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第一章 予感 この世界に存在する二つの巨大大陸、アルトレア大陸とハルモニカ大陸。その二大陸の間にはエルトリアオーシャンが広がり、世界地図で言えば東西真っ二つに世界は分断されている。 二大陸間の交流はここ何年も途絶えていた。それはアルトレア大陸最大の国家、トルメキア王国がアルトレア中の国をその支配下に置き、さらには別大陸にまで侵略の手を伸ばそうとしていたからである。 そして今、それはまさに実行されていた。 ハルモニカ大陸西南のとある小さな港町。そこが海を渡ってきたトルメキア軍によって強襲され、すでにトルメキア軍の支配下に置かれていた。宣戦布告のない突然の強襲でラファルの街を手に入れたトルメキア軍は、その街にこれから始まる戦争の前線基地を設置し、次々と入港する船がアルトレアから物資や人を運び込んでくる。 しかしハルモニカ大陸中心部に位置し、ハルモニカ大陸ほぼ全土を支配する強大な軍事国家、ヴァレイ帝国も黙ってはいなかった。迅速な行動のもと、ラファル周辺にある駐屯基地からすぐさまラファルの街を取り戻すべく軍が動き出していた。 両陣営はラファルから北東におよそ五十キロほど離れた広大な平原で、まさに激突していた。 「……どうしたんですか、レイナス将軍? そんな険しい顔して」 「笑いながら戦争はできんよ。それに……」 小麦色の髪を風に揺らし、鳶色の瞳で後方から戦場を見つめる四十代半ばの大男。口の周りを囲むように顎髭を生やし、筋肉質で無駄のない体を青銅の鎧で覆っている。腰には剣とライフルを携え、鎧の胸元にはトルメキア王国の国旗にあるサナリーの花が描かれてあった。途中で言葉を切って一層険しい表情を浮かべた小麦色の髪の男、レイナスに、脇にいた十代後半の青年がにこやかに尋ねる。 「それに、何ですか?」 「これは戦争じゃない。俺達軍人の仕事は無いに等しい」 「そんなことありませんよー。みなさん役に立ってくれてます」 睨むように青年を見つめるレイナス。栗色の短い髪に細いえんじ色の瞳。戦場だというのに黒のタートルネックにカジュアルパンツというラフな格好で、その青年、アルフレッドは、自分を睨むレイナスへ線のように細めた瞳で笑顔を送る。 「俺達は何もしてないさ。そう、何もな……」 レイナスは再び戦場へと視線を向けた。レイナスの視界で眩い閃光と凄まじい爆発が繰り返し起こり、その度に大地がえぐれて多くの人間が血反吐や内臓を飛ばしながら崩れ去っていく。まさにそれは戦争だ。だが、倒れ、そして死んでいくのは皆、ヴァレイ帝国の軍旗を掲げる人間ばかりだった。 レイナスが手塩に掛けて育て、厳しい訓練を乗り切ってきた兵士達。彼らの姿は、レイナスとアルフレッドの少し手前、前線からかなり後退した場所に陣取り、ジェムや大砲などで遠距離攻撃に甘んじている。 前線で圧倒的な力のもと、敵軍の兵士達を羽虫のように駆逐していく存在。それは背中から実態のない半透明の翼を生やし、目に見えるほど威圧的な金色のオーラで全身を包む、幼い少女達だった。 猛々しく少女が拳を振るえば、巻き起こる風だけで敵陣に爆風が走る。一度大地を殴りつければその鳴動でレイナスの居る場所にまで振動が伝わり、少女が両手を輝かせて放った光弾が敵陣に突き刺されば、凄まじい爆発と共に真っ白な閃光が世界を駆け抜ける。 あまりに圧倒的、一方的な戦いを、レイナスはただ険しい表情で見ていることしかできない。申し訳なさ程度の援護しかしていない王国の正規軍もさることながら、たった四人の少女が戦争の行く末すべてを決めるという事実に、レイナスは奥歯を噛みしめずにはいられなかった。 「アルフレッド、首尾はどうだ?」 ふいにレイナスの耳へ低い男の声が響いた。レイナスがゆっくり振り返ると、そこには黒のスーツで身を固める、三十代後半の男が三人の少女を連れて立っていた。 赤茶けた短めの髪は整然とセットされており、雨雲のように濁った灰色の瞳には顕著な感情が含まれていない。彫りの深い丁寧な作りの顔をした男が、ゆったりとレイナス達のもとへ歩み寄ってくる。 そして男の後に続く三人の少女達。それは前線で敵兵を討ち滅ぼしていく少女達と同じように感情という色を持たない、“心なき天使達”と呼ばれる“天使”だった。 「あっ、社長。全く問題ないですよ。この調子でいけば、一ヶ月以内に近隣の都市は制圧できます。その後、本国からの補給を待てば、ヴァレイ本国の制圧も遠くありません」 「そうか」 アルフレッドが笑みを浮かべながらレイナスの隣を離れ、現れた男の元へ駆け寄っていく。レイナスは目を細めながら男を睨め付け、レイナスの視線に気づいた男が社交的な笑みを浮かべる。 「レイナス将軍、少しアルフレッドと二人で話があるのだが、よろしいか?」 あくまでクールに、あくまで事務的に話す男に、レイナスは背を向ける。男はアルフレッドとを連れてその場を去っていく。同時に少女達も男についていった。 爆風がレイナスの髪を揺らし、轟音が鼓膜を打つ。迸る閃光を遠目に見つめながら、 「一体何を考えている。ルシフェル=ガブリエスタ!」 レイナスは吐き捨てるようにそう言った。 * * * 荒野の真ん中にあるティンベルの街は、大都市をつなぐ中継都市として栄えている。しかし他の中継都市と違い、北と西を荒野、東を高い山脈、南を砂漠に囲まれている辺境の街であるため、わざわざティンベルを通って他の都市へ移動する人間は多くない。 他の中継都市は通るのに通行料を税金としてとられるところもあるが、どこもティンベルよりよほど交通の便はいい。従ってティンベルを通るのは金に困った個人商人か、何か検閲が入るとまずいものを運搬する裏世界の人間ばかりだという。 東西南北に走る表通りに並ぶ店は一見活気在るように見えるが、一歩裏通りに繰り出せばそこは荒れくれ者達が集う無法地帯だという話だ。 アリア達は狭い土地に赤煉瓦の建物がびっしりと建ち並ぶティンベルの街を北門から入り、北門と南門を結ぶメインストリート沿いの三階建てでがっちりとした宿屋に馬車を入れた。中継都市である故、どこの宿屋も馬や馬車を止める広いスペースを持っている。 一階が馬小屋兼車庫。二階に受付や食堂、シャワールームなどがあり、客室は三階だった。年中ガラガラだというオーナーの話を聞きながらシェドがしばらくの滞在受付をすまし、アリア達は客間へと通された。いつも通り、男と女で分かれて二部屋借りる。 「早くお風呂に入りたい」 「そうね、髪や腕が砂まみれだし、ここ数日は暑くて汗もかいたしね」 馬車の荷台からひいてきた荷物を部屋の片隅に下ろし、アリアは替えの下着をあさり始める。新しい街に入ったらなんと言ってもまずはお風呂。一年前までは嫌で嫌で仕方なかったお風呂が、今は好きで好きで仕方ない。 「ここは部屋ごとにシャワールームがついているわけじゃなくて、二階に大きな大浴場があるみたいね。しかも混浴だって言っていたわ」 「混浴?」 「男女が共に同じ湯船に浸かるタイプだな」 聞き慣れない言葉に首を傾げるアリアに、抑揚のない語調でシールディアが答えた。それを聞いて、思わずアリアは口を閉じるのを忘れて目をくりっと見開いた。 「で、でも……、男と女は一緒にお風呂入っちゃダメって、前に言われた……」 今から一年ほど前、アリアのお風呂嫌いを克服させ、そしてお風呂の気持ちよさを教えてくれた掛け替えのない最初の友達。アリアに欠けていた沢山の感情を教えてくれた友達が、女の子の先輩として教えてくれたことをアリアはセシリーを見て口にした。 