新   刊

      楽しくやろう!

「子育て」改革

 KTC中央出版刊

現場教師が五感でとらえた教育談義

「個性」ってのは「はみ出す」ことさ!

    やかましい子どもは「悪い子」?
    早くできる子は「いい子」?
    忘れ物はなくなるのだろうか?
    給食ってみんな食べなきゃだめ?
    けがはしない方がいいのか?
    友だちはたくさんいた方がいいのか?

「子育て」のものさしを見直してみよう!


も     く    じ


第一章 いい子、悪い子、フツーの子?

第二章 親たちの憂鬱

第三章 教師たちの不安

第三章 学校教育はサービスの質で勝負しよう

エピローグ

山田真さんからのうれしい応援メッセージ


 ボクは自分の子どもを育てるとき、「明るい子」だとか「かしこい子」になってほしいとはほとんど思ったことがない。むろん、だれかに「どんな子どもになってほしいですか?」などと、子育てインタビューみたいにきかれれば、「元気な子どもになってほしいです」というような、あたりさわりのないことをいったかもしれない。しかし、そんなことをいちいち覚えてはいないし、おむつを替えながら「いい子になってくれよな!」などと、どこかのドラマや演歌に出てくるみたいなセリフはいったこともない。
 もともと子どもは、そんなふうに親の考える枠に当てはまるようには育たないし、親だって、四六時中そんなことを考えていないのではないだろうか? まあ、ちょっと「いってみるだけ!」の気分で、「素直なやさしい子になってほしいと思います!」などとほざいているだけだと思う。
 それは学校の教員たちも同じことだ。教室の前面上段に「忍耐」とか「誠実」などと墨で大きく書いたり、「一人はみんなのために、みんなはひとりのために」などと書いて掲げてみたりしても、その通りになることなどほとんどない!とおおかたの教員は知っている。……
 つまり、親だって教員だって、子どもとのつき合いの本質というのは、実のところ、毎日の果てしない、気が遠くなるような「めんどうな世話」の繰り返しなのだ。
 本書は、教科書的「きれいごと」をできるだけ排しつつ、現実のなかから、そのめんどうな世話の「良い方法」を探してみようと思いながら書いた。「良い方法」とは、必ずしも効率的ではないかもしれないだろうし、常識的といわれる価値観のなかにすっぽり入るものだともいえない。「学校の正しい教育」や「親の正しいしつけ」とは違う方法かもしれない。
 しかし、その「良い方法」は、実をいうと「意外とおもしろいものなのではないだろうか?」とボクは思っている。……

プロローグより

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 教育改革論議が華やかないま、この本を書く意味はどこにあるのだろうか? そう問いかけながらパソコンのキーをたたいた。……
 そもそも、学校にいままでかつて「ゆとり教育」などあったのだろうか? 戦後わずかの間の学校教育は、自前で教員と親が工夫したという事実(稚拙でたいしたことはないものだったかもしれないが)をボクは知っているが、それは相当おもしろかったらしい。しかし、……
 いまさら、「低学力の原因はゆとり教育だ」といわれてもなあと思う。……
 本書は、学校の現場で、ボク自身の五感で捉えた教育に対する考え方をまとめたものである。だから、全部正しいとか、間違いはないなどとは思っていない。……

エピローグより


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