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第四章 名前 この温もりを感じる心は本当に自分の物なのだろうか。 自分が自分であると感じる心。本当にそんな物が自分の中にあるのだろうか。 自分とは、自我とは一体何処から生まれ、そして何処に行くのだろう。 ふと視線を手元の本から上げて、シールディアはその琥珀色の双眸で夕暮れに染まるランバーグの空を見つめた。 滞在している宿の一室。今はシールディア以外に誰も居ない。 「キュキューッ!」 「ああ、申し訳ない。そなたのことを忘れていた」 まるでシールディアの思考を読んだように、白いふさふさの毛をしたチロルのヒューイが、普段はダラリと垂れている耳をピンと張って威嚇するように声をもらす。 シールディアが謝ると、ヒューイはぴょんとシェドが作ったフリフリの黒いドレスを身に纏うシールディアの膝に乗って、身を丸めて動かなくなった。シールディアはそっとヒューイの体を撫でながら頬を緩め、再び視線を窓の外に映る紅の空へ向ける。 夕暮れ時の空を見ていると、寂しい、わびしいという気持ちに駆られる。それがどうしてなのかわからない。それがヒトとして当然の感情なのか、ドラゴンであるシールディアにはわからない。 「あら? シール一人?」 「ん……。いや、ヒューイも一緒だ」 「キュッキュルーッ!」 部屋の戸が開き、食料やら雑貨やらが大量に詰め込まれている紙袋を抱えたセシリーが入ってくる。窓から差し込む光で鮮やかな蒼がオレンジ色っぽく染まった髪を、紐で縛って頭部の左側面から垂らし、赤いハイネックの長袖に黒のロングスカートという、セシリーはあまり似つかわしくない落ち着いた服を身に纏っており、いつにもまして大人っぽく見えた。 「そうだったわね。……はいヒューイ、おやつよ」 「キュルルー」 セシリーが紙袋からチロル用の餌を取りだして床に置くと、ヒューイは嬉しそうに声を漏らしてぴょんとシールディアの膝から飛んだ。随分おなかが空いていたようだ。 「本を読んでいたの?」 ヒューイが餌をがっつく様子を微笑みながら見つめた後、シールディアに視線を戻したセシリーがシールディアの手元に握られる図書を見つめて尋ねた。 「うむ。図書館なる場所で借りてきた本を、一冊でも多く読破しておきたくてな」 「ふーん。……どんな本を読んでるの?」 セシリーが興味あり気にのぞき込んでくるので、シールディアは本のカバーをセシリーに見せた。 「えっと、なになに……。『昼下がりの午後、危険な人妻の情事』……。――ぶっ!」 何故かセシリーがタイトルを詠唱すると同時に噴いた。笑ったのではない。何故か、顔を赤くしながら目をまん丸と見開いて噴いたのだ。 「どうしたのだ、セシリー?」 「な、ななな何て本を読んでるのよ!」 「ん? 私はまだまだヒトの感情やセシリーの言う、恋愛感情とやらに疎い。それを少しでも補おうと、ヒトのそういった感情を物語に絡めたものを読もうとしているのだが?」 至極当然にシールディアが言うと、セシリーがくらっとよろめきながら頭を抱えた。別段おかしなことを言った覚えがないため、シールディアは小首を傾げる。 「もう、どうでもいいわ。でもお願いだから、アリアの前ではそんな本を広げないで」 「うむ? まあ、そなたが言うのであればそうするが……」 何か問題があるのだろうかと思いながらも、セシリーの表情から懇願にも近い空気を読み取ったシールディアは言われたとおりにすることにした。 「ホントにあなたったら……。見た目は十三歳くらいなんだから、そんな成人指定の図書を堂々と読まないでもらいたいものね」 「私はすでに千に近い年を生きてきたのだが?」 「まあドラゴンの姿してるときはそれでもいいけど、今は女の子の姿してるでしょう?」 「なるほど、ヒトの姿をしているときは、その外見年齢に見合った行動を取れと言うわけだな?」 「そういうこと」 それは先ほどまでシールディアが一人で考えていたことに似通っていた。 今、シールディアはヒトの姿をしている。