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第五章 アリアとシェド 忘れ物がないかの最終確認を終え、シェドは馬車の乗車席に飛び乗った。 三週間という、比較的長い期間滞在したランバーグの街。それは大きな都市であるため捜索に時間がかかったという理由もあるが、シェド自身がテムルの町で出会ったアリカの父、ギャムルに教わった裁縫技術のいくつかを使ってアリアやシールディアの新しい服飾を作ってやりたかったからだ。 結局のところ満足いく服は出来ず、これ以上滞在を長引かせればニーヴルの耳にひっかかる可能性もあるため、シェドは街をでることを決定した。 「よし、行くか」 手綱を引き、早朝の街を馬車が駆ける。ふと隣を見れば、アリアがまだ眠そうに目を擦っており、荷台へ視線を向ければセシリーとシルヴァランスが口惜しそうに過ぎ去っていく街並みを見つめていた。 「……一昨日の夜、セシリーに聞いた」 しばらく街のど真ん中を走る大きな公道を進んでいると、アリアが呟いた。 「ランバーグはセシリーの故郷だって。シルヴァランスもそうだって言ってた」 「そう言えば前にそう言ってたな」 「それで昔、子供の頃に二人は出会っていたって」 「……それは知らなかったな。そうか、あいつら昔なじみだったのか……」 シェドはセシリーの過去についてはあまり知らない。シェドが組織に身を置いた二年後くらいに組織にスカウトされたらしいが、当時の記憶を探ってもセシリーのことなど微塵も思い出せない。セシリーに限らず他のエインフェリアのことなど、当時のシェドには全く興味がなかった。 その後トラキアの街でセシリーが仲間に加わって以降も、シェドは執拗にセシリーの過去を聞いたりはしなかった。シェドにはシェドの辛い過去がある。同じようにきっと、セシリーにも辛い過去があるのだろうと予想できたからだ。 「道理で仲直りした後のあいつらは妙に仲いいのか……。どうせお互い昔なじみだってことに気づいてなかったんだろ」 「うん、そうみたい。子供の頃に出会っていたことに気づいたら自然に仲直りできたって、セシリー、嬉しそうに言ってた」 わかりやすい仲直りだ。大人ぶって、実際大人であるセシリーだが、意外と夢見がちというか、少女っぽい部分がある。それはきっと、ニーヴルに奪われた過去を取り戻したいと心の何処かで思っているからだろう。そんなセシリーにとって、偶然昔なじみに出会えたという事実がどう影響しているか。それはあの笑顔を見れば一目瞭然だ。 「出会い……か……」 「どうしたの?」 「いや、別に」 シェドの独り言に反応したアリアが小鳥のように首を傾げてシェドを見つめる。そのコバルトブルーの双眸には今、確かに感情という色が見える。 あの時、アリアの瞳には何も映っていなかった。目の前にいたシェドの姿すら。 不思議そうにこちらを見つめるアリア。シェドはそっとその頭に手を乗せ、ぐりぐりとなで回した。子供扱いされたとでも思ったのか、アリアが口をへの字に曲げて眉を寄せた。 「こら、何で嫌そうな顔をする」 「……子供扱い、イヤ」 「なら、くすぐりの刑がいいか? それともほっぺたプニプニの刑か?」 むぅ、とむくれたアリアを見てシェドはからからと笑う。からかえば怒る。当然の反応をアリアが返してくれるだけで、何故か心が温かくなる気がした。 馬車はランバーグの西門を抜けて広い荒野へと繰り出していく。シェドはリスみたいに頬を膨らませているアリアを一瞥してから空を仰ぎ、そっと目を細めた。 思い出せ。あの日のことを。 アリカの前でミゲルと戦ってから一ヶ月後、シェドが組織を抜け出した時のことを。 そして、 シェドが名もない少女と出会った日のことを。 * * * 「はっ……、はっ……」 茶色の髪で風を裂き、漆黒の衣服で身を包みながら、シェド=ガンブレイブは廃墟を駆けていた。 かつてアルトレア大陸でも有数の軍事国家だった場所のなれの果て。倒壊した石造りの建築物が所狭しと並び、砂漠から流れ込む砂風で辺り一面、まるで荒野のように砂に覆われている。繁茂している植物も、背の低いサボテンなどばかり。所々には、魔物か動物の骨も転がっている。 「はっ……、はっ……」 背後から迫る複数の足音。おそらくはシェドを殺すために組織が放った追っ手だろう。 シェドが数日前まで所属していた組織、それはアルトレア大陸のほぼ全土を支配するトルメキア王国の皇室と裏でつながりのある裏組織であり、世界を影から操るような闇の組織だ。 追っ手の数は軽く二十を超える。足音を聞く限り、そこまで訓練されたエンフェリアと呼ばれるエリートではない。だがシェドが持つハンドガンのマガジンには限りがある上、腰のホルスターに収めた、回転式の白銀に輝く拳銃に詰められるカートリッジも多くない。 戦闘をすれば容易に勝てる相手とはいえ、今は無為な戦闘を極力避けるべきだ。 シェドは額にうっすらと汗を滲ませながら、黒江の瞳で右の腕に巻き付く金のブレスレットを見つめた。腕輪には朱、蒼、白の三つのジェムが埋まっている。 人間の体内に眠る魔力を引き出し、そのトリガーとなるジェム。シェドは数少ないジェム使いであり、そして確認されている限りただ一人全属性のジェムが使える人間だ。 全属性のジェムを同時に使えば特殊な力も発揮出来るのだが、今は手元に三種のジェムしかない。先日、シェドが組織を去ることを決意する理由となった任務で、上官との激しい戦闘の際に多くのジェムが魔力を失って砕け散ってしまったからだ。 荒れ果てた廃墟を影から影へと縫うように駆け抜け、シェドは時折後方の気配を窺う。まだ執拗にこちらを追っており、こちらを見失った気配はない。雑兵とはいえ、流石は組織の兵士と言うべきだろう。元エインフェリアであるシェドと比べれば雑魚のようなものだが、それでもトルメキア王国の正規軍以上の力を個々は持っている。 「はあっ……、はあっ……。――っ!?」 突然シェドの周囲の空気が変わった。凪がれる風が、ザラリとシェドの肌を撫でながら脇をすり抜けていく。 直感的にシェドは動いていた。 気配。しかも後方から追ってくる連中とは桁違いの実力持った何者かが、すぐ先に居る。 シェドがハンドガンを握る手に力を込め、銃口を持ち上げた瞬間―― 「っ!?」 「…………」 シェドの前に銃口が向けられる。同時にシェドの銃口も相手の頭部へ向けられていた。 廃墟の中をザラついた風が吹き抜け、シェドの髪を揺らす。そして突如として現れ、シェドに銃口を向ける人物の髪も風が撫でるように靡かせている。 淡い桃色の髪。乱雑にカットされたショートボブを風に揺らしているのは、冬の寒空みたいなコバルトブルーの双眸を携え、感情という言葉を失っているかのように無表情のまま佇む、幼い少女だった。 少女の身を包むもの、それは数日前までシェドが在籍していた裏組織の女性用制服だった。襟付きの濃い緑色のジャケットの下に白のブラウス。長いスリットが入ったジャケットと同じ色のミニスカートの下に黒のスパッツを穿き、どことなく軍服に似ている。そんな制服の子供サイズを身につけた小柄な少女は、感情という色のない瞳を瞬きさせず、じっとシェドを見つめていた。 互いに銃口を相手の頭部に向けてトリガーに指をかけながら、どちらも引き金を引かない。それはすなわち、先に動いた方が急所を外され、カウンターで致命傷を受けるという局面を意味していた。 だがシェドが動けなかったのはそれだけではなかった。目の前で銃を突きつける少女。そのあまりに現実離れした精巧な顔つきに、思わず言葉を失って見入っていた。 こんな少女が組織の追っ手かと一瞬シェドは戸惑ったが、すぐさま甘い考えを払拭し、相手を敵として認識し直す。 シェド自身、組織に入ったのはまだ十歳の時だ。目の前にいる少女くらいの年齢の兵士が居たとしても何らおかしくない。 「居たぞっ! あそこだっ!」 