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第四章 過去、そして今

「確認した」
 ぼそりと、一人の男が呟いた。長身痩躯で二十歳くらいの男は、双眼鏡を手放すと濁った水のような群青色の瞳を細め、シアンの髪をなびかせながら後ろを振り返る。
「やはりヴィクトリアはシルヴァランスの居場所を把握していたか」
 男の声に反応したのは、鮮やかなスカーレットの髪をふわふわにカールさせた少女。身長は男より頭二つ分くらい小さく、落ち着いたアルトに似合わず顔つきは幼い。夕焼けのような鬱金色の瞳と、後頭部の大きな赤いリボンが人目を引く。そして何より、白の振り袖に赤い袴という民族衣装が特徴的だった。
「それにしてもよぉ……。美少女の監視なんてイイ仕事だよな? あーくせになりそう」
 二人の男女から少し離れた場所、木にもたれて大地に腰を下ろす長髪の男が言うと、男女は冷たい視線を男に送った。
「冗談だって! っていうか、お前達は相変わらず冷めてるなぁ」
 長髪の男は鳶色の瞳を細めながら男女を見つめ返す。
「ナイはまだ二十二だろ? 今からそんな枯れててどうすんの。シルヴィーだったら、顔真っ赤にしながらしてる仕事だぜ? それにガネットも、もっと賑やかに行こうやさ」
「私には無理だ。……何なら、入れ代わろうか?」
 長髪の男に、ガネットと呼ばれた少女が無感情な視線を送る。そして男の答えを聞く前に、ガネットの表情に変化が起こった。まるで喜怒哀楽を思い出して行くかのように、みるみるガネットの表情に感情が浮かんでくる。
「やっほーっ! おっ久しぶりね、アイザックちゃんっ! それにナイ様ぁぁっ!」
「……うぜぇ、引っ込め。まだAの方がマシだ」
 突如性格が変わったガネットに、アイザックと呼ばれた長髪の男はあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。ナイはピクリと眉を動かしただけで、さほど動揺した様子は見せない。
「何よぅ、しどいわ! あたし泣いちゃう、泣いちゃうもん! えーん、えーーん、アイザックちゃんにいじめられたぁ〜」
「だーっ! おいナイ、お前からも何とか言ってくれ」
「……ガネットのCも、任務において役に立つことが多い。潜入捜査では、アダルトよりチャイルドの方が相手を油断させやすい」
「だからっ! 俺たちの任務は天使を倒すことだろうがっ! こんな時にCは必要ねぇっつーの!」
 アイザックが癇癪気味にナイを睨む。ナイはやれやれとかぶりを振って、
「ガネット、こちらにおいで」
 優しい口調でガネットに語りかけた。ガネットは顔をほころばせ、勢いよくナイの腕の中へ飛び込んでいった。
「ナイ様ぁ〜」
「ガネット、すまないがAと入れ代わってくれるかい? アイザックさんがご機嫌斜めみたいなんだ」
「ええーっ! でもぉ、久々にナイ様と会えたのにぃ……」
「大丈夫。この仕事が終わったら、また一緒に遊んであげるから」
「ホント? ホントですかっ? あはっ、約束ですよぉっ!」
 ナイの言葉に一喜一憂したガネットは、スッと瞳を閉じて大きく深呼吸した。するとみるみるガネットの表情から感情の色が抜け落ちていき、次に鬱金色の瞳が姿を見せた時には無表情を貼り付けた少女に戻っていた。
「ガネット、勝手にCと入れ代わるな!」
 アイザックが文句を垂れると、ガネットは怜悧な瞳でアイザックを見据え、その後無言のままそっぽを向いた。
「はあ……。こいつらと居ると疲れる」
 アイザックの独り言が、静かに森の中に響き渡った。

* * *

 案内されるがままテムルの町を進み、サードフロアにある魔練器技師の工房へとミレーヌはたどり着いた。人里離れた場所にある自宅兼工房でよく目にする工具がゴロゴロと転がっており、中には二人の魔練器技師と思われる中年の男の姿があった。
「こ、こんにちはー」
 恐る恐る足を踏み入れると、男達がグイッとミレーヌへ首を向けた。正直少し怖い。厳つい顔をした父親を持っているとはいえ、だからといって免疫があるわけではない。肉親と他人は違う。
 隣のシールディアが早く話しかけろと言わんばかりの視線をぶつけてくるので、ミレーヌは恐怖をかみ殺して口を開く。
「あのぉ、こちらでミカさんの魔練器車椅子を作っていらっしゃると聞いて、その、未熟ではありますが魔練器に関する知識を一応持ち合わせいますので、えっと、よ、よろしければ何かお手伝いさせてくださらないでしょうか……?」
 何処までも丁寧に通したつもりだけど、何故かシールディアが怪訝そうにこちらを見つめてくる。いつもの元気はどうしたと言いたそうだ。
「おおっ! 君、その年で腕に覚えがあるのかね!」
 いきなり、強面の男が柔らかい笑顔を浮かべてミレーヌに親しげに話しかけてきた。不意を突かれた感じで、ミレーヌは反応が遅れる。
「うむ。この者は魔練器技師として同世代の技術者達より頭一つ分抜きん出ている。そなた達の仕事を手伝う上で、役立つことはあっても足手まといになることはないだろう」
「おお、それは頼もしい」
 あたふたしているミレーヌを後目にサラッと言ってのけるシールディア。何でそんなに持ち上げるのかと、少々恨めしい気持ちでシールディアを見つめると、相変わらず感情がよく読み取れない涼しげな表情を浮かべていた。
「え、えっと……、その……。聞いた話によりますと、何か技術面で行き詰まっていらっしゃるとか……」
「はあ、そうなんです。私も彼も、一応魔練器技師として生計を立てていましたが、実際は時計や魔練器灯など、構造が簡単な物しか扱ったことがなくて……」
 ミレーヌは工房の真ん中にある作りかけの魔練器車椅子を見つめた。作りかけと言っても、見た目はすでに車椅子の形をしている。問題は背面のボックス内であり、複雑な配線やモーター、ジェムから魔力を吸い出す装置の部分である。
 男達に押されてミレーヌはボックスの部分を見せて貰った。流石は大きなモーターを積んでいるだけあって、配線はかなり複雑。
「ちょっとスイッチを入れてみてもいいですか?」
「構いませんよ」
 ミレーヌは鞄からケースを取り出し、魔眼のコンタクトレンズを右目に装着した。スイッチを入れると、肉眼では捉えられない魔力の流れがレンズを通して確認できる。
「問題は何なんですか?」
「どうも出力が予定値まで上がらないみたいなんです。配線は間違ってないと思うのですが、如何せん力不足でして原因の程が……」
「そうですか……」
 二人の男があれこれと拙い言葉で必死に問題点を説明してくれるのを耳に入れながら、ミレーヌは次々とボックスの中の配線を点検した。ジェムで走る車なら、以前に父親が作っている所を見学していたため、モーターの構造などは一応把握しているつもりだった。
「どうやらサブモーターの魔力圧が低いみたいですね。ここのブリッジでコードが枝分かれしてますけど、多分、魔力の配分が間違ってると思います。それとギアの噛み合わせ部分で発生する熱を発散させる送風モーターに魔力が流れてません。このままでは動いてもすぐにオーバーヒートしてしまいます」
 初見でわかる範囲の問題点を述べると、男達が唖然とした面持ちでミレーヌを見つめていた。そしてシールディアもが、少し驚いているようにミレーヌの目には映った。
