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第三章 生き甲斐 真っ青な空に向けて、シェドは白い煙を口から上げる。 ランバーグのスラム街には拓けた場所が多くある。そこはスラムで育つ子供達の遊び場になっており、さながら公園にある遊具代わりと言わんばかりに、ゴミにしか見えない置物やらボロボロの家具やらが子供達の遊び道具になっていた。 そんな広場の端でシェドは木製の壊れかけた立方体の箱を椅子代わりに腰を下ろして煙草を燻らせている。体に悪いからやめろとアリアに注意されて以来徐々に吸う本数を減らして、今では一日に二本吸うか吸わないか程度だ。 シェドがサングラスの橋を押し上げながら広場で遊ぶ子供達を見つめると、みんな嬉々として楽しそうに遊んでいた。数年も前のランバーグなら見られなかった光景だ。格差社会のランバーグで、スラム街に住まう人達の生活が改善され始めたのは極々最近のことだから。 ふと、シェドの視界に松葉杖をついて歩く一人の少女が飛び込んできた。遊んでいる際に骨折でもしたのか、片足を引きづりながら松葉杖で体重を支えている七歳くらいの少女が、元気に遊ぶ子供達の脇でその子らを見つめて少し寂しげに表情を曇らせていた。 足がちゃんと動けばあたしもあの中に加われる。シェドの脳裏に、そんな少女の声が聞こえた気がした。 「…………」 シェドは表情を歪めて少女を見つめる。足が不自由だというだけで、シェドの頭にかつて自分のせいで両足の機能を失った女性の笑顔が浮かぶ。 彼女に対する罪の意識は、その罪を父親の前で吐露したことで少し和らいだ。本当は逃げ道をつぶすために選んだ告白に、父親と彼女はシェドを責めることなく、むしろ覆い包んでくれたと言ってもいい。 去り際に彼女が言ったあの言葉。それは今も、シェドの心に深く焼き付いている。 「……シェド?」 「ん……」 ふと彼女の言葉を心の中で呟こうとしたとき、シェドの耳に聞き慣れた少女の声が響いてきた。シェドが顔を持ち上げて周囲を窺うと、いつの間にいたのか、アリアが広場の脇にある通りに立っていた。 旅を始めた当初に作ってやった鈴付きのリボンを未だに使い、同時にガラスで出来た薔薇の髪飾りで桃色の髪を結っているアリアが、ゆっくりとした歩調でシェドへ歩み寄ってくる。その身を包んでいる白と黄色のワンピースドレスもシェドが作ったものだ。 「おう、……どうだった?」 アリアが首から提げている魔練器時計を見つめてシェドは尋ねる。以前なら落ち込むように表情を曇らせていたため、聞くまでもなく成果があったのかなかったのかわかったのだが、ここ最近はたとえ手がかりが得られなくても深く落ち込む様子を見せていないため、一応ちゃんと聞いて確認している。 アリアはふるふると首を左右に振って、シェドが腰掛ける木箱に並んで腰を下ろした。 「そうか。……これであらかたランバーグも探し尽くしたな。セシリーもミレーヌに貰った中継ジェムをあちこちに散布し終えたみたいだし、そろそろこの街とおさらばするか」 シェドは視線を松葉杖の少女に戻してそう呟いた。 しばらくシェドとアリアは互いに無言のまま佇んでいた。どれくらい経っただろうか、おもむろに立ち上がったアリアがすっとシェドの前に歩み出て、視界を遮りながらジッとコバルトブルーの双眸でシェドを捕らえた。 「どうした?」 「シェド……、アリカのことを考えてた?」 いきなりの言葉に、シェドは思わず二の句が継げずに固まる。それを肯定を受け取ったのか、アリアは俯き加減に視線を下げ、「やっぱり」とどこか寂しげに呟いた。 どうも最近アリアが鋭くなってきて困る。いやそれは喜ばしいことなのだろう。アリアが普通の少女に近づき、色々な感情を覚えていくということは。 けれど、それはシェドにしてみれば今まで赤子のように扱っていたアリアが急に女の子になってしまうことを意味し、つまりはどう扱っていいか困るという状況にあった。 「よく、わかったな」 「アリカのことを考えているときのシェド、わかりやすい」 「ふう、そんなに露骨だったか……」 やれやれとシェドはかぶりを振る。ふと見つめれば、アリアはなおも寂しげというか、泣き出しそうな顔でシェドを見つめていた。 またシェドが居なくなるとでも思っているのだろうか。テムルの街に居た時みたいに、シェドが旅をやめて居なくなると。 まだ生きがいが見つかっていない以上、旅をやめる理由はない。シェドは心の中でアリアにそう言ってやった。だが実際は口に出さない。 「時間は?」 シェドは曇った表情アリアに尋ねる。アリアは無言のまま魔練器時計の盤面をシェドに見せた。 「まだ日暮れまでは時間あるな……。よし、もう一回そこに座れ」 「……?」 「いいからいいから」 アリアを促してもう一度木箱に座らせ、シェドはサングラスを外して胸ポケットに収めた。何となく、真面目な話をするときは外すクセが最近出来つつあった。 もう一度ちゃんと順をおって詳しく話してやるか、そうシェドは思っていた。 アリアが怪訝そうにシェドを見つめてくる。シェドは一度、ポンとアリアの頭を軽く叩いてから、 「つまんなかったら途中で言えよ。いつでもやめるから」 そう断って話を始めた。 あの日ミゲルと戦い、そしてアリカと初めて出会った時のことを。 * * * 鳥の囀り。木々のざわめき。そよ風に靡く背の低い草花。 鬱蒼と茂る深い森の中、シェドは瞳を閉じて大地に寝そべっていた。木の幹を枕代わりにし、腹の上でリスが踊っていようが別段気にせず、静寂の中に身を委ねている。 シェドの身を包むのは全身黒の戦闘服。この世界を裏から支配し操っている組織、ニーヴルから支給されたものだ。 ジェムから魔力を引き出し、それを弾丸に付加して“魔弾”を操るシェドは、ニーヴルの中でもトップクラスの戦闘力を持つ“エンフェリア”と呼ばれる存在だった。エンフェリアは他の一般兵と違い、自分の好きな服装を身につけていいという特権があるのだが、それを行使することなく、シェドは特に任務に差し支えが無い限りは支給品以外の服を着たりしない。 機能性を考えれば支給の戦闘服に不満などなかった。それに十年以上ニーヴルに所属するシェドにとって、この服はもはや体の一部といってもいい。どうしても任務上社交の場などに出る必要がある場合はともかく、それ以外は常にこの服でいいと考えている。 少し伸びてきた茶髪が風に靡いて自身の鼻をくすぐる。シェドは鬱陶しい髪を掻きむしって瞳を開いた。漆黒の瞳に光は一点もなく、虚空を捕らえたまま、シェドは何度か瞬きを繰り返して木々の合間からのぞく青空を見上げた。 幼い頃に両親を事故で失い、生きていくために強盗、恐喝を繰り返していた日々。そしてそこから抜け出した後に待っていたのが、ニーヴルの猟犬として生きる今だ。 力ある者が力なき者からすべてを奪う。シェドが生きるのはそんな社会であり、シェドはそこに何の疑問も抱いたことはない。 だが最近ふと思うようになった。自分は何で生きているのだろうか、と。 シェドが十歳の時、シェドはまだ生きたいと思っていた。だから生きる術を教えてくれると言ったニーヴルに入り、そこでありとあらゆる処世術を学んだ。あの頃はまだ、生きたいという強い意志があった。 だが今はどうだろうか。自分は生きたいのか、そうでないのか。何のために生きているのか。自分自身のことだというのに、まったく答えが用意できない。 『ピィィーッ!』 遠くで笛の音がした。集合の合図だ。 だがシェドはそのまま大地に寝そべっていた。動く気にならない。すべてが億劫に感じる。任務なんか放棄して、このまま寝ていようかと本気で思案していた。 今回の任務、それはある村の殲滅だった。詳しい理由を組織上層部は語らないし、別にシェドも知ろうと思っていなかった。だが情報というのは勝手に流れてくるものであり、今回の任務は組織が裏で進めている“天使”に関わるものらしいとシェドの耳にも入っていた。いや、正確には関わったという過去形にすべきだろうか。 組織は天使のことを必死に隠そうとしていた。その執念は異常で、先日とある古代遺跡から天使に関わるとされるヒュージジェムが見つかったという話をシェドが耳にした翌日、エンフェリア達が出動して古代都市で発掘を続けていた人間すべてを皆殺しにしたそうだ。 そして今回の任務は、発掘をしていた人間達の家がある小さな村の殲滅。つまり、一人残らず村人を殺せという任務だった。 シェドが億劫に感じるのは別に人殺しが嫌だからだというわけでもない。気乗りしなくても人間くらい容易に殺せるし、心を痛めたことなどない。言われれば殺す、ただそれだけだ。そこに感情という言葉は微塵も含まれていない。 ならば何故、集合の合図を聞いても動く気にならないかと問われれば、理由はシェド自身にもわからなかった。何となく、動きたくない。 「……風が、気持ちいいな」 このまま本当に任務をサボるか、と思いながらシェドがそう呟いた時だった。 「こんなところに居やがったか……」 低い男の声がシェドの鼓膜を揺らす。パキパキと、大地を覆う小枝を折りながら近づいてくる足音を聞きながら、シェドは面倒ながらも上半身を起こす。だがその瞬間、 「――っ!?」 シェドは凄まじい殺気を感じて反射的に飛び退いた。見れば、シェドが座っていた場所に光の筋が通った軌跡がボンヤリと浮かび上がっている。 光に包まれた双頭の剣を握る大男。屈強な体つきに、オールバックの黒髪。オリーブ色の瞳には悪意が満ちており、愉悦に歪んだ表情を浮かべている。 ミゲル=キルヒューム。今回の任務の陣頭指揮を執るシェドの上司であり、エンフェリア達のさらに上を行く“ガンズ”と呼ばれる四人の一人である。 「……何の真似ですか?」 シェドは怜悧に目を細めてミゲルを睨め付ける。全身でヒシヒシとミゲルの殺気を感じながらも、シェドは努めて冷静を装った。 「てめぇも、無力な村人なんざ殺してもつまらねぇと思ってんだろ? 俺もさ。殺し合うならやっぱ強ぇ相手じゃねえと退屈だよなぁ?」 「…………」 ミゲルが二本の剣の柄を合わせた双頭の剣、“光天双剣”を握る手に力を込めた。ヒールジェムと同じ聖属性のライトジェム、それを柄に埋め込んだあの剣は、刀身の表面で眩い光の微粒子が超振動しており、ありとあらゆるものを一瞬して消滅させる威力を持つ最強無二の剣だ。 「しかも任務開始は明後日だぜ? それまで「待て」ってか? 俺達は犬じゃねぇ。そんなに長いこと、暇を持て余したくねえよな?」 「…………何が、言いたいんですか?」 シェドはミゲルにそう尋ねながらも、自らは戦闘の準備を整えた。組織から支給された特殊な回転式拳銃を取りだし、シリンダーに銃弾を込める。銃にはマズル以外にももう一つ穴が開いており、シェドはそこへポケットから取りだした朱色の宝石を埋め込んだ。炎を操る魔力が込められた、フレアジェムだ。 「わかってるじゃねぇか。そうだよ、俺は退屈なんだ。……そして、俺の退屈を紛らわせてくれるのはてめぇしかいない」 「迷惑な話です。隊長、そんなに退屈なら本部に戻ってカルネ様と戦ってはどうです?」 「あいつは確かに強いが、性格がアレだからな。いまいち盛り上がりに欠ける」 ミゲルが腰を落として光天双剣を構える。木々に囲まれて足場が悪い場所とはいえ、ミゲルの実力ならばそれを苦にすることなく存分に実力を発揮できるだろう。 「だからな! 俺の相手をしろっ! シェドッ!」 「――くっ!」 ミゲルが足場の悪い大地を蹴って突進してきた。光天双剣を一見がむしゃらに振り回し、剣先に触れた木々が次々と薙ぎ倒されていく。 シェドは迫り来るミゲルに銃口を向け、意識をフレアジェムへ注いだ。シェドの体を朱色のオーラが包み、紅蓮の魔弾が銃口よりミゲル目掛けて射出される。 「ははっ!」 ミゲルが嬉々とした表情で魔弾を弾き、弾かれた炎が倒れた木に燃え移ってあっという間に周囲一面紅に包まれた。シェドは身を翻してミゲルの剣撃をかわし、後退する。 中距離の攻撃を得意とするシェドにとってこの距離は近すぎる。完全にミゲルの射程圏内だ。 「逃げるなよ! もっと楽しもうぜ、シェドッ!」 「ちいっ!」 シェドのすぐ脇にあった木が光天双剣で真っ二つに寸断される。切り口がまるで焼けたようにジュッと白い煙を舞い上げ、鳥たちが枝から逃げるように空へ舞い上がっていく。 