「――ちぃっ!」 男の声にシェドはハッとする。見れば少女の後方から複数の影が迫っていた。足の運びを見る限り、かなり訓練を積んだ者だと推測できる。両サイドから囲まれたのかと、シェドは舌打ちして少女を睨め付ける。その時、 「……あなたも逃げているの?」 おもむろに少女が口を開いた。外見通りの高い声音に、表情と同じく感情という音は乗っていない。 「……え? あなたも……って……」 シェドの視界に少女の後方より複数の影が現れる。砂煙の向こうでうっすらとした確認できないが、現れた連中はみな口々に何かを叫びながらライフルを構え、その銃口がシェドではなく少女の背中を捕らえていた。 「――っ!」 反射的にシェドは目の前の少女を無視し、相手が何者なのかわからぬまま、銃口を持ち上げて少女の後方から迫っていた連中に乱射した。渇いた銃声と共に空薬莢が排出され、砂塵の向こうで鮮血が爆ぜてうめき声と共に男達が大地に倒れ伏せる。 「……っ、今度は後ろかっ!」 背後に気配。こちらはシェドを追っ手きた組織の人間だ。シェドがすかさずマガジンを入れ替えて踵を返そうとした瞬間―― 「ぐはっ!」 シェドの後方から男の悲鳴が木霊した。見ればシェドの目の前に立っていた少女が銃口をシェドの後方へ向けており、銃口より白い煙が空へ上っていた。 「……お前……」 「ここだっ! 全員呼び寄せろっ!」 「ちっ! 次から次へと! ――なっ……!」 シェドが少女を見つめるのも一瞬、次の瞬間にはさらに複数の気配がシェドの後方、そして少女の後方に飛来していた。砂煙が収まり、少女の後方より迫る連中の姿を見てシェドは思わず驚きの声をもらす。 現れた男達は皆シェドと同じ漆黒の衣服に身を包んでいた。そしてそれが、組織がエンフェリア以外の下級兵士へ支給される衣類であることを、シェドは当然知っている。 「お前も組織に追われているのか……?」 シェドが驚愕の表情で少女を見つめると、少女はシェドの後方へ警戒の視線を送ったまま小さくコクンと頷いた。 まさか目の前の少女も組織に追われているのか。もしそうなら何故なのか。 その答えをシェドはすぐに思いつく。自分と同じだ。互いに銃口を向け合って、少女が身を包む制服通りの並の兵士でないことくらいすぐに理解した。その意味するところ、それはおそらく少女もシェドと同じエンフェリアであり、そして何らかの理由があって組織を逃げ出したのだろう。 「お前も元エインフェリアなんだろ? 階級は?」 シェドは、元、にアクセントを置いて尋ねる。少女は一瞬の間の後、 「……A」 と、小さく答えた。 「よし。背中を任せるぜ? いいな?」 シェドの言葉にもう一度少女が小さく頷いた。それを見てシェドは踵を返して少女に背を向ける。すると視界に続々と湧いて出たように組織の兵士達が現れた。 本当なら残弾を考慮して戦闘は避けるべきだ。だが今シェドが逃げ出せば、目の前の少女は双方の追っ手を一人で負うことになる。シェドの中の何かがそれを許さなかった。 弾薬など相手を倒して奪えばいい。ただそれだけだと言い聞かせ、シェドは足に力をいれる。 「行くぜっ!」 シェドが大地を蹴ると同時に少女の気配も後方へ去っていった。シェドは後ろ髪を引かれるような思いを抱いたが、決して振り返らず、目の前の敵に集中する。 少女はAと答えた。数少ない、組織の中でもエリートであるエンフェリア。シェドはその中で最上位であるS級であった。そしてAはそれに続く上位階級。その実力は一般兵士の及ぶところではない。 シェドは廃墟に銃声を響かせる。渇いた銃声と共にシェドを追っていた兵士の頭が爆ぜて周囲に脳漿がぶちまけられる。しかし仲間を失っても動揺しない兵士達が一斉にシェド目掛けて銃を乱射し、シェドは廃屋の壁を利用しながら敵の攻撃を難なくかわす。 ジェムに意識を注ぎ、銃弾に魔法を付加する魔弾を使えば話は早い。だがこれからもずっと組織の追っ手から逃れ続けることを考えれば、安易にジェムの魔力を浪費するのはまずい。今は出来る限り省エネで敵を殲滅するしかない。 シェドは意を決して敵の死角から飛び出し、十人以上は居る敵陣のど真ん中に降り立った。虚をつく形で飛び出した後、瞬く間に二人の兵士の頭部を銃弾で撃ち抜く。 「撃てっ! 撃てぇぇぇっ!」 「うおおおおっ!」 兵士達ががむしゃらに銃を乱射してくる。シェドは自分を取り囲む敵全員の銃口の角度を把握しながら的確に攻撃をかわし、シェドの身をかすめ飛んでいった銃弾が敵の体に被弾して鮮血を迸らせる。 「ぐはっ! ……ぐっ、間合いを取れっ!」 リーダー格の男がそう命令する前に同士討ちで三人の敵が大地に倒れた。シェドは散開するのを阻止するため、倒れた兵士からアサルトライフルを奪い、狙いを定めて乱射した。 「くっ! 今だっ!」 「……っ」 男の指示の元、兵士達が一斉にトリガーを引き、四方から銃口が火を噴く。マズルフラッシュと共にライフルの弾丸がシェド目掛けて襲いかかり、シェドは腰を落とす。 ここで上空に跳躍すればそれこそ相手の思うつぼ。四方からの銃弾を回避するには上空しかなく、敵がそれを狙っていることくらいシェドは十二分に理解している。 シェドの類い希な動体視力を持ってすれば銃弾くらい容易にかわせる。いや、正確には先程からずっと敵の銃口には細心の注意を払っていたからであり、わずかなマズルフラッシュのラグをシェドは見逃さなかった。 それこそ機械的にまったく同じタイミング、正確な角度で乱射されれば逃げ道は上空しかない。だが相手が人間である以上、それはない。 シェドは銃弾の嵐を柳のようにかわしつつ、一人の兵士へ一気に間合いをつめた。同時に拾い上げたサブマシンガンで兵士の頭部を撃ち抜き、背後から迫る銃弾を左手に握り直したハンドガンの銃身で弾く。 実力の差は明らかだった。ものの五分でシェドは追っ手十数人を殲滅し、シェドが一息つく頃には屍が累々と大地に横たわっていた。 「……あいつは……」 ふと顔を持ち上げ、はるか向こうでの戦闘を見やる。シェドの視界に、まるで踊るような華麗なステップで敵を翻弄する少女の姿が映り、同時に身悶えながら大地に伏せる兵士達の姿が映った。 「問題なさそうだな……。しかし……」 一体少女は何故、シェドと同じく組織を抜け出したのか。それも疑問の一つだった。だがそれ以上に不思議だったのは、追っ手の数がシェドよりも少女の方が多いことだ。 階級はシェドの方が上だった。そして少女の戦いぶりを見る限り、実力もシェドの方が上だろう。なのに何故、組織は少女へシェド以上に多くの兵士を割いたのか。 シェドはしばらく少女の戦いぶりを傍観した後、死体から弾薬や武器、携帯食料を奪って少女のもとへゆったりと歩を刻んだ。 渇いた銃声が最後に三度なって、廃墟に再び静寂が訪れる。いや、耳を凝らせば周囲からは男達の悲痛な呻き声が繰り返し零れていることに気づく。 敵に向けていた銃口をおろして小さく息を吐いた少女。シェドはその小さな背中を見つめながら間を詰め、倒れ伏せている三十人は居るであろう組織の兵士達を見渡した。 「殺してねえのか?」 「…………」 シェドの問に少女は何も答えない。無言のまま振り返って、その蒼い瞳で淡々とシェドを見つめてきた。 「ま、どうでもいいけどな」 シェドは少女に微笑みを残し、先程と同様に兵士達から弾薬や薬、食料を奪う。抵抗する者には銃口を向けて殺そうとしたが、何故か少女がわずかに表情を歪めるのを見て、腹部に一発蹴りを叩き込むだけに抑えた。 どうやら少女は敵を殺すことを嫌っているらしい。元エンフェリアでありながら敵を殺すことを躊躇うとは、その辺りに少女が組織を抜けた理由があるのかもしれない。 「これでよし。思ったより豊富だったな」 皮のバッグ二つ分びっしりと弾薬やら携帯食料やらを詰め込んで、シェドはのっそりと少女の元に戻っていく。少女は相変わらず無表情のまま、見上げるようにシェドを見つめていた。 