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第三章 悲哀の迷路 『ギャオオオオオンッ!』 断末魔の叫びを上げ、巨大な黒い竜が大地を揺らしながら倒れ伏せた。夥しい量の朱い液体がその巨体から溢れ、大地を朱色に染め上げる。 中規模の街が在ったその場所は凄惨な有様だった。多くの者が倒れ、倒壊した建物が戦闘の凄まじさを物語っている。それらはすべて、今倒れたたった一匹のドラゴンによって引き起こされたものだ。 あまりに圧倒的な力でこの惨状を招いたドラゴン。そのドラゴンの亡骸を見つめるのは、四十歳くらいの、黒い髪をした男。口の周りを顎髭が囲い、マリンブルーの双眸は睨め付けるように鋭くドラゴンの死骸を捕らえている。軍服のようなしっかりとした衣服を身につけ、手には巨大な槍を手にしていた。 「……今までのドラゴンとは格が違った。――いや、これは本当にドラゴンなのか?」 男が独り言を呟きながらもうピクリともしないそれを見つめる。 ドラゴンに相違ないはずだが、翼や尾が異様な形に変形していた。幾又にも分かれた翼や尾はそれぞれが鋭い槍や剣のように凄まじい攻撃力を誇っていた。そんなドラゴンは今までに目撃例がない。 しばらく思考をまとめるよう黙り込んでいた男だったが、険しい表情のまま踵を返し、その場を立ち去ろうとドラゴンに背を向けた。 だがその時―― 「よう、久しぶりだな」 何時からそこに居たのか、男の行く手を別の男が遮った。 オールバックの黒髪には若干白髪が交じっているものの、年齢は槍を持つ男よりも若い。オリーブ色の瞳には狂喜じみた光が宿り、顎髭がだらしなくまばらな長さで伸びていた。額にある深い傷跡や戦闘服から伸びた四肢に刻まれた傷跡の数々が、幾多の戦場を越えてきた証となっている。 「……ミゲルか」 槍を持つ男が確認するよう尋ねると、白髪交じりの男は歯を剥いて笑った。 「カルネの話を聞いてぶっ飛んできた甲斐があったぜ。貴様と殺り合えるんだからな、ガルバトロスッ!」 ミゲルと呼ばれた男が腰から二本の無骨な剣を抜き、その柄同士をつなぎ合わせて両刀の長い一本の剣と成す。それを見たガルバトロスと呼ばれた男も、持っていた槍を構えて睨むようミゲルへ鋭い視線を向ける。 「答えろミゲル。お前達ニーヴルは、一体何を企んでいる」 「ハッ、先代ガンズのくせに貴様は何も知らねえようだな。まあ、だからコソコソと俺達の動向を探っているわけだろうが」 「世界を滅ぼす存在である“天使”を揃え、お前達は一体何をするつもりだ? 世界を崩壊させ、一体何の得がある!」 語尾を強めながらも、ガルバトロスの表情は至極冷静で全く熱くなっている様子はない。そして一方ミゲルも、狂喜じみた笑みを浮かべたまま口角をつりあげている。 「いいだろう、少しくらいなら教えてやる。ここで貴様が俺を殺すことができれば、その情報を持って貴様は貴様らの組織に戻ることができるだろう」 ミゲルが大地を蹴ってガルバトロスに迫った。一陣の風のように目にも止まらぬ早さで迫ったミゲルの光る双頭剣をガルバトロスが難なく槍で弾き、さらにはカウンターでミゲルの胴へ槍を突き立てた。 「――っと!」 一度に二撃の攻撃を繰り出すミゲルの光天双剣を難なく弾いただけでなくカウンターまでも繰り出したガルバトロスに対し、ミゲルはさらに嬉しそうな笑みを浮かべて間合いをあけた。 「いいぜ、いいぜ! これなら楽しめそうだ!」 「答えろ。お前達の目論見を」 「ああ、そうだったな。確かに、貴様が言うように俺達がしているのは一見、天使共を使って世界を崩壊させるように見えるだろうな」 「…………」 「だがな、世界の崩壊なんざ前座みてえなもんだ。俺達の真の目的……、いや違うな、これは俺達というより、ルシフェルの目的と言った方がいいか……」 ミゲルが光天双剣の柄を肩に背負いながら言葉を続ける。ガルバトロスは不意打ちを警戒しつつ、ミゲルの話に耳を傾けていた。 「あいつの目的は世界の“崩壊”じゃねえ。“再生”だ」 「再生……だと!?」 「ああっ!」 ミゲルが再び間合いを詰め、流れるような連続攻撃を繰り出す。ライトジェムによって光の粒子が刃先で超振動しているミゲルの光天双剣は、普通の武器では触れるだけで一瞬にして融解する。だがガルバトロスの槍はそんな光天双剣を軽々と弾き、刃こぼれする気配すらない。 ミゲルの剣とガルバトロスの槍がぶつかる度に虹が零れ、衝撃波が二人の髪を撫でる。 「“心なき天使達”や“フリズスキャルヴ”はあくまで必要な道具にしか過ぎねえ!」 「何だと! 天使こそ、世界を滅ぼす存在ではないのかっ! それに、“フリズスキャルヴ”だとっ!? まさか、すでに玉座を手に入れているのかっ!」 「はっ!」 ミゲルの剣が二つに割れて両側面からガルバトロスに迫る。だがガルバトロスは避けるよりも先に前へ突き進み、ミゲルの懐に潜ろうとしていた。ガルバトロスの驚異的な反射神経、瞬発力に一瞬だけミゲルは苦汁を飲まされたように顔を顰めたが、すぐに嬉々とした笑みを浮かべて攻撃を強行する。 ミゲルの脇腹をガルバトロスの槍が突き刺し、ミゲルの剣は虚空を斬って光の軌跡を宙に残した。だがミゲルは痛みなど微塵も感じた様子を見せず、直ぐさま柄をつなぎ合わせて自分の懐に居るガルバトロスへ剣を走らせた。 ガルバトロスは身を翻して剣を槍先で弾き、姿勢を落としてミゲルに足払いをかけ、そのまま反動で後方へ大地すれすれに跳躍して間合いをあける。足払いで体勢を崩さなかったものの、ガルバトロスのあまりに機敏な回避にミゲルは攻撃するタイミングを逸していた。 「相変わらず速えな。流石は“不止の槍”」 「答えろ。世界の再生とは何だ。天使や玉座は、一体何のための道具なのだ」 淡々として決して焦りを見せないガルバトロスに、ミゲルは尚も楽しそうに笑みを零す。 「そうだな、冥土の土産にとっておきの情報をくれてやろう。もし貴様の代わりに俺が三途の川を渡る羽目になったら、そんときゃ冥土じゃなくて貴様の組織に持ち帰るといい」 ミゲルはジリジリと間合いを詰めながら緊張や警戒などおくびにも出さず話す。ガルバトロスも槍先をミゲルに向けたまま、少しずつ間合いを詰めていた。 「ルシフェルのやろうとしていること、それは――」 ミゲルが大地を蹴った。ガルバトロスも腰を深く落として身構える。 「“もう一つの神”を蘇らせることだ!」 不敵に笑うミゲルの剣とガルバトロスの槍が弾けて大地に衝撃が走った。 * * * 寒々しい空気が充満する山頂でシェドの魔弾が空を裂く。猛々しく燃え上がった炎は一直線に異形のドラゴン目掛けて迫っていったが、それは呆気なくドラゴンの吐いたドス黒いブレスによって相殺された。 すかさず鋭い爪がシェドに襲いかかる。それを避けたところに次々と十六本に分かれた鋭い翼――ブレイドウイングがシェドを串刺しにしようと迫り来る。 「はあああっ!」 側面からスルトが両手で剣を握りしめながら間を詰め、一閃にてブレイドウイングの一本を斬り落とした。だがドラゴンは全く怯まず、一本一本が槍のように鋭い八又の尾――カッターテイルでスルトに追撃を許さない。 必死に迫るカッターテイルから逃れ、後方へ飛ぶスルト。シェドはブレイドウイングを回避しながら、白銀銃のトリガを引いて魔弾を連射する。だが紅蓮の銃弾はたやすくダークブレスによって相殺され、また直撃させたところで、その鋼鉄の皮膚に小さな傷を作るのが精一杯だった。攻撃力だけでなく防御力の高さも今まで対峙してきたドラゴンとは比べものにならない。 シェドが攻撃の手を休めればドラゴンの攻撃はスルトに集中する。スルトがあそこまで機敏で無駄のない動きをするとは意外だったが、それでも一人でドラゴンをどうにかできるほど凄まじい剣の使い手というわけではない。シェド以上に剣の腕は立ちそうだが、近接戦闘だけで倒せるほど目の前にそびえる異形のドラゴンは生優しいものではなかった。 「これがホントにドラゴンだって言うのかよっ!」 やけくそにドラゴンの頭部へ魔弾を放ち、同時に足下へ手榴弾を投げつけた。ダークブレスで魔弾を相殺したと同時にドラゴンの足下で爆発が起こり、大地が抉れて一瞬だけドラゴンが体勢を崩す。すかさず踏み込んだスルトだったが、ブレイドウイングが一斉にスルトへ襲いかかり、自己防衛で精一杯だったスルトは為す術もなく後退した。 その間にドラゴンの側面へ回り込んだシェドが銃口を尾の付け根に構える。ジェムをフレアジェムからアイスジェムに取り替え、凍てつく冷気を帯びた魔弾を放った。 これで氷の牢獄に閉じこめることができれば儲けもの。そう少しだけ期待していたが、アイスジェムが輝いて氷の刃がドラゴンに襲いかかったものの、それらはドラゴンの体を一瞬氷らせただけで、すぐさまドラゴンが氷を内側から砕いてシェドにカッターテイルで襲いかかる。 「ちっ! 魔法耐性高すぎるだろっ!」 「シェドッ! このままでは埒があかない! どうするっ!」 「俺だって必死に考えてるよ! スルトさんは何かいい方法思いついたか?」 シェドがドラゴンの嵐のように続く連続攻撃をかわしながら声を張り上げるが、スルトは悔しそうに首を左右に振っていた。どうやら向こうも攻撃しあぐねているようだ。 魔剣であればおそらくダメージは与えられる。だが、あのブレイドウイングやカッターテイルを避けつつ接近して直接攻撃を叩き込むなど、シェドの剣の腕ではかなり厳しい。いくら形を変えられる魔剣とは言え、それらの射程外から斬りかかろうものなら一瞬にしてジェムの魔力を枯渇させてしまう。 なかなかいい案が思いつかない。こんな時、シルヴァランスのアクセラレータのような技が使えれば一瞬にして相手の懐に潜り込んで魔剣を突き刺し、ついでに魔弾を体内に直接撃ち込んでやれるのだが。 「自分に出来ねえことを言っても仕方ないか」 自分の力がとても矮小なものに思えて仕方ない。いくら全属性のジェムが扱えるとは言え、シェドが使えるのはそれらを銃弾に付加する魔弾としてと、同時に引き出して魔剣にすることくらいだ。単体で使えるジェムはヒールジェムくらいなもので、フレアジェムで直接炎を飛ばしたりすることは出来ない。いや、辛うじて出来るのだが、ハッキリ言って威力は豆鉄砲程度だ。 これで本当に全属性のジェムを使えるなどと豪語していいものなのだろうか。中途半端に全属性を使えるより、シルヴァランスやセシリーのように一種類のジェムを最大限引き出せるほうがよほど効率的ではないかと思うときもある。その方が攻撃に幅が出来るのではないかと。 「グダグダ考えてる場合じゃねえ!」 シェドは目前まで迫っていたブレイドウイングを銃身で弾き、続けざまに襲いかかる鋭い爪を体を捻ってかわし、さらに背後から迫っていたカッターテイルを蹴り飛ばした。