シェドがミゲルと対峙したことはこれまでにも何度かあった。だがその度にシェドは辛くも逃げ延び、一度たりともまともな勝負をしたことはない。自分の実力を正確に把握しているシェドは、それがミゲルに及ばないことなど十分理解していた。 「はははっ! 今日こそは逃がさねぇぜ! てめぇの本気、見せてみろっ!」 ミゲルが双頭剣を二つに割って両手に一刀ずつ構える。ミゲルの攻撃でやっかいなのは一本の光天双剣と二本の光天剣という二種類の攻撃パターンがあることだ。タイミングがまったく異なる上、連結と分解をほぼタイムラグなしで実行できるしなやかな筋肉を前に、多くの強者達が命を落としている。 「ぐうっ!」 迫り来る剣の一本をかわし、もう一本を銃身で受け止める。ただの銃ではあっという間に切断されてしまうため、シェドはジェムで銃全体を障壁で覆っている。 ミゲルに押されながら後退を続けたシェドの体が森を抜ける。だがそこは、まさに断崖絶壁だった。突き出した岩崖に、シェドは徐々に追いやられてしまう。 ふと見れば崖の下は激流の川。あそこに落ちたらいくらシェドとはいえ唯では済まない。 「ほらほらどうした! 後がねぇぜっ!」 ミゲルが再び剣を結合させて流れるような連続攻撃を繰り出す。シェドは必死にそれらをかわし、一歩、また一歩と崖の先へ追いやられた。 このままではやられる。シェドはそう思って右腕をまくり上げた。そこに巻き付いた銀色の腕輪には、組織から支給されてきた七種のジェムが虹色に輝いていた。 「うおおおおおっ!」 「――っ!?」 シェドが咆えた瞬間、腕輪に埋め込まれたジェムが一斉に眩い光を発し、その光が集結してシェドの右腕より伸び、実体のない魔力の剣が具現化した。 シェドの持つ特別な力。それは本来、使える人間とはいえ一種類しか使えないはずのジェムを全属性問わず扱えることだ。そしてそれらを同時に解放することで、魔力で出来た無属性の剣を具現化することができる。 だが無属性のままの魔力では剣として効力を発揮できない。そのため銃を依代とし、銃に埋め込んだジェムをつなぎに使うわけだ。そのため、魔力の剣は無属性ではなく、銃に埋め込んだ属性を帯びることになる。 シェドの右腕より伸びた半透明の紅い剣。それを見たミゲルが一瞬驚きの表情を見せた後、喜びに打ち震えるようニッと口角をつり上げた。 「面白い! シェド、てめぇそんな技を今まで隠し持っていたのか!」 「…………」 「それでこそ殺し合いをする意味があるってもんだ! 楽しい、楽しいぞっ!」 ミゲルが一直線にシェド目掛けて迫る。シェドは具現化した剣を前面に押し出し、ミゲルの光天双剣を受け止めた。 バチバチとまるで雷鳴のような爆音が轟き、凄まじい衝撃が周囲に広がる。力と力のぶつかり合い。そして発散するエネルギーが、シェドの足下をえぐった瞬間―― 「……っ!」 突き出していたシェドの足場が脆くも崩れた。ハッとした瞬間にはすでにシェドの体は宙に投げ出されており、崖の上に佇むミゲルの顔が網膜に焼き付いた。 体の自由が利かないまま、シェドは為す術もなく激流の川へ落下する。バシャンと大きな水しぶきを上げてシェドは落水し、その激しい流れに押されて下流へと一気に流されていった。 どんなことでもそつなくこなすシェドだが、泳ぎだけは苦手だった。いや、決して下手というわけではないが、他の技術に比べて泳ぎだけは凡人レベルだった。 激流に打ち勝つことが出来ず、シェドはしばしもがいた後、力尽きて意識を失った。 あの頃はただがむしゃらに生を求めた。生まれた以上、生きていたい。そんな本能に近い思いだけでシェドは生きていた。 けれどあれから十年以上経った今、生に対する執着は徐々に薄れていた。戦いの中で死んでも、きっと悔いはない。死ぬことに恐れなどなくなっていた。 大切なものなどない。生にこだわる理由もない。ただ生きているだけ。何となく、生きているだけだった。 自分が今生きている意味などないのだ。だったら、いつ死んだって構わない。 そんな思いがシェドの脳裏に飛来した時、シェドは死の淵から意識を取り戻した。 「……あら、気が付きました?」 シェドが目を開くと、そこには若い女の姿があった。シェドは朦朧とする意識の中、横たわっている自分の上半身を起こして周囲の様子を伺った。 こぢんまりとした部屋の中。窓辺には花瓶があり、黄色い小綺麗な花が生けてある。シェドは真っ白なシーツが敷かれたベッドの上に寝かされており、部屋はまるで書斎のように多くの本棚で埋め尽くされていた。 ベッドの傍らに椅子を置いて、そこに腰を下ろしている若い女。シェドより四、五歳ほど年上だろうか、腰まで伸びた長い髪は森の木々みたいなビジリアン色をしており、ぱっちりとした瞳は菫色で、とても穏やかな笑みを浮かべて女は編み物をしていた。 「……ここは?」 「私の家です。川へ水を汲みに行ったらあなたが岸に打ち上げられていたので、村の人に助けを借りてここまで運んできました」 まるで警戒心のない無防備な笑顔を見て、シェドはまるで戦闘時に不意を突かれたような顔つきになる。動揺を必死に隠してシェドは視線を泳がせた。 「……そうか。世話になった」 「いいえ。困ったときはお互い様です。お腹も空いているでしょう? 今、食事の準備しますね」 女が立ち上がって編み物を椅子の上に置き、パタパタと足音を残して部屋を出て行った。残されたシェドは、窓から差し込む光に少し目を細めながら外の様子を伺った。 小さな村のようだ。灰色の粘土を固めた壁にオレンジ色の平らな屋根を持つ家がぽつぽつと点在しており、窓から見える通りには小さな野菜を売る店と動物の肉を売っている店が並んでいる。 部屋の中へ視線を戻して天井を見上げれば、そこには油を燃やすランプがつり下げられていた。今時は小粒のフレアジェムやサンダージェムを用いる魔練器灯が当たり前だと言うのに、この村ではあまり魔練器が普及していないらしい。 ここが何処なのか。どうして自分はここにいるのか。シェドは少しだけ逡巡し、すぐに答えを思い出す。ミゲルにやられて激流の川に落ち、そして下流にある川沿いの村で助けられたのだろう。 「すいません、蓄えが無くて簡単なものしか作れませんでした」 二十分ほどして先ほどの女が再び姿を現し、シェドの前にお盆にのった土鍋を差し出した。シェドはベッドから下りて盆を受け取り、目に付いた机の上にそれを置いた。 鍋の中はおかゆで、白い湯気とハーブの香りがシェドの鼻孔をくすぐる。シェドは女に謝辞を述べてから、スプーンでおかゆを口に運んだ。 「……すまない。何から何まで迷惑をかけて」 「そんな、私が勝手にしているだけですから、かしこまらないで下さい」 みっともなくおかゆをがっつきながらシェドは思う。いつ死んでもいいなどと思うならば飯を食わずに餓死すればいい。だが、人間って奴は腹が減ればやはり飯を食いたくなるのだ。何となく生きているというのは、こういう人間として当たり前のことを放棄できずにずるずると目的もなく生きていることを指すのだろう。 「ここは穏やかな村だな。村の人間に言うのもなんだが、あまり活気がない」 「はい。もともと穏やかな村なのですが、今は村の働き手が村をあけていますから」 「……? 都会に出稼ぎでも行っているのか?」 確かに窓からのぞく景色には年寄りや女子供ばかりだ。労働力の源である若い男の姿は皆無といってよかった。 「いえ、半月ほど前からトルメキア王国の命令で、近くにある古代遺跡の発掘手伝いとして借り出されているのです」 「……っ」 思わず、シェドはおかゆをすくうスプーンを止めて息を飲んだ。不思議そうにシェドを見つめる女に、シェドは出来るだけ冷静を装って尋ねる。 「この村……、何て名前なんだ?」 「この村ですか? ここはフェアリテールという村ですけど……」 やはり、とシェドは内心舌打ちした。この村の男達はきっと、いや間違いなく彼らはこの村に帰ってこない。古代都市遺跡で、天使に関わる事項に触れたが故に口封じとしてすでに殺されているはずだ。 シェドは顔を持ち上げ、再び椅子に座って編み物を続ける女へ視線を向けた。シェドの視線に気づいた女が、にっこりと春の陽気みたいな笑顔をシェドへ返す。 「…………」 今回の任務で殲滅すべき村。その名前がフェアリテールだった。殲滅とはすなわち村人全員皆殺し。目の前にいる女も、その対象だ。 だからどうした、と普段のシェドなら思っただろう。別に助けられたからと言って何か感情を抱くわけではない。ただ相手が敵であるシェドを助けた、それだけのことだ。 だが今は―― 「……どうしました? ……お口に、合いませんでした?」 「え……? あ、いや……。そんなことない。すまない、少しボーッとしていただけだ」 やりにくいな、と思いながらもシェドは辛うじて冷静を維持する。シェドはニーヴルの猟犬。殲滅対象である村人にあれこれ詮索されるのはまずい。 「そうですか? それならよかったです。……実は私、嫁いだばかりで、その、まだ料理の腕に自信がないんですよ」 女が少し頬を赤らめながら舌を出した。 「嫁いだ……。……旦那は、出払っているのか?」 「あ、はい。先ほどお話しした古代都市に……」 「……そうか」 一瞬だけ寂しそうな笑みを見せた女から、シェドは悲痛な面持ちで視線を逸らす。それはシェドがこの村を壊滅させる存在であることを隠す演技なのか、それとも本心なのか、シェド自身よくわからなかった。 「そう言えば、まだお互い名前も知りませんでしたね」 シェドが俯いていると、カラッと元気よく女が笑顔を浮かべる。見れば、女はまた先ほどと同じような屈託のない笑みを浮かべていた。 「俺はシェド。シェド=ガンブレイブだ」 シェドが名乗ると、女はにっこり笑って口を開いた。 「私はアリカ。アリカ=ハーフレット。よろしくね、シェド」 特に外傷のなかったシェドは、アリカの出してくれた食事を食べた後、アリカと共に家を出て村の中を散歩していた。 びしょ濡れだったというニーヴル支給の戦闘服は寝ている間にアリカが取り替えてくれたらしく、今シェドの身を包むのは真っ白なワイシャツと紺色の皮のパンツのみ。たとえ任務でも、こんなにラフな格好をするのは希だった。 「今日は天気がいいから、きっとシェドの服もすぐ乾くわね」 目陰を差してアリカは目を細めながら太陽を見上げていた。その横顔は、今までシェドが見てきたどの女よりも美しいと思った。 アリカはどうしてシェドが川岸に倒れていたのか聞かない。シェドが何者で、どうして銃を手に握りしめたまま倒れていたのか、おそらく疑問には感じているはずだ。だがそんな様子は微塵も見せず、何も言わず、シェドの目に止まる場所に銃をそっと置いておいてくれた。シェドは躊躇ったが、銃を手にとってポケットに押し込んだ。 「こんなに天気いいと気持ちまで晴れてくるわよね」 「……そうだな。そう言えば、今日は何月何日だ?」 「え? 今日は牡羊月の十一日よ」 「…………そうか」 どうやらシェドは激流に飲まれて丸一日気を失っていたようだ。昨日の昼、ミゲルと戦って川に落ち、今日の昼過ぎにアリカの家のベッドで目を覚ました計算になる。 ならば、任務決行予定は明日の晩。それまでアリカに悟られてはいけない。 シェドは戸惑いをおくびにも出さずアリカと肩を並べて歩を刻んでいた。 本当は一体アリカがシェドをどう思っているのかまったくわからず、内心かなり困惑していた。しかしその困惑を培った精神力で抑え込む。 今までシェドが任務を遂行する上で関わった人間は、大きく分けて二つのパターンに分かれる。シェドを疑っている人間か、単純に信用している人間、そのどちらかだ。 だがアリカはそのどちらでもなかった。何故シェドが倒れていたのか。何故銃を持っているのか何一つ尋ねてこない。 多くの人間を見てきたシェドですら、アリカの本心は推し量れない。シェドを不審に思っているのか、それともただの遭難者と信じ切っているのか。 「なにボーッとしてるの? まだどこか体が痛む?」 シェドがしばらく無言のまま仏頂面をしていたからだろう。アリカは不思議そうにシェドの顔を上目遣いでのぞき込んできた。 「……いや、別に」 「あらそう? んー……、じゃあ、何か後ろめたいことでもあるのかしら?」 「……っ」 アリカが楽しそうに微笑みながらそう尋ねた。