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第二章 とある日のミレーヌ シェド達がドラゴンに関する情報を得るために中立都市デオラガーンへ旅立ってから三週間。近隣の街から少し離れた辺鄙な場所にある自宅兼工房の一室で、ミレーヌは出発の準備に余念がなかった。 父親が喧噪嫌いであることと、存分にジェムや魔練器の研究をするため、こうして人里離れた山の中に住み始めてすでに八年。食料の買い出しの旅に馬を何キロも走らせるという大変不便な場所ではあるが、すでにミレーヌは慣れっこである。街には母親や親しい友人もいるし、何よりシェド達の追っかけをしているため、寂しいと思ったことはない。 こうして工房にいるときだって退屈はしない。父親の技術を少しでも盗もうと必死だし、家事が嫌いな父親は全くと言っていいほど片づけをせず、ミレーヌがシェド達の元から帰ってくるたびに工房はゴミ溜めと化しているから、退屈などと言っている暇はない。 ミレーヌの行動サイクルは至ってシンプルで、工房で掃除洗濯等々の家事をこなし、シェド達を追いかけてジェムや弾薬、アリアの聖石を外す研究の進捗状況を報告し、また工房へ戻ってくる。そこに食料の買い出しなどが加わるだけ。実に単純明快だ。 しかしそんな淡泊な日常に今、小さな変化が起きていた。いや、決して小さくなんかない。むしろ大きすぎると言ってもいいくらいだ。 ミレーヌは鏡越しに短く切りそろえた黒髪を櫛で梳かしながら、何度も顔の角度を変えながら矯めつ眇めつチェックする。可愛さが女の武器。色気ではセシリーに敵わない。 そして普段工房で着ているぼろ切れのようなつなぎを脱ぎ捨て、部屋の片隅にあるタンスから着ていく服を物色する。シェドに会いに行く時は鞄に何着も服を詰め込んでいるため、すでにお気に入りの多くは鞄の中だ。とは言っても、長期間荒野を馬で走るわけだから、フリルやレースのついた可愛らしい服は着ていけず、自然としっかりとしたボーイッシュな格好になってしまう。本当はアリアみたいに可愛い服も着たいけど、機能性を考えるとあのような服では行動に制限がかかってしまう。 「うーん、どうしようかなぁ……」 ミレーヌは鏡の前に立ち、手に取った服を取っ替え引っ替え自分の体に重ねてみる。機能性重視で、しかしその中に可愛さを含んだもの。なかなかいいのが決まらない。 「むぅー……」 唸りながらミレーヌは真剣な顔で鏡を見つめる。今日はシェド達を追って工房を出発する日。本当ならジェムや弾薬などの入った鞄の中身をチェックする方が大事なのだが、そこは女の子。何よりも最優先すべきは身だしなみだ。まあ、今悩んだところで、シェドに会えるのは早くても二週間後くらいなのだけど。 それでも悩むことをやめないミレーヌ。丁度その時だった。 「ミレーヌちゃーんっ! 見てみて、これ―――おおおっ!」 「んなっ!」 ノックもなしにいきなり自室のドアが開き、軽快な呼び声と共に一人の青年が部屋に踏み入ってきた。そして嬉しそうに頬を緩めながら、下着姿のまま鏡の前に立っているミレーヌをその黄緑色の双眸で舐めるように見つめてくる。 現れた同世代青年。背はミレーヌよりも高く、細身で女のミレーヌより肌が白い。緩みきっただらしない表情を浮かべているが、決して顔つきは悪くなく、真面目な顔をしていれば二枚目と言って遜色ないが、今は鼻の下を伸ばして三枚目の顔をしている。 マリーゴールドのような鮮やかなオレンジ色の髪の毛はボサボサで、その人間の持つ面倒くさがりや、怠惰で不真面目そうな雰囲気が漂ってくる。 「ば、馬鹿―――っ! 回れ右、回れ右ぃっ!」 「やりぃ、ミレーヌちゃんの下着姿ゲットォ!」 「いいからさっさと出てっ!」 「はいはーい」 ガッツポーズを取ってから、ウキウキとした歩調で部屋を出て行く青年。ミレーヌは下着姿を見られた恥ずかしさに頬を赤らめながらも、ワナワナと青年に対する怒りの炎に打ち震えていた。 ミレーヌには野望があった。それは自室にシェドを招待すること。他のどんな男より先んじて、一番にミレーヌの部屋へ招くのはシェドなんだと、初めてシェドに会ったときからずっと狙っていた。だがその野望をかくもあっさりぶちこわしたのが、先ほどの青年だ。 もはや服飾などどうでもよくなったミレーヌは、適当に選んだ服で身を包み、自室を後にした。 馬小屋で愛馬のたてがみにそっと手を添えながら、ミレーヌはジトッと隣にいる青年を睨め付ける。先ほど着替えの最中に入ってきた無神経で無礼な男。 「ごめん、ほんっとごめん! もうしない、もう絶対にしないから! お願いだから話を聞いてよぉ〜。ミレーヌちゃ〜ん……」 「ああもう! 鬱陶しいわね!」 「うえーん、そんなこと言わずに話を聞いてよ〜」 嘘泣きだというのはバレバレなのだが、わかった上でやるような男なのだ。こいつが現れて以来、ミレーヌの淡泊な日常が大きく揺れ動いている。 「……はあ、わかった。さっさと言って。あたし急いでるから」 「その、シェドって男に会いに行くのか?」 「そうよ。……って、それが聞きたかっただけ?」 「違う違う! まあそれも聞きたかったのは事実だけど……、それは置いといて。実は、これを作ってみたんだ。ミレーヌちゃんに渡したくて」 男はポケットからキラリと光るシルバーのリングを取り出した。ミレーヌは思わずギョッとリングと男の顔を交互に見つめた。 指輪。単なるプレゼントにしては、何か、他意がありそうでドキドキしてしまう。 「工房を借りて作らせてもらったんだ。ヒールジェムを材料に使って、装備者を見えない魔法の膜で守ってくれる指輪さ」 「へ、へぇー……、護身用の指輪かぁ」 ミレーヌは冷静を装って男の手から指輪を奪う。リングを手に取った瞬間、暖かい気に包まれたような気がした。魔練器を作るときにヒールジェムを使ったこともあるミレーヌは、その暖かいエネルギーがヒールジェムのそれであるとすぐに実感できた。 