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第二章 再会

 アルトレア大陸の北部。短い夏の期間だけ雪が溶け、森の地面には背の低い草木が繁茂する。厳しい冬を乗り切った動物たちは子育てに余念がなく、あちこちで母親が子供達の餌探しに精を出している。
 深い針葉樹林の森の中、しかし森の中ではなく木造の建物の中。光のジェムを使って隠蔽した空間に、世界を救うために結成された名も無き組織の基地がある。
 この世界に住まうすべての人の安全と平和を守るため、日夜世界中で戦っている同志達。ヴィクトリア=レンウィッグもその一人だ。
 だがここ二ヶ月、ヴィクトリアが救済を求める人々のために行われる任務に参加したという記録はない。愛馬であるペガサスのポニーと共に、あちこちをふらふらとまるで夢遊病患者のようにあてもなく飛び回っていた。
 理由はある。最愛の兄であるシルヴァランスが同志達のもとを去ってしまい、また二ヶ月ほど前にランバーグ西の平野で再会したとき、兄の同志達の元へは戻らないという頑なな意志を確認してしまったからだ。
 シルヴァランスがいない今の組織にヴィクトリアが在籍する意味などあるのだろうか。ずっとそればかりを考えて、それ以外のことに集中できない。そしてもう一つ、ヴィクトリアを困惑させる理由がある。兄と一緒にいた、あのセシリーと名乗った女だ。
 妹目から見ても、兄は押しに弱いというか、異性に免疫がないというか、良く言えば純朴な面を持っている。だからこそ余計に心配なのが、悪い女に捕まって、なんかこう、口では言えないようなアレやらコレやらを強要されたりしないのかということ。
「……っ」
 基地の一室で思わずヴィクトリアは頬を赤らめた。長くなってきた金髪を挟みながら両頬に手を添え、紅の瞳をまるまると見開く。
 はしたない想像をしてしまったからだろうか、肌が少し火照ってくる。だがそれでもヴィクトリアは思考を続けた。
 あのセシリーという女は一体、兄の何なのか。最初は頭ごなしに毛嫌いしたが、どうも悪い人間ではないような気もする。そしてどこか懐かしい面影を見たような気もした。
 でも、だからといって心中穏やかなわけではない。最愛の兄に近寄る悪い虫なのかもしれない。見た目は薔薇、でも本当は蜜に誘われた虫を食べる毒牙を持っているかもしれない。いやそうだ。そうに決まってる。ああ兄が心配だ。こうしてはいられない。早く行かなければ。いやでも本当にそうなのか。あんなに優しくしてくれたセシリーが本当に悪い女なのか。でもでもあれはヴィクトリアを安心させるための罠かもしれない。だからやっぱり――
「おいヴィクトリア、居るのか?」
「は、ひゃいっ!」
 突然のノックがヴィクトリアの思考を中断させ、思わずヴィクトリアは舌を噛みながら返事をした。返事を返した後、ヴィクトリアはぱたぱたと足音を立てて戸を開く。
 立っていたのは同じく組織に身を置く先輩、アイザックだった。相変わらず軽薄そうに微笑み、長い茶髪を流しながら鶯色の瞳でヴィクトリアを見つめてくる。
「なんでございましょう。わたくしは今、アレやらコレやらについて自分なりの見解をまとめている最中でございますの。無駄でどうでもよくて他愛もない与太話ならばナイ様かガネットさんにしていただけます?」
 ジトッと睨みながら強気に言うと、アイザックはヴィクトリアの言葉などこれっぽっちも聞いていないように、レディの前で堂々と鼻をほじっていた。何でこんな男を、シルヴァランスは組織にいた頃、兄のように慕って武術の稽古をつけてもらっていたのだろう。
「手短に言うとだな、ガルバトロスさんが不在で、ナイやガネットも忙しいから、手が空いてる人間が少ないんだよ」
「隊長さんはいらっしゃらないのですか? それにナイ様やガネットさんまで。セイクリッド・スピアのお二人が出張っていかれるとは、よほど重要な任務でございますの?」
「まーな。重要、っつーか、俺達ぐらいの力がないと難しいって言ったほうがいいか」
 ヴィクトリアは首を左に傾げる。
 確かに組織が行う任務の中には、あの悪名高い裏組織、ニーヴルに関わるような仕事もある。戦力が必要な仕事がないわけではないが、もしニーヴルに関する仕事なら重要と扱うべきである。だがアイザックはそうでないと言った。
「最近、各地でドラゴンが異常に目撃されてるんだよ。しかも質の悪いことに、人間を襲ってやがるんだ」
「な……っ! ほ、本当なのですか?」
 最強の魔物であるドラゴン。それは人間にとって見れば脅威以外の何者でもない。だが、最強最悪というイメージがありながらも、ドラゴンが人を襲う事例は今まで殆どなかった。目撃例は少なくないが、実際襲われて負傷した例は、過去の資料を見ても極めて少ない。
「ああ。……黒い影が強まってるってガルバトロスさんは言っていたが、もしかしたらその影響かもしれないな」
「…………」
「俺もこれから一仕事してくる。そしてヴィクトリア、出来ればお前にも一緒に来て貰いたい」
 アイザックが軽薄な笑みを消して真顔になった。
 ヴィクトリアに同行を願うということは、おそらく目的地ですでに多くの負傷者が出ているからだろう。ヴィクトリアは戦力としては無力だが、ヒールジェムの扱いに関しては組織でも群を抜いている。
「でも……、わたくしは……」
 まだ気持ちの整理がついていない。組織のこと、兄のこと、あの女のこと、そして自分のこと。
 実のところ、ヴィクトリアはシルヴァランスの居場所を知っている。
 デオラガーンという街でシルヴァランスの服にこっそりと忍ばせた魔波計の特殊ジェム。その後、ランバーグの西に位置する森の中でセシリーが、シルヴァランスがそのジェムを捨てたと教えてくれた。
 なのに何故ヴィクトリアがシルヴァランスの居場所がわかるかと言うと、その捨てられたはずの特殊ジェムから発せられる魔波がちゃんと移動し、未だに兄の位置を示しているからだ。
 その理由はわかっている。あの時セシリーは言っていた。これから自分たちが向かう場所のことを、ヴィクトリアに教えてくれた。きっと、シルヴァランスに内緒で特殊ジェムを持っているのはセシリーだろう。
 何でセシリーがヴィクトリアをそうまで信頼してくれているのかわからない。もう一度会って確かめたいとも思うけれど、会いたい気持ちと会えない気持ちが混じり合って踏ん切りがつかない。また前みたいに尾行されて、シルヴァランスの位置をアイザック達に知られるのはまずい。もう、兄の邪魔をしたくないから。
「気持ちの整理がついてからでいい。だが忘れるな」
 真面目な顔つきのままアイザックが言う。ヴィクトリアは泣きたい思いを堪えて顔を上げた。
「もしこの場にシルヴィーが居たとして、あいつならどうすると思う? 目の前で苦しんでるヤツが居て、それを自分が救えると知っているあいつなら、どう動くと思う?」
「…………」
「よく考えろ。お前が何故あいつを追ってきたのか。そして何故、俺達と共に世界を守ろうと思ったのか。ただ単に、兄の側に居たいだけの理由じゃなかったはずだ」
「……わたくしは、でも……」
「場所はテセアラの西にある小さな山村だ。近くまで来れば、俺の持つ特殊ジェムの放つ魔波で場所を特定出来るだろう」
 そう言い残してアイザックが踵を返した。ヴィクトリアはぱたんと戸を閉め、分け与えられた個室のベッドに横になる。
 ただ単に兄の側に居たいだけじゃない。本当にそうだろうか。自分は昔から、長兄のパーシヴァルではなく次兄のシルヴァランスにべったりくっついていた。だからこの歳になっても兄離れ出来ず、ただ側に居たいだけで追ってきたのではなかっただろうか。
 実際そうだった。ただ側に居たいだけで追ってきたのだ。でも、だけど――
「わたくしは、お兄様の思いに共感して……」
 世界を守りたい。自分一人の力でどこまで出来るかわからないけど、頑張りたい。
 そんな真っ直ぐな兄の思いを見て、聞いて、だからヴィクトリアは自分の意志で組織に加わった。自分には癒しの力がある。それで救うことが出来る人がきっと居る。世界の何処かで、ヴィクトリアの力を必要としている人がいる。その人達の役に立ちたい。
 何一つ答えなんか出ていない。何一つもやもやが解消されたわけでもない。
 でも、これだけはハッキリしている。うじうじ悩むよりも、自分のすべき事をちゃんとする必要がある。兄に言われたからではなく、自分の意志で参加した仕事を放棄することは出来ない。
「悩むことはいつでも出来る。でも、今出来ることを出来るのは、今だけなのですわ」
 そう自分に言い聞かせて、ヴィクトリアは立ち上がった。
 再び兄と再会するとき、堂々と胸を張って再会できるように。シルヴァランスにはシルヴァランスの正義が、ヴィクトリアにはヴィクトリアの思いがちゃんとあることを、互いが認めあえるように。
 だから前へ進もうと思う。止まっているばかりでは駄目だ。半歩ずつでもいいから、前へ、前へ進まなければならない。
 その思いを胸に、ヴィクトリアは部屋を飛び出した。

* * *

 馬車に揺られながら、シルヴァランスはちらちらと同行者の面々を窺っていた。一方隣のシェドは、落ち着き払って他者を寄せ付けない空気を全身から発している。