「あの……、どう、しました?」
「す、すごいね君……。そんなこと、全然気付かなかったよ」
「本当に。私達が揃って何も出来ずに手をこまねいていたのに、ぱっと見ただけで問題点を見いだせるなんて……」
「そんな、あの、ま、前にお父さんが似たような問題を解決しているところを見たことがあったから……。たまたまです」
 父親と大差ない年の男達に感心されて、ミレーヌは少し気恥ずかしい気持ちになる。まだまだ未熟だと思っていた自分のスキルでも、こうして誰かの役に立てるのならば捨てたモンじゃないかなと、少しは自信を持てそうだ。
「工具を貸して頂けますか? 出来る範囲でやってみます」
「ああ。お願いするよ」
「シールディアちゃん。時間掛かりそうだし、シールディアちゃんはミカちゃんやパット君のところに行ってていいよ」
 工具を受け取りながら話しかけると、シールディアは目をパチパチさせながらこちらを見つめていた。
「ミカちゃんに伝えて。絶対あたしが完成させてあげるって」
「……わかった。私からもお願いする」
「うんっ!」
 シールディアのお願い。絶対に完成させなきゃという気持ちが沸々とミレーヌの心に沸き上がった。


 アリカがキッチンで夕飯の準備をしており、セシリーとアリアがその手伝いをしているようだ。そんな三人を視界に入れながら、シェドはギャムルの師事を受けてせっせと針を動かしていた。誰もかまってくれなくて退屈なのか、テーブルの上からヒューイが首を傾げながらこちらを見つめている。
「おう、昨日に比べたら随分マシになったじゃねぇか」
「これでも物覚えには自信があるつもりだ」
「言ったな? よし、じゃあ次は……」
 ギャムルの腕前を見ていると、つくづく今まで自分が培ってきた技術が如何に稚拙だったかということを思い知る。だが同時に、今まで出来なかった技術の体得により、作ったことのない服が作れるようになるのは単純に楽しかった。
 テムルはシェドにとって居心地が良かった。それはアリカの存在が大きい。
 シェドの心の傷となっている、ミゲルからアリカを守れなかった罪。こうして本人を目の前にしていると、それは心の中で疼くどころか、逆に笑顔を絶やさないアリカを見ていると傷が少しずつ癒されていくような気がした。
「もうじき夕飯の支度が終わるから、そろそろテーブルの上、片づけてね」
 アリカが車椅子に乗って近寄ってくると、シェドに優しい笑みを向けてくる。あの笑顔には何度助けられたことだろう。あの時も、そして今も、傷ついたシェドの心をアリカの笑顔は温かく包んでくれる。
「わかった。ギャムルさん、ありがとうございます」
「おう。じゃあ今日はこれまでだな」
 今日はこれまで。その言葉にシェドは少しだけ目を細めた。それはもはや補給を終え、アリアの両親捜しが終わっている以上、この町にこれ以上留まる必要がないからだ。
 だがもし、シェドが望めばここに留まることは出来る。シェドは自分の生きがいを見つけるためにアリアの旅に便乗しているにすぎない。アリア達がこの町を去るときに、見送る側に立っていてもいいはずなのだ。
 しかし、とシェドは思う。確かにアリカの笑顔はシェドに安らぎをくれ、ギャムルに習う服作りはシェドの興味のツボを刺激する。だが、この町に留まって今後もアリカの側でギャムルの師事されたいかと問われれば、たぶん、ノーと答えるだろう。
 シェドはじっとアリカの後ろ姿を目で追っていた。
「なーんか、アンニュイな空気が漂ってるわねぇ」
「……は?」
 ふとシェドが顔を持ち上げると、目の前には意味深な笑みを浮かべるセシリーの顔があった。アリカのエプロンを借り、長い髪をポニーテールに結い上げて手にはフライパンと菜箸を握っている。
「アリカさんって、もしかしてシェドのコレなの?」
 そう言いながら小指を立てるセシリー。シェドは大きくため息を漏らしながら、「違う」と断言した。
「じゃあ何なの? その、アリカさんを見つめる微妙な視線」
「……そんな目してたか?」
「してた」
 質問に答えたのはセシリーではなくアリアだった。相変わらず様子がおかしく、何となく寂しそうにこちらを見つめてくる。何があったのか、そろそろ尋ねた方がいいだろうかとシェドは考えていた。
「シェドのアリカを見る目、何か……、その、辛そうだったり、優しそうだったりする」
 シェドは言葉に詰まった。アリアの言うことは正しい。アリカに対するシェドの思いは二面性があり、正負両方の感情を持っている。罪悪感と感謝の念。あまり感情に敏感で無さそうなアリアにすら感づかれるとは、相当露骨に顔に出ていたのだろうか。
「そう……かもな。まあ、大人には色々あるってわけさ」
「…………」
 適当にはぐらかそうとしても、アリアは何処か納得いかない様子でしばらくシェドを見つめていた。しばらくそうしていた後、俯き加減に頭を垂らしてアリカの元へ歩いていき、食器を受け取ってテーブルに並べ始めた。
「……どうしたんだ、あいつ。ここに来てから元気ないみたいだが」
「さて、どうしてでしょうね」
 セシリーが、まるですべて見透かしているかのような顔を浮かべている。いや、恐らくアリアが何を悩んでいるのか知っているのだろうが、聞いても答えてくれない気がした。
 ちゃんとセシリーが把握してるなら自分は心配しなくてもいいかと思い、シェドは裁縫道具の片づけを始めた。
「シェド、アリアだっていつまでも感情に疎いわけじゃないからね。ううん、それどころか私達以上にセンシティブなのかもしれない。そのこと、わかってあげなさいよ」
「は……?」
 フライパンを揺らして中の食材を菜箸でかき混ぜながら、セシリーはシェドに背を向けて厨房へ歩いていった。今のは一体、何が言いたかったのだろうか。
 しばらく呆然とアリア達の背中を見つめている時だった。ふいに家のドアが開き、シールディアが「ただいま」と告げながら姿を現した。そしてテクテクとシェドへ歩み寄ってくる。
「……どうした?」
「今夜少し話がしたい。セシリーとシルヴァランスにも声を掛けるが、アリアには席を外して貰う方がいいだろう」
「……天使のことについて古本屋で何か見つけたのか?」
 シェドが尋ねると、シールディアは無駄のない動作でコクンと首肯した。
「そうか……。わかった」
 シールディアはそれだけ告げると奥の作業室へ消えていった。セシリーが「すぐに夕飯だから、着替えたらこっちに来なさいよ」と声を張り上げたが返事はなかった。いつものことだ。時間になればシールディアは自然と席に着く。
 天使についての情報。それは今現在、シェド達の旅のキーとなっている。旅の目的はアリアの両親を捜すこと、そしてアリアの胸にある聖石を取り除く方法を見つけること。
 だが、それはアリアの目的であってシェドの目的ではないはずだ。シェドがアリアの旅に便乗して世界を回る理由は、自分の生きがいを見つけるため。ただ、それだけのはず。
「それだけのはず……だろ?」
 シェドは独り言ちてアリアを見つめた。
 アリアは元気無く、無言で皿を布巾で拭っていた。


 シールディアが入手した情報についてアリア抜きで話をするため、まずシェドがアリカにアリアを頼むと耳打ちしてから、
「煙草でも吸いながら散歩してくる」
 と、やや芝居がかった様子でアリカの家を出て行った。続いてシールディアがアリカ手作りのおむすびと水筒を持って、