別に他意はなさそう、と判断し、ミレーヌはチラッと満面の笑みを浮かべる男を一瞥してから指輪をはめることにした。 しかし人差し指にはまらない。ちょっとサイズが違う。微妙に。 「ミレーヌちゃぁん、指輪ってのは薬指にはめるもんだよ〜」 「んなっ! く、薬指にはめるのは結婚指輪でしょ!」 「……くふっ、わかってるくせにぃ〜」 気味悪く笑いながら、男がサッとミレーヌの手を取った。いきなりのことで、ミレーヌは抵抗する間もなくオロオロと視線を泳がせる。 「これでよし」 男がミレーヌの人差し指にはまっていた指輪を薬指にはめ直し、満面の笑みを浮かべて一歩後方へ引いた。 ミレーヌは目を白黒させながら自分の薬指にはまったリングを見つめる。今度は確かにピッタリだ――って、そうじゃなくて。 「な、な、なっ!」 「でも、本当に気をつけるんだよ。今の世の中、“黒い影”の影響であちこち魔物が蔓延ってるわけだし、ミレーヌちゃんは食べちゃいたいくらい可愛いんだから」 「――っ!?」 急に真面目な顔つきになったかと思いきや、褒め殺しかと思うような台詞を恥ずかしげもなく口にする男。でも本人の表情は至って真剣。ヘラヘラした顔から一転して生真面目な顔。不意打ちだ。 ミレーヌは返す言葉が思いつかず、逃げるように馬に飛び乗った。頬が熱く、どういう訳か気恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。まさか、こんな男相手にときめいているとでも言うのだろうか。甚だ馬鹿みたい。 「ミレーヌちゃんが帰ってくるまでに、式場の予約しておくから!」 「ば、馬鹿なことばかり言わないで!」 「浮気は駄目だから! シェドとか言う男とはキッパリ別れてよ!」 「だー、もうっ! あたし行くから、お父さんにちゃんと言っておいて!」 「うん! 娘さんは僕が幸せにするって、ちゃんと言っておくよ!」 もはや言い返すだけ無駄。ミレーヌは手綱を引いて馬小屋を飛び出した。 チラッと馬小屋を振り返ると、大きく両手を振りながら男がミレーヌを見送っている。視線が絡むだけで心拍が速くなり、ミレーヌは逃げるように視線を逸らして強く手綱を引いた。何で自分が逃げる必要があるのか、それが腹立たしい。 「何でよ――――っ!」 馬の背中で大きく天に向かって咆えながら、ミレーヌは魔波計の反応を頼りにシェド達の行方を追って工房を後にした。 * * * シェド達がデオラガーンへ向けて出発した翌日、ミレーヌは空の鞄を背負い、馬にまたがって工房を後にした。 食料の買い出しと、その他もろもろの買い足し。友達に会う。父と別居中の母親に会うなどの理由で、工房から馬を走らせること五時間という距離にある、工房から最も近い小さな街を目指す。 「今日はいい天気ねー。早起きできたし、これなら昼過ぎにはセトに着きそう」 上機嫌に鼻歌を歌いながらミレーヌは手綱を強く握った。晩冬のこの時期、厚着しないととても馬に乗って駆けることはできないため、ミレーヌは魔練器を作る際に着る茶色のつなぎの上に、首周りにフェザーの付いた黒のジャンパーを着て、悴まないよう手には皮のグローブを装着していた。 耳まですっぽりと毛糸の帽子をかぶり、ゴーグルを下げて目が乾かないようにする。これだけ万全の状態なら、ちょっとやそっとの北風には負けない。 だがその日はあまりに快晴で気温もぐんぐん上がり、若干グローブの中が汗ばんで気持ち悪かったりしたが、まあ、寒くて困るよりも暑くて困る方がいいだろうと前向き解釈で乗り切る。 「……ん?」 全行程の九割を踏破した時、ミレーヌはふと公道の脇に人影を見つけた。しかも大地に俯せで倒れて身動き一つしていない。 「ま、まさか……、死体……だったり?」 触らぬ神に祟りなしとは言うけれど、このまま素通りというのも良心の呵責に苛まれるため、ミレーヌは馬を止めて恐る恐る声を掛けた。 「あのー……、生きてます?」 「…………」 死体はピクリとも反応しない。よくよく見れば、倒れているのは若い男だった。ミレーヌより少し年上だろうか、若い身空で可哀相に。 せめて供養に花でもと思ってミレーヌは馬から下りて道端の花を摘む。まとめて小さな花束を作り、そっと男の脇に置き、目を閉じて十字を切った。別にアルトレア大陸北部で信仰されている聖マリア教の信者というわけではないのだが、弔うという意味でそうした。 その時、ぴくっと死体の指が動いた。ミレーヌは「ひっ」と声を漏らして身を引く。 「あうぁぁ……」 「な、何? 何なのよーっ!」 男が奇声を漏らしながらムクッと顔を上げた。ミレーヌは言いしれない恐怖を覚え、腰が抜けてその場に尻餅をついてしまった。 男は焦点の定まらない黄緑色の瞳で胡乱とミレーヌを見つめ、オレンジ色の髪は何日も洗っていないようにボサボサと鳥の巣みたいだった。 真冬だというのに黒の長袖と灰色のパンツのみという薄着。よく見れば鼻の下で鼻水が凍り付いている。 「さ、寒いぃぃ……、腹……減ったぁ……」 「え、ええっ?」 腹這いの状態でミレーヌの方へ右手を伸ばし、男が助けを求めてくる。どうやら行き倒れのようだ。このまま放置していては凍死しかねない。 「ど、どうすれば……」 生憎食料は持っていないし、暖を取るようなものも手元にはない。だが幸い、セトの街は目と鼻の先だった。 「と、取りあえず街へ運んだ方がいいかな? ……うん、そうしよう」 ミレーヌは着ていたジャンパーを男に着せ、その体を引いて馬に乗った。辛うじて意識のある男に、落ちないようしっかり捕まるよう指示を出して手綱を引く。 「もうすぐ街だから、それまで頑張って」 「……うう」 ミレーヌの背後で情けない声を漏らす男。思った以上に整った顔立ちをしており、素材としては二枚目と言ってもいいくらいだが、今は非道く情けない顔をしている。 そのまま淡々と走ること数分。ふと、ミレーヌは違和感を覚えて眉を顰めた。 何か、くすぐったい。何だろう、胸の辺りがムニュムニュと―― 「――っ!?」 