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プロローグ

 照りつける太陽の下、何処まで続く荒野を走る一台の馬車。二頭の雄々しい馬車馬に引かれる車は、手前に二人乗りの乗車席があり、奥に動物の皮で覆われた荷台がある立派なものだ。
 背の低い草木しか繁茂していない荒れた地に車輪の音をゴロゴロと響かせ、時折吹きすさぶ砂風が荷台の皮に当たってパチパチと音を立てる。
 そんな馬車の乗車席で手綱を握る二十歳くらいの男。ボサボサな茶髪が怠惰なイメージを漂わせ、胡乱としてやる気のない黒い瞳が呆然と荒野を映している。身につけているのは味気ない紺色の長袖上下。丸レンズのサングラスと併せて、どこか陰鬱な空気を漂わせていた。
 そんな男の隣には十歳くらいの少女がちょこんと腰掛けている。てかてかとしたおでこを惜しげもなく披露し、桃色の柔らかそうな髪をボブカットに切りそろえている。耳元の髪を鈴の付いた紅いリボンで結い、おでこの左斜め上には宝石が鏤められた薔薇を模した髪飾りが留まっている。そして少女を包むのは、あまりに荒野を旅するには不釣り合いな白のワンピースドレス。襟元や袖口にフリルやレースをあしらったものだが、そこまでごてごてしているわけではなく、あくまで上品に仕立てられたものだ。
「暑いな……。まだ双子月だっつーのに、まるで獅子月みてーな暑さだ」
 茶髪の男、シェド=ガンブレイブが額に汗を浮かべながら愚痴る。まだ季節的には初夏だというのに、現在地であるアルトレア大陸南東部は真夏並みの暑さを誇っていた。
 ただ乾燥した地帯なので湿度はそれほど高くなく、カラッとした日照りが大地を灼熱地獄へといざなう。
「うん。去年の今頃はもっと涼しかった」
 シェドの独り言に、桃色の髪の少女、アリア=フィルガントが応える。そのサファイヤみたいな蒼く澄み切った双眸を細め、果てしない荒野の先を見据えて小さく息をつく。
「そう言えばっ!」
 ふいにバッと荷台のカーテンが開いて、中から蒼い髪をした二十代半ばの女が乗車席に身を乗り出してきた。真夏の晴れ渡った空のように蒼い髪をサイドテールでまとめ、白のカットソーと黄色いホットパンツに包まれたボディは、服の上から見てもふくよかで無駄のないラインを描いていることがわかる。麗らかなブラウンの瞳をやんわりと細め、ピンク色のルージュで染まった唇が微笑を奏でながら、女はシェドとアリアを交互に見つめた。
「……何だ、いきなり」
 シェドが蒼い髪の女、セシリー=フィレンツィアに怪訝そうな眼差しを送る。アリアも、目をしばたたかせながらセシリーの顔をのぞいていた。
「去年の今頃。ちょうど私がこの旅に加わった頃よね」
「ん、そう言えばそうだな。早いもんだ、あれからもう一年か」
 遠い昔を懐かしむような目で虚空を見つめるシェド。アリアがそんなシェドの隣ではにかむように笑い、
「セシリーのお陰で私は色々知ることができた。セシリーにはいっぱい感謝してる」
 少しだけ気恥ずかしそうに言った。無垢な笑顔を前にセシリーも微笑みを浮かべ、
「私もよ。アリアに出会えて、沢山大切なものを得ることができたわ」
 真っ直ぐアリアを見つめてそう答えた。
「あの時、あなた達の旅に便乗させてもらったお陰でこうしてアリアの成長を間近で見ることが出来るわけだし、それに、……大切な思い出をもう一度手に入れることができたのよ。だから私も言葉で言い尽くせないくらい感謝しているわ」
 垢抜けたように真顔でそう言ったセシリーを見て、ほんの少しアリアが表情を曇らせる。
「ねえ、セシリーは……いつまで…………」
 言いかけてアリアが口をつぐむ。そんなアリアをシェドが横目でうかがい、セシリーは微笑を保ったまま見つめていた。
「きゃっ」
 ふいに突風が吹き、風が荒野の大地を覆う砂塵を巻き上げて馬車を襲った。セシリーが容姿に似合わない可憐な悲鳴をもらし、シェドが少し頬を引きつらせる。
「ちょっとセシリーさん、いつまでもカーテンを開けっ放しにしないで下さい」
 セシリーの横からひょっこり顔をのぞかせる、二十歳くらいの男。鮮やかな金髪に紅蓮の瞳を携え、見た目はひ弱そうな優男。女にしては背の高いセシリーよりもさらに頭一つ分大きな長身痩躯で、清潔そうな真っ白いローブを身につけている。
「ああ、ごめんなさい。……砂、入っちゃった?」
 セシリーが、やっちゃった、という顔をしながら金髪の男、シルヴァランス=グレインを見つめる。シルヴァランスは眉を顰めながら首を縦に振り、
「昨日干した洗濯物が全部砂をかぶっちゃいましたよ」
 と嘆息混じりに呟いた。セシリーが、「あっちゃー……」と笑いながら荷台の中へ引っ込んでいく。
 荷台の中では銀色の髪を馬車の振動にあわせて左右に揺らす十三、四歳くらいの少女が、すでに砂の付いた衣類を透き通るように白い手でぱんぱんと叩いてた。焦点が合っていない、どこか無機質な印象を与える琥珀色の瞳。アリアと同様、フリルやレースをふんだんにあしらった、しかしアリアとは正反対の漆黒のドレスで身を包む少女は、黙々と籠の中から衣類を取りだしてはたき続けている。