「ミレーヌに差し入れを持って行く。しばらく向こうにいるかもしれぬ」
 と、至って普通な顔をして出て行った。居間にはシルヴァランスとセシリー、アリアとアリカが取り残され、椅子に腰を下ろしてくつろいでいる。
 次はシルヴァランス達の番である。打ち合わせ通りなら、セシリーが何か言い出してシルヴァランスを表に連れ出すことになっていた。
「ねえアリカさん、この町にお酒が飲める店ってあるの?」
「はい。セカンドフロアの南側にありますよ」
「ふふ。じゃあ、一緒に飲みに行きません?」
 なるほど、お酒がらみではアリアはついて行くわけにはいかない。流石はセシリーだと、シルヴァランスは素直に感心した。
「ごめんなさい、私お酒は駄目なの。……シルヴァランスさんと一緒に行って来ては?」
「ぼ、僕ですか? 僕もお酒は全然駄目で――あっ……」
 セシリーの厳しい視線で、ようやく自分がせっかくの作戦を失敗させようとしていることに気付いた。ここは大人しくついて行けばよかったのだ。
 シルヴァランスはあれこれ思考を巡らせた。キョトンとこちらを見つめるアリアに乾いた笑顔を返しながら、打開策を模索する。
「そ、それに僕はまだ未成年ですし――あぅ……」
 セシリーの目が一層鋭くなる。またも口を衝いて出た言葉は家を出づらくさせる。
 シルヴァランスがおろおろしていると、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、バンと机を叩きながらセシリーが立ち上がって凄い形相でシルヴァランスを見据えてきた。
「ごちゃごちゃ言ってないでついて来なさい! それとも何? お姉さんの言うことが聞けないっていうのかしら?」
「え、あ、あの……。は、はい。ついて……行きます」
 結局、シルヴァランスはセシリーに引っ張られていく形でアリカの家を出る羽目になった。始終首を傾げていたアリアと、堪え笑いをしていたアリカに見送られ、シルヴァランスはセシリーに腕を捕られて表に出る。
「まったく、何やってるのよあなたは」
 シェド達が待つ、ミレーヌが居る工房へ歩きながらセシリーが呆れた声音で話しかけてきた。返す言葉もなく、シルヴァランスは頭を垂らして大きくため息を漏らした。
「すいません……。その、演技とか嘘をつくのはどうも苦手で……」
「だからって、馬鹿正直に――。もういいわ、まあ、あなたらしいと言えばあなたらしいものね」
「……それ、褒めてるんですか? 馬鹿にしてるんですか?」
「褒めてると思う?」
 冷笑を浮かべてこちらを射抜くセシリーにシルヴァランスは二の句が継げない。どうもシルヴァランスはセシリーに弱いようだ。力や戦闘技術ではなく、何というか、人間としてセシリーには逆らえない。単に異性に免疫がないだけなのかもしれないが。
「はあ……。ランバーグの女性はもっとお淑やかな方ばかりなのに……」
 ちょっとした反抗のつもりで、シルヴァランスは聞こえよがしに呟いた。隣を歩くセシリーがピクッと反応し、目を側めてこちらを見つめてくる。
「あら、ヴィクトリアちゃんは随分お転婆さんじゃなかったかしら?」
「あの子は別です。淑女としてのたしなみを身につける前にランバーグを出ましたから」
「ふぅん。シルヴァランス、言っておくけど世の中の女性すべてがお淑やかだなんて幻想抱いちゃ駄目よ? 純情なのも結構だけど、もう少し女性に免疫付けた方がいいわ」
 フフフンと笑いながら髪を掻き上げるセシリー。もう何もかも見透かされているような気分になり、シルヴァランスはただただため息を漏らすしかない。
「わかってます。自分でもどうにかしたいとは思ってますから」
「うふ、いつでも訓練相手になってあげるからね」
「…………。ありがとう、ございます」
 どうせ訓練と託けてオロオロするシルヴァランスを見て楽しむだけだろう。一応礼は言っておいたが、シルヴァランスはセシリーの助けを借りる気はさらさらなかった。
 二人がミレーヌが魔練器車椅子の開発を援助する工房にたどり着いた時、すでにシェドとシールディアの姿はあった。ミレーヌも一旦作業を中断し、アリカ手作りのおにぎりを微妙な表情で頬張っていた。
「来たか。……では始めるとしよう」
 抑揚無く呟いたのはシールディア。その手元には古ぼけた本が一冊握られており、まったく見知らぬ言語で表記されているため、シルヴァランスには表紙のタイトルすら読めなかった。
「待って待って。始めるって何するの?」
 ミレーヌが挙手して尋ねると、シールディアは首から上だけミレーヌへ向け、
「この古文書にはかつて古代文明が崩壊し、世界を“黒い影”が覆うようになった頃の事柄が克明に記されているという。かなり複雑な古代言語である故、本屋の主も解読は完遂できなかったらしい」
 と答えた。ふーん、と言いながらミレーヌが本をのぞき込み、「全然わかんない」とかぶりを振って身を引いた。
「シェドにも見せたが、シェドですら解読は不可能だという」
「ああ。俺も古代言語は何種類か読解できるが、そのいずれにも当てはまらない。まったくもってお手上げだ」
「……それをシールディアさんは読めるのですか?」
 シルヴァランスの問いにシールディアは簡素に首を縦に振った。
「私は本来言語を介さぬドラゴン。ヒトの意志から思考を読み、語りかける際には相手の頭に直接その者の言語で言葉を紡ぐ。だから、本から著者の意志を読み取ることで解読は可能だ」
 そう言えばと、シルヴァランスはシールディアをマジマジと見つめた。何処からどう見ても普通の少女でアリアと大して変わらぬ背格好のため、しばしばシールディアがドラゴンであるということを失念してしまう。
 シールディアがドラゴンであるということを思い出すと、同時にその目的、そして自分が今どうしてシェド達と共に旅をしているかという事を嫌がおうにも自覚し、胸が締め付けられるような感覚に包まれる。
 “天使は世界を滅ぼす存在”
 シルヴァランスは奥歯を噛みしめながら静かに瞳を閉じた。そしてしばらくして瞳を開いた先では、セシリーが優しい笑みを浮かべてシルヴァランスを見つめていた。
『では始めよう。以前シェドに、頭に直接語りかけられるのは気分を害すと忠告されたが、今回ばかりは承知して貰いたい』
 突然頭の中に響いたシールディアの声。シルヴァランスを含め、シェド以外の面々は驚きの表情でシールディアを見つめた。
『……うむ、あまりに書物が古いため、完全に著者の思念を読み取ることは不可能やもしれん。私が解読できる範囲で読み上げるとしよう』
 シールディアの言葉に、シェドがそれでいいと言うように首を縦に振った。
『……神が最後の力を振り絞り“ラグナロク”を紡いだとき、我ら神の子たる人間はドラゴンと共に……を討ち滅ぼした。だがその強大な残留思念は“黒い影”となって世界を覆い尽くし、魔物達の力を増幅させた』
 荘厳に響くシールディアの声にシルヴァランスは静かに耳を傾けた。耳を傾けるという表現が正しいのか定かではないが、シルヴァランスはシールディアを注視しながら固唾を呑む。
「また“ラグナロク”か。いい加減聞き飽きたな」
「……人間とドラゴンが共に倒したのって、一体何なんでしょうか?」
『すまない。その部分は思念が著しく欠落しているため読み解けない』
