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第四章 旅の終わりに アルトレア大陸北東に位置するトルメキア王国。そのさらに北に広がる雄大な自然に紛れて、表状は魔練器製造会社だが裏ではトルメキア皇室と影のつながりがある暗躍組織、ニーヴルの研究所が存在している。 ニーヴルの現社長、ルシフェル=ガブリエスタの不在を預かる副社長のレミネーラは、朱い絨毯が敷かれシャンデリアが天井からつり下げられている豪奢な部屋で、木製のアンティークデスクに向かいながらしかめっ面をしていた。 長い黒髪を何度も掻き上げ、紫色の瞳は口惜しそうに歪み、真っ赤なルージュで染まった艶やかな唇はへの字に曲がっている。紫紺のスーツで身を包んだレミネーラは、目の前に立つ二人の男女と手に持った書類とを交互に見つめながら、何度も小さくため息を漏らしていた。 「……反応が無いわね」 「ええ。あれだけドラゴンを放っているというのに」 レミネーラの言葉に、右目を眼帯で覆った隻眼の男、カルネが応じた。燃えるように赤い短髪と瞳。その表情にはおおよそ感情という色がない。 「アルトレア中に放ってるのに、ちーっともレオにヒットしないのはどうしてだろー?」 カルネの隣で、レミネーラとは正反対のニコニコとした表情で話すのは、カールした赤毛が目立つ、そばかすの多い十代後半の女。カナリア色の瞳に片眼鏡をかけ、白衣を身に纏う女、キャロルは、部屋に充満する重い空気を全く感じていないように嬉々としている。 「これ以上大量にドラゴンを散布するのは難しいと、研究所から連絡も来ております。紛い物のドラゴンとは言え、精製に時間や費用はかかりますから」 「……ごめんなさーい。あたしがデオラガーンでしっかりレオも捕まえておけばこんなことにはならなかったんですよねー」 「キャロルのせいじゃないでしょう。……半年くらい前からおかしいとは感じていたわ。聖石レオが放つ波動が弱く、いえ、波動を全く感知できなくなったから」 レミネーラが下唇を甘噛みし、また小さくため息を漏らしながら肩を落とした。 「“追跡”のミゲルでも、デオラガーン以降、レオの足取りは掴めないと言うし、各地のエインフェリア達からも全くレオの情報はないわ」 「別件では、ガルバトロス率いる集団が各地でドラゴン退治を行っているという報告があります」 「……あっちもあっちで鬱陶しいわねぇ」 足を組み替えて唸るレミネーラを、カルネとキャロルはそれぞれの表情を貼り付けて見つめている。まるで話す順序があらかじめ決まっており、今は自分の番ではないからと待っているようだ。 「トルメキアのハルモニカ大陸侵攻は始まった。先日社長から、前線に投入した天使達の状況や、“玉座”を手に入れたという報告も受けたし、作戦はいよいよ最終段階に入ろうとしているわ」 「そうですねー。だから、早いところレオの居場所を見つけて、ササッと強制送還しちゃわないと駄目ですよねー」 「……キャロル、お願いできるかしら?」 「まっかせて下さいー。ドラゴンの精製や天使の研究の残りはここの職員さん達にお任せして、あたしはレオをバッチリ捕まえてきますよー」 キャロルが片手を元気よく上げながらハキハキと返事をする。それを見たレミネーラも、曲がっていた唇を少しだけ和らげて僅かな笑みを取り戻した。 「あなたの能力、“透過”に期待するわ」 「はいはーい。じゃあ、アシスタントとして、エンフェリアさんを何名か借りますね」 「任せたわ」 レミネーラの言葉に破顔の笑みのまま仰々しく頷き、キャロルは「るんたった」と口ずさみながら部屋を出て行った。 「……あなたには引き続き、ガルバトロスの組織について調査をお願いするわ」 「はい」 先程から一言も喋らず微動だにしなかったカルネが、レミネーラの言葉を受けて少しだけ頷く。 「ドラゴン退治をしているという話だし、適当なのを捕まえて奴らのアジトを吐かせれば一網打尽にできるわね」 「わかりました。では、奴らのアジトが分かり次第、エインフェリアを率いて潰しにかかります」 「ええ、頼んだわ」 会釈をしてから去っていくカルネ。部屋に取り残されたレミネーラは、回転式の執務用座椅子に腰を落ろしたまま、くるりと椅子を回して視界を百八十度切り替える。 大きな窓の外に広がるのは雄大な自然。何処まで見渡しても、この場所以外に人工物は見当たらない。 「……まさかレオの捕獲にこうも手こずる羽目になるとは、二年前には想像もつかなかったわね」 歯がみするよう小さく呟き、レミネーラはスッと瞳を閉じて背もたれに体重を乗せた。 「蝕は待ってはくれない。……早く、早く見つけなくては……」 小さくそう呟いた後、部屋にレミネーラの規則正しい寝息が響き始めた。 * * * 「くっ! 数が多いわねっ!」 セシリーは愚痴を零しながら銃弾の嵐を駆け抜けた。 相当数の襲撃者が、みな銃器を手に突貫してくる。それらをすべて一人で相手にするなど不可能だった。すでに何人かの突破を許し、またセシリーがせき止めている大通り以外の小道からも大勢の襲撃者が街へなだれ込んだだろう。 「はあっ!」 雷撃をグループの中心に放ち、同時に飛来する銃弾を半身でかわす。今はジェムの魔力残量など考えている余地はない。 人の命、他人の命をエサに生きる存在。それはかつでのセシリーと符合する。だからセシリーに彼らを咎める筋合いはないのかもしれない。 「でもっ! 今の私は違うっ!」 過去に犯してきた罪に対して何の償いもしていない分際で、何を粋がっているのかと罵倒されるかも知れない。だがそれでも、今立ち止まるわけにはいかない。 アリアの笑顔を護るため。やっと逢えた母子の幸せを護るため。この街に住むセシリーとは無縁でも自分たちの幸せを必死に生きている人のため。 「はあああっ!」 「ぐおおおっ!」 突貫してきた男の懐に潜ってセシリーは蹴撃を男の腹に叩き込む。男がよろめいたところで一歩下がり、回し蹴りでその脇腹を強打した。 さらに側面から別の男がショットガンを放ってくる。散弾だったため回避は不可能と判断し、即座にジェムを輝かせて極光障壁で相殺する。相手がポンプをひいて再装填する前に雷撃を迸らせ、その身を感電させて意識を奪う。 「な、なんだあの女っ! くそっ! こっちにジェム使いを回せっ!」 「……ッ…!」 休む間もなく吹きすさぶ銃弾の暴風。さらにそこへ紅蓮の炎が紛れ込んできた。相手にもジェム使いが居たことに驚き、セシリーは火炎弾を雷光で弾く。 セシリーの視界に、朱色のジェムを首輪に埋め込んだ若い男の姿が映る。傷んだ朱い短髪に痩せこけた四肢。手に武器は所持しておらず、おそらくはジェムを攻撃の起点とするタイプだろう。 男が手のひらをセシリーに向けて紅蓮の炎を撃ち放ってくる。シェドの魔弾ほどの威力はないが、それでも一介のジェム使いとしては十分威力がある。 セシリーは駆け回りながら炎を避け、時には雷光で炎を弾きながら反撃する。だがジェム使いに集中している間に、襲撃者達が次々と街へなだれ込んでいった。 「くっ! させるものですかっ!」 街の人間を襲おうとしていた襲撃者に雷撃を叩き込む。だがその男が倒れたのを確認する間もなく、ジェム使いが次々と炎をセシリーへ放ってきた。止まっている暇など与えてくれないようだ。 「……女。俺の前で他のヤツを相手にするなんざ、いい度胸してるじゃねえか」 「あらごめんなさい。寂しい思いをさせてしまったかしら?」 自分を無視して街人を助けたセシリーを、男が忌々しそうに睨んでくる。それほど警戒する必要がある相手ではないが、無視できるほど弱くもない。 「わかったわ。あなたから先に、さっさと眠らせてあげる!」 セシリーは一旦他の襲撃者をすべて無視することにした。目の前のジェム使いと戦いながら他の襲撃者を警戒していては時間的なロスが大きい。今は一刻も早く、目の前の男を倒してしまうことが優先だ。 「はあああっ!」 雷撃を放ちながら間合いを詰めると、男もこちらの挑発に乗って突っ込んでくる。 炎と雷撃が弾けて周囲に衝撃が広がる中、セシリーの脚と男の拳が激しくぶつかった。稲光のような閃光と共に轟音で大地がえぐれ、体勢を崩す男にすかさずセシリーは宙で身を翻して踵を振り下ろす。 「ぬおっ!」 「今までは後方で援護射撃に徹していたんでしょうね。接近戦は全然なってないわっ!」 セシリーの踵落としを辛うじて受け止めた男だがすでに体勢は悪い。攻撃に転じることも出来なければ、続く攻撃を回避、防御することすら出来ない姿勢だ。そんな体勢の男にセシリーは迷うことなく雷撃を叩き込む。 「ぐはあああっ!」 セシリーの放つ凄まじい雷の直撃を受け、男の体は後方へ吹き飛んで激しく大地へ打ち付けられる。そのまま動かなくなった男を一瞥し、セシリーは直ぐさま身を翻した。 もし、今倒した男以外にもジェム使いが居るとすれば相当厄介なことになる。例え相手がジェム使いでも、あの程度であればアリアなら十分対処できるが、それはあくまで自分一人を護る戦いを想定した場合であって、他人を守りながらの戦いはその何倍もの技量を必要とする。 