに怒られる。そしてもし、自分が自分でなくなってしまったとしても、きっとシェドは助けてくれる。 アリアは瞳を閉じた。ハンドガンを大地に零し、両手で聖石の部分を包むように自分の体を抱きしめる。 『アアアアアッ!』 アリアは咆えた。ドレスの下で聖石に記号のような文字が浮かび上がり、聖石が眩いブルーに輝いて凄まじい衝撃が世界を駆け抜ける。 大地が轟音をもらしながら揺れ、大気が振動する。圧倒的な力がアリアの中でふくれあがり、アリアの体を金色のオーラが包んでいく。 そして背中から伸びる純白の翼。フワリとアリアの体が宙に持ち上がり、実体のない半透明の翼は羽根をまき散らしながら何度も大きく羽ばたいた。 これが天使。天使と呼ばれる、世界の敵なのだと実感しながら、アリアは瞳を開いた。 アリアの瞳は漆黒に染まっており、視界はすべてがセピア色に染まって映る。 『ウウゥ……』 聖石から溢れる圧倒的な力と、どす黒い負の感情がアリアの体を蝕んでいく。それを必死に堪えながら、アリアは自我をつなぎ止めて歯を食いしばる。 「ア、アリア……?」 シェドの声がアリアの鼓膜を揺らす。それだけで、自我の維持が楽になった気がした。 「こ、これが……天使の力? くっ、させません!」 ナイが大地を蹴ってアリア目掛けて迫ってくる。先ほどまではあんなにも早く見えたナイの動きが、まるで止まっているようにアリアの目には見えた。 「はあああっ!」 『ウアアアッ!』 シェドに破壊された右の銃を新たなものに変え、両手の銃から次々と銃弾を連射するナイにアリアは真っ向から迫った。銃弾はすべて金色のオーラで弾き、驚愕の表情を浮かべるナイの懐に猛々しく拳をたたき付けた。 「ぐはああっ!」 ナイの体が宙を舞って後方へ凄まじいスピードで吹き飛んでいく。アリアは光速に肉薄するスピードで吹き飛んでいくナイの先回りをし、今度は逆サイドからナイの体に回し蹴りをたたき込んだ。 「うごおっ!」 まるで振り子のようにナイの体はアリアの拳を食らった場所まで戻っていき、大地にたたき付けられて周囲に血をまき散らした。 たった二撃。それだけで相手を立てなくなるほどに傷つける圧倒的な力。その恐ろしさを深く実感しながら、アリアは自分が世界の敵だと言われるのも当然だと思った。 体から吹き出す負の感情。相手を殺せという強い衝動を抑えながら、アリアはキュッと唇を噛みしめた。 「や、やめろアリア!」 シェドがナイをかばうようにアリアの前に立ちはだかる。アリアが人を殺すことを何より恐れていることを知っているシェド。きっと、アリアのことを思ってそうしてくれているのだろう。思っていた通り、シェドはアリアを助けてくれる。そう信じていたから、こうして自ら天使化したのだ。 アリアは野獣のような殺気剥き出しの表情を抑え、今できる精一杯の笑みを浮かべた。 『ダイ……ジョウブ……。ワタシ……、ワカッテル……』 「な、お前……、意識があるのか……?」 シェドの問いにアリアは首肯で応じた。うまく言葉はでない。けれど、ちゃんとシェドに伝えなくちゃいけないと、アリアは必死に笑顔を浮かべようと努めた。 「ぐ……は……。くっ、まさか……、これほど……とは……」 『…………』 大地を這うナイを見下ろしながら、アリアはナイに歩み寄る。ナイが力なくアリアを見上げ、諦めたように瞳を閉じた。 「はあ……、はあ……。ぐ……、私の……負け、です。……好きにして、ください……」 『……モウ、コナイデ……』 アリアはそう言ってナイに背を向けた。 「なっ……。み、見逃すと、言うのですか? ど、どうして……」 『ワタシ……、ダレモ、コロシタクナイ。……ダレモ、シンデホシクナイ……カラ……』 「……っ」 ナイに背を向けたままそう言い残し、アリアはシェドのもとへ歩み出した。だが一歩足を前に出す度に、体を銃弾で射抜かれたような痛みが走る。 『ハア……、ハ……。グゥッ……』 胸が、聖石から溢れる負の感情が抑えられない。苦しい。辛い。何故か瞳からは涙があふれ出す。強く噛みすぎた唇からは、血が顎を伝って大地にこぼれ落ちていた。 アリアは両手で胸元を押さえながらその場に膝をついた。背中から伸びていた翼が空気中にとけ込み、金色のオーラが輝きを失っていく。 