それ故、自我を持ち、自分の意志を持っている。本来ドラゴンに性別というものは存在しないにも関わらず、ヒトとして女であるシールディアは、異性に裸体を見せる行為を恥ずかしく感じる。それは紛れもなく、ドラゴンではなくヒトとしての感情だ。 自分は一体何者なのだろう。ドラゴンなのだろうか。ヒトなのだろうか。 “神狩り”の前に創られ、最初のドラゴンと言われる竜王ならば、この煩わしい問いの答えを知っているだろうか。 シールディアを突き動かす行動の根本にあるもの。それはいつしか、アリアから聖石を取り除く方法があるかを竜王に尋ねることではなく、自分の存在意義、存在理由を探すことへと変貌していた。まるで、生きがいを探すというシェドに似ている気がした。 「私は…………」 シールディアは小さく、窓の外の空へ向かって口を開く。 「一体……何者なのだ……」 * * * すでに日が落ちて真っ暗となった深い森の中で、シールディアは木々の合間からのぞく月を見上げながら琥珀色の瞳を細めた。そして思う。 自我は何処から来て何処へ行くのだろう。 自分を意識したのはいつか。シールディアが記憶の糸をたどっていくと、それはあの白銀の世界にひっそりと浮かぶ古代都市の姿が脳裏に浮かぶ。 寒々として無機質な世界。感情という色のない、淡泊で変化のない世界。シールディアはそんな世界の住人だった。 「シール、そっちの皿をとってちょうだい」 セシリーの声にハッとしたシールディアは、シェド特製エプロンを灰色の服の上につけたセシリーを一瞥してから、簡易テーブルの上にある皿をセシリーに手渡した。セシリーが皿にシチューを盛り、再びシールディアの手に戻ってきた皿をテーブルへ戻す。 野外キャンプはもう何度目だろう。シールディアがシェド達と行動を共にするようになって二ヶ月と少し。今日のような森の中での野宿も、少なからず経験してきた。 エプロンを付けたアリアとセシリーがせわしなく仮設かまどと簡易テーブルの間を行ったり来たりし、香ばしい香りがシールディアの鼻孔をくすぐる。今日のメニューはセシリー特製シチューと、シェド仕込みのアリア手作りパンだ。何でも器用にこなすシェドに教わったアリアの作るパンは、街先の店で買うそれと違い、誰にも真似できない味をしている。お世辞にも美味であるとは言えないが。 シルヴァランスの姿が見えないのは近くの川で衣類を洗っているからだろう。夕食前に洗濯をすませ、かまどの余熱で一晩掛けて渇かす。こういった深い森の中を進むときは、太陽の光で渇かすよりそうすることの方が多い。 「よし。じゃあご飯にしましょうか。アリアは荷台のシェドを呼んできて。シールは向こうの川に居るシルヴァランスに声を掛けてきて」 「わかった」 シールディアは椅子から腰を上げ、深い森へと歩を進める。かまどの火やランプの類がある簡易テント付近とは異なり、一歩森へ踏み居ればそこは漆黒の闇。静寂の洪水と暗闇の空間が何処までも広がっていて、自分の存在までもがあやふやに思えてくる。 闇。もし、今シールディアが保っている自我が消えたとき、自分は一体何処へいくのだろうか。それは、こんな闇の中なのだろうか。 不思議だった。一体いつ、シールディアの中で自我が芽生えたのか。あの日、シェドにシールディア=エガンフィスという名前を貰った日。その日を境に、シールディアは自分というものを自覚している。 ならばそれまでの自分は一体何処に居たのだろう。それまでシールディアの自我というものは何処にあったのだろう。 気づいたときシールディアはシールディアだった。まるで最初からそうだったように何の違和感もなく、自分という意識があった。突然フッと湧いて出たような自我。そんな自我を持つ前の自分は、一体何だったのだろう。 記憶がないわけではない。シールディアが創られた意味、存在してきた理由、それらの記憶はある。だが感情という色を伴わない記憶は、果たして思い出と言っていいものなのだろうか。 「……シルヴァランス、夕飯の支度がすんだそうだ。そちらの首尾はどうか?」 