「…………私は、信じるしかない」 アリアとミハルのことが気がかりなのは確かだが、今セシリーがこの場を離れてアリア達の援護に回るようならば、罪のないティンベルの街の人達が大勢犠牲になるだろう。 今はアリアを信じて、セシリーはこの場で被害を最小限に抑えるよう努める必要がある。 セシリーはその決意を胸に、次々と押し寄せる襲撃者、そして街にすでに入り込んだ襲撃者を片っ端からのしていった。 自分が戦えること。自分が普通の女の子じゃないこと。自分がかつて、ニーヴルと呼ばれる組織で多くの人を殺してきた悪魔であること。それらを母親には絶対見せたくない。アリアはそう思っていた。 けれど今、アリアは両手にハンドガンを握り、毅然とミハルの前に立って襲撃者と対峙している。守りたい自分の虚像を壊してでも、本当に守りたい母親のために。 普通の女の子じゃないと知ったらミハルは悲しむだろうか。嘆くだろうか。 それともかつて森の中で助けた商人のように、アリアをまるで魔物を見るような目で見つめてくるのだろうか。自分の母親にそんな目で見られるのはイヤ。絶対にイヤ。 だけど―― 「お母さんは、お母さんは私が守るっ!」 その想いがアリアを突き動かす。たとえ嫌われようと、たとえ恐れられようと、ミハルだけは守りたい。それはもう、言葉を必要としないくらい確固たる想い。 アリアは大地を蹴って襲撃者に突っ込んでいく。不意を衝かれた様子で驚愕の表情を浮かべる男に、アリアは迷うことなくハンドガンのトリガを引いて銃弾を浴びせた。 「ぐああああっ!」 鮮血が爆ぜ、視界が朱く染まる。 後方のミハルはこの光景をどんな顔で見つめているだろう。 確認したい。でも怖い。だから今は見ない。もしミハルの表情が恐怖に歪んでいたら、アリアの心は壊れてしまうかもしれないから。 アリアは間合いを詰めながら引き金を引き続ける。襲撃者の男も負けじと矢を放ってくるが、銃よりも発射、初速度の遅い弓矢の見切りなど、アリアには片眼を瞑ったままでもできる。 「こ、このガキッ! く、来るなああっ! た、助けてくれーっ!」 「……っ!」 一気に戦闘不能に追い込もうと男に照準を合わせた瞬間、男の後方より複数の銃弾とともに見えない真空の刃がアリアに襲いかかった。反射的に身を退いて銃弾をかわしたが、真空の刃はかわしきれず、キュロットスカートが裂けてしまった。 「援軍……? ジェム使いも居る」 更に次々と襲いかかる銃弾の嵐を避けながら、アリアは数歩後方へ後退する。だがこれ以上後退すれば、流れ弾でミハルが傷を負う危険がある。 「レイチェルッ! 逃げてっ!」 「……お母さん」 後方から飛来する母の痛切な叫びがアリアの鼓膜を揺らす。今振り返れば、きっとミハルの表情は悲しみに染まっているだろう。 アリアは振り返らず、意を決して突貫した。ハンドガンのマガジンを走りながら瞬時に入れ替え、援軍を含めた十人を超える襲撃者達のもとへ一気に間合いをつめていく。 「このガキがぁぁっ! みんな、やっちまえぇぇっ!」 「私は負けない。やっと、やっとお母さんに会えた。……負けるわけにはいかない!」 アリアのハンドガンが火を噴く。放たれた銃弾はすべて正確に相手の急所目掛けて飛んでいき、あちこちで鮮血が宙へ舞い散る。だが同時に数多の銃弾がアリアの命を散らすべく襲いかかり、交わしきれなかった弾丸がアリアの白い皮膚を裂いて血が滴り落ちる。 さら一人、ウインドジェムを使う男が次々と真空の刃をアリアへ放ってくる。実体のない風の剣を防ぐ手だてはなく、アリアはひたすら空気の流れを肌で感じながら真空波を避け続けた。 「はあっ……、はあっ……」 「く、くそ、なんてガキだっ!」 銃弾がアリアの頬を裂いて肉を焼く。火傷と裂傷を同時に受けても、アリアは表情を変えず攻撃の手を緩めない。止まればその先にあるのは死のみ。しかもそれはアリア一人ではなく、ミハルをも巻き込んだものになる。 アリアは必死に戦場を駆け回りながら銃弾を撃ちはなった。十人はいた襲撃者達も残すは後三人。他はすでに大地へ横たわり、苦痛に藻掻き苦しんでいた。 殺してはいない。たとえ襲撃者達が罪のない街の人達を大勢殺したとはいえ、それでもアリアは彼らを殺したりしない。 もう誰も殺さない。それは組織を抜けたとき、アリアが自分に誓った一番大切な決意だから。 「があああっ!」 男の手のひらを銃弾で撃ち抜き、激痛のために男が悲痛な叫びをあげながら大地へうずくまる。これで残りは二人。 「うぎゃあああっ!」 さらに先程から中距離スナイパーライフルでハンドガンの射程外から攻撃をしていた男へ一気に間合いをつめ、慌てて逃げようとする男の両足両腕に銃弾を撃ち込んだ。 残りはジェム使いだけ。アリアは頬を流れる汗を袖で拭い、裂傷を負った小さな身体を引きずって最後の敵へ突貫する。 「ちいっ! このガキ、舐めるなぁぁぁっ!」 「……っ」 見えない真空の刃がアリアへ襲いかかる。アリアはスカートから手榴弾を一個取り出し、それを自分と男の中間地点目掛けて投げつけ、ハンドガンで手榴弾を撃ち抜いた。 「きゃうっ!」 手榴弾の爆風がアリアを襲う直前に真空の刃がアリアの肩口を引き裂く。虚空に爆ぜた自身の血を一瞥した後、アリアは手榴弾の爆風に備えて両手を顔の前でクロスさせた。 「ぐおっ! な、何っ!?」 大地を深く抉った手榴弾。その爆発が巻き起こした砂埃で視界が鈍る中、アリアはすでに宙へ舞い上がっていた。上空から慌てふためく男を見据え、的確に両肩、両膝に銃弾を撃ち込む。 「ぐあああああっ!」 男が悲鳴を上げながら、最後の抵抗とばかりに空中のアリアへ真空の刃を放つ。避ける術のないアリアの脇腹が避け、朱い半袖トップは見るも無惨に裂けてしまった。 だが男もそれを最後に痛みで意識を失い、がくりと大地に倒れた。アリアは大地へ降り立ち、全身を走る痛みに表情を歪めながらも、まだ周囲に敵はいないかと警戒を怠らない。 「レイチェルッ!」 「あ……」 ふいにアリアは背後から抱きしめられた。背中を通じて伝わってくる心臓の鼓動、熱、その人の匂い。緊張の糸が一気にほどけ、ハンドガンが大地へごとりと落ちる。 「お母さん……、服が汚れる」 「そんなことどうでもいいわっ!」 ミハルは強く、より強くアリアを抱きしめてきた。本当は傷口に響いて痛かったが、アリアはそれ以上に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 ミハルは怖くないのだろうか。圧倒的な力で襲撃者達を殲滅したアリアの力が。 「お母さん、私……。その……、ごめん、なさい……」 「何で? 何であなたが謝るの?」 ミハルの声には嗚咽が混じっていた。泣いているのか、アリアの首筋に暖かい液体がこぼれ落ちてくる。 「私……、全然普通の女の子じゃなくて、ごめんなさい」 後ろから抱きしめているミハルの手をとり、アリアはそっとその手を自分の胸の前へ持って行った。それに触れた瞬間、ミハルの体がピクリと動いた。 アリアの胸に埋め込まれた異物。アリアが世界の敵である天使だという証。 「こんな娘で……、ごめんなさい」 「何を言っているのよ」 アリアの謝罪の言葉を押しのけ、ミハルがより強くアリアを抱きしめてきた。くるりとアリアの体の向きをかえ、優しい笑顔でアリアの顔をのぞき込んでくる。 「あ……」 ミハルの表情を見てアリアは言葉を失った。そこにあったのは、悲痛に歪んだ表情でも恐怖に歪んだ表情でもない。娘を心から愛している、母親の表情だった。 自然と涙が溢れてくる。ミハルの優しい笑顔を見ているだけで、心の中がいっぱいになってしまう。 「お母……さん……」 「レイチェル……」 アリアはミハルの胸に飛びこみ、声を漏らしながら泣いた。ミハルはそんなアリアを、無言のまま暖かく包み込んでくれた。 嬉しい。今度こそ本当に、母と娘になれたような気がした。ずっと捜し求めていた母親に、やっと本当に逢えた気がした。 もう離したくない。もう絶対、離れたくない。ずっと、お母さんの側に居たい。 そう何度も心の中で繰り返しながら、アリアは必死にミハルの胸にしがみついて涙に頬を濡らした。 ミレーヌとシールディアがティンベルの街に戻ったとき、街は凄惨な状況だった。すでに襲撃者達の多くは隣町から駆けつけた保安隊によって捕縛されたが、街のあちこちではまだ火の手が上っており、道端には血だらけで倒れている者達の姿も多い。 「……酷い。これが同じ人間のすることなの?」 「ヒトは時に己のためならば他者の犠牲をいとわない傾向がある。すべてのヒトがそうではないが、少なからずそういったヒトもいるのだろう」 周囲を見渡しながら淡々と語るシールディアだが、ミレーヌの目にも、それが平生の落ち着いたシールディアではなく、どこかやり場のない憤りを内包しているように見えた。 ミレーヌは手綱を引いて宿へ引き上げる。ミレーヌ達が宿泊している宿の周辺までは襲撃者達の手が及ばなかったのか、街の中央付近や南部に比べたらずいぶん落ち着いているように見えた。 