先程スルトが斬り落としたブレイドウイングはすでに修復されており、十六本の鋭い刃がシェドとスルトに次々と襲いかかる。まるで容赦のない、鉄砲雨のような猛攻によって大地が穿たれていく。 「大丈夫かシェドッ!」 「ああ、俺の心配はいい! それより、何か策はないかっ!」 「……一つ、思いついたことがある」 シェドと共にブレイドウイングをかわしながらドラゴンから間を取ったスルトが、少し躊躇した面持ちで言う。その重々しい表情に、あまり楽天的な策でないとシェドは直感した。だが、四の五の言っていられる状況ではない。 「何でもいい! 勝てる見込みがあるなら、何でもやってやるっ!」 「わかった。何、実に簡単な作戦だ」 額に汗を滲ませながらスルトがニヤリと笑った。 「その前に確認しておくが、シェドは何か、一撃必殺の攻撃はできるか? 隙を衝けば、一撃でドラゴンを倒せる自信のある技は」 「……ある」 先程からずっと狙っている、魔剣と魔弾によるゼロ距離攻撃。それさえできれば、一撃でドラゴンに致命傷を与えることができると確信している。 「わかった。ならば攻撃をお前に任せ、囮は俺が演じよう」 「囮……? おい、どんな作戦を立てたんだよ!」 実に簡単な作戦、囮ときたら、どんな作戦なのかおおよそ輪郭は見えてきた。だが、それでも確認せずにはいられない。 シェドが、まさかと言った顔でのぞき込んでいると、スルトは首を縦に振った。 「俺が先行して相手の注意を引き、ドラゴンの頭上まで一気に駆け上がる! シェドはその間に懐へ潜り込み、どでかいの叩き込んでくれ!」 「何言ってやがる! それのどこが作戦だよ! 無謀にもほどがある!」 「無謀……? はっ、あまり見くびるなよ小僧。俺のことを心配する暇があったら、自分の心配でもしてろっ!」 年長者の余裕でも見せたつもりだろうか、スルトが一瞬だけ歯を剥いて笑って見せた。そしてシェドの了解を待たず、大地を蹴ってスルトがドラゴンへ一直線に迫る。 「んなっ!」 待ったなし。シェドは舌打ちしながらスルトの後を追う。 たった一度しかないチャンス。失敗は即スルトの死につながる。絶対にタイミングを逃すわけにはいかない。 シェドは額に汗を滲ませながら、腕輪に埋まる全ジェムに意識を注ぎ込んだ。 シェドとスルトが異形のドラゴンと戦っている場所から少し離れた山道。シルヴァランスは迫り来るフラーレンの棍棒を剣で弾きながら激しい攻防を繰り返してた。 フラーレンが振るう、物干し竿のように長い六角柱の棍棒。その圧倒的なリーチを武器にシルヴァランスの剣の射程外から攻撃を繰り出し、シルヴァランスのカウンターにも決して動じず軽々とかわす身のこなしは、洗練されていて一切の無駄がない。S級エインフェリアだということだけのことはある。 「残念です。好みの男性とこうして戦う羽目になるなんて」 「……そう、ですか」 言葉と違い表情は妖艶に微笑んだままだ。シルヴァランスがエインフェリアに抱く“壊れている”というイメージに見事合致する。心に大きな傷、または欠陥があり、とても不器用な人間に見えて仕方ない。 だが不器用だからこそ、壊れているからこそ強いのかもしれない。余計な感情を一切切り捨てれば、それはそれできっと、凄い力を手に入れることができるのだろう。でもそれはシルヴァランスが望む力とは大きくかけ離れている。 誰かを護るための強さ。そこに感情があり、だからこそ強く相手を想う気持ちがある。それを原動力とした力こそ、シルヴァランスが欲する真の強さだ。 「どうでしょう? 大人しく身を引いて、私の恋人になって下さいませんか? 一緒に魔弾を倒し、共に今後を過ごしませんか?」 脳をとろけさせようとする甘い響きの言葉。媚薬を使っているようなフラーレンの誘惑に、シルヴァランスは奥歯を噛みしめて剣を強く握り直す。 「すいません。その提案を受けるわけにはいきません」 「あら、そうですかっ!」 シルヴァランスが拒絶の言葉を紡ぐと、フラーレンが楽しそうに口角をつり上げてあっという間に間合いを詰めてきた。長い棍棒が一直線にシルヴァランスへ迫り、シルヴァランスは膝を折って身をかわし、さらに剣で棍棒をはじき飛ばす。鉄か鉛か、金属製の棍棒とシルヴァランスの剣がぶつかって火花が散り、甲高い衝撃音が周囲に木霊する。 一定以上踏み込まず、シルヴァランスの射程外から執拗に攻撃を仕掛けるフラーレン。シルヴァランスは防戦に徹し、不用意なカウンターを自重した。まるでフラーレンの攻撃は、相手のカウンターを待っているかのように思えたからだ。 「慎重ですね。でも、防戦一方では勝ち目はありませんよ?」 「ええ、わかっています」 棒術との戦闘経験がないシルヴァランスにとって、フラーレンの攻撃は容易に予測できるものではなかった。槍に近いと言えば近いのだが、重心が先端にある槍と違い、棍棒は棒の中心に重心がある。微妙な動きの違いが生じているため、下手に槍を想定して戦うと思わぬところで致命的なミスを犯しそうだった。 アクセラレータで一気に背後を取るか。それとも遠距離から真空波を放つか。 仕掛ける策ならある。だがどれもリスキーな気がしてならない。S級エインフェリアだという以上、まだ本気でないことは十分承知しているため、どんな技術を隠し持っているかわからない。 「そうやって後手後手に回っていると、そのうち手遅れになってしまいますよ? 戦いも、そして恋もね」 「……ッ……」 目の前でフラーレンが自分の足下の大地を棍棒で抉る。大小様々な岩が宙に舞い上がり、フラーレンは棍棒の中央に両手を添え、扇風機の羽のように棍棒を目にも止まらぬ早さで回転させた。棍棒に当たった岩が鋭い弾丸となってシルヴァランスに襲いかかる。 「くっ!」 迫り来る岩の弾丸をすべてかわすのは不可能。シルヴァランスは左手を前面に押し出し、指輪に埋め込まれたウインドジェムへ意識を注いだ。 風の障壁がシルヴァランスの目の前に展開され、岩の嵐をことごとくはじき飛ばす。 「あら、グレインさんもジェムが使えるんですか。ウインドジェム……、美しいエメラルドグリーンですね。改めて、あなたのことが欲しくなってしまいました」 フラーレンが再度大地を裂き、宙に浮いた岩をシルヴァランスに撃ち放ってくる。このまま障壁を展開し続ければ、先にこちらのジェムが魔力を失ってしまう。 「もう一度申し込みます。私の恋人になって下さいませんか?」 攻撃の手を休めず、闇を漂わせる蠱惑的な笑みを浮かべてフラーレンが甘い言葉を囁く。意志とは関係なく異性の理性をもぎ取ろうとする魔性の誘惑を、シルヴァランスは断固とした意志で跳ね返し、キッと視線を鋭くする。 そんな提案を受けるわけにはいかない。それは何故なのか。 認めればもっと強くなれるだろうか。戸惑いと共に心の中で蠢く曖昧で不明瞭な感情をハッキリと意識し、認めることが出来れば、自分はもっと強くなることができるだろうか。 わからない。その気持ちさえ本当なのかわからない。でも、だけど―― 「断りますっ! 僕は、僕には――」 護りたい人がいる。無垢で素直で純粋な少女が。両親の愛情を求め、許されぬ罪の意識に苛まれ、その上望んでもいないのに世界の敵として誰からも憎まれる少女を。 だがそれは今、口に出して言うべき言葉ではない。そんなこと、今更改めて認めるべきことではないからだ。それはこの旅に加わった時に誓い、それからずっと心に強く宿っている消えない炎だ。 だからこの場で告げるのは別のこと。まだ自分自身整理がついていない、もしかしたら勘違いや現実逃避のような思いなのかもしれない不確かなもの。 それでもいい。例え不純物が含まれている感情なのかもしれないけど、その中に純粋で嘘偽りのない、真っ直ぐな気持ちだって含まれている。そう自分の気持ちを信じる。 大切なのはその部分。だから―― 「僕には側にいて欲しい人がいる! だから、あなたのものにはならないっ!」 シルヴァランスが声高に宣言し、大地を蹴って迫り来る岩弾の嵐に自ら身を投げた。 あれからどれくらい経っただろう。すでに枯れ果てた涙の後はすでに乾ききっており、アリアはそっと女性の体から身を離した。 ティンベルの街の南西地区。穏やかな田園風景が四方を囲う場所で、アリアはもう一度目の前に居る女性を見つめた。 長い銀色の髪を紐で結い、水色の淡い瞳には涙が滲んでいる。落ち着いた灰色の衣服で小柄な身を包み、桃のような甘い香水の香りがアリアの鼻孔をくすぐった。 「レイチェル……。本当に、レイチェルなの……?」 嗚咽の混じった声でアリアに問いかける女性。きっとそれがアリアの本当の名前。どうしても思い出せない、組織に連れて行かれる前の記憶。たぶん、埋没して思い出せない記憶の中でアリアは両親にそう名付けられ、そう呼ばれていたのだろう。 アリアはそっと口を開く。けれどそこから言葉が紡がれることはなく、無言のまま、また口を閉じてしまった。 まだ頭の中がうまく整理できていない。どんな言葉を言えばいいのか、どんな態度をとればいいのかまったくわからない。 そんなアリアの困惑に気づいたのか、セシリーがすっと女性に歩み寄った。 「初めまして。私はセシリー=フィレンツィアと申します」 女性がセシリーを見て困惑したように瞬きを繰り返す。ポケットから取りだしたハンカチで目元を拭い、自分を落ち着かせるよう何度か深呼吸してから、女性は凛としてセシリーに向かい合った。 「私はミハル=ヴァレンシアです」 「ミハルさん……ですか。ここでは何ですし、表通りまで戻って、どこかゆっくりできる場所へ行きませんか? ……話さなければならないことも沢山ありますから」 セシリーがそう言いながらアリアの頭にそっと手を置いた。ミハルと名乗った女性が物悲しげにアリアを一瞥し、コクンとセシリーに頷いてみせる。 ミハルに会って以来、アリアの中で漠然とした不安が何度も表面ギリギリまで往来していた。 何でこうも不安になるのだろう。何で安心ではなく不安なんだろう。答えを模索しようとしても、頭が真っ白なままで整理が追いつかない。 三人揃って田舎道を表通りへ向けて歩き出す。何となく、アリアはミハルの隣ではなくセシリーを挟んで反対側を歩いていた。時折、ミハルが何かを言い出そうと口を開き、言葉の代わりにため息が漏れて沈黙が続いた。 両親に会えたら言いたいこと。それは沢山あったはずだ。なのに今は何一つ思い出せない。どうしていいのか、まったくわからない。 「ミハルさんは、この街に住んでいらっしゃるんですか?」 重い沈黙を破るように、セシリーが努めて明るい口調でミハルに尋ねた。 「いいえ、普段はここから東に四十キロほどいった所にある、ジペインという町で暮らしています。