森を抜け、ぽっかりと夜空に浮かんだ月の光が優しく辺りを包む小さな川辺。水のせせらぎがシールディアの鼓膜を優しく揺らし、月光を反射させて水面がきらきらと輝いている。 「わかりました。あと少しなので、先に食べていて下さい」 「…………いや、私も手伝うので、皆一緒に食事をとろう」 「ありがとうございます。では、僕が石けんで手洗いした衣類を、シールディアさんは川で濯いで下さい」 シールディアは首肯しながらシルヴァランスの隣に腰を下ろす。泡の付いた衣類を川ですすぎ、洗濯後の衣類が積まれた籠へとそれを入れる。 「シルヴァランスは……、生まれたばかりの頃の記憶はあるのか?」 「はい? どうしたのですか、急に?」 シルヴァランスが不思議そうにシールディアを見つめる。突然こんな質問をされれば、誰だって困惑するだろう。 「少し気になったのだ。私は気づいたときには私だった。それが不思議でならない。一体私は何処から来たのだろうか。一体、私は何者なのだろう」 「……哲学的ですね。僕はあまりそういったことを深く考える方ではないので、なんと言っていいのか分かりかねます。ですが先程の問について分かる範囲で答えるとするならば、そうですね、物心付く前の記憶はありませんし、物心付いた後の記憶も古くなればなるほど曖昧でぼんやりとしか思い出せませんね」 手を動かしながらも、シルヴァランスはちゃんとシールディアの問に答えてくれる。この点一つとっても、シルヴァランスが真面目で気優しい人間だと理解できる。 「物心……か。私には、シェドやそなたらと出会うまで物心というものがなかったのかもしれん。だが今は、確かに自分の意志、自分の心を感じることができる。不思議だ……」 「本当に。心っていうのは不思議だと僕も思います。嬉しいことや悲しいことも、心が無ければ感じることができませんからね。……今のような、この、腹立たしいような寂しいような、言葉にできないような気持ちも、心があるから感じるんですよね」 シルヴァランスがふと手を止めて夜空の月を見上げた。怒ったような寂しそうな表情。何となく、先日から続くセシリーとの喧嘩が原因なのではないかとシールディアは勘ぐった。ドラゴンのしての能力を使わずに自分以外のヒトの感情を読み解くことも、自我を意識するようになってから少しずつ出来るようになったことだ。 「これで最後です。……では、みなさんのところへ戻りましょうか」 「……そうだな。すまない、変な質問をしてしまって」 「いえ。聞きたいことがあったら何でも気軽に尋ねて下さい。僕達は家族なんですから」 シルヴァランスの裏のない真っ直ぐな笑顔を見つめながらシールディアは微かに頬を緩める。当初はシェドにさんざん非道く言われた笑顔だが、最近ではアリアと一緒に練習した甲斐もあってか随分改善されたと自負している。 シールディアはシルヴァランスとともに、洗い上げた洗濯物を抱えて仮設テントのもとへと足を運んだ。 夕食を終えた後、シェドとシルヴァランスが川に水浴びへ行った。二人とも女性陣以上にきれい好きであるため、近場に川などがある時は必ずと言っていいほど沐浴する。この時期はまだ川の水が冷たいため、川の一部を石で仕切り、シェドが小粒のフレアジェムを使って即席温泉を作る場合が多い。 シールディアはセシリーやアリアとともに、夕食前にシルヴァランスが川で洗濯してきた衣類をかまどの前に置いた物干し竿に掛けていく。皺にならないようちゃんと生地をのばし、袖口がすぼんでないかチェックしながら。 「……そう言えば、まだセシリーはシルヴァランスと喧嘩してるの?」 「うぐっ」 ふとアリアが思い出したようにセシリーに問いかけた。食事中もセシリーとシルヴァランスは余所余所しい態度をとっており、シェドはそんな二人を見て見ぬふりをしていた。 「ま、まあ……、色々とね。……あ、大丈夫よ? アリアが心配する必要はないわ」 「うん……。でも……」 曇った表情のまま自分の下着を干していくアリア。それを見たセシリーが少し狼狽した様子で言葉を選んでいた。