 まずスルトという、今回の任務のリーダー的な存在である男。見たところ三十歳の前半から半ばぐらいだと思われるが、本人曰くトルメキア軍の軍人だという。階級はわからないが、物腰などから決して雑兵ではないと思われる。
 そして後二人の男。二人ともシェド同様近寄りがたい空気を発していた。無駄な話は一切せず、ジッと瞳を閉じてあぐらをかいているリディックという男。そして舐めるように銃器の手入れを続けるハルベルト。
 そんな二人と対照的なのがフラーレンという妙齢の女だ。シルヴァランスと視線が絡むと、にこやかに頬を緩めて笑みを送ってくる。
 見るからに怪しい面々だ。この中では一番シルヴァランスが普通っぽい。自分でも分かってはいるが、なかなか元貴族の立ち振る舞いを消すことができない。
 本当ならドラゴンという強大な魔物に挑む仲間であるため、もっと積極的に交流を深めて連携意識を強めた方がいいのだが、どうも見た限り、この場に集った面々は独断行動が好きな一匹狼ばかりらしい。特にリディックとハルベルトの二人は。
「落ち着きねえな、お前は」
 ふとシェドが小声で気怠げに話しかけてきた。苦笑しながらシルヴァランスはシェドへ首を向ける。
「はい、まあ……。素性の知れない方々と行動を共にすることに慣れてませんので」
「何言ってやがる。俺なんかよりよっぽど図太い神経してるくせによ」
「心外ですね。自分では繊細で傷付きやすい性格だと思ってるんですよ? だから本当、あの人のいたずらやらで心労が絶えないんです」
 ここで言うあの人とは、もちろんセシリーのことを指す。セシリーも元ニーヴルの人間である故、階級不明の王国軍の人間が側に居る以上、極力名前は漏らさないほうがいい。
 シェドはシルヴァランスの反論をハンと笑い飛ばし、両腕を頭の後ろに回して馬車の壁にもたれて空を見上げた。
 シルヴァランスも習って空を見上げる。シルヴァランス達が旅路で乗っている馬車とは違い、今乗っている馬車には屋根が無く、主に農業や運送業に使われるものだ。
 青い空に白い雲。あの人の髪色と同じ澄んだ青空の青は、とても神秘的で、手が届きそうなのに決して届かない場所にあるような気がした。青は冷たいのか、それとも安らぎの色なのかわからない。
「……ところで」
「はい?」
 しばらく無言だったシェドが空を見つめたまま口を開いた。シルヴァランスは返事をしながら、頭上を飛んでいった白い鳥を目で追う。
「お前らって、一体どうなってんだ?」
「は? ……あの、何のことですか?」
 唐突すぎる上、主語がいまいち曖昧でわからない。お前らって、シルヴァランスと他に誰を指しているのだろう。一体どうなってるって、どんな答えを用意すればいいのか検討もつかない。
「あの女だよ。最近、お前と妙に仲いいじゃねえか。前の街で仲直りして以来、人目もはばからずというか、子供達の前でも平気でいちゃつきやがって」
「んなっ! な、何を言っているんですか、いきなり! 僕とセ……んん、か、彼女は決して、その、恋人とかそれに類するような関係ではなくてですね、あの、同じ目的のために集った存在であり、えっと、だから……、そう、仲間ですよ。単なる仲間なんです!」
「なんだ、ちゃっかり意識はしてんじゃねえか」
 シェドが悪戯っぽく口元を緩め、サングラス越しにシルヴァランスへにやけた視線を送ってくる。しまった、どうやら完全に墓穴を掘ったらしい。
「ぐ……。ガンブレイブさんもそうやって僕をからかうんですか……」
「眠くねえし、武器の手入れも済んでるからな。特にやることがねえんだよ」
 だからってシルヴァランスをからかっていいという理由にはならないはずだ。そう内心で憤慨しながら、シルヴァランスは憮然とシェドを見つめる。
「でも正直、お前が旅に加わってくれてよかったと、俺は思ってる」
「え? な、何ですかいきなり。またからかおうとしてるんですか?」
「違うって。あいつはさ、決して俺に弱みを見せないで全部自分で背負い込むようなやつだからな。正直、どうしたもんかと思ってたんだ」
 シェドの目が冗談半分から真面目なものに変わり、シルヴァランスは思わず瞬きを繰り返しながらその顔を見つめた。
 ここでいうあいつは、アリアではなくセシリーのことを指しているのだろう。アリアの心配をするのならともかく、シェドがセシリーのことまで気に掛けているとは意外だった。
「ホントはすごく脆くて柔な心を持ってるくせによ、子供達の前だからって気丈に振る舞いやがって。それに絶対俺を頼ろうとしねえんだよな、あいつは」
「……そうですね、特にあなたには頼り辛かったでしょう。あなたは子供達に頼られてますから」
「全く、変なところで大人だと質が悪いぜ。だがまあ色々心配ではあったが、お前のお陰で最近は随分マシになってきたな」
 ため息混じりに面倒くさ気に話す横顔は、どちらかと言えば他人を心配しているというより、自分に迷惑が及ぶのを鬱陶しく思っているように見える。けれどそれはシェドを知らない他人が見た場合の話であって、シルヴァランスはそうでないことをちゃんと理解している。
「どうでしょう。僕は別に何もしてあげられていませんし、とりわけ、あの人に頼られているなって思ったこともありません」
「嘘付け。結構自覚してるくせによ。……まったく、それだから子供達の前でもムッツリ呼ばわりされるんだぜ?」
「だ、だからそれは――」
「……おい……」
 シルヴァランスが反論しようと声を張り上げたとき、馬車の荷台に怒気を帯びた低い声が響いた。確認すると、ハルベルトが武器の手入れをしながら怒りの眼差しをシルヴァランス達へ向けている。
「黙れ貴様ら。いい加減にしねえとここでぶっ殺す」
「…………」
 長い前髪で隠れていない黄緑色の左目でギロリと睨め付けてくるハルベルトと、対照的にまったく動じず反応を示さないリディック。
「……失礼しました」
 シルヴァランスが丁寧に頭を下げながら陳謝すると、隣のシェドがハンと笑った。それを見たハルベルトが一瞬険しい表情をシェドに向けたが、すぐに舌打ちして武器の手入れを再開した。
 静かになった荷台。シルヴァランスは憂鬱そうなシェドを一瞥してから、先程シェドが言ったことを頭の中で反芻する。
 セシリーがシルヴァランスのお陰で変わったというシェドの言葉。
 シェドに指摘された通り、自覚がないわけじゃない。ただまだよくわからない部分が多いから、自分でも困惑しているだけだ。
 シェドが言った、セシリーが他人に頼らず全部自分で背負い込もうとする人だということは気づいていた。優雅な笑みで常に大人の女性を演じ、決して弱みを見せようとしない、強さと脆さの両面を持った人。たぶん、これはシルヴァランスの直感だが、ニーヴルに所属している、いた人間はみんな、シェドにしろセシリーにしろ、不器用なのだと思う。
 そして不器用なセシリーは他人に頼る術を知らない。いや、例え知ったとしても、心がセーブをかけてそうしようとしないだろう。
 だが偶然にもシルヴァランスはセシリーの閉ざされた心の部屋へ入る鍵を持っていた。例え一時でも同じ過去を歩んだことがあるから。
 シルヴァランスにとってセシリーは大切な仲間だ。でもそれ以上であるのかどうか、それはまだシルヴァランス自身よくわかっていない。
 同じ過去、同じ記憶の中にある一人の少女。彼女の面影をセシリーに求めているだけなのかもしれない。もしそうなら、何とも本人に失礼な話だ。
「ふぅ。時間を持て余すと、余計なことを考えてしまいますね……」
 独り言をそっとつぶやき、シルヴァランスは脳裏に浮かぶ人の髪と同じ、何処までも澄み渡った青空を仰いだ。


 朝一番でシェド達がティンベルの街を出ていった後、ミレーヌはアリア達と共にアリアの両親捜しに付き合っていた。
 東西南北と、十字に走る大通りが街を仕切るティンベル。今日は街の北西を徒歩で捜索していた。所狭しと建物が建ち並ぶ北西の区域を、細い道を縫い合わせるように進む。
 折角シェド会いに来てもなかなかゆっくり一緒にいることが出来ないことを、ミレーヌは結構深刻に考えていた。ここ数ヶ月、二人きりになれたことなどあっただろうか。
「ふぅ」
 最近少し焦ってる。それが何故かと言えば、実家である工房に戻ったときに顔を合わせることになるあの男が絡んでいるとミレーヌは自覚していた。
 あの男だ。あの男がミレーヌを狂わせる。自分のシェドに対する想いが揺らぎつつあるのも、それ以前に根本的に自分がシェドを本当に好きだったのかを考えさせられるのも、全部あの男の存在が関わってくる。
「はふぅ」
「ちょっとミレーヌ。さっきからため息ばかりつかないでちょうだい。聞いてるこっちまで気が滅入ってくるわ」
「……悪かったわね。気になるなら耳を塞いでなさいよ」
 アリアとシールディアが並んで前を進み、ミレーヌはセシリーと肩を並べていた。スラッと背の高いセシリーの方が視点が高いため、ミレーヌは上目遣いにセシリーを睨め付ける。そしてフンと鼻を鳴らして顔を背けた。自分でもかなり態度が悪いとわかっている。