今は、主人の仕事の関係でこちらに短期間だけ在住しているんです」 ミハルの言葉にドクンとアリアの胸が高鳴る。ミハルの主人とはすなわち、アリアの父親を指す。もしかしたら大人の事情が色々あって、そうじゃないのかもしれないが。 もっとミハルと、母親だと確信している相手と話がしたい。けれど頑張ってもアリアの口から言葉は出ず、アリアは悔しくて唇をキュッと噛んだ。 何で何も言葉が出てこないのだろう。やっと逢えたというのに。 「ほらアリア、そんな思い詰めた顔しないの」 「……うん」 どうにも表情が曇っていたのをセシリーが優しい口調で咎めた。アリアは頷きながら必死に笑顔を繕おうとするが、まるで笑顔を作り方を忘れてしまったように、笑顔の整え方がわからない。セシリーが困ったような笑みで見つめてくる。 「無理はしなくていいわ。でも、あまり深く思い悩んじゃ駄目よ」 セシリーの優しい言葉を聞きながらそっと俯き加減だった顔を持ち上げると、セシリーの向こうでミハルが寂しそうに表情を曇らせていた。その表情は、泣き出す前の自分の顔によく似ていた。 始終アリアは無言のまま、セシリーが時折ミハルに尋ねるのを聞いていた。そうこうしているうちに三人はティンベルの街を南北に走る表通りまで戻ってきて、目に付いたお洒落な喫茶店へと足を運ぶ。 昼下がりの午後。喫茶店の中は閑散としていた。アリア達以外に客は数人といったところ。 アリア達は窓際のテーブルにつき、セシリーがコーヒー、ミハルが紅茶、アリアはミルクを頼んだ。 オーダーからカップが運ばれるまでの間は沈黙が続き、陶器がぶつかる音と共に飲み物が運ばれてきてから、セシリーがまず一口コーヒーを口に含み、カップをおいておもむろに口を開いた。 「さて、何から話していいものか」 「…………」 思案顔でミハルを見つめ、時折アリアへも視線を向けるセシリー。セシリーも少しは困惑しているようだが、それでも何とかしようとする姿勢は、やはり母代わり、姉代わりとしてとても頼りになる。 「あの、セシリーさん……でしたね。一つ、伺ってもよろしいですか?」 ふいに、それまで黙っていたミハルが恐る恐るといった様子で口を開いた。 「はい?」 「アリア……とは、誰のことなのですか?」 「ああ」 ミハルの問いにセシリーが困ったような笑みを浮かべる。アリアも、思わず顔を俯けて膝の上で強く握られている自分の両拳を見つめた。 「アリアとはこの子の名前です。……この子は幼い頃の記憶をすべて失っていて、本当の名前を覚えていませんでしたから」 「え――……」 ミハルの口から零れた驚きの声がアリアの鼓膜を揺らす。それが鋭く深くアリアの胸に突き刺さり、寂しくて辛い気持ちに駆られる。 本当にミハルがアリアの母親で、アリアと同じように生き別れの家族を必死に捜し続けていたのなら、何て残酷なことだろう。アリアは両親のことを微塵も覚えていないのだ。 「そう……。 ――レイ……、アリアちゃん」 「……っ……」 シェドに付けて貰った名前を呼ばれ、アリアはそっと顔を持ち上げた。そこにあったのは、親のことを何も覚えていない娘を咎める母親の顔ではなく、すべてを差し置いてでも娘に会えた喜びを感じている、そんな母親の顔だった。 確信がさらに強まる。もう、それは絶対だった。 「覚えていないかもしれないけれど」 アリアの心で既に絶対となったことを、ミハルがちゃんと言葉に変えてくれる。アリアは黙ってミハルの口から紡がれる言葉を待った。 「私は……、あなたのお母さんよ……」 その瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。 「お母……さん……」 自然と口からその言葉が零れる。噛みしめるように、そう呼べる相手にそう呼べることを実感しながら、涙で揺れる視界の向こうに居るずっと会いたかった相手に、アリアは嗚咽混じりに何度も「お母さん」と繰り返した。 目の前で泣き崩れるアリアを見つめながら、セシリーは内心、敵わないな、と思っていた。それはアリアの母親と名乗ったミハルに対してである。 自分ではアリアの母親代わり、姉代わりとして頑張ってきたつもりだ。例え自分の居場所を確保したいという保身的な気持ちが混じっていたにしろ、アリアを大切に思っていたのは間違いのない事実。だから、心のどこかでは本当の母親と遜色ないくらい、自分はアリアに慕われていると自惚れていた。 セシリーはもう一度、泣き崩れるアリアと、テーブル越しにそんなアリアを愛おしそうに見つめるミハルの顔を見つめて小さく肩を落とす。 やっぱり本物には到底敵わない。それはそうよねと自嘲する反面、それでも、本当の母親に逢えて泣き崩れるアリアを見て安心している自分がいる。 「よかったわね、アリア」 「うん……」 アリアに向けた言葉は本心だった。家族でなくなるのは辛くて悲しい。母、姉としての居場所を失うのは怖い。でもそれ以上に、素直にアリアの本当の母親が見つかったことを嬉しく思える。 「ミハルさん、先程も言いましたが、言っておかなければならないことは沢山あります。……とても辛いお話になりますが、心の準備はよろしいですか?」 「セシリー……、私が……」 「いいのよ、アリア。……これは私の、母親代わりとしての最後の仕事だから」 辛い記憶しかない過去。それでもすべてを話さないわけにはいかない。そしてそれをアリア自身の口から告げるのは酷だ。きっと悲しみに暮れ、言葉にならず涙と一緒に流れてしまうに違いない。だからこれはセシリーの仕事。 「あなたは少し、向かいのアクセサリー屋さんに行ってきなさい」 微笑みながら、でも少しだけ威圧的にセシリーはアリアに言い放った。促すような言葉の裏にある、出て行けという命令を汲んでくれたのか、アリアはしばらく口をつぐんだまま黙っていた後、コクンと頷いて席を立った。 ぱたぱたと去っていくアリアの背中をミハルと共に見送り、セシリーは残っていたコーヒーを飲み干してからミハルへ視線を戻す。 「あなたが、あの子の側に居てくれたのですか?」 セシリーに向き直したミハルが尋ねる。セシリーは首を振り、 「私は途中からです。あの子と最初からずっと一緒に居るのは、別の男ですよ」 そう優しく答えた。 「そうですか」 「二年くらい前になります。その男とアリアが一緒に旅を始めたのは。……私がそれに加わったのは一年ほど前。今では、私とアリアを含めた五人と一匹が、旅の仲間ということになりますね。……まあもう一人、時折現れる女の子も居ますけど」 「……そうですか」 ミハルの表情は暗い。先に重い話だと釘を刺しておいたためか、何かに怯えるよう微かに肩を震わせている。 「もっと順を追って説明した方がいいのかもしれませんが、単刀直入に事実だけをありのままに述べますね」 このまま遠回し遠回しに立ち回って、真実から目を背けようとしては不毛だ。受け入れがたい辛い過去ではあるが、きちんとミハルには説明しておかなければならない。それがセシリーの母親代わりとしての最後の仕事なのだから。 「お願いします」 意を決した面持ちのミハル。セシリーは一度深呼吸してから口を開いた。 「あの子は世界を裏で操る組織で、感情を持たない殺戮人形として育てられました。そして今日に至るまで、多くの人をその手にかけてきました」 愕然と目を見開くミハル。セシリーは構わず続ける。 「さらにあの子の胸には、“聖石”と呼ばれるとても大きなジェムが埋め込まれています。それは世界を滅ぼすと言われる、“天使”の証です」 「……ぁ……」 「本人は天使であることを自覚し、天使が世界を滅ぼす存在であることに薄々気づいています」 「…………」 「組織の手で心を持たない暗殺者に仕立て上げられたアリアですが、完全に心を喪ったわけではなかったみたいです。ふとしたきっかけで息を吹き返した感情によって、両親に対する想いが募り、あの子は危険を顧みず組織を抜け出しました。それが二年前です」 押し黙ったように口を強く結びながら今にも泣き崩れそうな表情のミハルを見据えたまま、セシリーはなおも言葉を続ける。 「組織を抜け出して追っ手に追われているアリアと偶然出会ったのが、同じように組織を抜け出した男です。その男はアリアと共に世界中を回る旅に出ました。……アリアという名前も、その時にその男が付けたものです」 それらはすべて、セシリーが旅に加わってからシェドに聞いた話だ。 「男と共に両親を捜して、世界中を旅するようになってからも色々ありました。……私も、最初は組織の命令でアリアを連れ戻し、その男を殺すために二人に接触したのです」 今思えば情けない話だった。勝手な幻想をシェドに求め、有り体に言えば逆恨みしていたに過ぎないのだから。 「“天使”が世界を滅ぼす存在であるため、世界を救うためにアリアの命を狙ってきた者も居ました。けれど、その一人が今ではアリアの力強い味方となっています」 「…………」 「アリアは徐々にですが感情を取り戻しています。最近では見違えるほど女の子っぽくなりました。……私も、少しは手助けできたと思っています」 「――どうして……」 ようやくミハルが堅い口を開いた。 「どうして、あなた達はレイチェル……いえ、アリアに優しくして下さったのですか? 話を聞く限り、その……、あの子は――……」 ミハルが口元を手で押さえてボロボロと涙を零して嗚咽を漏らす。それ以上は感情が邪魔して言葉に出来ないといった様子で、言葉にならない声が溢れて出ていた。 「心配しないで下さい。……確かにあの子は多くの罪を背負っています。けれど、あの子はとても優しくて、とても純粋な女の子ですよ」 「え――……」 たぶん今、自分は今までで一番穏やかな笑みを浮かべているだろう。何故だかわからないけど、セシリーはそう実感していた。 「心を取り戻したアリアは、過去に押しつぶされそうなくらい、重く罪の意識を抱いています。そして同時に、もうこれ以上誰にも死んでほしくない、誰も殺したくなんかないと強く願っています。あの子は、誰よりも優しい女の子なんです」 「……あ……あああぁぁ……」 ミハルの表情が歪み、ボロボロと大粒の涙が零れる。自分より一回りも年上のミハルだが、セシリーはまるで赤子をあやすような気持ちで語りかける。 「あなたの娘さんは、とても心が綺麗な、すてきなお嬢さんです。だから私も、そして世界を救うために天使を倒しにきた男も、アリアの無垢な心に惹かれてあの子を護ってあげたいという気持ちになったんです」 まるで自分の娘を自慢しているような暖かい気持ちで、セシリーは淀みなくそう言い切った。 「前に世界を守ろうとする集団に襲われた時、あの子はこう言われました。“あなたが存在すること自体、世界にとってはこの上ない脅威なのだ”と。