シェドはキリキリと胃が痛むのを感じながら、 「そんなことない」 と、小さく答えた。 「じゃあもっと元気よく笑顔でいなさいよ。そんな辛気くさい顔していたら、まるで悪い人みたいに思われるわよ」 「この顔は生まれつきだ」 「あらまあ、うふふ……」 どこまでアリカはシェドのことを見抜いているのだろう。騙し合いの修羅場を何度もくぐり抜けてきたシェドですら、アリカの意図が読めない。 「シェドって背も高くて顔立ちもいいし、結構モテるんじゃない?」 ふいに、アリカがまじまじとシェドの顔をのぞき込みながらそう尋ねてきた。シェドは突拍子のない質問に、一瞬答えに詰まる。 「そ、そんなことない。……そういうのはからきしだ」 「またまたぁ、照れちゃって。シェドがそう思ってても、周りはきっとシェドを放っておかないでしょうに。もう少し垢抜けた感じが出れば、もっともっとモテるでしょうね」 「まさか。……どうやらアリカは目が悪いみたいだな」 「失礼ね。ここから広場の花壇に咲いてる花を数えられるくらいにはいいのよ。……って、なんかこういう会話をしているとまるで私があなたに惚れているみたいね」 アリカが相変わらずほんわかとした笑みを浮かべたまま、シェドから一歩身を引いて近づき過ぎていた顔を遠ざける。 「あの人ってば普段は無口でぶっきらぼうなんだけど、本当は人一倍焼き餅やきさんなのよ。こんなところ見られたら、三日は口きいてもらえないわ」 「……俺はアリカの旦那に恨まれるようなのことはごめんだ」 「あーらご愁傷様。この場を目撃した人がきっと、あの人が帰ってきた後に尾びれ背びれをつけて話すでしょうね。覚悟しておきなさい」 楽しそうに笑うアリカを前に、シェドはそんな日が来ないことを知っていながら作り笑顔を繕った。 アリカの夫はすでに古代都市でニーヴルの人間に殺されているだろう。この村から借り出された他の村人も同様に。 そしてこの村に残された老人、女子供も、明日の夜には物言わぬ死体となっているだろう。当然、目の前のアリカも。それが今回の任務であり、シェドはその任務を遂行するためにここへきた。 気乗りはしない。サボろうかとも思っていた任務だ。だがこのような状況に置かれた以上、襲撃が始まればきっとシェドは片腕仕事で淡々と任務に臨むだろう。ただ命令された、それだけの理由で。 「なーんか偽物っぽい笑顔ねぇ」 ピクリと、シェドはアリカに気づかれないよう小さく眉を動かした。 「表面上だけ私に合わせてない?」 「……何でそんなことする必要があるんだよ」 「それもそうね。……うん、気のせいだったみたい」 「…………」 任務を成功させる上でアリカの存在は邪魔だった。つかみ所のない女。初対面であからさまに不審そうなシェドを前にしてもまったくたじろがず、それどころかすぐに「お互い、敬称なしで呼び捨てね」と切り出すような女だ。 今まで関わったことのないタイプの女に困惑しつつ、シェドは静かに任務開始予定時刻である明日の晩を待つことにした。 夕暮れのフェアリテールを、シェドとアリカはゆったりと歩いていた。 かれこれ四時間くらいアリカと一緒に居る。その間、何度かきわどい質問をされたが、シェドはすべてかわしきった。 やはりアリカはシェドを疑っているのだろうか。いや、アリカの質問は別に他意があるようには思えなかった。それが演技なのか、それとも本当に他意はないのか、シェドにはわからない。 「んー……。今日はよく歩いたわね」 「こんなブラブラしてていいのか? 仕事とか……、何かすることないのかよ」 「そうねぇ。でもこの時期は畑はまだ準備期間だし、家の掃除だって自分なりにちゃんとこなしているし……。これでも一応、主婦業は一通りやってるのよ?」 夕日がアリカの頬を差し、アリカを包む白いローブがうっすらとオレンジ色に染まっていた。穏やかな笑顔。きわどい質問とは正反対に、アリカが浮かべる笑顔は真っ直ぐでまったく裏のないように見える。 「……あら? シェドってば、私に見とれてた?」 「んなっ!」 「駄目よ。私は人妻ですもの。……それに、私はあの人一筋なんだから」 「……惚気かよ」 「いいじゃない。だって、村の人はもう私達がおしどり夫婦だって知ってるから、惚気られないんだもの」 だからシェドに、というアリカを見つめ、シェドは微かに目を細める。あまりに無防備な笑顔だ。やはりアリカはシェドを疑ってなどいないのではないか。 「シェドってどことなくあの人に似てるのよね。ううん、顔つきじゃなくて、何て言うか、纏っている空気というか……」 「ハン。アリカの旦那ってのも相当ひねくれ者みてぇだな」 「そう! そうなのよ! 本当にもう、可愛げがないというか、本心を隠していーっつも演技してるんだから」 皮肉を込めて言った台詞に思わぬカウンターを食らったシェドは、口元をほんの少し歪め、改めてアリカという女がとてもやりにくい相手だと認識した。 もしかしたら本当にただ旦那の愚痴をこぼしただけなのかもしれない。それに過剰反応してしまうなど、普段のシェドではありえないことだ。だがそうさせる何かがアリカにはある。シェドの冷静さを失わせ、自滅を誘発するような魔力がアリカの笑顔にはあった。 「……シェドも結構演技派よね?」 不意打ち。この場合は追い打ちだろうか。アリカが探るような目でシェドを見つめてくる。いや、そこに猜疑心が見え隠れして見えるのはおそらくシェドの心がそうさせているだけであって、アリカ本人にはまったく他意はないのだろう。 シェドは背筋を流れる冷たい汗を感じながら、 「何のことだ」 出来る限り冷静に言い放つ。アリカが一層目を細め、にこやかに笑った。 「あら、誤魔化しきれてるとでも思っているの? 私にはわかったわ!」 「……何がだ」 まさか本当に正体がばれたのか、とシェドは反射的に銃を握りそうだった右手を自制する。まだそうだと決まったわけじゃない。 沈黙が降りる。シェドは無感情を演じてアリカを見据え、アリカは朗らかに笑いながらシェドを見つめている。 「ズバリ、シェドはムッツリね!」 「はあ? な、なんだよそれ」 「んもう、バレバレ。俺は女に興味がない、みたいな孤高ぶってるけど、実は私の美貌にメロメロなんでしょう? ほら、白状しなさいよ」 シェドは全身の力が抜けるような虚脱感を覚え、思わず頭を抱えて大きくため息をついた。アリカが、「違うの?」と小鳥のように首を傾げる。 「……そこまで自意識過剰だと、呆れるを通り越して褒めたくなってくる」 「な、何ですって?」 「俺がアリカに一目惚れ? ハッ、おめでたいにもほどがある」 「む……。じゃあ何よ、シェドは女に興味のないゲイだとでも言うの?」 「……違う。それだけは断固否定しておく」 ああ調子が狂う。一刻も早くアリカの側から離れたい。 シェドは内心毒づきながら歩き出す。その後ろで、足を止めたままだったアリカがつぶやくように、けれどはっきりとシェドの耳に届くようささやいた。 「演技してるってことは否定しないのね」 シェドは聞こえないふりをして歩を刻み続けた。 斜陽に浮かぶ広場へシェド達が足を運んだとき、そこでは子供達がボールを蹴りながら賑やかに遊んでいた。 「子供達は元気ね。もう長い間、お父さんに遊んで貰ってないから、本当は寂しいはずなのに」 「ガキは単純だから、そんなこと気にもしてねーだろ」 「……シェドって、本当にひねくれてるわね」 「かもな」 シェドとアリカが話し込んでいると、シェドの足下にぽんぽんと、ゴムで出来たボールが転がってきた。シェドが視線を移すと、広場で遊んでいた子供達が顔を引きつらせてシェドを見つめていた。 誤ってボールをシェドの方へ飛ばしてしまったのだろう。そして怒られるとでも思い、ああして今にも泣き出しそうな顔をしているに違いない。確かに今のシェドは、アリカに対して疑心暗鬼になっているせかいつも以上に強面になっている。 アリカが何か言いたげにシェドを見上げる。シェドはため息を零しながら足でボールを蹴り上げ、ぽんぽんと何度がボールが大地に落ちないよう足だけで蹴り上げてから、ぽーんと子供達へボールを軽く蹴飛ばした。 驚いた様子で七歳くらいの少年が戻ってきたボールを手で拾い上げ、ポカンと口を開いたままシェドを見つめた。この程度の芸当、組織で訓練を積んだシェドにはお手の物だ。 「お兄ちゃん、ありがとう!」 「すごい! お兄ちゃんボール遊びうまいんだね!」 怯えていた子供達から緊張が抜け、屈託のない笑みがポツポツと咲き始める。シェドはそんな子供達を前に嫌な顔一つ出さず、微笑を浮かべてみせた。感情を偽ることも、組織で得たスキルの一つだ。 「……お兄ちゃん、怒ってるの?」 「え?」 「なんか、すごく怖い顔してる」 ありがとうと言った少年の笑みが凍り付き、まるで怖いものを見るかのように眉根を寄せてシェドから遠ざかった。 子供達に笑顔が偽物だと気づかれたことにシェドは少なからずショックを受けた。今まで何人たりとも疑問を抱かせたことのないシェドの作り笑顔が、こうもあっさり見破られるとは思ってもみなかった。 「この人さ、私がさっきから悪口ばっか言っているからスネてるのよ」 困惑するシェドに助け船を出してくれたのはアリカだった。見れば、「もう、駄目な男ね」とでも言いたそうにアリカが困った笑みを浮かべている。 「ああ、アリカさんの毒舌にやられたのか。お兄ちゃん、あんまり気にしちゃ駄目だよ。アリカさんの毒舌は村でも有名だから」 「ええっ!? ちょ、ちょっと!」 少年が何かすごく納得したような面持ちで、ずっと年上のシェドを慰めるように言った。他の子供達も同意するようにウンウンと首を縦に振っており、それを見たアリカは顔を少し赤らめて子供達をいましめている。 「だからお兄ちゃん、怖い顔してないで一緒に遊ぼうよ! きっとアリカさんの毒舌だってすっきり忘れられるからさ」 「あーもう! 何度も毒舌なんて言わないの! 私がいつそんなコト言ったのよ!」 「えー。でもかーちゃんも本屋のじいちゃんも、みーんな言ってるぜ?」 再度、子供達がウンウンと首を縦に振る。もうアリカの顔は真っ赤だ。今までずっと、まるでシェドを子供扱いする年上の女を見せつけてきたアリカのそんな態度に、シェドは動揺するどころか―― 「もうっ! シェドまで一緒に笑わないでよ!」 「…………え?」 シェドはそっと自分の頬に手を当てた。シェドが笑っている。アリカは確かに今そう言った。 作り笑顔を繕おうとした記憶はない。今はニュートラル、つまり無表情のはずだった。それがアリカの目には笑って見えたという。 「こらあなた達! もう遅いんだからそろそろ切りを付けてお家に帰りなさい!」 困惑するシェドの隣で、アリカが顔を赤らめたまま子供達に注意する。子供達は口々に不満そうな声をもらしながらも、アリカの言葉に従って広場から散っていった。 ほんの数分前まで賑やかだった広場に静寂が舞い降りる。アリカはまだ不満げに頬を膨らませていた。 「……私ってそんなに毒吐いてるかなぁ。シェドはどう思う?」 「さあな。……まあ、突然の来訪者である俺に対しても無遠慮にあれこれ言えるってところは、確かに変わってると思うぜ」 シェドはアリカの問いに肩をすくめながら答えた。言葉に出さなかったが、心の内では村人達のアリカに対する評価に納得していた。 「変わってる……か。そうね、そうかもしれない」 「アリカ?」 適当に相づちを打ったつもりの言葉に、アリカが何処か寂しげにつぶやいた。シェドの視線に気づいたアリカが、何でもないという代わりに首を左右に振る。 「私達も帰りましょうか」 「ん……」 アリカが歩き出し、シェドは一瞬躊躇してからその後を続いた。 アリカの家に帰る必要などない。理由もない。けれど、断る必要も理由もなかった。 別に優しくされたからといって感情移入することはない。今まで、他人の善意につけ込んで裏切ってきたことなど数知れずある。シェドはエインフェリアだ。世界を裏で操るニーヴルの猟犬だ。信用を裏切ることなどに、何の後ろめたさも感じない。 どうせ明日の夜にはアリカは死ぬ。わかっている。それは確定された未来だ。 だがシェドは気になった。知りたいと思ってしまった。 シェドの言葉に寂しげに笑ったアリカの顔。その理由、その本心が。 適当な理由をつけてアリカの家から出て行ってもよかった。