「これからお前はどうするんだ? この滅びの街を抜けるのは今日中には無理だし、俺はもう少し南西に移動した場所で一夜を明かすつもりだが」 「…………」 少女に反応はない。見れば両手に握った二丁のハンドガン以外に持ち物はなく、食料や予備の弾倉を持っている気配すらなかった。 無計画で、とにかくがむしゃらに組織から逃げてきた、そんな感じだ。いや、がむしゃらというと必死な顔つきで抜け出してきたイメージがあるが、目の前の少女はそんな表情を微塵も見せない。 まだ十歳前後の幼い少女だ。いくら元エインフェリアとはいえ、戦闘術以外においてはほとんど何も考慮できなかったのだろう。 髪はぐしゃぐしゃ、頬も少し痩けている。どうせ組織を抜けてから一度も風呂に入っていないだろうし、もしかしたらまともな食事も取ってないのかもしれない。 「まったく。女の子なんだから、ちったあ身だしなみに気を遣えよな」 シェドは独り言のように呟き、少女にそっと一つの鞄を差し出した。少女が眉をピクリと動かし、しかし何も聞かずにシェドを見つめ返す。 「取りあえず、今日のところは俺と一緒に行かねえか? どうせ満足に飯も食べてねえ上、予備の弾薬だって持ってないんだろ?」 「…………」 少女の口から言葉は出てこない。考えてみれば、最初にシェドが自分と同じ逃亡兵なのかという質問と、エインフェリアの階級を答えただけで、それ以外の言葉を聞いた覚えがなかった。 やれやれとかぶりを振って、シェドは無理矢理少女に鞄を持たせる。依然睨むような上目遣いでシェドを見上げる少女は、鞄を両手で抱えながらその場に佇んでいた。 「いいから付いてこいって」 シェドはそう言って歩き出す。しばらく動く気配のなかった少女だが、シェドが数メートル進んだところでようやく小さな歩幅で歩を刻みだし、後方の気配をうかがうと、どうやら付かず離れずシェドの背後二メートル前後の位置をキープして追従しているようだ。 面倒くさそうなヤツだと毒づく反面、シェドは何故か少女を放っておけない。それは言葉に出来るほど確立した感情を伴うわけではなく、ただ漠然とした思いだった。 シェドがふと足をとめて振り返ると、少女もピタッと歩みを止めてシェドを見つめてくる。そしてシェドが歩き出せば、再び後方から小さな足音がテンポよく聞こえてくる。 これが始まりだった。 シェドと、そして後にアリアと呼ばれる少女の物語の。 日が暮れて世界を闇が覆い、シェドは少女と共に廃屋の一つに身を寄せ、薪に火を灯してボンヤリと薄暗い部屋に二人で佇んでいた。 砂風でぐしゃぐしゃの桃色の髪。感情のないコバルトブルーの双眸。小柄で色白の四肢。表面上は砂埃で汚れてはいるものの、その中身は精巧なビスクドールのように整った顔立ちの少女。 そんな少女は、一言も口をきかず黙ってシェドに付いてきて、黙って部屋の一角に腰を下ろした。 シェドは何度か少女に声を掛けようとしたが、結局いい言葉が見つからず、黙々と回収した弾薬やらの整理をしていた。 敵から回収した銃はアサルトライフル、サブマシンガン、ハンドガンなど多岐にわたる。ハンドガンのマガジンはそのまま利用できるし、サブマシンガンも複数の敵に囲まれたときのためとっておく。アサルトライフルだけはかさばるので、弾倉の弾を一発一発取りだして、互換のある白銀銃用として別途保管しておく。 シェドはふと、こちらを黙って見つめる少女を見つめた。ちょこんと据わったまま微動だにしない少女。こちらが声を掛けなければ、いつまで経っても同じ姿勢でシェドを見つめていそうな空気がある。 「ほら、お前のハンドガン貸してみろ」 「…………」 反応のない少女にシェドはやれやれと歩み寄り、んっと手を出す。しばしシェドを見つめたまま微動だにしなかった少女は、おもむろに腰のベルトに括り付けた二丁の拳銃をシェドに手渡す。 シェドは受け取った銃を取りあえず床に置き、代わりに鞄から携帯食と水を取り出す。追っ手から奪ったもので、シェドは二人分を鞄から取りだして少女の前に置くと、少女に目配りしてから少女の銃を拾い上げる。 勝手に食べていろ、目でそう言っておいた。 少女の前に食料を置いた後、少し離れた場所で先程から行っている銃器の整理を再開する。少女の持っていた銃を見れば、遊底の合間には小粒の砂が詰まっており、マガジンを外して振ってみればシャカシャカと砂の音がした。まったく手入れされていない。 おまけに銃身は相手の銃弾を弾いたのであろう、幾多の弾痕が残っていた。このまま使い続ければ銃身が曲がり、同時にスライドが詰まって空薬莢の排出がうまくいかずにジャミングの恐れもある。最悪、暴発する可能性も考えられる。 持っていた器具で少女の銃を解体し、出来る範囲で修復する。とは言っても、実際できるのは詰まっている砂を取り除いたり溝を拭うくらいなのだが。 そして案の定、マガジンの中身はほぼ空っぽだった。予備の弾薬を持っている気配もないので、シェドは敵から奪ったハンドガン用のマガジンを四つ取りだしてハンドガンに添えた。それらを持ち上げて少女の居る場所へ戻る。 「んな――っ」 少女が腰を下ろしている場所へ戻ると、シェドは思わず驚きに顔を歪めて声を漏らした。 二人分用意しておいた携帯食が両方とも空っぽになっている。少女は平然とした面持ちのまま、色のない表情でシェドを見つめていた。 「お前、二人分食ったのか?」 「…………」 シェドの問に少女がコクンと首を縦に振る。 確かに少女の前に置いたが、当然シェドはそれを自分と少女の二人分と考えて置いたわけだ。何とまあ、よほど腹が減っていたのだろう。 軽くため息をついてシェドは少女にハンドガンを返した。同時に予備の弾倉も手渡す。その時、少女が申し訳なさそうに眉根を寄せて少しだけ表情を曇らせた。 ほとんど無表情と変わらない。けれど確かにシェドの目には少女が表情を曇らせたように見えた。いや、実際そうなのだろう。そしてその理由を何故かシェドはすぐに思いつく。 「別に気にするな。食料はまだ沢山残ってる。……腹減ってたんだろ?」 「……うん」 何時間ぶりだろう。少女が再び、たった一言ではあるが口を開いた。それだけでシェドは言いようのない気持ちを抱く。 シェドは微かに曇ったままの少女にカラッと笑いかけ、鞄を引き寄せて中を探った。 「どうせ組織を抜け出してから満足に飯食ってないんだろ? 沢山奪ってきたからな、まだまだマズイ携帯食でよければ残ってるぜ。……もっと食うか?」 鞄から取りだした携帯食を顔の横でぶらぶらと揺らしながら、シェドが白い歯を剥き出しにして笑いかけると、しばらく躊躇するようにシェドの目を見つめ返した後、少女は首を縦に振った。 「よし。ほらよっ」 シェドはさらに二人分の食料を少女に手渡し、自分用に一人分の携帯食を取りだした。 手渡された食料とシェドを交互に何度か見つめた後、少女はまた黙々と食事を始めた。 シェドはマナーもへったくれもなく食事をがっつく少女を見て頬を緩め、味気ない食料を口へ運んだ。 結局その晩、少女は大人五人分の食事を完食した。 食事を終えた後、廃屋の一室でたき火を挟んで向かい合うように腰を下ろしたまま、シェドと少女は互いの顔を見つめていた。 「俺はシェド=ガンブレイブ。お前は?」 どれくらい時間が経ったのか、もう覚えていない。取りあえずシェドは、まだ互いに名前すら知らないということ思い出してそう切り出した。 「…………」 少女が首を左右に振る。傷んだ桃色の髪が揺れ、瞳の奥に僅かながら悲しみの色が映ったような気がした。 「……そうか、じゃあコードネームは?」 少女は名前がない。それが意味するところをシェドはおおよそ予測できる。それは幼い頃、物心ついてすぐに組織へ連れて来られたために自分の本当の名前を知らない、いや思い出せないのだろう。組織ではコードネームで呼ばれるため、真名がなくとも困らない。 