 シルヴァランスが眉を顰めると、シールディアの申し訳なさそうな声が脳裏に響いた。
『戦いの後、神が最後の力を使って“黒い影”の多くを“ヴァルハラ”へ封印した』
「……“ヴァルハラ”ってのは場所の名前だったか?」
 シルヴァランスにはまったく聞き覚えのない単語。だが何故かシェドだけが、納得したような表情でシールディアを見つめていた。
『ここからしばらく思念が途絶えているため解読できない。……欠落部を飛ばして読み進めると、長きにわたる戦いの後、人間は自らの生みの親である神へ刃を向ける。そしてドラゴン族の長の話を聞かず、“神狩り”が行われた』
「ドラゴン族の長って、もしかして“竜王”のことかな?」
 ミレーヌが首を傾げると、シェドとシールディアが同意するかのように頷いた。
『世界は神を失い、そしてドラゴン族も人間の前から姿を消した。彼らは別天地へと赴き、そこで安らかに暮らすとのことだった。……この思念はここで途絶えている』
 スッとシールディアが瞳を閉じ、大きく深呼吸した。
「どうだ? 読み取れる範囲で思念を読み取ってみたのだが」
 シールディアの声が元に戻る。頭に直接語りかけられるような感じが消え、シールディアの口の動きに合わせて言葉がこぼれてくる。
「……確かに興味深い話だが、直接“竜王”の居場所についてや天使のことには触れられていないな」
「そんなことないんじゃない?」
 シェドが残念そうに呟く隣、セシリーがふと声を漏らした。一同が揃ってセシリーへ顔を向ける。
「どういうことですか?」
「だって、ドラゴン族は別天地へ赴いたんでしょう? それって、つまりハルモニカ大陸のことじゃない?」
 確かにそう考えることもできるが、そうなるとシールディアがアルトレア大陸に居た事実に反するのではないだろうか。もしかしたら取り残されただけなのかもしれないが。
「それにドラゴンと人間が一緒になって倒したって言う相手。もしかしたら、ラーミアの遺跡にあった壁画の、魔物と天使の背後に描かれていたあれのことじゃないかしら?」
「……壁画?」
「ああ、確かに言われてみればしっくりくるな」
 シルヴァランスの理解が及ばないところで話が進む。シェドもセシリーもシールディアも、そしてミレーヌまでもが知った顔で何やら頷いている。置いてきぼりの気分だ。
 だがここで話の腰を折っては悪いと判断し、シルヴァランスは黙ってみんなの話に耳を傾ける。壁画のことは後でセシリーに聞くとしよう。
「“竜王”はハルモニカ大陸にいるかもしれない……か。それはまた厄介だな」
 シェドが疲れたように呟く。そんなシェドを見つめながら、シルヴァランスも小さくため息をついた。
 シルヴァランス達の旅の目的。それはアリアの両親を捜すことと、アリアの胸に埋め込まれた聖石を外すことだ。人種を考える限り、アリアの両親がハルモニカ大陸に居るとは考えにくい。
「焦って考える必要はないんじゃない? ……少し、時間を掛けて考えましょう」
「そうだな」
 セシリーの言葉に頷きながらも、シェドはどこか上の空だった。おそらくは今後のことをあれこれと逡巡しているのだろう。
 重い空気がシルヴァランスの肩にのしかかる工房内。みんな沈黙を守り、静かに時だけが過ぎていった。


 シェド達が何やらアリア抜きで話し合いをするということで、アリカは家にアリアを留めておくよう頼まれていた。アリカは理由も知らされていないし、それ以前にシェド達が何故一緒に旅をしているかという本当の理由を知らない。
 目の前にいるまだ十歳くらいの幼い少女の両親を捜している。確かにシェドはそう言った。けれど本当にそれだけなのだろうかと、アリカは疑問に思っていた。
「みんな出かけちゃったね」
「……うん」
 すでに夕飯の食器も片づけたテーブルには紅茶の入ったティーカップが乗っており、アリアは液体を見つめたままアリカを見ようとしない。両手で抱えたチロルをぎゅっと抱きしめ、チロルがもぞもぞと動いている。
 こうして見ていればただの女の子。綺麗な桃色の髪は耳元だけ鈴付きリボンで結われており、反対側には薔薇の花をもした髪飾りがキラキラと魔練器灯の光を反射させている。愁いを帯びたコバルトブルーの瞳は人形の瞳に使われる硝子玉みたいに美しく、白い肌に整った顔立ちは将来美人になるであろうことを如実に物語っている。
 だが、今日行われた訓練でシェドと戦っていたアリアは別人のように見えた。表情から感情が抜け落ち、目で追うのが精一杯なくらい凄いスピードでシェドに立ち向かっていくアリアに、アリカは息苦しさを感じずにはいられなかった。
「アリアちゃん、紅茶のお代わりは?」
「……いい」
 アリカの問いに、アリアはただ小さく返答をよこすのみだった。どうやらアリカと二人で居ることをあまり快く思っていないようだ。
 最初は人見知りの激しい子だからかな、と思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。たった三日ほど一緒に居ただけだが、それでもアリカには何となくアリアの寂しそうな表情に裏にある感情を読み取ることができた。
 初めてアリアとアリカが会った時、父であるギャムルにシェドが拳混じりで指導されていた時、シェドが過去のことをギャムルに打ち明けようとしていた時、そのどれもがアリカが同席していた場所で、その時にアリアは一層表情を曇らせていた。
「アリアちゃんは可愛いね。髪のカットはシェドがしてるんでしょう?」
「……そう」
 どんな言葉を投げかけてもアリアの反応は変わらない。シェドが言っていた通り少し感情は乏しいのかもしれない。いや、そうではなく、今まで忘れていた感情と新しく覚えた感情が一斉にあの小さな体に流れ込み、整理ができず困惑していると言った方が正しいのかもしれない。きっと、シェドと同じ組織にいた頃は辛い日々を送っていたのだろう。
 縫い目がぐちゃぐちゃな感情の衣をまとい、きっとアリアは今苦しんでいる。自分がその理由の一つとなっていることに、アリカは胸を締め付けられる思いに駆られた。
「……心配しなくていいからね」
 それは本心だった。アリアが抱く様々な不安。たぶん、その中で今一番大きいのはこれなのだろう。
「え……?」
「私はアリアちゃんからシェドを取ったりしないわ。私達はもともとそんな関係じゃないし、それにシェドだってそんなに長くここに居座る気はないみたいだし」
 シェドがすでに少しずつ荷物をまとめだしていることをアリカは知っていた。未練というか、何となく執着があるらしくとろとろとかなり低速で行っているものの、やはりいずれは出て行くつもりなのだろうと、アリカは感じ取っていた。
「……あ、う……」
 顔を上げ、アリカを見つめるアリアの顔には色々な感情が溢れていた。不安や恐れ、照れに恥じらい、寂しさと悲しさ、そして憧れと羨望。
「ねえアリアちゃん。シェドはどうしてあんなにぶっきらぼうなんだと思う?」
「え……? ……わからない」
「シェドはさ、口では過去に犯した罪の意識はないとか言ってるけど、本当は違うと思うの。心の奥底の部分ではずっと昔の自分を引きずってる。だからこそ、表面上ぶっきらぼうに振る舞っているにもかかわらず、一度関わった人間は最後まで護ろうとするし、何だかんだ言って面倒見がいいでしょう?」