『ウゥ……』 汗が噴き出し意識が朦朧とする。セピア色だった視界に色がぽつぽつと浮かび出し、瞳が徐々に空のような青みを取り戻していく。 焼けるように胸が痛い。割れるように頭が痛い。吐き気を催すほど意識が朦朧とする。 「アリアッ! おい、しっかりしろっ!」 途切れゆく意識の中で最後に見たもの。それは色を取り戻した、シェドの心配そうな表情だった。 「あああっ……」 セシリーの視界に映った、自分の胸元から吹き出す鮮血の朱。左手と両足のジェムを使って障壁を張ったが、それはガネットの放った氷の鳥によってあっさり突き破られた。 氷の鳥が貪るようにセシリーの胸に鋭い嘴を立て、吹き出した血が一瞬にして凍り付く。それが太陽の光を反射して、シャリシャリと音を立てながら大地へ落ちていった。 「あはははっ! おっしまーいっ!」 ガネットの嬉々とした笑顔が遠く見える。その向こうの空に、悲しげにセシリーを見つめるアリアを見た気がした。 こんな簡単に自分の思いは砕けてしまうのかと、セシリーは力なく虚空を見つめる。もはや目の前の氷の鳥など見えていない。 決意が足りなかった。アリアを絶対に護るんだという決意が。油断が、甘さがセシリーの攻撃を鈍らせ、そしてガネットにつけ込まれる隙を作った。 「ごめん……なさい……アリア……」 セシリーはそう呟きながらそっと後方を見つめた。だが馬車のあるシールディアの隣、そこにアリアの姿はなかった。 「――っ!?」 体が自然と反応した。折れそうだった膝に力が戻り、消えそうだったアンクレットのジェムが輝きを取り戻す。 アリアの姿がない。自分のことなどそっちのけでセシリーはアリアの姿を目で探した。 「あーっ! あのガキ、あたしのナイ様の邪魔してる!」 「え……?」 ガネットの怒声に首が勝手に動く。セシリーが見つめる先、アリアがシェドの手前で無ナイに毅然と立ちはだかっていた。 「こんな女、さっさとトドメさしてナイ様の援護に向かわないと……」 そう言ってガネットが、氷の鳥を辛うじて受け止めているセシリーに悪魔的な笑みを浮かべ、強く錫杖を握り直していた。 どうしてアリアがシェドの前に立っているのか。どうしてシェドはアリアの後ろで微動だにしないのか。それはわからない。けれど困惑するセシリーの向こうで、アリアは迫ってきたナイに真っ向からぶつかっていった。 「そっか……」 セシリーは小さく呟いた。考えてみれば答えはとても簡単だった。アリアの意志、アリアの気持ちを誰よりも一番理解してると自負する自分。なのにずっとそのことを失念していた。あの子はもう、護られるばかりのかごの鳥じゃないのに。 そう言えばシルヴァランスが言っていた。セシリーは妹たちを見守る長女なのだと。護るのではない。見守るのだ。たぶんシルヴァランスはそんなこと意図せずに言ったのだろうが、今考えるとセシリーにとってこれほどピッタリな励ましの言葉はなかった。 「だからっ!」 セシリーは両足に力を込めた。自分の胸に食らいつく氷の鳥に、左手をかざして腕輪のジェムに限界まで魔力を注ぐ。 「はああああっ!」 「えっ!?」 左手から放たれた雷撃が氷の鳥を包み、凍り付いた右手の氷を融解させる。そして完全に右手が復活した時、セシリーは両手を揃えて氷の鳥の頭部にかざした。 「まだ、負けられないのよっ!」 セシリーの両手から迸った閃光と轟音に飲まれ、氷の鳥が液体を通り越して一気に気化する。周囲に白い蒸気と爆風が走り、髪留めが外れてセシリーの髪がバッと舞った。 「はあ……、はあ……」 「しぶとい女だなぁ、もうっ! さっさと死んでよっ!」 ガネットが錫杖を振る。氷の刃が次々と具現化し、凄まじスピードでセシリーに迫ってきた。 「くっ! あうっ!」 セシリーは必死に避けるが、胸元の傷が疼いて思うように体が動かない。氷の刃がセシリーの脇腹と肩口を引き裂き、セシリーの服を赤く染めていく。 氷の鳥をかき消したのはよかったが、もう余力はほとんど無い。このままガネットの中距離攻撃を逃げ回っていては、いずれやられる。 「あははっ! なによ、虫の息じゃん! だったらさあ、無駄なあがきしないでとっとと死になさいよっ!」 