 チラッと自分の薬指にはまるリングを見つめれば、リングはまるでミレーヌの視線を浴びて喜んでいるようにキラキラと太陽光を受けて輝いていた。何となく、作った人間と同じ性格を宿しているように思えた。
「あたしさぁ……」
 ふとミレーヌは隣を歩くセシリーに声を掛けた。セシリーが小さく「ん?」と唸る。
「シェドのどこを好きになったんだろ」
「あら、元気ないと思ったらそんなことを考えていたの?」
「まーね。何かさあ、自分でもよくわかんなくなっちゃったんだ。何で遠路はるばるシェドに会いに来て、そしてろくに話もせずサヨナラして、んでまた会いに来る。一体、何やってんだろうって」
 ミレーヌは腕を後頭部に回して空を見上げる。道の両脇に建つ建物の窓から窓に掛かったロープに洗濯物が干してあり、空はその先に浮かんでいた。
「ホントにあたしはシェドのこと好きなのかなあ? もし好きなら、何故、何時、どこを好きになったんだろ」
「そんなこと、私に聞かれてもわからないわ。あなたは子供じゃないんだから、自分の気持ちくらい自分で整理しなさい」
「はいはい、わかってますよ」
 わざと突き放すような言葉を紡ぐセシリー。だが不思議と不快な感じはしない。むしろ一方的に愚痴を聞いて貰い、そして何もアドバイスしないでくれた方がミレーヌにとってはありがたかった。
 答えは自分で見つけるしかない。それくらいわかっている。
 でも時折愚痴の一つも漏らしたくなる。そんなとき、ただ聞いてくれるセシリーの存在は素直にありがたい。悔しいけれど、やはりセシリーはミレーヌとは比べものにならないほど大人だ。
 少しは憧れの女性像としてセシリーを見習うのもいいかもしれない。しかしまあ、どうあがいてもあの胸には及ばないだろうけど。
「はあ……」
 本日何度目かわからないため息を零し、ミレーヌはがっくりと肩を落として歩き続けた。


 シールディアの隣をアリアが黙々と歩き続けている。胸元からネックレスタイプの魔練器時計を取りだし、右手でそれをキュッと握りながら歩いている。
 しかしその表情は魔練器が反応しないことに落胆しているそれではなく、もっと別の、何か心残りというか、心に引っ掛かることがあるように見えた。思考を読むまでもなく、不安や戸惑いといった感情が空気に乗ってシールディアへ伝わってくる。
「……シェドのことが心配か?」
 そっと尋ねてみると、アリアが素直にコクンと頷いた。シェドの実力を知っているためシールディアは無用な心配などしていないが、同じくシェドの実力を知っていながらもアリアは心配を拭いきれないようだ。
「わかっていても不安になるのだな」
「……うん」
 アリアが小さく頷くたびに、耳元の髪を結うリボンについた鈴がチリンと微かに音を奏でる。
 消せない不安。人が死ぬこと、特に知っている人間を失うことを何よりも恐れるアリアにとって、それは決して無くなることのない不安なのだろう。
 シールディアはこんな時に何と声を掛けていいものか逡巡したが、結局良解は見つからず、しばらく黙ってアリアの横顔を眺めた。
 裏通りは整備が行き届いておらず荒れ放題だった。路上に捨てられたゴミが異臭を放ち、柄の悪い人間が卑しい目でシールディア達をうかがってくる。だが今のところ向こうからちょっかいをかけられることはなかった。
 シールディアは少し歩幅を狭めて、追従するセシリーとミレーヌに並んだ。
「ミレーヌよ、そなたに頼みがある」
「え? なに?」
 以前、テムルの町で頼み事をした時のように、ミレーヌがぱあっと微笑みながらシールディアに顔を向ける。嫌がるどころか積極的に頼みを聞いてくれるミレーヌの笑顔は、どこまでも爽やかで屈託がない。
 シールディアは服のポケットからあめ玉くらいの朱い宝石を取りだした。炎のように、血のように朱い玉を、そっとミレーヌに手渡す。
「これは?」
「それは竜結石という。すでにわかっていると思うが、天使の波動、聖石が放つ特殊な魔波を感知する術を、ドラゴンやシェド達が所属していた組織は持っている。今は私がドラゴンの力で天使の魔波を相殺し、外部にアリアの存在を知られないように努めている」
「うん、それは知ってる。シールディアちゃんが居てくれるお陰で、他のドラゴンに襲われたり、ニーヴルに居場所を突き止められたりしないのよね?」
「うむ。だが四六時中一緒に行動できればいいのだが、もし今後、何かあって私がアリアの側を離れる時が来るやもしれん。そんな場合を考慮し、この竜結石を作った」
 シールディアの手前でミレーヌが矯めつ眇めつ朱い竜結石を見つめる。隣を歩くセシリーも、少し身を乗り出してのぞいていた。
「それは私の血液と魔力を籠めた特殊なジェムだと考えてくれればいい。それにはアリアの胸に埋め込まれた聖石が放つ魔波を相殺する効力がある」
「そうなの!? すっごーい、そんなこと出来るんだぁ。ドラゴンの魔力って、属性としては何になるのかな?」
 ミレーヌがあれこれと思考を巡らせながら独り言を続けるのを見守った後、シールディアは再び口を開く。
「そなたにそれをネックレスか何かに加工してもらい、アリアに手渡して欲しい。……むろん、そなたからアリアへのプレゼントとして、効力も伝えて欲しい」
 自分では手渡すわけにはいかないから。アリアにはシールディアがドラゴンであるということは伏せてあるし、天使がドラゴンを呼び寄せる存在であることも伏せてある。
「ミレーヌが開発した魔練器であり、ニーヴルに天使の波動を察知されぬよう、肌身離さず携帯するよう言ってほしい」
「えっ、で、でも、シールディアちゃんからアリアちゃんへのプレゼントなわけだし。それをあたしが、まるで自分が作ったみたいに言うのは……」
「頼む」
 シールディアは頭を下げた。すると空気に乗ってミレーヌの動揺が伝わってくる。
「……うん。わかったよ。だから頭上げて。ね?」
 顔を持ち上げた先には、すでに動揺の欠片も残ってない笑顔のミレーヌが居た。そしてシールディアの目を見るなり、ニカッと白い歯を見せる。
「セシリー、あたし達ちょっと抜けるね。アリアちゃんにも言っておいて」
 突然ミレーヌがセシリーにそう言ってシールディアの腕を取り、来た道を逆走し始めた。シールディアは目を白黒させながらミレーヌの顔を見つめる。
「なっ、一体何を?」
「んーとね、やっぱり、あたしからのプレゼントだっていうのは気が引けるんだ」
 息を切らしながらミレーヌが朗らかに言う。右手でシールディアの左手を掴み、左手には竜結石が強く握られている。
「しかし……」
「だからね、二人からの共同プレゼントってことにしようよ。簡単な加工機具は持ってきてるけど、ネックレスのパーツは持ってないんだ」
 初夏のほんのり暑い空気が漂う中走り続けているせいか、ミレーヌの額にうっすらと汗が滲んでいる。それでも、ミレーヌの笑顔は一ミリたりとも減っていない。
「だから、シールディアちゃんが装飾屋さんでネックレスを選んで、あたしがそれにこの竜結石を埋め込むってことでどうかな? ちょっと嘘になっちゃうけど、あたしが竜結石を開発して、シールディアちゃんがそれを埋め込むネックレスを選んだ。だから、このプレゼントは二人からだよって」
「…………」
 琥珀色の双眸をまん丸に見開いて、シールディアは屈託無く微笑むミレーヌの顔を見つめた。セシリーのように大人っぽくて母親のようにすべてを包み込む笑顔ではないが、ミレーヌの笑顔は見る者を元気にする真っ直ぐな笑顔だった。
 心がほわっと温かくなる笑顔ではなく、心が弾むような元気な笑顔。シールディアのまわりで、こんなにも他者を元気づけられるのはミレーヌだけだろう。
「……わかった。心して選定するとしよう」
「うんっ」
 シールディアの答えに満足した様子で頷くミレーヌ。シールディアは左手にミレーヌの手から伝わる体温を感じながらそっと頬を緩めた。
 セシリーには大人の女性として見習う点が多いと、アリア共々常日頃から思っている。だがミレーヌにも、こうして見習うべき、憧れにも似た目標として目指したい良いところが沢山あった。まだまだ自分は無知だとシールディアは己の浅学を自嘲すると共に、もっと先へ行きたいと強く願う。
 もしかしたら自分はアリアにちょっとした対抗意識を持っているのかもしれない。どちらが先に、よりオンナノコらしくなれるか。
「オンナノコ……か」
 その言葉はとても歯がゆく、くすぐったい気持ちを駆り立てる。自分がドラゴンであることを忘れさせ、アリアと双子の姉妹になったような錯覚すら覚える。それが不思議と心地よかった。
 シールディアとミレーヌは表通りに出ると、一直線に宝石やネックレス、指輪などを扱う店へ駆け込んだ。
 煌めく宝石達や、甘美な輝きを放つ金銀のアクセサリー。ドラゴンには無用な代物でも、今はそれに心惹かれる部分がなきにしもあらずだった。それもシールディアの変化の表れなのかも知れない。
「折角だからじっくり選んでいいもの作ろうねっ。……ああ、でも、あまりお金無いからすっごく高いのは無理」
「うむ。では手頃な価格でアリアに似合いそうな品を、時間を掛けてゆっくり選定するとしよう」
 シールディアが微笑むと隣のミレーヌも微笑み返してくれる。自分の笑顔に自信がつくのと同時に、自分の笑顔が他人の笑顔を引き出せたことを嬉しく思える。
