教員人事がやってきた(月刊アスク2001年12月号)

 人事異動具申の季節がやってきた。例年、一二月中旬に、「名古屋市の人事異動方針」というのを、校長が全職員に周知させることになっている。ボクの学校も、一〇日月曜日の二時間目と三時間目の間の休み時間に全職員を職員室に集合させ、校長が人事異動方針について話した。
 この表向きの人事には、もちろんというか裏が在り、裏人事が終了するのが、今ごろであって、今ごろ人事異動の希望をしているような人は、「もうどこへ転勤してもいいですよ」と言うに等しい。
 裏人事は、いくら遅くても八月頃には動いている。実際に、そういう人を知っている。だから、転勤の希望は、早い方がいいに決まっているのだ。
 裏人事は、管理職の登用が中心になっている。普通の先生は、どっちにしろ後回し。教頭から校長への昇進は、その年齢の同級生の数や、退職校長の数、専門教科の種類によって割り当てが在るようだ。だから全ての教員が校長になるわけではないが、もちろん、優れている人が校長になるのでも、当然ない。 校長試験は「無い」。教頭として校長の推薦がいるので、校長に刃向かうような教頭は校長には絶対なれない。
 愛知では、教務主任は「任命制」であり、他の自治体のように、校内で来年の教務主任はだれにするか?論議するなどということはない。教育委員会であらかじめ決めて、他の学校から教務として転任させるのである。教頭と同じような扱いをするのだ。
 だから、教務主任は校長の意のままにもならない。直轄人事である。そうなると、教務、教頭、校長と学校管理職は教育委員会のご機嫌を損ねると大変なことになるし、次のステップをふみはずすことになるので、決してさからうことはしないのである。これで、学校の独自性などとは笑わせるし、地方自治の独立なども、教育委員会には在り得ない。ちょっとでも、出世のシフトを変えるようなことがあると、腹黒い管理職連中はこぞって反対するのである。
 そのいい例が、犬山などで、市町の教育委員会が独自で人事をしようとすると県教委は反対するのである。民間人の登用などしたら仲間の校長の椅子が減るという理由だ。ボクは民間人の登用は安易だと思っているが、人事の閉鎖性には問題在りだという立場だ。
 ボクの独断的偏見といわれてもしょうがないが、出世するためには、結局『金』だと思う。お金が動いているに違いないと思っている。「教務になるには、片手必要だ」というような話(片手がいくらか知らないが?)がごく普通に酒の席でいわれる。
 「アイツは金払いが悪いから結局出世できなかった」などいう話も聞く。人事異動が決まると「お礼の挨拶」にみんな行くのは事実だし、それがなんの不思議でもないようだ。大体管理職になったからといって、なんで校長会長や区の有力な校長のところへご挨拶にわざわざいくのか?
 むろん、最近は足がつくような金品の授受は行なわれていないだろうし、ボクも証拠をつかんでいるわけでもない。たんなる、愚痴話を小耳にはさんだというだけである。しかし、ボクは新任の頃、体育科の先輩が言ったことが忘れられない。「おい、オカザキ、出世したいなら金は効果的に使うんだ。もらって嫌がる人はいない。出し方の工夫だ。」●

(2001−12−23)


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