シャンと錫杖についた鈴が鳴り響いた時、ガネットの周囲に無数の氷刃が生まれた。あれだけの数、今の状態でかわすのは不可能だろう。 セシリーは歯がみしながらガネットを見つめる。不可能だろうとなんだろうと、諦めるわけにはいかない。アリアが戦っている以上、母であり姉であるセシリーが倒れるわけにはいかない。 その時、世界を眩い閃光が駆け抜けた。同時に割れるような大地の振動に、耳鳴りを起こす大気の振動。圧倒的な力の解放に伴う衝撃に、セシリーは身に覚えがあった。 「まさかっ!」 「な、何よあれ! 嘘でしょ! あんなの反則じゃん!」 目の前にいるセシリーなど眼中にない様子でガネットが光を見つめた。術者の魔力供給が途絶えた氷刃は空気中に霧散し、水滴が大地にこぼれ落ちる。 「アリア……」 セシリーは呆然と天使化したアリアを見つめる。セシリーが見つめる中で、大きく咆えたアリアが相手の男を殴り飛ばし、さらに目にも止まらぬスピードで殴り飛ばした相手を追い越して回し蹴りをたたき込んだ。 圧倒的な天使の力にセシリーは恐怖する。それは天使の力が恐ろしいのではない。アリアが、あの子が天使の力を使ってしまっていることが悲しく、そしてそれが世界の敵と周囲に認知させることが怖かった。 「ナイ様ぁぁぁっ!」 ガネットが泣き叫ぶように絶叫してセシリーの前を走り去った。もはやセシリーなど見えていない。セシリーも思わず駆け出そうと足に力を入れたが、思ったように体が動かず無様にその場へ倒れ込んでしまった。 「あうっ……」 口元から血が零れる。思った以上に胸元の傷は深い。それ以外にも様々な外傷を負ったため、すでに致死量に近い血を流している。次第にセシリーの意識は朦朧としていった。 まだ、まだ倒れるわけにはいかないのに体が動かない。アリアを止めなきゃいけないのに、どうしても足に力が入らない。 どうしてあなたが側にいながら、とシェドを心の中で非難しながら、セシリーは必死に意識をつなぎ止めようとする。だがどうにもならず、瞼はみるみる重たくなってくる。 「アリ……ア……」 最後にそう呟き、セシリーは大地に仰向けで倒れたまま意識を失った。 本気のアイザックにシルヴァランスは一歩も引かない。無骨な斧と細身の剣。少しでも力の殺し方をしくじればあっという間に折れてしまいそうな剣を巧みに操り、シルヴァランスは叫び声を上げながらアイザックに斬りかかる。 「ぐっ! くそっ!」 アイザックの顔に焦りが見える。だがシルヴァランスはアイザックの顔色など窺っている余裕はなかった。自分より格段に上の相手。そう認識している相手に油断などできない。 「はあああっ!」 シルヴァランスの剣がアイザックの脇腹をかすめ、タンクトップを引き裂いて少量の血が飛散する。動じないアイザックのカウンターをかわし、さらにシルヴァランスは半身のまま指輪のジェムによる真空刃を飛ばしてアイザックの体勢を崩し、剣で横薙ぎに斬りかかる。 アクセラレータを使っていないのにどうしてか体が軽かった。いつも以上によく体が動く。もしかしたらアイザックが本調子ではないのかもしれない。それならば好機だ。 一気に畳みかけようとシルヴァランスが剣のジェムに意識を注ごうとした瞬間、世界を衝撃が駆け抜けた。 「──っ!」 衝撃と同時にシルヴァランスを襲った圧倒的な力の覚醒。その力に覚えのあるシルヴァランスは反射的にその源を探る。そして見たものは、デオラガーンで見たのと同じ光景。背中から純白の翼を生やしたアリアの姿だった。 「そんな……。アリアさん……。──っ! がはぁっ!」 「戦いの最中によそ見なんざ、いい根性してるじゃねぇかっ!」 ほんの数秒、シルヴァランスの意識からアイザックが抜け落ちていた。その隙をアイザックが見逃さず、呆然とアリアを見つめていたシルヴァランス目がけて猛々しく斧を振り下ろしてきた。 刹那のタイミングで直撃をかわしたものの、アイザックの斧はシルヴァランスの肩口から胸元にかけてバッサリとシルヴァランスの肉をえぐった。大量の血が噴き出し、シルヴァランスは顔をしかめて距離を取る。一瞬遅ければ、すでにシルヴァランスの命は途切れていただろう。 「ぐ……あ……。か、はあ……、はあ……」 「一気に形勢逆転だな、おい……。