「…………“無垢なる獅子”」 かなり長い間をおいて少女はそう口にした。その表情に深い悲しみが見え隠れするのはシェドの思い過ごしだろうか。無表情と殆ど変わらないとはいえ、空気を伝ってシェドの心を揺らす何かが少女の表情から滲み出ている。 イノセント・レオ。そのコードネームを耳にしてシェドは内心かなり驚いていた。 組織を抜ける直前に知った、組織のトップが裏で進めているという計画。その中核を為すのが“天使”と呼ばれる存在。一介のエインフェリアであるシェドの耳にはほぼ何も入ってこないはずの情報。それをシェドが耳にしたのは偶然と言っていい。そしてそんな天使に関わる情報の中、“無垢なる獅子”なる言葉をシェドは記憶している。 だからシェド以上に少女の追っ手が多かったのかと気づき、同時に自分のコードネームを口にしたときの少女の悲痛な面持ちがシェドの心を揺らす。いや、勝手なシェドの勘違いかもしれない。普通の人間から見れば、少女の表情は出会ったときから一ミリも変化していないように見えるはずだ。 シェドは少女を内心でレオと称することにするが、決して口には出すまいと思った。 「お前は何で組織を抜けようと思ったんだ? しかも無計画に、何の準備もなく飛び出して来るなんて、無謀だぜ?」 「…………両親に、会いたいから」 間をおいてレオが答える。そしておもむろにジャケットの胸元に手を突っ込み、古びた時計を取りだしてギュッと強く握りしめる。その不可解な行動に疑問を持ちながらも、シェドは何も口を挟まなかった。 ペンダントのようにレオが首から提げている時計。ただの時計にしては少し形がおかしい気もしたが、深く追求することはしない。 「そうか。お前は俺と違って、自分から組織に来たわけじゃなさそうだもんな」 「…………」 レオがシェドを見つめる。 「俺か? 俺はまあ、何て言うかな、組織での生活に嫌気が差したって感じだ。何となく生きて、何となく人を殺す。そんな生活に疑問を持って、何処にあるとも知れない、生きる目標というか、生きがいに出来そうなモンを探したいと思ったんだよ」 尋ねられたわけではないが、シェドは自分を見つめるレオに笑みを見せながらそう語った。すると少しだけ驚いたように、レオの瞳がわずかだけ大きくなった、ような気がした。 「そう言えば昼間、お前は追っ手を誰一人として殺さなかったな」 「…………もう、誰も殺したくない」 「そうか。ま、その方がいい。お前は俺と違ってまだ十分やり直しが利く年齢だ。これからは手を血に染めず、真っ当な道を進んだ方がいいだろ」 「…………」 サファイヤのように煌めく双眸の奥に何があるのかシェドにはわからない。けれど、レオの心が表面上の顔みたいに感情無い無色透明でないことは確かだ。喜怒哀楽。その中の哀しかまだ読み取れないが、きっとレオの中にはちゃんと感情というものがある。 ただ忘れているだけ。ただ封印されているだけ。それはおそらく、組織の犬として感情に蓋をしていた頃のシェドと同じで、表に出てこないだけだ。 「さて、今日の所は早く寝ろ。どうせこの数日ろくに睡眠も取ってないんだろ? 俺が寝ずの番をしてやるから、今日くらいは熟睡して疲れを癒すんだな」 無言のままレオの瞳が揺れる。シェドは穏やかな笑みを返し、気怠く頭を掻いた。 しばしシェドを見つめていた後、レオがそっと、チェリーのような小さくてピンク色の唇を開き、 「ありがとう」 そう言って横になった。 ありがとう、か。シェドは心の中でそう呟く。 世界を影で操る組織。その組織は世界だけでなく、多くの人間を狂わせる。それは組織の外部、そして内部の人間も同じだ。 シェドもその一人だった。あの日あの女性に出会うことがなければ、今もシェドは組織の犬として狂った歯車の中で踊り続けていただろう。 そしてきっと、目の前ですぅすぅと寝息を立てるレオも、何かのきっかけがあって組織を抜ける決意をしたはず。それまでの組織で過ごしたレオの生活を予想し、シェドは人知れず奥歯を噛みしめる。 寝顔はまだまだ親の愛情に飢える少女そのもの。両親に会いたいと口にした時のレオは、例え誰の目にも無表情に見えるかもしれないが、シェドの目には今にも泣きそうな顔に見えた。 「お母さん……」 レオの寝言。瞳にうっすらと涙を滲ませ、キュッと体を縮ませて震えるレオに、シェドは自身の上着を脱いで毛布代わりにする。 パチパチと鳴り続くたき火の音を聞きながら、シェドは壊れた窓の外に浮かぶ星空を見上げて再度、大きくため息を漏らした。 結局一睡もしなかったシェドだが思ったほど疲労感はない。途中何度か仮眠も挟んだし、もともとジッと動かずにいるだけで肉体的な疲労を回復する術は知っている。 ひび割れた廃屋に朝日が差し込み、鳥の囀りが微かに響いてくる。荒野の真ん中にある荒れ果てた廃墟とはいえ、そこに住まう動物たちは存在していることをアピールするかのように。 「…………ん」 小さな呻きと共にむくっとレオが身を起こした。久しぶりに熟睡したのだろう、寝ぼけ眼を擦りながら、スローモーションのようにゆっくりと首を動かして周囲の様子をうかがっている。 「おう、よく眠れたみたいだな」 「……うん」 シェドがニカッと笑いながら問いかけると、言葉を伴ってレオが小さく頷いた。「それは何よりだ」と口にしながら、シェドは昨日と同じ携帯食をレオの前に差し出す。昨日は五人前をぺろりと平らげたが、今日は一人分で十分だろう。 昨日ほど警戒せずに、レオはシェドの手から食料を受け取って小さな口でモグモグと咀嚼し始めた。昨日あれほど目一杯広げていた口も、今日は小さく開いてゆったりと食料を口に運んでいた。 「それで、お前はこれからどうするんだ?」 「…………」 口をもごもごさせながら、レオは首を左右に振った。何も決めていないという意思表示だろう。 何の考えもなしに組織を飛び出してきたのだろう。きっと、それほど親に会いたいと思う気持ちは切実で、強いものに違いない。 「んまあ、俺も別に当てがあるわけじゃねえが……」 無計画なのはお互い様か、とシェドは内心自分を皮肉った。 シェドも一ヶ月ほど前の任務で偶然知り合った女、アリカに言われ、この世の何処かにあるであろう自分の生きる目標、生きがいにできるものを見つけたいという欲求に駆られ、いてもたってもいられないという勇み足で組織を抜け出したが、いざ抜け出した後、さてどうしようかという状況だった。無計画さではレオと良い勝負だ。 「取りあえずお前は親探しをするんだろ? 何か手がかりあんのか?」 「……これ」 レオは昨日、大事そうにギュッと両手で包んでいた時計を胸元から取りだした。見せてくれるのだと判断し、シェドはレオからその時計を受け取る。 「これは……、魔練器時計か? ん……」 裏面をパカッと開くと、そこには二つの小さなジェムが埋め込まれていた。 魔練器とはジェムに籠められている魔力を強制的に取りだし、それを動力として様々なことに魔法の力を応用するものだ。時計といえば一般的にはゼンマイを回して動くのだが、魔練器時計はジェムから吸い出す魔力で時を刻む。 しかし不思議なのはジェムが二つ埋められていることだ。片方は動力源のサンダージェムだが、もう片方は何種類かの属性が混じった、俗に言うジャンクジェムに見えた。他の属性が混じってしまったジェムは動力源として役に立たない。 「……基盤の裏」 「裏? ……っと、これを外せばいいのか?」 レオに言われたとおりジェムが埋め込まれている基盤を外すと、そこには古ぼけた小さな写真がプリントされていた。よく見れば、まだ五歳くらいの幼い少女が誰かしらと手をつないで笑っている。少女の手を握る相手は写真の中に収まっていなかったが、どうやら女性の手のようだ。 「なるほど、確かにこれはお前みたいだな。じゃあ手を握ってる相手は母親か」 コクンと、レオは頷く。 