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 黄昏の教育基本法    川谷 敦

注;この小説に出てくる人物、場面、内容等すべて、架空のものである。


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序章

第1章 体罰発生 new!



序章

オレは某中学校体育教師だ。オレの定年まであと3年。心身ともに相当参ってきた。もう退職するか・・などと弱音を吐いて悶々としていたとき、アレが新聞の政治欄の片隅に載った。その記事を見つけたのは妻だった。

「あれっアナタこんなことが書いてあるわよ」

『教育基本法一部改正、国会を通過した。その改正内容は「教育基本法[義務教育]第四条A国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、例外条項をのぞきこれを徴収しない。」の下線部分の追加であり「第四条Aにおける例外条項とは、憲法第二十五条@を著しく阻害する者」という追加条項が付された。また、学校教育法の第十一条の「・・・ただし、体罰を加えることはできない。」が削除された。これらはすでに破綻している国家・地方財政の窮余の策であり、深刻化する未成年犯罪への教育サイドからの対策と見られる。』・・記事はこれだけであった。他はまたぞろ政治家の汚職スキャンダルであり、こちらの方が紙面は大きく割いてあった。

オレはあまり関心を持たなかったが、三日後の職会(職員会議)で、校長が「最後の一言」でこの件について触れた。「すでに新聞紙上で述べられているように、教育基本法と学校教育法が改正されました。この法が実効性を持つのは来月からです。今われわれ校長会でもこの法改正における学校サイドの対応を話し合っています。生徒や親との対応など、やはりどこの学校もまちまちでは困りますので、統一した見解と対策を練っています。」

すると社会の教師コンドウが「教育委員会はどういっているんだ」と質問した。校長は「まあねぇ、いつものアレで、現場で適切に対応せよと、こっちに振るわけですよ。それで私たち校長もまぁ、集まっていろいろと考えているのです。」

この話題はこれ以上オレの職場では続かなかった。他の教師はマイノートパソコンを開いて、文化祭の提案書とか学級通信作成に没頭している。

同僚体育教師、小金沢(42歳)などは、インターネットのエロ動画を興奮して鼻を詰まらせ「すぅーはぁー、すぅーはぁー」うめきながら凝視している。こいつはコンピューターオタクで、学校に通じる高速光ファイバーのサイバーパトロール(エロや残酷場面を自動カットするセキュリティーシステム)の解除をこなし、あまつさえ、エロ動画の有料サイトのパスワードを発見・無効にしてタダ見をやってのける痴性を有する。小金沢はヘブロン点鼻薬(通称;鼻シュッシュッ)を常備しており、興奮が佳境に至ると「シュッシュッ」して鼻づまりを通し「ふがぁー、すふぁー」と大きく息を吸い込み職会中に小さく淫靡に果てるのであった。「やっぱ、女房よりセーラー服呪縛シリーズのマナミちゃんの方がいいっす」が口癖だ。

ロシアの犯罪心理学者によると「男も40代に入ると少なからず性的倒錯に陥る」と、元教師連続少女レイプ殺人犯の心理分析をやっていたが、小金沢も十分性的倒錯に陥る可能性は高い。

虚脱感を感じたオレは休憩室で若返りサプリメント「コエンザイムQ20スペシャル」を倍の20粒口中に放り込んで、老人男性向け雑誌「トワイライトMEN」の「退職後の田舎じゃない、便利な都会生活」を読んでいたら、定年あと1年の国語教師、マミヤが寄ってきた。「川谷さん、校長の話どう思う?」・・たいていの教師は職会の場ではなく学校の隅っこのババッチイ休憩室での床屋談義を好むのである。

「んーん・・ようわからんわ」とオレは答えた。するとマミヤはいっきに話し始めた。「川谷さん、オレは後1年で退職だけど、6年後に退職金は全額出ないみたいだ。ひょっとすると県債で支払われるかもしれん。ここの県債なんて紙切れも同然だよ。なにせ、愛知万博で大赤字を出したからな。オレ達の退職金なんてもう現ナマでは存在しないんだよ」あれぇー、万博ってちょっと赤字の、結局とんとんだったんじゃないの。「なにいってんだい!! 儲けたのはトヨタと一部大型家電メーカーそれにマスコミのみ、後はすってんてんだよ。考えてもみやー名古屋デザイン博だって黒字だと嘘こいたけど結局1億以上赤字だったがね。(マミヤは興奮すると名古屋弁がきつくなる)裁判になったけど、誰も責任は問われんかった。司法の場では粉飾が認められたのに、罰則なし。万博も同じだがね。今回は赤字の規模がちゃうからね。自転車より遅いリニモは走るごとに赤字垂れ流し、万博会場から青少年公園に戻す目処も立たない。セントレアでも空港周辺の埋立地はぺんぺん草が駆逐されて、わけのわからん外来種の雑木林が繁茂しとる。旅客よりもトヨタ向け貨物を重視した空港だからな。きっと検疫なんかがええかげんになっとるんだわ。