ミレーヌは自分の胸元へ視線を落として硬直した。自分のではない手が、ジャンパーを脱いでつなぎ姿となったミレーヌの胸部を服の上から揉んでいる。 「きっ……」 声にならない叫びを上げてミレーヌが背後の男にひじ鉄を叩き込むと、背後から「ごふっ」という男の悲鳴が聞こえた。 意識が朦朧としていて生死の縁を彷徨っているかと思いきや、一体この男は何をやってるんだと憤りを覚えながら、 「何やってんのよ、このヘンタイッ!」 と、声を張り上げた。しかし反応はなく、しばらくして男の口からは「寒い」だの「腹減った」だのという言葉がうわごとのように繰り返し零れてきた。 無意識のうちにしてしまったのだろうかと、ミレーヌは自分の早計を恥じた。考えてみれば向こうは瀕死の病人みたいなもの。ミレーヌの指示通り、必死にミレーヌの体に捕まろうとしただけなのかもしれない。 「……ご、ごめんさない、勘違いしちゃったみたいで……」 もちろん、謝罪の言葉にも返事はなかった。 そのまま進み、ようやく街がミレーヌの視界に映った時だった。 「……なんだ……」 「え?」 いきなり背後の男が口を開いた。ミレーヌがまたうわごとかと思いつつ耳を傾けると、 「女の子かと思ったのに男かぁ……。残念だ……」 男がハッキリとそう言った。こんなうわごと、聞いたことがない。 「声は可愛いのにな。胸掴んでみたら真っ平ら……。はあ……、どうせなら女の子に助けられたかったなぁ……」 ミレーヌは再度、背後の男にひじ鉄を叩き込んだ。 「あはははっ。それでここまで背負ってきたわけか」 「だって、気絶しちゃったんだもん」 セトの街に着く直前に叩き込んだひじ鉄のせいで、途中で拾った男は伸びてしまい、結局ミレーヌは男を背負って馬小屋からこの部屋まで運び、ベッドに寝かせるという肉体労働をする羽目になった。まったく、天気が良くていい気持ちだったのに、あの男のせいで何もかも台無しだ。 「かなり衰弱していたが、命には別状ないだろ。そのうち目を覚まして腹が減ったとわめき出すさ」 窓から身を乗り出して空へ煙草の煙を吐き付ける女。ストレートの黒髪は毛の一本一本がシルクのように輝き、枝毛など一本も見あたらない。瞳はエメラルドグリーンで、唇には真っ赤なルージュを引いている。 ハイネックの赤い服の上に手編みのセーターを着て、黒のストッキングとチェック柄のロングスカートを身につける女は、何を隠そうミレーヌの母、パステルだ。十八の娘がいるというのにそのプロポーションはまったく衰えていない。とは言っても、そこは親子。足や二の腕の細さ、ウエスト、ヒップに自信はあっても、女の最大の武器はミレーヌ同様、まな板レベルだ。 「はいこれ。お父さんから」 「んー? 今度は何だ?」 ミレーヌは鞄から箱を取りだしてパステルに手渡した。パステルが箱を開けると、中から金色の香炉が姿を現す。 「へぇ、たまにはあいつも粋なもん作るじゃねぇか」 「粗野なお母さんには何に使うかわからないだろうけど、一応持ってけー、だってさ」 「ほーう、あの野郎、そんなこと言ってやがったか」 父の言葉をそのまま伝えると、パステルは長い爪をした手で空気をぐわしゃぐわしゃと握りしめた。流石は昔、“紅い鬼爪”と呼ばれた不良娘グループのリーダー。間近で見ると迫力が違う。 何でそんなパステルが喧噪嫌いの魔練器技師なんかと結婚して子供ができたのか。ミレーヌは不思議でならなかったが、聞いてはいけないような気がして決して触れないようにしていた。取りあえず自分が今ここに居るってことだけが重要であり、それ以外は気にしちゃいけない。 「……ん」 パステルが拳を握りしめて不敵に微笑んでいるときだった。ふいに奥のベッドで横たわっている男がうめき声を漏らし、ミレーヌは反射的に顔をそちらへ向けた。 「おや、気づいたようだな」 「……あ、ど、どうも」 ベッドから身を起こし、男が鳥の巣を掻きながら首をミレーヌ達へ向けた。どうでもいいが、あの頭は何とかならないだろうか。見ているだけでむしゃくしゃする。 「あの、ここは?」 「あたしの家さ」 「はあ……。えっと、確か……、俺は道端で倒れてて、それで誰か……、そう、若い男に助けて貰ったような……」 起きあがった男は、腹をグゥと鳴らしながら辺りを窺っていた。大方、自分を助けてくれた若い男とやらを探しているのだろうが、この場にはパステルと、若い女であるミレーヌしか居ない。っていうか、今すぐまたぶん殴って意識を飛ばしてやりたかった。 「道端で倒れてたあんたをここまで連れてきたのは、そこにいるあたしの娘さ。……まあ何はともあれ、腹減ってるようだし、適当に何か作ってやるよ」 「え? ……あ、はい、ありがとうございます」 男が、ギョッとした様子でミレーヌをその黄緑色の双眸で捕らえる。ミレーヌはあからさまに嫌な顔をして見せ、怒りと侮蔑に満ちた視線を送る。 「おかしいなぁ……。夢、だったのか……? 確か、真っ平らだったんだけど……」 この期に及んでまだ言うか。ミレーヌはとうとう我慢しきれず、 「真っ平らって、言うな――――っ!」 「ごふぅっ!」 結局、ぶん殴ってしまった。だがミレーヌは悪くない。悪いのは全部、目の前にいる無礼な男だ。 「な、何するんだよ!」 「それはこっちの台詞よ! 折角人が厚意で助けてあげたっていうのに、どさくさに紛れて胸は揉むわ、まな板呼ばわりするわ、あまつさえあたしを男と勘違いするなんて!」 「ふぇ? ……え、じゃ、じゃあ、あれは夢じゃなくて……」 男が呆然としながら、視線をミレーヌの顔から徐々に降下させていく。そして一点を捕らえて眉を顰め、品定めするかのようにジィーッとのぞき込んできた。 「って、何処見てんのよぉーっ!」 「はぶへっ!」 今度は平手で男の左頬を打った。顔立ちは悪くないのに性格はホント最低だ。こんな変態、あのまま寒空の下に放置しておけばよかった。きっと神様も仕方ないと目をつむってくれただろうに。 「こらこらミレーヌ、いくら下品な男だとはいえ、一応病人だ。