だがシェドが切り出す前にアリカが、 「どうせ特に行くところないんでしょ? しばらくうちに泊まっていきなさいよ」 サクサク話を進め、シェドが言葉を選んでいる間にパタパタとキッチンへ行ってしまった。やはりやりにくい相手だとシェドは嘆息する。 手持ち無沙汰のシェドはアリカが夕食の準備をしている間、書斎の本棚に並ぶ書籍を気怠く見つめていた。別に本に興味はない。いや、シェドには趣味と呼べるものなど何もない。ただ暇つぶしに眺めているだけだった。 ふと、とある本棚の一角に少しほこりを被った写真立てがあることに気づいた。しかも一つではなく、その棚は本ではなく写真立てだけで一列占有していた。 左端の写真を手に取ってみると、そこには若い男女が青空の下、大きな木の隣で寄り添うように立っていた。 女の方は間違いなくアリカだった。写真のアリカはまだショートヘアからセミロングになったくらいで、今の腰まで伸びた長い髪ではない。数年前に取られた写真だろう。 隣に立つ若い男は憮然とした面持ちを浮かべている。おそらくその男がアリカの旦那だろう。確かに見れば見るほどヒネくれていそうな顔をしている。 シェドはその写真を戻し、隣の写真を手に取る。今度のアリカは完全にショートカットだった。そしてその横には若い旦那の姿もある。 次、次とシェドは写真を手に取って見つめる。同じ男女が写る写真は、棚の右へ行くほど若くなっていった。 はにかむように笑う幼いアリカと、やんちゃに笑う少年。右端の写真は、まだ二人とも五歳くらいの写真だった。 「……昔から、一緒だったのか」 「そうよー」 「――っ!?」 シェドの独り言に背後から答えが返ってくる。目を剥いて振り返ったシェドの視界に、アリカの優しげな笑みが映った。いつからそこに居たのか、シェドはまったく気づかなかった。 「シェドってば、私が部屋に入ったことに気づかないくらい写真に見入ってるんだもの」 「……そうだったか?」 アリカが写真を手にとってニコニコと笑う。その笑顔を見れば、アリカがどれほど写真に写っている男のことを想っているかわかる。 「幼なじみでね。小さい頃からずーっと一緒だったの。将来、絶対この人と結婚するんだって、子供の頃から思っていたわ」 「……それで、望み通りになったわけだ」 「そう。私、頑張ったもの。あの人ったら絶対自分からは行動してくれないから、毎回毎回、私からアプローチをかけたのよ」 シェドは眉を顰めて窓の外へ視線を流した。 胸が痛む。それが何故か、シェドはわかっていたが認めたくなかった。 自分はアリカに同情している。愛している男がすでにこの世に居ないことを知らず、健気に待ち続けるアリカに。 自分で自分の愚かさを心の中で罵る。完全に切り捨てたはずの感情が、どうして今頃になって顔を出そうとしているのか。それが腹立たしく、苛つかせる。 「まーたシェドは怖い顔してぇ……。あ、わかった。私と旦那のツーショットばかりだからイライラしてるのね」 「は?」 気づけばアリカの顔はシェドのすぐ真ん前にあった。思わずシェドは無様にのけぞって身を離した。 「シェドってそんなにも私にメロメロなの?」 「……またその話か。何度でも言ってやる。自意識過剰だ」 「言っておくけど、シェドの寝るベッドはここだからね。私は向こうの寝室。……寝込みを襲っちゃ駄目だからね。そんなことしたら、あの人が黙ってないから」 もう何を言っても無駄か、とシェドは嘆息する。アリカは相当シェドを茶化すのが好きらしい。 「ああ、そんな話がしたいんじゃなくて、夕食の準備出来たわよ」 「……ああ」 シェドは憮然とした面持ちのまま居間へと移動し、アリカと向かい合うよう腰掛けてアリカの手料理を口に運ぶ。味はまあまあ、悪くはない。シェドの方が上手いだろうが、シェドはお世辞も文句も口にせず、淡々と食を進めた。 そして結局、アリカの家を出て行く理由を述べる機会もなく、その晩シェドはアリカの家で床についた。 生きたい。死にたくない。嫌だ、死ぬのは嫌だ。 生に対する執着は他者の存在を排除してでも自分を生かそうとした。その結果、暴力で食べ物を奪うことを覚え、人を騙すことで金が得られるということを覚えた。 そしてそれらの根底として得たもの。それは他人をヒトではなく物同等に思い、殺すことに何の哀れみも感じなくなったことだ。それが生きていく術であり、世の中の真理だと疑わなかった。 シェドはジェムが扱えた。しかも属性問わずすべて。ニーヴルはそんなシェドの能力を買い、十歳という若さでシェドはニーヴルのエンフェリアとなった。 その後、厳しい訓練を経てシェドは最上位であるS級に昇格した。ニーヴルはシェドが自力で獲得した真理、強者の理論を掲げるまさにうってつけの居場所だった。 だが生きるために多くの命を奪っていくシェドは、徐々にその行為に疑問を抱くようになっていった。それは人を殺すことが間違っているという道徳的なものではなく、単純にシェドの生に対する執着が薄れたことによるものだ。 他者を退けてまで生きようとする意味が今のシェドにはなかった。無駄に齢だけを重ね、体だけ大人になっても心は空っぽ。そんなシェドに、生きがいと呼ぶべき人生の目標などなかった。 だからだろう。今の生き方に疑問を抱いたのは。 意味のない生に、何の価値があるのだろうか。 価値のない人間に、生きる意味などあるのだろうか。 そんなことばかり考えるようになったシェドは、次第に任務に対する意識が薄れ、いい加減な片手仕事で任務に臨むようになった。 無気力。それが今のシェドを形容するすべてだった。取りあえず任務をこなす。取りあえず命令されたから任務をこなす。そんな日々が延々と続いていた。 それでもシェドはエンフェリア。任務に支障をきたすような標的に対する感情など、持ってはならない。ましてや同情、罪悪感など、抱くだけ馬鹿らしい。 「んもう! 何で少し目を離すといつも、あなたはそうやって、こう、眉を顰めるのよ」 シェドが俯き加減に眉根を寄せながら歩いていると、前を歩いていたアリカが突然振り返り、指で自分の眉を押さえながらしかめっ面をして見せた。どうやらシェドの物真似をしているつもりらしい。 早朝の森の中を、シェドはニーヴルから支給された黒い戦闘服を着込み、アリカが「それじゃあまるで悪人みたいよ」と言うので、その上にブルーのジャケットを羽織って歩いていた。アリカはフード付きの緑色の生地出来たワンピースに、手織りの黄色いカーディガンを肩に掛けていた。 「生まれつきの顔に文句があるなら、死んだ俺の両親にでも言ってくれ」 「うむむ……、ああ言えばこう言う……。ホント、あの人そっくりだわ」 「そうか、アリカの旦那とは話が合いそうだな。……いや、アリカと結婚してもやっていけるような男だ。全く気が合わないか……」 「シェド、あなたって意外と面白い人ね」 目が据わっている。別に刺激するつもりで言ったのではなく、本心からアリカの旦那とは気が合わないと思っただけなのだが、意地の悪い冗談だとアリカは受け取ったようだ。 アリカが夜も明けきらぬ内に寝ているシェドをたたき起こし、こうして森へと連れてきた理由、それは山菜採りだ。確かに朝一ならば、森とはいえ魔物に遭遇する確率は低い。おそらくアリカはそう考えて朝を選んだのだろう。だが―― 「何で俺まで山菜採りをしなくちゃならねぇんだ?」 朝起きたら直ぐにでも出ていこうと思っていたのが、初っぱなから出鼻をくじかれた気分だった。 「何言ってるのよ。昨日の昼食と夕食、そして今日の朝食。三度も飯をただで食べておいて、何にも恩返ししないで出ていくつもりだったの?」 「……っ」 出ていくなど一言も言っていないのに、アリカはさも当然のようにシェドの行動を読み当てていた。シェドは思わず返答に窮してアリカから視線を逸らし、山菜探しを再開する。 その時だった。シェドは微かな気配を感じ取って表情を引き締めた。アリカはまったく気づいている様子はなく、真剣な眼差しで腰を落としたまま山菜を探している。 シェドはそっと茂みのそばに、山菜を探している振りをしながら近寄った。 「……伝令か?」 「作戦決行に変更はない。お前は村で決行を待て」 シェドの問いに茂み奥から声が響く。ミゲルではない。まだ若い女の声だ。 「わかった」 シェドが任務の了解を告げると、茂みの奥にあった気配は引き波のようにスッと消え、シェドはアリカに気づかれた様子がないかを確認してからそっと立ち上がった。 村で待て。本当なら今すぐアリカの側から離れたい。シェドはそう思っていた。 アリカはシェドの何かを狂わせる。側にいるだけで、アリカのペースにはまっていくのがわかる。そしてそれはシェドを困惑させ、戸惑わせる。 「シェドーッ! そっちはどうー?」 アリカがぐーっと伸びをしながら振り返る。穏やかな笑みがそこにある。 「からきしだ。どれが食える草なのかさっぱりわからん」 「んもーっ! 来る前にちゃんと図鑑見せたでしょ!」 「見せたって……、一ページ当たり二秒も見てねぇよ」 「シェドならそれで十分覚えられるでしょう!」 実際アリカの言うとおりだった。実は全部分かっている。シェドの籠が空っぽなのは、単にサボっていたからだ。 「……ったく、何で山菜採りなんかしてんだよ。そんなに家計がやばいのか?」 「別にそんなことないけど……。自分で採った山菜って美味しいじゃない?」 「わかんねーな。……ふぅ、本当、風変わりな女だ」 「…………」 まただ。またあの時の同じ、寂しげな笑みをアリカが浮かべた。シェドは目を細め、注意深くアリカの様子をうかがった。人間観察も、シェドが体得したスキルの一つ。 だがシェドにはアリカの表情が意図するところがまったく読めなかった。何かに落胆、いや、悲しみに暮れているように見えるが、肝心の理由がさっぱりわからない。おそらくは“変わった女”という語句がキーになっているのだろうが、それだけでは情報不足だ。 過去に何かあったのだろう、今得ている情報からシェドはそう判断した。 普段のシェドならそれで終いのはずだった。だが何故か、シェドはどうしてもアリカのあの顔の意味が知りたかった。普段あれだけ気丈に振る舞っているアリカが見せる、あの悲しい笑顔。任務に不必要だというのに、シェドはそれが心に引っ掛かって仕方ない。 「……アリカ」 知らぬ間に、シェドは小さくアリカの名前を口に出していた。アリカはそれに気づいた様子もなく、静かに自分の足下を見つめている。 何故こんなにも苛々しているのか。シェドは堪らず、奥歯をギリッと噛みしめた。 丁度、シェドが俯き加減にアリカから視線を逃した時、シェドはアリカの背後に気配を感じ、咄嗟に、 「アリカッ! 避けろっ!」 そう叫んでいた。驚いた様子で固まっているアリカに舌打ちしながら、シェドは持っている籠を投げ捨てて一気に間合いを詰める。 『ガアアアッ!』 「く――っ!」 間一髪、シェドはアリカと現れた巨大な影との合間に割って入り、その鋭い爪を取り出しだ銃身で受け止めた。 茶色い毛皮に覆われた、体長二メートル強はあるビッグベアだ。鋭い爪を両手から伸ばし、口からは二本の一際長い犬歯が伸びている。凶悪な面構え、威圧的な殺気。この時期は冬眠から目覚めたばかりで何かと餌探しに余念がない。 「大丈夫か?」 「え、ええ……。私は大丈夫……」 シェドは目でアリカに離れているよう指示を出す。アリカが突然の状況に混乱しながらも離れていったのを確認してから、力任せに銃身でベアの爪を弾いて間合いをあけた。 殺気を漲らせているベアを目の当たりにしながらも、シェドはずっと別のことを考えていた。 何故アリカを助けたのか。 アリカはシェドを狂わせる。それならば離れてしまうのが一番、そしてそれが出来ないのであれば早々に消してしまえばよかった。だがシェドにはそれが出来ずにいた。 そう考えればビッグベアの襲撃はまさに天恵だった。シェドが手を下すまでもなく、山菜採りに来たアリカが魔物と遭遇して殺されるという構図。何故それをみすみす阻害してしまったのかと、シェドは繰り返し後悔する。 いや、本当に後悔しているのだろうか。この苛立ちは後悔から来ているのだろうか。 『グアアアッ!』 「……うっせーよ!」 シェドの思考を中断させるよう、ベアが両腕を持ち上げて勢いよくシェド目掛けて振り下ろしてきた。