まさかここまで俺を追い込むとは思わなかったが、そんなポカやらかすとも思っちゃいなかったぜ」 「……くっ!」 シルヴァランスは自分の行動を呪いながらも、それでもアリアのことが頭から離れなかった。今度アイザックから目を離せば間違いなく殺られる。それなのにも関わらず、どうしても戦いに集中できない。 傷口からあふれ出す血がシルヴァランスの白いローブを真っ赤に染めていく。吸いきれない血が、ローブから溢れてドクドクと大地へこぼれ落ちていった。 「そんなにあの天使が大事なのか? ハッ、それなのにそいつのせいでやられちゃ馬鹿だよなぁ?」 すでに余裕のアイザックに、シルヴァランスは必死に体を支えながら警戒を怠らない。アリアのことも気になる。だが、だからこそ今は目の前の敵に集中し、一刻も早くアイザックを打破してアリアの元へ駆けつけなければならない。 シルヴァランスは傷口を押さえていた左手を離し、両手で剣を握りしめた。 「……なんだ、まだやる気か?」 「はあ、はあ……。と、当然です。僕は、絶対に……、負けるわけにはいきません!」 「…………。チッ、馬鹿が……」 アイザックが吐き捨てるようにつぶやいて斧を構えた。その手前で、シルヴァランスは呼吸を整えてスッと瞳を閉じた。 これが多分最後の攻撃。これで仕留められなければ、シルヴァランスの敗北となる。 全神経を研ぎ澄まし、シルヴァランスは剣と指輪のウインドジェムに魔力を注ぎ込む。シルヴァランスを覆っていた暴風が収まり、さざ波のように静かな微風が薄い膜となってシルヴァランスを包んでいった。 「アクセラレータッ!」 シルヴァランスは大地を蹴った。同時にジェムが眩い閃光を放ち、シルヴァランスの体が音速の壁を超える。 それは時間で言えば刹那の間。だが全神経を研ぎ澄ましたシルヴァランスには、音も色もない世界ではあったが、とても長く、すべてが凍り付いたような世界に見えた。 「はあああああっ!」 シルヴァランスは剣を振った。 感覚が戻る。時間の流れが元通りになり、次第に五感の全てが回復していく。 鼓膜を揺らす世界の音。眼球に映る世界の光と色。胸元からこみ上げる血のにおい。それらすべての感覚が押し寄せるシルヴァランスの耳に、 「ぐ、がはっ……」 苦痛に震えるアイザックの声が響いた。 アイザックの手から斧が抜け落ち、大地にザクッと突き刺さる。シルヴァランスの剣はアイザックの懐に大きな傷を作り、アイザックが傷口からあふれ出す血を手で押さえてうずくまる。 「……はあ……、はあ……。お、俺の……負け、みてぇだな……。チッ……、ま、まさか、これほど速くなろうとは、な……」 半分閉じた瞳でシルヴァランスを見つめるアイザック。シルヴァランスは、剣を鞘に収め、傷を左手で覆いながらアイザックに背を向けた。 「と、トドメ、刺さねぇのかよ」 「……僕があの子を護るために誰かを殺したら、それこそ本当にあの子が災いの元になってしまいます」 「…………。違い、ないな……」 自嘲気味に笑う声がシルヴァランスの背後から聞こえた。シルヴァランスは空を見上げ、そして小声でアイザックにささやく。 「アイザックさん、一つお願いがあります」 「……なんだ」 「ヴィクトリアのこと……、よろしくお願いします」 これからもこうした命がけの戦いが続くことは目に見えている。そんな戦いにヴィクトリアを巻き込むわけにはいかない。この思いは、きっとアイザックもわかってくれる。 「……フッ……。心配……する……な…………」 最後に小さくつぶやいたアイザックが大地に倒れ込んだ。あれだけの出血量だから意識を失ったのだろう。だが死ぬことはない。アイザックの並はずれた生命力は、シルヴァランスもよく知っている。 シルヴァランスが重たい体を引きずって歩を刻み始めた時、ふと前方からシルヴァランスに歩み寄る足音が聞こえた。片目を閉じたままシルヴァランスが顔を持ち上げると、そこには瞳を閉じたアリアを背負うシェドの姿があった。 「シェドさん! ア、アリアさんはっ!」 「……大丈夫だ。天使化したから、眠っているだけだ」 「そ、そうですか……。よかった、無事で……」 「アリアの心配より、まず自分はどうなんだ? 