「だがこれだけじゃあ、お前が何処の誰かまではわからねえな」 「…………」 シェドは何の気なしに思ったことをそのまま口にすると、レオは俯き加減に視線を落とし、キュッと唇を噛みしめていた。シェドは自分の失言を呪い、慌ててフォローする。 「ま、まあ写真があるわけだし、色んな街で聞き込みすれば何かしら手がかりが得られるんじゃねえか? な? だからそんな落ち込むなよ」 「……うん」 「よし。じゃあどうせ俺も一旦街に出ようと思っていたしな、取りあえず一緒に最寄りの街まで行かねえか?」 シェドの提案にレオは一瞬間をおいてから頷いた。 シェドが首を縦に振ったレオを見つめて少し頬を緩めた瞬間―― 「……っ!」 レオの瞳が大きく見開かれ、同時にシェドはレオを抱きかかえて前方に大きく飛んだ。 凄まじい爆音と共に廃屋の一室が閃光に包まれ、巨大な炎が舞い上がった。 「ちいっ!」 もう少し反応が遅れていたら敵の攻撃で一網打尽だ。投げ出されるように廃屋から飛び出したシェドは大地に降りたってレオを離し、すぐさま昨日敵から奪ったサブマシンガンを右手に構える。シェドの隣でレオも両手にハンドガンを構え、キッと向かいの半壊した建物の屋上へと視線を送った。 逆光を受けて悠然とシェド達の前に立つ三つの影。シェドが目を細めながら注意深く相手を窺っていると、 「アハハッ! 外れだよ馬鹿っ! だから言っただろ、スピカの豆鉄砲じゃ“無垢なる獅子”は殺れないって!」 甲高い、しかも幼い少女の声がシェドの鼓膜を揺らした。 「……狙いは完璧だった。でも相手の反応速度が高かった。ただそれだけ」 「そうですねぇ、スピカちゃんの狙撃は正確だったと思いますよぉ。それよりバーバラちゃん、レミネーラ様は“生かして”捕らえろとおっしゃっていましたよぉ?」 「ハンッ! だったら両手両足ぶっ飛ばして首と胴体引きずってきゃ文句ねぇんだろ?」 三者三様の声と言葉遣い。だがすべてに共通しているのが、声を聞く限り皆幼い少女だということだ。 シェドは右手に銃を握ったまま左手で目陰を指す。立っていたのは三人、十歳前後の少女達だった。 レオと同じように両手に一丁ずつ拳銃を構える赤い短髪の少女。紺色のワンピースに白いスカーフを巻き、頭に蒼いリボンの付いた白い帽子をかぶっており、その表情は嬉々としていた。にやりと小悪魔的に口角をつり上げ、亜麻色の瞳がシェドを、いや、レオをジッと捕らえている。 そしてその隣で自分の身長を優に超すロングショットも可能なスナイパーライフルを構え、肩まで伸びた緑色の髪を砂風に揺らす少女は、瑠璃色の瞳で虚空を見つめている。 赤い髪の少女を見つめて爛々と笑みを浮かべているのは、シェドが敵から奪ったのと同じ型のサブマシンガンを握る水色の髪をした少女。瞳も髪と同じ淡いブルーで、朗らかな笑みと正反対に外見はとても冷たい印象を与える。 「……エンフェリアか? しかもあいつは……」 シェドはスナイパーライフルを握る少女へ視線を向ける。そして銃口の上に埋め込まれた朱色のジェムを見つめ、小さく舌打ちした。 先程の奇襲攻撃。シェドは手榴弾か何かだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。あれはシェドが使う“魔弾”と同じ。おそらくあの少女は、銃弾に魔法を付加できる。 「厄介だな」 「…………」 レオは微動だにせず身構えている。すでに臨戦態勢。組織で培い、そして体に染みついている戦場で生き残るための術だ。 「ほらほらぁ、バーバラちゃん、相手さんもしっかり戦闘態勢整えたみたいですよぅ?」 「うっせーな、ラズベリー。そんくらい見りゃわかる!」 水色の髪をした少女が楽しそうに話しかけると、バーバラと呼ばれた赤髪の少女はキッと話しかけた少女を睨み、そして屋上からレオに銃口を向けた。 「おい、“無垢なる獅子”! 俺達が何で寄越されたかわかってんだろーな! 大人しく捕まるってんなら、両腕だけで勘弁してやるぜ?」 「……標的確認。ロックオン」 「うわ、馬鹿っ! おいスピカッ!」 バーバラが啖呵を切る脇で、スピカと呼ばれた緑色の髪をした少女がスコープをのぞき込んでスナイパーライフルの引き金を引いた。 シェドとレオは左右に散開し、ゼロカンマ一秒後、シェド達が立っていた場所で凄まじい爆発が起き、爆炎が空へと舞い上がった。 「やっぱり魔弾かっ! だがそこまで威力があるわけじゃねえなっ!」 「……っ!」 シェドの独り言が聞こえたのか、スピカがキッとシェドを睨め付けて再度ライフルの引き金を引いた。真っ向から朱色の輝きを伴って飛来する銃弾をかわし、シェドは少女達がいる建物へ歩を詰めていく。 反対側からはレオが凄まじいスピードで同様に少女達を目指して突き進んでいた。 「面白ぇ! 俺はレオを殺るぜ! ラズベリーは魔弾のおっさんをぶっ殺して来い! あっちはレミネーラ様に何も言われてねえからな、派手に内臓ぶっ飛ばしてやれっ!」 バーバラの指示を受けた水色の髪の少女、ラズベリーが、「わかりましたでーす」と威勢良く手を挙げてバッと建物の屋上から飛び降りてくる。高さにして十メートル近い屋上からスタッと華麗に降り立ったラズベリーが、ニコニコと笑いながらシェドへ間合いを詰めてくる。 「スピカは俺らの援護をしろ! いいなっ!」 そう言い残してバーバラも屋上から大地へ降りてくる。そして直ぐさまレオと向かい合い、銃声と閃光が取り留めなく連続し始めた。 「向こうは派手にやっていますねぇ。私達はどうしましょうかぁ?」 「……一つ聞こう。あいつは、レオは一体どんな存在なんだ? レミネーラはお前達にどんな命令を下したんだ?」 「あははっ。“魔弾”のシェドさんともあろう人がおかしなことを聞きますねぇ? 任務に疑問を持つなんて馬鹿じゃあありませんよ、私達は。“無垢なる獅子”を殺さずに捕らえろ。私が命じられたのはそれだけでーす。まあ、あなたはついでですよぉ」 何も知らされていない。それこそ、レオが組織が裏で進める天使に関係していることを決定づけるとシェドは確信した。 「……やはり、レオは……」 「くふっ! こっちもさっさと始めましょうよぅ!」 バーバラのような嬉々とした笑顔ではないが、ラズベリーの笑みも何処かねじが外れているように狂っていた。 感情が乏しいのも、感情が激しすぎるのも、組織がすべてを狂わせているからだ。 シェドは、狂った人形である自分たちエインフェリアを嘲笑うように真っ赤なルージュで染めた唇を持ち上げるあの女、レミネーラを思い出してグッと拳を強く握った。 「あはっ。言っておきますけどぉ、私達はみんなS級エインフェリアですよ? シェドさんもそうみたいですけど、三対二じゃあ分が悪いですねぇ? あ、それにレオはA級止まりでしたっけ? うふふっ」 シェドはふと目を側めてレオをうかがった。バーバラとレオは互いに中距離を維持して熾烈な銃撃戦を繰り広げている。素早さに於いてはレオが上だが、技術の一つ一つはバーバラの方が上のようだ。これでバーバラがスピカのように何かしらジェムが使えるならば旗色はレオの方が悪い。レオもジェムが使えるのならば別だが。 「おやおや? レオの心配ですかぁ? 大丈夫ですよぉ、レオは殺しちゃ駄目だってちゃーんと命令されてますから。だからシェドさんは自分のことだけ心配して下さいね?」 ラズベリーの笑い声と共に上空から紅蓮の魔弾がシェドの頭部目掛けて迫ってくる。シェドは銃弾を確認するまでもなく左方へ難なくかわし、標的を見失った魔弾が爆音と共に大きく大地をえぐった。 「……俺の心配をしろ、だ? ハッ、冗談は休み休み言え」 「え……?」 シェドはレオを一瞥してから視線をラズベリーへ向ける。白い歯を見せながら、余裕の態度でシェドは仁王立ちした。ラズベリーが一歩、後ろ足を引く。 エンフェリアの階級で言えば確かに少女達とシェドは同じなのかもしれない。だがA級以上の実力者をすべてSで括る格付けで、シェドをどのS級とも同程度だと思ったら間違いだ。 