シェドはベアの攻撃よりも早くベアの懐に潜り込み、無駄のない動きでその腹部を足裏で痛打した。 体長二メートル強、体重三百キロの巨体が宙を舞って後方の樹木に激突する。衝撃で木が折れ、べきべきと音を漏らしながらシェドに倒れてきた。 「鬱陶しい……」 シェドは舌打ちしながら、銃口を倒れてくる木に向ける。銃にはミゲルとの戦闘以降ずっとフレアジェムが埋め込んであった。 フレアジェムへ意識を注ぎ、シェドは迷うことなく魔弾を放った。紅蓮の炎が舞い上がり、倒れてきた木がシェドを襲う前に一瞬にして灰と化し、森を駆け抜ける風によって霧散していった。 『グ、グゥゥゥ……。ガアアアアッ!』 ベアは圧倒的な力の差を見せつけたにも関わらず退こうとしない。どっちが強者がわからないほど野生の世界は甘くないというのに、相当阿呆なベアらしい。 「咆えるなよ。雑魚風情が……」 シェドは静かにそう言い放ち、そしてベアの脳天に銃弾を一発、二発、三発……、計六発撃ち込んだ。ベアは断末魔の叫びをあげることもなく大地へ崩れ落ち、シェドは銃を腰のホルスターにしまい込んだ。 だがシェドが一息ついて後方を振り返った時、茂みから現れたもう一体のベアがまさにアリカに襲いかかろうとしていた。 「ちっ! つがいかっ!」 シェドは再度銃を手に取り、大地を蹴った。アリカが愕然と後方を見て固まっている。そしてシェドの目の前で、ベアの爪がアリカの肩口から脇腹にかけてを鋭くえぐった。 「あああっ!」 朱色の血が飛散する。青々と茂る草木にアリカの血が付着し、シェドはその光景を目を剥いて見つめた。 「……アリカ……。アリカァッ!」 アリカが仰向けに大地へ倒れる。シェドはその瞬間、頭の中で何かがキレたような気がした。グリップを握る手に力が籠もり、全身から殺意が溢れてくる。 「うおおおおおっ!」 『グアアッ!』 七色のジェムが眩く煌めき、魔力の剣が具現化する。周囲を衝撃が駆け抜け、シェドは凄まじいスピードでベアに詰め寄り、一閃にてその身を斬り捨てた。 「アリカッ!」 二つに分かれたベアなどには一目もくれず、シェドは血を流しながら倒れているアリカに駆け寄った。ぐったりとして瞳を閉じてはいるが、幸いそこまで傷は深くない。シェドは直ぐさまヒールジェムへ意識を注ぎ、アリカの胸の上に手を掲げた。 薄暗い森にヒールジェムの淡い光が広がり、アリカの傷がみるみる癒えていく。病気などの内的な要因は取り除けないが、外傷ならばヒールジェムで治せる。 その時、またもシェドの脳裏に葛藤に似た思いが飛来した。 何故アリカを助けているのだろう。このまま傷ついたアリカを連れて村へ戻るだけで十分なのに、何故わざわざ治療しているのだろう。アリカは殲滅すべき村の人間。言わば標的といっていい相手だ。なのに何故―― そんな考えがぐるぐると頭の中を巡る中、シェドは歯を食いしばってヒールジェムを輝かせる。 「くそ……。俺は何をしてるんだ!」 考えと行動が矛盾している。それはシェド自身自覚していた。だがわかってるからといって、体はヒールジェムへ意識を注ぐことをやめない。 もうすべてが滅茶苦茶だった。シェドは思考を一切切り捨て、アリカの治療に専念することにした。もう、今のシェドにとって思考は無駄以外の何物でもない。 しばらくしてアリカが目を開き、その笑顔を確認するまで、シェドはヒールジェムを使い続けていた。 シェドはアリカを負ぶって村へと引き上げる。山菜の入った籠はベアに襲われた場所に放置してきて、二人は手ぶらのまま村を目指して森を進んでいた。 「ありがとう。……シェドって、強いのね」 シェドの首に両腕を絡ませ、顎を肩に乗せながらアリカがつぶやく。 「それなりにはな」 「ヒールジェムも使えるみたいだし、お陰で本当、助かったわ。ありがとう」 「……何度も言わなくていい」 アリカの熱を背中に感じながら、シェドは表情を曇らせて歩を刻み続ける。自分が今している行為の無意味さを改めて実感していた。 どうせ今日の晩にはニーヴルの連中が村を襲い、一人残らず消される運命だ。それはアリカも同じであり、ここでベアに殺されようが村で殺されようが、死ぬと言うことに変わりはない。ならば何故、シェドはアリカを助けてしまったのだろうか。 アリカに気づかれないようシェドは奥歯を噛んだ。だが、 「またまたシェドは怖い顔してるわね? 背中越しだからって、気づかれてないと思ったのかしら?」 直ぐさまアリカがシェドの行動を咎める。どうしてそうも簡単にシェドの行為を読み当てるのだろう。直接表情をのぞき込んでいるわけでもないのに。 「……朝が早かったから眠いだけだ」 苦し紛れにそう言い訳して、シェドは内心、やはりアリカは苦手だと毒づく。 朝の森は静かだった。サクサクと、シェドが地面を這う草や枯れ枝を踏む音が周囲に響き、時折何処からともなく小鳥の囀りが聞こえてくる。 「私ね……」 途切れそうだった会話をアリカがつなぎ止めた。シェドは特に口を挟まず、静かに続く言葉を待つ。 「何となくだけど……、相手の心が読めるの。心……、うん、思考って言うか、今その人が何を考えているのかって……」 「……え?」 思わぬ言葉にシェドは驚きを隠せなかった。 「あ、でもね、魔法とかそういうのじゃないの。何て言うのかなぁ、洞察力がいいって感じかしら?」 「……なるほど」 「うん。だからね、昔からよく、そのことでちょっと辛いこともあったんだ」 「辛いこと? 相手の思考が読めるのなら、無駄な争いとかから上手く逃げられるんじゃねぇか?」 シェドは自分の体験をもとにそう尋ねた。人間観察で相手の思考を読み、うまく立ち回る術。シェドはそれを使って、多くの人間を騙し、言い逃れ、罠にかけてきた。 「子供の頃にね。私はよく友達に、あなたは今こんなことを考えてるね、って話したの。別に深い意味もなく、わかったってしまったから言いたくなったっていう理由で」 「……あまりに当たるから、気味悪がられたのか?」 「正解。アリカちゃんは変わってる、気持ち悪い……。よく、そう言われたわ」 アリカが小さく息を吐き、シェドの首筋に当たった。 だからシェドがアリカに“変わった女”だと言ったとき、ああも寂しげな笑みを浮かべていたのか。 黙っているシェドにアリカは話を続ける。 「でも、そんな私を避けずにずっと一緒に居てくれた男の子。それが今の旦那よ。今でこそぶっきらぼうなヒネくれ男だけど、本当はすごく優しくて、不器用な私に色々アドバイスしてくれた。他人の感情に気づいても、それをむやみに口に出してはいけないって」 「…………だから、昨日俺を村中連れ回したり、今朝山菜採りに付き合わせたりしたのか?」 シェドは思い切ってそう尋ねた。シェドも薄々気づいていたことだ。 「……よくわかったわね。そう、ごめんなさい。私はあなたにあの人を重ねていたわ」 「俺も少しは人間観察に自信がある。アリカの態度を見ていれば、俺ではない誰かを俺の中に見ていることくらい、何となく気づくさ」 「うん……。強がって気丈に振る舞っていたけど、本当は寂しかった。あの人が側にいてくれないだけで、本当は寂しかったの。あの人と一緒に散歩した思い出とか、山菜採りに行って野生のチロルに会ったこと……。あなたを見ていたら、思い出しちゃって……」 アリカの声が震えだし、シェドの首に絡む腕がギュッと強くなる。自分の演技に自信を持ち、相手の演技を見抜く目に自信のあるシェドですら、アリカの演技には殆ど気づかなかった。本当は何処にでもいるような普通の女。それに何故気づかなかったのだろう。 「あなたを川辺で見つけたとき、あの人に似てるなって思った。見た目じゃなくて、纏っている雰囲気が」 「……俺は気絶してたんだぜ? 物言わぬ相手から感情なんか読み取れないだろ」 「そんなことないわ。あなたは銃を握っていて、動きやすい服装をしていた。それを見てハンターか何かだと思ったの。けれど普通、ハンターってギルドに加盟して集団行動をとるものでしょう? でも、あなたは一人だった」 アリカの言葉にシェドは黙って耳を傾ける。 「そして普通、ハンターは予期せぬ事態に備えて様々な道具を持っているはずでしょう?なのにあなたは銃以外に何も持っていなかった。だからきっと、この人はそう言った事態に遭遇してもその時に考えればいいかと思うような面倒くさがりだと思ったし、実際それで何とか出来るだけの力を持っている人だと思ったわ」 面倒くさがり。倒れている人間を見ただけでそう思う人間が何人いるだろう。 「ギルドのメンバーとの意見の相違が理由で飛び出してきたんじゃないかって思ったの。きっと気乗りしない、嫌な仕事を受けるかどうかで言い争った後にでも……」 ハンターと呼ばれる職種が、酒場に入り浸って多様な種類の仕事を報酬次第で何でも引き受けるものだということは世界共通の認識だ。アリカはそういった知識も使って、推論を進めたのだろう。 「……俺がハンターね。なるほど、面白い推理だ。だがどうして、嫌な仕事を受けるかどうか言い争って仲間の元を飛び出してきたなんて思ったんだ?」 「確かにシェドがハンターだって言うのは推論だけど、嫌な仕事から逃げてきたと感じたのはシェドの顔にそう書いてあったから、それをそのまま読み取っただけよ」 「俺の顔に書いてあったか。確かに最近嫌なことが多くて逃げていたような気もするな」 シェドの口から無意識のうちに、アリカの推理が正しいと認める言葉が零れる。 「……ごめんなさい。やっぱり、気分悪くさせてしまったわね」 「…………」 「誰だって自分の考えを読まれるのは嫌よね。心を見透かされるのって嫌よね。わかってる、わかってるの。……私だって、知りたくて知ろうとしているわけじゃないのに、気づいたら勝手に頭が相手の思考を読もうとしてるの」 シェドの肩に暖かい液体がこぼれ落ちた。 「アリカ? 泣いてるのか?」 「ごめんなさい。私、本当に最低よね。あの人の面影をあなたに求めたり、あなたが自分から話そうとしないことを勝手に読み取ろうとして……」 「……気にするな」 自分は最低だとアリカは言った。だが本当に最低なのが誰かは、口にするまでもなくシェドはわかっていた。 おそらく半分近くアリカはシェドの正体に勘づいている。何か嫌な仕事を負い、アリカ自身がそれに無関係ではないことにも気づいてるかもしれない。 だがアリカは一切何もシェドに尋ねたりはしない。それは相手の心が読めてしまうが故のことだろう。今ここでシェドに何かを問いただすことは、自分がシェドの思考を読んでその真相を聞き出そうとする行為に他ならない。それをアリカは嫌っているのだろう。 心が読めるアリカは一見騙すのが難しいように思えるが、実際は楽だった。例え何か隠し事をしていることに気づかれても、決してアリカは執拗に尋ねたりしないのだから。 「早く村へ戻ろう。また魔物に襲われないとも言い切れない」 「……うん」 だからシェドは何も語らない。アリカも何も尋ねてこない。 微妙な空気が漂う中、シェドは胸が痛むのを感じながら歩を進めた。 生きたいと思った。だから、そのために他者を犠牲にした。 それは正しい、それが世の中の摂理だと思った。 弱肉強食。強者の理論。弱者に対する憐れみなど、一切必要ない。 シェドはすべてを切り捨てた。感情という不必要なモノなど、未練なく投げ捨てた。 だからシェドは弱者からモノを奪うことも、人を殺すことにもまったく躊躇しない。迷う理由など、何処にもない。 だが本当にそうだったのだろうか。 感情を一切捨て、非情に徹し、凍てつく心を得られただろうか。相手を傷つけ、命を奪い、恐怖と絶望のどん底へたたき落とした時、本当に何も感じなかったのだろうか。 思い出そうとすると真っ黒な血を吹き出す傷口。黒い感情が過去にシェドが犯してきた行為に対して噴き出すのは何故なのだろうか。 「兄ちゃん! ボール行ったぜーっ!」 「ん。……ほらよ」 足下に転がってきたゴムボールをシェドは面倒ながらも少年へ蹴り返した。ボールを受け取った少年が今度は別の少年にボールを蹴る。 村へ戻ってきたシェド達を待っていたのは昨日広場で会った子供達だった。「昨日遊べなかったから」という理由で無理矢理シェドの腕を引いて広場で連れ込み、アリカが笑顔でシェドの背中を叩いた。 村に戻る途中でシェドの背中から降りたアリカは、それまで浮かべていた悲しげな笑みをすべて払拭して麗らかに微笑み、その笑顔を前にしたシェドは胸が締め付けられるような痛みを感じた。 