 そして悩みに悩んだ挙げ句、シールディアは銀色のネームプレートにチェーンがついただけの簡素なものを選んだ。店でアリアと刻んでもらい、それを持って店を出る。
 帰り道もシールディアはミレーヌと手をつないで宿へ帰った。左手でミレーヌの手を、右手には紙袋に包まれたネックレスを握って。


 昨日の晩を馬車の中で過ごし、今日の昼前に山の麓で馬車を降りたシェド達は、自らの足で険しい山道を上っていた。
 殆ど木々の生えていない岩肌剥き出しの山道。一応登山道となっているらしく、まったく整備されていないわけではないが、それでも道は荒れており、どこまでも続いていそうな山脈がシェドを憂鬱にさせる。
 話に寄ればドラゴンが住み着いたというのは二つ山を越えた先にあるという。今日一日山登りを続け、そして明日の昼頃にドラゴンと対峙するそうだが、山登りだけで体力を使ってしまいそうだ。その上ドラゴンを倒した後、また同じ道を辿って馬車の所まで戻ってこなければならないとは、それだけで気分が滅入ってくる。
 一行はスルトを先頭に、シェド、シルヴァランス、フラーレン、リディック、ハルベルトと続いている。
 シルヴァランスは先程から何やらフラーレンと話しており、漏れ聞こえる会話から察するに、職業や趣味を問われているようだ。顔立ちのいいシルヴァランスのことだから放っておいても女が寄ってくることが今までも多々あったが、どうせ今回もそれだろう。
 リディックとハルベルトは旅が始まってからも殆ど口を開かず、完全に孤立した空気を発していた。シェドとしても得体の知れない連中とつるむ気などさらさらなかったため、好都合と言えば好都合だ。
「そう言えばガンブレイブ、君たちは旅人だったな」
「……ああ」
 ふと目の前を歩くスルトが振り返ってシェドを見つめた。スルトの身を包むトルメキア王国の王国軍制服がどうしても目に付いてしまい、シェドは少しだけ厭な顔をしてみせる。
「そうあからさまに厭な顔をしないで欲しいものだな。俺だって、黙々と一日半も歩き続けるのは趣味じゃない。話したくない内容には触れないとして、何かしら会話をしたいと思うのだが、……厭か?」
「いや別に。適当に話す分なら俺は構わないぜ」
「そうか」
 シェドを警戒するでもなく、自然な表情を浮かべるスルトが少し歩を狭めてシェドに並ぶ。年齢は一回りも上であるスルトだが、シェドは構わずため口で話す。
「あんたは軍の人間だったんだな。最初に酒場で会ったときは気づかなかった」
「軍服ではなかったからか? 酒場に軍服で来るのは普通に考えておかしいだろう?」
「そうだな。しかし、あんたの立ち振る舞いは地方の下級兵士って感じじゃないが、元はどこか有名な基地の士官か何かだったんじゃねえか? そして降格されて僻地に飛ばされたってところだろ」
 皮肉っぽくシェドが言うと、スルトは少し眉を顰めて自嘲気味に笑った。
「まあな。俺はこれでも数ヶ月前まで王都のトルメキア城警備のエリートだったんだ。しかし色々あってな、上官に任を解かれたんだよ」
 遠くを見るような目でスルトが空を仰ぎ、シェドは黙ってその横顔を見つめた。まるでかつての職場に多くの心残りがあるような、そんな表情でスルトはその蒼い双眸を細めていた。
「国のためならこの命、惜しくはないと思っていたが、この大事な時に俺は故郷付近の警備に飛ばされ、こうやって時折近くの街まで出張っては、何か問題が起きていないか調査するという仕事をしている」
 大事なとき。その言葉が妙に頭に引っ掛かったが、シェドが尋ねても軍事機密か何かで答えてはくれないだろうと不問に付した。
「……じゃあ、今回の仕事は軍が絡んでいるのか?」
「半分はな。この地域も俺が飛ばされた基地の管轄下だ。街の人間が困っている時、軍が何とかしなければならないだろう」
 シェドを振り返ったスルトの顔は精悍としており、シェドはこの時初めて、目の前の人間が自分よりずっと年上だということを認識した。まだ三十代半ばなのだろうが、その顔に刻まれた皺は深くて険しい。多くの心労がそうさせているのか他人であるシェドには分からないが、きっと厳しい過去を送ってきたに違いない。
「ハンターの報酬は軍の金と、もう半分は街の税金から持ってきている。それでも足りない分は俺の蓄えから出しているんだがな」
「……いいのか?」
「王都に居るときは忙しくてまったく金を使わなかったし、今住んでいる所はド田舎だから金を使う場所が殆どないんだよ。その上、妻もまったく金には色のない性格だから」
 渇いた笑いを飛ばしながらスルトが言う。
「結婚してたのか」
「そんなに意外か? これでもガンブレイブくらいの時にはすでに結婚して……」
 ふいに語尾を切ったスルトが表情を曇らせた。突然のことでシェドには理由がわからず聞き返すことができない。
 スルトはしばらく、まるで隣にシェドが居ることを忘れているかのように呆然と虚空を見つめていた。その瞳に映っているものが果たして何なのかわからないが、互いの話したくない事柄については触れないと先に断っているため、こちらから無遠慮に尋ねるわけにもいかずシェドは口をつぐんで黙っていた。
「……おっと、悪い。心ここに在らずって感じだったか。まあ、三十年以上人生やってると色々あるんだよ」
 我に戻った様子のスルトは先程よりいくらか影を帯びた笑顔でシェドを振り向いた。シェドはそのことには触れず、
「俺もまだ二十年だが、ずいぶん色んなことがあったさ」
 と言って白い歯をスルトに見せた。
 王国兵士というだけで過多な警戒を払っていたが、実際のところスルトがそこまで警戒する人物に値するかシェドは値踏みできずにいた。先程見せた、遠い目で過去を思い起こしているような横顔がどうしても脳裏から離れない。
 重たい空気が舞い降り、二人を沈黙が包む。互いに語りたくない辛い過去がある。そのことが、この場の空気を固めて重く二人の肩へのしかかっている。
 ちらっと背後を振り返ったシェドの視界に、フラーレンに腕を取られて戸惑うシルヴァランスの情けない表情が映った。取られた腕を胸に押し当てられて、シルヴァランスは卒倒しそうなほど顔を真っ赤にしていた。まったく、何をやっているんだか。
 シェドがため息混じりシルヴァランスの様子を伺っていたとき、
「……レイチェル……」
 隣でスルトが小さく誰かの名前を零した。
 シェドは聞こえなかった振りをして、そのままフラーレンにおもちゃ同様にからかわれているシルヴァランスを見つめていた。


 昨日も結局魔練器時計に反応はなかった。けれど最早それが当然だということもあり、アリアはさほど落胆することもなく今日の捜索に備えて気分を切り替えていた。
 これは心の何処かで自分の両親が見つからないと諦めているからだろうか。前はその街で両親が見つからなかったことをあんなに落胆し、辛い思いをしていたというのに、最近はそうでもなくなってきている。これは心が渇いてしまっていることを意味するのだろうか。薄情で、親への想いが薄れてしまっていることを意味するのだろうか。
「……ん……」
 アリアは鏡の前で顔を振る。ぐるぐると余計な事を考えて強面になってしまってはまたシェドに怒られる。こういうときこそ笑顔が大事。
 シェド手作りの黄色いワンピースに着替え、今日は少しだけ髪型も変えてみる。短めの髪で無理矢理ツインテールにし、鈴付きの朱いリボンで片方をとめ、もう片方はセシリーに借りた紺色の紐で結う。
「アリア、準備できた?」
「うん」
 先に支度を終えたセシリーが扉のところで待っている。セシリーは紐をアリアに貸してくれたため、予備が洗濯中ということもあり今日は髪を下ろしている。長くて艶やかな蒼い髪がなびき、いつもながらアリアは憧れに近い感情を覚える。
「シールディアとミレーヌは?」
「ああ、あの二人は何か用があるから行かないって。昨日も途中で居なくなったし、何やってるのかしらね」
 どことなく理由を知っていそうな雰囲気でセシリーがつぶやき、扉を開いた。アリアはその後を追って部屋を後にし、宿から表通りに出る。
「さて、今日は街の北東を捜索しましょう」
「うん。今日はヒューイも一緒」
「キューッ!」
 昨日は宿でずっとお留守番していたヒューイだが、今日はアリアが一緒に行くかと尋ねたら嬉しそうに鳴き声をもらして頭に飛び乗ってきた。荒野を旅してる間、きっと馬車に酔って元気がなかったけれど、昨日一日休んで元気になったのだろう。
 二人と一匹は表通りをしばらく北上し、その後東へ進路を変える。
 ティンベルの街の北東は比較的治安がいいと言われている。もともと治安が悪いということで有名な街だが、その中でも北東は他に比べて随分落ち着いた場所だという。
 もっとも、治安が悪いと言われる原因は街の南東部である。それ以外の地域はそこまで悪いわけではない。南東部はスラム街と化しており、ハンター業、特に表立って掲示されていない裏の仕事を専門にこなすハンターが多く住み着き、力がすべてという社会を作り上げているという。
 今日は北東、明日は南西を捜索し、明後日には南東も捜索する予定ではあるが、あまり気は進まない。記憶にない自分の両親がどんな人間なのかわからないが、それでもそんな場所に平然と住んでいるような人間ではあってほしくない。
