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エピローグ

 ニーヴルの執務室にある重厚な作りの木椅子。今まで別の人間が腰を下ろしていたその椅子に、本来の主が腰を下ろしていた。
 三十代後半の、赤茶けた短髪を整然とセットした灰色の目を持つ男。精悍な顔つきで何かを待つように微動だにせず佇んでいる。
 その傍らには眼帯で右目を覆う赤髪の男が、髪と同じ赤色の左目を虚空に向けている。
 無音の執務室。そこにギィィと木の軋む小さな音が響き、部屋の扉が開いて長い黒髪の女が姿を現した。
「社長。ただいま戻りました」
「ご苦労だった。部下から報告は受けている。……うまくいったようだな」
「はい。“無垢なる獅子”を捕獲しました。今はアルフレッドとキャロルが研究室で最終調整に入っています」
 女の報告を受け、ニーヴルの社長、ルシフェル=ガブリエスタはわずかに口角をつり上げた。その隣で、隻眼の男、カルネは表情をまったく変化させない。
「随分手間をかけさせてくれたな。……ん? ミゲルはどうした?」
「“魔弾”を待つといって現地に留まりました。そのうち諦めて戻ってくるでしょう」
「相変わらずの男だ。……ガンズが全員揃うのを待つ必要はない。すぐに“ヴァルハラ”を起動し、蝕に備える」
 ルシフェルの言葉に、黒髪の女、レミネーラは無言で頷いた。切れ長の紫色の瞳をやんわりと緩め、思慕の籠もった瞳をルシフェルへ向ける。
 無表情のカルネもルシフェルへ視線を向ける。二人の視線を浴びるルシフェルがおもむろに椅子から腰を起こし、部屋の壁に飾られた古代の壁画を模したものと思われる絵画を見上げて口を開いた。
「ついに、私の夢が現実となる! さあ、宴の始まりだ!」

* * *

「……すまぬ、シェド。私がもっと速く飛べたら……」
「お前のせいじゃねぇよ」
 シェドがシールディアと共に天使である少女が居るはずの町、ジペインに着いたとき、町は真っ黒に染まり、人一人、猫一匹見当たらない凄惨な有様が広がっていた。
 長閑で平和だったはずのジペインで一体何が起こったのか。そしてシェドが護ると誓った少女は一体どうなったのか。
 焦る気持ちを必死に抑え、シェドは周囲の状況を確認する。
「残留思念を読み取り、何が起こったか調べてみる」
「ああ、頼む」
 廃墟と化した町を練り歩きながら、ドラゴンであるシールディアに何が起こったのかを読み取らせる。その隣でシェドも、自分なりの考えをまとめていた。
 シールディアから、正確にはガネットからもたらされた、シルヴァランスがかつて所属していた組織が天使を狙ってジペインへ向かったという情報。ジペインが廃墟となっているのは、その組織と天使である少女や彼女を護る仲間達が争ったからだろうか。
「…………」
 その組織は確かに天使を狙っていた。だが奴らはあくまで世界平和を第一に掲げるような組織だ。無関係な町の人間まで巻き込むとは考えにくい。以前襲われた時も、テムルという町を出るまで奴らは仕掛けてこなかった。
 腑に落ちない。すべてが繋がらない。その事に、何か嫌な予感を覚えて仕方ない。
「どうだ? 何かわかったか?」
 今にも取り乱してしまいそうな心を制し、シェドは先程から無言で精神を集中させているシールディアへ話しかける。
「……いや、すまぬ。何故かうまく集中することができない」
「…………。そうか、無理はするな」
 閉じていた瞳を開き、シールディアは申し訳なさそうに表情を歪めてジペインを見つめている。これはシェドの憶測に過ぎないが、天使の少女の身に何かあったのではないか、そんな不安や恐怖がシールディアの精神集中を妨げているのではないだろうか。
 シェドはもう一度周囲を注意深く観察しながら歩を進める。何が起こったのか把握しなければどうすることもできない。焦る気持ちもあるが、無駄に動いても埒があかない。