そして、“あなたが倒れれば世界は救われる。諦めろ”とも言われたみたいです。……あの子は首を横に振りました。でも、それは利己的で、自分可愛さの為に言ったのではありません」 あの時、セシリーは側にいてあげられなかった。ガネットという少女に困惑し、そして敗北して大地へ倒れ伏せていたから。あの時アリアを救ったのは紛れもなくシールディアだ。天使を倒す存在であるドラゴン、けれど大切な家族であるシールディアなのだ。 「あの子は絶望し、本気で自ら命を捨てる覚悟をしたそうです。でもそうしなかった。それはまだ見ぬご両親、……あなたに会いたいという、単純だけどとても切実な思いが胸にあったから」 「……ああ……、レイ……チェル……」 「もう一度言います。あなたの娘さんは、とても優しくていい子ですよ」 「…………はい」 顔を持ち上げたミハルは、涙で頬を濡らしてうっすらと紅潮した、破顔の笑みだった。 「はああああっ!」 踏み込みながらシルヴァランスは右手で握る剣に力を籠める。左手をフラーレンへかざしながら風を全身で切って突き進み、フラーレンが繰り出す岩弾の嵐を風の障壁で弾き飛ばしながら決死の突貫を掛ける。 すべての岩を弾き、フラーレンの攻撃が一瞬止む。その瞬間を見計らって、シルヴァランスは両手で持ち直した剣を振り上げてフラーレンの頭上より紫電を迸らせた。 「うふふ」 「……ッ……!」 フラーレンの不敵な笑みと、シルヴァランスの両手に走った衝撃は同時だった。フラーレンの肩口を狙った剣先が、フラーレンの肌に当たって弾かれたのだ。 人間の肌では考えられない、まるで金属のような手応え。動揺するシルヴァランスにフラーレンの棍棒が鋭く迫る。 「ぐうっ!」 心臓を抉ろうとした一撃をとっさに左腕でガードする。だが女の力とは思えぬ凄まじい威力に、左腕の骨が砕ける激痛と共にシルヴァランスの体は宙を舞って後方へ吹き飛ばされた。 大地を滑りながらシルヴァランスは体勢を立て直し、激痛に顔を顰めた。見れば左腕がだらんと垂れ下がり、心臓が脈打つのに合わせて脳を針でつかれたような痛みが全身を駆けめぐる。たった一撃で完全に骨が砕かれてしまったようだ。 だがそんなことよりも、シルヴァランスはキッとフラーレンを睨め付けて何が起こったのかを確認する。あの瞬間、確かにシルヴァランスの剣先はフラーレンの肩口を捕らえていた。なのにシルヴァランスの剣は弾かれ、無防備になったシルヴァランスは棍棒の直撃を受けたのだ。 「大丈夫ですか? ……こうなってしまいますと、少々力加減がわからなくなってしまうんです」 「……こう……なる?」 一体何を言っているのか。シルヴァランスは注意深くフラーレンを観察した。そしてあることに気づき、唖然とする。 フラーレンの左手の甲に、茶褐色に輝くジェムが直接埋まっていた。ジェムから溢れる魔力を全身に送るよう、左手の甲の血管が遠目にも見えるほど克明に浮かび上がっている。 「なっ……、そ、そんな。ジェムは直接体に埋め込んだら有毒なのに」 「そうですね、普通は。でも私は生まれつきの特異体質で、ジェムの毒を無効化できるんです」 そんな人間が居るなんてシルヴァランスは初耳だった。だがもしそんな人間が現実存在するのであれば、その者が引き出せるジェムの力は武器や道具に埋め込んで使う人間の比ではないだろう。 さらによく見れば、フラーレンの肌は先程より茶色く変色していた。人間の体が本来描くはずの緩やかなカーブが薄れ、かわりに角張った筋肉が張り付いている。 「まさか、あなたの体は――……」 「お察しの通りです。私は自らの体にアースジェムを埋め込み、自身の肌を強堅な岩の壁と化すことができるんです。でも、この状態だと少々感覚が狂うので、力のさじ加減がわかりません」 フラーレンが敵であるシルヴァランスに淡々と自分の特技を説明し、「加減を間違えてしまったらごめんなさいね」と舌を出しながら笑った。 シルヴァランスは背筋を流れる汗を実感しながら右手で握る剣の刃を見つめた。先程フラーレンを斬りつけた部分は刃こぼれしている。このままでは、何度斬りかかろうとも傷むのはこちらの武器だけだ。 「観念して下さいましたか? それなら、もう一度――……」 「断ります!」 フラーレンが言い切る前にシルヴァランスはその言葉を遮った。どうせまた恋人になれという話だろう。それに対する答えはどんなに劣勢になろうと変わらない。 クスリと笑ったフラーレンがシルヴァランスに迫ってくる。咄嗟に身構えたシルヴァランスだが、剣で歯が立たないことはわかっている。襲いかかる岩の拳をかわし、同時に足下を狙う棍棒から避けて後方へ飛ぶ。 一方的な攻撃が容赦なくシルヴァランスに襲いかかった。フラーレンの拳をシルヴァランスがかわすと、その拳が大地を割って大量の岩片を巻き上げる。そしてフラーレンはそれらを棍棒で弾いて、岩弾となった大量の岩がシルヴァランスを撃ち抜こうとしてくる。 「くううっ!」 感覚の麻痺した左腕。左手の指にはめられた指輪のジェムを使うことができず、シルヴァランスは剣の腹を前面に押し出して、剣に埋め込まれたジェムで障壁を張る。猛スピードで迫る岩弾が次々と障壁にぶつかって砕け散る。 このまま防戦一方で、剣のジェムが尽きてしまったら、それこそ打つ手なしだ。 一瞬敗北が脳裏をよぎった。勝てない、フラーレンにはどうあがいても勝てないと諦めてしまいそうになった。でも―― “気をつけてね” 街を出る前に宿で見せた、セシリーの少し照れた表情が脳裏に浮かぶ。いつもお姉さん肌でシルヴァランスを上から見つめてからかっているようなセシリーが見せた、まるで年頃の少女のような初々しい恥じらいの表情。 自分には帰る場所がある。帰りを待ってくれている人が居る。 「僕は――……」 シルヴァランスはフラーレンの攻撃を受けて吹き飛びそうだった体を踏みとどめる。だがフラーレンの猛攻は止まらない。こちらに打つ手がないと踏んだのか、防御など完全に無視した怒濤のような攻撃。反撃のチャンスはいくらでもあるが、シルヴァランスの剣では反撃どころか逆に無防備な状態を相手に晒すことになる。 先程フラーレンに宣言したばかりの自分の気持ち。まだ自分でもハッキリとはわからない感情だけれど、決して揺るがない気持ちが一つだけある。 逢いたい。早く帰って、セシリーに逢いたい。 「僕は、こんなところで負けられないっ!」 「……っ!?」 「アクセラレータァッ!」 瞬間、シルヴァランスの剣に埋め込まれたジェムが眩く輝き、シルヴァランスの体は音速に肉薄するほど凄まじいスピードで世界を駆けた。 体の表面を空気の膜で覆い、極限まで空気抵抗を減らし、さらに風の力で敏捷性を倍加させるシルヴァランスの特技。発動中は凄まじいスピードを得るが、感覚自体は元のままだ。アクセラレータを制御するにはもの凄い集中力を要する。 「はああああああっ!」 シルヴァランスは咆えながらフラーレンの周囲をぐるぐると旋回する。全身から汗が噴き出し、疲労が限界を突破しようとも、シルヴァランスは決して止まらない。 「何をしているのですか? ぐるぐると鬱陶しいですね」 フラーレンは不敵な笑みで佇んでいる。確かに一見、無駄に回っているだけに見えるかもしれない。だが何を言われようがシルヴァランスは激走し続けた。 次第に空気が渦を巻き始める。そしてそれはあっという間に凄まじいうねりを伴う竜巻となり、フラーレンを取り囲んだ。 「……なるほど、竜巻の牢獄というわけですか。でも、それをしたところでどうするのですか? その状態ではあなたも攻撃できないでしょう?」 「はい。でも、攻撃する、必要なんて、ない、ですよ……」 シルヴァランスは静かにそう呟き、音を上げる足腰に鞭を打ってさらにフラーレンの周囲を駆け回る。竜巻が威力を増し、爆風と轟音が周囲に広がっていた。 「……一体何を――……。……ッ!」 長い間、無駄なことをしている人間に対する冷めた表情を浮かべていたフラーレンが、突然顔色を変えて首に手を添えた。 「なっ……、か、かはっ!」 みるみる顔色が青ざめていくフラーレン。手から棍棒が離れ、爆風に舞って空高く消えていく。 「わ、わかり、ましたか? 僕が、している……、ことの、意味が」 「ぐっ……!」 シルヴァランスの起こした竜巻は空気を吸い上げて空へ放つ。竜巻の牢獄の中は真空状態へ近づき、酸素のない世界でフラーレンが苦悶に表情を歪めていた。 決して斬れない肌。確かに剣では歯が立たない。だが人間である以上、酸素無くしては生きていられない。 「がはっ! ……あ、あぐ……」 必死に藻掻き、牢獄の壁を岩の拳で殴りつけるフラーレンだが、すでに爆風でできた牢獄の壁はダイヤモンド以上に硬くなっている。シェドの魔剣ほどの威力が無ければ容易に弾かれてしまうだろう。 ふらつきながら、フラーレンは頭上を見上げた。空気が吸い込まれていく吸空口。だがもしそこに飛び込もうものなら一瞬にして空高く舞い上げられ、凄まじい重力によって意識を失い、無防備な状態で激しく大地へ叩きつけられることになるだろう。 ガクッと膝を大地へつき、フラーレンが力ない目でシルヴァランスを睨め付けてきた。一点に留まらず音速で駆け回っているシルヴァランスだが、それでもフラーレンの視線がシルヴァランスの視線と交錯する。 「はあっ……、はあっ……。え、えげつない技で、申し訳、ありません。でも、それでも、僕は……、か、帰らなければ、ならないのです」 息も切れ切れにシルヴァランスが言うと、一瞬、苦しみに歪んでいた表情からフラーレンが微笑んだように見えた。それは今まで見せていた、どこか闇を背負ったような笑みではなく、もっと普通の、年頃の少女が屈託なく浮かべるありきたりな笑みだった。 「うら、やましい……で、す。あなた……に、好かれて……、いる、ひ、と……が……」 「…………」 フラーレンの笑顔が散り、バタリとフラーレンは大地へ倒れ伏せた。 空気を裂いて啼いていた風が止み、シルヴァランスは悲鳴を上げる足腰に耐えきれず腰を落とした。同時に、シャリンという薄い硝子を踏んだような音が響き、シルヴァランスの剣に埋め込まれていたウインドジェムが砂のようにサラサラと空気にとけ込んでいく。 「はあっ……。はあっ……」 ままならない呼吸で、シルヴァランスは倒れているフラーレンを見つめた。酸欠による窒息で一時的に意識を失っているが、運が良ければ目を覚ます可能性がある。だが相手がニーヴルのエインフェリアである以上、自分たちの居場所を組織に伝えられるのはまずい。 トドメを刺さなければならない。でも、だけど―― シルヴァランスは躊躇った。目の前に倒れるフラーレンも見た目はどこに出もいるような十代後半の少女だ。