 アリカの言葉にアリアは迷ったような素振りを見せた後、コクンと頷いた。
「きっとシェドの傷はずっと深い所にあるんだと思う。私じゃ想像も出来ないくらい深い部分。それに比べて、私に対する罪悪感はきっとかなり表層の部分なんでしょうね。だからこそシェドは私の顔を見るとすぐに罪の意識を思い出す」
「……罪悪……感? どうしてシェドは……、アリカに罪の意識を持ってるの?」
「それは……、私が話すよりシェドから直接聞いた方がいいわ。ね?」
 きっとアリアも本心ではそう思っているだろう。アリカからではなく、シェドから答えを聞きたいと。
「私じゃあシェドの心の傷を癒すことはできない。ただ一時的に忘れさせられるくらいで、それ以上は無理よ。……でも、アリアちゃんなら出来ると思う。同じ心の傷も持つアリアちゃんなら、きっとシェドを救えると思う」
「私……が……? ……ううん、無理。だって、私は知らない。シェドが何を考えているか、シェドがどんな心の傷を持ってるか、全然、わからない……」
 うっすらと目の縁に涙を浮かべるアリアを、アリカは優しい気持ちで見つめていた。やはりアリアは純粋で無垢な少女だ。そんな子が過酷な過去を背負っているという事実は辛いが、それ以上にそんな子がシェドの側に居てくれることが素直に嬉しかった。
「わからなくて当然よ。あなたはシェドから何も聞いていないのでしょう? 同じ傷を持った者でも、相手の気持ちを聞かなければ理解するのは無理よ。人は一人一人違う。知らないから何も出来ないのは当然なのよ。大切なのは、知ってから何をするか」
「知ってから……、何をするか……?」
「そう。そして、アリアちゃんならわかると思うわ。今すぐには無理かもしれないけど、いつかきっと、本当の意味でシェドを救えると思うの」
 口を半分開いたままこちらを見つめるアリア。そんなアリアを視界に入れながら、アリカは遠くない未来、本当の笑顔を携えた二人が自分にまた会いに来てくれると予感した。


 心の何処かでアリカのずっと羨ましく思っていた。シェドの過去を知っている。何となく、そんな感じがしていたから。
 でもアリカは言った。自分ではシェドを救えないと。
「……私には、出来るの?」
 アリアはテムルの町の中心、アリア達が落下した池の畔に腰を下ろし、両足を池の中へ沈めて天井を見上げた。隣ではヒューイが丸くなって寝息を立てている。
 ぽっかりと開いた天井から優しい月光がアリアの体を照らしてくれる。まるで光の海を漂っているかのような錯覚を覚えるくらい、天からの月光と水面からの反射光が得も言われ得ぬ荘厳な空気を醸し出していた。
 独り言の答えなど返ってくるはずはなく、アリアはそっと瞳を閉じた。
 同じ傷を持つ二人だとアリカは言っていた。けれどアリアはシェドのことを全然知らない。過去の傷も、シェドは一度たりとも語ってくれたりはしなかった。
 シェドとアリカの見えない絆。自分とシェドの絆はそれよりずっと脆く、弱々しく思えた。けれどアリカは言った。シェドを救えるのはアリアだけだと。
「わからない……」
 わからないことが苦しい。どうして苦しいのかわからなくて悲しい。わからなくて悲しいから辛い。悲しくて辛いから、胸の奥がキュッと痛む。
 一体何なんだろうこの気持ちは。今まで感じたことのない、足の先から冷えていくような寂しさ。孤独感。どうしてこんなにも悲しいのだろう。
 シェドはいつも笑顔を絶やすなと言っていた。けれどどう頑張っても笑えない。笑顔を浮かべようにも、心が邪魔して笑えない。
「イヤ……。こんなの……、イヤ……」
 辛い。悲しい。寂しい。
 そっと瞳から熱いものがこぼれ落ちた。滴は池に落ちて波紋を打ち、ヒタヒタと広がっていく。何で涙が溢れてくるのか、それすらわからない。
 シェドのことだけじゃない。自分のことがわからない。どうして泣いているのか。
 膝を抱き寄せ、アリアは顔を膝に押しつけた。震える肩を必死に抑えようとするが、どうしても震えは止まらない。
 その時だった――
「泣いてるか、アリア……?」
 その声はずっと近くから聞こえた。ハッと顔を持ち上げて横を見つめると、そこにはアリアの顔を心配そうに見つめるシェドの顔があった。
 夜だからサングラスは外して胸ポケットに収められていて、その黒い瞳には涙に暮れるアリアが映っていた。
「いつもいつも言ってるだろ? 女の子は笑顔が大事だって」
 そう言いながらシェドがアリアへ手を伸ばしてきた。いつもならここでくすぐりの刑になるところだけど、シェドは優しげな表情でポンポンとアリアの頭を軽く叩いて微笑んだ。
「シェド……。シェドは……、この町に残るの? アリカと一緒に、ここに……」
「はあ? ……なんだ、まさかそんなこと考えてたのか?」
 そんなこと。でも、アリアにとってはとても重要なことだった。どうして重要なのかは自分でもわからない。シェドが生きがいを見つけたら、アリアがそれを止める権利などどこにもないのに。
「シェドは服職人もいいと思ってる。ここにはギャムルが居るし、アリカも居る……」
「……馬鹿だな。俺はこの町に残ったりしねぇし、別にアリカの側に居たいとも思ってねぇさ。まあそりゃあアリカはなかなかの美人だとは思うが、小うるさい親父が一緒じゃ面白くねぇだろ」
 カラカラと笑うシェドをアリアはジッと見つめた。アリアにはシェドの本心は見えない。だから必死にそれを見極めようと思っていた。
「……なんだ、信用してねえのか?」
「私は……、過去、シェドとアリカに何があったか知らない……」
「…………」
 シェドは一瞬、微笑んでいた表情を曇らせて口をつぐんだ。辛そうな表情。あの表情が意図する意味がわからず、それが悲しくて辛い。
 きっと答えてくれない。アリアがそう思っていた時、
「お前と旅に出る一ヶ月くらい前……」
 シェドがおもむろに口を開き、落ち着いた口調で語り出した。アリアは呆然と、口を半分開いたままシェドの言葉に耳を傾ける。
「俺は任務でとある街を襲撃することになっていた。俺は乗り気ではなく、もっぱら部下に命令だけだして自分は勝手に休んでいた。その時だ。当時の上官、ミゲルがいきなり抜刀して俺に襲いかかってきやがったのは」
 ミゲル。中立都市デオラガーンで襲撃してきた、あの大男。あの男と対峙している時のシェドは、冷静さを欠いているというか、かなり熱くなっているように見えた。
「俺は激流の川に飛び込み、辛うじて逃げ延びた。川辺で倒れていた俺を介抱してくれたのが、アリカだ」
「そう……だったの」
「ああ。……そして、アリカは俺たちが襲撃する予定だった街の人間だった。俺はアリカの家でその時を待ち、翌日、ミゲルが指揮するニーヴルの連中が街を襲った」
 過去を語るシェドは何処か辛そうで、遠い目で天井を見つめていた。アリアはシェドの横顔を見つめたまま、視線を逸らすことができないでいた。
「俺はニーヴルの人間だ。だから任務を、街の人間を皆殺しにするという任務を遂行する義務があった。だが、俺はアリカに向けた銃の引き金を引くことはできなかった」
「え……。アリカに……銃を……?」
 二人のやりとりを見る限り、そんな過去があったとは微塵にも思わなかった。アリアは息を飲み、続く言葉を待つ。
「腑抜けた俺に失望したミゲルが激昂し、アリカを手に掛けようとしたのを俺は守れなかった。アリカは俺とミゲルの戦闘に巻き込まれ、俺が一瞬ヤツから目を離した隙にミゲルに両足をやられた」