 倒壊した家。灰と化した畑。道端の遺体。それらの様子から、三日、四日前に何かあったのは事実だろう。
 シールディアの翼がもし万全だったとしても、おそらくもう二日早く来られたかどうかだ。何が起こったのかわからないが、どのみち間に合わなかっただろう。それにシールディアは天使である少女の身を案じて必死に翼を羽ばたかせ、休むことなく大陸間を二往復したのだ。そんなシールディアを咎めることなどできない。
「っ! シェド、あそこにまだ息のある者が倒れているぞ!」
 シェドが推測を進めながら歩いていたとき、ふいにシールディアが声を上げた。もしかしてシェドが捜している少女かもしれない。そんな希望を抱き、シェドは全力で駆けだした。
 だがそんな希望は一瞬にして消えた。倒れていたのはシェド達が捜す少女でもなければ、その少女を護っているはずの仲間でもなかった。
「…………」
 しかし別の意味でシェドは驚きを隠せなかった。それは相手が予想外の人物だったからだ。
 ぐったりと大地へ仰向けに倒れている中年、いや壮年に近い大男。白髪こそないが、艶のない黒髪は、前髪は左右に分け、後ろ髪は紐で縛られている。
 黒っぽい皮の鎧やマントは無惨に引き裂かれており、男の血で黒く染まっていた。満身創痍、死んでいないのが奇跡なくらい瀕死の状態だった。
 ジェムを必要としなくなったシェドのヒーリングですら、救うことはできないだろう。何があったのか、どうしてその人物がここにいるのかわからないが、どうやら激しい戦闘があったのは事実のようだ。男の傍らには、折れた槍が無惨に転がっている。
「……ガルバトロス、さん」
 シェドは倒れている男の名を口にする。すると辛うじて命を取り留めていた男がゆっくりと目を開け、マリンブルーの瞳がシェドを見た。
「……誰かと……思えば、“豆鉄砲”のシェド……か」
「ガルバトロスさん。何故あなたがここに? 一体、ここで何があったんですか?」
 かつての上司であり、先代ガンズであるガルバトロス=サーベル。シェドも何度か師事してもらったが、そんなシェドですらガルバトロスがニーヴルを去った理由は知らない。
 何故ニーヴルを去ったガルバトロスがここにいるのか。何故瀕死の状態で倒れているのか。
 シェドはガルバトロスの脇に膝をつき、今にも事切れそうなその顔をのぞき込む。
「お前が……天使を、匿っていたことは……知っていた。俺は、世界を……護るために、……その少女を、倒すべく……この町を訪れた」
「…………。まさかと思いましたが、ガルバトロスさんもシルヴァランスと同じ組織の人間だったんですね?」
「ふ、同じも何も……俺が……創始者だ」
 ガルバトロスの言葉をシェドは静かに聞いた。ガルバトロスが天使を狙ってジペインへ向かった組織のトップであること。その男が倒れていることから、天使である少女がその人知を超えた力を振りかざして相手を倒し、さらに町にまで被害をもたらしたのだろうかという邪推をしてしまう。
 だがあの少女がそんなことをするはずがない。それはシェドが一番よくわかっている。だからきっと、ガルバトロスが戦ったのは別の相手だ。
「天使の少女はどこだ。ここで一体何があった」
 天使を護ろうとするシェドにとってガルバトロスは敵。そのことを意識し、シェドは師でもあるガルバトロスに対する言葉遣いを変えた。
「……俺達が、訪れる前に……ニーヴルが、ここを……嗅ぎつけた」
「――ッ!」
 一番聞きたくない単語がガルバトロスの口から零れ、思わずシェドは声を漏らす。シェドの隣で黙っているシールディアも、目を大きく開いて悲痛な表情を浮かべていた。
 最悪のシナリオが脳裏をよぎる。
「どう、なった」
「天使は……奴らの手に……落ちた、らしい……」
 残酷な現実を告げるガルバトロスの瞳に嘘はない。