「そうね。それは正しいと思うわ。そう簡単に男の人の前で素肌を晒しては駄目よ。でもまあ、……なんて言えばいいのかしら、別に断固守らなければならないとう訳でもないし、その時々に応じて柔軟に行動すればいいんじゃないかしら?」 セシリーはすでに替えの服や下着一式を抱えて部屋の戸に手を掛けている。シールディアも準備万端でセシリーの後方に控えていた。 「アリアよ。前に私が読んだ文献に、“郷に入っては郷に従え”という言葉があった。それはつまり、その土地にはその土地のルールがあり、その土地に踏み入ったからにはその土地のルールを遵守しなければならないということを意味する」 「たまにはいいんじゃない? それにシェド達だって気を利かせて私達が出るのを待っててくれるかもしれないし」 「……う、うん。わかった」 何となくまだ心にひっかかりは残っていたが、セシリーもシールディアも今すぐ駆け出しそうな勢いだったので、置いて行かれるのも寂しいし、アリアはすぐに替えの服を用意して部屋を出たセシリーを追った。 「ヒューイはどうする?」 「キュー……」 部屋を出る直前にベッドから動こうとしないヒューイへ声を掛けたが、ヒューイは眠そうに鳴き声を漏らすだけでついてくる気配はなかった。 廊下に出てふと隣の部屋の気配をうかがう。静かだ。もしかしたら先にお風呂へ行ったのかもしれない。 一階に下りて大浴場へ移動する。客はアリア達だけなので当然貸しきりであり、聞いた話では一度に十人は入れる大きなお風呂だという。 入り口はちゃんと男女二手に分かれていた。でもやはり、のれんの下には混浴という文字があった。 アリアはお風呂が好きだ。しかも大陸北部で主流のシャワーだけのタイプではなく、南部発祥の、ちゃんと浴槽にお湯を張って浸かるタイプのお風呂の方が。全身がお湯に包まれるとほわほわして気持ちいい。セシリーはシャワーだけでも気にならないというが。 「……あら? あなたまた胸が大きくなったわね」 「そう……?」 脱衣所で砂まみれのワンピースドレスを脱ぎ、その下の白いキャミソールを脱いで上半身裸になった時、セシリーがアリアの胸元を見つめながら、まるで育てている花がつぼみを付けたように頬を緩めていた。 アリアもそっと自分の胸元へ視線を落とす。そこには金属製の装飾をあしらった、蒼く不気味に輝く“聖石”がアリアの肌に埋まっている。何度見ても見慣れることはない、自分が天使である証。 少し表情を曇らせながら、アリアはジッと聖石以外の部分を見やる。 言われてみれば確かにまた大きくなったような気がする。聖石が埋まっている胸元は無意識のうちに見ないようにしているため、こうして凝視するのは久しぶりだ。前に見たときより一回り以上大きくなっている自分の胸を、アリアはそっと触ってみる。 暖かい。自分が生きている証。心臓が脈打つたび、その鼓動が指先に伝わってくる。 「でも、まだセシリーの方が大きい」 「そりゃあね。これでもちょっとは自信あるんだから。でもわからないわよ。あっという間に私も追い越されちゃうかも」 ふと前に何処かの街で、アリアの聖石を取り外すための研究をしてくれている人の娘であり、時折現れてアリア達に補給物資を届けてくれるミレーヌが、お願いだから私よりも大きくならないでと言っていたことを思い出す。 ちょっと申し訳ない気もするけど、ミレーヌのそれを思い出す限り、もうアリアのそれがミレーヌのそれを追い越したようだ。 「ふむ。私はどうやら外見年齢の割に胸の発育はよくないらしい」 服を一切脱ぎ、バスタオルを全身に撒いて浴場へ歩を進めようとしたアリアの耳に、後ろからシールディアの少しだけ不満そうな声が聞こえた。 ガラガラとセシリーが浴場の扉を開く。そして足を踏み入れた瞬間、アリアはピタッと動きを止めて固まった。 人がいる。湯気の立ちこめる先、どっぷりと湯船に浸かる人影が見える。そして当然、今この宿に泊まっているのはアリア達だけ。 「セ、セシリーさん! そ、それにアリアさんにシールディアさんまでっ!」 「……あん? 何だ、お前達も来たのか」 明らかに狼狽して声が裏返ったシルヴァランスが、とっさに湯船の脇に置いてあった白の手ぬぐいを股間に押し当てる。その隣でシェドは、まさに悠々自適というか、いつもの気怠げな表情を消して純粋にお風呂の気持ちよさへ身を委ねているようだった。 何となくアリアは自分の体を包むバスタオルを握る手に力を込めた。 「混浴って書いてあったでしょう? 女性陣に気を遣って、私達が出るまで部屋で待機してるかなって思ったけど、全然そんなことなかったわね」 戸惑うアリアの手前で、バスタオルで身を隠したまま平然とセシリーが掛け湯をして湯船に浸かる。 「待ってるわけねーだろ。ここんところ風が強くて体中砂まみれなんだぜ? 一秒でも早く風呂に入りたいに決まってんだろ」 「す、すいません。あの……僕、出直して……」 「なに言ってるのよ。もともとここは混浴なんだし、気にすることないじゃない」 「……で、でも……」 「いいからほら、ちゃんと肩まで浸かりなさい。それに……、ほ、ほら、手ぬぐいの位置、ずれてるわよ」 「……っ!」 慌ててお風呂から出ようとしたシルヴァランスをセシリーが引き留める。何やら忠告されたシルヴァランスは、顔を真っ赤にして再び顔まで湯船に潜った。 「おい、アリア。そんなところで突っ立ってないで、さっさと入れよ」 「あ……、うん」 気づけばシールディアも平然と湯船に浸かっている。立っているのはアリアだけだ。 入浴の手順を踏んでアリアが浴槽に浸かると、シェドが満足そうにこちらを見てニヤニヤしていた。何だろう、何となく視線が厭らしい気もする。 みな思うところがあるのだろうか、浴場はしーんとした空気に包まれていた。 シェドは天井を見上げて、「極楽極楽」とか言ってる。ああいうのを親父くさいって言うのよ、とセシリーに教えて貰った。 シルヴァランスは相変わらず真っ赤顔をしてセシリーから視線を逸らしている。またもセシリーが、ああいうのをムッツリスケベって言うのよ、と囁いてくる。 シールディアはもともと透き通るように白い肌をしているせいか、湯船に浸かって上気した頬は赤というよりピンク色だった。 そして時折アリアにあれこれ耳打ちするセシリーも、頬を赤くして時折シルヴァランスを見つめていた。何だか少し、気恥ずかしそうにも見えた。 恥ずかしい気持ち。それは何となくアリアも一緒だった。ティンベルに入る直前にシェドが言っていた過去の話で、アリアが昔、シェドと一緒にお風呂や川に入ったという当時のことを思い出したとき、その気持ちは胸の奥から渾々と湧き溢れてきた。 この気持ちは何だろう。恥ずかしくて胸が苦しいのに、少しだけ暖かい。セシリーならきっと、この気持ちが何なのかすぐにわかってしまうだろう。 でも自分で確かめたい。この気持ちがなんなのか。 アリアは顔を半分湯船に沈め、ぶくぶくと気泡を上げながらシェドの顔をジッと見つめた。 「そう言えば……」 ふと、シェドは浴槽に体を沈めて天井をみつめたままつぶやいた。丁度この場には全員居るし、伝えておかなければならないことがある。 シェドが視線を下ろすと、セシリーが首を傾げ、シールディアがジッと無表情で見つめ返してくる。アリアだけ何故か余所余所しく落ち着き無いよう見えるが、気にせずシェドは口を開いた。 「そろそろ金が尽きる」 「あらまあ」 「そうなんですか?」 「由々しき事態だな」 事実を包み隠さず吐露すると、セシリーが他人事のように返し、財布の紐などさわったこともないシルヴァランスが驚き、シールディアが淡泊な反応を示す。 