「来ねえのか? なら、こちらから行くぜっ!」 「――っ!?」 シェドは右手に握ったサブマシンガンをぶっ放しながらラズベリーに突進した。 ラズベリーが迫り来る銃弾をすべてかわしながら、シェドと同じサブマシンガンで応戦してくる。互いのサブマシンガンが火を噴き、次々と大地に空薬莢がこぼれ落ちていく。 「はっ!」 時折頭上から襲いかかるスピカの魔弾。だが同じ魔弾の使い手であるシェドにとって、それは確認するまでもなく空気で感じ取ることができる。回避など造作もないことだ。 「おらおらおらっ!」 「ううっ!」 銃弾の嵐を受け、ラズベリーが更に一歩身を引く。すかさずシェドは間合いを詰め、ラズベリーのカウンターを避けながら的確にラズベリーの左肩を撃ち抜いた。 「あああっ!」 「――っ!」 追い打ちを掛けようとしたところで上空からの気配を察し、シェドはバックステップで間合いをとる。紅蓮の魔弾が大地に突き刺さり、朱色の炎が猛々しく燃え上がった。 「くっ、何で、こっちの攻撃は当たらないのです!」 「狙いは完璧だった。何故……?」 ラズベリーが負傷した肩を押さえながら悲痛に顔を歪めており、頭上からスピカの動揺も伝わってくる。 スピードも技もほぼ互角。端から見ていればそう見えるだろう。そして実際、シェドとラズベリーにその点で実力の差はほとんどない。 ならば二人の間で何か決定的に違うのか。それは一言で言ってしまえば勘だ。 シェドはラズベリー達と同じくらいの歳ですでにS級エインフェリアとして戦場に立っていた。そしてそれから十年の間、組織のトップガンとして幾多の死線を越えてきている。それらすべての経験が、シェドと少女達の決定的な違いだ。 相手の僅かな動きでその後の行動が読める。いやそれは読むという行為を必要とせず、勝手に体が敵の攻撃斜線軸から身を離している。一級の暗殺者ともなれば相手の行動を予測して銃弾をかわすことは出来るだろうが、シェドはその予測するという行為を必要としない。紙一重ではあるが、それが分厚い壁となってシェドと少女達を分かつ。 「どうした! さっきの勢いはもう尽きたのか?」 「くぅぅうっ!」 乱れ飛ぶ銃弾を必死にかわしながらラズベリーが睨むようにシェドを見つめた。シェドは攻撃の手を休めず、サブマシンガンの引き金を引いたまま周囲を駆け回った。 「それにお前も! そんな豆鉄砲で俺を倒せるとでも思ってんのか!」 「……っ!」 シェドは白い歯を見せながら屋上のスピカに言い放つ。スピカがキッと怒ったように目をつり上げ、紅蓮の魔弾がスピカの持つスナイパーライフルより飛び出してシェドへ迫ってきた。 「言っただろ! 豆鉄砲じゃ俺を倒せないって!」 難なく魔弾をかわし、シェドは回避行動からそのまま攻撃へと転じる。火を噴いて飛び出した弾丸がラズベリーを襲い、ラズベリーが体勢を崩しながら何とか後方へ飛んで銃弾をさける。 「……一発だけだぜ?」 シェドはラズベリーに対する攻撃を一旦止め、サブマシンガンを大地へ落とした。警戒を強めるラズベリーを尻目に、シェドは腰のホルスターから白銀に輝く回転式の拳銃を取りだし、そのシリンダーに一発だけカートリッジを埋め込む。 「……魔弾ってのは、こういうものだ!」 「――っ!? スピカちゃんっ! 逃げて下さいっ!」 シェドは銃口をスピカに向けて構えるのと同時に、腕輪に埋め込まれた三つのジェムの一つ、朱色のフレアジェムを銃口付近の穴に埋め込んだ。 シェドの全身を紅いオーラが包み、次の瞬間、スピカの放ったのとは比べものにならないくらい真っ赤に輝く一発の銃弾が銃口より飛び出した。 銃弾は一直線にスピカへ迫り、その途中で猛々しい真っ赤な炎を舞い上げる。圧倒的な魔力が籠もった紅蓮の魔弾。これこそがシェドの二つ名の由来。 「あ、あああ……」 唖然と佇むスピカのわずか横をシェドの魔弾がかすめ飛んでいった。弾丸を包む紅蓮の爆風だけでスピカの髪が焼け、肩口の衣服も焼き焦げる。 「わかったか? お前達が束になってかかろうと俺の敵じゃねえってことが」 「……た、たしかに、少し油断していたようですねぇ」 ラズベリーが悔しげに呟く。戦意が著しく低下しているのは火を見るよりも明らかだ。 「ならさっさと引き上げるんだな。俺も無駄な戦いはしたくない」 シェドがそう呟きながら気怠く頭を掻いた時だ。 「あううっ!」 突然、絹を裂くような少女の甲高い悲鳴がシェドの鼓膜を大きく揺らした。 「――レオッ!?」 シェドは思わずガバッと後方を振り返った。あまりに無防備な行動。それをエインフェリアであるラズベリーが見逃すはずがない。 レオがバーバラの猛攻撃を受けて崩れた建物の壁際まで追い込まれている。それをシェドが確認した直後、背後から凄まじい衝撃がシェドを襲った。 「ぐうっ!」 「敵に背中をみせるなんてぇ、あなたも随分甘いのですねっ!」 銃弾ではない。背中全体を鈍器で殴られたような衝撃と共に、凄まじい爆風がシェドの脇を通り過ぎていく。 「くっ! ウインドジェムかっ!」 シェドは前回りに受け身をとりながら体勢を立て直し、レオのことに動揺を隠しきれぬままラズベリーを見つめた。その右手の指にはまったリングが淡いグリーンに輝いている。 「何故かは知りませんがぁ、あなたはレオのことが気がかりみたいですねぇ。なら――、スピカちゃぁん! レオ目掛けてフレイムショットを放って下さぁいっ!」 「……っ」 シェドの反応よりも早くスピカの持つスナイパーライフルから紅蓮の魔弾が飛び出す。そしてそれはシェドではなく、明らかにレオに向けて放たれていた。 考えるよりも先にシェドは動いていた。防御を捨て、目の前のラズベリーに隙を見せることになるとわかっているのに、シリンダーに銃弾を籠めてレオに向けられた魔弾目掛けてシェドも魔弾を放つ。 シェドの魔弾とスピカの魔弾が空中で弾けて凄まじい爆発が起こる。そして同時に、隙を見せたシェド目掛けてラズベリーのサブマシンガンが火を噴いた。 「ぐはっ!」 左腕と脇腹、右の太ももに被弾する。鮮血が爆ぜ、シェドは思わず顔をしかめる。 「あははっ! あなたは一体どうしたんですかぁ? 隙だらけですよぉ?」 「…………」 本当にラズベリーの言うとおりだ。一体シェドは何をやってるのか。極力温存しようと思っていたジェムをこうもあっさり使ってしまった上、格下相手の攻撃を受けるなんて。そしてそんな自分の愚かさを罵りながら、なおも心はレオの安否を気遣っている。 落ち着かない。レオの悲痛な叫びが耳に響くたび、振り返って駆け出したいという衝動に駆られる。 「あああああっ!」 レオの悲鳴が再度シェドの動揺を加速させる。シェドは奥歯を噛みしめ、意を決した。 助ける。何が何でもレオを助ける。 そう心の中で誓ったとき、あの時の記憶が脳裏をよぎった。 アリカを守れなかったあの時。アリカに守られたあの時。シェドは無力だった。 だが今は。今度こそ。 「はあああっ!」 白銀の銃口から紅蓮の魔弾がスピカに向けて放たれる。同時にシェドはラズベリーに背を向けてレオの元へ駆け出していた。 「背中がお留守ですよっ!」 ラズベリーの姦しい声と同時に銃声が木霊し、無数の気配がシェドの後方より飛来する。シェドは風の流れを読み取り、弾丸に背を向けたまますべてをかわした。風に乗って、ラズベリーの動揺が伝わってくる。 「おらおらおらっ! もっとあがけよっ! じゃねーとてめえは、イモムシみてえに両腕両足吹っ飛ばされて大地にへばりつく羽目になるぜっ!」 「くうっ! きゃうっ!」 シェドの視界で、バーバラが狂喜に歪んだ笑みで両手のハンドガンの引き金を引いている。レオは弾丸が尽きたのか、反撃もせず必死に回避行動をとっていた。 再び背後から気配。今度は銃弾ではない。 「終わりでぇすっ!」 「ロックオン完了! 発射!」 背後から迫る風の塊。頭上より迫る炎の弾丸。