ニーヴルに関わり、心の歯車がおかしくなったりさえしなければ、きっとどこかの街で普通に暮らしていたに違いない。 「……同情はしないって、決めていたのに……」 自嘲気味に呟きながらシルヴァランスは体を起こそうとした。だが足に力が入らず、 「あ――……」 そのままよろけて大地に倒れ込んでしまった。起きあがろうにも、まったく体が言うことを聞かない。 徐々に意識が薄れてきた。膨大なエネルギーを一瞬にして消費したからだろうか。体が休息を望んでいる。 「駄目だ……、ここ、で……倒れ、ちゃ――……」 必死に抵抗するがその甲斐もなくシルヴァランスの瞼が閉じる。真っ暗になった視界に一瞬だけセシリーの姿を思い描き、シルヴァランスは意識を失った。 「おおおおおおっ!」 咆吼を上げながらドラゴンへ迫っていくスルトの背中を見つめ、シェドはギリッと奥歯を噛みしめて右手に全神経を注ぐ。 右腕に巻き付いた腕輪に埋め込んである七つのジェムが眩く閃光を発し、その光が白銀銃ごとシェドの右腕に集結して半透明の剣が具現化する。そこへ銃に埋め込んだアイスジェムの魔力が注ぎ込まれ、魔法で出来た無色透明の剣にスーッと青みが差す。 自ら囮になると言って飛び出したスルト。あの異形のドラゴンの猛攻を一人で受け止め、その隙にシェドが魔剣と魔弾による攻撃を仕掛けるという作戦だが、一歩間違えればスルトの命はない危険な策だ。それを自ら実践するところ、スルトという人間がいかに軍人であるかということをシェドは実感する。 だが同時に何て軍人らしくないんだとも思う。ドラゴンの凄まじい力はすでに確認済みだが、それでもまだその全能力を把握したわけではない。敵の本気を知らぬまま無謀な突貫をかけるのは、あまりに稚拙で基本のなっていない攻撃だ。 自分の命を安く考え、常に他人の命、御国のことを考える軍人肌。だが同時に感情的で、攻撃のセオリーをあっさりと破るスルト。シェドはその手の人間が、言い出したらテコでも動かないであろうことわかっていた。だからこそこの一撃にすべてを賭けるしかない。スルトの命は自分の双肩にかかっている。 『ギャオオオオオオンッ!』 ドラゴンの咆吼。続いて鋭い爪がスルトを襲い、さらにブレイドウイングが誘導ミサイルのようにスルト目掛けて迫っていく。一撃で致命傷を与え、運悪ければ命を絶とうとする死のランスがスルトを襲う。 「はっ!」 ドラゴンの爪を避け、スルトが自分の体よりも太いドラゴンの腕に飛び乗った。そして迫り来るブレイドウイングを次々と剣で薙ぎ払いながら腕を駆け上っていく。凄まじい剣閃は虚空を引き裂き、ブレイドウイングをも斬り伏せていった。 シェドに真似できない芸当。だがそれでも、すべてのウイングを退けることはできなかった。弾けなかったブレイドウイングがスルトの肩口、脇腹、太ももを容赦なく襲い、鮮血が宙に飛散する。 シェドは飛び出した。ドラゴンの注意が完全にスルトへ向けられている今こそ、絶好のチャンス。いや、これを逃したら二度とこないラストチャンスだ。 「ぐはあっ!」 四本のブレイドウイングを斬り裂いたスルトの左肩を、槍のように別のブレイドウイングが貫通した。スルトの体を突き抜けて飛び出した先端はべっとりとした朱色に染まり、スルトの口から零れ出る悲鳴は苦痛に歪んでいる。 だがそれでもスルトは止まらずドラゴンの腕を駆け上がっていく。肩口を襲ったウイングを斬り捨て、さらに迫る怒濤の猛攻を退けながら一歩も後へは退かない。その決意がシェドの背中を後押しする。 スルトが飛翔し、ドラゴンの顔がそれを追って上向いた。その瞬間、シェドは最大速度でドラゴンの懐に潜り込んだ。 「――っ!?」 完全に注意をスルトに向けたと思っていたがそう簡単にはいかなかった。ドラゴンがシェドの存在に気づき、その太い足でシェドを踏みつぶそうとしてくる。同時にシェドの左右からカッターテイルが一斉に襲いかかった。 「シェドッ!」 「うるせえよっ! あんたは自分の心配でもしてろっ!」 目上の人間に対して何て口の利き方をしているのか。だが今はそんなこと気にしている暇はない。一瞬の遅れが取り返しのつかない結末を生む。 「うおおおおおっ!」 シェドは腕を折りたたんで一気に横へ振り切った。魔剣が空を引き裂いていく。 同時にシェドは白銀銃のトリガを連続で引く。銃に埋め込まれたアイスジェムの魔力を帯びた銃弾がシェドの四方へ飛び出し、シェドの周囲を氷の包囲円が包んだ。 ガシガシと、カッターテイルがシェドを包む氷の壁にぶち当たる。氷に亀裂が走り、砕けた氷欠片が無数に飛散してシェドの頬を裂いて血を滴らせるが、シェドは一切気にせず突貫する。 スルトがドラゴンの頭部へ飛び乗る。同時に四方からブレイドウイングがスルトを貫こうと迫っていた。さらに、ドラゴンは大きく口を開けてブレスをスルトへ吐きつけようとしている。 「はあああっ!」 氷の結界が崩壊してカッターテイルがシェドを襲う。だがシェドは刃先が自分の体を突き刺す直前に―― 『ギャオオオオオオオンッ!』 ドラゴンの懐に己の魔剣を突き刺していた。 すかさずシェドは白銀銃の引き金を引く。眩い閃光がドラゴンの内部で迸り、魔剣が突き刺さっている部分からドラゴンの体が凍り付いていく。いくら強固な鱗に守られているとはいえ、体の中までは守りきれない。 「スルトさんっ!」 「わかっているっ!」 体を痙攣させながら攻撃を止めたドラゴンにスルトが斬りかかる。スルトの剣がドラゴンの眼球を突き刺し、さらに弐の太刀で鼻先を引き裂いた。 『ガアアアアッ!』 シェドも続けざまに魔弾を放つ。シリンダーに詰め込んである弾丸をすべてドラゴンの内部で射出し、魔剣を消滅させて間合いを取った。 ドラゴンの体はシェドの魔剣が突き刺さった場所を中心にして完全に氷塊に包まれた。凄まじい殺気に歪んだ恐ろしい形相のまま、その禍々しい姿は完全に動かなくなる。 「トドメだっ!」 スルトが後退したのを確認してから、シェドは白銀銃にフレアジェムを埋め込み、シリンダーをスライドさせて一発だけカートリッジを詰め込む。 銃口を凍り付いたドラゴンへ向け、引き金が引かれたシェドの銃から紅蓮に染まった一発の銃弾が吐き出された。それはドラゴンの直前で猛々しい壮絶な炎へと姿を変え、凄まじい衝撃が大地を駆けめぐる。 爆風がシェドの髪を揺らし、ドラゴンの体が細かな氷欠片となって周囲へ飛散する。 「終わった……か……」 「ああ。……ったく、無茶な作戦を立てやがって」 「ふっ、だがそれでも何とかなっただろう?」 「俺のお陰だ。感謝しろ」 歩み寄ってきたスルトにシェドが疲労に満ちた顔つきで言うと、スルトは穏やかな笑みを返してきた。二人とも満身創痍。特にスルトは全身に裂傷を負っており、すっかり穴が開いてしまった軍服の肩口は真っ赤に染まっていた。 シェドは自分の傷を一瞥し、特に早急な手当が必要でないことを確認した上で、 「ほんと、無茶苦茶なおっさんだぜ」 そう悪態をつきながらスルトを呼び寄せ、痛みをおくびにも見せないスルトにヒールジェムで治癒術を施す。 「……お前、本当に器用な奴だな」 「まあな」 「それと、俺はまだ三十一だ。お前におっさんと言われたくないな」 「あん? ……老け顔なのかもしれないが、俺は二十二だ。俺から見ればあんたは十分おっさんだよ」 「ふっ……。すぐにそんなこと言えなくなるさ。後三年もして、二十歳より三十路が近くなれば、お前もおっさん側だ」 ヒールジェムを輝かせるシェドに軽口を叩きながら笑っているスルト。シェドはその軽口に飄々と答えながら、一番深い肩口の傷を癒し続けた。 すでに辺りは静寂に包まれていた。シルヴァランス達の戦いも終わっているだろう。だがいつになっても現れない勝者に、シェドの不安は拭いきれない。 シルヴァランスの奴はどうなったのか。もしあいつに何かあったら、セシリーはどんな顔をするだろうか。そんな余計なことまで考えてしまう。 しばらくしてからスルトと共に探しに行くと、シルヴァランスが大地に倒れ伏せているのを見つけた。同時に、その手前で倒れているフラーレンの姿も視界に入る。 「シルヴァランスッ!」 慌てて駆け寄ったシェドは、俯せに倒れるシルヴァランスの体をひっくり返した。呼吸と脈拍を確認し、取りあえず安心してから敵方を見やる。向こうもどうやら息がある。 「……相打ちか?」 「そのようだな」 シェドはシルヴァランスを背負い、もう一度フラーレンへ視線を送る。 “もう誰も殺したくない” それがアリアの願い。それは旅の始めからずっと一緒にいるシェドが一番よく知っている思いだ。だがもしここでフラーレンを見逃そうものなら、組織にシェド達がティンベルを訪れたという情報が渡ってしまう。 意識のないシルヴァランスを背負い、シェドの行動を見守るスルトを脇に置いたまま、シェドは必死に覚悟を決めようと奥歯を噛みしめた。 「はあ?」 自分でも間抜けな声を漏らしてしまったと自覚しながら、ミレーヌはたった今セシリーが言ったことを頭の中で反芻する。 “あの人はアリアの本当のお母さんよ” 確かにセシリーはそう言った。宿屋に戻ってきて、ミレーヌがアリアの脇に立つ見覚えのない女性のことを尋ねた時、セシリーは真顔でそう答えたのだ。 精錬された鉄のように美しく輝く銀色の髪は腰まで伸び、平均的な身長であるミレーヌよりも背は低く、顔もお母さん世代とは思えないほど童顔だった。言われてみれば、確かにアリアの髪を銀色にしてそのまま長くすれば似ているような気がする。 「……え…っと、それは、つまり……」 まずい。混乱してる。いきなり予想もしていなかった答えを聞かされて、頭がついていってない。 戸惑うミレーヌの前でセシリーがもう一度、 「あの人はミハルさん。間違いなく、アリアの本当のお母さんなのよ」 寂しげな表情で答えた。妹のように、そして娘のように可愛がっていたアリアを取られてしまった、そんな表情にもミレーヌには思えた。 ミレーヌは再度、アリアとテーブルで向かい合っている女性へ視線を送る。透き通るような水色の瞳は、確かにアリアの蒼い瞳と形がそっくりだ。目元や口元も、親子だと言われれば、ああそうだと納得されられるほどよく似ている。 アリアとミハルは向かい合うよう座っているにも関わらず、終始無言で俯いていた。互いにギクシャクというか、いろいろと心の準備ができていないらしい。 それはミレーヌも一緒だった。あまりに突然で、しかも重大すぎる事実。自分のシェドに対する想いや、アリアに送るネックレスにどうやって竜結石を埋め込もうかを考える時間が必要だと言うのに、その上アリアの両親が見つかったなんてことになっては、もはや処理能力の限界を超えてしまう。 