「お金がないと大変。どうするの?」 アリアが困ったように眉を寄せ、チラッとシェドを見つめてまた視線を逸らした。 「どうするも何もなあ。前はお前に作ってやった服を売って何とかやりくりしてたけど、最近ちょっと、これだっていうイメージが湧かなくて新しい服作ってないからな。売るモンが何もねーんだよ」 女の子の服というのは結構高く売れる。しかもシェドの服は、恩人であるアリカの父、ギャムルにあれこれ言われたものの、一見すれば丁寧な仕事でプロと遜色ないものに仕上がっていた。だがそれも最近はめっきりご無沙汰だ。新しいものではなく、売るためだけに作ろうという気になれない性格も災いしているかもしれない。 「というわけで、お前ら倹約しろよ」 「でも本当にどうするのよ」 「……まあ、金のことは俺とシルヴァランスで何とかする。お前は今まで通り、アリアの両親捜しを手伝ってくれ。この街は何かと悪い噂が多いからな」 ティンベルの治安が悪いというのは有名だ。もちろん元ニーヴルのエンフェリアであるアリアがそこらのならず者に後れを取ることは思えないが、やはりまだまだ世間に疎いというか、心配の種は尽きない。母親代わりのセシリーが付いていてくれた方が、シェドとしても安心して他事に専念できる。 「この街にはニーヴルの目は行き届いてないのですか?」 「さあな。一応、街に入ってからずっと周囲には気を配っているが、今のところ不穏な気配は無い。だが用心するに越したことはないだろ。気をつけろよ」 シェドがアリアを見つめて注意すると、アリアは顎を湯船に沈めたままコクンと頷いた。 「よし。じゃあ俺はそろそろ出るか」 話すことは話したし十分長旅の汗も流せた。そう思ってシェドがおもむろに立ち上がろうとしたとき、 「シェド……」 セシリーの咎めるような声が響いた。見つめると、セシリーが渋い顔をして首を左右に振った。 その行為が何を意味するのか逡巡すること多少。ちらっとアリアの様子を見て、シェドはセシリーの言いたいことが何となく理解できた。 「ん」 シェドは湯船の脇に置いておいた手ぬぐいで隠すところだけ隠してから立ち上がる。セシリーも、今度は何も言わなかった。 「ぼ、僕も出ます!」 シェドに続きシルヴァランスが慌てて湯船から飛び出した。まるでずっと我慢していたように、風呂を出るきっかけを待っていたらしい。 「ちょ、シルヴァランス! あなたまた……っ」 「え? うああっ! ご、ごめんなさいっ!」 逃げるように浴場を後にしたシルヴァランス。シェドはしばし呆然とその場に立ちつくした後、アリア達を残して浴場を出た。 明日からは風呂に入る時間をずらそうと思った。 セシリー達がティンベルの街を訪れた次の日の朝、食堂でみんな揃って朝食を食べている時だった。 「シェド、み―――っけ!」 食堂の入り口から黒髪のショートヘアを揺らし、爛々と輝く緑色の瞳を携えた十代後半の少女、ミレーヌが飛び込んできた。健康的に焼けた肌の露出は多く、黄色いタンクトップにショートのアーミーパンツからはすらりと四肢が伸びている。 相変わらず何故か左手の薬指には銀色の輝く指輪が巻き付いていた。以前聞いたところ父親から貰った護身用リングらしいのだが、結婚指輪と間違われるから外した方がいいというセシリーの忠告を無視し続けている。 「……しかし、一体どうやって稼ぐかなぁ」 「無視するなーっ!」 「ごふっ!」 一瞬顔を顰めただけで別段何事もなかったかのように食事を再開したシェドに、ミレーヌが背後からギュッとその首へ腕を巻き付けた。絞め殺せるくらい、かなり力が入っていたようにセシリーには見えた。 「お久しぶりです。ミレーヌさんは相変わらず元気そうですね」 「うん、あたしはいつだって元気よー。シルヴァランスさんも元気そうねっ」 「ええ」 現れたミレーヌへ最初に声を掛けたのはシルヴァランスだった。爽やかなスマイルを浮かべ、何のひねりもない典型的な挨拶ではあるが、語調はとても穏やかで暖かい。ミレーヌもシルヴァランスへ真っ直ぐな笑顔で返事をした。 シルヴァランスが誰にでも優しいのはわかってる。わかってるのだけれど、何だか少しだけ、誰に対しても無害そうに笑うシルヴァランスが腹立たしかった。 セシリーはふと自分が怖い顔を浮かべていることに気づき、軽く首を左右に振った。 誰にも気づかれなくてよかった。不機嫌そうな顔を浮かべる自分を他人に、特に妹分達には見られたくなかった。それ以上にシルヴァランスには。 「ところで、さっき“稼ぐ”って言ってたけど、何かあったの?」 「どうもこうも、お財布が底を尽きそうなのよね」 「お金無いの。だから困ってる」 アリアがシェドを見つめ、シェドが大きくため息をもらした。 金は天下の回り者。ミレーヌがシェドやアリアの弾薬を持ってきてくれるから武器に金を掛ける必要はあまりないのだが、食事や宿代、消耗品の数々やら、大所帯になると出費もかさむ。 「そうなの? 前みたいにシェドが作った服を売るっていうのは駄目なの?」 「最近シェドは創作意欲が湧かず、新しい服飾を制作していないのだ。よってその選択肢はない。これ以上服を売ってしまっては、アリアや私にとって少々不都合だ」 「……というわけだ。ミレーヌ、ジェムの予備は?」 「ああ、今回はちょっとだけ。最近、ジェムが採掘される古代都市遺跡とかで魔物が大量発生してるみたいなんだ。だから市場に出回る量がめっきり減っちゃってね」 ごそごそと腰のポーチからミレーヌが三粒の大粒ジェムを取りだした。シェドにフレアジェムを手渡し、セシリーにサンダージェム、シルヴァランスにウインドジェムを転がす。 「魔物? そう言えばティンベルの前に寄った村で会った商人もそんなこと言ってたな」 「詳しいことは知らないんだけどね。……まあ、これからもしばらくはジェムの補給が難しいと思うから、いくらお金がないからって、ジェムは売らない方がいいと思うよ」 図星を突かれたようにシェドが渋い顔をする。本気で考えていたようだ。 「そんなことしなくてもさ、酒場でハンター業をすればいいんじゃない?」 「ハンター業?」 アリアが小首を傾げる。その隣でシェドが、「ああ、その手があったな」と相づちを打った。 セシリーもハンターと呼ばれる職種がどのようなものか大体把握している。酒場の一角にある掲示板に仕事の内容と報酬金を記した紙を貼り付けられており、ハンターはそれを見て仕事を選ぶ。どんな仕事も金次第でこなす。それがハンターだ。 だが真っ当な依頼書ばかりではない。暗殺や強盗の仲間集めなど、表立って掲示されていない裏の仕事も数多く存在するという。 「まあ簡単に言えば何でも屋さんよ。頼まれた仕事をこなして、お金を貰う」 「じゃあ、みんなでハンター業をするの?」 「いや、風呂の時も言ったが、金を稼ぐのは俺とシルヴァランスだけでいいだろ。お前はいつも通り親捜しをしてりゃあいい。その間にたっぷり稼いでおくさ」 シェドがアリアにそう言いながらセシリーに目配せしてくる。シェドが仕事を受け、アリアの側を離れている間、アリアのことを頼むと言いたいのだろう。 セシリーは微笑を携えて小さく頷いた。相変わらずシェドは、口には出さないもののアリアのことを大切に思っている。一見すると父親みたいに映るだろう。きっと本人もその気でいるに違いないが、セシリーにはもっと深い部分で、父として娘を見守るような気持ち以上をシェドが持っているような気がした。おそらく本人も無意識で。 取りあえず当面の話はまとまった。