それに義務教育国庫負担が廃止されて地方に財政負担が回されてすぐやったことは、教育予算の70%削減、教員の減給と勤務時間の増加、それと就学児援助の認可条件強化と2年後には完全撤廃だぜ。

それで公に退職金出ませんなんてアナウンスしたら、現場ヤバイでしょ。でもね、おれらぁみたいなひらは、それでもなぁーも上に対しておこさんだろうね。でも管理職はやるよ。あいつら上に上がるためにあまり筋のよくない街金筋から借金しとるのもおる。退職金が出んかったら。それこそ一家心中か自殺保険金ぐらいしかない。

そんでよ、ここだけの話、実は例の法改正は全国のキャリア官僚と現職校長が結託してやったらしんだな。

「授業料は、例外条項をのぞきこれを徴収しない。」の例外条項をのぞきは「第四条Aにおける例外条項とは、憲法第二十五条@を著しく阻害する者」とあっただろ。」ああそんなふうに書いてあったな。オレはうる覚えだったけど。

「憲法第二十五条@は何だと思う?」「さぁ〜」 「ん、もぉ〜採用試験でも出ただろうが、[生存権、国の社会的使命]第二十五条@すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。ってやつよ。こいつを阻害するヤツには金はださねえ。ってわけさ。つまり、社会の迷惑、学校の迷惑なヤツには金はださんでよい。悪ガキは学校から追い出せるということだ。今はこんな時代だ。悪ガキはうようよいる。川谷さんも「こいつらと付き合うのに疲れた。退職したい」が口癖だろ。

まあいい、そんで、この条文で学校のガキが減れば金が浮くだろうが。その金をだな、キャリアや校長どもが禿たかのごとくねらっとるわけよ。とにかく退職金だけでも手に入れようと。

「えぇ〜そうだったのか」オレは少し驚いた。「だったらオレ達の退職金もなんとかなるんじゃ・・」マミヤはやや興奮して、そして自嘲気味に「ばかこけ、おれ達にその金が回ってくるわけがねぇだろ」そんな回す金があるぐらいならとっくの昔にあいつらがとっちゃってるよ。すってんてんだから、水と油のキャリアとノンキャリ(校長)が結託するんだよ。

校長が言ってただろ。「今われわれ校長会でもこの法改正における学校サイドの対応を話し合っています。」って。あれはな、各校何人まで悪ガキを追い出すかの数字を調整しているのさ。例えば、1000人近い大規模校は、10%の100人。400人ぐらいの中規模なら40人ぐらい、しかし、配置困難校(悪がきの集まるスラム化した地域の学校)は20%まで上げるとか。でもな、この計算は現校長の退職時の退職金を試算してはじいているらしい。だからオレ達の退職金は想定外だ。(想定内というのはむかぁ〜し、どこかの、青年実業化がいっとったな) 

「じゃあ二つ目の「体罰削除」は、なんなの?」「ああこれもね、キャリアと校長のため。つまり、オレ達ひらの退職後に未来はない。ということは、みんなが羊のように静かにはしとらんだろ。この不景気だ。給料も限界まで下げられ契約教員ばかりで、結局、正規採用教員の仕事は増えている。中には借金抱えているやつもいる。もちろん退職金払いを想定している。それが当てにならないとなれば、時には無茶するだろう。そして憂さ晴らしの一番手ごろな対象というのが結局、学校にいるガキどもということになる。まあ要するに、体罰や淫行行為がはびこるわけよ。そうなると、校長の責任問題になる。それはやばいということで、とりあえず体罰を教員に認めたわけよ。もちろん淫行は自己責任で処理する。でも、どうしょうもねえワルガキに対する体罰って、かつて体罰があんなに厳禁されていたときでもあったでしょ。中には保護者会で体罰容認決議案が出た学校もあったぐらいだからね」

「なぁ〜るほど、うまくかんがえるものだなぁ〜」オレは怒りという感情よりも、あの手この手と姑息でありながらけっこう大胆な手を打ってくる校長たちに感心しちゃったのである。

「川谷さぁーん、感心してる場合じゃないよ。オレ達まじめなひらの教員は、「子どものため」とか「世間の目が」とかの見えない圧力で、ここ10年ぐらいかけて緩やかに去勢されたのよ。オレ達インポ。たくましく、したたかに生きることに対して不能化しているの。もちろん、坊主の倅とか、親から贈与されたアパート・マンションなどの資産を持っているやつはなんとかなる。