酷い傷じゃねぇか」 シルヴァランスは痛みを堪えて作り笑顔を浮かべる。見ればシェドの体も銃弾で貫通されており、ドクドクと血がにじみ出ていた。 「まあ、大丈夫、です……。それよりセシリーさんは……」 アリアの無事が確認できてホッと一息ついた後、シルヴァランスは視線を切り替える。だが安堵の表情はすぐ驚嘆に染まり、シルヴァランスは自分の傷のことなど忘れて駆けだしていた。 「お、おいシルヴァランス……」 セシリーが大地に倒れている。脇ではヴィクトリアがヒールジェムを輝かせているが、セシリーの体はぴくりとも動かない。 動悸が激しかった。戦いは終わったし、アリアの無事も確認できた。なのにあの時、アリアが天使化した時に感じた以上の胸騒ぎがシルヴァランスの身を襲っていた。 シールディアは馬車を引いてセシリーのもとに駆け寄った。すでにシェドがアリアを荷台に乗せ、アリアは荒々しい呼吸を繰り返しながら荷台で横になっている。おそらく胸の聖石が高熱を発し、それによる身体への悪影響に苦しんでいるのだろう。 そして目の前ではセシリーが瞳を閉じたまま大地に横たわっている。傍らでシルヴァランスが瞳に涙を浮かべて膝をついており、その隣でヴィクトリアがヒールジェムでセシリーの胸元の傷を癒している。 先ほどからぴくりとも反応しないセシリー。自分の傷はいいからとヴィクトリアに強く言ってきかせ、シルヴァランスはセシリーの傷を優先させていたが、シールディアにはそれが不可解でならなかった。 いや、不可解なのはもう一つあった。理由や意図がまったくわからず、取りあえずシールディアは黙ってことの推移を見守ることにした。どうやらシェドもそのつもりらしく、自分の傷をヒールジェムで癒しながら口をつぐんでいる。 「セシリーさん! しっかりして下さいっ!」 「ちょ、お兄様っ! ご自分の傷に響きますから大声を出さないで下さい!」 「でも、セシリーさんがっ!」 シルヴァランスはかなり取り乱していた。セシリーを相手にオロオロしている所はしょっちゅう見かけるが、今回は度を増して錯乱している。 やはり割って入った方がいいだろうかと逡巡しながらシェドをチラッと窺うと、シェドが放っておけと言わんばかりに首を左右に振って見せたため、もうしばらく静観することにした。 「約束したじゃないですかっ! これからも、これからもずっと一緒にアリアさんを護っていこうって! だから目を開けて下さいっ! セシリーさんっ!」 まるで死人に語りかけるようなシルヴァランス。やはり気づいていないようだが、どうしたらいいものかとシールディアは困惑する。 ふとシールディアは読心術を使った。ブルゾンの家で読んだ本に書かれていたヒトの読心術とは異なり、シールディアのそれは本当に相手の頭の中の声を読み取ることであるが、相手の思考を読むという点では同じだろう。 そこでシールディアは、今にも吹き出しそうな、笑いを堪えたような声を聞いた。 「……シルヴァランスよ」 シールディアはついに耐えきれず、そっと口を挟んだ。シルヴァランスとヴィクトリアが揃ってシールディアに顔を向ける。 「その……、何だ、何故か言いにくさを覚えるのだが、やはり言っておいた方がいいと思うので聞いてもらいたい」 「……なん、ですか?」 瞳の縁に溜まった涙を手の甲で拭いながらシルヴァランスがシールディアを見つめる。シールディアは一呼吸おいてから、 「セシリーは先ほどからずっと意識がある。その上傷はすでにほぼ完治しており、心拍数血圧ともに正常だ。そなたの方がよほど早急な手当を要する状態だと思うのだが……」 「え……?」 シールディアの言葉にシルヴァランスの目が点になる。そして、 「もう、シールったら。……あーあ、もう少しで良いところだったのに。残念ねぇ……」 元気に、そして華やかに、今の今まで死人を演じていたセシリーが「よっ」と上半身を持ち上げた。シルヴァランスは口をあんぐりと開いたまま固まっており、ヴィクトリアは半目で憎らしげにセシリーを睨んでいる。 「結局そなたは何がしたかったのだ? わざと死んだふりをする意図がわからず黙っていたが、シルヴァランスはかなり動揺していたぞ?」 