それくらいにしとけ」 「むぅ……」 キッチンからパステルが湯気の立ち上るスープと果物を運んできたため、たぎる憤りを抑えてミレーヌは男から身を引いた。 やり場のない怒りをどこへ発散するか。ミレーヌは悩んだ挙げ句、地団駄を踏むことにした。そしてそれをパステルに注意され、シュンと肩を縮めて部屋の片隅で丸くなった。 「俺はスラッシュ。スラッシュ=グードリッヒ。これでも一応、魔練器技師です」 「へえ、うちの娘と一緒じゃないか」 食事を終えて無駄に元気になった男が自己紹介すると、ミレーヌの隣でパステルがミレーヌを指さしながらそう言った。スラッシュと名乗った男は、ミレーヌを見つめて訝しげに眉を顰める。何よ、何か文句あるの。 「あたしはパステル。パステル=コートワーグさ。こっちは娘のミレーヌ」 「……ふん」 ミレーヌは鼻を鳴らしながらそっぽを向いた。あんな変態男と馴れ合うつもりなんて毛頭無い。元気になったのならサッサと出てけって話だ。 「コートワーグ……って、もしかしてリバーズさんの!?」 「おっ、あいつのこと知ってるのかい?」 スラッシュの口から出た名前に、パステルが反応を示す。ミレーヌも反射的にスラッシュへ視線を向けていた。だって、リバーズというのはミレーヌの父の本名だからだ。 「知ってるも何も、魔練器技師を目指す人間にとってリバーズさんは憧れですよ! 現役魔練器技師で最高峰の技術を持っているとされ、二つ名は“孤高の天才”!」 「へぇ、知らない間にあいつも結構有名になったもんだ」 「じゃああなたは本当に、リバーズさんの……」 興奮冷め切らぬ様子でスラッシュが目を燦々と輝かせ、 「娘さんなんですね! いやあ、リバーズさんって確かまだ四十前ですよね? こんなに美しい娘さんがいらっしゃるなんて知らなかったです」 パステルに向かってそう言った。っておい、こっちにその女の娘が居るって言うのに、どうしてそっち見てそう言うのよ。 「おっ! そんなに若く見えるか? いやぁ、なかなか口がうまいなお前は!」 パステルもパステルで、お世辞だろうとわかっているにも関わらずガハハと大口開けて笑っている。何かもう、わけわからなくなってきた。 何とも軽いノリでパステルをおだてるスラッシュ。ミレーヌはもうその場に存在していることに対して疲れを覚え、早々に立ち去ろうと思って席を立った。 「あっ、ミレーヌちゃん何処へ行くの?」 立ち上がったミレーヌにスラッシュが呼びかけた。すでにちゃん付けかいって突っ込みは脇に置いておき、ミレーヌはスラッシュを無視して身支度を整える。 「じゃあ、あたし他にも寄るところがあるから。また帰りに寄るわ」 「お、そうか?」 パステルにそう言い残して部屋を出ようとした時、ミレーヌの腕をスラッシュが掴んだ。 「きゃうっ」 いきなり掴まれたものだから、ミレーヌはバランスを崩して前のめりに倒れてしまう。 「あっ、ごめん」 「ごめんじゃないわよ! 何よ、いきなり腕掴んで」 「えーっと……、そう、お風呂貸してくれない?」 「はあ? そんなことはお母さんに言って」 ミレーヌはスラッシュの腕を振りほどいて再び足を前へ―― 「あうっ!」 転けた。またしても、ミレーヌの左手首をスラッシュが掴んでいる。 「今度は何よ!」 「えっと、……待ってて?」 「はああああ?」 「実は俺、セトの街って初めてでさ、一人じゃ心細いんだ。だからミレーヌちゃん、案内してよ」 何て自己中心的で無礼極まりない男だろう。ミレーヌはとうとう堪忍袋の緒が切れて、拳を強く握りしめ大きく振りかぶる。 「はーい、ストップ」 「お、お母さんっ!」 ミレーヌの拳はスラッシュの頬を打つ直前でパステルによって制止させられた。何だってそんな男をかばうのだろう。 「スラッシュ君、うちの風呂はフレアジェムで沸かす魔練器風呂だ。君なら簡単に操作できるっしょ。廊下を突き当たったところだから、適当に使っていいぞ」 「ありがとうございます」 パステルがミレーヌの拳を掴んでいる脇を、スラッシュがすたこらと駆けていった。その背中が憎々しくて仕方ない。ああ、ぶん殴りたい。けれど腕力でパステルを押しのけることなど不可能だ。なんと言っても、元不良の元締め。 「ぶぅ、何で止めるのよぅ」 「あはは、まあそう怒るな。なかなか面白い奴じゃねぇか」 「どこがっ!」 パステルがミレーヌの拳を離し、ミレーヌはフンとパステルに背を向けた。パステルが新しい煙草に火を付けたらしく、窓から注ぐ風に乗って煙草の臭いがミレーヌの鼻をつく。 「ちょっと、似てるんだよ」 「……え? 誰が、誰に?」 「スラッシュ君が、若い頃のあの野郎に」 あの野郎。誰だ、あの野郎って。も、もしかして。いやまさか。 「お父……さん……?」 「ああ」 「嘘――――っ!?」 あの人間嫌いで堅物で、家事絶望で頑固で融通の利かない、女に興味ないような朴念仁と、初対面の女の胸を揉むような変態男が似てるって、実の母親ながら眼球のピント合ってるのかと疑ってしまう。 「嘘じゃない。あんたは知らないだろうけど、あれでも昔は相当軽い男だったんだぜ?」 「お、お父さんが?」 「そうさ。街中の若い女をナンパして、ことごとく玉砕してな。それでたまたま街であたしと出くわした時、あたしが紅組の組長だってことも知らずいきなり口説いてきたんだ」 「う、うおぉ……。お、お父さん凄すぎ」 知らなかったとはいえ、いきなり不良グループのリーダーを口説くなんて、そうそう出来るもんじゃない。しかし街中の女の子を片っ端からナンパするなんて、今の堅物ぶりからは想像できない。 「何はともあれ、あの手の男はパッと見、軽そう見えるけど、実は芯のある奴だったりする場合もあるぜ。少なくとも、あの野郎はそうだった」 「ふーん」 あれ、意外とお母さんって未だにお父さんのこと好きだったりするのかな、と思いながら、ミレーヌは外の景色を眺めながらどこか遠い目で煙草を吹かすパステルの横顔を見つめた。