きょういく大研究(1999.1.15)

制度論と現場主義をつなぐ・テレビ出演よもやま話

 学校の制度的な困難さをどう解決するか?と言う問題にはあまり触れたくないというのが率直なボクの思いだ。それは、どうしても評論家的な(つまり、無責任なという意味)物言いになるからだ。しかし、だからと言って現場主義も、あまりそこに自信過剰というか無反省というか相対化していこうという「気分」がないとつらい話しかでてこない。

 今回乞われてNHKの教育テレビの40周年記念番組『14時間生放送:日本の学校ここを変えて・21世紀に生かせ子どもたちの声』(1999年1月10日)に出た。いくつか思った事がある。ボクはタレントではないので、出てくれと言われても「朝生」のような、騒音的な肉声が交差して誰がしゃべっているか分からないような過激な番組には出られない。見ているだけで疲労する。

 だいたいボクは出演して黙って座っていられたらいいな……というのが率直な気持ちだ。昔、友人と教員100人のNHKの長時間討論会に出て、「とにかく黙っていよう」とただ座っていた。「早く渋谷へ遊びに行きたいなあ」と思っていると、手もあげていないのに「あっ、そこの手を上げている岡崎さん」と司会の磯村さんに指名された事がある。今回のように四時間も少人数で話しあいに参加するのは精神的にすごく疲れる。前半と後半の二時間出演した。その間の待ち時間も、控え室でテレビを視つづけるという「準備」があったので、それなりにメモをとったりして緊張している。生番組の面白さはあるものの、それは視ている側の論理で、見せている側は発言の慎重さを問われる。………とはいうものの、ボクは慎重な発言ができなかったけど。

 番組前半で登場した中学のセンセイたちはかなり「いい先生」であって、それで墓穴を掘っているような気がした。彼らの中には校長に言われて出演したという人もいたのでびっくりした。彼らは自分の発言を墓穴言とは思っていないようだが、「子どもに寄り添っている」「忙しいを理由にしたくない」という、庶民的なタテマエ話は時代を後退させているような気がする。

 一貫してだれでも、「自分の現場を大切に」というものの、現場ゆえの「狭さ」があることも確か。だからそこに、あまり感情移入しないでクールに制度を見るとどうなるか?という課題がボクにはある。

 制度なんてすぐに変わるものではない!というが、それはトップダウンの発想に自分を縛っている安易さからだ。もちろん、下からの運動で「あれまあ!」と変わるというのも楽観的過ぎる。相互の関係性でかわるのだ。だから「現場の人間がいかに制度を受け止めているか?」がけっこう重要なのだ。「三十人学級にせよ!」といいつつも、現場的に言うなら「百人学級にして全部テキトウ。見て見ぬふりで子どもに自由を!」とか「嫌な教師との二十人学級より普通の教師との四十人学級」というスローガンもすごく現場的だと思う。こうした論議を制度論に絡ませないとリアリティがないのではないか。

 当日、寺崎さんという富山県在の硬派教師(「プロ教師」ではない。明治図書などで結構書いているようだ)が、「戦後民主主義批判」「耐性の欠如」ということを主張した。子ども万歳のあの雰囲気にはあわない発言だった。視ている人も「なんじゃこりゃ!」とつぶやくような発言だった。しかし、その内容でなく、あえてそこでああした発言をした「その勇気」にボクは感動した。つまり、それが現場の感覚なのだ。そして、その彼の論理では、生産的な展開は望めないだろうと言うのも同時に現場の事実なのだ。

 彼が江川さんに「楽しい授業がどうしてできないのですか?」と追求された時、ボクは押された彼をかばった。本当なら、そこで、きちんと「やってます」と居直った方が得なのにきちんと「つまってしまった」彼が、正直な人だなと思った。

 ボクは、沈没寸前のタイタニック学校でも、空飛ぶゴキブリのように生きのびたい。過労死しないように、自分でも楽しくなるような授業を追求したい。そう考える。

 前日『お・は』編集部の人から「NHKに出るんですから、『いつものようでなく』誠意・誠実の人的に!いい人イメージで、服装はあーたらこーたら!」と親切な指導を受けた。友だちは「あの服は見た事がなかったなあ」などと言う。まあ、でも今回はとりあえず面白かった、疲れたけど。学校へ行くと、職員はみんな批評や慰労をしてくれた。しかし、管理職は沈黙し、話題にもしなかった。そうした反応もまた面白い。

 視てくれた人が「もっとしゃべればおもしろいのに!」と言ってくれた。どうもボクは、周りのみんなが熱くなると、自分がだんだん覚めてくるという変な性格だということを再認識した。これは、市民運動でもなんでもそうみたいだ。良くないと思いつつも、仕方がない。そういうわけで、アスクのみんなにも、学校にも、クラスの親にも、住民運動の仲間にも、近所にも、黙って出演した。●

1999.1.15

この文章は、私家判『身体への知』に12号(2月発行予定)所収。


きょういく大研究     ホームページへ戻る