身体への知


スポーツ社会学研究の「研究」とは何か?

師・影山健 愛知知事選への闘いを終えて
 ことの起こりは、愛知万博の計画阻止運動である。愛知の貴重な里山を破壊して、自然との共生をテーマにした万博を2005年に開こうという愛知県の行政に反対する市民運動が起きた。そのリーダーが影山であった。
 そして、本年1999年2月7日に愛知知事選挙が行われる際に、反万博知事候補を出馬させようと、市民運動側が計画したのである。
 その候補が、影山先生であった。結果はオール与党候補神田真秋氏約135万3千票、そして反万博市民運動グループと共産党・新社会党支持の影山健は約79万6千票。投票率41.9%である。先生は、愛知県知事にはならなかったのである。
 先生は万博の是非を住民投票で!と住民投票条例制定に向けて市民運動を広げ、議会では多数決で否決された。その流れを止めないようにと、知事選へ突入したのだ。
 ボクは先生の健康の問題が気になっていたし、ちょっと休んで欲しいという気持ちから出馬には消極的だった。しかし、多分先生はボクらの気持ちを分かっていたとしても、出馬せざるを得ないだろうと決意していたように思える。むろん、出たがりなどでなく、水田洋さんをはじめとする、まわりのかなり強力な要請があったからだ。
 電話や家までいって、先生の話を聞いたけれど、話せば話す程、「出馬せにゃなるまい」という理論的帰結になるのは、正直いってつらかった。ボクも先生も、市民運動はそれなりに長いことやっている。その中では、「セクト主義の排除とチャンスは生かせ」が暗黙の原則事項だった。ボクは市民運動と住民運動を区別しているが、市民運動には「限界」があるに決まっている。そしてその「限界」を前に出してもしかたがない!というのも決まっているのだ。「限界」より「可能性」にウエイトを置くのが影山流市民運動であった。
 ボクは、学校公務員なので、選挙運動の縛りは大きい。そして、年末年始に同業者が理不尽な免職にあっているので、選挙運動に若干腰が引けたのも、情けないが事実だ。地域での応援集会も発起人的役割をしながら、名前を出さずに参加した。しかし、市民運動の側では、共産党と共闘することに違和感を持つ人がかなりいた。それは、いうなら、今までの政治闘争や労働闘争の中で、闘ってきた人たちの「歴史」としてある。結局のところ、影山健を応援するが、共産党と共闘できる人たちと、一線を画して市民運動らしくやろうという人たちが「距離を取って」選挙を闘うことになった。ボクは、「共産党もちっとは変わったなぁ」と思った。ボク自身、あまり節操がないのかもしれない。
 選挙のはじめのころは、マスコミに「影山健とは何者か?」という紹介の取材を受けることが多くなった。地元中京テレビでは特集に、当時中国へ招聘されて日本にいない影山先生の人となりを説明して欲しいといわれ、著書、論文、スナップ写真まで探した。
 共産党関係の集会にも3〜4度呼ばれ、影山先生の「紹介講演?」を頼まれたりした。ボクは、そういうのは拒まなかった。むろん共産党的な体育・スポーツ学と反対の「反オリンピック」論、あるいは「反管理主義教育」論という影山理論も説明した。
 選挙期間中は色々と気を使ったが、特に影山陣営の政策スタッフに参加し、新聞各社やマスコミの「教育政策アンケート」等の作成に関わった。そこで見えてくるのは、今までのこうした政策アピールが、肉声的なリアリティのあるものではなかった!という実感である。政策会議は、ブレーンストーミング的な方法で行われたから、ボク自身随分と勉強になった。財政にも環境政策にも、現在の愛知の抱える問題がきちんとあり、それにどう具体的に取り組むかを考えるのは楽しかった。
 一方では、選挙中に「藤前干潟をゴミ処分場にする」という長年の名古屋市政の方針が撤回されたり、「IOC金まみれの初めは名古屋オリンピック招致運動」から!などという懐かしい話が紙面を賑わし、影山先生のイメージは思わぬところでアップした。
 トロプス広場を名古屋の真ん中の公園で環境保護運動のみんなとやる。そこへ街頭での演説会を終えて影山先生が来る。たくさんの人とトロプスをする。誰にも負けない、皆が勝者というトロプスは選挙という政治運動の只中でその本質を発揮したといえよう。競争原理で自然は保護できない。人間との共生や調和の思想は選挙という場でこそ、訴える力を持った。面白かった。宣伝のつもりでも面白いからいい。
 さて、今回の選挙は「知事になれなかった」という点では敗北である。しかし、それだけで総括するには、あまりにももったいないだろう。つまり、もともと「勝つ負ける」ということにこだわらないのが、トロプスの思想ではなかったか?ボクは、影山先生が悲壮感や絶望感をもって選挙を終えたとはとても思えない。「これからだよ!岡崎君」という声が聞こえる。それが、先生の先生らしさなのだ。「この選挙は、私自身の今までの、研究と市民運動の総決算です」と言っていた先生はかっこよかった。研究者でああいうことが言えるのは、日本でも少ないだろう。
 しばらく充電して休養し、また動きはじめる先生と一緒に勉強したいものだ。知恵と勇気と希望のリアリティを見せてくれた選挙だった。敗北の完全勝利だった。

1999-02-08
『身体への知』12号所収(99年2月14日発行)


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