深窓の美女というわけではないが、何というか、格好いい女という言葉が似合う。 「とりあえず一緒に街を回ってみな。やっぱりサイテーだと思ったら、そん時は容赦なくぶん殴ってやればいいさ」 「うー……」 結局パステルに言いくるめられた形で、ミレーヌはスラッシュと共に街中へ出向くことになった。 何でこうなったんだろう。まったく、「今日は天気も良くてご機嫌だー」などと思ってた朝がずっと昔のようだ。 「ほらほらミレーヌちゃん、こっち来てこっち!」 「もう、今度は何よ」 本当は久しぶりにセトの街へやってきたわけで、友達の家を訪ね回ろうと思っていたミレーヌだが、何かもう、何でこうなっちゃったのかわからないうちにスラッシュにあちこち連れ回されていた。 セトに初めてやってきたというスラッシュは、目新しい物を見つけるとまるで子供のようにあっちこっち移動し、その度に満面の笑みでミレーヌを呼び寄せる。パステルの家でちゃんと風呂に入り、鳥の巣みたいだった髪をちゃんと洗ってセットしたスラッシュは、見た目はとても顔立ちの整った好青年だ。見た目だけは。 「すごいなぁ、この街は噴水も魔練器で管理してるんだ」 「そんなの、ちょっと大きな街へ行けばどこだってそうじゃない」 今ミレーヌ達が居るのはセトの中心にある噴水広場。大きな噴水が広場の中心に段取り、その周囲を喫茶店やらブティックやらが取り囲んでいる、街で一番華やかな場所だ。 ペットの散歩をする親子や、仲睦まじげなカップル。いつまでも仲良しこよしな老夫婦まで、幅広い年齢層の人間が噴水周りには集まっていた。 「……俺の故郷はすっげー辺境の辺鄙な村でさ、魔練器なんて殆ど見かけなかったんだ。村の人間は旧時代のような不便な生活を強いられてたんだよ」 「え? そうなの?」 魔練器のない不便な村なんてあるんだと、ミレーヌは少し表情を曇らせる。そうか、もっと上位の魔練器技術を学びたい理由って、生まれ故郷をもっと快適な場所にしてあげたいっていう、結構切実な思いだったんだ。 「……しかも村の女の子は軒並み俺を振りやがってよぉ、もう、居場所無くなっちまったからセトにやってきたわけさ」 ああ、やっぱサイテーだこいつ。ちょっと同情しかけた自分が馬鹿みたい。 「んまあ、どの道あの村じゃあこれ以上魔練器の勉強できなかったから丁度よかったさ。へんっ、俺を振る女ばっかの村なんか、こっちから願い下げだっつーの!」 「……スラッシュ君、魔練器の勉強したいんだがナンパしに来たんだか、どっちなの?」 「へ? そりゃあ……。……両方?」 ミレーヌはため息をついて歩を刻み出す。こんな馬鹿、相手にするだけ時間の無駄だ。さっさと買い出しだけでも済ませ、パステルの所へ寄ってから工房へと帰ろう。 「ああ、待ってよ、ミレーヌちゃぁんっ!」 「もう、そんな大声で呼ばないで! 恥ずかしいじゃない」 「ごめん……」 声を張り上げて注意すれば一時的に大人しくなるスラッシュ。だがどうせ、すぐにまた変なものを見つけて大声を上げるだろう。 しかしミレーヌが食料を買っている間も雑貨を買っている間も、スラッシュはずっと静かだった。今までさんざん迷惑なほど騒いでいただけに、いきなり静かになるとそれはそれで不気味だ。 チラッと、大量の買い物袋を抱えた状態でミレーヌはスラッシュを横目で窺った。スラッシュは軽薄な笑みではなく、真面目な顔つきでセトの街を見渡しながらミレーヌの後方を数歩離れて追従している。 何だろう。どこか悲しげで、どこか口惜しそうに街並みを見つめている。 「ホント、凄いよな……」 スラッシュは街頭の魔練器灯を見上げながら感慨深げにつぶやいた。注意深く観察していると、スラッシュが目を奪われているのは全部内部にジェムを組み込んだ魔練器ばかりだということに気づく。まあ、綺麗な女の人にも視線誘導されちゃってるみたいだけど。 「スラッシュ君はどうして魔練器技師になろうと思ったの? ……故郷の村のため?」 「え? おお、ミレーヌちゃんから話しかけてくれるなんて!」 「もう、いいから答えなさい」 やっぱり聞くんじゃなかったかなと後悔しながらも、その裏ミレーヌは時折真面目な顔つきで魔練器を見つめるスラッシュの本心が知りたかった。同じ魔練器技師として。 「そうだね、まあ確かにそれはあるな。俺の生まれた村はホント、この街と比べたら時代錯誤も甚だしい、いつの時代だ、みたいな村だったから」 「だから、村をもっと裕福にしたいと思ったの?」 「いやぁ、本音を言えば魔練器の溢れた街で生活してる奴らが羨ましかったんだよ」 いつの間にかミレーヌと肩を並べて歩いているスラッシュ。まるで恋人同士に見えてしまう構図に、思わず周囲に知り合いが居ないが目配りするミレーヌだが、取りあえず知った顔が周囲になくてホッとした。 「羨ましいって……?」 「だって、ジェムをそのまま使おうとしたら、一種の才能みたいなもんが必要だろ? でも魔練器はジェムに籠もった魔力を自動で引き出してくれるから、誰だって手軽に魔力の恩恵を受けられるんだぜ?」 「そうね」 「一部の人間しか使えない生のままのジェムと違って、魔練器は誰でも使えるんだ。それなのに、魔練器が溢れる街とそうでない村があるなんて、ひでぇ話だと思わない?」 言われてみれば妙に同意できる話だった。ジェムは誰の物でもない、古代からの置き土産。それを利用できる人とそうでない人がいるのは、不公平と感じてもおかしくない。 「だから俺は、もっともっと魔練器の勉強をして、小さなジェム、少ない魔力で最大限の効果を生む魔練器を作りたいんだ。そしてそれらを、魔練器が無くて不便な思いをしている町村へ持っていってやりたい」 「へ、へぇー……」 何よ、いっぱしに真面目なことも言えるんじゃない、とミレーヌは今度こそ感心する。いや、しようとしたのだが―― 「それにさぁ、ライトジェムを使えば服が透けて見える眼鏡を作ることも出来そうだし、それにウインドジェムをうまく制御できれば簡単にパンチラゲット出来るだろうし、うひょーっ、魔練器技師はやりたい放題だぜっ!」 