だがそんなもの、今のシェドにとっては雨粒のようなものだ。気にする必要などない。 背中を鈍器で殴られたような衝撃を受けたが、シェドはそれを反動に変えて前へ進む推進力へ転化する。さらに魔弾でスピカの魔弾を相殺し、同時に昨日敵から奪ったハンドガンを構えてバーバラ目掛けて引き金を引いた。 「くっ! な……、おいラズベリー! てめえ何やってやがる!」 反射的にシェドの放った銃弾を銃身で弾き、シェドに気づいたバーバラがラズベリーを咎めながらシェドに左手の銃をかざした。右の銃はレオを捕らえたままだ。 「ごめんなさいバーバラちゃん! でも大丈夫。その人、レオに首っ丈みたいですからぁ、先にレオを動けなくしちゃえば楽勝ですよぉ!」 「次弾装填完了。標的変更なし。発射!」 「ああそうかい! ならレオ共々、その体に俺の銃弾をぶち込んでやるよ!」 やりたい放題だな、とシェドは冷静に心の中で苦笑した。背後から、ラズベリーが左手に握ったサブマシンガンと共に右手のジェムで空気の塊を飛ばし、屋上からはスピカが魔弾。正面からはバーバラのハンドガンだ。 「シェドッ!」 レオがシェドの名前を呼んだ。それだけで、シェドの中の何かが熱くなる。 なんだ、ちゃんと名前覚えていたのかよ、とシェドは口角をつりあげて不敵に微笑む。 回避は不能。だがシェドはあくまで冷静にすべてを計算する。今すべき事は何か。 シェドは左手に握ったハンドガンをバーバラに向けて一度だけ引き金を放ち、さらに上空に向けて紅蓮の魔弾を放った。そこで足を止め、両面から迫る銃弾をハンドガンと白銀の銃の銃身ですべてはじき飛ばした。 「ぐがっ!」 「レオッ! 受け取れっ!」 「――っ!?」 バーバラの悲鳴に続き、シェドは声を張り上げる。シェドの銃弾はバーバラのハンドガンを弾き、弾かれたハンドガンは弧を描いてレオの手元へと飛んでいった。レオがすかさずハンドガンをキャッチし、その銃口から放たれた弾丸がバーバラの太ももを貫通した。 スピカの魔弾とシェドの魔弾がぶつかって空中で爆発が起こる。シェドはラズベリーの放った空気弾を受け止め、大地を蹴り飛ばして飛翔した。 「なっ!」 「そろそろこっちも疲れたんだ。先に眠っとけっ!」 空中でハンドガンを放ちながら牽制し、シェドはラズベリーのすぐ手前に降り立つ。そして唖然とするラズベリーの懐に強烈な蹴りを叩き込んだ。 「ああああっ!」 「……次っ!」 吹き飛んでいくラズベリーには一目もくれず、直ちにシェドは白銀の銃の銃口を大地につけ、ジェムへ意識を注ぐ。結局魔弾にばかり頼ってジェムの浪費をしているなと、内心毒づきながらシェドが引き金を引くと、紅蓮の爆風がシェドの体を押し上げ、シェドは高く飛翔した。 「……っ!」 「この間合いじゃ、スナイパーライフルは使えないだろっ!」 「がっ!」 スピカの目と鼻の先に降り立ったシェドは、とっさに腰からナイフを抜いたスピカの懐に正拳突きを叩き込む。嗚咽と共にスピカが白目を剥いてその場に倒れ伏せた。 屋上からレオの様子を伺う。レオは倒れたバーバラを見つめたまま微動だにしない。どうやら向こうも片がついたようだ。 シェドが屋上から飛び降りて歩み寄ると、レオがクイッと顔を持ち上げた。互いに満身創痍だが、取りあえず命は無事だ。 「おう。大丈夫みてえだな」 「……うん」 眉根を寄せて悲しげに表情を曇らせるレオ。何度も言うが、シェドの目にそう見えるだけだ。そして何となく、今レオが考えていることをシェドは察することができた。 「大丈夫、殺しちゃいねえよ」 「…………」 「向こうのヤツも、屋上のヤツも。まあ目を覚ますのは当分先だろうし、あばらの二、三本は折ってやったからな。目を覚ましても当分戦闘はできねえだろ」 シェドの言葉を聞いてレオは小さく頷いた。 “もう誰も殺したくない” シェドはその言葉を覚えていた。だからこそ、容易でないとはいえ敵を殺さずに倒したのだ。もしも初めから殺す気でいたのなら、これほど苦戦することもなかった。 レオの思いを守ってやりたい。例え自分ではなくシェドが相手を殺したとしても、きっとレオはまるで自分が殺したかのように自分を咎めるだろう。 「随分服も汚れちまったな……。ん……? 血、出てんのか?」 ふとレオの下腹部辺りに血が滲んでいることに気づき、 「……ちょっとお前、服脱いでみろ」 そう言った。少女とはいえ女である相手に対する、何とも不躾な言葉。だがレオはしばし首を傾げた後、言われたとおり来ている服を脱いで上半身裸になった。 磁器のように白い肌。その脇腹辺りに抉れたような傷があり、ドクドクと真っ赤な血があふれ出ている。おそらくバーバラの銃弾が命中したのだろう。幸い臓器を傷つけた様子はないし、弾も貫通しているようだ。 「動くなよ」 「…………?」 シェドはそっと傷口に右手をかざす。瞳を閉じて、腕輪に埋め込んである白いジェム、ヒールジェムへと意識を注いだ。 淡い光がシェドの体を伝ってレオを包み込んでいく。驚いた様子で自分の傷口を見つめるレオの手前で、傷はみるみる癒えていった。 「これでよし。もう痛い所はねえか?」 しばらく治った傷口を口を半開きにしたまま見つめていたレオが、ふるふると首を左右に振った。 ならばよしとシェドが踵を返したとき、服を着直したレオがそっとシェドの袖口を掴んだ。シェドが見つめると、その宝石のような蒼い瞳を揺らしながら、 「傷……。血、出てる……」 そう小さく呟き、悲しげにシェドの傷口を見つめた。二の腕と脇腹、ふくらはぎ。ラズベリーにやられた箇所から、痛々しく血がにじみ出ている。 「ああ、これくらい大したことねえよ。ヒールジェムの魔力も勿体ねえし、自然治癒するのを待つさ」 「…………」 まるで自分のせいだと思い詰めているようなレオの顔を見て思わずシェドは苦笑する。そして何の気なしに、その桃色の髪をぐしゃぐしゃっと撫で、 「お前のせいじゃねえんだから、そんな顔するなよ」 そう笑いかけた。レオが目をしばたたかせながら、そっとシェドを見上げてくる。 シェドが踵を返して歩き始めると、その後ろをレオがぴょこぴょこと付いてきた。そのまま二人は三人の追っ手をその場に残し、廃墟の中を南西へと歩いていった。 両親に会いたい。ただ、それだけの思いを胸に組織を抜けた少女。 シェドは時折立ち止まって後方を振り返り、自分に追従するレオを見つめた。シェドが立ち止まればレオも止まり、決して並んで歩こうとしない。 シェドはすでに生きていく術を多く学んでいる。だがレオはどうなのか。それはもう、昨日今日のレオを見てわかっていた。レオに、自分一人で生きていく力はない。 たとえ組織の追っ手から逃れられたとしても、そこらでのたれ死ぬのがオチだ。世界を知らない少女が一人で生きていけるほど、世の中甘くはない。 シェドは先程から幾度と無く考えていることをもう一度考える。 レオと共に行くか。 それも選択肢の一つだとシェドは思っていた。目的は違えど手段は同じだ。世界を旅して両親を捜すレオも、世界を旅して自分の生きがいを探すシェドも。 「おい、いつまでも後ろ歩いてないで、ここ来いよ、ここ」 シェドは振り返ってレオを見つめながら、自分の隣の大地を指し示した。だがレオは反応しない。 「……ったく」 面倒くさい相手なのは百も承知だ。それにシェドとてまだ二十歳になったばかりの若造。女の子の世話などできる自信はない。だがそれでも、とシェドは思う。 もし一緒に行くのならば何が必要か。 「うーん……」 「……?」 突然うなり声を上げ始めたシェドをレオが訝しげにのぞき込んできた。問題はすぐに思いついたのだが、答えがなかなか思いつかない。 とても大切なこと。だからこそちゃんと悩む必要がある。答え次第では、レオは決してシェドの同行を許さないだろうから。 ふと脳裏をよぎる朗らかな笑顔。シェドに感情を思い出させてくれた恩人。 「よし! 決まった!」 