「……っ……」
 ふと、曇り気味だったアリアの表情をセシリーがのぞき込むよう見て微笑んでいた。アリアは直ぐさま顔をふるふると左右に揺らして笑顔を整える。
 セシリーが、よし、といった具合にアリアから視線を外す。
 油断してては駄目。女の子は一にも二にも笑顔が大事。
 北東の街には広々とした空間にゆったりと家が建っている。所狭しと立ち並んでいた北西と違い、土地を贅沢に使った所だ。公園には噴水もあり、公園の周りには花屋や服屋など、目移りしそうなくらい多くの店も並んでいる。表通りに並ぶ大きな店ではないが、小さくとも沢山の商品を扱っていた。
 ふとアリアは服屋の前で立ち止まってその窓硝子に映る自分の顔を見つめた。ちょっと違和感のあるツインテールをそっと手で触れ、頑張って笑顔を繕ってみる。
「うん、いい笑顔よ」
「そう?」
 褒めてくれたセシリーにはにかんで見せ、アリアはもう一度硝子窓を見つめる。
 その時、硝子窓の向こう、実際にはアリアの後方に一組の親子が映った。噴水の近くで仲睦まじく笑いあう、父と幼い娘の姿。
 アリアはサッと振り返ってその親子を見つめた。
 アリアと同い年くらいの女の子が、父親だと思われる男の手を引いている。女の子は広場の先にある服屋を指さしており、男は女の子に手を引かれるまま穏やかな表情で歩を刻んでいた。
 あれが親子。色々な街で、色々な親子をアリアは見てきた。仲良さそうな親子もいれば、険悪そうな親子もいた。
 “私達は家族なんだから”
 セシリーの言葉が脳裏をよぎる。
 “いきなりでかい娘ができた気分だったな”
 シェドの言葉が脳裏をよぎる。
 自分たちは家族。そしてシェドはアリアの父親代わり。たぶん、そういうことになるのだろう。
 昨日思ったことをもう一度考える。アリアがシェドのことを心配に思うのは父親の心配をする娘の気持ちと同じなのだろうか。いつも一緒に隣に居て欲しいと思うのは、娘の父親に対する甘えと同じなのだろうか。
 もう一度目の前を過ぎていく父娘をじっと見据え、アリアは蒼い双眸を細めた。
 仲のいい父と娘。きっとあの二人はお互い好き同士なのだろう。家族としての好き。セシリーの言う好き以上の好きとは違うだろうけど、普通の好きとは違う家族の好き。
 今のアリアにはわかる。あれはそんな家族としての好きだ。
「……でも、違う」
「どうしたの、アリア?」
「ううん、何でもない」
 小首を傾げてのぞき込んでくるセシリーに笑みを返し、アリアは父娘に背を向けて捜索を再開した。
 自分の中にある、シェドに対する好き。でもそれは、父親に対する好きとどこか違う気がしていた。そして、本当の父娘の様子を見て確信した。
 シェドに対する好きは父親に対する好きじゃない。シェドは自分をアリアの父親代わりだと思ってるのかもしれない。けれど、アリア自身は自分をシェドの娘だと思ったことは一度もなかった。
 じゃあ自分は一体シェドの何なのか。自分の中にあるシェドに対する不鮮明で朧気な感情は一体何なのか。
 わからない。どこに答えがあるのか、どうやって探せばいいのか、まるでわからない。
「…………」
 ちらっとセシリーの窺うと、セシリーはアリアの頭から飛び移ってきたヒューイを大きな胸で抱きかかえながら戯れていた。自分とは違うセシリーの豊満な胸に溺れるヒューイに何となくムッとしたが、アリアはすぐに視線を前へ戻す。
 きっとセシリーはアリアの中にある問題の答えを知っているだろう。でも、今までもそうだったように、セシリーに答えを聞くのは反則だ。答えは自分で探してこそ意味がある。
 多くの感情を忘れ、多くの感情知らないアリアにとって、自分で答えを見つけることこそが、そんな感情を自分の中に取り込む唯一の方法なのだから。
「うん」
 きっともっと色んな事を知れば自ずと答えも見つかるはず。
 自分にない感情だからと言ってへこんだり落ち込んだりするのではなく、自分にない感情だからこそ知ろうと、知りたいと強く願うことができる。
 だから踏みとどまらない。一歩でも前へ進みたいから。
 自分の中にあるもやもやの答えを、自分でちゃんと見つけたいから。


 ヒューイとじゃれ合いながらも、セシリーは時折アリアの様子を伺っていた。
 先程からことある毎に一喜一憂している。きっと色々と思うところがあるのだろう。ああ考えては落ち込んで、こう考えては前向きになっているように見える。
 そしてたまにセシリーを振り向いて、ジッとしばらく見つめた後何も言わずに視線を逸らすのは、きっと自分が考えていることの答えをセシリーが知っていると思ったからだろう。それでも聞かずにいることを、セシリーは嬉しい反面、寂しい気もした。
 アリアが自分で全部解決しようとするのは、母であり姉である立場から言えば嬉しいことだ。それだけアリアが成長していることを意味するのだから。
 でも同時に、姉という立場に甘んじたいセシリーとしては、頼ってもらえないような気がして寂しい気持ちになるのも事実だった。昔から、「ねえ、お姉ちゃん」と今は亡き妹のシェミニールがひっきりなしに色々と頼ってきたことを思い出してしまう。
「……まあ、もう少ししたら、また色々と相談してくれるでしょうね」
 そう呟いて目を細める。目の前を歩くアリアは、魔練器時計を片手に首を大きく動かして辺りを見渡している。
 もう少ししたら、きっとアリアはもう一歩大人に、女の子なる。そうしたらまた、色々と悩みが出てくるだろう。友達のこと、家族のこと、そして恋のこと。
 今はまだ先の話かもしれないけど、そんな悩みをアリアから持ちかけられる日が来ることは素直に楽しみだった。好き以上の好きを知って、悩んだり、苦しんだりするアリアと一緒の時を共有したい。それは純粋に、母や姉としてではなく、アリアの良き仲間、友達としてそうしたい。
 そう考えたところで、ふとセシリーは眉を動かした。
「キュキュッ?」
「敏感ね、あなたも」
 セシリーの表情の変化に気づいたヒューイが鳴き声をもらし、セシリーは笑顔を繕ってヒューイの顎をなでた。
 何故セシリーが表情を少し強ばらせたか。その理由は至ってシンプルで、もしアリアが恋の相談を持ちかけてきたとき、自分はアドバイスしてあげられるだろうかということ。
 ハッキリ言ってあまり自信はなかった。他人の感情には敏感であるつもりだが、実体験がない以上、恋のアドバイスを自分が出来るとは思えない。
 以前立ち寄ったデオラガーンで、セシリーは不器用な恋模様を展開していた三人の男女に出会った。その時セシリーはすぐに三人の感情を読み取ることが出来た。それ以外にも、セシリーは他人の、特に色恋に関わる感情には鋭いつもりだ。
 でも自分のことに関してはからきしだった。それを最近よく自覚している。
「わかってるのよね。ホントはちゃんとわかってるの」
「キュー?」
 すたこらと歩き続けるアリアに聞こえない程度の声量で、抱いているヒューイに語りかけるようセシリーは言葉を紡ぐ。
「シルヴァランスのこと。私はシルヴァランスに惹かれてるんだって、自覚してる」
 いつからなのかハッキリしないが、セシリーの中でシルヴァランスの存在が大きくなっているのは事実だった。
 初めて会ったときに世界を守ると言って真っ直ぐな瞳をセシリーに向けたときからなのか、デオラガーンでニーヴルのエインフェリアからセシリーを護るために身を挺してかばってくれたときなのか、それとも互いの過去を知ってからなのか。
 きっとどれも正解でどれも違う。だって、セシリーはシルヴァランスのことが好きなのではないのだから。
「そう。私はずっと、シルヴァランスにパーシヴァルさんの面影を求めてるだけ」
 好きだけど好きじゃない。もしかしたら過去を知るずっと前から、シルヴァランスにパーシヴァルさんをの面影を見て惹かれていたのかもしれない。
 何とも申し訳ない話だ。自分が厭になる。何でこうも自分が弱いのか情けなくなってくる。でも、それでも、少女だった頃の淡い思い出は決して心の中から消えない。
「こんなにも恋愛不器用な私が、もしその時が来て、アリアの相談に乗ってあげられるのかしらね」
「キュゥー……」
 自嘲気味に笑うと、ヒューイが心配そうに鳴き声を漏らして抱きかかえられたセシリーの腕を飛び出し、ピョンと肩に乗ってセシリーの頬に白くてふわふわの毛を押し当ててきた。
「ありがとう」
「キュー……」
 慰めてくれるヒューイを撫でながらセシリーは空を仰ぐ。
 いつかこの気持ちに決着を付けられる日が来るだろうか。捨てきれずにいる、十三歳の頃の初恋。それがシルヴァランスに対する侮辱であると分かっているのに、決して消えない面影を追い続ける申し訳なさ。
 セシリーにシルヴァランスのことを想う資格はない。想ってもらう資格もない。だってセシリー自身が、シルヴァランスに対する想いを裏切っているのだから。
「何ででしょうね。歳ばかり重ねて大人になっても、私はあの頃のままずっと、成長していないのかもしれないわ」
 どうしようもなく辛くて、どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく不安で、どうしようもなく寂しい気持ちになると、どうしようもなく会いたい相手の顔が脳裏に浮かぶ。