 突きつけられた真実は、すべてが手遅れであるかのように囁いている。シェドがアダムとの修行で得た力も、その力を得るために受け入れた自分の本心も、すべてが無駄であったと言われたような気がする。
 以前なら簡単に折れてしまいそうだった心。だが、今のシェドは違う。
「……そうか。アリアは、ニーヴルの連中にさらわれたのか」
「ほう……。随分と……落ち着いて、いるんだな……。てっきり……、もっと、取り、乱す……と思ったぞ……」
「まだ世界が崩壊したわけじゃない。なら、アリアを救うチャンスはまだあるってことだ。何もしないで諦められるほど、俺は物わかりの良い人間じゃねぇ」
「シェド……」
 今まで絶望に表情を歪めていたシールディアが、シェドの言うとおりだと言わんばかりに頷いた。辛うじて笑みを繕うシールディアに、シェドは心配するなと言う代わりに髪を優しく撫でてやる。
 奪われたのなら取り返せばいい。そのための力は得てきたつもりだ。
「天使の側にはシルヴァランスやセシリーがいたはずだ。あいつらがどうなったか知っているか? それに、町の人間は?」
「シルヴァランス、一緒にいた女は……、無事だ。……今は、俺達の基地に……。その二人以外は……知らん」
「そうか。シルヴァランスとセシリーは無事か」
 ガルバトロスの言葉を聞いて少し心が安まった気がする。
 アリアを護りきれなかった事をとやかく言うつもりなどない。あいつらはあいつらで、間違いなく力の限り戦ったはずだから。そう信じているから。
 だが無事だったのがシルヴァランスとセシリーだけだというのなら、スルトやミハル、町の人間はどうなったのだろうか。
 現状では悪いようにしか考えられない。今はみな無事であると信じ、彼らの元へアリアを連れて帰ることを第一に考えるしかない。
 シェドは立ち上がり、直立で見下ろすようにガルバトロスを見つめる。
「ガルバトロスさん。悪いが俺の力じゃ、ガルバトロスさんを助けることはできない」
「分かっている……。俺は、もう……助からないだろう……」
「…………」
 ガルバトロスがすべてを受け入れているような笑みを浮かべ、シェドもそれに応じて笑みを返す。
「行け……。お前は、お前のやり方で……世界を、救って……みせろ」
「ああ、そうだな。アリアを助けるついでに世界も救ってやるよ。だから、ガルバトロスさんは安心して眠りな」
 最期の言葉をかけ、シェドはガルバトロスに背を向けた。シェドが歩き始めると、シールディアもそれに続いて歩を刻む。
 天使が十二体揃ったとき、もう一つの神が復活して世界が滅ぶ。竜王はそう言っていた。だが、もしそうなったとき、聖石に適合して天使と化してしまった少女達はどうなるのか。それはわからない。だがおそらく、少女達が救われることはないだろう。
 事態は一刻を争う。アリアと別の天秤皿に乗っているような世界なら滅ぼうが知ったことではない。だがアリアを許容し、同じ側の皿に乗っている世界なら、救ってやらなければない。それはアリアを救うことと同義のはずだ。
「シール、行くぞ! ニーヴルの基地に、アリアを取り返しに!」
「ああ、異存はない」
 シールディアが美しい銀竜へと姿を変える。シェドはその背中に飛び乗り、翼の付け根付近をしっかりと掴んだ。
「待っていろ、アリア!」
 シェドの言葉に続き、シールディアが大地から飛び立ってその雄々しい翼を羽ばたかせた。
 天空を泳ぐシールディアの背中で、シェドは再度、心の中で強く誓う。
 必ず、必ずアリアを救い出す。そしてこの先ずっと、側で支えてやる。
 それが生きがい。アリアの笑顔を側で見守り続け、二度と悲しみに染まらぬよう支えてやることが、これからの人生を歩んでいく上で心の拠り所とする生きがい。
 空は何処までも青く、シェドの決意を後押ししてくれるような清々しさを誇っていた。 
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