取りあえず、今はシェドに対する気持ちやらネックレスのことはひとまず脇において置くとして―― 「……そう、なんだ。あの人が、アリアちゃんの……」 そう言うのが精一杯だった。 「うむ。だが、ならば何故、ああもお互い無言を貫いておるのだ? 捜し求めた母親なのだろう? それに母親も、会いたかった娘なのだろう? それならばお互い、会って話したいことは山ほどあるのではないのか?」 セシリーとミレーヌが話しているところにシールディアがやってきて、不思議そうにアリアとミハルを見つめながら言った。 「そう……ね。でも長い間離れていたから、ゆっくりと時間を掛けて空いてしまった溝を埋めていかなければならないのよ」 「うん、わかる。いきなり再会できても混乱しちゃうよね」 「まあこればっかりは親子の問題だし、それに時間の掛かることですしね。……私達はただ見守ってあげることくらいしかできないわ」 やはり寂しそうに語るセシリーに、ミレーヌは何て声を掛けていいのかわからない。時折現れて、すぐにまた工房へと戻っていくミレーヌとは違い、セシリーはアリアの旅に加わってからの一年間、ほぼ片時も離れずずっと一緒に生活していたのだ。アリアに対する思い入れも、きっとミレーヌの何倍も大きいはず。 「セシリーよ。そなたがずっとアリアの母親代わりとして頑張ってきたことは私もよく知っている。そしてそれはもちろんアリアもわかっているだろう。……だから、その、なんだ……、あまり暗い顔をするでない。私まで寂しい気持ちになってしまう」 ミレーヌが戸惑う隣で、シールディアが先にセシリーを元気づけようと口を開いていた。無感情に近い表情のまま懸命に励まそうとするシールディアに、ミレーヌはセシリーと揃って思わず目をまん丸く見開いてしまう。 でもすぐにセシリーは穏やかな表情を浮かべ、 「ありがとう、シール」 そう言ってシールディアをギュッと抱きしめた。抱きしめられたシールディアには見えないだろうが、ミレーヌの位置からならハッキリと、セシリーの瞳の縁に浮かんだ涙が見えた。 そしてしばらくそのままシールディアを抱きしめた後で体を離したセシリーの瞳には、すでに涙の跡など欠片もなかった。ほんと、妹分の前では無理に強がろうとしてるんだからと、ミレーヌは嘆息せざるを得ない。 「予定では明後日にシェドは帰ってくるんだよね? ……じゃあ詳しい話というか、今後のことはその時に考えようよ」 「そうね」 「はい決まり。じゃあメソメソウジウジは一切無しっ! 決定っ! やぶったらその無駄に大きい胸を鷲づかみにしてやるんだからっ!」 シールディアが頑張った以上、ミレーヌだって頑張らなければならない。 ミレーヌはカラカラと笑いながらセシリーにそう忠告し、セシリーの胸の前でぐわしゃぐわしゃと胸を揉む真似をしてみせた。 「……あなた、実はそっちの気があるの?」 「ちがーうっ!」 幾分元気を取り戻したのか、微笑みながらミレーヌの戯れ言を流すセシリー。ミレーヌもあえて過剰な反応を見せ、少しでもセシリーを元気づけようと必死になる。 そんなミレーヌの本音を知ってか知らずか、 「ありがとう、ミレーヌ」 「おうふっ」 いきなりセシリーがミレーヌを抱きしめ、ミレーヌは危うくその豊満な胸の谷間で窒息しかけた。 あれは武器だ。間違いなく、一撃必殺ものの超破壊兵器だ。 そう思いながら、ミレーヌはセシリーの胸に溺れて手足をじたばたさせていた。 行きに比べて幾人減った馬車の荷台。シェドはやることが無いので、眠いわけでもなく瞳を閉じて横たわっていた。 ヒールジェムで傷を癒したものの、シルヴァランスはまだ目を覚まさない。外傷はそれほど酷いというわけではなかったため、おそらくは極度の疲労によって多くの睡眠を体が欲しているのだろう。外傷以外にはヒールジェムの効果は薄い。 「……ん」 「お、ようやく気づいたか」 ドラゴンを倒してから一日かけて、馬車を待たせている場所までシェドはシルヴァランスを担いできた。 シェドの背中に揺られながらもシルヴァランスは呻き声の一つも漏らさず、まるで死んだように眠っていた。それほどフラーレンとの戦闘は激しかったのだろうか。 「ここ……は?」 「馬車の中だ。……ったく、大の男を背負ったまま山を下るのはホント辛かったぜ。ちったあ感謝しろよ」 すでに漆黒の闇が覆う夜空を力無く見上げながら、シルヴァランスが目を開いたり閉じたりを繰り返している。まだ意識がはっきりしないのだろう。 「僕は……。そ、そうだ、フラーレンは? 僕は、同情しないって決めたのに……、でも覚悟ができなくて……」 シルヴァランスが無理を押して上半身を持ち上げた。シェドは何も言わずにそんなシルヴァランスを見つめ、視線でシルヴァランスに対面に居る人物を見るよう促す。 そこに腰掛けるあどけない顔をした女。その女を見た瞬間、今まで意識朦朧とした表情を浮かべていたシルヴァランスの双眸がカッと見開かれた。 「なっ……!」 「そう慌てるなって。……よく見てみろよ」 シェドはいきなり立ち上がって身構えようとしたシルヴァランスをなだめ、至極落ち着いた声音で言う。目の前の女が、顔を持ち上げて不思議そうにシルヴァランスを見上げた。 「あー……、あう? あうあー……」 「……?」 目の前にいる女。それは間違いなく、ニーヴルのエインフェリアであるフラーレンと名乗った女だ。だが今、フラーレンはとても正常だとは思えない奇声を発した。それを見たシルヴァランスが目を剥く。 「これ……は……? フラーレンはどうなったんですか?」 「俺に聞くなよ。お前が何かしたんだろ? 俺達が駆けつけたときにはすでにこんなんだったぜ?」 「え……? ……もしかして、いや、たぶん……、そうなのか……」 シルヴァランスが何か思い詰めた顔つきで、先程から赤ん坊のように首を傾げたり奇声を発したりするフラーレンを見つめる。何か思い当たるところがあるのだろう。 シェドがフラーレンにトドメを刺そうか逡巡したとき、シルヴァランスより先にフラーレンが意識を取り戻した。しかし様子がおかしく、まったく闘う素振りを見せないどころか、ああして赤子のような奇行に走ったのだ。 結局シェドはフラレーンを殺すことを放棄し、取りあえずスルトにフラーレンを背負わせて馬車の所へ引き上げた。フラーレンが意識を取り戻してかなり経つが、未だに回復の兆しは見えないためシェドはすでに警戒を解いている。 「おそらく、僕が窒息を誘発する技をかけたことが原因なんでしょう。彼女は僕の技に最後まで抵抗していましたら、空気のない真空状態でかなり無理をしていたことになります。その間、酸素が脳へ届かなかったから……」 「脳の一部をやられたわけか」 それなら合点がいく。脳をやられても死なずに生き残った人間を見たことはあるし、シェド自身、そういう人間を生み出したこともある。そしてそういう人間の多くが、何らかの障害を負うことになる。 「……僕が躊躇したから……。この方が、何倍も残酷なのに……」 どちらがいいという問題ではないだろう。だがシェドはそう思っても口には出さず、ただ自分を責めるように唇を噛みしめるシルヴァランスを見つめたまま目を細めた。 「グレイン君も目が覚めたようだな」 シェドとシルヴァランスの耳にスルトの声が届く。顔を持ち上げると、スルトが鋭い眼差しでこちらを睨め付けていた。 「ええ、心配掛けました」 「ああ、無事で何よりだ。……早速だが、君たちに尋ねておかなくてはならないことがいくつかある」 「わかってる。シルヴァランスの目が覚めたら答えるって約束だったしな」 シルヴァランスが寝ている間にシェドがそう約束した。ドラゴンを倒す手前、一切の事情や素性を隠して共に戦ったわけだが、それが片づいた今、スルトはシェド達が何者なのかを知ろうとしている。 それはスルトがニーヴルの存在を知っているからだろう。どの程度まで知っているのかわからないが、表情を見る限りあまり快くは思っていないようだ。 「まず、君たちの目的をハッキリさせて欲しい」 「……その前に、スルトさんがどの程度ニーヴルについて知っているか答えてくれ。それに合わせて、余計な説明は省く」 これは“天使”に関して話すべきかどうかを探るためでもあった。もしスルトが天使という単語を発すれば、それはかなり深いところまでニーヴルと関わりがあることを示している。 「代々トルメキア皇室を陰で支えてきた暗躍組織だ。表側は魔練器製造会社だがな。だが近年、ルシフェル=ガブリエスタが社長に就任して以来、不穏な動きが目立つようになってきた」 ニーヴルの社長、そしてリーダーである名前を耳にして、シェドはわずかに眉を動かす。 「国王に戦争を焚きつけ、ハルモニカ大陸侵攻を提言したのもルシフェルだ。そしてそのための力を用意したのも」 「……力?」 「本来これらはすべて機密事項なのだが、元ニーヴルの君たちならば話してもいいだろう。ルシフェルが国王に進呈したハルモニカ大陸侵攻のための力、それは――」 一瞬の間を置き、スルトが口惜しそうに唇を噛みしめた。 「“天使”と呼ばれる、幼い少女達だ」 「……っ!」 今、確かにスルトは天使と口にした。エインフェリアですら極一部しか知らされず、ほぼ社長と秘書、ガンズの四人しか関わっていない、ニーヴルが裏で進める計画の要をスルトは知っていた。 「そうか。スルトさんは天使の存在まで知っているのか。なら、話は早い」 シェドがチラッと伺うと、シルヴァランスが話すのですかと言いた気な目でこちらを見つめてくる。シェドはそれに首肯で応じた。 「俺は組織に嫌気が差して抜け出したが、元はエインフェリアと呼ばれる戦闘員だ。そして逃亡の途中、一人の少女に出会った。少女もまた組織を抜け出した人間で、少女は組織で“天使”と呼ばれる存在だった」 「……っ! ま、まさか、それは、“無垢なる獅子”というコードネームの?」 「話が早いな。そう、その通りだ。俺はその少女ともに世界を旅している」 まさかスルトが無垢なる獅子というコードネームまで知っているとは意外だった。それほど国王に近い地位、ルシフェルに接する機会があるような地位にいたのだろうか。 「言っておくが、もしこれを国王の耳や社長の耳にいれようと考えるのならば、この場であんたを殺す」 「……俺を信用して話しているんだろう? わざわざ警告しなくていい」 殺気を迸らせながら睨め付けたにもかかわらず、スルトはまったく物怖じしない。完全に見透かされているような気がして癇に障ったが、今はそれを口に出しても仕方ない。 「わかった。アリア――その“無垢なる獅子”は、組織を抜け出して両親を捜すと言った。そして俺は、自分の生きがいを探すために世界を旅しようと考えていた。共に世界を駆け回るという点が一致していたため、俺達は一緒に旅することを決めたわけだ」 「両親を……捜す……?」 