やっぱり前言撤回。もう、こいつに対する賞賛の言葉はサイテー以外にあり得ない。 「それに魔練器のない不便な村に颯爽と現れて幾多の魔練器を提供したらさぁ、そりゃあもう英雄だよ英雄。村中の女の子が俺に夢中って感じ? アハハハッ!」 「この……」 パステルは言っていた。一緒に街を歩いてみて、やっぱりサイテーだと思ったら、 「ど変態ーっ!」 「ごぶふっ!」 ぶん殴ってやれ。だから、殴ってやった。 ミレーヌは鼻を鳴らして、その場にうずくまるスラッシュを尻目に歩き始める。今度こそ、こんな馬鹿は放っておこう。あれだけ元気があれば、のたれ死ぬことはないだろう。 「あれ? スラッシュ君は?」 「言われたとおり、ぶん殴って捨ててきましたよ」 パステルの家に戻り、ミレーヌは買ってきた荷物を一旦買い物袋から出し、持ってきた大きな鞄に、食材が潰れないよう丁寧に詰め込む。鞄に入らなかったものは、馬の鞍に取り付けた二つのサイドバッグに入れればいい。 「まったく、あんたはホント短気だねぇ。誰に似たんだか」 ミレーヌを短気だと思うなら、それは間違いなく母親譲りでしょうね。 「まあいい。気をつけて帰りなよ。それからあの野郎に、たまにはてめぇも顔出せって伝えておけ」 「うん、わかった」 荷物よし、忘れ物なし。じゃあ出発だと、ミレーヌは意気揚々立ち上がる。 パステルの家の裏にある、表通りに面した宿屋。そこの主は古くからパステルと交流があり、ミレーヌは街に来る度いつも宿屋の馬小屋に馬を止めさせてもらっていた。 荷物を詰め込め、大きな鞄を背中にしょって、ミレーヌは馬の背中で手綱を引く。 もうすでに夕方近い。工房は公道から外れて獣道を通る羽目になるので、魔物との遭遇率も高く夜はあまり走りたくない。だからサッサと帰るに越したことはない。 越したことはないのだけれど―― 「ほーぅ、あんた、このあたいが誰だかわかってて言ってんだろーな?」 嫌な予感。若い女の、人を見下したような顔が脳裏に浮かび、 「へ? へ? ……えっと、レストランの看板娘さん?」 さらに嫌な予感。若い男の、軽薄そうで引きつった笑みが浮かぶ。 何だかそこの曲がり角の先が騒がしい。野次馬が集まっており、皆に、心配そうな顔を浮かべていた。 どうせそこは曲がる必要があるので、ミレーヌは少し警戒しながら馬を進めた。 「あっ、ミレーヌちゃん!」 うわ、悪寒的中。 「……スラッシュ君、あなた何して……」 角を曲がった先に居たのはやはりスラッシュだった。何かもう、すっごく情けない顔で助けを求めるような目でミレーヌを見つめている。そしてミレーヌが視線をスラッシュから横方向へスライドしていくと、若い女が立っていた。 腰まで伸びた黒髪。さらしを巻いて黒いはっぴを着て、手には真剣が握られている。うん、間違いなく不良と呼ばれる類のお姉さんだ。 「あん? あんたもこの子のお仲間かい?」 「…………。……あなた、その人に何したの?」 ミレーヌは努めて冷静に、けれど腹の底ではスラッシュに対する怒りを抑えながら、お姉さんではなくスラッシュに尋ねた。本当は、聞くまでもなくこの状況見れば何があったか察しが付いていた。 「いやー、ミレーヌちゃんを見失っちゃったから、自力でリバーズさんを探そうと思ってて、その……、ついでにナンパもしちゃおうかなーって」 「ついでって、しかも何で、よりにもよって怖いお姉さんに声を……」 見た目で相手がどんなかわかるでしょうに。 「いやあ、格好はちょっと変わってたけど、すごく美人だし」 「ほう、見る目はあるじゃねぇか。……面構えも悪くないし……」 頭を掻くスラッシュの脇で、怖いお姉さんが品定めするようにスラッシュに切れ長の視線を送る。ああもう、相手も気に入ってくれたみたいだし、このまま見捨てていいか。 「……ふぅ。じゃああたしはこれで」 関わるだけ時間の無駄。ミレーヌはそう判断して手綱を引こうとした。だが、スラッシュがもの凄い形相でミレーヌに近寄ってきたかと思うと、 「ミレーヌちゃぁん、見捨てないでぇ……」 泣きついてきた。なんちゅうヘタレだ。確かに相手は怖いお姉さんだけど、見た目はミレーヌよりずっと美人だ。胸もあるし。 そのままお姉さんの所に居ればいいでしょうと、ミレーヌは冷めた視線をスラッシュへ向ける。 「で、結局あんたはその男の何?」 「へ? あたしですか? ……うーん、えと、命の恩人ってところです」 「そんなっ! ミレーヌちゃんは俺と将来を誓い合った仲でしょぉ」 お姉さんがギロリと睨みを利かせれば、ミレーヌは平常心を何とか保ちつつ状況が悪化しないよう、自分に危害が及ばないようかわそうとするのだが、またしてもスラッシュの一言に、お姉さんの眼光が鋭さを増す。 「ば、馬鹿なこと言わないでっ!」 「ごめんよーお姉さん。俺はこの子に首っ丈なんだ。だからお姉さんとは付き合えない」 ああ駄目だ。ただでさえ怖そうなお姉さんがみるみるヒートアップしてる。 「いい度胸してるじゃねぇか……。そうか、そんなにボコられたいか」 「い、いえ、あたしはまったく……。その、やるならこの男だけ……」 「カップル揃って徹底的にやってあげるよ! ほらみんなっ!」 いつからこんなに居たのだろう。気が付けばミレーヌとスラッシュは強面のお姉さん達数十人に囲まれていた。皆さん武器を片手に殺気を漲らせてらっしゃる。 馬で強行突破できなくもないが、セトの街に来づらくなるような沙汰は避けたい。 「ど、どうしようミレーヌちゃん」 「どうしようじゃないわよ! 大体、あんたが誰彼構わずナンパするからいけないんでしょう? ホントにもう、あたしまで巻き込まないでよ……」 泣きたくなってきた。今日は厄日だ。 ミレーヌはもう半分やけになって、瞳の縁に涙をためた。盛大に泣いてやろうかしら、と涙を堪える努力すら放棄したくなってくる。 その時、ふとスラッシュが思い立ったようにヨロヨロとお姉さん達に歩み寄った。