これにて会議終了という時、 「ちょっと気になったんだけど」 ミレーヌが何やら思案顔で手を挙げた。みんなが一斉にミレーヌへ視線を向けると、怪訝そうに、まさかね、といった顔でシェドを見つめ返すミレーヌが口を開く。 「風呂の時に言ったって。まさかあんた達、みんな一緒にお風呂入ったの?」 全員に沈黙が降りる。 思わずさっき浴場で見たシルヴァランスの――を思い出し、セシリーは顔を赤らめた。 シェドとシルヴァランスがミレーヌに率いられて仕事探しへ出掛けた後、シールディア達は少し部屋で荷物の整理をしてから表通りに出た。他の中継都市に比べて寂れているという話だが、それでも表通りを進む人の数は多い。馬車で駆けていく者、ゆったりと自分の足で過ぎていく者、様々だ。 シールディアを先頭に三人は本屋を目指していた。二ヶ月ほど前に立ち寄ったランバーグの街以来、アリアは時折シールディアにどんな本を読んだらいいのか尋ねてくる。一足先に本の素晴らしさを覚えたシールディアは、アリアが知りたいというオンナノコの感情について記された著を厳選して提供しているつもりだが、アリアに手渡す前にはセシリーの検閲が入り、何度かアリアに渡すのを止められている。 今日もまた、セシリーが少しばかり険しい表情でシールディアとアリアの後をついていた。おそらくシールディアが、アリアの教育に良くない本を提供することを警戒しているのだろう。 シールディアにはまだよくわからないが、どうもヒトは年齢に適した以上の身体的、心情的、特に男女間のアレやコレに関する事項を知ることは、教育上良くないことと扱うらしい。世間一般でそうなのかは認知していないが、セシリーの教育方針上はそうらしい。 「中継都市ということもあって、様々な地域から色々な本が揃っていると推測される。良本を探すのには時間がかかるやもしれんな」 「今日はゆっくり本を選ぶつもり」 はにかむように笑いながらアリアが言う。今日は両親の捜索をせず、一日ゆっくりと宿屋で過ごすつもりらしい。その時間を有意義に過ごすために、こうしてシールディアと揃って本の買い出しにきたわけだ。 「うむ。では時間を掛けて良い本を探そう。シェドにもあまり買いすぎないよう忠告を受けている故、今日はよく吟味してから買うとしよう」 「うん。本も好きだけど、お金は大事。お金がないとお風呂も入れないし、お菓子も食べられないから」 「あら、お菓子……、いいわね。帰りに何か甘い物を買っていきましょう」 ふと後方のセシリーが思いついたように手をポンと叩いた。アリアが振り返り、笑顔で同意する。 「お留守番してるヒューイにも買っていってあげないとね」 「そうだな」 一行はティンベルを十字に走る表通りを北から南へ進む。そして宿から百数十メートル離れた本屋へ踏み入り、セシリーが自分の興味に従って本を選定し始めた後、シールディアはアリアと共に本屋の一角へ移動する。 ランバーグにあった図書館には及ばないが、それでも本屋で取り扱っている図書は前に立ち寄った村の本屋よりよほど品揃えがよかった。シールディアの隣でアリアも、目をまん丸にして本棚を見上げている。 「さて、手始めに“恋愛小説”なるコーナーから攻めていくとしよう」 「う、うん」 アリアが不安そうに頷く。まるで戦陣に赴く前に武者震いを起こしている戦士みたいだ。 本屋の一角に陣取るそのコーナーにある本棚には、いかにも甘いお菓子のようなタイトルをつけた本から、切なさと儚さを内包しているようなタイトルまでまちまちだ。 シールディアは目の前の棚に並ぶような恋愛に関する本が好きだった。いや、恋愛に限らずヒトの感情について記されたものはすべて興味の対象だった。 曖昧で、朧気で、決して明確な答えが存在しないヒトの感情。必ず正か負かという二値を取る論理的なものではなく、無秩序で、倫理的で、非論理的な感情について記されている内容は、シールディアにとっては理解しがたい。けれど不思議と毛嫌いしたりはしなかった。 分からなければ分からないほどもっと知りたい。もっと理解できるようになりたいとシールディアは思った。だからシールディアは本を読み続ける。ヒトの思いが沢山詰まった、読み手を暖かい気持ちにさせる魔法のような書物を。 「……しかし難しいな。アリアはどのような本を所望しているのだ?」 「え? えっと……、よく、わからない」 「私が思うに、“恋愛小説”はある一定の境界条件のもと、複数のカテゴリに分類することが可能だと思われる。例えば主人公とヒロインの境遇に応じてなどでだ」 そっと手をのばし、本棚から一冊の本を取り出す。ピンク色の表紙には、花畑で戯れる少年少女の絵が描かれていた。 「これはヒロインである少女が、幼なじみである少年に想いを寄せ、幾多の困難を乗り越えて少年と想いが通じ合うというタイプらしい」 「幼なじみ……。困難……。想いが通じ合う……」 裏表紙に記された概略を元にシールディアが説明すると、アリアがキーワードを反芻しながら考え込む。どんな話なのか想像しているのだろう。 そしてしばし考え込んだ後、アリアは首を左右に振った。この手の内容には興味がないらしい。 「ふむ。……では次はこれだ。これは病に冒された少女が必死に生きようとし、それを支える少年と共に短くも暖かな日々を過ごす様を、少女の視点で日記のようにつづった物だ。最後に少女が絶命するときまで、少女は少年に自分の想いを告げられなかったようだ」 先に結末を言ってしまうのもどうなのだろうかとシールディアは少し思ったが、そこまで深く追求する必要もないだろうとすぐにその考えを頭の片隅に追いやった。 「……悲しいのはイヤ」 「わかった。ならこれだ。記憶を失った少女が、自分が誰なのかを探す物語。記憶を探す少女の前にはいつもある少年が姿を見せ、影ながら少女のことを支えていた。少女が記憶を取り戻す前も後も、少年の姿は少女の側にあった。……という話らしい」 「記憶を失った少女……。自分が誰なのを探す……。影ながら少女を支え……」 ふとアリアの表情に変化がある。もう一度内容を確認し、シールディアは何となくアリアの嗜好をつかみ取る。 アリアはどうやら自分と近い立ち位置、共感できる相手が主人公の話を好むようだ。 「興味を持ったようだな。じゃあこれは一次選考を突破と考えよう。次だが……」 シールディアは取りあえず今の本をアリアに手渡す。アリアは興味深げにその本のタイトルを見つめていた。 「これはどうだろう。“玩具少女と鬼畜の父”。感情の乏しい少女が、自分の飼い主? 何故飼い主なのだ? まあいい、その飼い主である父親と共に愛欲の……」 「シールッ!」 アリアと同じように感情の薄い少女が年の離れた男と一緒に生活をしているという話が書かれた本をアリアに紹介しようとすると、いつから居たのか、シールディアの背後にセシリーが引きつった微笑を浮かべて立っていた。 どうやらまた間違えたらしい。また教育上良くない本を選定したらしい。 「……アリア、今の話は聞かなかったことにしてくれ」 シールディアは本を棚に戻し、セシリーを見つめて眉を顰めた。 ヒクヒクと引きつった表情のセシリーに、シールディアは言葉に出来ない恐怖を覚えた。 ミレーヌはシェド、シルヴァランスと共にティンベルの街のほぼ中央に位置する酒場へと馬を走らせた。歩いて行くには遠い距離なので、三頭の馬に一人ずつまたがって移動してきたわけだ。 外見は木造平屋建ての少し汚い建物だが、中はもっと汚かった。昼間から酒の臭いが充満しており、あまりアルコールに免疫のないミレーヌはそれだけでふらっときてしまう。 