 すっと瞳を閉じたセシリーの脳裏に浮かぶのは、輝く金髪に燃えるような瞳を携えた男の笑顔。でもそれは、二人の人間が混じり合ったようなピントのぶれたものだった。
「つくづく厭な女よね」
「セシリー、どうしたの? さっきからずっと辛そう」
 ふと気づけば、いつの間にか目の前で立ち止まっていたアリアが心配そうに眉根を寄せてセシリーを見つめていた。澄んだ蒼い双眸を微かに震わせ、ツインテールにした桃色の髪が荒野から吹き込む風で揺れている。
「……あら、そう見えた?」
「うん。何か……、寂しそうで泣きたそうだった」
「そう……。そうね、少し憂鬱な気分に浸っていたから、そのせいでしょうね」
「ユウウツ? 何か心配なの? ……シルヴァランスのこと?」
「え……っ?」
 アリアの口から零れた名前に、セシリーは思わず驚きを隠せず固まってしまった。何でアリアがセシリーとシルヴァランスのことについて言及するのか、不思議でならなかった。
「最近、セシリーとシルヴァランス、すごく仲がいい。だから、その、側に居てくれないから不安で寂しいの?」
「そ、それは……」
 アリアの端的な事実を問うような口調に、セシリーは内心自分を嘲笑った。妹分のアリアに気づかれているとは、自分でも気づかぬうちに相当露骨にシルヴァランスに依存していたようだ。
 またアリアの目にはセシリーとシルヴァランスが仲良く見えたのかと、別の意味でも自嘲する。セシリーはただ、シルヴァランスにパーシヴァルを重ねていただけなのに。
「セシリーは、シルヴァランスのことが好き……なの? 好き以上の好き……なの?」
「……違うわ」
「でも……、セシリーは苦しそう。セシリーが前に言ってた、好き以上の好きを知って苦しいって――」
「違うの!」
 思わず声を張り上げてしまい、アリアがビクッと肩を振るわせた。アリアに当たってしまったことを反省し、セシリーは頭を振って笑顔を整える。
「ごめんなさい。今日はちょっと気分が悪いみたい。心配してくれてありがとね。でも、もう少しだけ私一人で考えさせて。……答えが出たら、ちゃんとアリアにも話すから」
「……うん」
 まだ聞きたそうな顔をしてはいたが、アリアはセシリーの言葉を受けてそれ以上何も追求してこなかった。セシリーは微笑みながらそっとアリアの髪を撫で、小さな声でもう一度、ありがとう、と呟く。
 最近ますます自分が弱くなっている。それもちゃんと自覚している。
 だからこそ早く答えを出さなければならない。
 過去のこと、今のこと。パーシヴァルのこと、シルヴァランスのこと。
「もしかしたら、私がアリアに相談することになるかもね……」
 そう独り言を呟いて微笑みながら、セシリーはアリアの後を追って歩き出した。
 どこかにきっとある、自分だけの答えを探して。


 ティンベルの街を出た最初の夜を馬車の中で過ごし、次の晩は登山途中に野宿をした。そして予定では今日の昼前には標的であるドラゴンと対峙することになる。
 シルヴァランスは歩きながらもう一度装備を確認し、ジェムの魔力残量と剣の刀身をチェックする。シルヴァランス自身はドラゴンと戦うのは初めてだが、その実力は少なからず把握している。なんと言っても仲間にそのドラゴンがいるのだから。
「用心深いのですね。今日だけでもう三度目の確認じゃありませんか?」
「……ええ、用心しすぎるに越したことはありませんから」
 シルヴァランスに声を掛けてきたのは、亜麻色のストレートヘアを風に揺らす若い女。正確な年齢はわからないが、見た目はシルヴァランスと大差ない年齢に見える。
 フラーレンが薄暗い銀色の瞳を細めてのぞきこんでくるのを、シルヴァランスは愛想笑いでかわしながら視線を空へスライドする。
 どうもフラーレンという女はやりにくい。表面上笑顔を浮かべているものの、その裏では何を考えているのか得体が知れない。猫を被っているというのは間違いないだろうが、その意図がわからないため、不用意に情報を漏らしたり近づきすぎるのはまずいだろう。
 シルヴァランスは穏やかな笑顔を携えて隣を歩くフラーレンに警戒を払いつつ歩を刻み、遠目に見えてきた山の頂上を見やった。
 岩が剥き出しの山道。その先に映る頂上には、初夏だというのにうっすらと白い冠雪が見える。街と比べてずいぶん気温も下がり、今朝は吐く息も白かった。
 だが歩いて山頂を目指しているため体が冷えてしまう心配はない。適度に暖まった状態を維持し、ドラゴンとの戦闘にそのまま移行できれば理想的だ。
「グレインさんは、前にもドラゴンと戦ったことがあるのですか?」
「……いいえ、今回が初めてです」
「そうなのですか? 驚きました。いえ、とても落ち着いていらっしゃるから、前にも対峙した経験がおありなのかと」
「ははは、実は内心、かなりヒヤヒヤしているんですよ。意識したら怖くなって逃げ出してしまいそうです」
 事実、ドラゴンと戦うということに恐怖心が皆無というわけではない。だが他の同乗者はともかく、シェドが居るという事実だけでもずいぶん気が楽になる。
「そういうフラーレンさんはどうなんですか? 僕以上に落ち着いているように見えますけど」
「私も戦うのは初めてです。以前目撃したことくらいならありますけど、その時はまだ未熟な若輩者でしたから、尻尾を巻いて一目散に逃げ出しました」
 過去の自分を若輩者と言うフラーレン。もしかしたら外見以上に歳はいっているのかもしれない。見た目は十代後半の少女にしか見えないのだが。
「そうですか。ドラゴンの力は強大だと聞きます。危なくなったら何よりも己の命を大事にして、倒すことよりも無事に帰還することを第一に考えましょう」
「そうですね。お互い、生きて明日を迎えましょう」
 裏の読めない穏やかな笑顔を浮かべ、フラーレンの長い髪が尾根から吹きつける風でバサバサと靡いた、その時だった。
「来るぞっ!」
「……ッ……!」
 シルヴァランスの鼓膜をシェドの緊迫した声が揺らし、シルヴァランスは鞘から剣を抜きながら身構えた。
 頬に当たる風がザラリと嫌な感触を残し、全身を威圧的で鋭利な殺気が包み込む。じわりと汗が滲み、シルヴァランスがキッと瞳を細めた先、大きな黒い影が大空に羽ばたいた。
『ギャオオオオオオンッ!』
 空中で旋回しながら爆風を巻き起こし、大気を揺らす咆吼が天を衝く。人間の存在があまりにちっぽけに思えるくらい凄まじい存在感を持つ生物が、シルヴァランスの視界で空中に佇む。
「……ドラゴン……ッ!」
 ネービーブルーの鱗に頭部から突き出した鋭い二本の角。大きな口からのぞく長い牙に研ぎ澄まされた爪。雄々しい巨体を持ち、その巨体を支える巨大な翼をバサバサと羽ばたかせ、鋭い眼光に殺気を上乗せするその姿は、見る者全てを圧倒する。
 シルヴァランスは手に滲む汗を自覚しながら奥歯を噛み、強く剣を握りしめた。
「わかってはいましたが、凄まじい威圧感ですね」
 フラーレンが落ち着いた様子で言う。仮面を崩しておらず、やはりこの人は得体が知れないと認識しつつ、シルヴァランスはドラゴンへの警戒心を強める。
『グウウウウッ!』
 ひとしきり空中で旋回したドラゴンが大地に降り立ち、衝撃で岩肌に亀裂が走った。シェドがシルヴァランスに一瞬だけ視線を流し、シルヴァランスは首肯する。
「儂が先行する! 援護しろ!」
「えっ?」
 シェドが先行してシルヴァランスが援護するという計画を目で立てた矢先、突然後方からスキンヘッドの男、リディックが飛び出した。シェドの脇もあっという間に駆け抜け、一直線にドラゴンへ迫る。
「ちっ、無茶しやがって!」
 シェドが舌打ちしながら手に持った白銀銃のシリンダーにカートリッジを詰め込み、銃口をドラゴンへ向けた。
 シルヴァランスはシェドの脇を抜けてドラゴンとの間合いを詰め、剣を両手で握りながら刀身に埋め込んだウインドジェムに意識を注ぐ。
 リディックを一人で先行させてはまずい。フロントにリディックを置くにしても、援護できる人間が必要だ。
「リディックさん! 一人では危険です!」
 シルヴァランスの声に微塵も反応を見せず、リディックが大きく跳躍してドラゴンの顔面に拳を叩き込んだ。その巨大なドラゴン相手に徒手空拳で挑むリディックは、勇猛果敢ではなく暴虎馮河だ。
 直ぐさま援護出来るよう、剣先を上げてシルヴァランスはドラゴンへ迫っていく。だが時――
「俺のエモノだ! 邪魔すんじゃねえよっ!」
「……っ……!」
 当然背後から殺気を感じたシルヴァランスは反射的に左へ身を寄せた。一瞬前までシルヴァランスが居た場所を数多の弾丸が走り抜けていく。
「な、何をするんですかっ!」
「うるせえっ! あいつは、あのドラゴンは俺のエモノだっ! キシシシシッ!」
 奇っ怪な笑い声をもらしながら、乱暴に桔梗色の髪をなびかせてハルベルトがシルヴァランスの脇を駆け抜けていった。手に持っているのはフルオートのサブマシンガン二丁。背中にはガトリング銃を背負い、全身をガトリングの弾が包帯のように包んでいる。完全な銃器マニアだ。
 どうやらハルベルトは戦闘狂のようだ。今の攻撃も、シルヴァランスの反応が後一歩遅かったら確実にやられていた。あんなのと行動を共にしていたのかと、今更ながら肝を冷やす。