「じゃあ、アリカの両足はミゲルが……?」
「……いや、違う。あれは俺が、俺がやったようなものだ。俺が守れなかったから……」
 アリカが言っていた、シェドがアリカに対して抱く罪悪感とはこのことなのだろう。口に出すことすら辛そうな過去の罪。シェドはそれを、ちゃんと語ってくれた。
 今なら前に踏み出せる。そんな気がした。
「私、まだシェドと離れたくない。まだ……。まだ……」
「え……?」
 アリアはやっと自分の気持ちに気づけた。そう、自分はシェドと離れたくない。アリカとシェドの関係が見えず、もしかしたらアリカと共にこの地に留まってしまうのではないかと恐れたのも、それはシェドとの別離がイヤだったからだ。
 ポカンと口を開いてこちらを見つめるシェドに、アリアはポテンと体を傾けてその胸に倒れ込んだ。
「シェドがアリカと一緒にこの町に残るかもしれないと思ったら悲しかった。私、まだシェドと一緒に居たい」
「……なんだなんだ、今日はやけに甘えん坊だな」
 シェドが若干困惑した様子で、いつもの父親みたいな態度を取りながらアリアの頭を撫でてくる。
 シェドと一緒に居たいというこの気持ちが、シェドを父親代わりに慕っている気持ちから来ているのかどうかよくわからない。けれど、何処か大きくそれとは異なっているような気がした。
「そうだ。……もう気付いてるかもしれねぇけど、アリアって名前はアリカをもじって付けたんだ。お前と旅していく上で名前が無いのは厄介だったし、かといって女の子の名前なんか全然思いつかなかったからな」
「……似てるとは思ってた」
「俺はあの時アリカを守れなかった。けど――」
 それに続く言葉はなかった。ただシェドは、曖昧な笑みを浮かべてアリアの顔をのぞき込んできながら、優しくアリアの頭を撫で続けていた。
 まだ一緒にいられる。そう思うと心が安堵に包まれ、自然と瞼が重たくなってきた。
「お子様はそろそろおねむの時間だな」
「……子供扱い、イヤ」
「はは。……明日の昼にはここを離れるから、そろそろ寝るとしよう。な?」
「……うん」
 アリアはシェドの腕の中でそっと瞳を閉じ、そのまま意識を失った。
 先ほどからどんなに頑張っても浮かべられなかった笑顔を前面に押し出した寝顔で。


 小鳥の囀りで目を覚ますとすでに世界は明るかった。いや、深い森の中ということもあってかそこまで太陽光が燦々と降り注いでいるわけではなく、ほんわかと、まるで濃い霧の中で魔練器灯を灯したようなピンぼけした光が辺りを包んでいる。
「ん……」
 そっと木にもたれ掛かっていた体を起こして周囲を見つめると、純白の四肢を持ち、白鳥のような翼を持つ愛馬のポニーがせっせと朝から森の床にぎっしりと敷かれた青草を食べていた。
 ヴィクトリアはまだ覚醒しきってない頭をコクンコクンと何度も上下させながら、何度も閉じそうになる瞼を押し上げようと試みた。けれど慣れない野宿のせいか、全身から抜けきらない疲れが瞼を一層重くさせる。
 別に予定はない。兄であるシルヴァランスの説得に失敗した今、ヴィクトリアがすることなど何もなかった。もう、同志達の元に戻るのも億劫だった。
 このまま何もかも忘れて眠ってしまいたい。そう思いながら重たい瞼との戦いに負けそうな時、
「おはよう、ヴィクトリアちゃん」
 その声はまさにヴィクトリアの目の前から響いた。
「……ふぇ? …………。――っ!?」
 一瞬、半開きでぼやけた視界に映った女性の姿に、何処か懐かしい面影を見た気がした。けれどそれはほんの一瞬で、すぐさま眠気が一気に払拭されるくらいの衝撃がヴィクトリアの全身を駆け抜けた。
「あ、あなたはっ――あうっ!」
 相手が誰であるのかを認識し、思わず飛び退いて間合いを開けようとしたところ、後頭部を木の幹で強打し、ヴィクトリアは後頭部を押さえてその場にうずくまった。
 よりにもよって、この女の前でこんな醜態を晒すなんて、とヴィクトリアは自己嫌悪で泣き出しそうだった。
「ど、どどどうしてあなたがここにっ!?」
「うーん、何となくだけど、きっとまだお兄ちゃんのことを諦めきれずにこの辺りをウロウロしてるかなぁって思ったから」
 人差し指を顎に添えながら考え込むポーズを見せる蒼い髪の女。昨日はポニーテールに結い上げていた髪を今日はサイドテールにしており、服も体のラインが浮き彫りになる黒のノースリーブからゆったりとした水色のワンピースに変わっていたせいか、若干印象が異なって見えた。
 しかし見た目がどう変わろうが相手はシルヴァランスを誘惑した悪女だ。いくら友好的な笑みを浮かべていようとも、そうそう信用するわけにはいかない。
「わ、わたくしが何処で何をしていようとあなたには一切関係ないはずです! ええ、関係ありませんとも! 関係性ゼロです! 皆無です!」
 ビッと人差し指を突き刺されても蒼髪の女は優雅に微笑を浮かべるだけでそれ以上の反応を示さなかった。その余裕がとても癇に障る。一体この女はシルヴァランスの何なのか。
「い、一体わたくしに何のようです! 生憎ながらわたくしはあなたに用などこれっぽちもありません! それはもう、砂漠の砂一粒程にも!」
「うふふ。私も特に用はないわ。ちょっと差し入れを持ってきただけだから」
「……?」
 ヴィクトリアが怪訝に思いながら見つめていると、蒼髪の女は手に持っていたバスケットからおにぎりを取り出し、さらにコップを取り出してそこへお茶を注ぎ始めた。
「んなっ! 何でわたくしがあなたなんかの施しを受けねばならないのです!」
 この女は一体何を考えているのだと、ヴィクトリアが思いっきり身を引いた時だ。
『ギュルルルル……』
「あ……」
 盛大に、鳥たちの囀りなんか目じゃないほどの音量でヴィクトリアのお腹が鳴った。
 沈黙。ヴィクトリアは耳まで真っ赤にしながら腹部を抱えてうずくまり、もう穴を掘って隠れたいくらいの羞恥心が全身を襲う。
 絶対に笑われる。そう思った時、
「大丈夫、これは私の手作りじゃないから」
 蒼い髪の女は別段気にした様子もなく、先ほどと同じ穏やかな口調で言った。そっと顔を持ち上げると、寸分違わぬ微笑がそこにあった。
「……え……?」
「ヴィクトリアちゃん、私のこと嫌いみたいだから気にするかと思ってね。でも大丈夫。これを作ったのは私じゃないから」
 何処までも目の前の人は穏やかだった。たぶん、いや絶対、蒼髪の女の手作りだなんて聞いたらヴィクトリアは意地でもそれを口にしないだろう。けれどそれを見越した上で、この人はああも柔らかく微笑んでいる。
 思わずその美しい顔に見入ってしまいそうな時だった。蒼髪の女が突然厳しい顔つきになって周囲の森をぐるっと見回した。
「ど、どうしましたの?」
「…………。ううん、何でもないわ」
「……?」
 突然険しい顔つきになったかと思うと、すぐにまた先ほどの微笑をこちらに向けてくる。一体この人は何なのだろう。全くもってわからない。
「なるほど、結構その組織もあくどいことするのね。この子を利用するなんて……」
 ぼそりと独り言を呟いた後、蒼髪の女はクルリと踵を返してヴィクトリアに背を向けた。
「あ、ま、待ちなさい! 結局あなたは一体何をしに……」