「あら、やっぱりシールには気づかれていたのね。……ヴィクトリアちゃんは半信半疑ってところだったかしら?」 優雅に微笑んでみせるセシリーに、ヴィクトリアが頬を膨らませてプイッと視線を逸らした。シールディアはそんなヴィクトリアからうまく表現出来ない感情を感じ取った。嫌っているわけではないが、何処か不満があるような、よくわからない感情。 「セシリーさん……」 シールディアとセシリーが揃ってヴィクトリアへ視線を向けているとき、背後から小さくも怒気の籠もったシルヴァランスの震えた声が響いた。 「何かしら?」 しれっと振り返るセシリーに、シルヴァランスが大きく口を開き、 「馬鹿なことは止めて下さいっ! どれほど心配したと思ってるんですかっ!」 涙に頬を濡らしながら叫んだ。それを見たセシリーが少しだけ肩を振るわせ、困惑した表情を浮かべる。 「本当に……、本当に心配したんですから……」 「シルヴァランス……」 「もう……、知りません!」 そう言ってシルヴァランスは傷の手当ても受けずに馬車の荷台に駆け込んでしまった。ヴィクトリアがとっさに後を追おうとしたが、セシリーがそっと腕を取って制止する。 「な、何でお止めになるのですかっ! お兄様は非道い怪我を……」 「……そうね。でも、ヴィクトリアちゃんは私達の側に居てはいけないの」 先ほどシルヴァランスに怒鳴られたのが尾を引いているのか、少し気弱な顔つきでセシリーがヴィクトリアに言う。ヴィクトリアはキッと眉をつり上げ、そんな曖昧な笑みを浮かべるセシリーを睨め付けた。 「わたくしはお兄様の妹です! わたくしがお兄様の側に居るのは当たり前のことなんです! それをあなたにとやかく言われる筋合いはございませんわっ!」 「それでも駄目。これは私の言葉じゃなくて、シルヴァランスの言葉だから」 「えっ……。な、なんであなたなんかがお兄様の言葉を代弁出来るのですか!」 「お願い。大人しく、シルヴァランスが元居たグループの所に戻って」 セシリーがそっとヴィクトリアの肩に手を置き、優しい口調で言った。ヴィクトリアは納得いかない顔つきでしばらくセシリーを睨んでいたが、セシリーは決して笑みを崩さなかった。 二人のやりとりをシールディアは黙って見守っていた。自分に口を挟む余地などなかったのもあるが、同時に二人のやりとりには何処か言葉では言い表せない感情の糸が何本も絡んでいるように見え、興味深いというか、簡素に言えば気になった。 「……わかりましたわ。今日の所は引き上げます」 しばらく沈黙が続いた後、ヴィクトリアが唇を噛みしめながら呟き、クルッと踵を返してセシリーに背を向けた。 「ヴィクトリアちゃん」 「…………」 「忘れないで。シルヴァランスはあなたのことを本当に大切に思ってる。だからこそ、あなたと一緒に居ることを拒んだのよ。……それだけは、わかってあげて」 「……あなたみたいな、無駄にお節介な方に言われずともちゃんとわかってますわ!」 そう言い残して去っていくヴィクトリア。シルヴァランスのかつての仲間達の元へゆっくりと歩を刻んでいくヴィクトリアの背中をしばし悲しげな面持ちで見つめていたセシリーだったが、軽く首を振って視線をシールディアに向けると、 「行きましょうか」 いつもの笑みを浮かべてセシリーは言った。 シールディアは無言で頷き、セシリーと共に馬車の荷台に上る。いつの間にか乗車席に座っていたシェドが、二人の乗車を確認して手綱を引いた。 背を向けるシルヴァランスに、その背を見つめるセシリー。不規則な呼吸を繰り返して苦しげなアリアに、それを心配そうに見つめるヒューイ。 シールディアはそんな三人と一匹、そして奥に見えるシェドの後頭部を見つめながら、全員の無事に胸をなで下ろした。 また旅が始まる。今回のような厳しい戦いも、きっとまだ何度も繰り返すだろう。 だがそれでもシールディア達は止まらない。大切な仲間、大切な家族である少女を護るために。共に今を生きるために。 自分がドラゴンとしての使命を果たすことなく、アリアが一人の少女として普通の生活を送れるその日が来るまで。 |
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