馬小屋に馬を止め、宿のオーナーと少し話をしてから部屋へ戻ると、そこにはすでにアリアとセシリー、そしてミハルの姿があった。 「アリアちゃん、その傷……」 「あ、ミレーヌ。大丈夫。そんなに深くない」 ミレーヌとシールディアの姿を確認したアリアが少しだけ笑む。その隣にいるミハルは、穏やかな表情でアリアの髪を掬っていた。 「……そっか。うん、大丈夫ならいいか。あんたはどうなの?」 「私はほぼ無傷よ。あなた達も問題なさそうね」 「問題ないも何も、街の外で待機していたんだから大丈夫に決まってるでしょ」 大勢の人達を見捨てて、自分たちは安全な場所へ逃げていただけ。戦う術を持たないミレーヌであるが故仕方ないことなのだが、それでも自己嫌悪や罪悪感が体の中で渦を巻いている。 「ミハルさん、こっちで宿泊することにしたんだ」 「ええ。アリアのことが心配でしょうし、アリアもアリアでやっぱりお母さんと一緒に居たいようだしね。向こうの宿のオーナーに伝言を残してきたそうだから、明日か明後日にはアリアのお父さん、ミハルさんの旦那さんがこちらへ来ることになっているわ」 「……アリアちゃんのお父さん、か。ホントよかったよ。ちゃんとご両親が見つかって」 何処か寂しげなセシリーには悪い気もしたが、生き別れになっていた本当の親子が再会できたのだから、それを素直に祝ってあげたいとミレーヌは思った。妹のように思っていたアリアが本当の両親に会えた。そのことが単純に嬉しい。 「こっちの部屋はアリアちゃんとミハルさんが泊まるとして、あたし達は向こうの部屋にしない? せったくだし、母娘水入らずって感じで」 「そうね、そうしましょうか」 「異議はない」 ミレーヌの提案にセシリーとシールディアが首を縦に振る。それを確認し終えた上で、ミレーヌは奥にいるアリアへ振り向き、 「じゃあアリアちゃん、私達向こうの部屋に行ってるから、何かあったら声を掛けてね」 破顔の笑みでそう言った。アリアがきょとんとこちらを見つめ返してくる。 「今日はお母さんと一緒にお風呂入って、一緒のお布団で寝なさいね」 「……うん」 傷を負った頬を緩めて微笑むアリア。ミハルも少し恥ずかしそうに笑いながら、ミレーヌを見てペコリと頭を下げた。 アリアの笑顔を見送ってミレーヌ達は隣の部屋へ移動する。本来シェドとシルヴァランスのために借りた部屋だが、二人はまだドラゴン退治から帰ってきていない。 シェド達のことだから大丈夫だとは思っているが、それでも不安は拭いきれない。それはセシリーも同じようで、セシリーの表情を見ていれば一目瞭然だった。 ぽてんとベッドに腰を下ろし、セシリーはどこか虚ろな目で虚空を見つめていた。シールディアが怪訝そうに、セシリーの覇気のない顔を見つめている。 はっきりいって今のセシリーには普段の余裕がまるでない。それは突然アリアの母親が見つかり、今まで甘んじていた居場所を失ってしまったこと、そしてそれとは別の心配事を抱えていることぐらいミレーヌでも気づいていた。 「……シルヴァランスさんのことが心配なんでしょ」 「何のことかしら」 「しらばっくれても無駄。セシリーって、意外とそういうのがすぐ顔に出るタイプだよね。組織に居た頃に恋愛経験を豊富に積んでこなかったの?」 「あなたに見抜かれると、そこはかとなく悔しい気持ちになるわね」 口では悪態をつきながらも、セシリーの表情が少し和らいだ。それはミレーヌに気づかれたことで吹っ切れた部分もあるからだろうか。 「どういうことだ? ミレーヌは何の話をしている?」 「あはっ、教えてあげようか」 首を傾げるシールディアの耳元に口を近づけながら、ミレーヌはちらちらとセシリーのすました横顔を見つめた。勝手に話せばいいでしょうという空気を放っているつもりなのか、セシリーは別段咎めるように睨んできたりしない。 「セシリーはシルヴァランスのことが好きなんだって。だから心配で心配で仕方ないんだって」 「……うむ? 好きならば相手のことを心配するのは当然なのではないか? 故にミレーヌよ、そなたもシェドの心配をするのが筋というものではないのか?」 「う……。そ、そうなんだけど……、なんか、実は最近、私って本当にシェドのことが好きなのかなって悩んでいる部分があって、その……」 その答えは当分出そうになかったのでとりあえず保留にしていたわけだが、こともなげに尋ねてくるシールディアにミレーヌは動揺を隠しきれなかった。 ミレーヌの作り笑いにさらに首を傾げるシールディア。ミレーヌは適当に笑顔で誤魔化しつつお茶を濁し、セシリーの隣に座り込んだ。セシリーも、ミレーヌとシールディアのやりとりを見て少し頬を緩めていた。 「ねえセシリー」 「なに?」 「もしかしたらこれはチャンスかもしれないよ? あたし、いいこと思いついちゃった」 破顔の笑みでそう言ったミレーヌに対し、セシリーの表情はあまりすぐれなかった。どうせ変なことを思いついただけだと思っているのだろう。 アリアの両親が見つかって、きっと変わってしまう今の生活。それに乗じてもう一つくらい変化を起こしたっていいはずだ。それがミレーヌの提案。 「――ええっ!?」 ミレーヌの提案を耳にしたセシリーが顔を真っ赤にして驚きの声を漏らすと、三度シールディアが首を傾げた。 ティンベルの街を出て五日目の昼にシェド達は東門よりティンベルの街へ帰ってきた。 街の様子がおかしいのは遠目に街が見えた頃からわかっていた。火の手があがっていたり半壊した建物が目に付いたからだ。魔物の襲撃があったのかと思って街に入ってすぐ様々な人間に話を聞いたところ、魔物ではなくならず者の集団が街を襲ったとのことだ。 「酷い有様ですね」 「ああ。だが、こっちはまだマシな方らしい。街の西側はもっと悲惨だって話だ」 「…………」 シルヴァランスの言葉に反応しながらも、シェドは隣で落ち着きのないスルトを怪訝に思っていた。街に戻ってこの惨状を見て以来、スルトの表情は険しいを通り越して愕然としている。ただ驚いているにしては少し様子がおかしい。 「シェド、報酬の話はまた後でいいか?」 「別に構わないが、……どうかしたのか?」 「街の南にある宿で妻が滞在しているんだ」 それだけ言い終えると、スルトは沈痛な面持ちでシェドの目を見た。焦りを押し殺そうと必死に自分を律する軍人と、それでも不安を拭いきれない感情がその瞳には映っていた。 「どうせ俺達と同行している天使に会いに来るつもりだったんだろ? 俺達は街の北にある宿に滞在しているから、一段落したら来いよ」 「わかった。……すまない」 スルトはそう言い残し、業者から馬を借りて去っていた。 「俺達もさっさと宿に戻ろう」 「そうですね。……ですが、フラーレンさんはどうします?」 「あう? あうーあー」 シルヴァランスが困惑した様子で、馬車から降りずに奇声を発しながら周囲を見つめるフラーレンへ視線を向けた。 フラーレンがああなってしまったことに責任感を抱いているようだが、ここは割り切るしかないだろうと思い、 「放っておく。これ以上関わらない方がいい」 シェドはそう強く言いはなった。 シルヴァランスの気持ちもわかる。真面目で少し頑固なところがあるシルヴァランスにとって、今のフラーレンの状況を放っておけない心情があるのだろう。だが下手な同情や優しさを抱いていたらこれから先を乗り切っていけない。前に進むためにも、今は割り切るしかない。 「……わかり、ました」 納得できない様子だが、それでもシェドの言い分が正しいと理解しているのだろう。シルヴァランスは悲痛な面持ちで応じ、宿のある方角へ歩を刻み始めた。 シェドはしばらくその背中を見つめ、その後、シルヴァランスを追ってその場を後にした。 「あうあー」 親を求める赤子のような声を漏らすフラーレンをその場に残し、一度も振り返ることなく二人は宿へと急いだ。 宿へ向かう帰路の至るところに焼き焦げた建物や怪我を負った人々の姿があった。まるで戦争後のような状況。アリア達のことが心配でないと言えば嘘になるが、シェドとてアリアやセシリーの実力は十分評価しているつもりだ。それでも心配してしまうことを、取り越し苦労というのだろうか。 シェドよりもシルヴァランスの方が仲間の安否を気遣う気持ちは強いようだった。黙っていれば二枚目と言っても遜色ない表情を顰め、沈痛な面持ちでシェドの隣を歩いている。シルヴァランスが誰を一番心配しているのか、あえて口に出したりはしないが。 宿まで戻ってくると、この辺りまでは襲撃者達の手が伸びなかったのか、ほぼシェド達が街を出る前の状態と変わっていなかった。 一階の馬小屋から中へ入り、二階のフロントでオーナーに顔を見せると、至って冷静な営業スマイルを返された。シェドも作り笑顔で応じ、そそくさと借りている部屋へと足を運ぶ。 「……おう、ただいま」 「あ、シェドッ!」 自分たちが借りていた部屋に入ると、中にはセシリーとミレーヌ、そしてシールディアの姿があった。だがアリアとヒューイの姿が見当たらない。 「アリアはどうした?」 「……あの子は向こうの部屋に居るわ」 シェドの問に、何故かセシリーがどこか寂しげに答えた。