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エピローグ

 ランバーグの街を出る少し前の話。
 ヒューイは部屋の角でアリアに抱かれて夢を見ていた。
 お菓子がいっぱいの世界。可愛い女の子(メス)がいっぱいの世界。ヒューイが誰よりも強く、誰よりも格好いい世界。
「キュー……?」
「あ、起きた?」
 ふと目が覚めればお菓子も可愛い女の子も消えてしまう。そして瞳に映るのは愛らしいアリアの顔と、貧弱な自分の体。
 白くてふわふわの毛皮は同族から見てもきっと一目置かれるに違いない。けれどその中はやせっぽちで、貧弱な肉付きの、男としては情けない部類に入ってしまう体。
「キュキュゥー……」
「どうしたの? お腹空いた?」
 ため息を漏らすと心配そうにアリアがのぞき込んでくる。優しい手つきで自慢の毛皮を撫でてくれるアリアはヒューイにとって女神だった。
 だがヒューイの本当の主は別にいる。きっとここからはずっと遠い街。かれこれ一年近く離れているが、ちゃんとヒューイは覚えている。
 金髪のセミロング。茶色い瞳の美少女。主もまた、ヒューイにとっては女神だ。
 そう言えば人間の可愛い女の子や美女には恵まれているけれど、同族の女の子にはめっきりお目見えしてないとヒューイは思った。トラキアの街に住んでいた頃は街のあちこちでチロルはペットとして飼われていたが、その他の地域ではあまりチロルを飼うという習慣がないらしい。
「キュー……」
 またもため息。アリアの心配そうな顔が加速する。いかん、女神の微笑を曇らせることはヒューイの本心ではない。
「キュッキュルーッ!」
 ヒューイはアリアの膝から飛び上がって部屋の片隅にある鞄を尻尾で指した。アリアが首を傾げて悩むこと数秒、
「お風呂?」
「キュキューッ!」
 見事ヒューイの思いを受信してくれたアリアにヒューイは歓喜の声をもらす。


 ヒューイの隣でアリアが服を脱いで籠に収め、そして慣れた手つきで髪を結うリボンと髪飾りを外した。大切そうにそれらを脱いだ衣類の上に置くアリア。それほどにリボンと髪飾りに対する思い入れは強いのだろう。
 リボンはシェドの手作りだと聞く。そして髪飾りは極寒の地でヒューイが凍死しそうだった時、短い間だけど一緒に遊んでくれた少女の母親がアリアに送ったものだ。
「ちゃんと百数えなきゃ駄目」
 湯船に浸かったアリアの頭に飛び乗ったヒューイをしきりアリアが掴もうとする。自分でお風呂に誘っておきながら、基本的にチロルは自分の毛が濡れることを嫌う。でもヒューイはお風呂が嫌いではない。こうしてアリアがヒューイを湯船に浸からせようと伸ばしてくる手から逃れ、負けを認めたアリアが顔を半分湯船に沈めて気泡を上げるとき、何とも言えない達成感が得られるから。


 次の日の朝。ヒューイはシールディアとアリアの真ん中で目を覚ました。ベッドの数が足りず、アリアとシールディアは同じベッドで床につく。その二人の合間でヒューイは丸くなっていた。
 まずシールディアが目を覚まし、すでに活動していたセシリーと共に着替えを済ませる。続いて目を覚ましたアリアが、二人に先に食堂へ行っているよう促してから着替えを始め、流しの鏡に向かって髪をとかし始める。
 お世辞にも丁寧とは言えないブラッシング。セシリーの見様見真似で始めたもので、最近ではすっかり朝の日課となっている。
 そして髪をとかした後、まず耳元の髪をリボンで結い、おでこの右上に薔薇の髪飾りを付ける。それで準備完了。
「ヒューイ、私達も食堂行こ」
「キューッ」
 ヒューイは元気よくベッドから飛び出し、アリアの後について部屋を出た。


 両親捜しのためアリアは食後宿を出た。ヒューイもついて行こうかと一瞬思ったが、足手まといになるだろうし、何より面倒だったら宿で待っていることにした。
「じゃあ行ってくるね」
「キュー」
 見送りがてら宿の入り口までアリアについて行ったヒューイは、微笑むアリアにピンと耳を立ててエールを送った。だがその時――
『カアアッ!』
「きゃうっ!」
 まさに一瞬。凄まじい勢いで飛来した黒い影がアリアを強襲し、ヒューイはアリア達を追っているという組織の敵なのかと恐怖した。
 だがどうやら違う。ヒューイが軒先まで出て空を見上げると、そこに居たのは漆黒の翼を羽ばたかせる大きな烏だった。
 何だ烏か、とヒューイが安堵したのも束の間、
「ああっ」
 隣に佇んでいたアリアが悲鳴に近い声をもらした。ヒューイはすかさずアリアを見つめる。そして気づいた。
 ない。髪飾りがない。
『クワーッ!』
「キュッ! キュキューッ!?」
 まるで挑発するような烏の声にヒューイが反応すると、ヒューイの視界にアリアの大切な髪飾りが映った。それは烏の唇に挟まれ、太陽の光を受けて七色に輝いている。
「あっ、待って! それを返してっ!」
 アリアが手を伸ばそうとしたとき、烏は大きく羽ばたいて大空へ飛び去ってしまった。
 しばらく焦点の定まらない目で虚空を見つめるアリア。そんなアリアを見つめているとヒューイの心が大きく揺れ動く。
 大好きなアリアの大好きなモノ。それはすなわち、ヒューイにとっても大切なモノ。
「キューッ!」
 ヒューイは大地を蹴った。敵は巨大烏。やせっぽちの自分が勝てる相手ではないかもしれない。けれど自分の中の漢が、メラメラと燃え上がって背中を押す。
 ここで逃げたら男じゃない。ヒューイは決意を胸に、空を羽ばたく烏を追った。