突然、険しかったスルトの表情に驚きと困惑が混じった。シェドは構わず話を続ける。 「天使の存在は世界を滅ぼす。これは紛れもない事実らしい。シルヴァランスは、元は天使を倒して世界を救うために現れた敵だった」 「…………」 シルヴァランスが唇を噛む。過去の自分の行いを咎めるように。 「例えどんな過去があろうとも、今まで俺達はあいつを護って戦ってきた。両親に会いたいという切実な思いを胸に抱く、無垢な少女を護りたくて」 何処まで本音で何処から嘘なのだろうか。シェドはアリアを護るためではなく、自分の生きがいを探すために同行しているだけだと豪語しているというのに。 果てしなく矛盾する自分の思い。だが今はそれを言及する必要はない。 「俺達はそう言う人間だ。世界の敵である天使を匿い、ニーヴルや、世界を救おうとする連中から逃げながら、少女の両親を捜して世界を旅している」 「……シェド」 シェドが話し終えるや否や、スルトがまるで怒りに打ち震えているような低い声で呼びかけてきた。 「ティンベルに戻ったら、その天使の少女に会わせてくれ」 「……は? 何故だ」 一瞬、スルトの言葉の理解が遅れて間の抜けた声を漏らしたシェドだが、すぐに鋭い視線をスルトへ向ける。 確かに共同戦線で協力してくれた相手だが、それでもスルトは国王軍の人間。そして天使のことを知る存在である以上、そう簡単には信用できない。 アリアを確認して、何らかの方法で軍やニーヴルに連絡をするというのなら黙ってはいられない。それこそ本気でスルトを殺す必要が出てくる。 だがシェドの警戒とは裏腹に、スルトの表情は徐々に弱々しいものへと変化していった。その意味、意図がわからず、シェドは困惑する。 終いには泣き出しそうなほどスルトの表情は歪んでしまった。何故そんな顔をするのか、シェドにはまったく理解できない。 そして長い沈黙を置いてスルトが口を開いた。 「俺の娘は……、五年前に行方不明なってしまったんだ」 その言葉を聞き、シェドは思わず言葉を失ってスルトのアリアと同じコバルトブルーの双眸を見つめた。 ミハルは自分が泊まっている宿の名前と場所をアリアに教えた後、口惜しそうに何度もアリアを振り返りながら一旦自分の泊まる宿へと戻っていった。 口惜しい、後ろ髪を引かれる思いなのはアリアも同じだった。まだ話したいことは沢山あった。けれどそれを言葉にすることが難しくて、結局アリアは何も言えず仕舞いだった。 それが寂しくて、辛くて、悲しい。 「……お母さん」 もうすでに見えなくなった母の背中。アリアはそれでも名残惜しく、いつまでも通りに佇んでいた。 何でもっとミハルと積極的に話ができなかったのか。それがとても悔やまれるけど、アリアはその理由を何となく自分でも理解していた。 旅の終わり。本当の家族を見つけたことにより、アリアはかりそめの家族と一緒に行動する理由がなくなる。 当たり前だった生活に終止符が打たれ、すべてが変わろうとしてることにアリアは戸惑いを覚えている。そして戸惑いの真ん中に居るのが、組織を抜け出して以来ずっと側でアリアを護ってきてくれた人の存在。 「私は……、どうしてこんなに……」 何でこんなにもその人の存在はアリアの心の中で大きな比重を占めているのだろう。互いに違う目的を抱き、その手段として世界を回る共通の方法を採ったため一緒にいるだけの、曖昧で不確かで脆い絆のはずなのに。 「アリア、今度はあなたからお母さんに会いに行ってあげなさいね。きっと、お母さんもそれを待っているわ」 「……うん」 通りに立ちつくしたまま動こうとしないアリアに、優しくセシリーが声を掛けてくれる。その隣にはシールディアの姿もある。 ミハルが自分の泊まる宿の名前を告げていったのは、きっとアリアから訪ねてきてくれることを望んでいるからだろう。それはアリアも何となくわかっていた。きっとミハルもアリアに会いたいと願ってくれている。でもそれを抑えて、アリアから来てくれるのを待っていてくれるはずだ。何故かはわからないが、今のアリアにはそれがちゃんとわかっていた。 芳しくない表情のままアリアは通りに背を向けて宿の中へ戻る。シールディアは何やらミレーヌと話があると言って、シェドとシルヴァランスのために借りた男部屋へと消えていった。今はそちらをシールディアとミレーヌが使い、女部屋をアリアとセシリー、ヒューイが使っている。 部屋に戻ってアリアは椅子に腰を下ろし、セシリーがテーブル越しに腰を下ろした。 「本当のお母さんに会えたって言うのに、あなたは暗い顔ばかり浮かべているわね」 「…………」 本当のことなので何も言い返せず、アリアはさらに表情に暗い色を加える。 「教えてあげましょうか。あなたがどうしてそんなに戸惑っている理由を」 「……ううん、いい。自分で、ちゃんと見つけるから」 「そう……。そうね、アリアももう子供じゃなくて、一人の女の子なんですものね」 セシリーは何処か寂しげな笑みを浮かべてそう呟いた。まるでもう自分の言葉などアリアには必要ないといわんばかりに。でも、アリアは一度としてセシリーの言葉が余計だとも鬱陶しいとも思ったことなど無い。むしろ逆だ。 「……じゃあ、今日は代わりに私が相談に乗って貰おうかしら」 「え?」 ふいにセシリー口から零れたのは、今まで一度もアリアの前で弱音など吐いたことのないセシリーの、覇気のない言葉だった。 「アリアから見て、私とシルヴァランスってどう見えるかしら?」 笑っているようでも、セシリーの表情には強さがない。それは今のアリアに似ているかもしれない。 「この間からずっと考えているの。私はシルヴァランスのことをどう思っていて、シルヴァランスは私のことをどう思ってるんだろうって。そして、私達は他の人達からどう見られているんだろうって」 「よく……わからない。けど、その……、私にはセシリーとシルヴァランスが、えっと、ライオットとスザンナと同じような関係に見える」 それは率直な意見だった。突然の質問で困惑しながらも口を衝いて出た言葉。きっとそれはアリアが心の奥で思っていた飾りのない意見。 「……懐かしい名前を聞いたわね」 「うん。でも、私にはそう見える。……お互い好き同士なのに、いつも寂しそうな顔をしていたあの二人。前にセシリーが言っていた、好きだからこそ苦しいっていう、言葉通りだと私は思う」 「あなた成長したわね、本当に」 前にデオラガーンという中立都市で出会った三人の男女。ライオットという一人の男と、ミントとスザンナという二人の女。好き同士なのはライオットとスザンナで、ミントの気持ちは一方通行だった。それでも親の命令で結婚させられることになったのは、ライオットとミント。あの時ライオットが浮かべていた表情、スザンナが浮かべていた表情、そして二人のことをよく知っているミントが浮かべていた表情。それらは全部、今のセシリーと同じ種類のものに思えた。 もしかしたら、今アリアが浮かべている表情も。 「あなたにそう見えるのなら、きっと、それが答えなんでしょうね」 「……どういうこと?」 「私がシルヴァランスのことを好きだということ。シルヴァランスはどうかわからないけど……ううん、違う。きっとシルヴァランスは私に妹の面影を見ているだけよね」 苦しそう。本当に、セシリーの表情は寂しそうだった。何でそんなにも悲しそうな表情を浮かべているかわからない。でも空気を伝ってセシリーの気持ちが伝染したかのように、アリアの心にも空虚に似た寂しさがこみ上げてきた。 「妹……?」 「そう。以前ラーミアの遺跡で少し話したわよね? 私には、ずっと昔に死んじゃった妹がいるって。そして、私はあなたに妹を重ねているかもしれないって」 「うん」 「実はね、シルヴァランスが初めて好きになった女の子っていうのが、その妹だったのよ。私とシルヴァランスは幼い頃、共にランバーグの街で育ったから」 それは初耳だった。ランバーグで過去に出会っていたという話は聞いたが、シルヴァランスの初恋の人がセシリーの妹だったとは。 でも――。アリアには記憶がある。シルヴァランスが照れくさそうに話してくれた初恋の話。思い起こせば、確かにセシリーの過去と符合する。 「シルヴァランスが好きなのは死んじゃった私の妹なの。それにきっと、私が好きなのも、本当はシルヴァランスではなく、亡くなったシルヴァランスのお兄さんなのよ」 「…………」 セシリーの口から紡がれる言葉には沢山の感情が混在しているように思えた。でも、もしかしたらそんなに複雑なものではなく、どれも似たようで少し違うだけで、実際はすごく単純な感情なのかもしれない。 そしてセシリーの感情は、今のアリアの感情にとてもよく似ている気がした。 アリアはセシリーの表情を見つめる。穏やかだけど力ない微笑がそこにあった。まるで今のセシリーは鏡に映ったアリアのよう。それを見て、アリアは自分の中にあるモヤモヤの答えを探す。 すべてが似ている気がした。 セシリーがシルヴァランスに、シルヴァランスの兄だという人物を見ているように。 シルヴァランスがセシリーに、セシリーの妹を見ているように。 アリアがシェドに、まだ見ぬ父を見ているように。 みんな逃げている。自分の本当の気持ちから逃げているような気がする。今なら答えを見つけられそうだった。 それはセシリーが一番最初に告白した言葉。逃げ道の用意や言い訳の前、最初に宣言した本当の気持ち。シルヴァランスが好きだという、それ以上でも以下でもない気持ち。 それがセシリーの気持ちならば、アリアの気持ちもそれと同じなのではないだろうか。 それはつまり―― 「私は……シェドのことが……好き……?」 その言葉を口にした瞬間、まるで聖石が熱を放っているような、焼けるような熱い何かがアリアの中で弾けた。 時を同じくして、外から悲鳴がティンベルの街に響き渡った。 外から響いた悲鳴にいち早く反応したシールディアとミレーヌは、窓から外の様子をうかがった。 「な、なになに? 何が起こったの!?」 ミレーヌが慌てふためく脇で、シールディアは意識を集中させて現状を確認する。ヒトの思念を読み取り、何が起こっているのかを迅速に把握する。 「……街の人間が襲われている。しかしこれは……、相手もヒトだ」 「ええーっ! それってつまり、強盗とか、山賊とか、そっち系の怖い人達ってこと?」 「うむ、おそらくはならず者の集団だろう。だが数は多い。街の西部から百人近い集団で街になだれ込んでいる」 シールディアの脳裏には襲撃者の数だけではなく、その残虐な行為まで映像として映し出されていた。だがそれを口に出してミレーヌに説明することははばかられた。 「ミレーヌよ、セシリーとアリアに伝えて取るべき行動を考えるとしよう」 「そ、そうね!」 