きょういく大研究(1999.9.1)

きょういく大研究56号

働き方の問題:休暇の有効で斬新な利用を!労働省推薦

  1.  政府労働省は年次有給休暇・「連続休暇」の取得をすすめているが、………

     政府、労働省は、一九九〇年七月に『連続休暇取得促進要綱』を発表している。詳しくはそれを熟読してもらうしかないが、趣旨として次のようなことを述べている。
     「労働時間の短縮は、我が国の経済的地位にふさわしい豊かでゆとりのある勤労者生活を実現するために是非とも達成しなければならない国民的課題である。(時短の)目標を達成するためには、完全週休二日制の普及促進と並んで、年次有給休暇の完全取得、連続休暇の普及・拡大が重要である。
    そして、その解説では、

    1. トップをはじめ管理監督者が率先して休暇を取得する。
    2. 年休を取得して、あとで忙しくなるといったことのないよう、休暇を取っている 間の業務の代行者を決めておく。
    3. 誕生日等あらかじめ決まっていて、職場の理解が得やすく、本人も休みやすい機会をできるだけとらえて年休を取得する。
    4. 病気などに備えて年休を残しておきながら結局使い残ししてしまうことを少なくするため、年休の取りやすい時期が取得期間の終わりの方になるように、年休の取得期間を見直す。」
    などということまで述べられている。
     この方向性は、時代の趨勢であり、ボクもこれについて、異議はなく意義あることだと思う。
     しかし、果たして、学校労働者はこのことを十分認識しているだろうか?もう一度、年次有給休暇を活用しているだろうか「点検」すべきだ。

      『自己の権利を行使しない者は、仲間の権利を侵害しているのと同じである。』


  2.  みんなが働いている時にこそ休暇を取ることが、望ましい

    夏休み中に、できるだけ休暇を取らせようと、嫌がらせをする校長等が増えている。朝、花壇に水やりに来て、帰ろうとすると「出勤して水をやったのだから、帰る時は『休暇届け』を出せ!」というような校長である。
     先日、教職員課の斎藤政義管理主事は「そんなことを言う校長がいるんですかぁ?それはヘンですね」とコメントしていた。思わず、笑えてきた。失礼だが、彼こそが、そんな事を言いそうな気がしたからだ。でも、もしそういう校長がいたら、ぜひ斎藤主事に助けを求めるといい。きっと、強い味方?になってくれるだろう。でも、もし味方になってくれそうにもなければ、ボクに連絡下さい。すぐ、仲間と行くつもりです。
     夏休みは『教特法二○条二項の校外自主研修の機会』であり、それは「それ自体休暇と類似した性格を有する」(一九九一年名古屋地裁判決:措置要求判定取消訴訟)のである。
     したがって、夏休みは校外自主研修であり、できるだけ休暇をとらないのが「正しい労働者」の美しい姿なのである。夏休みに年休を取らせておいて「年休取得率が上がった」などとは言わせない。
     それに、みんなが働いている時にこそ休暇を取ることが重要なのである。学校の授業日である平日の「子どものいない」街を歩き、映画などを楽しむことが、どれほど疲れを癒すことか!時間休でもいい、休もう。会議も減らそう、授業も減らそう。
     年次休暇は「時季」(一日や二日ではない時季)を重視する。取得する場合は、基本は『連続取得』が原則で、細切れの一日などは、本当は望ましくない。で、ボクの友人は退職前に、繰り越し二○日とその退職年度の二○日の計四○日を連続して取った。早い話、退職の日から逆算して四○日間休暇を取ったのだ。彼の場合は、一月の中旬からである。
     二年越しに職場交渉をして、最終的には教頭に授業を任せた。ボクらの要求は「代替教員を充てよ」だったが、それは難しいので、「少なくとも一般職員でなく、管理職で対応すること」を強く要求した。結果として、それはほぼ納得いくものだった。
     こういう非常識のようにみえる要求は、じつのところまったくもって正しく美しくて、快いすがすがしさを、ボクらにもたらす。
     そんなことをしたら、子ども達が可哀想だとか、他の職員に迷惑がかかる、あるいは、最近はやりの「市民の眼」がある、ということなら、「権利行使」はできないということになる。認められている権利が行使できないのなら、その「可哀想」「迷惑」「眼」の方が間違っているのではないか?ボクは思う、こうした「権利行使の回避理由」は教員の甘えではないかと。給料をカットされても、何もできないということで「あきらめる」その心性こそ指弾されるべきだ。
     「言っても多分ダメだろう」とか「抵抗してもムダ」というのは、不能化した証でしかない。不能化とはインポテンツでなく『ディスエイブリング』(可能性と力が欠如させられるの意)である。給与カットされても、年次休暇を取り残ししても、何にも感じない、あるいは、感じても、何をしたらいいか分からない……。損するよ!
     「できるところから、はじめましょう」という集会や授業のまとめをすることがある。でも、それは正しいが、半分である。その「できる」ということの中身が明確になることが必要だろう。二学期も、しっかり「労働者らしく」ありたい。困った教員がよくマスコミのエジキになっている。しかし、だからと言って自主規制を過剰にすると回りが見えなくなる。●

(99年9月1日職場で発行)


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