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エピローグ

 空は真っ青、まさに快晴。何処まで探しても雲一つ見えない天の大海原を、白い翼の鳥たちが群れをなして飛び去っていく。
 昨日の夜と同じ出で立ちでアリアはジペインの入り口に居た。目の前では、シェドとシールディアが馬車の荷物を確認しながら、不要な物をセシリーとシルヴァランスに渡している。長い間荷台から離れなかった狸の置物は、どうやらセシリーが引き取ることになったようだ。
 先程からセシリーはその置物と睨めっこしている。耳を澄ますと、「私は狸と奇縁があるのかしら」というセシリーの独り言が聞こえてきた。もともとあれは旅の途中で行商から薬草を買うときに、行商がいたくセシリーに惚れ込んだため貰ったものだ。
「さてと、要らねぇもんは下ろしたし、要るもんは積み込んだな」
 シェドがいつもと変わらぬ紺色の上下で身を包み、サングラスをポケットに収めたまま荷台から顔を出す。その後ろから、青と黒の生地で出来たドレスを身に纏うシールディアが出てくる。二人は荷台から大地へ降り立ち、アリア達に歩み寄ってきた。
「さて、それじゃあ俺達はそろそろ行くぜ」
「シェド、お前には本当に世話になったな」
「……なに、たいしたことはしてねぇよ」
 スルトが一歩前に出てシェドと握手を交わす。言外に、まるでアリアのことを頼むとシェドの目は言っているような気がした。ずっと自分が護ってきたアリアを、スルトに託すように。
「それからセシリー、シルヴァランス。お前らも仲良くやれよ」
「あら、シェドがそんな気を回すなんて珍しいわね」
「僕達なら大丈夫です。シェドさんもシールディアさんも、体には気をつけて下さい。またいつでも、顔を見せに来て下さい」
 シルヴァランスがそう言うと、シェドは何処か悲しげに微笑んだ。もう二度と此処へは来ない。そんなシェドの決意が見え隠れしているように感じたのはアリアだけだろうか。
「アリアよ、元気に暮らせ。そして今度会うときには、互いにオンナノコとして成長した姿を見せられるよう、頑張っていこう」
「シールディア……。うん、シールディアも元気で」
 アリアがシールディアと話していると、今度はアリアの背後からミレーヌが前に歩み出した。ミレーヌはしばらくジペインに留まった後、工房へと引き上げるという。
「シールディアちゃん、何かあったらいつでも工房に顔出してね。あたしもお父さんも歓迎するから」
「うむ。ミレーヌよ、そなたにも言葉では言い表せぬほど世話になった。この場を借りて感謝の意を伝えたい。ありがとう」
「んもう、そう言うのはナシって言ったでしょ。また会うんだから普通にね、普通に」
 ミレーヌは相変わらず笑みを崩さない。もしかしたらセシリー以上に演技派なのかもしれないとアリアは思った。
「アリア」
「……シェド」
 ふと気づけば、シールディアのすぐ後ろにシェドの姿があった。視線はアリアへ向いている。
「昨日も言ったが、幸せになれよ」
「……うん」
 シェドの表情は昨日と同じ、とても柔らかく、でも何処か寂しさを滲ませていた。でもそれはきっと今のアリアも同じ。アリアとシェドは、同じ巣を共有する二羽の鳥のようだったから。
「キュッキュルー」
「ヒューイ、アリアのことは頼んだぜ」
「キューッ!」
 アリアの頭に乗っているヒューイの喉を撫でた後、シェドはもう一度アリアへ一瞥をくれてから踵を返した。シールディアがシェドの後を追い、アリアに背を向ける。
 シェドとシールディアが馬車に乗り、シェドが手綱を握った。アリア達は横一列に並んでシェド達を見つめる。
「……じゃあ、行くか」
 皆が押し黙っている中で響くシェドの声。何か、何か声を掛けなきゃという衝動がアリアを包むが、肝心の言葉が何も出てこない。
 馬が歩き出す。車輪が回り始める。シェドの横顔が荷台で見えなくなる。
「シェド……」