 対決の瞬間が訪れる。思えばここに来るまでは過酷で苦しいものだった。
 チロルといえば、愛らしい動物ナンバーワンに輝くペット界の王者。当然、人間達は愛くるしいヒューイの外見にメロメロで、幾度となく捕まりそうになった。子供達、女達の執拗なストーキングをすべて振り払い、ヒューイは烏を追って突き進んだ。
 そしてアイドルが居ればそれを妬む者も居る。一番になれなかった動物たちが、自分の縄張りに無断で押し入ってきたヒューイを歓迎するはずがなかった。
 鋭い牙で襲いかかってきた犬を撃退し、(ホントは死ぬ気で逃げ延びた)
 集団攻撃を仕掛けてきた猫どもを駆逐し、(ホントは後で餌を持って行くと言って見逃して貰った)
 そして凶悪な齧歯類を力でねじ伏せてきた。(これはホント。相手は格下)
「キュー……」
『クワーッ!』
 待ちに待った最後の戦い。思えばアリアのもとを駆け出して三十分が過ぎていた。長い長い道のりだった。
 ふわふわの毛の下で汗が滲む。圧倒的な実力の差が、プレッシャーとなってビリビリとヒューイの毛を逆立たせる。
 まるで荒野で対峙しているかのような緊張感。だが実際はとある民家の屋根上だ。
『カアーッ!』
「キュゥーッ!」
 激しい激突。ヒューイの長い耳が烏の翼と打ち、烏の鋭い嘴がヒューイのふわふわの毛をむしり取る。
 圧倒的な攻撃力を誇る烏の嘴に対抗するにはどうしたらいいか。ヒューイは必死に考える。素早さはこちらに分があるが、敵は空を制している。制空権が敵にある以上、ヒューイが不利なのは火を見るよりも明らかだ。
 こうなったら最後の手段しかない。最強にして一度もやぶられたことの最大奥義。
 四つ足で地に立ち、グッと腰を落とす。普段垂れている耳をまるで角のように真っ直ぐ立て、団子みたいな尻尾を揺らしてタイミングを計る。
『クワワァァッ!』
 烏の攻撃。上空高く舞い上がった烏が凄まじい勢いで迫ってくる。
 ヒューイは跳んだ。アリアと共に旅に出てから培った特技。それがアリアの頭、胸から、シールディアの頭、胸、セシリーの頭、胸へ飛び込むという驚異的な跳躍力。
 そのすべてをもって、ヒューイは弾丸のごとく地を蹴って烏に体当たりを食らわした。
「キュ―――ッ!」
『クアアアッ!』
 決死の攻撃は見事クリティカル。嘴からこぼれ落ちたアリアの髪飾りをすかさず口でキャッチし、そのままゴロゴロと屋根を転がり落ちる。
 死んでもこの髪飾りは離さない。大好きなアリアの笑顔を守るため、絶対に離すわけにはいかない。
 ヒューイは空中でうまく体を捻って大地に足から降り立つ。上空で悔しそうな目をする烏を一瞥し、
「キューキュッキュルー」
 大したヤツだったぜ、お前はよ、と言ってその場を去る。
『カアアッ!』
 お前こそ真の漢だよ、と烏がヒューイに告げる。その言葉に、ヒューイは耳を揺らした。
 ミッションコンプリート。
 ヒューイは意気揚々とアリアの待つ宿へと凱旋帰還した。


「ヒューイッ!」
「キュッキューッ」
 宿の一室に戻るとそこには失意のアリアが頬を湿らせていた。大切な物を失った悲しみ、そんな悲しみに暮れるアリアをヒューイは見たくなかった。
 だからこそ思う。自分が挑んだ任務の重大さを。そしてそれを成し遂げた自分の凄さを。
「キューッ!」
「え……? あっ――」
 アリアの口から驚きの声が零れる。ヒューイは口を開いて、犬歯に引っかけたアリアの髪飾り見せて勝利の鳴き声を響かせた。
「ヒューイが……、取り返してきてくれたの?」
「キュッキュルーッ!」
「ありがとう、ありがとうっ」
 暖かいアリアに包まれてヒューイは充実感に満ちた心地を得る。自分は漢として為すべきことをしたまでだ。
「あらヒューイ戻ってたの?」
 ふと部屋の扉が開いてセシリーが顔を出した。その手には大きな紙袋が握られている。
「ヒューイが、髪飾りを取り返してきてくれた」
「あらホント? すごいじゃないヒューイ」
「キューッ!」
 セシリーの賞賛にヒューイは鼻高々。ぴょーんとセシリーの頭に飛び乗り、再度勝利の鳴き声を漏らした。
「頑張ったのね。じゃあご褒美。おやつを沢山買ってきたわ」
「キュッキュルー!」
 セシリーが紙袋からヒューイ用のおやつを取り出し部屋の床に置いてくれた。別に報酬や名誉のために戦ったわけではないが、今はあの凶悪な烏を倒したという勝利の美酒に酔いしれるのもいいだろう。
 ぴょーんとセシリーの頭からアリアの膝元に飛び降り、その後床へと飛び降りる。
 歓喜の瞬間。目の前に広がる極上のスイーツ。素晴らしい勝利に対する神様のご褒美。
 その時だ。
『フニャァ』
 窓の外から聞こえる妙な鳴き声。ヒューイがクイッと顔を持ち上げると――
「キュ、キュゥゥゥ……」
 猫の集団と目が合った。
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