薄暗くて煙草や酒の臭いが充満する不衛生そうな場所は、見た目からして悪事に身を染めていそうな男達でごった返している。いやそれはあくまでミレーヌの偏見だが。 「うわっ」 「……っと、大丈夫か、ミレーヌ?」 「え? ……あ、うん」 酒場に入ってすぐ、大男に肩をぶつけられてよろめいたミレーヌをシェドがすかさず抱き留めてくれた。ちょっと誇張表現だったかな。抱き留めたというより、腕を掴んで転ばないようにしてくれただけだ。 シェドに手を取られて、ミレーヌはジッとシェドを見つめた。 何で自分はシェドの追っかけをしているんだろう。何で往復に何ヶ月も掛けて、工房とシェド達のところを行ったり来たりしているのだろう。 自分はシェドのことが好きだと思う。けれど本当にそうなのだろうか。もし本当だとしたら、自分は一体シェドのどこに惹かれたのだろう。 「向こうのカウンターで聞けそうだな」 「そうですね」 シェドとシルヴァランスがすたすたと歩を刻む。若干ミレーヌと同じようにこの場の空気に押され気味のシルヴァランスではあるが、行動に影響するほど動揺している様子はない。 もう一度ミレーヌは考える。シェドの一体どこを好きになったのだろう。 外見は悪くない。でも、格好いいかと尋ねられると、正直、うーんと唸ってしまう。単純な顔の造形なら、間違いなくシルヴァランスの方が女性に人気があるだろう。 ならば性格。確かに、普段ぶっきらぼうだけど、先程みたいに本当は周りのことにも気遣うことができる優しい反面も持っていることをミレーヌは知っている。けれどこれまたシルヴァランスを引き合いに出せば、シルヴァランスの方が優しくて真面目、純粋だと思う。いい人、という言葉がしっくりくるのは、誰が見てもシルヴァランスの方だ。 「なんでかなぁ」 「どうした?」 「いんや、独り言デス」 怪訝な顔つきを浮かべるシェドをジッと見つめ返すと、シェドが気圧された様子で視線を逸らした。 シェドはミレーヌの薬指に指輪がはまってることなど気づく素振りすら見せない。それほどシェドにとってミレーヌはどうでもいい相手だということだろう。 相手にされていないことなど十分わかっている。ならば何故、わかっていながらミレーヌはシェドに会いに来るのか。補給物資やアリアのことを除いても、単純にシェドに会いたいという気持ちは確かにある。それは本当に好きという気持ちなのだろうか。 「わかんないなぁ」 「……先程からどうしたんですか?」 「え? あ、いやぁ、独り言だから気にしないで。あはは……」 そうこうしているうちに先頭のシェドが酒場の端にたどり着いた。酒場の壁に白い便せんが何枚を貼られており、どの紙にも依頼内容と報酬金額が記されている。 「ここにあるが依頼書だな。さて、それなりのモンがあるといいんだが…」 「はい。長い間滞在するわけではないので、極力短い期間で多い報酬が得られるものを探したいですね」 二人に習ってミレーヌも依頼書を見上げる。人捜しから店のお手伝い、運送業から掃除洗濯まで幅広い依頼書が壁に貼られてあるが、どれも安い仕事ばかりだ。 「何だ、大した仕事扱ってねーじゃねえか」 「君たちは大きな仕事を探しているのか?」 シェドが大きな声で愚痴った時、ふとミレーヌ達の背後からよく響く男の声がした。ミレーヌが振り返ると、そこには燃えるような赤い髪をした三十代半ばくらいの男がテーブルについて腕を組んでいた。 蒼い瞳でミレーヌ達を見つめる精悍な顔つきをした男は、ゆっくりと立ち上がり、少しずつ間を詰めてくる。顔つきはとても整っており、ナイスミドルという言葉がぴったりだ。 チラッとうかがうと、シェドとシルヴァランスは相手を警戒するよう表情を堅くしていた。 「いきなり話しかけて悪いな。しかし見たところかなり腕が立つようじゃないか。そして今は金に困っていると」 「……ああ、多少は腕に自信があると言ってもいい」 「そうか。なら君たちの腕を見込んで頼みたい仕事がある。危険度の高い仕事で命の保証は出来ないが、成功したあかつきには報酬は弾ませてもらう」 男は真面目な顔つきで切り出してくる。命の保証は出来ない。その言葉は表情を見る限り本当みたいだ。だがシェドはそんな言葉に動じた気配は見せない。 そんな、常に冷静というか、すぐに取り乱す自分には無いものを持っているからシェドに惹かれたのだろうか。ふとそんな気もした。 「取りあえず聞こう。どんな仕事だ?」 探るような目で相手を見つめながらシェドが男に尋ねる。男は少し間を置いて、 「竜退治だ」 簡素に、しかし厳かに答えた。瞬間、ミレーヌはあっと声を漏らしそうになる。一方シェドとシルヴァランスはピクリと眉を動かしただけで殆ど反応を示さなかった。おそらく内心はミレーヌ同様困惑しているのだろうが、それを微塵も感じさせない。 「実はティンベルの東になるアルガス山脈の頂に先月頃からドラゴンが住み着いたという情報がある。あの山には幾つもの鉱脈があり、多くの人間が出入りしているのは知っているだろう。そんな中、ついに先日、ドラゴンによる死者が出た」 「――っ!」 シェドが思わず声を漏らした。今度ばかりはさすがのシェドも驚きを隠せなかったようだ。ミレーヌは先程驚きすぎたため、今回はまだ驚きエネルギーが溜まっていなかった。 ドラゴンはヒトを護る存在。そんなドラゴンがヒトを襲う理由はそこに天使が居るからに他ならない。 しかしすでにシェド達が居た組織はアリアを除く全ての天使を手中に収めているという。その組織が山脈の頂上にあるのなら話は別だが、冷静に考えてそれはあり得ないだろう。ならば何故ドラゴンがヒトを襲ったのか。 「どうだろう。最強の魔物であるドラゴンと戦うというのは当然命がけになる。だからこそ報酬は弾む。ドラゴン狩りに参加した者一人当たり五千は支払おう」 「五千っ! 随分羽振りがいいじゃねえか。それに参加した者すべてにって……、役立たずなヤツでも参戦すれば必ず五千手に入るってことか?」 「ああ。ただし報酬は後払い、当然任務が成功した場合のみだ」 シェドとシルヴァランスが互いの顔を見つめて逡巡し始める。一件の仕事で五千は確かに破格だ。だが危険性を考えるとそれも納得できる。 ミレーヌが初めてドラゴンと対峙した、スノーレン北の古代都市遺跡。あの時ミレーヌは腰が抜けて雪原にへたり込み、危うくお尻が凍傷になるところだった。後々あれがシールディアだと知ったとき、何というか腹立たしくて、いじめてやりたくなったり、ならなかったり。 「詳しい予定は?」 「明日の朝に出立。予定では明明後日の昼にドラゴンとご対面することになる」 「ずいぶんと急だな……」 「前々から決まっていたことなんだ。だが今日になってもまだ、俺を合わせて四人しか集まっていなくてな。……正直、今の戦力では心許ない」 男が表情を曇らせ、厳しい現状を語った。 しばらく考え込んでいたシェドがふと顔を持ち上げ、シルヴァランスへ視線を向ける。シルヴァランスは無言のままコクンと頷いた。 「わかった。その仕事に俺とこいつを参加させてもらおう」 「本当か? 助かる。今は一人でも多くの手を借りたいところだった」 男が安堵の吐息をもらした。よほど切羽詰まっていたのだろうか、表情にはおくびにも出していなかったが、現状のメンバーではドラゴン退治が厳しいとわかっていたのだろう。 ミレーヌはここでも思う。シェドの決断力。きっと今までも、この旅の先頭に立ってアリア達を率いてきたに違いない。自分はシェドのそんなところに惹かれたのだろうか。 憧れ。もしかしたらそんな簡単な一言で終わってしまうような想いなのかもしれない。