妹分、娘分のアリアに心配され、少なからず困惑しているのだろう。 「セシリー、少し前の話になるが、デオラガーンでの命題について私なりに考えてみたのだが、聞いてもらえるだろうか」 暗い空気は好ましくない。そう言うときによい話題提供ができる能力も必要だと、常日頃からシェドは言っていた。 「え? 何の話だっけ?」 「そなたが言っていた話だ。好き以上の好きという概念や、好きだからこそ苦しいという原理。それについて、私なりに考察してみた」 「ああ、そのこと。……それで?」 セシリーが曇り気味だった表情を緩めてシールディアを見つめる。アリアも、先に分かってしまったの、と言いたそうな目でこちらを見つめてくる。 「うむ。好き以上の好きとはつまり求愛の情だろう。テムルで読んだ図書の中に、“男女の色恋”なる事柄に関していくつかの記述があった。つまり好き以上の好きとは、発情期において異性に対する情欲の念が高まることだと推測される」 テムルに滞在していた時に知り合ったパットという少年。パットの保護者代わりであるブルゾンの家は多くの図書を置いてあり、シールディアは時間が許す限り多くの図書を読破した。そこで得た知識を選り集めて推論した結果に、何故かセシリーは渋い表情を浮かべていた。 「……ぬ? 私なりに模範的な解答を用意できたと思ったのだが、違うのか?」 「ちょ、ちょっとシール! あなた一体、テムルでどんな本を読んだの? は、発情って、それに情欲――っ、ああもうっ! 女の子がそんな言葉を堂々と口にしては駄目よっ!」 みるみる顔を真っ赤にして声を張り上げるセシリーと、首を傾げて頭上に疑問符を浮かべるアリア。 「む。そ、それは認知していなかった。そうか、オンナノコが口に出してはいけない言葉が存在するのだな」 そんなことは図書の何処にも記載されていなかった。本と現実は異なる。やはりセシリーはシールディアにとってよき教師でもあった。 「ならば、好きだからこそ苦しいという原理。こちらについての考察だ」 「…………」 セシリーの目が据わっている。またシールディアが発言禁止ワードを口にするのではないかと警戒しているのだろう。 「これもテムルで読んだ図書を参考にしている。“お花畑でつかまえて”なる図書だ。それによれば、相手のことを想うが故、ちょっとしたことで一喜一憂し、相手に理解して欲しいが故に喧嘩もする。それが答えだと私は踏んでいるのだが、どうか?」 「あら?」 今度は先程とセシリーの反応が違う。好感触だ。完璧ではないにしろ、遠からず的を射ていると思われる。 「ふむ、やはりな。だからセシリーは今苦しんでいるわけだ。お互い家族、好き同士だというのに、相手に理解されたいが故に喧嘩してしまったから」 「ちょ、ちょっと! そこで何で私とシルヴァランスの話が出てくるわけ? 私は別にシルヴァランスのことをどう想ってるとか……」 「……? だが、前にそなたやシルヴァランスが言っていたはずだ。私達は今、仮にとはいえ家族だと。家族は互いを思い、好き同士であるのが世間の常識。好きだから苦しいとは、家族であるのに分かり合えぬことで悩むそなたの今を表す言葉ではないのか?」 「……どうやら話が少しずれていたみたいね」 セシリーが渇いた笑いを飛ばす。頬を掻きながら、少しはにかむように。 どうやらこちらも正解ではないらしい。やはりヒトの感情は難しいと再度認識する。 自我と共に生まれた感情。それを理解することもまた、自我が何処より生まれ、そして何処へ行くのかを知る上で大切な情報源となるのではないだろうか。 そして何より、シールディア自身、もっと多くの感情を知りたいと思っていた。 それが自分の意志だと自覚している。何処から湧いて出た意志なのかわからない。けれど確かに今、シールディアの心にはその思いがしっかりと輝いている。 「シールディア、すごい」 ふとシールディアの隣でアリアが感心したように声をもらした。共に同じ命題を抱えていた仲間。不正解とはいえ先に解答欄を埋めたシールディアに、少なからず羨望にも似た感情を抱いたようだ。 