そういや、正規採用が極端に少なくなったとき、どういう観点から採用したのかわからんかったが、こんな噂もある。要するに、資産をもつヤツを採用する。こいつらは退職後の心配はいらないから抵抗勢力にはならない。だから、30年後こいつらはどうなってもおとなしい。だから採用した。という噂だ。」オレはますます感心してしまった。

マミヤはオレに哀れみの視線を送った後、遠くを見つめてつぶやいた。「オレ達を待っているのは生き地獄だよ」

オレはマミヤの話に今ひとつ実感を持てず次の日から、そのまま普通に学校に行った。朝の職員の打ち合わせ・・普段どおりだ。教室での朝の会、変わらない。オレは3年生の担任だ。オレが来る前に、子どもたちは朝学プリントをやり終え、受検補助教材のノルマを達成させたノートを提出する。

いつもより未提出者が少ないような気がする。たいてい10人ぐらいが出さない。ところが、それよりもかなり未提出者は少ない。1時間目があいていたので、いつものごとく名簿に提出者のチェックを入れていった。そうしたら、なんと未提出者は3人しかいない。33人で3人か。10%だな。あれぇ〜この10%ってどっかで聞いたことあるぞ。そうかマミヤのいっとった、学校から間引く生徒10%じゃねぇか!!うーむ校長たちもなかなかいい線を出しているなぁ〜。この名簿での未提出者チェックをやり終えたときにオレは、ほんの少し、時間差を持って、教室での雰囲気の微妙な変化を、かすかに感じ取ったのであった。


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第1章 体罰発生

 このところどんなに遅く寝ても、朝の4時30分±10分に目が覚める。その誘引は妻の豪快ないびきであったり、慢性的鼻ズマリ、夜尿、心臓の動悸、新聞配達の原付バイクの排気音だったりといろいろだ。我慢できずかかりつけの医者へ行ったところ、メンタルクリニックを紹介された。どうやら心の病らしい。こういう現象を「中間覚醒」という。医者(とてもやさしい女医さん)は、「まあ学校の先生というのは想像を絶するほどストレスの溜まる仕事ですから、無理をなさらず、ボチボチやってください。それから、お薬を処方しておきます。」といわれ

内服として

@「パキシル錠10」

A「リボトール錠1」

頓服として

B「セルシン錠2mg」

C「ワイパックス錠0.5」

を処方してくれた。鬱状態やパニック症候群に効く薬らしい。確かに服用するとよく眠れる。しかし、朝の鬱状態はどうにもならない。

 オレは不機嫌度200%で、飯粒を箸で一粒一粒掴むがごとく口中へ投入しながら何とはなしにテレビを見ていた。するとCMでなにやら保険の宣伝をやっている。

 「メリコの安心学校保険・・学校の用意した傷害保険だけで安心できますか?・・メリコはイジメ、セクハラ、閉じこもり、リストカットなども学校で受ける心の傷害として保証します。・・またさらに新設コースをご用意。「こだわり安心学校生活プラン」として体罰で受けた、こころとからだの障害も全面保証します。通院費用を1日5000円、入院した場合月に30万円、障害が残った場合サポート費用として別枠1日3000円、死亡時は300万を保証・・・1日わずか300円のお支払いで安心学校生活!・・我が子はやはり自分で守りましょう。・・もうすでに体罰容認の月に入りました・・今なら「癒し旅行割引券5000円分」サービス。この機会をお見逃しなく!!」・・提供「タバリン安全保障協会」

 オレはこのCMをみて教育基本法と学校教育法改正が、すでに実効性を持っていることを実感した。

 生徒たちはやはりクラス人数10%の割合で、未提出やプチ問題行動が散見される。しかしこのパーセンテージは不動だ。

それに教室の雰囲気が変わったことをオレは実感できるようになった。はっきり言って生徒たちの「ものわかり」がよくなった。例えば、帰りの会などにたらたらと丁寧な掃除の心得などの説教を3分間しても、以前なら私語、あくび、席移動、突然の意味なき笑いなどがはびこっていたのに、今はそんなこともなくオレを凝視している。ただし、そのまなざしに輝きはないが。

例のCMを見た日、オレは帰りの会でトイレットペーパーを便器に突っ込むことがいかにイカンことかの説教を2分30秒程垂れ流し続けていた。すると隣のクラスから、絶叫めいた怒鳴り声が響いてきた。その声はまるで拡声器の電池が少なくなって、ボリュームをMAX10まであげて、しかし電圧不足のためビリビリと音が割れるようなそんな声だ。それに呼応するように、いつぞや総合学習で見学した自然有機農法黒豚農園の最終処分場へ引っ立てられる、健康黒豚の絶叫に近い声がこだました。


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