シェドがアリアを連れて工房を訪れたとき、シェドはミレーヌが今まで見てきたどんな男よりもたくましく、生きる強い力を持っているように見えた。そこにミレーヌは惹かれたのかも知れない。他を護っていけるような強さを持った、そんな所に。 もしかしたらその頃からだったかもしれない。ミレーヌが真剣に魔練器技術を高めようと熱心に勉強を始めたのは。自分に力はない。けれどきっと、自分にも出来ることがある。シェドのように、誰かを護れる何かが欲しいと、心から願ったことを覚えている。 ミレーヌが自分の内にあるグルグルとした気持ちの整理を続ける間に、シェド達と男の話はまとまっていた。 「じゃあまた明日、早朝六時に酒場の前に来てくれ。馬車はこちらで用意する」 「わかった」 「ああそうだ。最後に君たちの名前を教えてくれるか? 互いにドラゴンを倒す仲間になるわけだからな」 「……ガンブレイブだ」 「シルヴァランス=グレインです。よろしくお願いします」 シェドは警戒してかファミリーネームだけ名乗り、シルヴァランスは笑顔でフルネームを答えた。事務的でいい場面にもかかわらず、シルヴァランスの笑顔は屈託がない。 「ガンブレイブにグレインだな」 一瞬シェドに鋭い視線を送ったが、男は直ぐさま事務的な笑顔に戻る。警戒されていることは男も重々承知なのだろう。ただでさえ、ティンベルの街は得体の知れない人間がうろうろしているような街だ。シェドの態度も決しておかしくはない。 シェド達の名前を確認し、最後に男が口を開く。 「俺はヴァレンシア。スルト=ヴァレンシアだ」 男の名前を聞き、ミレーヌ達は酒場を後にした。 シルヴァランス達が宿に戻ると、すでにアリア達は部屋でくつろいでいた。昨日着ていた服は洗濯して干しているため、アリアの身を包むのは白の半袖ワンピース。無駄な装飾が一切無い、シンプルな一枚布だ。シールディアもアリア同様シンプルなワンピースで、色は正反対の黒だった。 二人は椅子に腰掛けて本を読んでいる。帰ってきたシルヴァランス達に気づいて「おかえり」と一言呟いてから、また本へと視線を戻した。 そして問題はあの人だ。シルヴァランスはあからさまに顔を顰め、しかも少し頬を赤くしてセシリーを見つめる。 白いタンクトップビキニにブルーのショートジーンズ。セシリーの体を包む衣類の面積は露出している部分と比較して圧倒的に小さい。その上タンクトップの肩紐の片方はほどけていた。 艶めかしい体を惜しげもなく披露しながら、セシリーはベッドに寝そべったままヒューイと戯れていた。 「……セシリーさん、あの、もう少しまともな格好していただけませんか? その、目のやり場に困るんですけど」 「んー? 何でかしら? お隣のミレーヌだって私と同じような格好してるじゃない?」 確かにミレーヌも黄色いタンクトップに迷彩色のショートパンツという、露出の多い格好をしている。けれど本人には悪いが女性としてのラインは圧倒的にセシリーの方が福与かであり、同じような格好とはいえその刺激性は別次元である。 「……はあ、そうですね。こちらは女性用に借りた部屋ですし、僕がとやかく言うのは筋違いですね」 心の中で思ったことを本人の前で言うのははばかられるため、シルヴァランスはため息と共にセシリーへの要求を取り下げた。視線をセシリーに向けなければいいだけのことだと、そう自分に言い聞かせる。 「それで? いい仕事は見つかったの?」 「……ええ、そうですね」 いい仕事と言っていいのか微妙だが、単純に割の良さだけ考えれば悪くはない。ただ内容が内容なだけに、シルヴァランスは自分が切り出していいものか逡巡する。 そんなシルヴァランスの困惑をよそに、 「ドラゴン退治だ。どうも山のてっぺんにドラゴンが住みついたらしい」 シェドが気怠げに、簡素に言ってのけた。シェドが言ってくれたお陰で、シルヴァランスはホッと一息つく。 旅を続けるメンバーの中でリーダーはシェドだ。だからこそシルヴァランスは何事の決定も、重要な発表もシェドに任せている。 決してシルヴァランスに決断力、行動力が無いわけではない。 兄の死をきっかけに、レンウィッグ家の当主になるべく父のシルヴァランスに対する態度は豹変した。無理矢理一度も会ったことのない貴族の令嬢との婚約まで取り決められた時、シルヴァランスは自分の意志でレンウィッグの名を捨て、妹を置いて家を出たのだ。 そして世界を救うことを目標に掲げる同志達のもとに赴いたのも、そこを立ち去ったのも、全部自分の意志でしてきた。 だから決してすべてを他人任せにしているつもりはない。決して決断力に欠けているとは思っていない。だが、今のシルヴァランスはシェドにほぼすべての決定権を預けている。 皆の先頭に立ち、皆を率いるシェド。自分よりたった二つくらい歳が上なだけだが、その行動力にシルヴァランスは大きな信頼を寄せている。同じように、シェドよりも二つばかり歳が上にもかかわらず、セシリーもシェドには大きな信頼を置いているだろう。 「ドラゴン……? だがドラゴンは……」 シールディアが何かを言いかけて口をつぐみ、セシリーも眉を顰める。 「そう言うことだ。出発は明朝六時らしい。少なくとも三日は留守にするだろうから、その間、アリアやシールディアの面倒は任せるぜ」 シェドがセシリーを見つめてそう言うと、納得しきれていない部分があるような顔でセシリーが頷いた。聞きたいことがありそうで、でも今この場にはアリアが居るから聞かずにいよう、そんな表情に見えた。 「シェド……」 いつの間にかアリアも本を伏せて机の上に置き、心配そうな顔つきでシェドを見つめていた。シルヴァランスには一切視線を向けず、ただ真っ直ぐシェドを捕らえる双眸は、震えるように輝いていた。 「心配すんなって。危なくなったらすたこら逃げてくるさ」 「……うん」 「お前も、万が一組織の追っ手に見つかったら無理せず俺の所まで逃げてこいよ」 笑いながら話す反面、シェドがセシリーとシールディアに目配せする。 「……じゃあ、僕は明日に備えて武器や荷物の整理をしますね」 「先に夕飯食わねえのか?」 シェドの問いかけに、シルヴァランスは笑顔で応じた。夕食前に簡単な準備を終え、さらに夕食後にもう一度確認する二段構え。ドラゴンと対峙するというのなら、注意しすぎることに越したことはない。 シェドがアリアとシールディアを率いて部屋を出て行く。その後をヒューイがぴょんぴょんと追いかけていった。 「あなたはどうするの?」 「あたし? あたしはもう少し街にいるつもりだよ。折角、久々にシェドに会いに来たわけだし、それに、ちょっと考えたいこともあるしね」 ミレーヌが、あははと愛想笑いを浮かべながら薬指にはまったリングを撫でている。今になって、シルヴァランスはその指輪の存在に気づいた。 「だからまあ、アリアちゃんと一緒に街を回りながらあれこれ考えるよ」 「……知ってるとは思うけど、この街は結構治安悪いわよ?」 「そんくらい知ってるって。でもあんたやシールディアちゃんも一緒なんだよね? だったらそんな、警戒しすぎる必要もないでしょ」 語調は軽いが、ミレーヌの言葉にはセシリーへの信頼が含まれている。ほんの少しだけ照れたように、セシリーが「あらそう」と言って肩をすくめた。 ミレーヌが、「あたしもご飯食べてくる」と言って部屋を出て行った後、シルヴァランスは隣の部屋へ移動しようと踵を返した。 「ああ、そうだ」 「なんですか?」 ふとセシリーに呼び止められて振り返ると、セシリーが上目遣いにシルヴァランスを見つめていた。