いーめーる教育談議 8回(1999.7.3)

「浮いていませんか?」と言われても!


 ときどき漫談(講演というほどのものではない話)を頼まれて、見知らぬ土地に 行くことがある。ボクの話を聞きたいというだけで驚くが、でも、せっかくだから 格調高い話をしてみようと意気込む。ところが、どうも話の途中、いや最初から挫 折する。ボクに格調は無理のようだ。もともと自分の学校での動き方や体験談を具 体的に話すだけだから、格調高くなるはずはないのだ。
 ボクが話すとき、元気のように見えるらしく、「どうやったら元気に仕事ができ るのでしょう?」という質問をしてくる人がいる。むむむ。自分では、好きなこと や面白そうなことをやっているだけで、別に使命感や聖職意識でやっているわけで はない。
 教員は昔から疲れ気味であるが、自分が疲れていることを認め、きちんと休憩し ないので困る。先日は、結核で発熱や咳がひどいにもかかわらず登校して、こども たちまで結核が感染してしまった事件があって驚いた。病気なのに、高熱を押して 学校へくるなんてのはやめてもらいたい。目茶苦茶に迷惑な話だ。ボクなどそうい う教員を許している学校長の責任を問いたい。一生懸命ならいいなんていうのはサ ディズム的で、常識にしてもらっては困る。スポーツでも病気やけがを押してまで 、出場する場合は「健康観に問題がある」として減点くらいしないといけない。
 だから、フロアーから、疲れ気味に、そういう教員がねっとりした目で「どうし てそんなに元気なのですか?」などと聞いてくると、「それは健康的に休暇をしっ かり取るからです。」というしかない。しかも、「自分の気の向かない仕事をでき るだけしないようにするのです。」と応じる。しかし、するとまた「そうなると、 職場のみんなから浮くんじゃないですか?」というので、「ええ、一緒に沈むより いいと思います」と言う。
 自分が一番したいことは何か? そして、コレをなくしたら自分でなくなるなぁ、 と思うことは何か?それが大切だと思う。ボクが迷うとき、しまったなあと思うと きは、それらが明確になっていないときなのだ。自分が何を一番したいか?それが 分からない教員がけっこう多い。自分が何をしたいかが分からないのなら、「浮い て」しまう心配はいらないと思う。ただ疲れのみが肩に腰に心に積み立てられてい く不安が、質問者の顔に見える。
 先日、ボクの組合で「宿泊を伴う学校行事(修学旅行や宿泊キャンプ)は全部、 廃棄したらどうか?」というまたまた学校で言ったら「浮き」そう?な提案がされ た。でも理由はそれなりにあって、ボクはほぼ提案者に賛同した。それは、そもそ も「修学旅行って何だ?」「キャンプって何のために?」という根源的な問いと、 手当ても保障もない厳しい労働環境への批判が出発点である。
 ボクは、こうしたあえて「浮きそうな提案」をすることでひょっとしたら、学校 タイタニックの生存者になれるかもしれないと思っている。浮くことは楽しい。楽 しいことはいいことだ。●

(1999−7−3)


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