ミレーヌが危ないと思った瞬間、スラッシュはその場に膝をついて土下座した。 「悪いのは全部俺です。その、そっちの子は関係ないんで、殴るなら俺だけにして下さい。お願いします」 それは今まで軟弱な態度とは正反対の行動だった。ミレーヌは呆然とスラッシュの背中を見つめる。 格好付けてるつもりだろうか。土下座くらいであの怖そうなお姉さん達が引くと思っているのだろうか。ミレーヌが声を掛けようとした時、一人の女の蹴りがスラッシュの頬を打った。 「いい度胸じゃねえか! よし、てめぇをボコるだけで、女は勘弁してやるよ!」 次々とスラッシュは殴られ、蹴られ、鞘に収められたままの剣で強打される。スラッシュが口を切って通りに血が飛散し、鈍い打撃音が絶えることなく鳴り続ける。 目の前でスラッシュがリンチされている。ミレーヌは今まで感じてなかった恐怖がこみ上げてきて、カタカタと指先が震えるのがわかった。 街の人も関わり合いたくないのだろう。誰一人として割って入る者はいない。堪えるのを忘れた涙が、ミレーヌの頬を伝ってこぼれ落ちる。 「や、やめ……。やめて……」 「はーい、そこまでぇ」 「な、何だと?」 ミレーヌがもう見ていられないと顔を逸らした時だった。聞き覚えのある声が、まるで教会の鐘の音のように凛々と周囲に響いた。その場に居合わせた誰もが、バッと声のした方向を振り返る。 涙をポロポロ零しながらミレーヌが顔を持ち上げると、そこには特攻服で身を固めたパステルの姿があった。木刀を気怠そうに肩に背負い、後ろには何十人もの仲間を連れている。よく見れば、その中には宿屋の女将さんの姿もあり、皆三十代半ばのお母さん世代だった。 「お母さん……?」 「おう、怪我はないか? ……ったく、昔のメンツで騒いでたら、お前が今の紅組リーダーに絡まれてるって聞いたもんだからよ、久々に昔のカッコで登場してみたわけさ」 何でわざわざ昔の格好をする必要があるのかはこの際不問にして、とりあえず、パステルが来たという事実はミレーヌに大きな安心感をもたらしてくれた。 「おい小娘ども。よくもあたしの娘にちょっかい出してくれたなぁ? あん? 今の紅組は先代リーダーの娘までカツアゲするほど上に対する尊敬心ってもんがねぇのか?」 「……先代、リーダー……? ま、まさかあなたは、この街の裏社会全土を掌握したという伝説のヘッド、“紅い鬼爪”ことパステル・ザ・レッドシザーさんですか!」 パステルの登場に、お姉さん達が恐怖を前面に押し出した表情で震え出す。うわ、やっぱりお母さんって凄いんだ、とミレーヌは目をしばたたかせた。 「そっちの馬に乗ってるのはあたしの娘だ。手出しするっていうなら、往年の紅組メンバーが黙っちゃいないよ」 「ひっ」 「それにそっちの少年も。ゆくゆくはあたしの娘婿になるかもしれないんだ。まだ暴れたりないっていうなら、あたし達が相手になってやろうか?」 「い、いいいいえ、も、もう十分です。す、すいませんでしたっ!」 パステルが一睨みしただけで、お姉さん達はブルッと震えて一目散に逃げていった。お母さん恐るべし。って、今さり気なくお母さん、とんでもないこと言ってなかった? 「何だい、今の紅組をしょってる若造は……。根性なしばかりだねぇ」 「はは、それだけこの街も平和になったってことだろ」 パステルと宿屋の女将さんが話している手前、ミレーヌはボコボコにされて通りに横たわるスラッシュの元へ駆け寄った。 怪我はひどいが、致命傷にはほど遠い。ミレーヌは安堵の息を吐いて、そっとスラッシュの顔色を窺った。どうせ情けなく口をへの字に曲げているだろう。 と思ったら意外に、ひょんとした至って普通の表情をしていた。「あれ、終わった?」と言いながら体を起こし、痛むところを確認するように体のあちこちを動かし始める。 「あ、あんたあれだけ殴られて平気なの?」 「んー? まあ女の子の力なんて高が知れてるし、これくらい故郷の村の女達に比べれば軽いもんだよ」 「へ、へぇ……」 ナンパするのも命がけ、なのかな。意外と丈夫なんだ。 ミレーヌはパステルや女将さんにお礼を言って、今度こそセトの街を出ることにした。たぶん、もうスラッシュがあのお姉さん達に襲われることはないだろうと安心して。 何だかんだ言って、今日一日スラッシュと一緒に居たなぁと、ミレーヌは感慨に、 「綺麗な星空だね、ミレーヌちゃん」 ふけってませんでした。 ミレーヌは工房へ戻る道をスラッシュと二人、まったく仲良くなく馬に乗って進んでいた。一頭しか馬がないので当然二人で一頭に乗るわけで、背後から胸を触られるかもしれないという恐怖と、変態男の背中に捕まるののどっちがいいかと考え、結局、ミレーヌが手綱を握り、スラッシュがミレーヌの胴を掴んで後ろに乗っている。変なことをしたら容赦なくたたき落とすと、ちゃんと宣告してある。 何故このような状況なのかを簡単に記すと、街を出ようとしたミレーヌを不審に思ったスラッシュに呼び止められ、お父さんが街から離れて暮らしていること、ミレーヌはそこへ帰るのだと教えたら、「俺も連れてって」ときたわけだ。しかも断っても持ち前のねちっこい性格で一向に引く様子を見せなかったため、ミレーヌは渋々了承してやった。 リバーズに弟子入りするのが目的だと言っているが、こんな軽い性格の男をあの堅物が容認する図が想像できなかったため、まあいいかとミレーヌは思った。どうせ明日の朝にでもお父さんに追い出されるさ。 「あんたが怖いお姉さん達に絡まれてたせいですっかり遅くなっちゃったわ」 「ごめんごめん。でも大丈夫。もし魔物がでても、俺が絶対ミレーヌちゃんを守るから」 「むぅ……」 こうやって恥ずかしげもなくそういう台詞が言えるのはある意味卑怯だ。多少がさつだという自覚はあるけれど、やはりミレーヌとて女の子なのだから、こういう言葉を受けるとやはり照れる。 「でもスラッシュ君、その、ナンパはもういいの? お父さんのところに弟子入りして、もし了解もらっちゃったら、街から離れた工房に住み込みで師事してもらうんでしょ?」 