 去っていく。ずっと側に居てくれた人が、目の前から消えてしまう。
 引き留めたい。でもそれは出来ない。アリアとシェドにはそれぞれの道があり、それぞれの目的があった。今シェドを引き留めるのは、目的が叶ったアリアがまだ目的を達していないシェドを引き留めることを意味し、それは自分勝手で我が儘なことに他ならない。
 例えそれが好き以上の好きに近い感情でも。例えそれでアリア自身が苦しむことになっても。アリアにシェドを引き留めることはできない。
 わかってる。わかってはいる。でも、だけど――
「シェド……、シェド……」
 一歩、また一歩アリアの足が前へ進む。すでに馬車の荷台は町の北門を越え、走っても追いつけないくらい遠くまで進んでいる。それでも、アリアの足は勝手に前へ進もうとする。どうしてもその衝動を抑えられない。
 だってシェドが行ってしまうから。シェドがアリアの目の前から居なくなってしまうのだから。それは寂しくて、悲しくて、とても辛いことだから。
「あ、ああ……」
 堰を切ったように涙が溢れてきた。旅の終わりがわかってからもずっと堪えてきた涙。シェドとの別れがわかってからもずっと我慢してきた涙。それが今、決壊したダムのように溢れだしてくる。
「シェ……ド……。う、うああ……、シェ、シェド――――――ッ!」
 腹の底からアリアは咆えた。喉が潰れるくらい、息が出来ず窒息してしまいそうなくらい、全身の力をすべて声に込める。
 もうこの位置では聞こえないだろう。馬車の荷台もずいぶん遠い。アリアの最後の叫びは、決してシェドの耳には届かなかっただろう。
 アリアはその場にへたり込み、頬を涙に濡らしながら豆粒のような馬車を遠目に見つめる。寄ってきたミハルに肩を抱かれ、セシリーがアリアの右手をそっと握りしめてくれる。
 一人じゃない。暖かい家族、大切な仲間はこれからも一緒に居てくれる。でも、そこにシェドは居ない。
 こんなにも、こんなにもアリアの心の中でシェドの存在は大きかった。別れを予期しても、別れの直前でも分からなかったことが今、はっきりと自覚できる。
 寂しさと悲しさにアリアが暮れていた時――
「――っ!?」
 突然、もはや肉眼で捕らえるのが困難なくらい小さくなった馬車から一筋の光が空に舞い上がった。雲一つ無い晴天に舞い上がったのは、空の蒼とは対照的な朱色の光。
 朱色の光は青い空で眩い閃光と共に弾け、小さな火花がちりぢりに四方へ飛散していった。あれは、あの光は――
「魔弾……。シェド……」
 アリアの心にスッと光が差し込んでくる。あれはきっとシェドの答え。アリアの最後の叫びは、ちゃんとシェドに届いていた。
「……私、幸せになる。だから……」
 アリアは袖で涙を拭って立ち上がった。ミハルに微笑みかけ、そしてスルト、セシリー、シルヴァランスとミレーヌにも笑顔を送って、もう大丈夫だと伝える。
「だからシェドも幸せになって……」
 自分の幸せとシェドの幸せがいつか交わる日が来ることを信じ、アリアは小さくそう呟いた。
 長かった一つの旅。それが今、ようやく閉幕の緞帳を下ろす。でもそれは同時に、次なる旅の始まりを告げる予鈴となるだろう。
 だから立ち止まらない。いつか成長した自分をシェドに見せられるよう、後ろを向いて止まるわけにはいかない。
 前へ。今よりもっと前へ。道を進んでいけばきっと、またどこかの交差点でシェドに出会える。今はそう信じて、一歩でも前へ進むしかない。
「ありがとう、シェド」
 最後にそう呟いて、アリアは踵を返した。両親と手をつなぎ、セシリーとシルヴァランスの笑顔に包まれながら帰路につく。
 アリアとシェド。二人の旅はここで一つの中継駅へとたどり着く。でもそれは終点じゃない。
 終点なんてきっとない。道は何処までも続いていくはずだから。
 きっと。そう、きっと。
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