身体への知


サッカーのナショナリズム

 今度のワールドカップは、ボクにとって、たんなるサッカー大会以上の関心がある。それは、優れたテクニックのアクロバティックなプレーもたくさん観ることができるのだろうが、それ以上に、ナショナリズムが文化としてのスポーツにどんな影響を与え、どれだけスポーツの政治性を浮きだたせるかを身近で確認することができると思っているからだ。
 サントス(三都主)が帰化して、突然日本のチームに入って活躍しているのを観ていろいろと考える。まあ、時々、「グローバルなスポーツは国境を超えて平和を実現していくだろう」(ここまでノウテンキな人はいないだろうが)というようなニュアンスで、WC(便所ではない)を観ている人がいるが、そこまでスポーツの毒に犯されているかと思うとちょっとばかり「気の毒的恐怖」を感じる。
 少し長いが重要な指摘なので引用する。「『フランス人ではない』フランス人が中心に活躍した(フランスワールドカップでのフランスの活躍のこと:岡崎註)ことは、フランスについて従来とは異なる興味を呼び起こしたようでもある。しかし、フランス外務省のように、こうした状況を、恵まれない境遇に生まれた子どもたちが努力をして実力をつけ、それをフランスのふるさと出身の指導者がまとめた、と総括する姿勢になんとなく違和感を覚えるのは、私だけだろうか。もちろんフランスチームのようなあり方は、私も積極的に捉えている。だが、フランス(の監督)を頂点に、ある意味では「低い」地位にある「周縁の」若者が指導されて成長し、フランスの旗の下に結束する、という物語は、かつての植民地時代の構図の引き写しにもみえる。」 (平野千果子『フランス植民地主義の歴史』人文書院11頁)
 フランスがサッカーをプロ化したのは1932年だが、現在は一部から四部まで合わせると250位ある。フランスの有名選手のジダンはアルジェリア、デシャンはバスク、ジョルカエフはアルメニア出身であり、全員「フランス国民」ではあるが、「純正」ではない(何を「純正」というかも難題な問題である)。これらは、フランスがアフリカに植民地を多く持っていた時代の「遺産」なのだが、その中でも、彼らは、アラブ系・アフリカ系の移民者の住む、まずしいスラムから生まれた選手が多い。
 しかし、移民支援団体のラムダンが「サッカーのフランス代表は、現代フランス社会の縮図。いろんな民俗が混交し、ジダンのようなスターも誕生した。彼はアラブ系移民に自尊心を与えた。」と評価しているのをみると、スポーツとナショナリズム、民族意識は決して無関係ではないと確信する。
 サッカー強国のカメルーンも、もとはドイツ植民地で1880年代にサッカーが伝来し、第一次大戦後、フランスとイギリスの植民地となったのだ。フランスでは海外領地のサッカーを、フランス本国のサッカー組織へ統合してしまう政策(=文明化)を取っていた。
 ポーランドは今回16年ぶりに代表権をつかんだが、FWのオリサデベはナイジェリア出身の22歳。ポーランドに移って4年で、国籍取得。むろん、サッカー協会の「力」だ。ポーランド始まって以来の黒人代表選手。
 こうしてみてくると、「国籍」は「自由に取得」できるのではなく、その国にいかに貢献しているか?ということで判断され、他国、他民族の人々が、新しく「植民地化」から格上げされて「国民化」されることでしかない。ナショナリズムはグローバル化によって、消失するどころか、サッカーにおいては、ますます「植民地の身体化」として過剰に擬似戦争化する。

岡崎勝(2002−4−4)


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