「ヴィクトリアちゃんがシルヴァランスにつけた特殊ジェムは外したわ。外したのは私じゃなくて、シルヴァランス本人よ」
「……え?」
「私達はこれからランバーグに向かって、その後トルメキア方面へ進むわ」
 蒼髪の女はそれだけ言い終えると歩き出し、一度も振り返ることなく森の奥へ消えていった。
「何なんですの……? 一体……」
 蒼髪の女の意図はまったくわからず、ヴィクトリアはただその場に立ち尽くすしかできなかった。
 もしかしたらそんなに悪い人ではないのかも知れない。少しだけ、ほんの少しだけヴィクトリアは蒼髪の女に対する認識を改めた。


「す、すごい……。たった一晩で完成させるだなんて……」
 唖然とした面持ちで魔練器車椅子の本体を見つめる二人の男。その脇で、シールディアは車椅子の脇で大の字になって寝ているミレーヌを見つめた。
 大口開け、肌はススで黒く汚れ、ショートヘアではあるがそれでも四方八方に髪は乱れている。その上熱が籠もる作業場での長時間労働のせいか、とても年頃の少女とは思えぬラフというか、体の表面を覆う服の面積は少ない。
「……セシリーが褒めるのも理解できる」
 シールディアはミレーヌの隣に腰を下ろし、その寝顔を見つめながら考えた。車椅子の完成をパットとミカに告げるべきかどうか。
 表には出さずとも、パットはとてもミカのことを大事にしている。それはシールディアにもよくわかった。そしてミカも、本心ではずっと車椅子の完成を信じて待っているに違いない。
 ならば一刻も早く伝えるべきである。だがなぜだろう。シールディアはその役目が自分ではなくミレーヌが適任だと思っていた。
 シールディアは依頼しただけ。頼んだだけなのだ。そして完成させたのはミレーヌであり、その基礎を作っていたのは二人の男達。自分は何も携わっていない。
 そんな自分が、さも自分がやったかのようにパット達に声を掛けるのには戸惑いを感じた。向こうもシールディアが車椅子作りに関わってないことなど承知しているはず。なのに何故か、自分の中の何かが納得できない。
「……ふにゅぅ?」
「ん、起きたのか? すまない、もしかしたら私が睡眠を妨害していたのかもしれない」
 目を覚まし、眠そうに目を擦るミレーヌは、きょろきょろと周囲を確認してから最後に視線をシールディアへ向けた。そして達成感を帯びた笑みをパッと咲かせた。
「おはよー、シールディアちゃん。へへぇ、あたし頑張ったよ」
「うむ。パット達に先駆け、私がまず礼を言わせて貰う。ありがとう、ミレーヌ」
「お友達の頼みだもん。張り切っちゃった」
 屈託無く笑うミレーヌの笑顔にシールディアは自然と穏やかな気持ちになった。暖かい、独りでは決して経験することのなかったヒトの優しさ。
「ありがとう。……早速ミカのところへ運搬するとしよう」
「うーん……」
 ミレーヌはまだ髪がボサボサで、とても人前に出られるような姿ではなかったためか、
「それより、パット君とミカちゃんをここに連れてきてくれない?」
 とシールディアに言った。二人を呼びに行くのはミレーヌが適任だと思っているためシールディアは少し困惑したが、ミレーヌが笑顔で「お願いね」と口にするので、ミレーヌの意志を尊重しようと工房を後に駆けだした。
 ブルゾンが開く古本屋のドア開いて中に踏み居ると、いつもと同じくブルゾンがパイプを燻らせながら椅子に腰掛けて書物を読んでいた。
「おはよう。拝借していたこの書物、実に貴重な事象が記述されていた」
「おはよう、お嬢ちゃん。……読めたのかい?」
「……ん? う、うむ……。所々ではあるが、いろいろ参考になった」
 思念がハッキリしている部分は完全に理解した、などと言っては何故か都合悪いような気がし、シールディアは咄嗟に言葉を濁しながら借りていた本をブルゾンに手渡した。
「パットとミカはすでに起床しているだろうか?」
「ん? ああ、二人とも起きてるよ。奥で朝食を食べているじゃろう」
 ブルゾンがあがっていいと言わんばかりに片手を家の奥へ向けたので、シールディアは一度頷いてから家の奥へ進んだ。
 居間ではパットとミカが朝食を取っており、シールディアを見るなり驚いた表情を浮かべ、ミカは律儀に「おはよう、シール」と朝顔のような笑顔を浮かべて挨拶してきた。
「二人とも、朝食の後でいいが、少し工房までご足労願いたい」
「工房ぅ? な、何だよ朝っぱらから」
「大切なことだ。そなたにとっても、ミカにとっても」
「で、でも、私歩けないし……」
「問題ない。私がそなたを負ぶっていこう」
 シールディアがそう言うと、いきなりパットが両手をテーブルにつけて立ち上がり、
「俺がミカを背負っていく!」
 と声を張り上げた。何をそんなムキになっているのか、テコでも動きそうもないくらいの意志をシールディアは感じた。
「う、む……? ならばそなたに任せるとしよう」
 シールディアは二人が朝食を終えるのを待ち、そして三人揃ってミレーヌの待つ工房へと足を運んだ。


 セシリーの視界には、眠そうにしきりに目を擦っているミレーヌ、シールディア、そしてシールディアの知り合いらしき二人の少年少女が映っていた。
「結局一晩で完成させたのか? あいつも根性あるな」
 セシリーの隣でシェドが褒めてるのか呆れてるのかわからない声を漏らした。確かにほぼ徹夜ぶっ続けで作業を行うのは、年頃の少女にとってはお肌にも悪い。けれどそこまでしても成し遂げたいと真っ直ぐ進むミレーヌに、セシリーは密かに羨望の念を抱いていた。
 アリアの聖石のこともそうだが、ミレーヌは誰かのために一生懸命努力できる。今まで誰かのために何かをしたことのないセシリーに、頑張っている時のミレーヌはまぶしかった。真っ直ぐで天真爛漫な少女。それはかつて、セシリーが目指していた姿だった。
「……はあ、私も年取ったわねぇ」
「な、何ですか、いきなり……」
 セシリーが独り言を漏らすと、シルヴァランスがすごく驚いた様子で目を白黒させながらセシリーの顔をのぞき込んできた。
「別にぃ。なんだかさ、あの子見てると、純粋で真っ直ぐで、とても私には真似できないくらい人のために一生懸命頑張ってるんだもの。私もあんな真っ直ぐな子になりたかったけど、もう、あの子を遠目に見つめる側に立つような年になっちゃのよねぇ……」
「急に老け込まないで下さい。セシリーさんだって、まだまだ若いじゃないですか」
「……シルヴァランス、それイヤミ?」
 自分より五つも年下、しかもまだ二十歳前の人間に、そろそろ二十歳よりも三十路が近くなってくるようなセシリーの気持ちなどわかるもんかと変な反抗心が生じる。
「ち、違いますよ! その、セシリーさんは今のままでいいんです。ミレーヌさんを元気のいい次女としたら、セシリーさんはいつも落ち着いて妹たちを見守る長女のような存在だと思います。だから、元気なのはミレーヌさんに任せて、その、何というか……」
 足らない言葉で必死に励まそうとしているのか、シルヴァランスの顔は真剣そのものだった。そんなシルヴァランスの言葉に、セシリーは暖かみを感じずにはいられない。
「長女……ね」
 確かにセシリーはミレーヌのような真っ直ぐな子に憧れていた。でも同時に、まだ妹が生きていた頃、妹を守れるしっかりした姉になりたいと思っていたのも事実だ。
 そして今も、アリア、シールディア、そしてミレーヌを見守る、母親兼姉というスタンスに立っていることを嫌っているわけではない。むしろ逆といってもいい。