シェドは高らかと声を上げ、ニカッと笑いながらレオを見つめた。見つめられたレオが小鳥のように首を傾げる。 「名前だよ、名前。お前、本当の名前は思い出せないし、組織でのコードネームは嫌なんだろ? だから、俺が仮にだけど新しい名前を付けてやるよ」 「……名前……?」 「そう! いいか、よく聞けよ」 シェドはわざとらしく間をおいて、ごほんと咳払いをした。 「アリア。アリア=フィルガント。それがお前の名前だ。……どうだ? なかなかいいと思わねえか?」 「アリ……ア……」 少女の瞳が少しだけ大きくなる。 「それでな、アリア」 シェドは少女の反応を待たずに即、少女をアリアと呼称した。アリアという名前をシェドが口にする度、少女の瞳が大きく揺れ動いた。 「俺は自分の生きがいを探すため世界中を旅しようと思ってんだ。アリアは両親を捜すため世界中を回るだろ? だからさ、お前の両親を捜す旅に俺も便乗させてくれねえか?」 理由は後付け。本当はただ、生きていく術も知らない少女を放っておけないというお節介なだけ。 そしてもう一つ、シェドはある人によって感情を思い出せた。だから少女にも掛け替えのない感情を思い出して欲しい。その手伝いをしてやりたいと思った。 「駄目か?」 もう一度シェドは尋ねる。自分に出来る一番穏やかな笑みを浮かべて少女の答えを待つ。 瞳を見開いたまま言葉を失っている少女。シェドはそれ以上何も言わずジッと待った。 どれくらいの間見つめ合って居ただろう。ずっと何か困ったように逡巡していた少女がそっと顔を持ち上げ、 「いい」 そう言いながら微かに微笑んだ、ようにシェドには見えた。 シェドはその時、初めて少女に見とれている自分に気づいた。少女が笑ったらきっとこの上なく可愛いに違いない。それを自分は見てみたいと、シェドは本心から思う。 「……そうか。よし、じゃあ互いの目的が達成できるまでの間、よろしくな、アリア」 「うん」 その日、少女の名前はアリアとなり、シェドはアリアと共に世界を旅することを決めた。 互いの目的が達せられたら自然に消滅する関係だと知りながら、それでも僅かな期間、共に世界を見て回ろうと。 旅の途中、同じ列車に乗り合わせたただの同行者。ずっと先にある別々の駅で降りることを前もって知りながらも、今は共に、同じ景色を見ていこうと。 これが始まり。アリアとシェドの、長い旅の始まりだった。 * * * あの日のことを思い出し、シェドは馬車に揺られながら自然と頬を緩めた。すでに馬車はランバーグの街を抜け、その西に広がる荒野を進んでいた。 そうだった。シェドは自分の生きがいを探すためにアリアの旅に便乗しているだけで、それ以上の感情などないと自分に言い聞かせている節があった。 けれど本当にそうなのか。その答えを、あの日の自分はちゃんと理解していた。 「……俺も忘れっぽいな」 「え? どうしたの?」 「何でもねえ。独り言」 隣でヒューイを抱えたアリアが目をしばたたかせながらシェドの顔をのぞき込んできた。あの日ボサボサだった桃色の髪も、今ではこまめにシェドがカットしている。そしてステンドグラスのような蒼い瞳には、あの日と変わらぬ煌めきがある。 そして何より、アリアは少しずつ感情を表に出せるようになっていた。ずっと心の奥にだけしまっていた感情を、表情として前面に。 「俺が見たかったもの……。それはすぐそこにあるんだよな……」 シェドはそう呟きながら悪戯っぽく笑ってアリアを見つめた。シェドのいかがわしい笑みを見て、アリアが眉を顰めながら少し身を引く。警戒しているらしい。 「ほらほらほらほらほらっ!」 「――っ!? きゃ……うぅ……、あふっ!」 シェドは手綱を手放し、両手でアリアの脇をくすぐった。身をよじりながら嗚咽を零すアリアの表情を見て、シェドはますます攻撃を強める。 そして案の定、 『バチンッ!』 アリアの平手がシェドの頬を打ち、いい音が周囲に響いた。何やってるんだろうな、と思いながらも、シェドは緩んだ頬を引き締めることができない。 「はあっ……、はあっ……」 「あはははっ! 悪い悪い。つい、な」 「…………」 頬を膨らませ、真っ赤になった顔でシェドを睨むアリア。こんな表情、あの時のアリアでは想像もできなかっただろう。 「なあアリア……」 シェドが話しかけてもアリアは俯き加減に視線をヒューイに落としたまま反応しない。ムスッと頬を膨らませたまま、シェドを無視している。 「ほらアリア、ちょっとこっち向けって」 憮然とした面持ちのまま横目でアリアがシェドを見つめてくる。機嫌が悪いとその瞳が訴えている。 「いきなりくすぐったのは悪かった。謝るって。……だから、取りあえず笑え?」 「……?」 何故か疑問形で言ってしまったシェドを見つめながらアリアが首を傾げる。 あの日シェドが思ったこと。何でアリアと共に行こうと思った理由。 「いいから笑えって。俺はお前の笑っている顔が好きなんだ」 「……っ」 シェドはそう言いながら、今度はアリアの頭に手を置いて優しくその髪を撫でた。耳元の髪を編み込んだ鈴付きのリボンを揺らし、宝石が鏤められた薔薇の形を模した髪飾りにそっと触れて前髪をさっと分ける。 思えばもうじき二年が経とうとしている。シェドがアリアと出会い、そして旅に出てから。その間ほぼ一時も離れることなく寝食を共にしていた少女は、あの日と違って大きく成長していた。心も体も。成長期をとうに過ぎたシェドと違い、アリアは一日一日で必ず前へ進んでいく。 しばらくシェドはアリアの髪に手を添えたままアリアの目を見つめ続けた。蒼い瞳をまん丸に見開いていたアリアは、しばらく呆然とシェドを見つめ返し、そして、 「……………………」 笑った。はにかむように、可憐な花のように、見る者の心を暖かくさせる笑み。 シェドも笑う。アリアと共に行こうと思った理由。アリアが笑ったらきっと、いや間違いなく愛らしい。それを見てみたい。あの時思った笑顔が、今目の前にある。 シェドは自分の生きがいが見つかったら旅を止めると豪語している。しかし内心、アリアの聖石を取り除き、ニーヴルの魔の手から守り抜き、世界の敵などと恐れることなく普通で暖かい世界の中で生活できるようにしてやりたいと願っている。 二つが矛盾していることくらいシェドは自覚している。自覚しているにも関わらず、図星を突かれたときに返す言葉に窮する。ミレーヌの父に言われた時みたいに。 「……おかしかった?」 自分から言っておいていつまで待っても反応を返さないシェドに、アリアが恐る恐る尋ねてくる。まだ自分の笑顔に自信がないのだろうか、その表情は怒られる前の子供みたいに覇気がない。 シェドはもう一度アリアの髪を撫でた。 「そんなことない。いい笑顔だ。やっぱ女の子は可愛く笑えなきゃな」 「…………」 「心配するなって。お前の笑顔は世界で一番可愛いよ」 自分で口に出しといて、何言ってんだかと実はかなり内心恥ずかしかった。こんな台詞をセシリーに聞かれた日には、また童女趣味だの、ロリコンだの言われかねない。 でも本心からシェドはそう言った。決して冗談ではない。 これからもっと、アリアの笑顔は可愛くなる。アリアが感情を思い出し、覚えるたびに、その笑顔にも磨きがかかっていく。 そんなアリアの成長をずっと見守っていきたい。その笑顔がもう二度と悲しみに染まるようなことを絶対に阻止したい。 ふと思い出す、かつて立ち寄った街で出会った少女の言葉。 “シェドさんの生きがい。案外簡単に見つかるかもしれませんよ” すべてを見透かしたような、暖かい笑顔でそう言った少女。あの時はまったく理解できなかった言葉だが―― 「なに?」 「何でもねえよ」 アリアを見つめてシェドは思う。 今なら少し、あの少女の言葉が理解できるかも知れないと。 |
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