シールディアとミレーヌは隣の部屋へ移動する。部屋に踏み居ると、若干重いような空気を感じたが、その思念からアリアとセシリーの心を読み解くのは野暮だと判断し、シールディアは端的に事実を述べた。 「……襲撃者? ティンベルは中継都市の中では小さくてあまり栄えていない分、警備が甘いところがあるものね。それを狙ったんでしょう」 「ど、どーすんの? 宿屋に泊まってる人間なんて、向こうからみたらいいエモノってことでしょ? 逃げるの? それとも闘う?」 言っておくけど私は闘えないわよ、とミレーヌはセシリーに泣きついている。そして今のシールディアもミレーヌと同様の立場にあった。 「私もヒトと闘うことはできない。相手が魔物ならば闘えるのだが、ヒトを護る立場である以上、ヒト同士の争いには関与できない」 アリアの手前ということもあり、ドラゴンと言う言葉は伏せておいた。重要なのはシールディアも今は戦力としてカウントできないことだ。もちろん、自衛のためならば多少のことはできるが。 「……宿屋に泊まってる人間は……、いいエモノ……なの?」 ふと、震えるような声でアリアがつぶやく。シールディアが視線を向けると、宝玉のように美しい双眸が虚空を彷徨い、愕然とした表情でアリアは佇んでいた。 「……っ……」 「アリアッ!」 突然アリアが部屋を飛び出し、セシリーがそれを追って出ていった。 「シ、シールディアちゃん、あたし達はどうする?」 「……私達は完全に戦力外だ。まだこの辺りまで襲撃者は迫っていない。ジェムや銃器など、必要最低限の荷物だけ持って一度ティンベルの街を東口から出よう」 「うん、わかった」 シールディアの提案に直ぐさまミレーヌは反応し、荷物の整理を始めた。シールディアもそれを手伝う。 この場で闘うことはできない。それはわかっている。自分の存在がどのようなものであるか。 だが、シールディアの心のどこかで声が聞こえる。 護りたい。襲われているか弱いヒトを。 それはきっと、シールディアが本能ではなく理性で護りたいと思っていることに由来するのだろう。だが今はまだ本能、いやこの場合はこれこそが理性と言うべきなのだろうか、ドラゴンとしての在り方が優先度として一番高い。シールディアとして在り方は、まだ二番だった。 「……行こう、ミレーヌ」 「うん」 うっすらと唇を噛みしめながら、シールディアは荷物を抱えてミレーヌと共に宿を後にした。 アリアが全力で表通りを駆け抜けていく後をセシリーは必死に追っていた。おそらくアリアはミハルのことが心配で気が気じゃないのだろう。 やっと逢えた母親。まだ戸惑っている部分もあるが、それでもミハルがアリアの母親であることは間違いない。 「……っ!?」 ティンベルの街を東西南北に走る大通りがクロスする中心部。アリアとセシリーがそこに駆けつけたとき、すでに襲撃者による無慈悲な魔の手は街の中心部にまで伸びていた。 襲撃者はシールディアがならず者と称した通り、屈強な体つきに凶悪な表情を貼り付けた、いかにも悪意に満ちた連中だった。 「ひゃっはっはっ! 可愛いお嬢ちゃんじゃねえかっ! こいつを売り飛ばせばいい金になるんじゃねえかっ!」 「そいつはいい!」 歪んだ性格の襲撃者達がアリアに目を付けて迫っていく。しかしアリアは全く動じることなく突進を続けている。おそらく、あの瞳にはミハルが居る宿以外は何も映っていないのだろう。 「アリアッ!」 セシリーは一気に速度を上げてアリアの脇を追い抜いた。そしてコンバットナイフを手にした襲撃者とアリアの間に割って入り、すかさず回し蹴りで二人の襲撃者を薙ぎ払う。 「があはっ!」 襲撃者には一目もくれず、セシリーはアリアの顔をのぞき込む。アリアは申し訳なさそうに、けれど焦りを前面に押し出した表情を浮かべていた。 「……セシリー……」 「あなたはミハルさんのいる宿へ急ぎなさい。但し、冷静さは失わないように」 「……うん。わかった」 大きく頷き、アリアがセシリーの脇を抜けて通りを南下していく。小さくなっていくアリアの背中を見つめ、セシリーは寂しさに似た思いを胸に抱いた。 ずっと自分の背後にいたはずの少女。なのに今はあんなにも前に行ってしまった。 「……くそっ、なんだこのアマッ!」 「ぶっ殺せ!」 倒れていた二人が起きあがり、凄まじい怒気をセシリーに向けている。セシリーはゆっくりと二人へ振り返り、不敵に微笑んで見せた。 「街の西側からなだれ込んでいると言っていたわね」 「ああ?」 「あなた達が先行部隊なのかしら?」 おそらくはそうだろう。二人などという少数で突貫しているのを見る限り、偵察の意味を持つ先行部隊と考えるのが筋だ。 「……だったら何だって言うんだ、女ぁっ!」 「決まってるじゃない」 セシリーは両腕のリスト、両足のアンクレットに埋め込まれたジェムへ意識を注ぐ。仄かに輝きを帯びたジェムが雷撃を迸らせ、風もないのにセシリーの長い蒼髪が揺らめく。 以前はアリアの前を走って安全確認をする、まさしく先行部隊のような存在だったのかも知れない。でも今は違う。アリアはもう、護られている籠の鳥ではないのだから。 あの子の後は誰も追わせない。今のセシリーは先行部隊ではなくしんがり。前だけを見て進むアリアを影ながら支える存在だ。 「ここで私が、あなた達すべてを食い止めて見せるわっ!」 セシリーは高らかと宣言し、帯電した体で宙に舞った。 「はあっ……。はあっ……」 後方でセシリーが襲撃者達を足止めしてくれているお陰か、まだアリアの視界に敵の姿はない。だが繰り返し聞こえる爆音や銃声、悲鳴によって街の人間は恐怖に歪んだ表情を浮かべていた。 冷静にとセシリーは言っていた。だがそれができれば苦労はない。相手が大切な人であればあるほど、心の焦りは大きくなってアリアの背中をより強く押す。 ミハルの無事な姿を自分の目で確かめるまでは、決して胸の動悸は収まらない。 「はあっ……」 額に汗が滲んできた頃、ようやくミハルが滞在しているという宿が視界に映った。まだ周囲に襲撃者達の姿はない。 「……っ……」 宿の前に立つ一人の女性。それがミハルだと分かった瞬間、アリアの中の緊張が解けて安堵が浮かび上がってくる。 「……お、おか……。お母さんっ!」 「レイチェルッ!」 ミハルは轟音や悲鳴を聞いて宿の表に出て様子をうかがっていたのだろう。表情は恐怖や悲痛に歪んでいたが、アリアの姿を確認してほんの少し和らいだように見えた。 「よかった……。あなたも無事だったのね」 「うん……。お、お母さんも無事で良かった」 まだミハルをお母さんと呼ぶことに戸惑う気持ちも大きかった。でもアリアがミハルをお母さんと呼ぶたびにミハルが少しだけ微笑んでくれるのが嬉しくて、アリアは戸惑いを押し殺しながら噛みしめるようにミハルをお母さんと呼ぶ。 でもいつまでもここでのんびりしているわけには行かない。いくら大通りを西から迫ってくる襲撃者達をセシリーが食い止めてくれているとはいえ、街に進入するルートはそれだけではない。 「お母さん、街の西側から悪い人達が襲ってきてる。ここは危険だから、どこかに避難しないと……」 アリアがそう言いながら何処へ避難すべきか逡巡しているときだった。 「きゃあああっ!」 「……っ!」 ふいに身近で響いた悲鳴に、アリアはバッとふり返る。三十メートルほど向こう、建物と建物の合間にある小道から続々と武装した人間が姿を現し、手当たり次第目に付いた人を襲い始めた。 相手が女子供、老人だろうが容赦ない襲撃。抵抗すれば殺され、抵抗しなくとも痛打を受けて金品を奪い取られている。 肩が震えた。動悸が再び激しくなった。 目の前で人が殺されている。人が傷つけられている。その光景を目にする度、アリアの心がミシミシと嫌な音を立てて軋んでいる。 もう誰にも死んで欲しくない。人が死ぬのを見るのはイヤ。 反射的にスカートの内に仕舞い込んだハンドガンへ伸びそうだった手を自制する。今、アリアの隣にはミハルの姿がある。ミハルに、まるで殺人機械のように闘う自分を見られたくない。 「……あ、ああ……」 ミハルの口からも、悲痛な声がもれる。目と鼻の先の惨劇。それを目の当たりにして恐怖に肩を震わせているのかもしれない。 アリアが戦うかどうか逡巡している間に、襲撃者の魔の手はすぐそこまで迫っていた。もはや逃げることすら難しくなってくる状況。決断が迫られていた。 「お母さん……。――っ!」 不意の攻撃がアリアのスカートの一部を引き裂いた。風を切ってアリアを襲おうとしたのはどうやら矢のようだった。 「へへ、なかなかの上玉じゃねえか。そっちのお嬢ちゃんは高く売れそうだし、その女もまだまだ需要がありそうだな」 「…………」 先程街の中心で遭遇した襲撃者と同じように、平然と人身売買を行おうとする人間。アリアはそんな人間に憎悪にも似た感情を視線に込めて睨め付ける。その時だった。 「この子には手を出さないでっ!」 「……っ、お母さんっ!」 突然ミハルが飛び出し、アリアをかばうよう抱きしめて襲撃者に背を向けた。ミハルの熱がアリアを包み、優しい香りが広がっていく。 今までセシリーがアリアにしてくれたこと。きっとそれは今ミハルがしているように、大事に大事にアリアを護ってくれていた。 でもミハルはセシリーとは違う。ミハルは普通の人で、戦う力を持っていない。 「いいだろう、お前だけで許してやる」 襲撃者が歪んだ笑みを浮かべている。あれはこちらの言葉をこれっぽちも聞いていない。約束など破るのが当然だと思っている悪人の顔だ。 自分を護ってくれるために誰かが傷付くのはもう見たくない。そう思って、前にシェドがシルヴァランスの元仲間と戦っているとき、アリアは自らの意志で飛び出したのだ。 あの時と同じように、目の前で大切な人が傷付くのは見たくない。だから―― 「どいて、お母さん」 「レイ……チェル……?」 驚いた様子のミハルにアリアは笑みを零し、強引に体を離した。そして一歩、ミハルの前に立って襲撃者に毅然と対峙する。 ミハルの前で力を見せるのはイヤ。でも、それ以上にミハルが傷付くのはイヤ。 「私は戦う。それが、私の意志」 「何言ってんだこのガキッ!」 襲撃者が苛立った様子で矢を放った。ミハルの声ならぬ悲鳴を耳にしながら、アリアはすかさずハンドガンを取りだして矢を弾いた。 セーフティを外し、二丁の拳銃を両手に構えるアリア。かつては武器を手にする度に心が渇いていくような気持ちを覚えたが、今は違う。 「お母さんは、私が護るっ!」 アリアは自分の言い聞かせるよう強く言い、大地を蹴って銃の引き金を引いた。 |
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