視線はシルヴァランスへ向いており、安堵と疲労が入り混じったような表情を浮かべていた。 ちらりと伺えば、シルヴァランスもシルヴァランスでやっと心のつっかえがとれたような顔をしていた。 「無事だったみたいね」 「ええ。……同行したメンバーにニーヴルの人間が混じっていたため、かなり苦戦を強いられましたが、なんとかなりました」 「ええっ! ま、まさかあのスルトっておじさん?」 「違いますよ。……スルトさんは国王軍の人間でした」 シルヴァランスの答えにミレーヌの目が点になる。今のシェド達にとって、国王軍もあまり関わりたくない相手の一つだ。 そっと一歩、セシリーがシルヴァランスに近寄る。シェドと比べればシルヴァランスの方が傷は酷い。致命傷はないし、外傷もほぼヒールジェムで治したが、それでも内に残っている疲労までは完全に回復したわけではない。どうやらセシリーはそれを感じ取ったようだ。 「セ、セシリーさん?」 「……おかえりなさい、シルヴァランス」 しおらしい笑顔でセシリーが言うと、シルヴァランスは照れくさそうに頬を赤らめながら白い歯を見せた。隣でミレーヌがニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべているが、何となくそんな目で二人を見たい気持ちもわかる。平生無表情のシールディアすら、今はどこか微笑んでいるように見えた。 「襲撃者に襲われたと聞いたが、まあ、全員無事みたいだな?」 「……ええ。襲撃に関しては特に話すこともないわ」 セシリーが、「襲撃に関しては」を強調して言った。シェドは少し眉を顰め、シルヴァランスを向いているセシリーの横顔を見つめた。 「えっと、落ち着いて聞いてね?」 押し黙るセシリーの後方で、ミレーヌが話しづらそうに口を開いた。頬をポリポリと掻き、視線をあちこちへ泳がせながらミレーヌは切り出した。 「アリアちゃんの、お母さんが見つかったの」 「――っ!?」 三人の様子からあまり良い話題ではないだろうと警戒していたシェドだが、ミレーヌが口にした事実はそれをも凌駕してシェドを困惑の海に叩き込んだ。 旅の目的。それは何だったか。両親。そう、アリアの両親を捜すことだ。 それが叶った。それが満たされた。ならば、それは何を意味するのだろうか。 「アリアの……親が見つかった……?」 「そ、それは本当なんですか?」 シルヴァランスがおろおろしながらセシリーの肩を掴んで顔をのぞき込むと、セシリーは視線を逸らしながら小さくコクンと頷いた。セシリーの様子がおかしいことが、ミレーヌの言葉が事実だと言うことを裏付けている。 だが今のシェドに、元気のないセシリーに声を掛けてやることなど出来なかった。なぜならシェド自身、思考が止まって何を考えればいいのかわからないくらい困惑しているからだ。 「シェド? 先程から口が開いたまま固まっておるぞ?」 「あ、ああ……」 シールディアの声で我に返っても、シェドの思考は鈍化したままだ。 何故こんなに混乱しているのか。アリアとシェドはもともと目的が違った。ただ手段が同じだったため同行していただけだ。だから、片方の目的が叶った時点で二人の旅が終わることは始めからわかっていたはず。 わかっていたこと。なのにどうして、いざその時が来た今、こんなに戸惑ってしまうのだろうか。セシリーがアリアをまるで妹か娘のように扱っていたのと同様、シェドもアリアを娘みたいに思っていたからだろうか。娘を取られる父のような気持ちなのだろうか。 「……向こうの部屋にアリアとアリアの本当のお母さんが居るわ」 「わかった」 立ち止まっていても仕方ない。シェドは踵を返し、戸に手を掛けた。 「僕は後で行きます」 シルヴァランスがそう言ってその場に残り、シェドは一人廊下に出て、隣の部屋のドアに手を掛けた。 息を整え、サングラスを胸ポケットにしまう。扉の向こうに居るのは本当の母親なのだ。ずっと娘を預かっていた身として、警戒されるのは回避したい。 「アリア、入るぞ?」 「……シェド?」 ノックすると、中から驚きの籠もったアリアの声が聞こえた。シェドは一つ間を置いて、出来るだけ冷静を装ってドアを開いた。 アリアはテーブルの椅子に腰掛けていた。襲撃者と戦ったのか、衣類は傷んで頬には裂傷を負っていた。そしてそんなアリアと向かい合って腰を下ろしている女性の姿。髪の色こそ違うものの、その女性の顔はアリアそっくりだった。 銀色の長い髪。水色の瞳。女性はシェドの顔を見てペコリと頭を下げた。 「……アリアの本当の母親ですね?」 「はい。ミハル=ヴァレンシアと申します。あなたが、この子と最初からずっと一緒に居て下さった方ですね」 「そうです」 ミハルと名乗った女性はとても穏やかな笑顔をシェドに向けた。アリアが心から笑ったら可愛いだろうと以前思ったが、もしかしたらそれは今ミハルが浮かべているような笑顔なのかも知れない。 「シェド……」 アリアは本当の母親を前にしているにも関わらず、どこか悲しげに表情を染めていた。シェドは掛ける言葉が思いつかず、そっと歩を刻んでアリアの手前に立ち、その頬に手を添えた。 ヒールジェムへ意識を注ぎ、淡い光がシェドの手を伝ってアリアの体を包んでいく。すでに血が止まっていた傷痕が薄れていき、光と共に消え去っていく。 シェドがアリアの傷を治しているときだった。ふいにアリアが両手を持ち上げ、そっと両手で自分の頬に触れているシェドの手を包み込んで瞳を閉じた。 思いがけないアリアの行動に少し驚いたが、そのお陰で今までずっと燻っていた困惑が消え去り、シェドはようやく穏やかな笑顔を浮かべることができた。 そんな穏やかな笑みのまま、シェドは小さく口を開いて囁く。 「アリア……。よかったな……」 アリアの両親が見つかったこと。それは喜ばしいことなのだろう。だが目の前に立っている女性は、まるで大切な家族を失ってしまったかのように沈んでいた。 シルヴァランスの目の前でセシリーが俯き加減に頭を垂らしている。ずっと演じていた姉であり母である立ち位置。それを失ってしまったことに困惑しているのだろうか。 「セシリーさん」 名前を呼びかけてもセシリーは弱々しい笑みを返してくれるだけだった。だがそんなセシリーを前にしても、何と声を掛けて良いのか言葉が思い浮かばない。 フラーレンと戦ったとき思ったこと。気づいた気持ち。伝えたい言葉があるはずだった。けれど、今は何も思い浮かばない。 「うわっ」 「きゃっ」 シルヴァランスが固まっている時、ふいに背後から何者かがシルヴァランスの背中を押した。思わず体勢が崩れ、そのままシルヴァランスはセシリーを床に押し倒す形で倒れ込んでしまった。 「んもうっ! 二人揃ってなーに暗い空気放出してるのよっ! シャキッとしなさい!」 どうやらシルヴァランスを押したのはミレーヌのようだった。だが今はミレーヌに対する怒りも何も浮かんでこない。それ以上に、数センチ先にあるセシリーの端正な顔つきが視界に映っているだけで、動悸がままならない。 「あ……」 「す、すいません……」 互いの息づかいか聞こえるくらいの至近距離でセシリーの頬が紅く染まっていく。自分では確認できないが、おそらくシルヴァランスはそれ以上に真っ赤だろう。 視線が絡み合う。シルヴァランスは飛び退くことなく、しばしそのままセシリーの上に乗っていた。 何ですぐに退かなかったのか、それはシルヴァランス自身よくわからなかった。ただ、少しでも長くそうしていたい、そんな気持ちがシルヴァランスを支配していた。 この気持ち。フラーレンの誘いを断った時にハッキリと自覚した気持ち。 これは偽りじゃない。決して目の前の人に他人を重ねているわけではない。本当に、本当に今目の前にいる人が愛おしいのだ。 「シルヴァランス……?」 「すいませんセシリーさん。……でも、もし、嫌じゃないなら……」 「え……」 シルヴァランスは退かない。それどころか、そのまま更に顔をセシリーの顔へ近づけていった。セシリーの目が大きく見開かれ、動揺しているのがよく分かる。だからゆっくり、拒絶できる時間を与えてゆっくりとシルヴァランスは顔を近づけていった。 拒否されたらどうするか。今までの関係がどうなってしまうのか。 わからない。けど、けれど、シルヴァランスは止まらない。セシリーも拒絶してきたりしなかった。だから―― 「ん……」 唇を重ねると、ふれ合った部分から相手の熱が直接伝わってきた。溢れてくる愛しい感情と、ふれ合えた喜びが心を満たしていく。 例え旅が終わりを告げても、ずっと変わらない想いがここにある。今、シルヴァランスの心を満たしているのは確信に満ちた強い感情。セシリーに対する愛しい気持ちだけだった。 一度唇が離れ、もう一度強く強く押し当てる。両手を重ねて指を絡め合い、少しでも触れあう面積を増やそうと必死に相手を求める。 「ちょっと待てーっ! ちょ、ちょ、あんた達っ! ここにはあたしも居るし、シールディアちゃんだって居るんだよ! そ、それ以上はマズイって!」 「あ……」 そのまま本能の赴くまま愛しい人をもっと愛したいと思っていた矢先、ミレーヌの一声でシルヴァランスは我に返ることが出来た。