「ほらほら、また行ったよー!」 「……ったく、何で俺がこんなことを……」 ブツブツ言いながらもシェドは正確なパスを少年に返す。アリカがベンチで穏やかなエールを送っており、その笑顔を見るたび、シェドはナイフで胸を抉られたような思いに駆られる。 わかっている。もう、シェド自身自覚している。 シェドはアリカに同情していた。愛する者を心待ちにする普通の女であり、他者の心が読めるが故の苦しみを背負う女。そしてシェドは、そんなアリカが待ち望む相手がすでにこの世にいないことを知っている。だからこそ、アリカに同情の念を抱いてしまった。 滑稽な話だ。ニーヴルでも指折りのS級エインフェリアであるシェドが、人間くさい感情を覚えてこんなにも戸惑い、困惑し、弱くなるなんて。 「ホント、馬鹿みてーだな」 シェドは自嘲気味に笑った。感情など一切捨てたと思っていたのに、まだしつこく残っていたらしい。今までどんなに不幸な境遇を背負った人間を前にしても戸惑うことなく殺してきたというのに、何で今更感情など思い出してしまったのだろう。 「……ったく、兄ちゃん。やる気あるのか?」 「あん?」 シェドがグルグルと同じようなことを繰り返し考えていると、少年が怒ったような表情でシェドを睨め付けてきた。こんな年下のガキにまで馬鹿にされるなんて、本当に何をやってんだか。 「そんな死んだような顔して情けねえなぁ。そりゃあアリカさんの毒に当てられて元気出ねぇのもわかるけどよ、そう言うときこそ思いっきり遊んで毒を吹き飛ばそうぜ!」 「そうだよ。楽しいことして元気になれば、アリカさんの毒舌だって何ともないって」 「…………」 シェドは思わず言葉を失った。昨日のような作り笑顔ではなく、今シェドが浮かべているのは後ろめたさや心苦しさを前面に押し出した表情。それを前にした子供達が、みな口々にシェドを元気づけようとしている。 「こらー! また私のこと言ってるでしょー!」 「うわ、アリカさん怖っ」 「鬼ババだー!」 「誰が鬼婆ですってーっ!」 アリカの怒声が響き、少年達がキャッキャと笑う。 シェドが少年の頃、あんな風に心から笑った記憶などない。生きていくことが精一杯。そこに喜びや楽しみはなかった。いや、悲しみや怒りすらなかったかもしれない。 シェドは青空を見上げ、アリカに気づかれないよう気を配ってからため息を漏らした。 「……ごちそうさま」 「お粗末さまでした」 アリカの家で夕食を終えたシェドは、食器の後かたづけをするアリカの背中に視線を送りながら幾度となくため息をもらした。 もう間もなく作戦決行予定時刻だ。刻限を過ぎればきっとこの煩わしい気持ちともおさらばできる。そう、シェドは思っていた。 シェドの体を包むのはニーヴルの戦闘服。そして腰に巻いたホルスターにはフレアジェムが埋め込まれたままの銃が収められており、袖の下の右腕には七種のジェムが埋め込んである腕輪が巻き付いている。 もう少し、もう少しですべてが終わる。任務が終わればきっとまた、シェドは感情という名の傷に封をして、今まで通り無感情にすべてのことに当たれる。 「……っ」 胸を締め付けられるような痛みを覚え、シェドは思わず胸元を押さえた。忘れようと、これは任務だからと割り切ろうとすればするほど、痛みや苦しみは増すばかりだ。 「どうしたの? シェド?」 「……何でもない。ちょっと、食べ過ぎただけだ」 あまりに稚拙な言い訳。シェドの様子を見れば誰だって別の理由があることくらいわかるだろう。だが目の前のアリカは何も追求したりしない。シェドがそう答えれば、表情を曇らせるだけだ。 「あなたは、本当に演技が下手ね……」 静かに、悲しげに、アリカがそう言った。だがシェドが黙っているとそれ以上何も言わず、唇を噛みながら俯き、そっとシェドに背を向けて再びキッチンへ戻った。 気丈で健気な女。だがその反面、アリカはすごく不器用だった。アリカの目から見ればシェドも不器用だと思われているかもしれない。 「俺は……。何で……」 シェドは椅子の背もたれに身を傾け、今朝の出来事を思い返す。 シェドに思い人を重ね、シェドの心を読もうとしたことを涙ながらに謝罪したアリカ。首筋に触れたアリカの熱い涙をシェドはハッキリと思い出せる。首に絡んでいた華奢な腕、背中越しに伝わってきた体温。そのすべてがシェドを狂わせる。 キッチンから戻ったアリカが無言でシェドの向かいに腰を下ろす。シェドが視線を送ると、満面の笑みとはいかないが、少しはにかむように微笑み返してくれた。 シェドはアリカに話しかけない。アリカも自分から口を開こうとせず、編みかけのセーターを書斎から持ってきて黙々と作業をこなしていた。 どれくらい経っただろう。ふと指を止めたアリカが、セーターをテーブルに置いて小さく口を開いた。 「あなたはそうやって、私が何も尋ねないから何も言わないつもりなのね」 アリカはしっかりとシェドの目を見ていた。弱々しくもの悲しい目ではなく、しっかりとした目で。 「……何か聞きたいことでもあるのか? 質問されれば何でも正直に答えるぜ?」 「卑怯ね」 何を言われても仕方ない。アリカの言うことは正しく、シェドは紛れもなく卑怯者だ。 シェドは口をつぐみ、アリカの言葉を待つ。どうせ何も聞いてこないだろうと、確信に近い予感があった。だが―― 「いいわ。じゃあ、一つだけ聞かせて」 「……っ?」 「シェドはどんな子供時代を過ごしてきたの? ご両親は?」 予感が外れ、困惑するシェドに向けてアリカが尋ねたのは、シェドの正体でもその目的でもなかった。意図の分からない突然の質問に、シェドは何を答えていいのか頭の中が真っ白になった。 「私の子供の頃は話したでしょう? 女の過去だけ聞いて、自分の過去を語らないなんて不公平だわ。だから、シェドの子供時代を教えなさいよ。どんなところで生まれて、どんな風に育ったのか。何が好きで、どんな遊びをしていたのか」 「……俺の、子供時代……? 俺は……」 困惑しながらも、シェドは何故かアリカに言われたとおり自分の子供時代の記憶を掘り起こし始めた。 「俺は、名もない小さな村で両親と家族三人、別に裕福ではなかったが、生活に不自由することなく暮らしていて……」 シェドの口から勝手に言葉がこぼれ落ちていく。そのことにシェド自身驚きを隠せなかった。 「……友達は?」 「友達……。……居た。そう、隣家のカッツとか、村長の娘のレイラとか……」 今の今までまったく思い出しもしなかった名前が息を吹き返したようにシェドの口から溢れてくる。 「どんなことして遊んだの?」 「覚えてな……。いや……、ああそうだ、川に行った覚えがある。村の近くを流れる川で、カッツと釣りで勝負をした。勝った方がレイラにキスしてもらえるって……」 「そうなんだ。……お友達とは、今も交流があるの?」 「いや、俺が八歳の時、村が洪水に見舞われて、村人は四方の街に散らばっていった。その時、カッツやレイラは別の街へ……」 自分は今一体何を言っているのだろう。蓋を開いた記憶が、思考を挟まず勝手に口から零れていく。まるでアリカの言葉が魔法のように、シェドの記憶を次々と引きずり出していった。 あの頃の記憶といえば、洪水で親が死に、生きることに精一杯になった辛いことばかりだと思っていた。だがシェドにもあったのだ。フェアリテールの広場で会った子供達のように、無邪気に笑って仲間同士で楽しく遊んでいた頃が。 「そう……、寂しかったわね。でも、きっとお友達は今も、シェドと同じようにその頃の思い出を大切に持っていると思うわ。思い出を大切に持っていればきっと、いつかまたお友達と再開できる日が来る」 日だまりのような笑み。アリカの笑顔と言葉が暖かい光となってシェドを包んでいく。 シェドは思わずすべてを打ち明けたい衝動に駆られた。アリカにすべてを、シェドの過去をすべて晒したいと思った。だがその時―― 「きゃああああっ!」 絹を裂くような女の悲鳴が夜闇に覆われたフェアリテールを駆け抜けた。アリカがハッと立ち上がって窓際に駆け寄り、シェドも口を結ぶことすら忘れて窓の外を凝視する。 火の手が上がった。次々と村のあちこちで悲鳴が上がる。女、子供、老人。彼らの絶望と恐怖に歪んだ断末魔の叫びが、耳鳴りのように何度も何度もシェドを襲う。 「な、何? 何が起こってるの?」 「……始まったか……」 シェドは奥歯を噛みしめながら腰から拳銃を取りだした。銃を持つ手が震えるのを、必死に気を張って抑え込む。 「え……?」 窓の向こう、漆黒の闇に浮かび上がる炎を見つめていたアリカが、トーンの低いシェドの声を耳にして振り返った。シェドは驚きに染まるアリカに銃口を向ける。 「シェド……?」 再び窓の外から甲高い女の悲鳴が木霊した。アリカがビクッと肩を振るわせ、何が起こっているのかわからないといった様子でシェドを見つめてくる。 「これが答えだ。俺はトルメキア王国と裏のつながりがある組織の人間。そして今回の任務は、この村の殲滅……。すなわち、村の人間すべての抹殺だ」 シェドは顎を少し引き、三白眼でアリカを睨むように見つめ返す。いつもなら殺気を放つまでもなく殺せる。だが、今は心の底から殺気を引き出そうと努めていた。 「……そんな……。どう、して……?」 「…………。この村の男共が何処に借り出されたか知っているか?」 信用していた者に裏切られたようなアリカの顔。シェドは少し逡巡した後、アリカにすべてを話すことにした。 「古代都市に……ジェムを……発掘でしょう?」 「そうだ。だがそれは普通のジェムじゃない。特殊なジェムで、俺の組織が血眼になっているものだ」 目の前でアリカが息を飲む。シェドは一呼吸置いてから口を開く。 「組織はそのジェムに関わった者をすべてこの世から消す。例外なくな。そしてそれは直接関わった者だけでなく、その家族、知人、友人を含めて処分している」 静かに、だがハッキリとシェドは言い切った。アリカの表情が一瞬にして驚きから悲しみに変わり、瞳に大粒の涙が浮かび上がる。 「理解したか? ……そう、アリカが心待ちにしているあの人とやらは、すでに遺跡で組織の人間に殺されている。そして、お前もな……」 シェドは銃のセーフティを外し、狙いを定める。アリカは身動き一つせず、ジッとシェドの顔を見つめていた。 何故アリカにすべてを話したのか。それはアリカがすべてを知り、思い人がすでにこの世に居ないと知った時、その顔を憎悪に染めてシェドを心から憎んでくれることを望んだからだ。 そうすれば撃てる。震える手を制し、感情に蓋をして、シェドはアリカを撃つことができる。そう思ったからだ。 「あの人が……、もう、いない……?」 「そうだ。この世の何処にもな……。……安心しろ、すぐに後を追わせてやる」 シェドは悪役に徹する。そして早く、アリカの口からその一言が零れるのを待った。シェドを憎み、罵る言葉を。 しばらく虚空を見つめて放心するアリカ。シェドは、銃口を向けたままアリカの言葉を待つ。本当は震える指先を堪え、困惑を必死に押し殺して。 窓の外からは絶えず悲鳴や爆音、銃声が響いてくる。そんな中、二人の間には無音の静寂が舞い降りていた。 「何で……」 アリカが口を開いた。シェドは銃を握る手に力を込める。 「何で、あなたは……」 ゆっくりと俯いていた顔を持ち上げるアリカ。頬には涙の軌跡がハッキリと浮かび、 頬伝って顎から床へこぼれ落ちる涙が小さな輝きを放っている。だが―― 「――っ!?」 シェドは言葉を失った。愛する者を奪われ、憎しみに染まっているはずのアリカの心。だがシェドの瞳に映ったのは、まるで憐れむようにシェドを見つめる、アリカの悲しい笑顔だった。 「何であなたは何も言わなかったの? そんなに一人で苦しんで、そんなに辛い思いをしてまで、何で黙っていたの?」 「……な、何を、言って? 俺は、何も……。……俺は、お前の大切な人を奪った側の人間だぞ? なんでそんな……」 「言ったでしょう? 私は人の心が読めるの。あなたがどんなに表面上笑っていても、本当は苦しみ、藻掻いていたことくらい、私は知っているわ」 「……っ! 俺は苦しんでなんかいない!」 シェドはムキになって否定した。それがアリカの言葉が正しいと認めるのと同じだとわかっていながらも、否定せずにはいられなかった。 