「あいつら、まったく連携しようって気がねえな」
 シルヴァランスの位置まで寄ってきたシェドが鬱陶しそうに呟く。
「そうですね。……確かに、腕は立つようですが」
 リディックが近々距離でドラゴンを翻弄し、後方からドラゴン目掛けてリディックごとハルベルトが銃弾を撃ち込んでいた。決して弾丸はリディックに当たっていないが、それはリディックの優れた戦闘力がそれを可能にしているのであり、ハルベルトの攻撃は無差別で容赦ない。まるで自分一人がドラゴンと戦っているかのような振る舞いだ。
「やり方は気にくわないが、彼らが倒してくれるのならそれはそれで問題ないだろう」
「そうですね」
 遅れてきたスルトとフラーレンが呟き、シェドとシルヴァランスも顔を見合わせて頷く。結果がすべて。これでリディックとハルベルトがドラゴンを倒してくれるのならば、それはそれで一向に構わないだろう。スルトの言うとおり、やり方はまったく賛同できないが。
 だがシルヴァランスがそう思ったのも束の間――
『グガアアアアッ!』
「ぎゃあああああっ!」
 突如、凄まじいドラゴンの咆吼と共にハルベルトの絶叫が周囲に広がった。ハッとしたシルヴァランスはドラゴンを見つめ、思わず目を剥いて固まった。
「な、何……? あ、あれは一体何なんですか!?」
 勝手に語尾が強くなり、額から汗が噴き出す。シルヴァランスの視界の先、ドラゴンが異形な形に変貌を遂げ、ハルベルトがその刃に胴を突き抜かれていた。
 刃。そう、刃だ。ドラゴンの翼が十六本の触手のように分離し、それぞれが鋭い刃のようになっている。尻尾の先も八つ又にわかれ、それぞれの先に角のような鋭利な部位が構築されている。
「あれは……ドラゴンなのか?」
 シルヴァランスの隣でシェドも目を見開いて固まっている。
 普通のドラゴンは巨大なトカゲに角と牙が生え、巨体を宙へ舞い上げるための巨大な翼を持った姿をしている。そして目の前のドラゴンも、対峙した時は例に漏れずその姿をしていたはずだ。
 あんな異形のドラゴンは見たことがない。以前ラーミアの遺跡で、そしてデオラガーンで見たシールディアの本当の姿は、圧倒的な力強さとともに神の創り出したまさに造形美があった。だが今目の前でハルベルトの腹を引き裂いたそれは、あまりに禍々しく異形な怪物だった。
「さしずめ、ブレイドウイングにカッターテイルといったところかっ! くそっ!」
 スルトが吐き捨てるように言い、腰からトルメキア王国の国花であるサナリーが刻まれている剣を抜き、両手に構えた。
「あんなドラゴンは私も初めてです」
 ここでもフラーレンは至極落ち着いた様子だった。いや、表面上焦っているような印象を与えるが、シルヴァランスはそれが演技っぽく見えて仕方なかった。
 だが今はそんなことどうでもいい。フラーレンが何者なのか詮索する暇などない。今はただ、目の前の敵をどうするかを考えなければならない時だ。
「……っ!」
 目の前で、八つ又に分かれた鋭い尻尾、カッターテイルをかわしたリディックが、後方から迫った十六本の鋭い翼、ブレイドウイングに串刺しにされた。大量の鮮血が飛散し、リディックの口から血の塊が大地へ落ちる。先程まであれほどドラゴンに猛々しく拳を振るっていたリディックがあっけなく絶命する。
「ちぃっ! どうする? 一旦退くか?」
 シェドの判断。それはもう、リディックとハルベルトは駄目だということだ。そして戦力を欠いた自分達はどうするのか。道は二つ。
「……いいえ、僕は大丈夫です。スルトさんとフラーレンさんは?」
「こんなヤツ、放っておいたら大変なことになる! 俺は一人でも残る!」
「私は傭兵です。スルトさんの意見に従います」
 本当に一人でも突貫しそうなスルトと、真意の見えないフラーレン。スルトが剣を構え、その隣でフラーレンが細長い、物干し竿のような棍棒を構える。
 シルヴァランスがシェドを見つめると、シェドがやれやれと言った具合に歯を剥いた。この状況であれだけ飄々とした態度を示せる以上、勝算は十分あるのだろう。
「俺が魔弾で援護する。その間お前はドラゴンの注意を引いてくれ」
「わかりました」
 自分の中でイメージしていた通りの戦術。先程はシェドをフロントにシルヴァランスがその援護に回る作戦を立てたが、相手の攻撃範囲、可能連続攻撃数が増えた以上、フロントにはアタッカーではなく、ひたすら避けに徹することができる人間がいいだろう。その役目は、アクセラレータを持つシルヴァランスの方がシェドより向いている。
 この時、シルヴァランスもシェドも自分たちが犯したほんの小さなミスに気づかなかった。自分たちの正体を明かすに等しい、初歩的なミスを。
 そのミスを見逃さなかった女が居た。
「……うふ、うふふふふふ……」
 シルヴァランスが飛び出そうとした瞬間、フラーレンが不気味な笑い声を漏らした。思わず足を止めたシルヴァランスは、振り返ってフラーレンを見つめる。
「そうでしたか……。やはり……、“魔弾”でしたか……」
 ギラリと銀色の瞳に光が走り、亜麻色の長い髪を揺らしながらフラーレンが不敵に微笑んだ。


 その瞬間、シェドは反射的に銃口を女に向けていた。だがシェドが引き金を引くよりも早く女の姿はサイトから消え、直ぐさまシェドの喉元目掛けて長い棍棒が襲いかかる。
 不気味に笑む女、フラーレンの攻撃をかわして間合いを取り、シェドは険しい表情でフラーレンを睨め付けた。
「な、何をしている!」
 シェドとフラーレンのやりとりを見たスルトが声を発するが、今はそれどころではない。確かにドラゴンのことも放ってはおけないが、自分とシルヴァランスが力を合わせれば撃破できるだろうと予測できた。だがその状況が一変したのだ。
「……お前、どうも胡散臭いとは思っていたが……。ニーヴルの人間かっ!」
「うふふ。はい、そうです。S級エインフェリア、“鉄壁”のフラーレン=フェイルです。初めまして、“魔弾”のシェド様」
 不敵に笑うフラーレンの瞳にはドラゴンなど映っていない。嬉々とした瞳に映るのは、かつてエインフェリア中に名を轟かせた魔弾の男。
 警戒して名を伏せ、極力周囲に正体がばれないよう注意は払っていたつもりだったが、どうも安易なミスを犯してしまったようだ。だがどのみちドラゴン相手には魔弾を使う羽目になるだろうから、遅かれ早かれ同行者の中に組織の人間が居た以上、ばれてしまったかもしれない。
「ニーヴル……? ま、まさか、お前達はあのニーヴルの人間なのか!?」
「……っ!?」
 フラーレンの正体にも驚いたシェドだが、今の言葉にも大きく驚いた。言葉を発したのはシェドの直ぐ隣に立っていたスルトだった。
「そうですよ。あら、スルトさんはニーヴルの存在をご存じなのですか?」
「…………」
 無言の肯定だとシェドは受け取った。
 スルトがニーヴルの存在を知っているという事実。確かにニーヴルはトルメキア皇室と裏でつながっているが、そのことは決して公に晒されていない。そんな組織の情報を知っているとすれば、スルトは軍の中でもかなり上位の位置に属する士官であるはずだ。そんな人間が何故ティンベルの街などにいたのか。
「ど、どうしますか、シェドさん!」
 シルヴァランスはドラゴンに向けて剣を構えている。ただその表情は硬く、額に汗が滲んでいた。いくらシルヴァランスとはいえ、シェドの魔弾の援護無くあの異形なドラゴンを相手にするのは不可能だろう。
 どうするか。口角を持ち上げて笑むフラーレンの実力はわからない。だがS級だと名乗る以上、セシリーと同程度以上に見積もる必要があるだろう。
 そしてスルト。驚きと共に険しい視線をシェドとフラーレンに向けている。向かってくる意志はなさそうだが、まるで頭ごなしにニーヴルの連中を毛嫌いしているようだ。
「……スルトさん」
「何だ」
「信じてもらえないかもしれないが、俺はもうニーヴルの人間ではない。むしろ追われる側の人間だ」
 シェドはフラーレンに警戒を払いつつ、スルトへ真摯な視線を送った。今はこれ以上敵を増やすべきではない。そして仲間にできるなら仲間に引き込むしかない。
「俺達の目的は唯一つ。無事に帰ってあんたから報酬を受け取り、ティンベルの街を去ることだ」
「…………」
「頼む。手を貸してくれ。俺とシルヴァランスだけではこの状況を打破できない」
 スルトが考え込むように眉を顰める。その蒼い双眸に果たしてシェドがどう映っているのか、今はスルトの答えを待つしかない。
 目の前には悠々と構えるフラーレン。背後には圧倒的な殺気と威圧感を与える異形なドラゴン。どちらもまだ仕掛けてこないが、いつまでもこの静止状態が続くわけがない。
「――いいだろう、今はお前を信用しよう。……シェド」
 ファミリーネームしか名乗っていないはずだが、スルトがシェドの名を口にする。そこに含まれる疑念と不審。だがそれでもスルトはシェド達の側についてくれた。そのことに感謝しつつ、シェドはシルヴァランスに指示を飛ばす。
「シルヴァランスッ! こいつの相手はお前に任せる! あのドラゴンは俺とスルトさんでどうにかする!」
「……わかりました」