冷静になって考えてみると、今シルヴァランスは人前でとんでもないことをしでかそうとしていた。 「ほわあああっ!」 「…………」 シルヴァランスが慌ててセシリーから飛び退くと、少し間を置いてからセシリーがのっそりと上半身を起こした。 無理矢理押し倒し、そのまま唇を奪う形になったわけだから怒っているかも知れないと少し思ったが、セシリーの表情は怒りとはほど遠い、むしろ正反対の表情だった。 穏やかで、優しげで、それでいてどこか恥じらいを見せる笑顔。それは遠い日に見た初恋の人に似ているけれど、決して同じじゃない。それはセシリーの笑顔だった。 「セシリーさん。これからも、その、よろしくお願いします」 「ええ。こちらこそ」 手の差し出したセシリーの手を取ってその身を起きあがらせた後、シルヴァランスはもう一度セシリーを強く抱きしめ、ミレーヌとシールディアの手前で再びセシリーの唇に自身のそれを押し当てた。 「昨日まで宿泊していた宿に書き置きを残してきました。直に、夫もこちらへ顔を出すと思います」 「そうですか」 ミハルの言葉にシェドが応じる。ドラゴン退治から帰ってきたシェドは、戦いの疲れなどが溜まっているのか、あまり元気には見えなかった。 アリアはまだ、帰ってきたシェドに何も言葉を掛けられずにいた。いや、何を言えばいいのか、シェドにどんな態度をすればいいのかわからないのだ。 困惑している理由が何なのか。アリア自身よく分かっていないが、一つ確実なことがある。それは父親の存在。ミハルの話に寄れば、今日にもティンベルの街へ戻ってきて、この宿まで会いに来るという。 記憶にも残っていない父親。どんな人間なのか、今のアリアをどう思うか。ミハルは変わってしまった娘を受け入れてくれたが、果たして父親はどうなのか。そんな不安がアリアの身に襲いかかる。 「……大丈夫か、アリア」 「え?」 「そんな辛そうな顔しやがって。ようやく本当の両親に会えるんだ。もっと可愛い笑顔を見せてやれよ」 シェドがそう言いながらアリアのほっぺたをつねった。少し元気のないシェドの笑顔。それを視界に入れながら、アリアは必死に笑顔を繕ってみせる。嬉しい気持ちがないわけじゃない。でも、素直に喜べない理由がある。 「シェド、私――」 『コンコン』 アリアが口を開こうとした時だった。不意に扉をノックする音が部屋に木霊し、アリアの言葉はそれに遮ぎられてしまった。 怪訝そうな顔つきでシェドがそっと扉に近寄り、扉を半分だけ開いた。 「え……?」 「なっ……!」 扉が開かれた瞬間、シェドと扉を叩いた人物が同時に驚きの声を漏らした。どうやら相手は男らしく、何故かシェドと顔見知りらしい。 「シェド? どうしたの?」 「……あ、いや……」 困惑した様子のシェドの手前、ドアを完全に押し開けて三十歳過ぎの男が部屋へ入ってきた。燃えるような赤い髪に精悍な顔つきをした男。瞳はアリアのそれと同じ、コバルトブルーだった。 「スルトさん。ま、まさか……!」 シェドが何かを悟ったように入ってきた男を一瞥し、そしてアリアを見る。スルトと呼ばれた男も、シェドにつられるように視線をこちらへ向けた。 スルトの視線がアリアに固まり、その表情に様々な感情が入り乱れる。その時すでに、アリアの中でもミハルと会った時に覚えた感情が再び出来上がりつつあった。 「あなた、その子が私達の娘ですよ」 部屋に響くミハルの優しい声音。スルトは何度も首を縦に振りながら瞳の縁に涙を浮かべ、 「ああ……。わかる、わかるさ。……レイチェル……」 嗚咽の混じった声でアリアの本当の名前を呼んだ。その瞬間、アリアの中にある仮定が確信へ変わった。 「……お父さん……」 「レイチェルッ!」 スルトが一足飛びで間合いをつめてきて、恐る恐るアリアへ手を伸ばしてくる。アリアは拒絶したりせず、むしろ自分からその腕の中へ身を投げた。 ミハルとは違う、でも暖かくて大きな父の胸。記憶に残っていなくても、体は覚えているのだろうか。スルトに抱きしめられていると、とても懐かしい気持ちに駆られた。 「……まさかスルトさんがアリアの父親だったとはな。奇縁というか、ここまできたら運命としか思えないぜ」 「シェド? 何故お前はレイチェルと共に居るんだ? それに……、アリアとは誰だ?」 スルトがアリアから体を離し、扉の脇に立っているシェドを見つめた。アリアも、どこか寂しげに微笑むシェドへ視線を向ける。 「その人が、レイチェルをずっと支えてきて下さった方よ。そして、本当の名前を忘れていたレイチェルにその人が付けてくれた名前、それがアリアよ」 ミハルの言葉でシェドの微笑みに一層の陰が落ちる。シェドのあんな悲しそうな顔をアリアは今までに見た覚えがない。何故、シェドはあんな顔をしているのだろう。 「アリア……? それに、本当の名前を忘れていたって……」 「……まあ、取りあえず座ってくれよ。長い長い話をしなくちゃならない」 シェドがスルトに席へ着くよう促す。怪訝そうなスルトはしばし黙ってシェドを見つめ返した後、そっとテーブルに着いた。 「アリア、向こうの部屋にいるシルヴァランス達を呼んできてくれ。……今後のことを、きちっと話し合う必要があるだろうからな」 「……わかった」 シェドの言葉を受け、アリアはそっと歩を刻む。一瞬スルトと視線が絡み、スルトはアリアへ親愛に満ちた視線を送ってくれた。 アリアに呼ばれ、シールディア達は隣の部屋へ移動した。そこにはミハルと見知らぬ男が隣同士、シェドと向かい合って腰を下ろしていた。アリアの話に寄れば男の名前はスルトといい、どうやらアリアの実父らしい。 六人掛けのテーブルの片側にスルトとミハルとアリアが座り、もう片方にシェドとシルヴァランスとセシリーが座る。シールディアとミレーヌは、その後方のベッドへ腰を落ろしていた。 「…………まさか、レイチェルをさらったのがニーヴルだったとは……。そんなことも知らず、俺は王都であいつらと……」 シェドがアリアの辛い過去、そして天使という事実を告げた後、スルトが奥歯を噛みしめながら痛々しい表情を浮かべていた。過去にどんな因縁があるのか、スルトは決して表に出てこない影の組織であるニーヴルを知っており、天使という存在についても知っていた。 「お父さん……。ごめんなさい、私……」 「レイチェルは何も悪くない。……すべて、ニーヴルの連中のせいだ!」 今にも泣き出しそうなアリアの言葉を遮り、スルトがそっとアリアの頭に手を乗せた。シェドがいつも取っている行動に似ており、ヒトの心が読めるシールディアは、シェドの内で心の小さな振動を感じ取った。 「……ねえ、シールディアちゃん」 重い空気が充満する部屋の中、ふと隣に座っているミレーヌがそっとシールディアの耳元で囁いた。 「何だ?」 「言い忘れていたけど、竜結石のペンダント、昨日の内に仕上げておいたよ」 「そうか。すまない、面倒をかけたな」 「なーに言ってるのよ。……そのね、ちょうどいいし、これは両親が見つかった祝いってことにしようよ。両親が見つかったアリアちゃんに、二人からプレゼントってことで」 ミレーヌがニコニコと笑いながら提案する。シールディアは素材を提供しただけでほとんど何もしていないため二人からという言葉に少し抵抗はあるが、ミレーヌがそれで良いというのだからきっとそれでいいのだろう。 「さて、これからのことを話し合いたいんだが、いいか?」 重たい空気を一掃するよう、シェドが努めて覇気のある声を放った。俯いていたスルトが顔をあげ、ミハルと顔を見合わせてから頷く。 「まず、明日の朝にでもこの街を出て、スルトさん達が住んでいる街へ向けて出発しよう。俺達も一緒に行くつもりだ」 「わかった。……それで、街についた後はどうするつもりだ?」 スルトが尋ねると、アリアがぴくっと肩を震わせてシェドへ視線を向けた。 「……俺とアリアは別々の目的があって一緒に行動していただけだからな。アリアの目的が達せられた以上、もう一緒に居る必要はないだろう」 シェドの一言で部屋中に重い空気が広がる。シールディアの位置からではシェドの表情はうかがえない。向かいに座るアリアは大きく目を見開き、眉を寄せて悲しげにシェドを見つめていた。 「スルトさん達の街へ移動した後、俺は自分の目的を達成するために旅を続けるつもりだ。……お前達はどうする?」 「私は……、アリアと一緒にその街に残ろうと思っているわ」 「セシリーさん?」 ハッキリと意思表示をしたセシリーと、驚きの声を漏らしたシルヴァランス。二人の表情も、この位置からでは確認できない。 「辛いことだけれど、アリアが天使である限り組織はアリアを血眼になって捜すでしょう。だから、万が一組織の人間にアリアの居場所が知られたとき、私はアリアの側で護ってあげたいの。……ううん、そうじゃないわね。本当は単純なこと。ただ、私がアリアと一緒に居たいだけよ」 「セシリー……」 悲しげにシェドを見つめていたアリアが少しだけ表情を和らげてセシリーを見る。 「そうですね。僕も、まだアリアさんと離れたくありません」 「……何言ってやがる。