「あー、それ? それなら大丈夫」 ミレーヌが前を向いたまま尋ねてみると、スラッシュは考える間も開けずにすぐに返答をよこしてきた。 「あら、怖いお姉さんに懲りて当分ナンパはこりごりってこと?」 「いんや、そんなわけないっしょ。ナンパは俺の生きがいさ」 「……? 街と工房を往復するのは結構大変よ?」 ナンパするためだけに街へ行くなんて、ハッキリ言ってエネルギーの無駄だ。有限の魔力で最大限の効果を生むことを目的とする魔練器技師としてあるまじき行為。 「違うよ。俺はリバーズさんに弟子入りして、人里離れた工房って所に居着くつもりさ」 「じゃあやっぱりナンパは無理じゃん」 ミレーヌが前を向いたままそう言った時だった。ミレーヌの胴を掴んでいたスラッシュの腕が上へ上へ移動してきて、ついにミレーヌの控えめな胸を掴んだ。 「――っ!?」 「リバーズさんからしっかり魔練器の技術を学んで、そんでもってミレーヌちゃんを口説く。ほら、なーんも問題ないじゃないっ」 「あーそう。……そうね、こんな変態を街に放っておいたらあたしの友達まで餌食にされかねないもんね」 ミレーヌはまだ耐える。眉をキリキリとつり上げ、手綱が千切れそうなほど拳に力が籠もっていようと、まだ殴らない。 「スラッシュ君は胸がお好きのようね。あたしみたいな貧乳には興味ないんじゃない?」 「そんなことないさ。むしろ逆逆。俺、貧乳派だから」 そう言いながらミレーヌの胸を揉み続けるスラッシュ。そろそろだ。そろそろ限界を突破する。 「あらそう、ふーん。女の子なら誰でもOKかと思いきや、一応好みはあるのね」 「俺は結構好み五月蠅いよ。でもミレーヌちゃんなら文句なし! 顔は可愛いし、声だってキュート。同じ魔練器技師だから話も合うし、なんと言っても貧乳萌えっ!」 「貧乳貧乳、連呼するな―――っ!」 ついにミレーヌはありったけの力を込めて背後のスラッシュにひじ鉄を食らわせた。堪忍袋の緒なんてとっくに切れてる。ここまで我慢した自分を褒め称えたいくらいだ。 「ぶふおっ!」 「この、ど変態―――っ!」 逆の腕で追い打ち。夜空にぽっかりと浮かんぶ美しい月、そして数多の輝く星々に向けて、スラッシュの絶叫が世界に広がっていった。 * * * そんな紆余曲折を経て、スラッシュはリバーズの工房で住み込みの弟子となった。あの堅物そうな父がスラッシュを受け入れたことに驚きを隠せなかったミレーヌだが、父がいいと言ったのだからミレーヌにとやかく言うことはできず、結局奇妙な共同生活が始まったわけだ。 「はあ……」 「あら、どうしたの?」 ミレーヌが大きくため息を漏らすと、隣で共に夜食を食べるセシリーが不思議そうにミレーヌを見つめてきた。 ミレーヌはふと、目を細めながらセシリーのたわわな胸を見つめる。ミレーヌのまな板とは比べものにならない、女の武器。少し、いや、かなり羨ましかったりもする。 ここはテムルという、一風変わった町のとある魔練器工房。シェド達を追って森の中を右往左往していると、突然足場が無くなって真っ逆さま。そしてドーム状の地下に広がっていたのが、隠者の町、テムルだった。 そしてテムルに着いてすぐ、シールディアの頼みを受けたミレーヌは、この魔練器工房で作っているという魔練器車椅子の開発手伝いを行っている。今日は夜通しの作業となりそうだ。 「……人の胸見たまま嫌そうな顔しないでくれる?」 「ふん、相変わらず豊満なことで」 「あらそう? ふふふん」 セシリーがわざとらしく腕を寄せて谷間を強調する。ミレーヌは劣等感から、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。 休憩がてら夜食を食べているときにふと思い出した、スラッシュとの出会いから工房に住み着くまでの経緯。思い出すだけで、ため息が零れる。 別に心の底から軽蔑しているわけではない。実際、弟子入りしてから知ったスラッシュの持つ魔練器技術の高さには驚いたし、それ以上に、真剣にリバーズから技術を盗もうと勉強に明け暮れる様は正直格好いいと思った。 それと同時に、スケベでどうしようもないと思うときもある。出発の間際にノックもなしに部屋へ入ってきたあれもそうだが、風呂をのぞかれること数回、胸を触られること数知れず。当然、ミレーヌがスラッシュを殴ったことも数知れず。 「……あら?」 ミレーヌがブスくれていると、隣のセシリーが驚いたように声を漏らした。 「ミレーヌ、あなた結婚したの?」 「はあ? ――っ! こ、これは違うの!」 セシリーの視線が一点に固定されている。ミレーヌの薬指にはまる、スラッシュが作ったシルバーリングに。考えてみれば、ミレーヌはシェド達を追って工房を出て一ヶ月近い間ずっと、律儀に指輪をはめていた。 「これは、その、お父さんが作った試作品で……。そう、ヒールジェムを使ったお守りリングなのよ!」 「へー、そうなの。……でも、薬指にはめるのは女の子してマズイと思うわよ? 好きな相手に誤解されるわ」 「う、うん、そうね」 セシリーの言うとおりだから、とミレーヌは指輪に右手を近づけた。けれどどうしてか外すのが躊躇われる。 「べ、別に深い意味があるわけでもないんだし、まあ、急いで外す必要もないかー」 「……?」 「あは、あはははは……」 怪訝そうにこちらを見つめるセシリーから、逃げるようにミレーヌは視線を逸らした。 別に外したっていいわけだが、外さなくてもいいわけだ。そう、ただそれだけ。 「よーし! 休憩終了、頑張るぞーっ!」 ミレーヌはもやもやする気持ちを吹き飛ばして立ち上がる。目の前にある、大きな大きな仕事。これをやり遂げることが今の目標。持てる技術を全て使って、いい物を作りたい。 決意を胸に、リングを指に、ミレーヌは作業に取りかかった。 |
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