「そんなことはない。今のはすべて書籍物からの引用だ。そなたも多くの図書に触れあえば、今くらいの解答なら直ぐさま用意できる」 「そう?」 「うむ。次の街に着いたら、私と共に図書を選びに行こう」 「うん、行く。私、本はあまり読んだこと無いからよくわからない。シールディアがどれがいいか選んでくれる?」 「そうだな、好き以上の好きに関する本としてはやはり男女の情愛ものがよいだろう。私が何冊か選定してみる」 シールディアがアリアの申し出を快く引き受けると、にこやかにアリアが微笑んだ。シールディアよりももっと明るくて愛らしい笑顔。セシリーの問に関しては一歩リードしたつもりだが、真の笑顔に於いては逆にリードを許しているらしい。 「ちょっと待ったぁーっ! アリアに渡す前に私に見せなさい!」 「む? どうしたのだ?」 「……お願いだから、アリアに妙な物を読ませないで欲しいの。私が判断するから、アリアに渡す前にちゃんと私の目を通すようにしなさい」 語調は強かったが、セシリーの表情にはどこか懇願の色が見え隠れしていた。シールディアは何故セシリーがそんな顔をしているのか検討もつかなかったが、取りあえずその場は首肯で応じることにした。 やはり感情とは難しい。そう実感しながら。 すでにセシリーとアリアが荷台で寝息を立てている隣で、シールディアはふと目が覚めた。基本的にヒトの姿をしているときはヒトと同じ生理行動をとる必要があり、よって睡眠も必要である。しかし最近はもっぱら森の中を走るばかりなので、昼間に何度かうたた寝してしまうと、どうしても夜眠れなくなってしまう。 荷台の中にシェドとシルヴァランスの姿はない。外の仮設テントで、交代で見張りをしているはずだ。火を焚いていれば魔物に襲われる確率は低くなるが、ゼロではない。 シールディアは身を起こし、荷台から外に出た。太陽が沈みきった深夜の世界を包む空気は肌に突き刺さるように冷たい。だがもともと極寒地で生活していた上、アイスドラゴン系であるシールディアは寒さに対してかなりの免疫がある。それはヒトの姿をしている今も同じだった。 動物の絵柄が刺繍されているパジャマの上にカーディガンを羽織り、シールディアがテントへ歩み寄ると、気配に気づいたシェドが気怠そうにこちらを見つめた。 「眠れねぇのか?」 「そうらしい」 シェドはかまどの残り火で暖を取っている。シールディアはその隣に腰を下ろし、シェドに習って両手を燻っている炭へかざした。 暖かい。でもそれは無機質な暖かさで、ヒトの温もりとは異なるものだ。そんな違いがわかるようになったのも、最近のこと。 「……シェドには感謝している」 「は? な、何だ、藪から棒に……」 「シェドは……、私に心をくれた」 何処から飛来したかわからない心。でもそれは、少なからずシェドの存在が関わっているはず。あの日あの時、ラーミアでシェドに出会わなければ、きっと未だにシールディアは心を知らぬドラゴンとしてあの地でひっそりと眠りについていただろう。 「……お前、変なモン食ったか?」 「特に毒性のある食物を摂取した記憶はないが、何故?」 「いや、いきなり変なこと言い出すからよ」 シェドが怪訝そうにシールディアを見つめて後頭部を掻く。もう見慣れたシェドの仕草。気怠そうで、無気力そうで、でも本当は優しくて、暖かいシェド。 「そなたは私に心をくれた。シールディア=エガンフィスという心を」 かつて自分を呼称するものはドラゴンという言葉のみだった。けれど今は違う。シェドが与えてくれた心、それが名前だ。シールディアという、自分だけの名前。 「お前やっぱ変なもん食っただろ……」 シェドは相変わらず訝しげにシールディアを見つめている。確かに唐突な謝辞であったとは思うが、シールディアは構わず続ける。 「私はそなたがくれた心を大切にしたいと思う。かつて私は、竜王にアリアの聖石の外し方を聞き、術がないとわかった時は迷わずアリアを殺すつもりだった。だが今、その考えは薄れ、たとえ竜王が道を否定しようとも私はアリアの為に最後まで何かをしてやりたいと願うようになった。