書評:高橋敏著『近代史のなかの教育』(岩波99・3・25刊)

「学校」はどこから来たのか?

岡 崎  勝

 現代の学校がかかえている問題は、対処療法だけではなんともならない。学校現場で働く者だけでなく、世間はそのことをうすうす感じはじめている。不登校一つにしても、原因を探れば、複合的なものもあるし、同時に個別的なものもあることに気がつく。「不登校をやっつける抗生物質?」なんてのはない。学校の本質が問われているのだ。
 近代が生み出した「学校制度」と「教育心性」は、土俗的地域的な「子やらい」や「若者宿」を遅れたものとして見切り、それを駆逐する過程で形成された。本書の最初では、そうした「非文字文化」の持つ豊かな子育て機能の事例を引きだし、明らかにしていく。その「子やらい」は「赤ん坊を子供に育て、一人前の大人の資格を与えようとする極めて開かれた教育システム」であった。一人前にするということが、一体何を意味し、どんな生活能力を身に付けることなのか、ここで具体的に展開されている。
 次に、「文字文化」の持つ「力」について述べる。文字文化は非文字文化と拮抗しながらも、教育的な営みを構造化する。文字は一つの権力である。例えばそれは、「記録する」行為が「口承」から「文書」となることで、民衆支配の道具としてその権能を持つことにも端的に見ることができる。しかし、その文字を民衆が持つとどうなるか?ときには、民衆の知恵が伝達され、確認され、不合理や不条理に対して組織化されることもあろう。著者は『和俗童子訓』を引き合いにだしながら、文字のもつ教育力の具体的な事例をあげる。善し悪しは別として、近代学校の助走は文字文化によってなされたのである。
 本書後半は、私達が日常的に受け止めている学校アイテムの本質を、その起源を振り返りながら、驚きとともに深く認識をさせてくれる。私が子供のころにあった先生の「宿直」制度は、御真影・教育勅語を守るために考案されたものであったとか、運動会などの学校行事は天皇制国家主義のイデオロギー注入の「機会」として重視されていたことなど、「そうか、そうだったのか」と目からうろこが落ちる思いである。
 明治以降の急激な学校制度の整備は、日清・日露戦争と大東亜戦争という時代、国民の国家意識を高揚させる役割を学校にもたせることによって、より完全なる「制度」と、学校教育は尊重すべきものという「教育心性」をつくりあげていった。
 現代の学校がいま混迷の危機に瀕していると言う時、私達は「理想的な学校像」と現実のギャップに「悩んで」いる。しかし、本書で明らかなのは、民衆が学校制度を欲していたのではないという厳然たる事実である。そして文字文化を必要としていたのも、政府や行政なのである。「理想的な学校」は民衆の要求したものではない。目の前にいる子供たちを、「生き生きした子供」「のびのびした子供」「かしこい子供」「個性的な子供」等々の教育用語、つまり、学校の言葉で語ることはもともと無理なのではないか?
 自分の目の前の子供、町を歩く子供、生活している子供、減らず口ばかりの子供、大人を平気でだます子供、親や先生の思うようにならない子供。そんなふうに生きている子供たちを、学校がなんとかしてくれると思う方がまちがっているのではないか?
 もし、本書で明らかにされているように、むかしの日本の「習俗の子やらい」や「若者宿」で一人前の大人に子供が成長していったものだとするならば、そこには、学校というできあいの制度にたよらない、大人たちの「縁」がきちんと生活の中に存在していたからにほかならない。今では、政府が『家庭教育ノート』を各家庭に配布せずにはいられないほど、「家庭の教育力がない」らしい。しかしその「悲喜劇」は、生活自体の持つ教育力を奪った「学校制度」と、その「学校サービス制度」に子をゆだねた私達、親・教師の共犯関係の結果でしかないと認識すべきだと私は思う。


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