きょういく大研究(2000.3.6)

きょういく大研究59号

 日の丸君が代は教材たりうるか? その2

  1.  戦前、戦中、戦後は本当にあったのか?

    いつも、不思議に思うのだが、どうして、敗戦後にすぐに 「帝国主義的皇国史観応援歌」の君が代が復活したのかと?
     ヨーロッパでナチズムは今だに、「あれは、いかん思想」と国民的歴史的に引き継がれ、世界中で戦犯が駆逐され続けている。それに較べると、日本はなんと不徹底なことか。
     今に、軍歌も復活するのだろうか。ボクは、平和とか反戦を何度、お経のように唱えても、戦争は防げないと思っている。それは、近代戦争、現代戦争を少し考え直してみるといいのだが、戦争を気まぐれでやっている人間はいないのだ。戦争している人々は、みんな「やむにやまれぬ事情」で「不可避的」にやっている……と称している。
     オーウェルが『一九八四』で「戦争=平和である」と言ったが、「平和のための戦争」、大日本帝国も大東亜戦争でそう 言っていた。アジアがヨーロッパに侵略されるのを、だまってみているわけにはいかない!それっ行けーっ!と戦争を正当化したのだ。ボクの母親に聞くと、当時、国民学校の先生たち は、「アメリカやイギリスから、亜細亜を守るために、やむにやまれぬ、堪忍袋の緒が切れて、真珠湾攻撃した」と講義したそうだ。
     そうだろうな。「ちょっと面白いから、亜細亜を侵略してみよう」とか「中国を日本にしてみないかい?」などと気まぐれで、人殺しを正当化はしない。「ほっておくと、日本人はみんな奴隷にされるぞ!」と危機感をあおったのかもしれない。みんな「そうだげな、そうだげな」という、噂の拡張と「虚偽の真実化」に振り回されるわけだ。まったくのウソはバレるか ら、ちょっと本当の事を入れて、全体を為政者の都合のよいようにアレンジする。これが、民衆支配の常套手段。
     戦争で得するのは、死の商人。損をするのは庶民。一度あることは二度、三度、いや何回もある。ボクはそう思っている。今までの戦争は、歴史的に見ても、参戦国は、常に「正しい戦争」「防衛戦争」と称してきた。そのことをきちんと把握しておく必要がある。

  2.  全体主義を警告するカナリア:憲法九条

     憲法九条の戦争放棄を現実的でないという改憲論者が多い。しかし、この非暴力抵抗主義は極めて優れた考え方である。なぜなら、平和のための努力を重視した発想ということになるからだ。たとえば、いったいどんな「防衛戦力」が可能なのか?そう問えば、防衛戦力論は破綻する。憲法九条が現実的でないのでなく、防衛戦力などあり得ないと考えることこそが現実的なのだと、ボクは思う。現実的な発想なら、戦争は起こさな い、起こされないと言う結論になろう。「なぜ戦争が起きるか?」それを追及し続ける民主主義が「戦争放棄」の現実的な力となるような気がする。「戦争起こしていいですか?」と国民投票して戦争した国はない。
     「一党独裁支配のテロリズム的暴力は、憲法上の各種の保障を内政的に無力化してしまった。まさに、これと同様の容赦ないやり方で国際法の枠組みを破壊したのが、戦争を引き起こした諸国民の見せた、全体主義のために抑制を失った暴力だったのである」と ハーバーマス(『法と正義のディスクール』未来社七五頁)は言う。憲法九条厳守も、君が代への嫌悪も、ボクは反戦平和の現実的なカナリヤだと思っている。

  3.  歌には思想が、心が、センスがある

     音楽家の中田善直は「よい歌曲は言葉(歌詞)とメロディがよくあっていて、自然に聞こえなければなりません。『海』が『膿』になってはこまります。これを歌うと『君が代は』、でなくてどうしても『君がぁ用は』と聞こえます。(中略)無理な引き伸ばしがさらにこの曲を不自然なものにしています。要するに、歌詞の長さとメロディーの長さがまったく釣り合わ ず、メロディーに較べて歌詞が短か過ぎるので、無理に引き伸ばしているのです。この曲を大勢で歌うと、お経のように意味が分からなくて、間のびした、だらしのない感じになってしまいます。」(『メロディーの作り方』音楽の友社)と言う。
     君が代を荘重だという感覚を持つのは自由だが、そういう人が音楽教育など語って欲しくないし、一緒に歌いたくもない。君が代を真剣に歌っている人がいてもいいが、多分それは、 「よく、わかーんナイ的な幼稚若者的軽薄」さと同等だとボクは思う。(裏面の政府見解を見よ!)
     その意味では、君が代は天皇制に「ピッタリの曲」なのかもしれない。学校に「強制しない」と強制している実態は、まさに、「子ども」ごときには、教化しやすいという為政者の思惑だし、学校のセンセイは恐れるに足らず!という軽蔑のあかしだろう。国歌が必要か否か?という問題と、それが必要だとして、君が代が適しているか?という二つの論議がある。きちんと論議できないところに問題ありなのだ。ボクは、この郷土を愛している。だから国歌などいらない。

    (2000.3.6)



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