「セシリーさんは元気な次女や、まだ未熟な三女、四女を見守る長女でいいんです!」
 妙に力の入った熱弁に、セシリーは思わず吹き出してしまった。シルヴァランスが照れくさそうに後頭部を掻きながらそっぽを向いてしまう。
「うふふ」
 セシリーは微笑みながら、視線をミレーヌ達に戻した。ベージュ色の髪をした少女が車椅子に腰を下ろして、何やらミレーヌにあれこれ説明を受けている。その様子を、茶色の短髪の少年とシールディアが心配そうに見つめていた。
 ミレーヌの技術は当てにしている。だから、セシリーは失敗を心配してはなかった。だが、それでもセシリーの表情が芳しくないのは別の理由があるからだ。
「シェド、シルヴァランス……。言って置かなくちゃいけないことがあるわ」
 幸いアリアはアリカと一緒に家に残ってこの場には居ない。アリアに注意を払う必要はなかった。
「さっき、ヴィクトリアちゃんに朝食を持って行ってあげたの」
「えっ! ぼ、僕聞いてませんよそんなこと!」
 それは言ってないんだから知らなくて当然だと、セシリーは構わず続けた。
「それでその時気づいたのよ。……あの子、つけられてたみたいね。シルヴァランスのいた組織の人間に」
「ええっ!?」
 シルヴァランスが驚く隣、シェドは静かにセシリーの言葉に耳を傾けていた。落ち着いているというか、シェドはセシリーとシルヴァランスがヴィクトリアに会っていたことすら知らないのだからそれ以前の問題なのかもしれない。
「気配の数まではわからなかったわ。けどすぐに仕掛けてこない所を見ると、私達がこの町を出た後に襲ってくる可能性は高いわね」
「……それはそうかもしれません。僕の居た組織はあくまで世界平和を目標に掲げています。罪のない人達を巻き添えにするのは、信念に反しますから」
「もしこの町に長く滞在するようになったら、向こうから仕掛けてくるだろうがな」
 シェドは相変わらず落ち着いた様子で、一方シルヴァランスは納得いかない様子で拳を握りしめていた。
「昨日話した通り、今日の午後にはここを発つ。……戦いの準備は入念に行っておこう」
「そうね」
「……はい。わかりました」
 シルヴァランスが重々しいため息と共に了承の言葉を吐いたとき、向こうから歓声があがった。セシリーが見やると、ベージュ色の髪の少女が乗る車椅子が縦横無尽に工房の中を駆け回っており、短髪の少年とシールディアが嬉しそうに笑みを零していた。
 普段笑みを見せないシールディアの笑顔に、セシリーは頬を緩める。でもそれ以上に、ミレーヌは破顔の笑みを浮かべていた。


「絶対、絶対また来いよっ!」
 テムルの町を出て、滝の裏にある出口付近へ移動したシェド達。見送りにはアリカとギャムルを始め、数人の町人達が集っていた。そんな中、シールディアに寄って大声を漏らすのは短髪で生意気そうな少年だった。
「シール、あの、あの、……本当にありがとう」
「礼を言う相手が違うだろう。私は何もしていない。頑張ったのはミレーヌだ」
「うん、ミレーヌさんにも沢山感謝してる。でもシールだってお洋服貸してくれたりしたもん。それに、ミレーヌさんにお話してくれのはシールじゃない。だから、ありがとう」
「お、俺からも一応、礼を言ってやる。……ありがとな」
 短髪の少年が視線を逸らしながら後頭部を掻く隣、ベージュ色の髪の少女は車椅子に腰掛けたまま朗らかにシールディアへ微笑みかけていた。ライラックの瞳に、うっすらと涙を滲ませて。
 シェドがそっとシールディアを見つめると、こんな時どんな顔をしていいのかわかりかねているように少し目を細めて微笑んでいるように見えた。いや照れているのかもしれないが、シェドにはよくわからなかった。
 セシリーとシルヴァランスはすでに荷台で戦いに備えて装備やジェムのチェックをしている。後はシェドとシールディア、アリアが乗り込めばいつでも出発できる。
「お前はどうするんだ?」
 シェドは見送る側に立つミレーヌに問いかけた。ミレーヌはハハハと笑いながら、
「あたしはもう少しこの町に居座るよ。おっちゃん達に魔練器技術をちょっとレクチャーしてほしいって頼まれているし、あの車椅子の整備方法をパット君に教え込まなきゃいけないんだー。ね?」
「おう。俺がちゃんと整備できるようになってやる」
「……そうか。パットよ、そなたも頑張れ」
 シールディアを見つめて拳を握りしめた少年に、シールディアは落ち着いた口調で応じていた。
「シェド……」
 一通り挨拶が住んだ後、最後にシェド達に歩み出たのはアリカだった。シールディアの知り合いの少女同様、車椅子に腰掛けたまま、ゆっくり車輪を回して前に踏み出す。
「……世話になったな」
「ううん」
 シェドの言葉にアリカは首を左右に振った。それっきり二人とも黙り込んでしまい、アリカの傍らに立つギャムルも口をつぐんだままだった。
 アリアが心配そうな眼差しでこちらを見つめてくる。シェドは顎で先に馬車へ乗っているよう促し、それを見たアリアとシールディアがのそのそと乗車席に消えていく。
「あの子のために戦う……。それをあなたの探す“生きがい”ってものに出来ないの?」
 シェドがアリアの背中を目で追っていると、ふと消え入るよな小声でアリカが口を開いた。シェドは半身で振り向き、目を細めてアリカを見つめた。
「あいつとはあいつの両親が見つかるまでの付き合いだ。それが俺達の関係で、あいつの両親が見つかれば俺達の旅は分かれる」
「あなたはどうして頑なにそういう考えを貫こうとするの? もしあなたが組織にいた頃の行為に負い目を感じ、罪悪感を抱えているから生きがいと称して罪滅ぼしを考えているのなら、なおのことあの子の側で支えてあげるべきだわ」
 アリカの言葉はシェドの心の奥に深く突き刺さった。
 いつも何処かで誤魔化していた言い訳。生きがいが見つかったら何の躊躇いもなくアリアを見捨てて旅を止めると公言してきたが、いざその時が来たとき、本当にそうできるのだろうか。
 アリアを守ってやりたい。これは自分勝手な父性愛みたいなものなど自分自身に言い聞かせてきた。だが、本当にそうだろうか。
「俺は……」
 意固地になって、探す気もない生きがいを追い求めることを勝手に正当化してきただけだと言われれば、反論することはできない。
「……おう、シェド」
「ギャムルさん……」
「お前が抱えてるモンは俺には想像できねぇくらいでかいんだろう。……だがな、過去を理由にしていつまでも今を見れねぇようじゃ駄目だ。お前は生きてる。生きている以上、生きがいを探すことだろうが、あの子の両親を捜すことだろうが何だって同じだ。全力でぶつかって行け」
「…………」
「悩んだり迷ったりすれば、それはすぐ針の運びにつながる。自分の気持ちを確かめる意味でも裁縫は続けろよ。……この町に来れば、いつでもまた指導してやる」
「ありがとう……ございます」
 シェドは深々と頭を下げた。自分でも情けない顔をしているだろうとわかる表情でアリカを見つめると、アリカは優しい笑みを返してくれた。それを見て、シェドは踵を返して馬車へ歩み寄る。
 こうしてシェド達は隠者の町テムルを後にした。
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