「あなたは何故、そんなにも優しい心を持っていながら必死に感情を押し殺して非情に徹しようとしているの? 本当は人を傷つけることを嫌い、人を手にかけることに大きな罪悪感を感じているのに……」 シェドは目を剥いた。 記憶がある。シェドが初めて人を騙して金を奪い取った時。相手は老人だった。騙すのは楽で、こんなに簡単に稼げるのか思った。 だが本当にそうか? 勝手に記憶をねじ曲げているだけじゃないのか? 本当は後ですごく後悔したはずじゃなかったか? もう一つ記憶がある。シェドが初めて人を殺した時。相手は中年の女だった。まるまると太った貴族の女。いい金になりそうだと、躊躇うことなくシェドは女を殺した。 だが本当に何の躊躇いも後悔もなかったか? 本当は女が人身売買を取り仕切る最低な人間であることにカッとなって殺してしまい、その後で人殺しという罪の重さに恐怖したのではなかったか? 発狂しそうなほど、罪の重さに押しつぶされそうになったのではなかったか? 風に靡く柳のように、アリカの表情は脆くて儚い笑みだった。何故笑顔でいるのか不思議なくらい、悲壮と微笑の境界線にある表情。 それは愛する人間を失ったことを嘆く表情なのか。いやそれだけじゃない。アリカの表情の中には、シェドに対する、憐れみ、同情、そして慈愛の感情がこもっていた。 「俺は……、感情なんか……」 「……シェドの夢って何?」 「ゆ……め……?」 その単語を耳にしたとき、シェドを激しい動悸が襲った。カタカタと、銃を握る手が腕ごと震え始める。 意味のない生に何の価値があるのだろう。価値のない人間に、生きる意味などあるのだろうか。何故自分は生きているのだろう。 生きている意味。目標。夢。シェドの心の空虚は、まさにそれらが欠けているせいで生まれたものだ。 「そんなものは……」 「生きるために何かをするんじゃないわ。人は、何かをするために生きるのよ。生きる目標を持って、生きる夢を持って生きるの。誰だって、きっと大切にできる夢がある。もしも今、まだ夢が見つかっていなくても、何処かに必ず、自分だけの夢がある」 「何かをするために……生きる……」 そんなものはない。けれどアリカは言った。何処かに必ず、自分だけ、シェドだけの夢があると。 本当にそんなものがあるのか。普段なら笑ってあしらっているような話だ。だが―― 「え……?」 シェドの頬を熱い液体が伝っていった。左手でそっと触れてみるまで、それが涙であることを自覚できなかった。 「私の夢は、あの人とずっと、幸せな生活を続けていくことだった。でも……」 アリカがそっと顔を俯ける。 絶望。その二文字がアリカの表情の向こうに見え隠れする。 シェドには生きる夢が、目標が無かった。だから無気力だった。だがアリカの言葉を聞いて思った。夢は、目標は必ず何処かにある。今なら、そう信じられるかも知れないと。 だが同時に理解してしまった。生きる意味である、生きる夢。シェドはたった今、アリカのそれを粉々に砕いてしまったのだ。 「……アリ……カ…………。俺、俺は……」 「シェド、あなたが悪いんじゃないわ。あなたはただ迷っていただけ。生きる意味を見いだせず、出口のない迷路を彷徨っていただけなの。……だから、同情はしても、私はあなたを恨んだりしない」 堰を切ったように、アリカの瞳からボロボロと溢れる涙。表情はまだ、悲壮と微笑の合間をどちらへ付こうか迷っている。 「約束して、シェド。私を殺した後、もう自分の心に嘘を付かないって。そして、今いる場所を飛び出して自分の本当にしたいこと、生きる意味を見つけるって」 「……っ、俺は……、アリカ、お前を騙して……。なのに……、どうして……」 「やっぱり、似てるから……かな。……天国に居る、あの人に……」 アリカがゆっくりを上を見上げる。力なく虚空を見つめるアリカに、シェドは溢れる涙を堪えながら必死に銃を構える。だが銃口はまったく照準が合わず、シェドはついに銃をおろしてうなだれた。 「……駄目だ。……俺には、撃てない」 もう無理だった。シェドにアリカは殺せない。 アリカに出会ってすぐ抱いた感想、それはやりにくい女だということ。アリカはシェドの何かを狂わせる。確かにその通りだった。 だがそれでよかったのかもしれない。狂ってしまってよかったのかもしれない。それがエンフェリアとして使い物にならないことを意味していても、いや、だからこそよかったのかもしれない。 「俺は、そう、生きる目的が見えずに淡々と与えられた任務をこなしてきた。もう感情の枯れた俺にとって、人殺しなどたやすいことだと思っていた。だが本当は違う。違ったんだ。いつだって俺は迷いを抱えていた。だがそれを、無理矢理押し殺していた」 全部アリカの言ったとおりだ。何の訂正も必要ない。 「そうだ……。アリカの言うとおり、俺は欲しかったんだ。生きる意味、生きる目的が」 「……シェド」 「すまない、アリカ……。俺、俺は……」 シェドが静かに瞳を閉じたとき、居間の壁が轟音と共に砕け散って周囲に凄まじい砂埃が舞い上がった。 「きゃああっ!」 「……っ、アリカッ!」 後方からの爆風で体勢を崩したアリカを、シェドはさっと駆け寄って抱きとめる。破壊された壁の向こうに、炎に包まれたフェアリテールの村が闇に浮かんでいた。 「さっきから黙って聞いていれば……。おいシェド、てめぇまさか本気で言ってんじゃねえだろーな?」 壁を壊し、土足でズカッと踏み入ってくる大男。オールバックの黒髪に威圧的な顎髭を生やし、オリーブ色の瞳をギロリと肉食獣のように鋭く研ぎ澄ませているのは、シェドの上官でありこの任務の最高責任者、ミゲル=キルヒュームだった。 「……ミゲル、隊長……」 「その女を殺せないだ? 生きる意味が欲しかっただ? ハッ、寝言は寝てから言えよ」 シェドはアリカをミゲルから隠すよう下がらせ、銃口をミゲルに向けた。それを見たミゲルがピクリと眉を動かせる。 「……何の真似だ?」 「アリカは殺さない。殺させない。俺は、そう決めた」 「てめぇ、何言ってるのかわかってんのか? 他人なんぞ、生きる上で何の必要もねぇだろ? 他人なんざ、てめぇが生きていくための踏み台でしかねぇはずだ!」 ミゲルの言葉にシェドは耳を貸さない。もうシェドの中には確固たる信念が出来つつあった。アリカと違って、ミゲルの言葉などまったくシェドの心を揺さぶらない。 「……アリカ、離れていろ」 「シェド?」 「アリカは俺の恩人だ。……絶対に、死なせたりしない!」 シェドは床を蹴ってミゲルに迫った。トリガに指をかけ、フレアジェムへ意識を注ぐ。 「いいだろう! 理由は気にくわねぇが一昨日の再戦だ! 来いっ!」 ミゲルがカッと歯茎を出し、腰の左右から二本の無骨な刀を抜いた。そしてそれぞれの柄を胸の前でつなぎ合わせ、柄に埋め込まれたジェムが眩い閃光を発する。 「うおおおおおっ!」 紅蓮の魔弾が銃口から飛び出し、ミゲルが光天双剣で炎を弾く。炎と共に巻き起こった爆風が家中の物を吹き飛ばし、さら弾かれた炎が天井に当たって燃え広がる。 「普通の魔弾なんざ俺の敵じゃねぇよ! さっさと前に見せたアレを出せっ!」 シェドの魔弾を弾いた勢いそのままにミゲルの剣がシェドに襲いかかる。ジェムで障壁を張りながら銃身で光天双剣を弾き、シェドはしきりにアリカの様子をうかがいながらミゲルの攻撃を受け流す。 今の状況で他のエインフェリアにまで来られたら厄介だ。ミゲルの相手が手一杯で、とてもアリカを護ることなど不可能。 シェドは焦る気持ちを抑えながら、的確にミゲルの攻撃をかわし続ける。 「避けるばかりかよ! さっさと本気出しやがれっ!」 「うるせーっ!」 ミゲルが剣を割って二刀流になる。同時に襲いかかる二撃。シェドは魔弾を放ち、ミゲルが一方の剣で弾く瞬間に、銃身でもう一方の剣を制してミゲルの懐に潜り込み、その懐を足の裏で蹴り飛ばした。 「甘いな」 「――ぐっ!?」 だがミゲルはシェドの蹴りを受けてもびくともせず、シェドの頭上で再び剣を結合させて周囲の物すべてをなぎ払った。間一髪シェドは後方に飛んで攻撃を避けたが、完全には避けられず、脇腹から鮮血が飛散した。剣による裂傷と、光天剣であるが故の火傷にも似た痛みに、シェドは思わず顔をしかめる。 やはりミゲルは圧倒的に強い。攻撃に無駄はなく、防御面でもぬかりはない。そして何より、たった一度、しかもかすった程度だというのに、シェドの脇腹に滲む血の量は半端じゃなかった。あれが光天剣の威力。直撃など一撃でも貰おうものなら、アッと言う間にあの世行きだ。 「ほらどうした? まだ奥の手があるだろう?」 ミゲルがしきりにシェドを挑発する。挑発に乗るのは気にくわないが、確かにそれしか手段がないのは事実だった。 シェドは右腕に巻き付く腕輪、そこに埋め込まれた七種すべてのジェムに意識を分散させる。七色の光と共に魔力で具現化した剣がシェドの右腕の銃を包みながら伸び、銃に埋め込まれたフレアジェムをつなぎにして炎属性を帯びる。 紅い半透明の剣。シェドは腰を落として身構え、ミゲルを睨むように見つめた。 「そうだ、その力だ! 俺が求めていたのは、緊迫した命のやりとりだ!」 狂喜に歪んだ笑みを浮かべ、ミゲルの光天双剣が虚空に光の軌跡を描く。双頭が描く二本の光線は目にも止まらぬ早さでシェドに襲いかかり、シェドは、 「はああああっ!」 魔力で具現化した剣を押し出し、咆えながらミゲルの攻撃を受け止めた。 衝撃波がアリカの家を内側から破壊し、爆風が燃えさかる炎を一層強くする。火の海と化した部屋の中、流れるように続くミゲルの攻撃をシェドはすべて魔法の剣で受け流す。 力、技は圧倒的にミゲルが上だ。だがシェドは早さでミゲルに勝っている。そして互いの剣が持つ威力に於いても、魔法の剣は光天双剣に勝っていた。 両者の刃が激突するたびに、光の粒子が超振動を繰り返す光天双剣の刃がシェドの剣によって削られていく。だがその度にミゲルは一層嬉々とした笑みを浮かべた。 「いいぞ、いいぞ! もっと俺を楽しませろっ! シェドォッ!」 「くっ! おおおおっ!」 天井が焼け落ちてくる戦場。シェドは無駄なく振り下ろされる光天双剣を必死に受け流しつつ魔力を一層強く具現化させてミゲルを狙う。ミゲルはそんなシェドの攻撃を愉悦に満ちた顔で軽々と流し、間髪入れずカウンターを繰り出してきた。 「ぐああっ!」 二本の光天剣に分離した一本がシェドの剣を抑え、別の一刀がシェドの腹部を引き裂いた。肉の焼ける臭いと共に激痛がシェドを襲い、燃え上がる炎が発する高温で、床に落ちるシェドの血液が一瞬して蒸発する。 「シェドォッ!」 「……ぐ、はあ……。ア、アリカ……、ここはもう保たない……。逃げろ……」 すでに辺り一面火の海だ。このままでは遅かれ早かれ家は全焼する。 シェドは腹部を押さえながらミゲルから間合いをあけてアリカへ視線を向ける。アリカは炎によって巻き起こる風に長い髪を弄ばれながら、悲痛な面持ちでシェドを見つめていた。頬を伝って落ちる涙がすぐに蒸発し、閉じることを忘れた唇が乾燥して艶やかさを失っていた。 「そんな……、あなたを置いて逃げられないわ!」 「……ぐっ、外にも組織の人間が何人かいる。裏口から出て、息を殺しながら逃げろ」 一般人であるアリカがエインフェリア達の追撃を振り切って逃げられる可能性は低い。だが、この場にいれば間違いなくシェドもろともミゲルによってやられる。それだけは絶対に阻止したかった。 剣を具現化させたままシェドは銃のグリップを強く握りしめる。こんなにも負けられないと強く思ったことは今まで一度たりともなかった。 「貴様まだそんなことを言ってやがるのか。もっと、もっと熱くなって戦いに集中しろよ。そして、もっと俺を楽しませてみせろ!」 「アリカ、俺は全力でミゲルを足止めする。だから、お前だけでも生き延びてくれ」 「貴様ぁっ! いい加減にしやがれぇっ!」 ミゲルの怒声が燃えさかる炎を揺らす。アリカが肩をビクッと振るわせ、シェドも目を細めて奥歯を噛みしめた。 「さっきから貴様は……。何故他人なんか気にする! 戦いは常に一人だ! 己の力をすべて出し、そして強かった者が生き残る! そこに他者を考える必要などないはずだ!」 