本当に離れたくないのはアリアじゃなくて隣の女だろ?」 「シェ、シェドさんっ!」 カラカラとシェドが笑い、セシリーとシルヴァランスが互いの顔を見つめて頬を赤らめていた。そんな二人を見つめ、スルトとミハルがまるで昔の自分たちを見ているかのように優しく微笑んだ。 シルヴァランスをからかった後、シェドがくるりと上半身を回してシールディア達へ視線を向けた。 「お前達はどうする?」 「あたし? あたしは一旦その街まで一緒して、その後は今まで通り、お父さんの研究報告を時折アリアちゃんの元へ届けるつもりだよ」 「あら、案外さっぱりしてるのね? シェドについて行くとか言うと思ったのに」 ミレーヌの答えにセシリーが茶々を入れると、ミレーヌはほんの少しだけ不機嫌そうな顔をして、 「……シェドには個別に会いに行くもん」 そっぽを向いてそう答えた。シェドが苦笑いしながら、今度は視線をシールディアへ向けてくる。 みなそれぞれの答えを用意している。今まで通り一緒にいられるわけがない。それはすでにシールディアだってわかっている。 シールディアがシェドとアリアの旅に加わった最初の理由。それを思い起こせば迷う必要など無い。おそらくシェドも、シールディアと同じ気持ちだろうから。 「私はシェドと共に旅を続ける。私の目的を達するために」 「シールディア……」 「すまぬアリア。出来れば私もそなたと共に街へ留まりたいと思う。……だが、私にはどうしてもやらねばならぬことがあるのだ」 竜王に会い、ドラゴンとしてどうするのか。本当に天使は倒さなければならないのか。ヒトの心を得た自分を納得させるだけの理由がそこにあるかどうかを知るために。 「決まりだな。スルトさんの街へ移動し、セシリーとシルヴァランスは街に残る。俺とシールディアは旅を続ける」 既定の別離が来たる時。その時が近いことを、シェドの言葉は物語っていた。 ティンベルの街を出発してすでに四日経った。延々と続く公道を、シェド達は二台の馬車で進む。 基本的にシェドが乗っている馬車にはシェドの他セシリーとシルヴァランスが乗り込み、もう一方の馬車にスルトとミハル、アリアとシールディア、ミレーヌが乗っている。ヒューイも向こうだ。 だがこの四日間ずっとそうだったわけではなく、時折アリア達もシェド達の馬車へやってくる。もともとそのメンバーで乗っていた馬車だ。広さは十二分にある。 今日はミレーヌとシールディアがこちらに乗っていて、向こうにアリアとセシリー、シルヴァランスが乗っている。 「……じゃあ、その竜結石で出来たネックレスをしていれば、シールが側にいなくても組織にアリアの居場所はバレないんだな?」 シェドが手綱を握って前を向いたまま荷台に話しかけると、 「うむ。常時身につけておかずとも、半径数キロ程度ならカバーできるはずだ」 荷台からシールディアの抑揚のない返答が聞こえてくる。 「よってそなたの危惧するところは解消されたはずだ。私は先日宣言した通り、そなたと共に旅を続ける」 「わかってる。俺も、生きがいを探すこととは別に竜王ってのにも会ってみたいしな」 「またまた。ホントはシェドだってアリアちゃんのことが心配なんでしょ? 変な言い訳しないで、“アリアちゃんのために竜王を探す”ってのを生きがいにすればいいじゃん」 ミレーヌがまるでシェドの内心を見透かしたような言葉を軽い口調で口にする。そんなこと認めるわけにもいかず、シェドはフンと鼻を鳴らして無視してやった。 本当はわかっている。スルトがアリアの親だとわかり、アリアとシェドの旅が終わりを告げる瞬間の訪れを確信した今、シェドの中にある本当の想い、ずっと否定して覆い隠してきた本心を、今はちゃんと理解している。 だが理解しているからといってどうなるわけでもない。アリアにとってシェドは単なる父親代わりだったはず。本当の父親が見つかったアリアに、もはやシェドの存在は不要だ。勝手な親心を捨てきれず、離れたくないなどとシェドが思ったとしても、それは決して叶わない。アリアを困惑させるだけだ。 「あいつの幸せを願うなら、俺は側に居ない方がいい」 「何でそんな結論になるのよ。……ホントは、アリアちゃんは……」 シェドの言葉にミレーヌが荷台から顔を出して抗議する。言葉足らずのまま、ミレーヌはジッと睨むようシェドを見つめていた。 「何だよ」 「……そっか。あたしわかっちゃった」 「は?」 何を納得したのか、ミレーヌが今までずっと抱えていた悩みが晴れたように清々しい笑みを浮かべた。その意味がわからず、シェドは眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべる。 「あたし、シェドのこと諦めていたんだ。……そっか、前々からあたしは気づいてたんだ。アリアちゃんの気持ち。やっと全部つながった気がするよ」 「お前、何言ってんだ? 意味がわかんねーよ」 「こっちの話だよ。……不本意だけど、アイツの登場はまさにあたしが諦めたタイミングと一致してたんだ。だからあたしはあんなにもあっさりと……」 何が言いたいのか、ミレーヌはぼそぼそと独り言をつぶやきながら左手の薬指にはまった銀色のリングを小憎らしそうに撫でていた。 「シェド」 「……あんだよ」 「竜王見つけたら、必ず帰ってきなさいよ。もちろんあたしのところじゃなくて、アリアちゃんの所にね!」 晴れ晴れとした笑みを浮かべ、ミレーヌがビッとシェドを指さしながらそう強く言った。嫌とは言わせない、そんな気迫と共に。 「……わかってるさ。シールだって、そのつもりだしな」 「…………うむ、竜王に会って答えが見つかれば、自ずとアリアの元へ戻る必要に迫られるだろう」 荷台から響くシールディアの小さな声。感情無く聞こえるが、そこには言葉では言い尽くせない数多の感情が交じっていることをシェドは知っている。おそらくミレーヌも気づいているだろう。 「シェドッ! もうじき街に着くぞっ!」 平行して進む馬車からスルトの声が風に乗ってシェドの耳に届いた。シェドが振り向くと、手綱を握ったスルトと視線が絡み、スルトの明るい笑みがシェドの視界に映った。 スルトの脇にはミハルの姿があるが、アリアは荷台にいるのか、乗車席に姿はなかった。 「……終点、か」 小さく呟き、シェドはサングラス越しに目を細めて先を見つめた。 遠く道の向こうに小さな集落が浮かび上がってくる。アルトレア大陸の東南端にあるジペインの町。魔練器の整備も行き届いていない、閑散とした田舎町だ。 あの街がこれからアリアが暮らす場所。そしてアリアとシェドの旅の終わりとなる街。 終点の街を目指し、馬車は淡々と砂利道を進んでいった。 アリアの寝顔を見つめながら、セシリーはシルヴァランスの隣に腰を下ろして馬車に揺られていた。ヒューイもアリアの胸元で丸くなっており、荷台にはアリアの寝息が静かに響いていた。 シルヴァランスがドラゴン退治に行っていた時、ミレーヌが言ってきたとある提案。しかしセシリーはその提案を実行するタイミングを逸してしまった。 何故か。それは簡単なことで、不意打ちを食らってしまったからだ。こちらから動こうとした矢先、先手を打たれてしまったから。 「…………」 そっと唇に手を添えると、それだけで頬が熱を帯びてしまう。シルヴァランスのそれと触れあってしまった自身の唇。まだハッキリとあの時の感触が残っている。 ちらりとシルヴァランスの様子をうかがうと、セシリーの視線に気づいたシルヴァランスが柔らかい笑顔を浮かべてそっとセシリーの肩を抱き寄せた。セシリーは身を任せ、シルヴァランスの肩に頭を乗せる。 自分はシルヴァランスにパーシヴァルを重ねているだけだと自己嫌悪に苛まれていた時が嘘みたいに、今のセシリーの中にはシルヴァランスに対する想いだけが大きく膨らんでいた。現金だと思うけれど、それでも純粋にシルヴァランスのことを想える今の感情は愛おしくて暖かい。 もうじき、また一つの旅が終わる。 一年前にトラキアの街でシェドとアリアに出会い、ニーヴルのエインフェリアとしての旅が終わった。そして始まった、アリアの姉、母としての旅。それがもうすぐ終わりを告げる。 でも旅は決して終わらない。生きている限り、人は何かしら旅を続ける。 じゃあこれから始まる新しい旅とは何だろう。セシリー自身は、一体何を望んでいるのだろう。どんな旅を始めたいのだろう。 そう考えたとき、セシリーの脳裏に再びミレーヌの言葉が飛来する。そう、今セシリーが望んでいる一つの旅がある。それを始めたい欲求がある。 「……ねえ、シルヴァランス……」 セシリーはシルヴァランスの肩に頭を乗せたまま瞳を閉じ、そっと囁くよう口を開いた。 「何ですか?」 「あの時、あなた言ったわよね? これからもよろしくお願いしますって」 「はい」 セシリーの問に、シルヴァランスが淀みなくはっきりと肯定する。照れずに言葉を濁さないシルヴァランスはちょっと物足りない気もするけど、今はハッキリ肯定してくれたことが素直に嬉しい。 「もう一つ、あなた言ったわよね? 私と一緒に、アリアの側に居るって」 「はい、言いました」 「それは今まで通りってこと? 