身体への知
『健全な身体に健全な精神が宿るか?』
『健全な身体に健全な精神が宿るか?』という言葉は、ローマの風刺詩を残したデ
キムス・ユニウス・ユベナリウス(100から130年紀元後頃の人)が作った詩か
らのものである。しかし、それが、かなり誤解を受けて、現在流布しているので、こ
こで正確(と思う)事を述べておく。むろん、昔の人の事だから、どのように曲解し
ようと、都合のいいように解釈しようと勝手だからそれはそれでいいのだが、実は本
当のところは、解釈が全く反対だからおもしろい。知ったかぶりで、偉そうに言うと
きはこのことを良く理解して言って欲しいものである。
当時のローマは、道徳的退潮退廃がすすみ、ユベナリウスはその世相を諷刺しよう
とした。その諷刺詩の第10巻346行あたりに、次のようにある。要約すると、
「人間の欲望は虚栄心からくる。母親は、自分の子どもが美しくなれ!と祈る。しか
し、その美しさがあれば、それで品性ある子どもだといえるだろうか?そんなことは
ないだろう。何かを求めて祈る時には、たいていは、供物を神に捧げるが、じゃあ、
あなた自身を捧げたらどうだ(皮肉で)。あなた自身が自分で、自分に対し、祈るな
らば、『健全な身体に健全な精神が宿ってくれればいいなあ!』というふうに祈って
みたらどうか」
つまり、ユベナリウスは『健全な身体に健全な精神が宿る』などとは言っていない。
むしろ、それは、なかなか現実にはそうならないので困ったものだという意味で嘆い
ているのだ。彼はつまらないことに犠牲を捧げて、欲をもって祈る当時の世相を批判
し、諷刺するために、この言葉を吐いた。
英国のジョン・ロック(1632-1704年)が、彼の教育論の冒頭に"A sound mind
in a sound body " と書いたものだから、後世にわたって、間違いが伝わったとも
言われている。
ちなみにプラトンは国家論第三巻で「自分の考えは、身体が健全であれば精神も健
康になるのではなく、精神が健全であれば、身体も健全になるというものである。」
と述べている。
(1997−01−10)