 シェドの言葉の後、間を置いてからシルヴァランスが返答する。ドラゴンに警戒を払いつつ後退したシルヴァランスが、一瞬シェドの目を見てからフラーレンと対峙する。一瞥をくれたその瞳に迷いが滲んでいたのを、シェドは見逃さなかった。だが、それでも――
「わかってるだろうな」
「……はい」
 シェドは釘を刺し、スルト共にシルヴァランスに背を向けて駆け出した。
 正体がばれた以上、組織の連中に自分たちの居場所を知られないため、この場で必ずフラーレンを殺す必要がある。それが自分のためであり、アリアの――
「……違う……」
 心の言葉をかき消し、シェドは唇を噛む。
 アリアのためではない。アリアのために人を殺すのではない。敵味方他人問わず人が死ぬことを恐れる、アリアのためではない。自分が、シェド自身が逃げ延びるために殺すのだ。決して誰かのためではない。
 シェドが逃げ延びるために殺すべき敵をシルヴァランスに任せ、シェドはスルトと共にドラゴンと対峙する。
『ギャオオオオオオンッ!』
 ビリビリと鼓膜を揺らし、肌をナイフで抉るような咆吼。禍々しく奇っ怪な姿をしたドラゴンを見据え、シェドは不敵に笑った。
「どうやらお前はシールのお仲間じゃねえみてえだな。なら、遠慮なしでやらせてもらうぜっ!」
 長かった静止状態が終わり、再び戦の炎が舞い上がる。


 昨日一日ツインテールで過ごしたアリアだが、今日は元通りショートボブに戻してティンベルの街の南西地区を歩いていた。今日もミレーヌとシールディアは何やら用があるといって宿に残り、セシリーと二人で捜索を続けていた。
 今アリアの身を包むのは、ノーカラーの朱い半袖トップに黄色のキュロットスカート。首に黒のチョーカーを巻き、髪にはいつも通り鈴付きリボンと宝石が鏤められた薔薇の髪飾りが輝いている。
 隣を歩くセシリーは珍しくワンピースの白い服を着ていた。いつもツーピースの服を着ているため、セシリーのワンピース姿はあまり見慣れていない。借りていた紐も返上したので、今日はポニーテールに蒼い髪を結っている。どことなく今日は普段より子供っぽいというか、大人の女性というより少女に近い格好をしている。
 ティンベルの街の南西地区はこれと言って特徴のない、長閑な田園風景が広がっていた。多くの食料は他の街から輸入されるのだが、中には自給自足にこだわる人もいるらしく、中継都市とはいえ少なからず農家があるらしい。南西地区はそんな農家がポツポツと点在する穏やかな場所だった。
「一体シールディアとミレーヌは何をしてるの?」
「妙な魔練器でも作ってるんじゃない?」
 てくてくと歩きながら何となく疑問を口に出したアリアにセシリーが素っ気なく答える。まるでそんなことはどうでもいいと言わんばかりだ。
 セシリーが素っ気ないのは、きっとシルヴァランスの事を考えているからだとアリアは思った。少し前からだけど、何となくセシリーとシルヴァランスがただの仲良しからもう少し前へ踏み出しているような気がしていたから。
 家族の好き。たぶんそれもあると思う。けれどそれとは別に、それこそ、アリアがシェドのことを父親としての好きではない好きなのと同じように、きっと家族として好きとは別の好きがあの二人にもあるように思えた。
 チラッとアリアがセシリーの横顔を盗み見ると、普段ならいつでも凛として大人であるセシリーの横顔が憂いを帯びたようにしなだれていた。普段鏡で見慣れた、元気のない時の自分を見ているようだ。
 好き以上の好きなのかと尋ねたとき、セシリーは怒ったように声を張り上げた。だからアリアもそれ以上は何も聞かず、じっと黙ってセシリーを観察している。時折目が合うから、きっと観察していることはばれているだろうけど。
「……アリアは」
 ふと、押し黙っていたセシリーが口を開いた。
「やっぱり、シェドのことが心配?」
「……うん」
「そう。そうよね、それは当たり前のことよね」
「……?」
 何が言いたかったのか、それだけ尋ねるとセシリーはまた黙り込んでしまった。今の質問に何の意図があったのか考えてみるが、アリアにはそれがさっぱりわからなかった。
 でも、そんなセシリーの思惑を探ることよりも、蓋を開けてしまったことでシェドへの不安が募ってしまった。なるべく考えないように、考えると顔が強ばってしまうから頭の片隅に追いやっていた不安な気持ちが溢れてきてしまう。
 逢いたい。一緒にいたい。
 そんな想いがアリアの胸を満たしていく。自分でもおかしいくらいシェドに依存している。ただ世界を回る必要があるという、それだけの目的で一緒に居てくれる相手にそんな強い依存心を持ってしまっていることに、罪悪感すら覚えてしまう。
 もしかしたらシェドにとってみればいい迷惑なのかもしれない。生きがいが見つかったら別れる相手、両親が見つかったら別れる相手。ただのそんな相手に執拗に頼られるのは、本当は嫌で嫌で仕方ないのかもしれない。
 そんな発想はアリアの胸を締め付ける。苦しくて悲しく、切ない気持ちになる。
 シェドの気持ちが知りたい。何で自分の側にいてくれるのか。何でいつも護ってくれているのか。何で、何で、何で――
「……ッ……」
 その時、突然アリアの思考はストップした。ピタッと足も止まり、追従していたセシリーが脇の抜けて不思議そうに顔をのぞき込んでくる。
「どうしたの? アリア?」
 セシリーの呼びかけにも反応できない。視線は一点を見つめたまま固まってしまい、瞬きすることを忘れている。
「あ……、ああ……」
 何で? どうして?
 体が小刻みに揺れる。待っていたはずの時なのに、何で体は拒絶するように震えるのだろうか。
 アリアはそっと怯える眼差しでセシリーを見上げた。首を傾げるセシリーに、アリアは左手に持つそれを見せた。
「……あ……」
 セシリーの表情が驚きに変わり、その口から小さな声が漏れる。
 アリアの手に握られたもの。それはアリアの両親に関する唯一の手がかりであり、精確な時を刻むと共に特殊な魔波を放って互いの存在を意識する魔練器。
 その魔練器が、淡い光と共に微かに共鳴していた。
「まさか。えっ……? えっ……?」
 セシリーが慌ただしく周囲を探る。畑や田んぼが広がる道に人の気配はなく、美しい緑だけが視界に広がっていた。
「っ!」
 わけもわからず、思考もままならないまま、アリアは駆けだした。セシリーがその後ろに続く。
 動悸が激しい。呼吸は上がりっぱなし。喉の奥がカラカラで、胸が張り裂けそうなほど締め付けられる。
 様々な感情が堰を切ったようにあふれ出してくる。焦燥、安堵、不安。それらはけっして一色でまとめられるような同じ種類の感情ではなかった。
 整理できない。思考は滅茶苦茶だ。きっと今、自分の顔は困惑に歪んでいる。
 それでもアリアは走り続けた。体が勝手に、思考を待たず意志を挟まず走り続ける。
 どれくらいその状態で走っただろう。たぶん時間にしてみれば数分のことだ。けれど、アリアにはそれが何時間にも及ぶ過酷な全力疾走だったように思えた。
「はあ……、はあ……」
 息を切らして立ち止まったアリアの視界に一人の女性が映った。
 綺麗な女性だった。シールディアのような輝く銀色の髪は長く、肌は磁器のように白い。背は低く、細身であることから少女にも見える。でも同時に、柔らかなカーブを描く体と気品漂う落ち着いた空気は、完成された大人の女性を顕している。
「……?」
 女性がアリアに気づき、驚いたように空色の瞳を丸々と見開いた。アリアがギュッと強く右手で握りしめている魔練器時計を一瞥し、さらに驚いた表情を浮かべてアリアの顔をまじまじと見つめてくる。
 ドクンと大きく心臓が脈打ったのがわかった。聖石が熱を帯びた時に感じる息苦しさとは違う、もっと別の、不安と恐怖が絡み合って少しだけ安堵が混じった苦しさがアリアの小さな胸を押しつぶそうとする。
 走り出したときは、もしかして――だった。けれど今は違う。
「ぅあ……」
 アリアは震えた。勝手に涙が瞳から零れた。いつの間にか喉から嗚咽が零れていた。
 目の前の女性が胸元から古びた時計を取りだす。淡い光に包まれた時計を見つめ、そして再びアリアへ視線を戻し、女性の瞳にも涙が滲んだ。
 止まっていた時が再び動き始めたように、羽を休めていた鳥が再び大空へ羽ばたくように、アリアの中のすべてが変わっていく気がした。
「ああ、ああああああっ……」
 言葉にならない声が漏れ零れ、アリアは一歩、また一歩前へ歩を進めていた。
 確信。それがアリアを突き動かす。記憶に残っているわけでもないし、実際に確かめたわけでもない。けれどもう、アリアの中にはちゃんと答えがわかっていた。
 この人だ。この人が自分の母親だ。
「レイチェルッ!」
 女性が聞き覚えのない、いや、遙か昔に聞いたことがあるような名前を叫びながら駆け寄ってきて、アリアの体を強く強く抱きしめた。
 頭の中が真っ白なまま、アリアはただただ泣いて、強く女性にしがみついていた。
 漠然とした不安、恐怖が胸を締め上げるのと同時に、温水のような暖かい気持ちが心を満たしていく。
 今はただ、泣くことしかできなかった。
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