 そんな銀髪の少女、シールディア=エガンフィスの膝の上には、白くてふわふわの毛に覆われた猫のような動物が丸まって寝息を立てていた。長くてだらっと垂れた耳。団子のような短い尾っぽ。チロルのヒューイは、シールディアの膝の上で夢の世界を旅しているようだった。
「砂はちゃんと外に掃き出しとけよ」
 シェドが荷台に向かって言い放ち、再び手綱を握って前を向く。
 荷台から箒で床を掃くシャカシャカという音が響き、その音に合わせて若干馬車も揺れ動いた。時折セシリーやシルヴァランスの咳き込む声も漏れ聞こえ、衣類を叩く音も混じっている。
「ったく、何やってんだか」
「前にこういう荒野を通った時、歩いていたから、服にいっぱい砂が入った。靴の中も、砂だらけだった」
「あー……、そういやそうだったな。風呂が恋しくて泣きながら歩いてたわ」
 記憶を掘り起こしてうんざりするように、シェドは大きくため息をもらした。アリアはその隣で、物思いにふけるようそのコバルトブルーの瞳を細めた。
「……どうした?」
「え? ……うん、考えてみれば、あの頃はまだ私、お風呂が嫌いだった」
「確かに。風呂どころか、川で水浴びするのも嫌がってたな。お陰で俺は苦労したよ。嫌がるお前を無理矢理服脱がして浴槽に沈め、必死に逃げようとするお前をシャンプーまみれして……」
 ため息混じりにつぶやくシェドの隣で、すっとアリアの頬に朱が差す。大きく見開いた瞳をぱちぱちさせながらシェドの横顔を見つめた後、自分の膝元に視線を落とした。
「あの頃、お前は百数えるまで出るなって散々言っても、絶対十秒待たずして出ようとしたもんな。だから毎回毎回、俺が抱きかかえる状態で一緒に川に潜ったりしてたっけ」
「あぅ……」
「嫌がって本気で逃げ回りやがってさ。裸のままマジで全力疾走するもんな、お前。アリアの方がすばしっこいんだから、ホント捕まえるのは苦労したぜ」
「……うぅ……」
「そう言えば全力で風呂に入るのを拒否して、二ヶ月も川や風呂に入らなかった時もあったな。あん時のお前、かなり臭ってたぞ」
「……っ……!」
 シェドが口を開く度に肩を震わせていたアリアが、臭っていたという言葉を受けてついに爆発した。バチンと、よく響く音に乗ってシェドの頬に色鮮やかな紅葉が舞い降りる。
「おいこら、いきなり何すんだ!」
「……うー……、む、無神経」
「は? 何だ、そんな言葉何処で覚えた?」
 シェドの問に答えず、アリアは頬をぷくーっと膨らませてそっぽを向いた。熟れたリンゴみたいに紅くなったアリアの頬を見つめながら、シェドは目を白黒させていた。
 それからしばらくアリアとシェドの間に無言が続く。荷台の中も随分落ち着いたらしく、もう箒の音は聞こえてこない。代わりに小声で囁き合うセシリーとシルヴァランスの声がほんの少し響いてきた。
「そう言えば……、早いモンだ。もうあれから二年か……」
 ふと、思い出したようにシェドが前を見つめたまま呟いた。先程とほとんど変わらないセンテンス。違っているのは年数のみ。
「うん」
 アリアも、先程まで浮かべていた不機嫌な表情を消して小さく頷いた。
「私とシェドが出会ってから……。もう、二年……」
「最初に出会ったのも、こんな感じの荒野だったよな。……まあ、滅びの街の中だったから倒壊した廃屋がゴロゴロしてたけど」
「覚えてる」
 馬車が荒野を進み、砂風がサラサラとアリアの髪を靡かせた。そっと何気ない動作でシェドがアリアの髪に付着した砂を払いのけ、見上げたアリアにシェドが微笑を送る。
「初めて会った時、お前の髪は荒野の風でかなり傷んでたよな」
「うん」
「一緒に旅することが決まった後、俺にとって一番最初の課題が、嫌がるお前をどうやって風呂に入れるかってことだったな」
「……う」
 シェドの言葉を受け、アリアが小さく唸る。過去に恥ずかしい記憶があるかのように、再び頬の血流が良くなり、照れているような怒っているような、微妙な表情で上目遣いにシェドを見つめていた。
「いきなりでかい娘ができた気分だったな、ホント……。――おっ!」
「……?」
「見えて来たぜ。ほら」
 左手を手綱から離してシェドが荒野の先を指さし、アリアはその先へ首を向けた。砂塵が舞って視界にノイズが走る向こう、荒野の真ん中に赤茶けた煉瓦造りの家が一カ所に密集している。背の高い三階建ての建物から、平屋の小屋、大きな工場みたいなものまで多岐にわたる建造物が建ち並び、その中には植物の緑やオアシスの青も混じっている。
「着いたのか?」
 荷台のカーテンが開き、ひょこっとシールディアが顔を出す。その頭の上で、ヒューイが「キュー……」と鳴き声を漏らしながら砂塵の向こうを見つめていた。
「おう、もうすぐだぜ」
 そう告げてシェドが手綱を強く引く。
 アリア達を乗せた馬車は道無き荒野を進み、荒野の中心に位置する大都市と大都市をつなぐ中継の街、ティンベルへと消えていった。
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