身長差があるためどうしてもセシリーがシルヴァランスを見つめるには見上げる必要があるが、今は顎を引いて瞳だけ上を向いている。 「えっと、そう、ミレーヌも私達の部屋に泊まることになったみたいだけど、一部屋に四人はさすがに多いから、あなた達が出ている間は隣の部屋を私が使うわね」 「そうですね。二部屋とも借りているわけですし、その方がいいと思いますよ」 屈託無く笑いながらシルヴァランスは答える。ただそんなことを言いたくて引き留めたにしてはセシリーの様子が少しおかしかったので、シルヴァランスはドアノブに手をかけたまましばらくセシリーの言葉を待つ。 「それと……」 こちらが待っていることに気づいたのか、それともわかっていたけどなかなか言い出せなかったのか、セシリーがそっと口を開く。 「気をつけてね」 セシリーが笑う。普段の余裕に満ちた姉のような表情ではなく、もっと幼い、まるで少女のように笑ったセシリーを見て、シルヴァランスは一瞬、遠い昔の記憶と今を混合しそうになった。 あの笑顔を知っている。いや、今のセシリーの笑顔とそれは同じではない。けれど、たとえ同じではなくても、シルヴァランスの心は自然と穏やかになる。そうするだけの力があの笑顔にはある。 「はい」 シルヴァランスも笑顔で応じ、部屋を後にした。 まだ早朝だというのに通りには通行人の姿がちらほらとある。アリアは宿の前で眠そうに欠伸をかみ殺しているシェドを見上げた。 昨日の昼から着ていたブルーのシャツに紅いズボンではなく、今日は洗濯し終えたトレードマークとも言うべき紺色の上下で身を包んでいる。もう初夏で朝でも暑いというのに、シェドは長袖だろうが長ズボンだろうがお構いなしだ。あの服が本当に好きなのだろう。 一方アリアの服は違う。シェド特製のフリル付き白のワンピースドレスではあるが、今着ているのは夏用のノースリーブ版。肩紐と腰回りで落ちないよう支え、スカートの丈も風通しを良くするため極端に短い。もともとは袖付きでロングスカートだったドレスを、シェドが夏用に手直ししたものだ。涼しいが、少しスカートが短すぎるような気がした。 「じゃあ行ってくる。お土産は、出来たら何か探してくるさ」 軽口を叩きながらシェドが馬の手綱を握り、もう一頭の馬にシルヴァランスとセシリーが乗っている。二人が酒場まで移動した後、セシリーが馬を宿まで引き上げてくるためだ。 何も言えないままアリアがシェドを見上げていると、シェドが表情を曇らせていることを咎めるように、小さく「こらっ」と注意してきた。 セシリーとシルヴァランスは馬にまたがったまま、忘れ物はないかと話をしているようだった。手綱を握ったシルヴァランスに、後ろからセシリーがその胴へ両手を回している。 そうだ。こういう時、例え寂しいからといって表情を曇らせるのはよくない。シェドの実力は信頼しているし、シルヴァランスだって一緒だ。 寂しいと思うのは自分の我が儘なのだろうか。シェドは自分とアリアのことを父娘みたいに思っていると言っていた。ならばきっと、今アリアの中でうずまく感情も、お父さんから離れたくないという甘えみたいなものなのかもしれない。 本当にそうなのか、自分でもよくわからないが。 「さて、そろそろ行きましょうか」 「そうだな」 「じゃあアリア、私はすぐに戻るけど、それまでは大人しく部屋に居なさいよ」 「……うん」 よくわからない。自分の中にある想いは、シェドに父親を重ねているからなのか。そしてシェドと離れたくない、シェドは大丈夫だとわかっていてもシェドのことが心配だというのは、娘なら誰しも父に抱く感情なのだろうか。 わからない。けど、けれど、 「シェド……」 アリアはそっと呼び止める。気怠げな黒い瞳が、アリアへ向けられる。 「いってらっしゃい。気をつけて」 今できる最高の笑顔でアリアはそう言った。シェドは少しあっけにとられた顔をしていたが、すぐに笑顔を繕って、 「行ってくる」 そう言い返してくれた。 ほどなく宿へ戻ってきたセシリーは、食堂でアリアとシールディア、そしてミレーヌの姿を見つけた。 結局馬に乗って揺られている間、シルヴァランスに言いたいことの半分も伝えられなかったセシリーは、ほんの少しだけ落ち込んでいたりした。前はあんなにお姉さんぶってシルヴァランスを手のひらで転がしていたつもりだったのだが、最近は何故か思った通りにそれができない。 それは決してシルヴァランスが強くなってやりにくくなったという訳ではない。シルヴァランスが強くなったのではなく、むしろ逆。セシリーが弱くなったのだ。 いやそれも違う。本当はもともとセシリーが強い人間ではなかった。それをアリアの前で必死に隠していただけ。その仮面が、セシリーの過去を知るシルヴァランスによって外れようとしているだけだ。 わかってる。本当は自分がどんなに弱くてちっぽけな存在か。感情がなければ楽になれると考えて組織にいた頃のシェドに惹かれたり、自分の理想を押しつけていただけなのに勝手にシェドを逆恨みしたり。アリアの姉という立場に甘んじて、まるで自分がアリアを護っているんだ、自分の居場所はここにあるんだって自分自身を納得させていたり。 全部自分のため。アリアのためと言っても、本当は心の何処かでわかっている。全部、自分の居場所を護るためにやっているだけだって。大切な妹、シェミニールを護れなかったかわりに、アリアを護ることで救われようと、自己満足しようとしている自分がいる。 弱音や泣き言は言えない。それこそセシリーが被っている仮面のせいで。でもシルヴァランスはそんなセシリーの仮面を軽々と外して、素顔のセシリーを見つけてしまう。 怖かった。今の自分、そして姉であった過去の自分が壊れてしまいそうで。 でも本当は願っていた。そうなってしまうこと。姉というしがらみを取っ払ってくれることを。 アリアのことは大切だ。シールディアのことも妹のように思っている。義務感じゃなくて、そこには確かに本心もある。 果てしなく矛盾しているような気がして、セシリーは自分を嘲笑する。 居場所を維持したいためにアリアを護って、でも本当にアリアのことが大切でアリアを護る。姉という立場を護りたいのに、本当は姉という立場を忘れて誰かに甘えたい。 でもどちらもセシリーの本心だった。こんなに困惑したことなどかつてあっただろうか。いや、本当は覚えている。あの時、セシリーがまだ十三歳だった頃の記憶に、今のような気持ちを覚えたことが残っている。 「あっ、セシリー、お帰りなさい。……どうしたの?」 食堂の入り口で突っ立ったままのセシリーに気づいたアリアが声をかける。セシリーは微笑を浮かべて三人の元へ歩み寄った。 露骨に表情に出ていたのかと、セシリーは心の中で自分を叱る。答えを急ぐ必要など無い。ゆっくり時間を掛けて自分の答えを探せばいい話だ。 「ちょっとお腹が空いてふらふらっとしただけよ」 「あっそ。そりゃあそんだけ立派なモノをつり下げてちゃあ、沢山栄養が必要よねえ」 適当な言い訳を呟くと、ミレーヌが一瞬何か言いたげな目で見つめてくる。そしてセシリーの困惑に気づいたのか気づいてないのかわからないが、わざとらしく不満を漏らして食事を続けた。 「立派ねぇ……。まあ、いくら立派でも使わなきゃ意味がないと思うけど」 「ぶっ! な、何言ってるのよ! しかもこんな朝っぱらから!」 「何って……。子供が居るわけでもないのに胸が大きくたって意味無いんじゃないかしらってことを言っただけよ? ……あなたこそ、一体何を想像したの?」 「うっ……。そ、そんなことどうでもいいのよ!」 顔を真っ赤にして怒ったようにパンを口へ運ぶミレーヌ。