今まで通り、アリアの仮の家族として、一緒に見守っていこうということ?」 言葉の裏に変化を求めて尋ねてみる。ここでシルヴァランスがイエスと答えるならば、セシリーからあの提案をすることになるだろう。でも、心の何処かではシルヴァランスからそう言ってくれることを望んでいた。 それは女として。一人の、シルヴァランスを愛する女として、その言葉を望んでいる。 「……今まで通り、というわけには行かないでしょうね。アリアさんにはもう本当の家族が居ます。仮の家族ではもう、居られないでしょう」 「そうね。……なら、どうするの?」 「決まっているでしょう。家族ではなく、仲間として、友人としてアリアさんを支えていくんです」 自分自身に宣言するかのよう、シルヴァランスが迷い無くそう告げる。だが、まだそこにはセシリーが望む答えは含まれていない。 「…………」 セシリーは待った。シルヴァランスが言ってくれることを信じて。 「……セシリーさん、そんな期待を込めた目で見ないで下さい」 「あら、ばれちゃった?」 いつの間にかセシリーは閉じていた瞳を開き、シルヴァランスの横顔をジッと熱を籠めて見つめていた。自分でも無意識のうちにそうしてしまっていたようだ。しかしそれを指摘されても、セシリーは平然とシルヴァランスの言葉を流すことができた。 その理由は単純。シルヴァランスが気づいてくれたから。セシリーが待っていることを。そしてセシリーは確信したから。シルヴァランスの表情が、期待を裏切る顔ではないことを。 「わかりました、言いますよ。……ふう、相変わらずセシリーさんには敵いませんね」 照れくさそうに後頭部を掻きながら微笑むシルヴァランス。少しずつ早くなっていく心拍を抑えながら、セシリーはシルヴァランスの赤い瞳をジッと見つめ返した。 「セシリーさん。街に着いたら、僕と結婚して下さい」 望んでいた問い。ミレーヌに提案され、こちらから言おうとしていた言葉。でも、自分で言うよりも言われたいと強く思った言葉。それを今、シルヴァランスは口にしてくれた。 迷いなど無い。きっと天国のパーシヴァルもシェミニールも祝福してくれる。今、二人を遮るものは何もない。だから―― 「ええ。喜ん――」 セシリーは返事を言い切る前に、自分の唇をシルヴァランスのそれに重ねた。 スルトとミハルの故郷、そしてアリアが産まれたという町は、とてものんびりとした田舎町だった。時間の流れが他の街に比べて遅いのではないかと錯覚を覚えるような、川の流れが淀んだ場所のような、そんな空気がここ、ジペインの町を包んでいた。 ティンベルを出て南東へ進むこと約一週間。アルトレア大陸最南東にある小さな半島の先に、ジペインはあった。トルメキア王国へは馬を使えば数日で行き来できるという位置にもかかわらず、その過疎化した街は王都郊外とは思えぬほど寂れていた。 「……王都に近いってことで少し心配だったが、こんな田舎町だったニーヴルの連中も目を光らせてないだろ」 「うん」 アリアの隣でシェドが町の様子を伺いながら呟く。今、アリアはシェド共に町が一望できる小高い丘の上に立っていた。視界に映るジペインの町並み。町の北東に、スルトとミハルの家はある。 アリア達はジペインが安全かどうかを確認するために周囲をぐるぐると回っていた。セシリーとシルヴァランスが組み、ミレーヌとシールディアが組み、そしてアリアはシェドと共に街の周囲を回っている。 「キュキューッ!」 実は二人きりではなく、ヒューイも一緒。アリアの頭の上で、自分の存在をアピールするようにヒューイが大きく鳴き声を漏らした。 「お、居た居た。おーい、アリアちゃーんっ」 「……? あ、ミレーヌ。それにシールディアも」 ふとアリア達が丘の上からジペインを臨んでいると、後方からミレーヌの黄色い声が響いてきた。振り返って確認すると、ミレーヌがにこやかな笑みを携え、シールディアと一緒にアリアへ歩み寄ってきた。 「どうした? 何か見つかったか?」 「全然。この町はとーっても穏やかだよ。魔練器の反応もないから、ニーヴルが監視を行っている様子はないね」 「うむ。私もヒトの思念やドラゴンの波動などを調べてみたが、この町は全くもって不穏な空気が感じられない」 相変わらず少し変わった物言いをするシールディア。何故シールディアがそのようなことを感知できるのかアリアは知らないが、きっとシールディアにもシールディアなりの事情があるのだろう。アリアが天使であるように、人には言えない何か秘密が。 「それで、暇になったから迎えに来たのか?」 「違うよ。実は、アリアちゃんに渡したいものがあってさっ」 「私に? 渡したいもの?」 アリアは目を瞬かせながら首をもたげた。ミレーヌが満面の笑みで近寄ってきて、シールディアもその隣で普段より幾分柔らかい表情を浮かべているように見えた。 実際の所、シールディアはアリア以上に感情が表に出ないタイプなので、笑っていると言っていいものか判断しづらいところではあるが。 「はい、これ。ご両親が見つかったアリアちゃんに、あたしとシールディアちゃんからプレゼントだよ」 ミレーヌがそう言って取りだしたのは、銀色のプレートにチェーンが付いた簡素なネックレスだった。プレートには“アリア”という名前が刻まれているのと共に朱いビー玉みたいな石が埋め込まれており、朱い石はとても暖かな光を放っていた。 「竜結石と呼ばれる石を埋め込んだネックレスだ。……うむ、つまり……」 言いよどむシールディアがちらりとミレーヌを見つめた。ミレーヌはニコニコしながら頷き、シールディアからアリアへ視線を切り替える。 「これには魔除けの効果があるんだ。あたしのお父さんの研究で、このネックレスをつけていればアリアちゃんの聖石の魔波を遮断する効果があるってわかったの」 「え……?」 「つまり、これを身につけていれば絶対にニーヴルにアリアちゃんの居場所がばれることはないってことよ」 「ほう、そんなもん作ったのか」 シェドが物珍しそうに、ミレーヌの手からネックレスを奪い取った。それを矯めつ眇めつ見つめ、横目でミレーヌとシールディアへ何やら視線を送っていた。 「ほれアリア。折角だしもらっとけよ」 そう言いながら、シェドがチェーンのホックを外してアリアの首にネックレスをかけた。アリアが口を挟む間もなく、シェドは慣れた手つきでサッとホックをはめる。 ぶらりとアリアの胸元にネームプレートが転がる。朱く輝く光が、アリアの胸に埋め込まれた冷たい異物をほんの少し暖めてくれるような気がした。 「……ミレーヌ、ありがとう」 「どうしたしましてっ。でもね、作ったのはあたしだけど、ネックレスの材料を選んでくれたのはシールディアちゃんよ。だから……。ね?」 「うん。……シールディア、ありがとう」 「そなたの笑顔が何よりの礼だ」 アリアは言われた通りに笑顔で応じ、シールディアもまた、拙い笑顔をアリアに返してくれた。 シールディアはシェドと共に旅を続ける。セシリーとシルヴァランスは町に残ると言っていたが、みんながみんな、同じ道を歩むわけではなくなってしまう。 「どうした? 嬉しくないのか?」 「ううん、嬉しい」 ふとシェドの顔を見上げると、アリアの晴れない表情を見たシェドがそう尋ねてきた。どうして、シェドの顔を見つめているとこんなに寂しい思いに駆られるのか。もう、アリア自身気づいている。でも、それは口に出したりしてはいけない。 別れの時が近づいている。旅の終わりが近づいている。 組織を抜けて両親を捜しながら、様々な感情を思い出し、そして覚えてきた旅。その旅の始めからずっと一緒に居てくれたシェド。 でもそれももう終わり。それは旅の始めからずっと決まっていたこと。時期こそ未定だったが初めから決まっていた別離の時。それが遂に訪れただけ。 アリアはシェドから視線を逸らし、そっと夕暮れに染まっていくジペインを見つめた。そして思った。 既定の別離の寂しさは、想像していたものとは比べものにならないほど大きなものだと。 「ごめんなさい。いい食材が手に入らなくて、簡単なものしか作れなくて」 「いえ、お気遣い無く」 ジペインに着いた晩、シェド達は全員スルトの家で夕食をいただくことになった。シカ肉のシチューに根菜スープ。コッペパンに山菜のおひたしという、実に家庭的な料理で、味付けも申し分なかった。 「セシリーさんとシルヴァランスさんはこの町で暮らすことになさったのですよね?」 「ええ。……その、あの、えっと……」 ミハルの問に、シルヴァランスがおどおどしながらセシリーへ視線を向ける。髪を下ろして長い蒼髪を腰までストレートに流すセシリーは、チラッとシルヴァランスを一瞥してから、今度はアリアへ視線を送り、続いてシェドを見た後、ミハルへと視線を向けた。 「実は私達、結婚することにしたんです」 「はあ? お、おいマジか?」 爆弾発言をしたセシリーに、思わずシェドは声を漏らして驚きを隠せなかった。 確かに最近二人の雰囲気は怪しいと思っていたが、まさかそこまで話が進んでいるとは夢にも思わなかった。