「…………」 「他人を気にして本気が出せないのは愚か者がすることだ! だが貴様は違うだろ、シェドッ! お前は感情などという不要な物を完全に排除し、そして純粋な強さをもって俺を楽しませてくれるはずだろ!」 「…………違う。俺は……、俺には感情がある。そして俺は、自分のためではなく、他の誰かのために自分の力を使う。てめぇと一緒にするな、ミゲルッ!」 シェドは朱色の世界を魔法の剣で引き裂く。調節次第でいくらでも伸縮ができる魔法の剣。巨大化した剣がミゲルの頭上より襲いかかり、ミゲルが二本の光天剣をクロスさせてシェドの攻撃を受け止めた。 「うおおおおっ!」 「――っ!?」 すぐさまシェドは剣を通常のサイズに戻し、その場で横になぎ払う。剣先の一部が本体から離脱し、それが光の刃となってミゲルへ迫った。 ミゲルが小賢しいと言わんばかりに光天剣で光の刃をかき消す。だがシェドはその間に間合いを詰め、ミゲルが刃をかき消したと同時にミゲルの懐に潜り込んでいた。 「喰らえぇぇっ!」 シェドの剣が床を裂きながらミゲルを斬り上げる。だが、シェドがハッとした時、剣先にミゲルの姿はなかった。 「遅ぇよ……」 「ぐああああっ!」 気づいたときにはすでに、ミゲルの拳がシェドの胴を捕らえていた。光天剣の魔力や光ばかりに気を取られ、ミゲルが剣を手放していることに気づかなかったシェドは、無防備な状態でミゲルの正拳突きを受け、後方へ激しく吹き飛ばされた。 「シェド――ッ!」 アリカの絶叫がシェドの耳に響く。口から零れる血反吐を拳で拭いながら、シェドはよろめく体を必死に起きあがらせた。 「……たわいもねえな、シェド。だから言っただろ、他人の為に振るう力なんざ、俺には遠く及ばねぇよ。……本気を出せ。自分のためだけに力を使え! それが本当の力だ!」 「ぐっ、はあ……。俺は、自分の意志で、他人を守るために力を使う。だから、これが俺の本気だ……」 「……阿呆が!」 ミゲルが凄まじいスピードで迫ってくる。だが足に力が入らず、垂れた右腕も感覚が薄れていた。 このままではやられる。誰も守れず、何も出来ずに死ぬ。シェドが犯してきた罪、数々の悪行。そのすべてに対して何の償いもできないまま、ここですべてが終わってしまう。 情けなかった。泣きそうだった。だが体はもう動かない。もう、駄目だった。 「ああああああっ!」 「え――……」 ミゲル光天双剣がシェドの身を裂こうとした瞬間、シェドは自分の目を疑った。朱色に染まる視界。それは炎の朱ではなく、鮮血の朱。しかしそれはシェドの血ではなく―― 「ア、アリカァ――ッ!」 シェドをかばうように飛び出したアリカ。その両足を、シェドの目の前でミゲルの光天双剣が引き裂いていた。噴き出す鮮血が白いアリカの肌を真っ赤に染め上げ、アリカの悲痛な顔がシェドの網膜にハッキリと焼き付く。 辛うじてつながっている程度のアリカの両足をシェドは直視できなかった。目の奥がチリチリと痛み、喉からは無意識のうちに奇声が零れ出てくる。動悸が激しく、どんなに酸素を吸っても息苦しくて仕方がない。 「アリカ……、アリカッ! しっかりしろっ!」 「う、うう……。シェ、シェド……」 「何で、何でこんなこと……!」 シェドはひっしとアリカの体を抱きしめた。 「よ、よかった……。間に、合ったみたい……」 「アリカ……。何で……、どうして……」 シェドがくしゃくしゃに顔を歪めて尋ねると、アリカは苦痛を感じさせない暖かな微笑みを浮かべた。そしてスッと瞳を閉じ、その体から力が抜け落ちていく。 気を失ったアリカをしばらくシェドは無言のまま抱きしめていた。炎に包まれた天井が落下してきたため、シェドはアリカを抱えたまま痛む体に鞭を打って跳躍する。 アリカの家の裏に逃れたシェドは、アリカを大地に横たわらせて後方を振り返った。そこには気怠そうにシェドの後を追ってきたミゲルの姿があった。 「……ふん。面白くねえが、これでようやく貴様も他人のことなど気にせず戦えるだろ」 ミゲルが身構える。シェドは一度アリカの顔を見つめて奥歯を噛みしめた。 「まだその女が気になるのか? ……なら、その女から先に殺してやろうか。そうすれば、貴様は本気を出せるんだろ?」 「……アリカには指一本触れさせねぇよ。もう、二度とな」 シェドは再び腕輪に埋め込まれたジェムを全て輝かせる。燃えさかる村の建物よりも一層紅蓮に染まった魔法の剣を構え、シェドはミゲルを睨め付けた。 またも砕けそうだったシェドを救ってくれたのはアリカの笑顔だった。もう二度と砕かれたりはしない、もう絶対に心を折られたりはしない。 シェドはそう決心して次の一撃にすべてを籠める。 もう体は限界を超えている。ジェムの魔力も底を突き欠けていた。おそらく、ミゲルもあれだけ光天剣を使い続けていればジェムの消費は相当のはずだ。 互いにわかっている。決着を付けるのは、次に激突する最後の一撃だ。 「もっと楽しめると思ってたんだがな……。どうやら最後の最後で裏切られたようだ」 「…………」 「まあ、悪くはなかったとだけ言っておいてやろう。……じゃあな」 ミゲルが大地を蹴った。夜闇に眩く輝く双頭の光の竜牙。シェドは腰を落とし、肘を引いて剣先をミゲルへ向け、飛び出した。 「はあああああっ!」 「おおおおっ!」 最後の力を振り絞り、シェドは剣を切り上げる。限界まで引き出した魔力は槍よりも長く斧よりも太い剣を作り出し、対するミゲルの光天双剣が一撃で二発の威力を伴って真っ向からぶつかってくる。 大地がえぐれ、衝撃と爆風が世界を駆け抜けた瞬間、シェドは銃のトリガを引いた。 「――なにっ!? その状態でも魔弾が撃てるのかっ!」 「うおおおおおっ!」 迸る紅蓮の閃光。燃え上がる鳳凰がミゲルを飲み込もうと翼を羽ばたかせる。 ミゲルが歯を食いしばりながら光天双剣で鳳凰を抑え込もうとするところへ、シェドは鬼神の斧のごとき魔法の剣ですべてを斬り裂く一撃を放つ。すべてを凌駕する轟音が世界を駆け抜けた時―― 「ぐあああっ!」 シェドの剣は、ミゲルの額を裂いていた。 同時に魔力を失ったジェムが次々と砂のように空気へとけ込んでいった。魔法の剣が消滅、銃に埋め込んだフレアジェムにもピシッとヒビが入る。 だがミゲルの光天剣もまた、ジェムを失ってその輝きを失っていた。 「ぐっ! ……く、くはははっ! 流石だ! 面白かったぜ、シェド!」 ドクドクと溢れ出る額の血を手で押さえながら、ミゲルが歓喜の雄叫びを空に上げる。すでにお互い余力が残っていないとわかってるためか、ミゲルが警戒を解いて踵を返した。 「それなりに楽しめた。……次はもっと、互いの命をギリギリまで賭けて楽しもうぜ」 そう言い残して去っていくミゲルに、シェドは何も言わず背を向けた。アリカの元に歩み寄り、ヒールジェムを失った腕輪を見て唇を噛みしめる。 アリカを死なせるわけにはいかない。そんなことはもう、口にするまでもなかった。 シェドはアリカを背負って走り出した。 広場で会った少年達、夫や恋人を心待ちにしていた女達。きっと、みんなもう組織の人間によって殺されている。 すべて自分のせいだ。シェドは何も言わず、何もしなかった。フェアリテールの村人達を殺したのは、他ならぬシェド自身だ。 村を抜け、真っ暗闇の森をシェドは駆け抜ける。乱れた呼吸を首筋に感じ、徐々に冷たくなっていくアリカの体温を背中で感じながら、シェドは必死に前へ前へ走った。 アリカだけは。せめてアリカだけは救いたい。それで罪滅ぼしが出来るなどと思っているわけでなく、単純に、心の底からアリカだけは絶対に助けたかった。 シェドを変えてくれたアリカ。生きるために何かを為すのではなく、何かを為すために生きるのだと教えてくれたアリカ。どこかに必ず、シェドの生きる夢、目標があると教えてくれたアリカ。 シェドは燃え上がるフェアリテールの村に背を向けて、アリカと共に闇の中へ消えていった。 * * * シェドは短くなった煙草を地面にこすりつけ、吸い殻を胸ポケットに収めた。 よっと木箱の上から飛び降りて振り返ると、アリアは俯き加減に表情を曇らせ、静かに唇を噛んでいた。 あの時、シェドは出会ったばかりの少女にどこか恩人であるアリカの姿を見いだした。外見が似ているわけでもなく、感情が乏しかった少女を見てアリカと似てるなどと思う人間は居ないだろう。 それでもシェドの目にはそう見えた。少女が、とても純粋で優しい心を持った人間であると。そしていつかきっと、少女が微笑んだ時には、その微笑みがシェドの心を温めてくれるだろうと。それはきっと、アリカの麗らかな笑顔のように。 「まあそんなところだ。村から逃げた後、近くの街の病院にアリカを残して俺は一旦組織へ戻った。そこで必要な物をかっぱらって抜けだし、途中でお前に会ったわけ」 「……アリカに何て言って別れたの?」 アリアがコバルトブルーの双眸を揺らして尋ねてくる。テムルの町で涙に暮れていた時と同じ表情を浮かべるアリア。シェドはぽんと、その頭に右手を乗せた。 「何も言ってねえよ。気を失ったままのアリカを病院に残していったからな。正直少し心配だったが、目が覚めたアイツに何を言ってやれるわけもないから、俺は逃げたんだ」 「何で逃げたの?」 「見たくなかったんだよ、夢を失ってしまったアリカを。……あん時は、今よりもずっと弱かったからな、俺は……」 「シェド……」 「それでも気になって、組織を抜け出してすぐにアリカを預けた病院へ行ったんだ。けれどすでに退院してて、足取りは掴めなかった」 「だからテムルの町でアリカに会ったとき、あんなに驚いた顔していたんだ」 アリアの言葉にシェドは無言で首を縦に振る。驚いただけじゃない。本当は怖くて、逃げ出したいくらいだった。 だが結果として、アリカと再会できたことはシェドにとってプラスだった。ずっと詰まっていた喉の奥の詰め物が外れ、胸に突き刺さっていたトゲが抜けたような気がした。 「ねえ……」 「なんだ?」 「結局、シェドはアリカのこと好き……、ううん、好き以上の好き……だったの?」 「は? 何だ、その好き以上の好きって……」 シェドが聞き返すと、アリアは困ったような顔を浮かべて、「私もよく知らない」と答えた。尋ねた本人が知らないような質問に答えられるはずないだろうと思いながらも、言葉面から意味を適当に解釈してシェドはアリアに白い歯を見せる。 「まあ確かにアリカは美人だったけどな。それでも、俺の審美眼には適わなかったぜ」 「……シンビガン?」 小首を傾げるアリアにシェドは悪戯っぽく微笑み、 「おう。俺の審美眼に適うのは、そう、お前くらいだぜ、アリア」 冗談交じりにそう言ってやった。意味が分からないといった様子のアリアを、シェドは何度もポンポンとその頭を叩きながら見つめる。 「つまりだ。お前がアリカよりずーっと美人だってことさ。いや、まだ現在形にはできないか……。でもあと十年もすりゃあ、間違いなくアリカより美人になるぜ、お前は」 「……っ」 アリカが何か喉に詰まらせたような声を漏らして固まった。一丁前に照れてるのかと、シェドは面白半分の顔をアリアに近づける。 ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて自分を見つめるシェドに、アリアが少し頬を紅くしながらムッとふくれ、ぴょんと木箱から飛び降りたかと思うと、睨むようにシェドを一瞥して宿屋へ歩き出した。 もしかして本当に照れていたのかとシェドは首を傾げ、去っていくアリアを追ってその隣で同じように歩を刻む。 すでに薄暗いランバーグの街。シェドは隣を歩くアリアを頭上から一瞥したのち、そっと空を仰いだ。 一番星。その輝きを瞳に映し、シェドはアリカの麗らかな笑みを脳裏に浮かべる。 いつか、アリアがアリカのような暖かく、春の陽気のようなあの笑みを浮かべる日が来るだろうか。そしてそれが、自分に向いて咲くことはあるだろうか。 純粋に、単純に、シェドはそれを見てみたいと思った。 別れ際にアリカが言った言葉。 “あの子のために戦う。それをあなたの探す“生きがい”ってものに出来ないの?” 心に深く刻まれたアリカの言葉を思い起こしながら、もしかしたら生きがいと呼べるものは案外近くにあるのかもしれないと、シェドは淡い光を放つ星を見つめたまま朧気にそう思った。 |
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