きょういく大研究(1999.4.07)

いーめーる教育談議 第5回1999−04−07

一年間専科教員になるのです

 今年の四月から、担任をはずれて専科教員になった。理由は簡単、希望したからだ。ボクの学校には担任をやりたくないという教員はいない。問題教員とレッテルを貼られて担任をはずされるという人も、幸か不幸かいない。

 だから、毎年「専科教員」と「T.T教員」を決めるのに校長は困っている。どうも、日教組の調査によると、担任をやりたくない教員が三人に一人いるというのが全国の傾向らしいが、ボクのいる学校にはその傾向はない。ボクは、専科やTTなど、皆が交代でやればいいと思っている。だから、三月の「次年度担任希望票」の「専科をやってもいいよ」という所に○をつけた。むろん、学年担任希望も○を書いた。

 担任発表前に校長に呼ばれて、専科でもいいか?というので、「そりゃ、いいですよ。でも一年だよ。」と言ったら、「ありがとう」と感謝された。久しぶりに校長に感謝されて、照れたな。そして、「高学年の家庭科か理科か音楽のうちの二教科」というボクの条件もOKとなり、最終的に五年生の理科と六年生の家庭科に決まった。職場の皆は驚いていたが、なんとなく「そうか、それもいいかもな」と言う声で納得しているようだった。

 ところが、そのとき校長は「実はもう一つ頼みがある。研究推進委員長をやってくれないか?」と言い出した。ボクは地域の教育研究推進の主任会にも属していない(参加拒否である)し、ボクにそれをさせるということはそれなりのリスクがあることを承知しているのか?そう尋ねた。そういうとそれでもいいという。岡崎にそんなことをやらせたらアナタの評価も下がるよ!というと、笑うだけである。職員室でそのことを話すと、みんなは、ニヤニヤしながら賛成するし、若手の教員もそりゃいいですねとガハハと笑い出す。

 いままで、男女混合名簿も、生活科の授業も、運動会もそれなりに「つつましく」、皆さんにご協力願いつつおもしろく推進してきた。だから、学校をおもしろくすることは別に異議はない。しかしこれは策略ではないか?利用されているのではないか?フレイムアップではないか?等々の疑念は……たいしてなく、引き受ける事にした。

 最初の会議を15分で強引に終了し、「長く会議やりゃいいってもんじゃないよ」とみんなに毒づいてしまったがとにかく新学期が始まった。

 最初の家庭科はエプロン作りであるが、エプロンとは何か?どうしてエプロンなのか?縫うとはどういうことか?家事労働の話から、女工哀史まで色々話やワークができそうだなと思っている。

 担任としての仕事もなく、はじめて、のんびりした新学期を過ごしている。忙し過ぎた春休みにカゼをひいてしまったので、それを治すのにはちょうどいい。二十一世紀を迎えるここ数年の学校が変わる時期にボク自身が学校という労働現場でどう働くかを考えるのには、ちょうど良い専科教員かもしれない。担任をもった新学期は目の回る忙しさだが、それを横目で見ながらちょっとばかり「何が起きるかな?」と楽しみなちょっと余裕の新学期である。

1999.4.7


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