奥手なシルヴァランスと恋愛下手なセシリーだけに、当分は今まで通りの関係でいるものだとばかり思っていた。 「ええ。だから、夫婦としてこの町に残るわ。ね? シルヴァランス」 「は、はい。そうなんです。あ、あははは……」 照れくさそうに頭を掻くシルヴァランスをミレーヌとシールディアが目を丸くして見つめる。アリアも意表を突かれたように口を開けたまま硬直していた。 「ですからミハルさん、この町で現在使われていない建物とかありませんか? 多少のお金ならありますから、家の持ち主に売っていただきたいんですけど」 「……だったら、うちの離れを使うといい」 食事に専念していたスルトがふと顔をあげて提言すると、ミハルが「それはいいわね」と同意した。 「離れ……ですか」 「ええ。もともとは私の母が住んでいたのですが、十二年前に他界してしまい、それ以来は掃除もろくにしていない状態で放ってあるんです」 「しかし家としては十分まだ使える。どうだ? 自分たちで掃除してくれるんならただであの家をやってもいい。なんと言っても、君たちはレイチェルの大切な仲間なんだから」 スルトが笑顔でアリアを見つめるとアリアも嬉しそうにスルトに笑顔を返していた。そんなやりとりを見ているだけで、ふとシェドの中に寂しさのようなものがこみ上げてくる。 嫉妬。もしかしたらそうなのかもしれない。本当の父親に向ける娘の笑顔に、シェドは嫉妬しているのかもしれない。 「ありがとうございます。では是非、その家を使わせていただきます」 「ああ、そうするといい」 セシリーとシルヴァランスが顔を見合わせている様子を視線の端に映しながら、シェドはそっと立ち上がり、 「ご馳走様。……ちょっと腹ごなしに散歩でもしてくる」 スルトの顔を見つめながらそう言ってスルトの家を出た。視線が絡んだとき、スルトは申し訳なさそうに眉根を寄せてシェドに軽く頭を下げた。 流石は年長ということか、おそらくスルトも少なからずシェドの気持ちに気づいているようだ。ずっとシェドが守っていたきたアリアをいきなり奪ってしまったこと。スルトなりに何か感じているのだろうか。 「はっ……。ホントの親御さんに余計な気を遣わせるなんざ、みっともねぇな」 満天の星空を仰ぎ、シェドは当てもなく町の小道を歩く。ド田舎のジペインは家と家との距離も広く、隣家の光がとても遠くに見えた。 物音などほとんど無い。耳を澄ませば風でこすれる草木の音が聞こえる程度だ。本当に静かで、歩を刻むとその足音が戦闘時の銃声以上に大きく木霊した。 「俺は……。アイツを本当に娘か何かと思っていたのか? アイツを護りたいって思ったあの気持ちは、父性本能にでも目覚めたからだったのか?」 今まで幾度となく自問自答してきたこと。問う度に、答えは二転三転してきた。 別々の目的のために同じ手段を使うただの同行者。でも本当はアリアの純粋で無垢なところに心を打たれ、本心から護ってやりたいと思っていた。それをずっと偽って、自分の生きがいを探すためだけで一緒にいると言い張ってきた。 「違うだろ。俺は……」 少なくとも、それだけじゃなかったはずだ。一緒にいるのが当たり前だと思ったことだってある。アリアの両親なんて絶対見つからない。自分の求める生きがいだってずっと見つからない。だからずっと、アリアとシェドの旅は終わらないと思っていた時もある。 でもそれは儚い妄想だった。わかっていたはずだ。認めていたはずだ。なのに―― 「シェド……」 「え……?」 ふいに、幼さの残る少女の声がシェドの思考を遮った。声のした方へ首を向けると、そこには愁いを帯びて外見以上に大人びた空気を漂わせるアリアが立っていた。 月の光を浴びて浮かび上がるアリアの体を包むのは、シェドは旅の始めに作ってやった黒を基調としたゴシックドレス。シールディアが旅の仲間に加わって以来、努めて明るい色の服を着るようになってからは殆ど着なくなった、シェドの手作りドレス第一号だ。 耳元には同じく旅の始めからずっと留まっている鈴付きの朱いリボン。普段よく身につけている薔薇の髪飾りは、今は身につけていないようだ。 「隣、いい?」 「あ……、ああ……」 コバルトブルーの双眸でシェドを捕らえながら、アリアはいつになく大人びた声音で尋ねてくる。思わずシェドは目をまん丸に見開いて息を飲んだ。 アリアがシェドの隣に立ち、そっと顔を持ち上げて星空に浮かぶ月を仰いだ。シェドもアリアに習い、月を見上げる。 「……その服着ているところ見たのは久しぶりだな」 「うん。たぶん、もう半年以上着ていなかった」 「そんなにか。道理で懐かしさと新鮮さが混じったような気になるわけだ」 他愛もない会話を続けながら、シェドはひたすら月を見つめる。本当はもっと、お互いに言いたいこともあるだろう。シェドだって、アリアに言っておきたい言葉はきっとあるはずだ。だが、何故か隣にアリアが居ると思うだけで、それらのどれも出てこない。 「よかったな」 「……え?」 「いいご両親じゃねえか。ずっと寂しい思いをして探してきた甲斐があったってもんだろ。あんないい親が居るんだ。これからアリアはいくらでも幸せになれる。それに、小さな町だとは言え、ちゃんと学校もあるって話だ。きっと友達もできるだろうぜ」 以前、スノーレンに向かう途中だっただろうか。アリアが、いつか自分は学校へ行けるかと不安そうに尋ねてきたことがあった。その時シェドは、行きたいと思っていればきっと行けるだろうと答えた。 「シェド……。私、私……、ちゃんとシェドに伝えておかなきゃいけないと思う」 「何だ?」 「今までありがとう。ずっと側に居てくれて、一緒に旅してくれて、護ってくれてありがとう。私が組織を抜けて生きてこられたのも、お母さんとお父さんに会えたのも、全部シェドが居てくれたから。だから、その……、本当にありがとう」 「アリア……」 煌めく月からアリアへ視線を移すと、アリアもまた、見上げるようにシェドの顔を見つめていた。旅の始めからずっと見ているアリアの表情。でもそれはずっと同じではなく、一日一日が過ぎていく度に絶えず成長していった。だから今シェドの瞳に映るアリアの表情は、今日初めて見ることができた表情だ。 だがそれももう終わり。これからのアリアを、シェドは見守っていくことはない。 本当に両親に出会い、銃とは無縁の普通の女の子として学校へ通うようになったら、もっともっと早いペースでアリアは成長していくだろう。そんなアリアをシェドは近くで見守っていくことは出来ない。今日よりもっと愛らしく笑うアリアの笑顔を、シェドは見ることは出来ない。 「俺こそ、お前にはずいぶん救われたよ」 「え……?」 「ただ生きる目標が欲しい、それだけで組織を抜け出した俺には、正直すがるものが何もなかった。でも、お前が居てくれたから、俺は今までやってこれたと思う」 いつの間にかシェドはアリアの頭に手を乗せてぐりぐりと桃色の髪を強く撫でていた。無意識のうちにそうしてしまうのも過ごしてきた年月で得たクセみたいなものなのだろう。 「本当の生きがいが見つからなくても、俺にとってお前を護りたいという気持ちは生きがいと言っても遜色ないくらい強い想いだった。お前が側に居てくれたから、俺はここまで来れたんだ」 「そんな、私はずっとシェドに護られてきただけで、何も……」 「違うさ。お前は俺を護ってくれた。それはナイと戦っていたときのことだけじゃなくて、それよりずっと前、旅の始まりからずっとな……」 不思議と穏やかな気持ちがシェドの心を包んでいた。今までずっと偽って誤魔化してきた感情が自然と口から紡がれ、正直な自分の気持ちを吐露できる。今までにないくらい、清々しい気持ちでいっぱいだった。 「アリア」 シェドはアリアの頭から手をのけ、膝を大地についてしゃがみ込んだ。長身のシェドと小柄なアリアだと、丁度このときに目の高さが同じになる。 アリアの蒼い双眸は湖面に映った月のように揺らめいていた。シェドはそっと微笑み、そしてアリアの小さな身体をグッと引き寄せ、強く抱きしめた。 「あ……。……シェド?」 「元気で暮らせよ。そして、過去に縛られず幸せになれ」 アリアの耳元でシェドは優しく呟く。しばらく固まっていたアリアが、小さく「うん」と呟き、そっとシェドの体を抱きしめ返してきた。 そのまま最後の同じ時を過ごす。アリアの幸せを思えば、シェドがこれ以上側にいることは望ましくない。明日の朝にジペインを出るシェドにとって、アリアと二人の時間を過ごすのはこれが最後になるだろう。 だから強く。より強くシェドはアリアの体を抱きしめる。もしかしたらもう二度と二人の道は交わることがないかもしれない。それを意識しているが故に、今この時を忘れぬよう、シェドは深くアリアの存在を心に刻む。 「……シェド……」 静かな世界に小さくアリアの小声が響き、シェドはアリアを抱きしめたまま空を仰ぐ。 亜麻色の空に鏤められた星々と煌めく丸い月が、終わりを告げる旅人に労いの言葉を贈ってくれるよう、淡い光で世界を照らしていた。 |
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