それが自分の意志だと自覚している」 「……その辺に生えてるキノコか? それとも腐った食材が混じってたか?」 「私がそう思うようになったのも私に心が芽生えたからだと思う。それはひとえにシェドのお陰だ。だからシェドには言葉では言い表せないほど感謝している」 「酒なんか買ってないし、何が原因だ……?」 シールディアはそこで話を切ってシェドを見つめる。ブツブツと、シールディアがおかしい原因を探っているようだが、生憎シールディアは何処も異常ない。至って素面である。 “お前の名前はシールにしよう。シールディア=エガンフィス” あの日、シェドはそう言った。 “見た目は普通の女の子なんだから、やっぱ可愛い名前がいいだろ” その言葉がシールディアの胸を熱くする。そこに心があるから、他者の自分に対する一言一言が心の奥へ響き渡る。 この心は何処へ行くのだろうか。それはまだわからない。けれど―― 「私の心は、確かにここにある……」 シールディアは小さく呟き、そっと頬を緩めた。 * * * 「そうだったな……」 「え? 何か言った?」 「いや、何でもない」 ランバーグにある宿の一室。ふと自分の存在に疑問を感じたシールディアだったが、つい先日、同じような悩みに陥った時に思ったことを呼び起こして疑問を払拭する。 自分は一体何者なのか。ドラゴンなのか、ヒトなのか。 世界を守りたい。守らなければならない。これは、ドラゴンとしての存在意義。 アリアを護りたい。護ってやりたい。これは、ヒトとしての意志。 「あら? あなた笑ってるの? 何かいいことあった?」 セシリーは穏やかな笑みを浮かべてシールディアの顔をのぞき込んできた。黒真珠のように美しい双眸に、微かに頬を緩める自分の姿が映っている。そうか、自分は今笑っているのかと、セシリーの瞳を見てシールディアは実感した。 「そなたこそ、とても機嫌良く見えるぞ」 「え? ……そう?」 「うむ。大方シルヴァランスと仲直りできたからであろう。今朝、シルヴァランスも晴れ晴れとした笑みを浮かべて機嫌が良さそうにであった」 「うっ……、ま、まあ、そうなんだけど……」 図星を突かれたといった具合にセシリーが若干頬を紅潮させる。何故照れる必要があるのか理解しがたいが、何か煮え切らない思いがあるようにも見えた。 その時、扉がキィィと軋みながら外から開いてシェドとアリアが入ってきた。何かあったのだろうか、アリアが少しだけ迷いが晴れたような空気を漂わせている。シェドは相変わらず面倒くさそうな気怠い表情を浮かべていた。 「みなさん在室だったんですね」 シェドとアリアの後方からシルヴァランスも部屋へ戻ってくる。裏表のない、誠実そうな笑みを浮かべて。 「ちょうど今戻ったところだ。腹減ったし、飯にするか」 「うん。お腹空いた」 「そうね、じゃあ食堂へ行きましょう」 シルヴァランスとセシリーがまず部屋を出て、その後をシェドが追う。ヒューイがぴょんぴょんとシェドの後を追って部屋を出て行った。 シールディアは瞳を閉じて思う。自分は一体何者なのか。その答えは、すぐそこにある。 「シールディア? 行かないの?」 「いや、家族なのだ。一緒に食事をとらぬわけにはいくまい」 ベッドから腰を上げ、シールディアは歩を刻む。アリアと並んで一緒に。 シールディア。それが答えだ。他の誰でもない。シールディアこそ、自分。 ドラゴンかヒトかなど些末な問題。何故ならば、シールディアはシールディアに他ならないから。 「私の薦めた本は読んだか?」 「ううん、まだ。難しい言葉が多くて、全然進まない」 「そうか。だが、あの“ときめき☆ガールズ・ファイト”なる文献は、十代半ばの少女視点で書かれているため、参考になるだろう」 「うん。頑張って最後までちゃんと読む」 アリアが笑い、呼応するようにシールディアも笑う。 心があるから笑える。その喜びをシールディアは全身で感じ取っていた。 |
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