一方アリアとシールディアは首を傾げながらミレーヌを見つめていた。 「まったくもう! 何で同じ女なのにこうも大きさが違うわけ? 大体、年齢的にはアリアちゃんよりあんたの方に近いはずなのに、どうして胸はアリアちゃん寄りなわけ? おかしくない?」 「……ミレーヌよ」 最初はおそらくセシリーの表情が曇りがちだったことに対して気を遣った発言だったのだろうが、いつの間にかミレーヌは自分のものに対する不平不満を猛々しく吐露している。 やや暴走気味のミレーヌに、シールディアが静かに告げる。 「私が見た限り、すでにアリアの胸の発育具合はミレーヌのそれを凌駕している」 「あ、シールディア……」 「…………。ええ――――っ!」 事実を覆い隠そうとせず、真顔ではっきり述べるシールディアにアリアが困惑し、その手前でミレーヌが奇声を発した。他に客が居ないからいいものの、やかましいことこの上ない。年長者で保護者でもあるセシリーは、本来注意すべき場面だろう。 「そんな! アリアちゃん、私に約束したよね! 私よりは絶対大きくならないって!」 「……あ、う……」 「くぅー、そんな、非道いよぅ……。アリアちゃんにまで抜かれちゃったよぅ……」 本当に泣いているように演技するミレーヌをアリアがおろおろと見つめる。セシリーはやれやれとかぶりを振りながら小さくため息をもらした。 でもこういう普通のやりとりの中に居ると自然に胸が温かくなる。年齢差から友達とは言いにくいが、それでもこうやって同じ時を共有できる仲間がいるのは嬉しい。 組織にいた頃、そんな人間は周囲にいなかった。セシリーを勝手に姉と慕う者は居たが、決してセシリーは自分が誰かの友達やら仲間やらだと思ったことはなかった。 だから単純に今この場に居られることを嬉しく思う。先程まで考えていた矛盾した自分の思いも、こういう空気に包まれていると何処かへ行ってしまう。 居心地がいい。これからもずっと、こんな空気に包まれていたい。本心からそう思う。 「ミレーヌよ、私はそなたの仲間だ」 「……そうね、そうよ! 貧乳好きだって居るわけだし、胸が小さいからって何よ! そんなもんで女の価値は決まらないわ!」 ガシッとシールディアの両手をにぎり、うんうんと頷くミレーヌを、アリアが困惑した面持ちで見つめている。相変わらず感情の起伏が大きい。でもそれが、どこから演技でどこまで本気なのか、いまいちセシリーにもわからない。きっとミレーヌなりに気を遣って、感情表現を大きくしている嫌いはあるだろう。アリアやシールディアのために。 いつまで続くかわからない生活ではあるけれど、やはりまだ、セシリーはこの場所に居たいと思う。自分の居場所を必死に護ろうとしているだけかもしれないけど、それでも今の居場所はとても大切で、掛け替えのないものだ。 そう思って微笑みながら、セシリーはアリアとシールディア、ミレーヌのやりとりを端から見守った。妹たちを見守る、姉のような気持ちで。 ところで、ミレーヌの言った貧乳好きって誰のことだろう。少なくともシェドではないと思うし、シルヴァランスも胸の大きな女と対面した時の方が顔を赤らめる度合いは大きいような気がする。 もしかしてあの指輪と何か関係あったりして。そう、セシリーは密かに邪推した。 昨日訪れた酒場に足を運ぶと、昨日と同じ掲示板の前辺りにあの男は居た。燃えるような赤い髪に山奥の小川よりも澄んだ蒼い瞳を携える、スルトと名乗った男。年齢は三十代半ばくらいだろう。もしかしたらもう少し若いかもしれない。 「…………」 シェドはスルトの姿を見つけてすぐ言葉を失った。しかし驚きを表情には出さずにすべて押し殺した。シルヴァランスも決して驚きの声を漏らしたりしない。 スルトは腰に銃剣を備えていた。だがそんなことよりも、その服装がシェドを困惑させた。スルトの身を包むのは深い緑色のジャケットにスラックス。首元に紅いスカーフを巻き、襟章が輝いている。両手は白い手袋で覆われていた。 知っている。あれはトルメキア王国、王国軍の制服だ。 「ああ、ガンブレイブにグレイン。君たちで最後だ」 「すまない、待たせたようだな」 警戒心を強めながらも、決してそれをおくびに出さずシェド達はスルトに近寄る。ここで下手に相手を刺激してこちらへ不信感を抱かせるのはまずい。 もちろん王国軍の連中すべてがニーヴルと繋がっているわけではない。おそらく皇室とニーヴルの間に裏のつながりがあることを知っているのはごく一部の上層部だろう。こんな辺鄙な街にいる軍人がニーヴルのことを知っているとは思えない。 「用心することに越したことはないな」 「……そうですね」 シルヴァランスに耳打ちし、シェドは掲示板のある酒場の角へ足を進めた。 そこにはスルト以外にも武装した三人の戦士がいた。屈強な体つきに強面の中年男に、陰鬱な空気を漂わせる若い男。そして一際異彩を放つ若い女だ。 「さて、まずは簡単な紹介をしておこう。こちらはガンブレイブにグレイン。昨日、ギリギリになって今回の仕事に参加してもらうことになった二人だ」 まずスルトが他の三人にシェド達を紹介する。男達はそんなことどうでもいいと言わんばかりに反応が薄く、女だけは片手を上げて挨拶してきた。 「そこの男はリディック。元トルメキア王国の王国軍の強者だ」 中年男がギロッと周囲を見渡す。スキンヘッドで筋肉質のリディックと呼ばれた男は、山吹色の瞳を鋭く研ぎ澄まし、真っ黒に焼けた体を茶色い武道着で包んでいる。 「そしてそちらはハルベルト。この街で、危険だが割のいい仕事を中心にこなす筋金入りのハンターだ」 スルトの視線が陰鬱な男へ向く。歳はシェドと大差ない痩せ気味の男は、長い桔梗色の髪で片眼を覆い隠している。辛うじてのぞく左目は、夜行生物のように鋭く不気味に輝く黄緑色だった。夏だというのに黒の上下に茶色いマントを羽織っている。 「最後にフラーレン。詳しい経歴は明かせないらしいが、腕には自信があるらしい」 手を挙げた若い女が妖しく微笑んだ。ミレーヌと同い年くらいだろうか。亜麻色の長いストレートヘアに薄暗い銀色の瞳が、浮かべている朗らかな表情とは裏腹に怪しさを醸し出している。身軽そうな赤のローブを身につけており、指にはジェムらしき宝石が埋め込まれたリングがはまっている。 見た限りどいつもこいつも怪しいヤツばかりだ。だがそれはお互い様だろう。掲示板に乗らないようなやばい仕事を請け負うような連中に、まともなヤツがいるとは思っていない。 「さて、早速だが出立しよう。山の麓までは馬車で移動し、その後険しい山道を歩いて上ることになる」 スルトの声で椅子に腰を下ろしていた面々が立ち上がる。そのままスルトを先頭に酒場を出て行き、シェドとシルヴァランスも少し間を置いてその後を追った。 「どうです?」 「やっぱりというか、予想通りというか、胡散臭い連中だな」 「そうですね。それに、スルトさんが軍の人間だったなんて……」 シルヴァランスの表情は険しい。もちろん、シェドも同じように警戒は強めていた。 「警戒するに越したことはないが、それで不審に思われるのも馬鹿らしい。まあ、なるようにしかならねえさ」 「はい」 シェドとシルヴァランスが酒場を後にして表通りへ出ると、四頭もの馬に引かれる大きくて立派な馬車があった。 スルトの合図で馬車に乗り込み、シェド達はティンベルの街を東門から出る。東の空には山脈の合間から太陽がのぼり、一行を乗せた馬車を照らしていた。 |
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